しら露もこぼさぬ萩のうねり哉 芭蕉 元禄六年
この句には「白露をこぼさぬ萩のうねりかな」という異型の句が伝えられている。「しら露も」と「白露を」の違いである。私は「しら露も」の方が断然良いと思う。「白露を」ではなく「しら露も」とすることによってたわんだ萩の枝の形が表現されている。
「も」と「を」、助詞の使い分けに芭蕉は神経を使っていた。「しら露も」とすることによって萩の花は読者にいろいろなことを想像させる。萩の花は万葉集で一番多く詠まれた花である。
奈良、唐招提寺を萩の寺といった歌人がいる。秋の観光シーズン到来ともなると豊かにたわんだ萩の花を愛でる観光客がどっと来る。
「をとめらに行き逢ひの早稲を刈る時になりにけらしも萩の花咲く」『万葉集巻10詠み人知らず』。萩の紅い花びらに万葉の歌人たちは女性を思い浮かべていた。
芭蕉は『おくのほそ道』市振で「一家に遊女もねたり萩と月」と詠んでいる。芭蕉にとって萩のイメージは女性であった。万葉以来のイメージを芭蕉は継承し、萩を詠んでいる。