夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

テレビドラマ「硫黄島ー戦場の郵便配達ー」に感動

2006-12-10 22:28:20 | Weblog

  今日は12月には珍しく暖かい日で実家の甥が来て、墓参りやら掃除など多忙
  な1日を過ごしました。

  映画「硫黄島からの手紙」は今や話題の映画として、アメリカでも、映画評論家
  による最優秀作品に選ばれたそうです。

     昨夜、民放で映画とは別にテレビ化された「硫黄島ー戦場の郵便配達ー」 
   を見ました。映画は栗林総指揮官を中心に兵士たちが描かれていますが、
   テレビでは、丸海軍司令官とその部下たちを描き、本土と島との家族へ
  の手紙
を通して、時にはドキュメント遺族や奇しくも生き残った隊員の話も
  交えたドラマでした。
            クリックしてみてね

     水も食料さえない硫黄島で本土から緊急物資と家族からの手紙が救い
 だったと・・・・・、数多くのアメリカ兵の上陸B29の襲来、次々と爆撃にや
  られ
、命を落としたり、中にはまだ幼い少年兵が手榴弾でいのちを断つなど
  戦場のすさまじさは目を覆いたくなるほどでした。涙なくして見られませんでした。
      少年兵たちは、軍歌の後ではいつも「故郷の空」の歌を歌っていたそうです。

   硫黄島は本土への最後の砦だったそうです。昭和19年2月に硫黄島へ配備
  された時から先が見えていたとのこと、サイパンが墜ち硫黄島、そして首都
  東京へとアメリカの作戦でした。それでも戦わずにいられなかったのが当時の
  軍隊だったのでしょう。

    壕内には幾多の遺骨が眠り、遺骨収集に訪れた遺族は骨を踏んで降り立った
  そうです。

   21000人の犠牲者のうち遺体収容は8000人ほど、13000人あまりは
 未だに硫黄島のどこかに眠っています。

    市丸少将がアメリカのルーズベルトに当てた手紙は今もアメリカで保存されて
  いました。(終戦後世界平和を願う書簡でした)

 



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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
戦争反対ですよ (ふくちゃん)
2006-12-11 16:53:57
日本も悪いですよね。大きな国を相手に戦争したことですよね。
おいしいおみかんありがとう。いつもきをつかっていただいてすみません。
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ふくちゃんへ  多くの命が失われたのですからたまらないね。 (純子)
2006-12-11 18:07:34
 今日はゴルフでしたか。おみかんおけいはんから渡されたのですね。地元のみかんですからね。
 今日は少し寒かったでしょうね。わたしは明日ですよ。
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ありがとうございましたね。 (ふくちゃん)
2006-12-11 21:40:17
おみかんありがとう。ミスの連続でした。お蜜柑いただきます。
あしたもゴルフですよ。

タートルエースですよ。従兄弟会で行ってきますね。
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ドラマ観ました (サトタカ)
2006-12-12 09:42:01
市丸少将の手紙をルーズベルト大統領が読むことはなかったそうですね。残念です。

「硫黄島からの手紙」を映画館で観た夜に、このドラマを観ました。
私にはこのドラマの方が伝わってくるものが多かったです。
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サトタカさんへ (純子)
2006-12-12 21:33:21
 映画はもう観ましたか。わたしは15日に観る予定です。
 梯 久美子さんのエッセイ[散るぞ悲しき」は栗林忠道中将が主で書かれています。(大宅壮一賞受賞)
コメントありがとうございます
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