醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  246号   聖海(白井一道)

2016-03-26 14:59:16 | 随筆・小説

  中東問題(2)

侘助 アメリカ政府の対外外交政策は成功しない。なぜなら根本が間違っている。なぜなら絶えず悪いことをしようとしているから成功しない。意図が自然の法理に沿っていないからなんじゃないかな。
呑助 ワビちゃん、難しいことを言うね。
侘助 そうかな。人に良いことをしようと言うのが人間の自然なあり方なんじゃないかと思うんだ。今の中東情勢を考えるに当たって東アジアの歴史を考えて見るとアメリカのもっとも優れた政治家たちがベトナム戦争をした。ドミノ理論を掲げてベトナムを共産化させてはならない。ベトナムが共産化するとドミノ倒しのように東南アジア一帯が共産化してしまう。それを阻止するにはベトナムを何としても共産化させないためにアメリカは軍隊を派遣した。がしかし、世界最強の軍隊を持つアメリカが世界最貧国ベトナムに敗北した。これは歴史の奇跡なんだけれども、考えてみれば、当然のことだったんだ。他人の国の事に外国が干渉することは自然の法理に反しているからアメリカの敗北は当たり前のことだった。
呑助 どんなに強い国だって自然の法理に反することを行えば間違えるということでしようかね。
侘助 そうだと思うよ。現在の中東情勢を考えるにはイラン革命がなぜ起こったのかを振り返ってみる必要がある。
呑助 ホメイニさんが出てくる革命ですね。
侘助 アメリカの対イラン政策とはどのようなものだったかというと基本はイランの共産化阻止をどのように実現するということだった。イランの資源というとそれは?
呑助 石油ですかね。
侘助 そうなんだ。だから第二次世界大戦後、1951年、パフレヴィー朝のイランの首相、モサデグは、石油国有化を断行した。イランの石油はイラン人のものだとモサデグ首相はアングロ=イラニアン石油会社(AIOC)の資産の接収、戒厳令をしいてその操業を停止させた。こうしてイギリス国際石油資本に立ち向かった。がアメリカ軍の干渉によってモサデグは排除されてしまう。その後、パフレヴィー朝のパフレヴィー二世はアメリカの支援を得て白色革命を行った。
呑助 白色革命とは何ですか。
侘助 社会主義革命が赤色革命だとしたら資本主義的経済発展を進めたのが白色革命なんだ。
呑助 そうしてイランは豊かな国になったんですか。
侘助、豊かになった一部の人たちがいた。と同時に資本主義的経済の発展はイスラム教の世俗化を促進した。
呑助 経済の発展は女性のおしゃれやアメリカのポプュラー音楽などの流行でしようね。
侘助 アメリカではベトナム戦争敗戦後、民主党のジミー・カーター政権が誕生する。カーター政権発足後に国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任したのがブレジンスキーだった。彼はポーランド系ユダヤ人である。彼は徹底的な反共主義者だった。彼の狙いはソ連を崩壊させることだった。彼の戦略はソ連支配下にある中央アジアのイスラム諸国の民族主義を煽り、ソ連を揺さぶることだった。それには、まずイランのイスラム教が世俗化していくことに不満を持つイラン人イスラム教徒たちを支援し、その民族主義の心をくすぐることだった。こうしてイスラム教の世俗化に不満を持つ民衆の反パフレヴィー運動に火を付けた。ブレジンスキー国家安全保障問題担当大統領補佐官はパリでホメイニ、イスラム教シーア派最高指導者と度々合い、パフレヴィー朝打倒について話し合った。アメリカの支持を得たホメイニはパフレヴィー二世打倒をイラン民衆に訴えた。パフレヴィー二世は亡命し、パフレヴィー二世を守っていたイラン人たちはアメリカに亡命し、金持ちだった彼らはロスアンジェルスの高級住宅地ビバリーヒルズの住人になった。
呑助 へぇー、イラン人がビバリーヒルズの住人になっているんですか。
侘助 ビバリーヒルズ住人の三分の一はイラン人らしいですよ。孫崎享さんが岩上さんのインタヴューに応えて話していたよ。