中東問題 (3)
侘助 アメリカの支援を得てイラン革命は成功した。アメリカには誤算があった。イラン革命政府はアメリカのいう事を聞くものとばかり考えていたが、イスラム教シーア派最高指導者ホメイニはアメリカに牙を剥いた。
呑助 ホメイニはブレジンスキーを出し抜いた。役者が一枚上だったわけですか。
侘助 イランにはアケメネス朝ペルシア帝国以来、三千年の歴史を持つ文化があるからね。アッバース朝イスラム帝国を支えたペルシア人の知恵が今に至るまで継承されているからね。
呑助 イラン人とはペルシア人のことなんですか。
侘助 そうなんだ。イラン人と隣のイラク人とは民族が違うんだ。ペルシア語はインド・ヨーロッパ語族といわれる言語に分類されている言葉だが、イラク人が話している言葉はアラビア語なんだ。アラビア語はセム語族といわれている言葉なんだ。日常使われている言葉が民族を形成する上で決定的に大きな役割をしているらしいから。言葉というのは人の性格をも決定すると云われているみたいだよ。
呑助 そうなんですか。
侘助 英語で暗殺を意味する「アサッシンassassin」という英語の語源はペルシアで活躍した「アサッシン教団」にあると云われている。暗殺者はハシシュ麻薬を飲んで暗殺に向った。ヨーロッパから武装した巡礼団が十字軍として肥沃な三日月地帯といわれたメソポタミアに侵入してくるとアサッシン教団が活躍した。
呑助 イランやイラクの人々は二千年に渡って侵略者と闘ってきた歴史があるんですね。
侘助 そうなんだ。だからイスラム教シーア派の最高指導者ホメイニには侵略者の裏をかく伝統的な知恵が継承されているんじゃないのかな。
呑助 ペレジンスキーというのは学者あがりの外交官なんでしよう。そんな外交官の裏をかくことなど容易いことだったんでしようね。
侘助 そうかもしれないな。
呑助 アメリカは頭にきたでしようね。
侘助、そこでイラクのサダム・フセインを焚きつけてイラク軍にイランを攻撃させた。イラン・イラク戦争の始まりだ。
呑助 サダム・フセインというのはアメリカの傀儡政権だったんですか。
侘助 そのような政権だったんじゃないのかな。
呑助 じぁー、どうしてイラク戦争はどうして起きたんでしようかね。
侘助 そう急がないでほしいんだ。1979年にイラン革命があると1980年にイラク軍がイランにミサイルを撃ち込んだ。当初はイラク軍がイランに侵入したが1982年になると逆にイラン軍がイラクに侵入するようになった。イラン革命がイラクに波及するのではないかと危惧したアメリカはイラクを支援。結局、88年夏までに国連安保理の停戦決議を両国が受諾して、戦争が終結した。アメリカはイラン革命で失敗し、イラク軍を使ったイラン侵略戦争も失敗した。アメリカは連戦連敗を喫した。やはり自然の法理に反した外交政策は失敗するほかはない。
呑助 サダムはアメリカの力の限界を見て、アメリカを見くびり始めたんですかね。
侘助 それでアメリカは舐められてたまるかとサダム・フセインを叩く機会を狙っていたんじゃないのかな。1988年にイラン・イラク戦争が終結するとサダム・フセインは1990年8月クウェートに侵攻し、これを占領した。国連安保理はイラクに対して期限までに撤退するよう求めるが、フセイン大統領はそれに応じなかったため1991年1月、アメリカを主力とする多国籍軍がイラクを空爆し始めた。湾岸戦争の始まりだ。この時、アメリカの広告代理店が「クエート少女の証言」というビデオを作製した。ナイラなる15歳の女性が1990年10月10日に非政府組織トム・ラントス人権委員会にて行った証言なんだ。イラクによるクウェート侵攻後、イラク軍兵士がクウェートの病院から、保育器に入った新生児を取り出し放置し、死に至らしめた経緯を涙ながらに語った。この少女の証言に世界中の人々が騙された。