遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『霖雨』 葉室 麟  PHP

2012-08-06 00:06:04 | レビュー
 本書は九州、豊後の日田に住み私塾咸宜園を主宰した儒者広瀬淡窓と、兄に代わり豆田町の商家広瀬家、即ち日田代官所出入りの御用達商人、博多屋(屋号)の家業を継いだ久兵衛を主人公とする。そして、サブの主人公として、咸宜園に入門する元広島藩士の臼井佳一郎と義姉千世が関わってくる。
 物語は、淡窓52歳の天保4年(1833)癸巳1月9日から始まり、安政2年(1855)に養子や弟子に咸宜園が引き継がれるまでの期間である。咸宜園の入門者は4000人を超え、著名な蘭学者高野長英や長州の大村益次郎なども咸宜園で学んだという。
 本書は、人口に永く膾炙した淡窓の漢詩を末尾に掲げて締めくくっている。

 道うことを休めよ 他苦辛多しと
 同袍友有り 自ら相親しむ
 柴扉暁に出づれば 霜雪の如し
 君は川柳を汲め 我は薪を拾わん

 著者は、「他での勉学は苦労や辛いことが多いと弱音を吐くのは止めにしよう。一枚の綿入れを共有するほどの友と自然に親しくなるものだ。朝早く柴の戸を開けて外に出てみると、降りた霜がまるで雪のようだ。寒い朝だが炊事のため、君は小川の流れで水を汲んできたまえ。わたしは山の中で薪を拾ってこよう」と詠っていると、冒頭の「底霧」に続く「雨、蕭々」の章で説明している。「故郷を遠く離れた地での勉学には苦労も多いが、寮での友達との共同生活も、人生の中で味わい深く楽しいものだ、という詩である」と。咸宜園を主宰した淡窓が塾生に期待していたことの一端が表出されている。

 本書は、江戸時代末期に私塾として定評を得ていた咸宜園に、<官府の難>が襲ってきた時期における広瀬淡窓と久兵衛の対処がテーマとなっている。咸宜園が開かれたのは文化14年(1817)であり、江戸幕府直轄地の天領である日田の代官所に49歳の塩谷大四郎が代官として着任する。そして、38歳の淡窓を塩谷代官が家臣として召し抱えると命ずる。それは、咸宜園をさらに盛んな塾にして、自らの手柄にしたいという魂胆があったからだ。博多屋(広瀬家)は二代目源兵衛の時に代官所に出入りを許され、塩谷代官着任の時点では、淡窓の父三郎右衛門が五代目であり、代官御用達の富商の一軒になっていた。そして、淡窓が学問の道に進むことで、弟の久兵衛が父の死後に博多屋を引き継ぐことになる。 文政4年(1821)に塩谷大四郎は西国郡代に昇格し、咸宜園への干渉を強めて行く。その一方で、久兵衛は、塩谷郡代の命令で、代官所御用達として日田の<小ヶ瀬井出>の開削工事、豊前海岸の新田開発の開拓などの大事業をやり遂げていく。遣り手の為政者としての塩谷郡代は、私利を貪ることはないが業績を残す名声欲、立身出世の野心は強い。それ故に、咸宜園への干渉を強めて行く。そこで、代官所御用達として代官所との関わりが強い久兵衛は、塩谷郡代と兄淡窓の間に立ち、苦慮することになる。
 文政13年(1830)に淡窓は末弟の旭荘に咸宜園の運営を任せ隠退し、講義だけ行うようになる。ところが、天保2年(1831)4月から、塩谷郡代の干渉、介入が激しくなってくるのだ。淡窓に再び執政を執れという。ここから、淡窓の具体的な苦慮の時代が始まっていく。<官府の難>である。塩谷郡代の野望が咸宜園にさまざまに影を投げかけていく。

