夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

年度末 戦後団塊の世代退職へ    ー思い出す53年前

2008-03-31 19:58:46 | Weblog

  わたしが就職した昭和30年に教えた子ども達が、昨年還暦を迎え、同級生
 で旅行したと、今年の年賀状に書かれていました。

  今年から戦後の段階の世代と呼ばれる人(昭和22年~25年生まれ辺り)
 たちの退職が始まるのです生徒数の多い時代でした。終戦の20年生まれは
 最も少なく、戦地から帰ってからどっと生まれたのでした

  教室が足りず、仮設校舎もありました。わたしが勤めた学校は志摩でも
 大きな漁村で、当時は1学年4クラス52人いました。1000人を超える学校
 もかなりありました。 (父親は遠洋漁業や出稼ぎ(石工)で不在が多かった)

  木造校舎障子の入った欄間があり、教室や廊下など雑巾がけ(雑巾で拭く)
  をしました。給食もなくお昼は家に帰り食べてまた学校へと、お昼からになると
  教室には小さな子どもが来て座っていることもありました。保育園とてない時代
  でしたから子守りにつれてくるのです。 まあおとなしく床に座ってお絵かきなど
  して いましたが・・・・

   何しろ大勢でしたから、毎日大声で叱りとばしてもいました。どんなに叱られ
   ても素直(親と先生には口答えできなかった時代?)でした。20歳そこそこの
  新米先生でも困ることなく楽しく仕事が出来ました。今はどうでしょう?
   半世紀も前ですから今では到底考えられない状況でした。

     生活も家から通うことは出来ず、(今なら車で30分)下宿生活、(教員住宅
  もありましたが)同炊事場石油コンロスーパーインスタント食品ない
  お風呂は近くの銭湯へ・・・・ 赤い手ぬぐ いマフラーにして(歌 神田川)ではないで
  すが、下駄の音をカランコ、ロンと響かせて通ったものです。

   あの頃の子どもたちが、退職の時を迎え、改め50年という年月の長さを
  感じます。最初の教え子は、特に思い出多く、忘れられないことが多いです。
       

 



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2 コメント

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時代は変わりましたね (ふくちゃん)
2008-03-31 21:55:52
半世紀もすると時代は変わりましたね。私達も70年も生きてきたのですから変わって当然ですね。昔がなつかしいですよ。また、後もう少しと思うと寂しくなりますよ。純子さんは、いろんな事を書いてくれるので思い出しますよ。懐かしさがわいてきて、読ませてもらっています。
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同じ時代を働いたね (純子)
2008-03-31 22:23:52
 物もなく、不自由な時代だったけれど、子どもは良かったね。今の子どもは対応しきれないですよ。
 今の先生は大変だね。
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