不破さんは、スターリンとユーゴスラヴィア共産党の関係について、注目すべき解明を行っています。 以下、その点について紹介したいと思います。
「自主的な革命運動に対するスターリンの恐れ、あるいは敵視です。 最初にあげた外交戦略上の問題よりも、この問題の方が、スターリンの心中では決定的な位置をしめていたかもしれません。 『大テロル』以後、コミンテルンに結集した各国共産党の運動は、スターリンの決定に無条件に従うソ連絶対の体制に染めあげらてきました。 その状況が世界大戦の勃発に際してのコミンテルンの迷走ぶりに現れたことは、すでに見てきたところです(第11章)。」 (「前衛9月号」229~230頁)
「ドイツの対ソ攻撃の開始にあたっても、各国共産党が取るべき方針は、スターリンの指示をディミトロフが具体化し、各国共産党に指示したところでした。 それは、(1)”自国の革命の諸課題は棚上げにして反ファシズム闘争に専念せよ”、(2)”ナチス占領者との闘争では、ソ連防衛のための抵抗闘争を主とし、武装決起を急ぐな”という方針です」(同誌230頁)
「ところが、ユーゴスラヴィアでは、これらの指示をなんら意に介することなく、独ソ開戦とほぼ同時に、反ファシズムの武装闘争が開始され、スターリンが予想した『粉砕』的な打撃をうけるどころか、たちまち全土を蜂起の波で覆って、パルチザン部隊は各地に解放区を持つ解放軍へと成長してしまいました。 しかも、その解放闘争は、亡命政府の存在を問題にせず、ファシズム侵略者の打倒だけでなく、新しいユーゴスラヴィアの建設を堂々と旗印にして、革命的な戦争を戦っているのです」(同前)
「そこには、スターリンが、自分の支配下においたコミンテルンの中ではこれまで見たことのない共産主義者の姿ーー自国の革命に責任を負う自主性をいかんなく発揮して反ファシズム闘争を戦う共産主義者の頑強で不屈な態度がありました」(同前)
「いったい、これはどういう集団なのか? ユーゴスラヴィア共産党は、ヨーロッパの諸党の中でもあまり目立たない存在でした」(同前)
そのうえで、不破さんは次のように指摘しています。
「そのユーゴスラヴィアで、これだけの解放闘争を自主的に組織する力を持った共産党が存在していたこと、そして、この運動がそのまま発展して勝利をえるようなことがあったら、どんな事態が起こるか、そのことにスターリンは恐れを抱いたのではないでしょうか。 ポーランドの国内軍のような敵対的勢力なら、軍事力で圧殺することができます」(「同誌231頁)
「また、共産党の抵抗運動の場合でも、モスクワの指示を忠実に守り、旧体制勢力にどういう態度をとるかもモスクワに相談し、武装決起をやる場合にも、事前に指示を仰いでソ連軍の進撃と時期をあわせてことを起こすような勢力なら、解放後の体制づくりもスターリンの計画に協力させることができます」(同前)
「しかし、悪条件のなかでもこれだけの英雄主義を自主的に発揮して、自国の解放のために戦う勢力が、もしも東ヨーロッパの重要な一角で勝利を得るようなことが起きた場合には、バルカンに勢力圏を拡大しようとするスターリンの計画にとって重大な障害となるに違いないーー予想もしなかったユーゴスラヴィア・バルカン闘争の発展という事実に直面した時、こういう不安と警戒心、もっと強い言葉でいえば敵意といってもよいものが、スターリンノ頭に浮かんだであろうことは、間違いないと思います」(同前)
その後の「ユーゴスラヴィア解放戦争」の解明に期待したいと思います。
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