 <官府の難>は、咸宜園の執政問題、淡窓の作る月旦評の結果に対する干渉という直接的なものや、塾生である宇都宮茂知蔵(塩谷郡代の用人、宇都宮正蔵の子)を介して咸宜園内部での様々に問題事象を発生させるなど、次々と難が降りかかっていく。
 そこに、臼井佳一郎と千世が入門してくる。当初、佳一郎は淡窓に姉弟と自己紹介するのだが、実は義姉であり、その背景には複雑な事情があった。この二人の入門が、<官府の難>において、その難の振幅を広げていくことになるのだった。

 淡窓は入門願いに訪れた二人に会った時、千世を見て、蛾眉青黛ということばを思い浮かべるとともに、懐かしいひとに会ったような気がするのである。22歳で他界した妹の秋子(ときこ)に似ているのだった。
 千世も入門を許されるが、入寮は出来ないので、久兵衛の博多屋を寄宿先とするよう淡窓が世話する。秋子に似ていることを感じた久兵衛は、千世の面倒をみることになる。これがまた、博多屋でさまざまな波紋を引き起こしていく。

 この作品は、儒者淡窓と、兄淡窓に畏敬の念を抱く商人久兵衛の生き様、降りかかってくる課題、難問に苦慮しながらも一つひとつ対応策を見出していく二人の姿を、ある意味淡々と描き出していく。そこに、佳一郎と千世の生き方が併行して広瀬兄弟に関わりを深めていくのである。

 余命いくばくもない病床にある父が淡窓に語ったことばが本書の基調となっている。
 「ひとが生きていくとは、長く降り続く雨の中を歩き続けるのに似ている。しかしな、案じることはないぞ。止まぬ雨はない。いつの日か雨は止んで、晴れた空が見えるものだ」(p89) 淡窓53歳の時に、息子を案じている84歳の父の言葉である。
 著者は、作品の章立てにこの基調を投影している。つまり、
 「底霧」「雨、蕭々」「銀の雨」「小夜時雨」「春驟雨」「降りしきる」「朝霧」
 「恵み雨」「雨、上がる」「天が泣く」
という具合に・・・・。
 「さようですが。粘り強く耐えて、時を待つしかありませぬ。上がらぬ雨は無いと申しますから」(p20) 久兵衛が兄淡窓に慰めるように言う。
 本書のタイトルは「霖雨」。日本語大辞典(講談社)を引くと、「幾日も降り続く雨。梅雨・秋霖・春霖などをいう。なが雨。淫雨」と記されている。まさに、この基調となる部分を端的に表出した言葉のように思う。不勉強でこの熟語を知らなかった。
 本書の最終章「天が泣く」に、淡窓の述懐が出てくる。
 「亡くなられた父上は、止まぬ雨はない、と仰せられたが、止んだ雨はまた降り出しもしようし、そうでなければ作物は育たぬであろう。この世に生まれて霖雨が降り続くような苦難にあうのは、ひととして育まれるための雨に恵まれたと思わねばなるまい」(p304)と。この述懐に、著者が本書を書きたかった動機、本書のストーリーが結実しているのではないだろうか。

 この作品の中で淡窓、久兵衛のそれぞれにとって、大きな難関がある。
 淡窓にとっては、旧門人でいまは大阪にいる松本久蔵が贈ってきた書に対する儒者としての対応だ。それは旧蔵が大阪で入門した私塾の師、大塩平八郎(号は中斎)の著書『洗心洞箚記』である。<知行合一>を説く王陽明の思想を踏まえた論であり、「口先だけで善を説くのではなく、善を実践しなければならない」と中斎は説く。中斎の生き方に感銘を受け、その激しさに羨望すら感じる淡窓は、一方で、中斎に対し「矯激に過ぎはしまいか、敬天の心が薄いようだ」と感じる。
 佳一郎は入塾後、様々な経緯(これはお読み願いたい)の後、<退塾願>の書付を残して姿を消す。彼は、大阪に出て、中斎の洗心洞に入塾する。そして、天保大飢饉のただ中で大塩平八郎は蜂起する。大塩の乱である。佳一郎はその渦中に入ってしまう。かつての門人として、淡窓との繋がりは消すことのできないものとなる。
 大塩の過激な行動に、淡窓は儒者として大きな衝撃を受ける。己の学問の存在価値に関わる自己への問いかけでもある。儒者としての存在価値が問われているともいえる。
 淡窓の対応はどうであったのか。それが、本書の最終ステージでもある。

