八甲田山は、青森県を岩木山と並んで代表する山で日本百名山の一つである。ただし、八甲田山という名前の山はなく、主峰の大岳(1584.5m)を中心とする山群の総称である。ちなみに「八」はたくさん(八ヶ岳も同様)、「甲」は盾、「田」は田代と呼ばれる湿原を表わしている。八甲田の冬は特に厳しく、巨大な雪のモンスターができることで有名である。日本海からは津軽平野を縦断し雪を含んだ南西風、そして陸奥湾からのシベリアおろしが強くふき、峰峰を互いに回り込んでぶつかり合うため乱気流が発生する。この八甲田において、明治時代の1902年1月、二つの連隊、青森歩兵第五連隊と弘前歩兵第三十一連隊によって雪中行軍が実施された。前者は強風と多量の降雪によってほとんどの将兵が死亡し、一方後者は全員が無事(凍傷にかかった者は多かった)帰還した。この事件、当時新聞紙等で大きく取り上げられた。私たちにこの事件を認識させたのは、新田次郎の書いた「八甲田死の彷徨」(1971年)であり、それを映画化した「八甲田山」(1977年)であろう。

映画「八甲田山」から
少し新田次郎について触れておく。もともと中央気象台ほかに勤務した気象学者であり、作家でもある。彼が得意としたものはいわゆる「山岳小説」で加藤文太郎を描いた「孤高の人」、駒ヶ岳での尋常高等小学校の生徒らの遭難を描いた「聖職の碑」、剱岳に三角点を設置する苦難を描いた「剱岳点の記」などなど山岳ものがたくさんある。おじさんが最初に読んだのは、孤高の人、そのあと八甲田死の彷徨、残りは実は読んでいない。その息子が数学者の藤原正彦でむしろこちらの方がよく読んでいる。彼は「国家の品格」でブレイクしたが、「遙かなるケンブリッジ」や「若き数学者のアメリカ」あたりが若々しさが表れていておじさんは好きだ。次郎の奥さんが作家の藤原ていで、「流れる星は生きている」は当時満州に務めていた次郎に伴って行った満州での生活が敗戦によって、激変し、ていが家族を連れて本土に無事帰還するさまを描いていて、涙なくして読み通すことはできない。
さて、本題に戻ろう。映画「八甲田山」を見ると、青森の方は中隊長の神田大尉(実際は神成)を北大路欣也が演じており、弘前の方は中隊長の徳島大尉(実際は福島大尉)を高倉健が演じており、この2人の名演技ばかりが記憶に強く残ってしまっている。特に神田大尉は悲劇のヒーロー(本来は隊の責任者なのであるが、大隊長が加わり、指揮系統が乱れてしまっている。この大隊長は救助されるが、後に病院で死亡した。小説ではピストルでの自死としている。)と化してしまう。事件を簡単に説明しておく。もともとは日露の戦いを想定した冬の厳しい寒さの中での戦いの教訓を学ぶために考えられた。その中で青森と弘前の連隊が競うような形になってしまった。青森は山中一泊(三日とする記述もある)、これに対し青森隊に遭遇するために、弘前から十和田湖を反時計回りに回り、東から八甲田に達するもので全行程12日、参加する将兵は37名。この弘前隊の長い日程を知った青森隊がわでは、人数を210名とした。この人数の違いこそ、一方は無事に帰還し、他方は遭難という分かれ道だったと思われる。しかも、青森隊は輜重隊という弾薬や宿営に必要な食料、器具を運ぶそり隊を伴っていて、この隊が軟雪に埋まり動きが遅く、先発する隊はこれを待っている時間が長くなってしまった。弘前隊は基本は民家に泊り、食料も現地で調達をしていた。さらに弘前隊は岩木山での雪中行軍を経験していたし、夏ではあるが下見もしていた。さらに必要なところでは案内人を雇うなどしていた。

雪中行軍概略図 困難さから言うと弘前隊の方が数倍難しいルートである
タイトルの本を書いたのは、間山元喜と川嶋康男、間山は弘前隊でこの行軍に参加した間山仁助伍長の孫にあたる。この本では、その仁助の書いた日記及び隊長の福島大尉の書いた報告書(2012年に公開)をもとにして書かれている。しかし、青森隊の生存者は少ないために、実態は遭難してから書かれた報告書となるため、詳しくない。さらに、青森隊は時間が経つにつれ、組織としての動きをしていないこともわかりにくい原因となっている。著者の間山は、もと自衛隊を定年退職していることから、特定の個人や組織を捉えて、批判することは極力避けられているように思われる。だから小説や映画のようには面白く感じられないかもしれない。この両隊は青森隊の遭難現場で遭遇(すでに大部分は死亡)するのだが、福島大尉の報告書ではそれに触れてもいない(間山仁助の日記では控えめであるが触れられている)。

