国民政党という衣を脱ぎ捨てた自民党
田中角栄率いる自民党は国民政党だった。田中角栄が福田赳夫に自民党総裁選挙に勝利した時、テレビの前で手を叩いて喜んだ友人がいた。自分のことであるかのように飛び上がり喜ぶ下町の親父たちが地方の農民たちがいた。田中角栄は突出した戦後日本社会を代表する保守政治家だった。田中総理の出現に日本の国民は熱狂した。あの時のような国民の熱狂を私は知らない。
給料が毎年、一万円上がった。三月には差額がボーナスと同じぐらい出た。余裕のある庶民の生活が実現した。1970年代から80年代にかけて自民党の政治は国民の生活を豊かにした。会社に勤めていた人々は真面目に働けば幸せな生活が保障された時代だった。
国民政党だった自民党が変わり始めたのが1980年代の中曽根政権ごろからだった。中曽根総理の思想は庶民に厳しいものだった。しかし田中曽根内閣と言われたようにむき出しの厳しさを日本国民に露わにすることはなかった。
自民党が大きく変わり始めたのが1990年に入ってからだった。世界も大きく変わった。1990年代になると世界史的出来事としての米ソ冷戦が終わりを告げた。ソ連の崩壊は同時に東ヨーロッパ世界の崩壊だった。日本にあっては左派を代表した日本社会党が凋落した。1990年代に成立した自社さ政権の村山内閣が日本社会党最後の輝きだった。村山内閣崩壊後、日本社会党は少数政党へと転落してしまう。
日本社会党に代表された日本の左派勢力が日本の政治に大きな影響力を与える力を失った。自民党内にあっては田中角栄の影響を受けた経世会や宏池会に代表されるリベラル派がこれまで自民党内にあって決して主流になることのなかった清和会の小泉純一郎が政権を取ってから日本の政治は大きく変わった。小泉政権には熱狂があった。私の住む街にも小泉首相はやってきた。駅前広場で演説をした。立錐の余地もないほど市民が集まった。これがポプュリズム政治というものかと実感した。この小泉政治の熱狂が自民党政治を変えた。自民党は国民政党という衣を脱ぎ捨てた。「ばらまき」を辞めたのだ。今までのような富の一部を国民に還元することを辞めたのだ。国民に厳しい政治を日本国民自らが求めてしまったのだ。これがポプュリズムというものなのだろう。ポプュリズム政治の結果が2008年末から2009年初にかけての年越し派遣村の建設だった。
新自由主義というむき出しの資本主義が日本国民に襲い掛かった。巨大な資本の自由を謳歌する新自由主義。大企業が巨大な富を得たならそこから富が庶民に滴り落ちてくるという主張がトリクルダウンだ。しかし富は庶民には滴り落ちてくることはなかった。これからもないだろう。だから最近はトリクルダウンという主張を聞くこともなくなった。安倍総理は世界で最も企業が活動しやすい社会を実現すると述べている。労働法を無視できる社会を実現すると述べている。「働き方改革」という企業が自由に労働者を働かせられる社会を実現すると言っている。
低賃金、長時間労働が常態化する社会を実現するとニコニコしながら安倍総理は発言する。そんな安倍総理を支持する日本国民がいる。自ら地獄への道を選んでしまう日本国民がいる。
「おい地獄さ行えぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱かかえ込んでいる函館はこだての街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草たばこを唾つばと一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹サイドをすれずれに落ちて行った。彼は身体からだ一杯酒臭かった。
小林多喜二の小説『蟹工船』冒頭の文章である。この小説は1929年に出されたものである。今から90年前の社会が表現されている。資本主義社会の本質が表現された文学である。今、日本国民に資本主義の本質が襲い掛かろうとしている。そのような社会を実現することが安倍総理の狙いのようだ。
小泉総理には熱狂があったが安倍総理には熱狂がない。あるのは嘘と宣伝のみである。何となく作り上げられた空気観によって支持を得ようとしている。低投票でいいのだ。投票率が低ければ低い方がいい。空気観に騙された国民が投票してさえくれれば、安倍政権は安泰なのだ。今度の参議院選挙に安倍政権は命を懸けていることだろう。消費税10%への増税をマスコミに宣伝させ、参議院選挙を目前にして安倍総理は消費税10%への増税を延期する作戦ではないかと憶測している人々がいる。こうして選挙に勝利する作戦を立てているのかもしれない。