 一方、久兵衛は、塩谷郡代の命を受け、文政9年(1826)周防灘に面した豊後国国東半島西部の呉崎の埋め立て・新田開発計画に着手する。「これに要した人夫は延べ33万人、費用は3万両にのぼった」が、埋め立て地は塩分の問題ですぐには田畑として使用できなかった。工事金を負担させられた農民の不満が高まる。それは、江戸への農民の訴えとなり、塩谷郡代の江戸召喚へと繋がっていく。直接この事業の当事者となったのは久兵衛である。郡代が江戸へ去った後、郡代と同類とみられた久兵衛は、農民の不満の直接の対象となるのだ。時あたかも、天保の大飢饉(1833~1839年)へと連なっていく。久兵衛にとっての最大の難関となる。さて、どう対応すべきか。もうひとつの最終ステージとなる。

 さらに、忘れてならないのが、佳一郎、千世の生き方である。佳一郎が幾度も淡窓、久兵衛の禍の種になったのだ。最後まで、淡窓、久兵衛との関わりの中で、二人の生き方が絡んでくる。本書の副主人公と冒頭に述べた由縁でもある。
 千世にとっての霖雨が晴れたのかどうか・・・・・・著者は語ってはいない。

 もう一つ加えるならば、隠れたテーマとして、江戸時代末期における儒者の存在価値の問題があるように思う。儒学思想と行動、政治政策への関わり方がどのような影響を及ぼしたのかである。広瀬淡窓と大塩中斎が、その点を考えるための材料として対照的存在、対比的存在として描かれているように思う。学問と政治の関わりという観点では、現代にも通じる課題ではないだろうか。
 
 最終章で、著者は、淡窓と彼の妻・ななの会話場面を描いている。
 「まことに生きて参るのは、難行でございますね」
 「さようではあるが、一方で天はわれらに楽しみを与えてくれてもおる」
 
 「いか様な楽しみを受けられましたか」
 「苦しみを超えて行き抜く喜びだ。わたしは病弱にて日々、体のことで苦しんで参った。しかし、かように生き抜いてみれば、丈夫なひとよりも多い痛みに打ち克つ強い心を与えられたということになりはせぬか。それが、天からの褒美であろう」

 <官府の難>という霖雨が上がり、やっと晴れ間が見えた。時雨が残る晴れ間であろうが、少しほっとするところで、本書は終わる。読み応えのある作品だ。

ご一読ありがとうございます。

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 本書に出てくる語句を検索してみた。知らないことが数多い。一覧にまとめる。

日田 → 日田天領まつり :日田市のHP

広瀬淡窓 :ウィキペディア
広瀬淡窓「桂林荘雑詠示諸生」 :「小さな資料室」
咸宜園  :ウィキペディア
塩谷大四郎 :コトバンク 朝日日本歴史人物事典
大分県 農業水利施設の礎を造った広瀬久兵衛 :農林省「土地改良偉人伝」

大塩平八郎 :ウィキペディア
大塩の乱関連史料集・目次 :「大塩の乱 資料館」
亀井南冥 :ウィキペディア
亀井昭陽 :ウィキペディア
帆足万里 :ウィキペディア
荻生徂徠 :ウィキペディア
寛政異学の禁 :ウィキペディア
王陽明  :ウィキペディア
陽明学  :ウィキペディア
 陽明学 :「松ちゃんのホームページ」
古賀精里 :「さがの歴史・文化お宝帳」
草場佩川 :「好古齋」
渡辺崋山 :ウィキペディア
陸游   :ウィキペディア

日田金  :「大分歴史事典」
小ヶ瀬井手 ← 小ヶ瀬井路改修碑

江戸三大飢饉 ← 江戸四大飢饉 :ウィキペディア
川路聖謨 :ウィキペディア
 川路聖謨 :「歴誕 歴史人物伝」
羽倉外記 :コトバンク 世界大百科事典
天保の大飢饉 :ウィキペディア

