宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

「中国の変化はなぜ起こったか」-綱領改定案に対する志位委員長の答え (6)

2019年11月14日 | 綱領関連

 綱領改定案の「中国問題」に関しての討論で、「中国の変化は、なぜ起こったのか、それはいつごろで、何をきっかけにしたののであったのか」などの質問が寄せられ、志位氏は次のように答えました。 こうした「質問」は私たちの討論のなかでのらも出されています 以下、「結語」から紹介したいと思います。

 「『いつごろ』からかとという質問に対しては、中国の国際政治における動向に問題点があらわれててきたのは、2008年から2009年ごろ、胡錦濤政権の最後の時期から習近平政権が始まる次期だと認識しています。 中国が、国際舞台で、核兵器廃絶を『究極的目標』と棚上げする姿勢を示したのは、2009年のことでした」

 「東シナ海で、尖閣諸島の領海に初めて公船を侵入させる行為をとったのは、2008年のことでした。 南シナ海のほぼ全域について自国の権利を公式に主張するようになったのは、2009年でした」

 「その背景にあるのは、ちょうどこの時期に、中国がGDP(国内総生産)で日本を追い越し、世界第2の『経済大国』になったという問題があると思います。 経済的に力をつけるもとで、中国指導部には、より謙虚で誠実な対応が求められましたが、そうした対応が行われす、『大国主義・覇権主義』の誤りがあらわれてきた、これが背景にあると思います」

 より根本的な問題として、中国がおかれた歴史的条件を指摘しなければなりません。 中国革命は、文字通り遅れた国から始まりました。 とくに、自由と民主主義の諸制度が存在しないもとで、革命戦争という議会的でない道で革命が起こったこと、革命後もソ連式の『一党制』が導入されるとともに、自由と民主主義を発展させる課題が位置づけられなかったことは、中国社会の民主的発展の大きな障害となりました」

 「いま一つより根底にある歴史的条件は、中国社会に大国主義の歴史があるということです。 近代以前、中国は東アジアの超大国として、周辺の諸民族と朝貢関係を結び、従属下においてきた歴史をもっています。 こういう歴史を持つ国として、革命後も、大国主義・覇権主義は、毛沢東時代の『文化大革命』の時期に、日本共産党への乱暴な干渉攻撃をはじめさまざま形であらわれました」

 「そして、そういう歴史を持つ国だけに、大国主義・覇権主義に陥らないようにするためには、指導勢力が強い自制と理性を発揮することが不可欠となります 日中両党関係が正常化された1998年から数年間の時期には、わが党に対する干渉への『真剣な総括と是正』を公式に表明するなど、間違いなくそうした自制と理性が発揮されました。 しかしそれは一時的なもとして終わりました。 その根本的な背景には、中国の置かれた歴史的条件があると考えるものです」