「スターリン秘史」 第17章、冒頭は、独ソ戦開戦の日、1941年6月22日、クレムリンのスターリンの様子について、「ディミトロフ日記」が引用されています。
「1941年6月22日 - 日曜日。 ー 午前7時に、緊急にクレムリンに呼び出された。 -ド イツがソ連を攻撃してきた。戦争が始まったのだ。~中略~ スターリンが私に言った。『彼らは何の苦情の申し出もなしにわれわれを攻撃してきた。彼らは、ギャング集団のような悪辣きわまるやり方で攻撃してきた」(「前衛」6月号、198頁)
「-スターリン及びその他の者の冷静さ、決意、確信が印象的だ」(「同誌」199頁)
不破さんは、「独ソ戦勃発の日のスターリンの様子については、これまでいろいろな説がとなえられてきましたが、『日記』でのこの日の記述は、電話で呼び出されたディミトロフが、現場で見聞きした状況をその日のうちに書きつけた文章ですから、簡潔ですが、そのクレムリンでの動きを生き生きとうかがわせる臨場感があります」(「同誌」200頁)と書いています。
そして、不破さんは、スターリンの180度の頭の切り替えについて触れています。
「ヒトラー・ドイツの総力をあげた攻撃に、無準備で立ち向かわざるを得なくなった責任が、ヒトラーの欺瞞作戦にまんまとのってあらゆる警告を無視してきたスターリンにあることはいうまでもありません。しかし、ドイツの対ソ戦開始が確定した事実となった以後、スターリンは、ヒトラーとの同盟関係からヒトラー・ファシズム撃滅の闘争の路線へと、180度の頭の切り替えを短時間で行いました。ディミトロフが目撃したのは、その頭の切り替えをおこなった直後のスターリンでした」(「同誌」201頁)
不破さんは、「スターリンは無能な戦争指導者だったか」という問題を提起し、フルシチョフ等の「誤り」を2人の政治家の証言をもとに検証しています。
一人は、アメリカ大統領ルーズヴェルトの特使、1941年7月にモスクワを訪問したハリー・ホプキンズです。(「同誌」214~218頁)
もう一人は、イギリスの首相チャーチルです。(「同誌」218~219頁)
不破さんは、「スターリンは、戦争の過程でその能力を発展させ、全体としてはむしろ異常な能力をを発揮したと見るべきだと思います」(「同誌」220頁)と述べています。
その上で、新たな研究テーマを提起しています。
「スターリンの戦争指導の最大の問題点は別の領域にあった」ことです。
「実は、スターリンの戦争指導の最大の問題点は、能力のレベルという問題ではなく、まったく別の領域にありました。 一つは、スターリンが、自分の専制支配体制を作り上げるために乱用したテロル方式とその諸手段を、戦争遂行の過程で広くもちこんだことです」(「同誌」221~222頁)
「第2のより大きな問題は、スターリンが、第2次世界大戦へのソ連の参加を、覇権主義的な領土拡大、勢力圏拡大の野望と結びつけたことです」
この提起は、今後の連載にも関わる前章とも考えられますので、引用し紹介しておきたいと思います。
「スターリンが、1939年8月から41年6月までは、ヒトラー・ドイツとの同盟のうちに、自分の覇権主義的野望の方途を求めてきました。ドイツの対ソ攻撃は、その道を断ち切り、逆にソ連そのものの存立をも危うくするものでした。スターリンは、ヒトラーのこの侵略を打ち破るために、ソ連のもつあらゆる力と可能性を汲みつくす覚悟を固めると同時に、イギリスやアメリカと同盟して国際的な反ファシズム戦線の一翼を担う方針に、国の進路を転換させました」
「しかし、スターリンは、領土と勢力圏の拡大という野望は捨てず、反対に、自らの野望の実現のためにこの戦争を利用することをくわだてました」
「ソ連参戦後の1941年8月、アメリカのルーズヴェルト大統領とイギリスのチャーチル首相は、北大西洋上のイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズの艦上で会談し、この戦争の目的を定めた『大西洋憲章』を発表しました。 交戦国の一方が、戦争中に、『両国は領土の拡張を求めない』ことをはじめ、反ファシズムの闘争に立った世界諸国民の願望に合致する戦争目的および戦後処理の原則を明確にする『憲章』を発表したことは、世界の戦争史に例のないことでした。 それは、ヒトラードイツをはじめ、世界のファシズムと侵略の陣営と戦っているという現実の行動にくわえて、この戦争の民主主義的性格を国際公約として明確に宣言したものでした」
「ソ連も、もちろん、この諸原則への同意を表明しました。しかし、スターリンは、大戦中の外交活動のなかで、表向きには、『大西洋憲章』などの国際公約を承認しながら、その陰で、領土と勢力圏の拡大と年来の野望を実現するために、あらゆる手立てをつくします。ソ連が、この戦争の中心問題であったヒトラー・ドイツを撃滅する主力部隊の役割を果たしたことは、反ファシズムの世界的事業への大きな貢献をなすものでしたが、スターリンはこの戦争を自分の覇権主義的野望達成の手段として利用することによって、ソ連のこの役割に、反ファシズムの大義に反する汚点をきざみつけたのでした」(「同誌」223頁)
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