広瀬淡窓が開いた私塾 咸宜園 :「九州旅倶楽部」
遠思楼(えんしろう)廣瀬淡窓の書斎 :「九州旅倶楽部」
広瀬資料館 淡窓の資料と廣瀬家の雛人形 :「九州旅倶楽部」
広瀬資料館 廣瀬家の先哲八人 心高身低 :「九州旅倶楽部」


漢詩・吟詠「淡窓五首の一 」廣瀬淡窓 広瀬淡窓 :YouTube
漢詩・吟詠「江村」廣瀬淡窓 広瀬淡窓 :YouTube
漢詩・吟詠「蘭」廣瀬淡窓 広瀬淡窓 :YouTube
吟詠・廣瀬淡窓 漢詩「即事」広瀬淡窓 :YouTube

漢詩・吟詠「秋夜」廣瀬旭莊 広瀬淡窓 :YouTube



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付記

著者・葉室麟の作品で、その印象記を載せたものをリストにまとめました。

読書記録索引 -2  フィクション :葉室麟・山本兼一・松井今朝子

お読みいただけるなら、このリストから選んで印象記に遡ってください。
ありがとうございます。



読書記録索引 -5 ノンフィクション :総合

2012-08-05 17:01:32 | レビュー

 読書記録として、ほぼ掲載の時系列で一覧にしました。
 尚、大凡の分類をしています。


『日本人の知らない日本語2 爆笑!日本語「再発見」コミックエッセイ』
  蛇蔵&海野凪子

『日本語防衛論』津田幸男

『英詩訳・百人一首』 マックミラン・ピーター

『だれも知らなかった<百人一首>』 吉海直人


『チリ33人 生存と救出、知られざる記録』ジョナサン・フランクリン

『三陸海岸大津波』 吉村昭


『倭の正体 見える謎と、見えない事実』 姜吉云


『庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか』 中野純

『地獄めぐり』 川村邦光

『現代霊性論』 内田 樹・釈 徹宗 

『不干斎ハビアン 神と仏を棄てた宗教者』 釈 徹宗 

『超訳 ブッダの言葉』 小池龍之介

『ブッダの<気づき>の瞑想』 ティク・ナット・ハン

『大和仏心紀行』 榊莫山 

『官能仏教』  西山厚、愛川純子、平久りゑ

『英和対訳 神道入門』 山口 智


『江戸絵画の不都合な真実』 狩野博幸

『図説 ビザンツ帝国 刻印された千年の記憶』 根津由喜夫

『名画と聖書』 船本弘毅監修

『恋愛美術館』 西岡文彦

『FBI美術捜査官 奪われた名画を追え』
  ロバート・K・ウィットマン & ジョン・シフマン

『「盗まれた世界の名画』美術館』サイモン・フープト
 美術と犯罪 - 美術裏面史


『京都名庭を歩く』 宮元健次

『龍安寺石庭を推理する』 宮元健次

『ないしょの京都奥の院へ』 茂山絹世


『脱税秘録 カリスマ税務調査官、36年間の「現場摘発白書」』
  大津 學

『いちばんおいしい日本茶のいれかた』 柳本あかね

『まじめの罠』 勝間和代

『手足のないチアリーダー』 佐野有美


『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』 六草いちか

『福沢諭吉伝説』 佐高 信

『白土三平伝 カムイ伝の真実』 毛利甚八

『司馬遼太郎の幻想ロマン』 磯貝勝太郎


『美しい科学1 コズミック・イメージ』 ジョン・D・バロウ

『美しい科学2 サイエンス・イメージ』 ジョン・D・バロウ

Part 2 『美しい科学2 サイエンス・イメージ』 ジョン・D・バロウ

『地球最後の日のための種子』 スーザン・ドウォーキン


『マヤ グアテマラ&ベルリーズ』

『東大・京大式頭がよくなるパズル』 東田大志&東大・京大パズル研究会



読書記録索引 -4  フィクション :徒然に読書対象作家を拡げつつ

2012-08-05 16:42:14 | レビュー
 読書記録としてほぼ掲載の時系列で一覧にしました。尚、大凡の分類をしています。


『百枚の定家』 梓澤 要

『カンナ 出雲の顕在』 高田崇史