八甲田雪中行軍120年目の真実
厳冬期での戦い方について、現在でも通用する記述がある。体を動かすことで暖をとる。その温かさは、汗を伴うので、止まると体はすぐに冷える。体をおだやかに動かし続けることが大事。小刻みな休憩とすぐに取り出せる間食を用意し、エネルギーの補給に努める。おにぎりは凍らないように、各人腹巻き着用し、そこに入れておく。両隊とも凍ったおにぎり、餅などによって、十分な食事をとることができなかった。
青森隊の遭難を見ると、おじさんは日本軍の南方作戦を思い起こす。すなわち、武器も不備、食料もなく、南方の島々に置き去られた将兵たちに襲いかかったのは米軍というよりも飢えと病気であった。現場のことを知らない参謀本部、経験もないジャングルでの戦いなどなど、そっくりではないか。もっとも同じ死ぬなら、雪の中で死ぬことがずっと楽であることは間違いない。

映画「八甲田山」から
少し新田次郎について触れておく。もともと中央気象台ほかに勤務した気象学者であり、作家でもある。彼が得意としたものはいわゆる「山岳小説」で加藤文太郎を描いた「孤高の人」、駒ヶ岳での尋常高等小学校の生徒らの遭難を描いた「聖職の碑」、剱岳に三角点を設置する苦難を描いた「剱岳点の記」などなど山岳ものがたくさんある。おじさんが最初に読んだのは、孤高の人、そのあと八甲田死の彷徨、残りは実は読んでいない。その息子が数学者の藤原正彦でむしろこちらの方がよく読んでいる。彼は「国家の品格」でブレイクしたが、「遙かなるケンブリッジ」や「若き数学者のアメリカ」あたりが若々しさが表れていておじさんは好きだ。次郎の奥さんが作家の藤原ていで、「流れる星は生きている」は当時満州に務めていた次郎に伴って行った満州での生活が敗戦によって、激変し、ていが家族を連れて本土に無事帰還するさまを描いていて、涙なくして読み通すことはできない。
さて、本題に戻ろう。映画「八甲田山」を見ると、青森の方は中隊長の神田大尉(実際は神成)を北大路欣也が演じており、弘前の方は中隊長の徳島大尉(実際は福島大尉)を高倉健が演じており、この2人の名演技ばかりが記憶に強く残ってしまっている。特に神田大尉は悲劇のヒーロー(本来は隊の責任者なのであるが、大隊長が加わり、指揮系統が乱れてしまっている。この大隊長は救助されるが、後に病院で死亡した。小説ではピストルでの自死としている。)と化してしまう。事件を簡単に説明しておく。もともとは日露の戦いを想定した冬の厳しい寒さの中での戦いの教訓を学ぶために考えられた。その中で青森と弘前の連隊が競うような形になってしまった。青森は山中一泊(三日とする記述もある)、これに対し青森隊に遭遇するために、弘前から十和田湖を反時計回りに回り、東から八甲田に達するもので全行程12日、参加する将兵は37名。この弘前隊の長い日程を知った青森隊がわでは、人数を210名とした。この人数の違いこそ、一方は無事に帰還し、他方は遭難という分かれ道だったと思われる。しかも、青森隊は輜重隊という弾薬や宿営に必要な食料、器具を運ぶそり隊を伴っていて、この隊が軟雪に埋まり動きが遅く、先発する隊はこれを待っている時間が長くなってしまった。弘前隊は基本は民家に泊り、食料も現地で調達をしていた。さらに弘前隊は岩木山での雪中行軍を経験していたし、夏ではあるが下見もしていた。さらに必要なところでは案内人を雇うなどしていた。

雪中行軍概略図 困難さから言うと弘前隊の方が数倍難しいルートである
タイトルの本を書いたのは、間山元喜と川嶋康男、間山は弘前隊でこの行軍に参加した間山仁助伍長の孫にあたる。この本では、その仁助の書いた日記及び隊長の福島大尉の書いた報告書(2012年に公開)をもとにして書かれている。しかし、青森隊の生存者は少ないために、実態は遭難してから書かれた報告書となるため、詳しくない。さらに、青森隊は時間が経つにつれ、組織としての動きをしていないこともわかりにくい原因となっている。著者の間山は、もと自衛隊を定年退職していることから、特定の個人や組織を捉えて、批判することは極力避けられているように思われる。だから小説や映画のようには面白く感じられないかもしれない。この両隊は青森隊の遭難現場で遭遇(すでに大部分は死亡)するのだが、福島大尉の報告書ではそれに触れてもいない(間山仁助の日記では控えめであるが触れられている)。

八甲田雪中行軍120年目の真実
厳冬期での戦い方について、現在でも通用する記述がある。体を動かすことで暖をとる。その温かさは、汗を伴うので、止まると体はすぐに冷える。体をおだやかに動かし続けることが大事。小刻みな休憩とすぐに取り出せる間食を用意し、エネルギーの補給に努める。おにぎりは凍らないように、各人腹巻き着用し、そこに入れておく。両隊とも凍ったおにぎり、餅などによって、十分な食事をとることができなかった。
青森隊の遭難を見ると、おじさんは日本軍の南方作戦を思い起こす。すなわち、武器も不備、食料もなく、南方の島々に置き去られた将兵たちに襲いかかったのは米軍というよりも飢えと病気であった。現場のことを知らない参謀本部、経験もないジャングルでの戦いなどなど、そっくりではないか。もっとも同じ死ぬなら、雪の中で死ぬことがずっと楽であることは間違いない。