今日は磯部町で長寿社会大南勢志摩地区の講演会が行なわれ、聴講し
ました。
演題 「伊勢神宮の謎」 講師 伊勢市史編纂委員 間宮 忠夫氏
内宮前大鳥居と宇治橋 宇治橋 の下五十鈴川
講師の間宮先生は元女学校の先生で、最後は伊勢工業高校の校長を勤め
られた方で90歳と言う高齢でしたが、声も大きくかくしゃくとされ、ユーモアたっ
ぷり に話されました。
内容 伊勢神宮 特に「外宮」(げくう)を中心に話されました。「内宮」は
今や赤福を中心に「おはらい町」が作られ、ここ10年ほど「おかげ
横丁」へ来たついでに内宮参りもする人が増えていますが、「外宮」
の方はお参りする人も少なくなり、何とか活気付けたいと・・・・
元々「外宮」は豊受大神宮と言われ、内宮が天照大神を御祭りし
国歌の神であったのに対し、外宮は豊受大神をお祭りし、地方の神、
民衆の守護神であったと・・・・・
外宮 内宮
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皇大神宮については「古事記「『風土記」「日本書紀」にも記録
があるが、外宮については記載されていない。しかし「神社古代史」
等に記載されている。
後に皇大神宮に豊受神宮が統合され、内宮、外宮となったと・・・
肝心な事はいまだ分からないが、どうでも良いことは分かっている
とおもしろおかしく話されました。今の人たちは、神仏をあまり敬わ
ないが、伊勢神宮をお参りするなら「片参り」はもってのほかで
先ず は外宮からお参りするのが礼儀とのことでした。
私の父は長く神宮に勤めていましたが、あまりにも幼い頃でした
ので神宮にまつわる歴史など教えられずに終りました
歴史については、わかりません。
さんでお参りします。年2回は行きますね。