『QED 伊勢の曙光』 高田崇史


『完全なる首長竜の日』 乾 緑郎


『忍び秘伝』 乾 緑郎

『忍び外伝』 乾 緑郎

『早雲の軍配者』 富樫倫太郎

『信玄の軍配者』 富樫倫太郎

『謙信の軍配者』 富樫倫太郎

『さむらい 修羅の剣』 鳥羽 亮

『湖笛』上・下 復刊  水上 勉

『古田織部』 土岐信吉

『幻にて候 古田織部』 黒部 享

『小堀遠州』 中尾實信


『心に雹の降りしきる』 香納諒一


『すばらしい新世界』 池澤夏樹



『南極の中国艦を破壊せよ!』上・下 クライブ・カッスラー&ジャック・ダブラル 

『運命の地軸反転を阻止せよ』上・下 クライブ・カッスラー&ポール・ケンプレコス

『数学的にありえない』上・下 アダムス・ファウアー


読書記録索引 -3  フィクション:今野 敏、堂島瞬一

2012-08-05 16:28:40 | レビュー
 読書記録として、ほぼ掲載した時系列で一覧にしました。


===== 今野 敏 =====

『陽炎 東京湾臨海暑安積班』

『初陣 隠蔽捜査3.5』

『ST警視庁科学特捜班 沖ノ島伝説殺人ファイル』

『凍土の密約』

『奏者水滸伝 北の最終決戦』

『警視庁FC Film Commission』

『聖拳伝説1 覇王降臨』

『聖拳伝説2 叛徒襲来』『聖拳伝説3 荒神激突』

『防波堤 横浜みなとみらい署暴対係』

『秘拳水滸伝』(4部作)


===== 堂島瞬一 =====

『雪虫 刑事・鳴沢了』



読書記録索引 -2  フィクション :葉室麟・山本兼一・松井今朝子

2012-08-05 16:20:42 | レビュー
 読書記録として、ほぼ掲載した時系列で一覧にしました。

===== 葉室 麟 =====

『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』

『柚子の花咲く』

『乾山晩愁』

『川あかり』

『風の王国 官兵衛異聞』

『恋しぐれ』

『橘花抄』

『オランダ宿の娘』

『銀漢の賦』

『風渡る』

『いのちなりけり』

『蜩の記』



===== 山本兼一 =====

『弾正の鷹』



===== 松井今朝子 =====

『家、家にあらず』

『そろそろ旅に』


『原発推進者の無念 避難所生活で考え直したこと』 北村俊郎  平凡社新書

2012-08-03 14:43:22 | レビュー
 本書奥書に著者の略歴が記されている。大学卒業後、日本原子力発電(株)に入社。本社と各発電所で交互に勤務。「原子力発電所の安全管理や人材育成について、数多くの現場経験にもとづく報告を国内やIAEA、ICONEなどで行う」という経験の持ち主で、「現在は、社団法人日本原子力産業協会参事」である。そして日本原子力発電を退職後、富岡町に家を建てた人物である。バリバリの原子力ムラ住人だと言える。安全神話を産み出し、安全神話に寄りかかっていた原発推進者が、東日本の大震災、原発震災により、被災者、避難者の立場に投げ出されたのだ。避難所生活を実体験して感じた著者の「無念」を吐露した書である。つまり、原子力ムラの内側からの原発並びに原発震災後の状況、政府・東電・地方行政の対応についての批判の書である。
 だが、「今後、原発をどのような枠組みで運営していくかの議論となるだろうが、保護をしすぎる弊害もあり、原発同士で健全な競争をするように導くことが必要だ」(p232)と著者は記す。つまり、無条件原発推進派から、条件付き原発推進者への変化が見られるが、あくまで原発推進の立場、原発体制内での「無念」である。体制内批判と言えようか。著者は、「今回、原子力にかかわる者として、『原子力開発を推進するためとはいえ、周辺住民がこのような悲惨な目に遭ってはならない』ということが何よりも身に沁みた」と記す。身に沁みたけれども、原因を解明して、役立てれば原子力を推進できるという姿勢のようだ。その点では、懲りない人々の一人である。

