小学1年生に入学する日を迎え、学校に行くと校庭に桜が満開になっていた記憶が残っています。
講堂で入学式があり、教室に移動したが、校長先生が何を話されたか、担任の先生(女教師だった)が何を話されたかの記憶が残っていません。
小学1年生になり、記憶に残っているのは学校で教科書を購入(当時は無償ではなく、各自が購入)し、家に持ち帰ると真新しい教科書の手触りと、インクの臭いが新鮮で、書かれているひらがな文字と描かれている絵がとても気に入ったことを覚えています。
小学校に入ると「あいうえお、かきくけこ・・・」のひらがなを学び、ざらざらした薄こげ茶色のノートに何度も書き、ひらがなを学びました。
小学1年生になり、ある時クレヨンで絵を描きましたら、先生にとても褒められ、教室に展示された記憶が残っています。私は先生に絵を褒められたことによって、絵を描くのが大好きになりました。
記憶に残っている当時の生徒さんは、雨の日も藁草履(ゴムでできたゴム草履が出て来たのは小学4,5年生になってからでした。ゴム草履は子供にとって長持ちし、大喜びでした。運動も裸足で、(「防水靴」と呼ばれていた靴を履いて運動をうするようになったのは5年生になってからでした)。雨の日の長靴は中学3年生か高校生になってからでしたので、多くの生徒さんは裸足で登校していました。そのため学校には「足洗い場」があり、廊下は生徒たちの足跡が残るので、1日に2,3回廊下の雑巾がけがありました。
藁草履もなく、裸足で学校にくる生徒さんも多く、また、ズボンや洋服は破れていて、大きな布の継ぎ当てもありましたが、そのような戦後の貧しい時代であっても、子供にとっては貧しい生活と感じることはありませんでした。
皆様方は戦後の学校生活は如何だったでしょうか。
現在はとても豊かな生活で、小学生たちは戦後の物資の乏しく貧しかった時代は学ぶ機会がないかも知れません。
居間に咲いている「胡蝶蘭」