2025年1月18日(土)
小諸高原美術館より浅間山方面を望む
(左奥)水ノ塔山、(手前)高峯山、黒斑山、浅間山
前週は一時帰国した娘と山に登った。 この週は姉と冬の風物詩を廻る1泊2日の旅に出た。 山には登らない。 メインは長野県上田市にある鹿教湯温泉(かけゆおんせん)で、ゆっくりと温泉を楽しみながらこの時期行なわれている「氷灯ろう夢祈願」のイベントを観て撮影すること。 氷灯ろうのイベントはもちろん暗くなる夕方からなので、昼間はあちこち観光。
小諸に到着し、朝一で「布引観音」に行こうとしていたのだが、浅間山~高峰高原がそこに山が無い程雲の中だったので、曇天のもと見えている八ヶ岳、北アルプスなどを眺めに「市立小諸高原美術館」に向かった。 写真は美ヶ原高原方面。 左の白い山は三峰山、中央辺りが美ヶ原高原、右の方に白く見えるピークが武石峰だそう。 八ヶ岳や北アルプスも見えてはいたが、空が灰色で重々しいので写真は無し。
小諸高原美術館に隣接し、「富士見城跡」がある。 展望も良くこちらから是非山の撮影をしたかったし、歴史的にも興味があった。 予報に反して天気が悪く、期待していた展望は拝めないが、山城散策ができたのは良かった。
説明板を見るとこのような立地。
「富士見城」の名の通り、奥秩父方面の山々と共に富士山を眺めることができる。 そして八ヶ岳、美ヶ原高原方面、北アルプス、高峰高原、浅間山方面と360度の大展望を得られる。 富士見城は武田氏滅亡後、真田氏と対陣するために徳川氏の家臣柴田康忠が在陣していたとのこと。
富士見城とそこからの展望を楽しんだが、空はどんより曇ったまま。 浅間山は見えないが、建築が素晴らしいので「布引観音」に行ってみようということになった。
布引観音釈尊寺は「牛に引かれて善光寺参り」の伝説の舞台。 観音堂を拝見するのは2回目だが、本当にすごい造りだ。 お寺自体は奈良時代、観音堂に祀られている観音堂宮殿(かんのんどうくうでん)は鎌倉時代のものらしいが、観音堂についてはあまりよくわからない。 また、この観音堂にはあちこちに「武田菱」が見られる。 小諸が武田氏の配下にあった時代はあるようだが、なぜここに武田菱があるのかは、調べてもあまりよくわからない。 「こもろ観光局」のブログにも「観音堂の武田菱との関係は。。。」と言う事になっている。
釈尊寺をお参りし、観音堂に向かう参道には岩のトンネルがある。
手掘りの物だと読んだ。
誰もいない境内を歩いてゆくとネコさんがいてビックリ!
観音堂内部。
手すりの向こうは断崖絶壁。 あまり身を乗り出さないでよ~。
布引観音釈尊寺を拝観していると 11:30頃になったのでお昼ご飯を食べに「雷電くるみの里」に向かう。
雷電くるみの里は湯ノ丸山などに登ると帰りに寄ることもあるのだが、夕方では大抵お蕎麦が品切れで今まで頂いたことが無かった。 この日は名物のくるみだれの手打ちそばを初めていただき満足! さらに名物のくるみおはぎまで頂く。w 山に登らないからせいぜい歩かないと。
お昼ご飯を終え外に出ると、何と午前中にかかっていた雲がすっかり晴れ、快晴になっている! 浅間山方面も丸見えだ!
と言う事でふたたび市営小諸高原美術館に戻った。w
山並みも素晴らしいのだが、手前の棚田がまた良い雰囲気。 良い所だなぁ~!
春には美術館~富士見城跡辺りまでサクラが咲くようだし、棚田のグリーンシーズンも良いだろう。
黒斑山も水ノ登山も真っ白で、登っている人は素晴らしい景色の中を歩いているだろうなぁ、
と思わないでもなかったが、まぁ、たまには観光もいい。
美しい景色を堪能したら次へ向かう。
訪ねたのは東御市の海野宿(うんのじゅく)。 写真は海野宿東端にある白鳥神社。 こちらの近くにある第1駐車場に駐車して散策開始。 まず上写真の白鳥神社、境内の中目を奪われるのは樹齢700年を越えるケヤキの木々。 ケヤキってこんなに大きくなるんだ~。
海野宿の産土神(うぶすなかみ)としてずっとここで歴史を見てきたのだろう。
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されたそう。
中山道と北陸道を結ぶ重要な街道。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、
江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くあった。
江戸時代から続く手の込んだ美しい建築、家並みが見られるのは本当にすごい!
「うだつ」「格子」など説明を聞きながら見て回るのも楽しいだろう。
冬の間は冬季休業が多く残念だったが、その分人通りが少なく、静かに存分に拝見できた。
鹿教湯温泉の宿でゆっくりしてから氷灯ろうに向かうつもりだったが、時間はギリギリになってしまった。 あちこちウロウロしたので仕方なく、これもいつもの事だ。 つづく。