 本書の特徴は、自分自身の体験を土台にして観察し、情報収集した中からの批判所見、改善提案の発信だ。特に、ビッグパレットふくしまという巨大な避難所での生活実体験が克明に記述されている点である。避難の実態については、行政系広報、ジャーナリストの報道、学者・研究者の視点による見聞報告ではカバーしていない局面を知ることができる。つまり、内側から見た目線だ。本書はジャーナリストや学者・研究者の報告や出版物と対比的して読む、あるいは補完的な位置づけで読む価値があると判断する。
 そこまで「身に沁みて」、過去の原発推進の問題点を批判できて、なぜ脱原発につながらないのだろうか。追記文の前の末尾に、「人は歴史に学ぶというが、私たち自身が、歴史に学ぶことができるかが試されている」と書く。ここで学ぶというレベルは、問題点改善論者としての学びであるようだ。悪かったところを手直しして改善すれば問題が解決するという立場であろう。原発の維持運営が前提となった・・・

 「はじめに」に著者は次のように記す。
 「避難者から見た避難の実態について書いておかなければならないと思った。気づいたことを記録し、携帯電話で撮った写真とともに避難先から日本原子力産業協会の同僚たちに送り続けた」と。その集積が本書の第1部「原発事故に遭う」としてまとめられたのだろう。
 序章は、3.11にテレビ画面に緊急地震速報が入った後、「私は立っていられず地面にしゃがみ込んでいた」というところから書き出される。3.12に「福島第一原子力発電所で緊急事態が発生しました。町民は直ちに~~」という簡単な避難指示放送で、避難の準備をして、10時過ぎに西方20キロの川内村を目指して出発する。リフレ富岡(温泉施設)の前の交差点で「白い防護服にマスクをして誘導している人」を見ながら、「避難訓練の通りやっているのだと自分で勝手に納得して」という判断をしたと記す。原発推進者がこの実情だから、一般市民が何も意識しなくてあたりまえかもしれない。
 序章は、3.16にビッグパレットに入り「猛烈に寒い・・・・最初の夜」の初体験までの経緯が記されている。実際の避難行動の一例、その状況がよくわかる。

 第1章は「避難所ビッグパレット」での生活実体験報告である。避難者の立場・視点で体験したこと、見聞した事実が克明に記されている。具体的な客観的事実・事象をきっちりと書き込み、冷静な目で実態が眺められている。事実情報にもとづき、避難所生活での改善要求を行政側に実行した内容にいくつも触れている。その根底には、「なぜ、こんな避難生活を強いられなければならないのか」という怒りである。大津波で家が破壊され跡形も無く流されてしまったわけではない。富岡町には地震で多少壊れた部分があるが、ちゃんと自宅が現存しているのに・・・。
 このビッグパレットには、最大2500人が寝起きをし、富岡町民と川内村民が避難していたと書かれている。まさにここは大多数が原発震災被災者の避難所だったのだ。
 避難生活者の視点から観察された実態報告は、避難所運営の問題点指摘としては有益な具体的事例の提供となっている。「避難行と避難所生活のスケッチ」(p117)である第1章は、どろどろとした部分を含む生の実態にごく近い報告だと思う。今後のための大変有益な資料である。

