【1月10日投稿分】 一昨日、X(旧Twitter)に投稿した法話の付け加えです。
今年の1月4日の事ですが、布教(仕事)で外回り(檀家の仏壇参り)をしていた時、見知らぬ女性が「お坊さん、少しお話、いいですか」と声を掛けられ「何ですか」と聞き返すと「そんなに親しくない知人から『信仰をしないと、あなた、死ぬよ』と勧誘されたんですが、これってどうなんでしょうか。何か、気持ち悪くて」と。「あなたの知人さんに『信仰してても人間は、死ぬ時は死ぬよ、と通り縋りの坊さんが言ってた』と言ってあげなさい」と。
まだ、こんな『脅し勧誘』する信仰者がいるんですね。昨年の4月に法律(不当寄附勧誘防止法)が出来て、実刑(懲役、罰金等)を喰らわす、と国は言ってるのにね。釈尊、達磨大師や、弘法大師、伝教大師など、日本の各祖師が『脅して信仰に導いた』なんて話、聞いた事がない。脅しでもって勧誘してきたら眉唾にて、気を付けましょうね、皆さん。
嘗て、こんな話が。70代女性が「友人の紹介でやって来た僧侶(拝み屋)さんが『この家は不動明王を祀ってあるから、家に入られん』と、玄関先であなたの先祖達が怒り狂っとる。出て行ったら祟られるぞ』と。どうしたらいいでしょうか」と拙僧のお寺へ。「そりゃ、大変だ。ところで、ですよ。ここ(わが寺)に来る時、その怒れる先祖達が待ち構えているという玄関を通り抜けて来る訳ですが、その時、何かされましたか」「 • • • いいえ、何も」「そうですか。じゃ、この話は、もう終わりだね」と言うと「あっ、本当だ」と何やら気付かれた様子で。「1つだけ、言っときますよ。何が悲しゅうして、わが子、わが孫を祟る先祖など、おるもんですかいな。先祖を愚弄するも大概にせにゃ、失礼にも程があるよ。先祖1人、1人の数え方を、1柱、2柱、と『柱』を使うんですが、これは、私たち子孫を支えてくれているという意味。その支え(心)を傷付けて、どないすんねん、という話だよ」と。
【自殺の話】
著名人(芸能関係者含)の自殺報道が流される度に、読者や檀家、知人から「自殺者は地獄に堕ちて、永遠に浮かばれないって、本当ですか」の問い掛けがきます。テレビを見ていると、初めの内は同情的ですが、時間が経つに連れ、根掘り葉掘り掘り起こして、死者を冒涜する方向に。その様子を見ていて、以前、どこぞで耳にした『自殺は罪、永遠に浮かばれる事はない』の言葉が、頭を過ぎるんでしょうな、拙僧に問い掛けてこられる人達は。
今年も早々から「友人が自殺を」と読者さんから、上記と同じ様な問い掛けが。対し拙僧「江戸時代に近松門左衛門さんが『曽根崎心中』を発表。その影響で心中が流行。危機感を持った当時の僧侶達が、それを食い止める為に『自殺は地獄行き』と方便(嘘)を使って。それが功を奏して、心中が収まっていったとの事。結果的に嘘とはいえ、悪い事(自殺防止策として)ではないので、その言葉が今日(現代)まで続いているだけ。悲しく(哀しく)死んで逝った人を、更に追い込む様な心無い言葉を、投げ掛けたらあかんよね。その人(自殺者)も命を落とすまでは、懸命に生きてきたんだから。その人が生きてきた人生の全てを否定する様な、そんな言葉や思いを残った者が投げ掛けるは、あまりにも可哀想過ぎる。自殺も、病死や事故死も、老衰と同じく寿命。自殺未遂で終わる人もおられるでしょ」と。
加えて、この読者さんに「人間は寿命、といえばね、こんな話も。20年以上前の話ですが、拙僧のお寺の檀家で、朝、出勤で家を出て、数十メートル先の横断歩道で車に突っ込まれ、絶命した男性が。家を出る時、奥さんが『ちょっと、あなた』『あっ、何や』のやり取りが数秒あったなら、その突っ込んできた車は通り過ぎていたはず。何故、ピンポイントでそこにいなければならなかったのか。この様な類似の事例(過去の法話で紹介済み)は、拙僧の周りだけでも数例あります。人間、死ぬ時は、死ぬ。死にとうても、死ねん。死ぬまでは、生きとかにゃならん。なれば、如何に生きるかが大事。その『人の死』を出汁に使って、お金儲けをする輩(信仰者)も数例ですが、今日まで対応してきました。そんな輩(信仰者)の『自殺は、地獄行き』なる言葉で、君の友人の死(自殺)を見つめる様な事をしたら、友人さんが可哀想だよ」と。「わかりました」と、その読者さんが。
【余談】
信仰は特別な物では、ないですもんね。特別な物にしている者がいるだけで。檀家の爺様、婆様達は、異口同音に「死ぬまで、元気。逝く時は、コロっと。子供や孫に迷惑を掛けずに死にたい。これ以上の子供孝行はない。願いはそれだけ。住職(拙僧の事)よ、宜しく頼んますばい」と。嘗て、知人の婆様(行年89歳)も、拙僧にその様な願いを。この婆様は30年以上、毎朝、欠かさず菩提寺の掃除を。ある日、掃除を済ました後「少し疲れたから寝るね」と寝室へ。そのまま布団の中で安らかな大往生を。こんな大往生を拙僧、何人も見てきました。その様な人達は皆「だろうな」という生き方をされてますよね。勿論、一概には言えませんがね。22年前に先立った父が、拙僧が幼い頃より、よく言って聞かせてくれていた言葉は「自分の為だけに努力している者は、自分が努力しただけしか実りはない。損得抜きに人(世の中)の為に動いてごらん。ここぞという時には、どこからともなく、不思議と支えがやってくる。特に人は、良識ある人間ならば、受けた恩は必ず返してくる。その恩返しを当てにして動いてはいけんがな。いいかい、給料もらって仕事するなら、誰でもするぞ。ここをしっかりと頭に入れとけ」と。
次回の投稿法話は、1月15日になります。