 第2章は「避難所で考えたこと」として、気づき、反省すべきこと、行政の問題、補償問題、著者の考える今後の展望がまとめられている。私が特に重要と感じる発言をいくつか引用する。
*自主とはどういうことか。避難する、しないを各自判断しなさい、ということなのか。放射能汚染の心配からの避難であるならば、素人の住民がそのような判断ができるわけがない。・・・・これは指示を出した側が責任を回避したとしか思えない。p121
*それもこれも、原発が大事故を起こし、全町民が避難するようなことは、まず生きている間は起きないだろうと考えていた油断からだ。    p124
*今回の事故で避難した人たちは、放射線の身体への影響を心配している。避難地域に指定された場所は、被曝の恐れという点では運転中の原発の建屋内部と変わらない、あるいはそれ以上厳しい状況にある。福島第一原発が外部に放射性物質を撒き散らしはじめた3月11日以降、避難した人たちがどの程度の被曝をしたかを測定し、記録しておくべきだった。  p131
*タダで生活できてしまうことは避難した人たちの気持ちを奮い立たせるようには作用しない。・・・・長く続けると人々の自立に向けての障害になる可能性がある。 p136
*もっと詳しいことが知りたくて政府や東電に状況を尋ねると、決まって返ってくる言葉。「詳しくはホームページに出ています」次なるこちらの質問は、「いったい何人の被災者がパソコンを持っていると思っているのですか。・・・・・」  p138
*これから長い争いが被害者、加害者の間で続きそうだが、その補償費用は莫大であり、国の責任文は、結局は国民の負担になる。  p147
*福島第一原発事故の補償にあてる原資は、結局は電力料金と税金になる。やり方によっては、原発事故による避難者は、自分で受け取る補償を自分で一部負担することになりかねない。  p150
*事故を起こした原発だけでなく、放射能の拡散状況、避難の様子、政府の対応、各国からの支援などについても記録を保管し、展示することを提案したい。 p161

 第2部は「原発を考える」と題されている。原子力推進者が原子力ムラの実態を「あくまで個人的な意見であることをお断りしておく」と「おわり」に記しているが、原子力産業の推進体制内部からの批判、指摘である点は、やはり重要なことだ。反原発・脱原発派の立場から、過去累々と指摘、批判され続けてきたことが、体制内からの同工異曲発言になっていると私には思える。この第2部は、ぜひ読んで考えてほしい。熟考すると、脱原発をめざさねばならないという結論になると思うのだが・・・・
 重要な事実、批判・指摘事項を引用列挙するには、数が多すぎる。引用の域を超えるのでそれは差し控え、ぜひ本書を一読しお考えいただくことをお勧めする。
 だが特にこれだけは引用させてもらいたい箇所を、いくつか引用させていただこう。

*東電の原子力部門では、現場のメンテナンスの実務は東電社員のやるべき業務範囲ではないとの認識が定着していた。 p179
 → 送配電部門などのように「内部の技術維持機能に努め」るやり方を受け入れなかった。
*産官学の原子力コングロマリットは、一部の反対を抑え込み、批判をかわしながら税金と電気料金として集めた巨額な資金で、原子力開発をいわば強引に進めてきた。 p165
*今の日本の原発、特に古い原発はもともと、余分な部分はできるだけ切り詰めるというアメリカ人の合理的発想をもとに設計されていることを、関係者は忘れてはいけない。 p207
*ベントに備えて、スウェーデンなどで採用されているフィルターを取り付け、環境へ放射能が出ることを少しでも減らすことも、かつて検討はされたが、いつの間にか話は立ち消えになっている。要は外部に放射能が大量に放出される事態は考えずに、その手前で原子炉が確実に停止し、強制循環システムによる冷却がスタートすることだけに対策が集中していた。その後の措置は、そのことが起きなければ考えなくてもいいというムシのいい考え方をしてしまった。  p215
*その過程において批判的、建設的、進歩的意見が取り入れられなくなることは、特に安全面では致命的だ。推進派は閉じこもり、外部を排して自分たちだけで考え、結論づけていた。今回の福島第一原発の事故も、振り返ればその通りであったことが解明されるだろう。  p236
*地震や津波の研究成果など、自然科学の知識を巨大科学技術である原発の備えに活かせなかったことで事故が起きた。なぜ活かせなかったのか。それは原子力界が外部の声に耳を傾けなくなり、逆に内外の批判、異論までを封じてしまう力を持ってしまったからだ。 p258
*日本に原発を運転する資格があるかどうか、という条件を考えると、監督官庁がまともに役割をはたせるかという点が一番の弱点のようだ。  p256

 本書第2部を通読しながら、付箋を付けたページが多い(重要事項の漏れがあるかもしれない)。そこには重要な指摘があると思っている。
どの章句に着目したか・・・・あくまで個人的着目である。お読みになった際、本書で同じ箇所が着目されるだろうか。付箋を付けたページを記しておこう。
   p169、p171、p174、p180、p182、p183、p186、p193、p195、p198、
   p199、p200、p203、p205、p207、p208、p210、p216、p221、p225、
   p248、p251
 
 著者である原発推進者の「無念」は、自らの原発推進についての「慚愧」を経たうえでの「無念」なのだろうか。

ご一読ありがとうございます。

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日本原子力発電(株)のHP
 日本原子力発電 :ウィキペディア
日本原子力産業協会のHP

富岡町 公式ホームページ[災害版]
川内村 東日本大震災特別サイト
ビッグパレットふくしま のHP
政府広報 生活支援ハンドブック
政府広報 ハンドブック:政府広報オンライン

<避難区域等の設定> :首相官邸「東電福島原発 放射能関連情報」
 「みなさまの安全確保」と題されたページ 各資料にリンクする目次ページ
避難区域等の概念図 :首相官邸「東電福島原発 放射能関連情報」

チェルノブイリの土壌・避難区分との比較 :「かかわりすぎない子育て」
福島3市村で避難区域見直し 線量で3区分 :「日テレNews24」

福島第1原子力発電所(特定条件 WSPEEDI) - 文部科学省
文科省ようやくWSPEEDI予測値(広域汚染状況)の一部を公表:東京もチェルノブイリ第三区分入りが濃厚に  :「中鬼と大鬼のふたりごと」
こんなYouTube動画も・・・
【福島第一原発事故】 関東の人達に避難を促す動画


東海村JCO臨界事故 :ウィキペディア
よくわかる原子力 東海村JCO臨界事故  :「原子力教育を考える会」

失敗学 :ウィキペディア
失敗学会のHP

失敗学を原発問題に適用する根本矛盾 :「社会科学者の時評」

EDF(フランス電力公社) のHP(英語版)
オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設) :原子力安全・保安院
オフサイトセンター 機能せず(6月6日 20:30更新) :NHK ニュース
オフサイトセンター設置基準見直しへ…保安院 :YOMIURI ONLINE
バランス・オブ・プラント :「Great Challenges」 はっしー氏
AREVA(アレバ)のHP(英語版)

EPR(ヨーロッパ型加圧水型軽水炉)← 欧州加圧水型炉 :ATOMICA
もんじゅ  :ウィキペディア
 高速増殖原型炉もんじゅ :日本原子力研究開発機構

外交文書開示で
ついに表に出た”高速増殖炉と核” 大島茂士朗氏 2010.12.27
「もんじゅ」訴訟 :「Stop ザ もんじゅ」
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やらせメール → 九州電力やらせメール事件 :ウィキペディア
九州電力やらせメール問題検証サイト

原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書
-東京電力福島原子力発電所の事故について-
  :首相官邸  2011.6.7
 報告書の目次ページです。各項目にリンクしています。

国際原子力機関に対する日本国政府の追加報告書       
-東京電力福島原子力発電所の事故について-(第2報)
  :経済産業省 2011.9.11
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福島原発事故独立検証委員会    :一般財団法人日本再建イニシアティブ
調査・検証報告書    2012.3.11
 報告書は出版物として市販品です。(電子書籍化もしていますが・・・)

国会事故調 報告書
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 「報告書」のサイトは、さらに個別項目にブレークダウンしたリンクリストです。

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 最終報告
 報告書の目次ページです。各項目にリンクしています。

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