遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『漂砂の塔 THE ISLE OF PLACER』 大沢在昌  集英社

2019-02-26 10:25:13 | レビュー
 警視庁組織犯罪対策第二課に所属する石上が主人公である。彼の祖母がロシア人なので、スラブ人の血がクオーター混じっていて、顔立ちも外見は白人に近い。幼少の頃から祖母よりロシア語を学び、大学では中国語を専攻した。この特異な能力が石上を困難な状況に直面させていく。このストーリーで描かれるのは、石上の一匹狼的行動である。だから次はどうなるか・・・・と、ストーリーの展開に引き込まれて面白い。

 冒頭は、ウラジオストクからハバロフスクまで勢力を広げるロシア人のボリス・コズロフと自称四川省出身で日本で勢力を伸ばす杜(ドウ)との間での本物の金髪女の取引の最終交渉場面から始まる。石上はボリスの通訳として潜入捜査をしていた。だが、最終局面でボリスは携帯の画面を見て、ユーリと称していた石上に後は任せると言い、その場を抜け出てしまう。その後警察が突入してくる。潜入捜査は失敗。なぜか? 警察の突入は石上の回収作戦だった。警察内部から潜入捜査の情報が洩れ池袋の港栄会を経由してボリスに伝わったのだった。石上はボリスから復讐のターゲットにされることになる。

 組対第二課長の稲葉は、回収された石上に特殊な任務を指示する。それがこのストーリーとなる。それは北方領土の領域である歯舞群島の中の春勇留(ハルユリ)島で起こった事件の調査である。春勇留島は納沙布(ノサップ)岬から東北東に40キロの海上にある小島。ロシア名はオロボ島。昭和20年にソ連軍が占領した。その頃はほぼ無人島になっていた島である。大正末期から昭和初期にはコンブ漁が盛んで日本人が多いときで100人近く住んでいたという。4年前まで無人島だったのだが、その島に「オロテック」という合弁会社が操業を始め、約340人が住む島になっていると、稲葉が石上に説明した。
 
 今はロシアが実効支配するこの島の近くの海底で漂砂鉱床が発見され、レアアースの一つネオジウムを含むモナザイトが採堀できるのだ。漂砂鉱床について稲葉は「比較的浅い海底にある、特定の鉱物が集まった地域だ。比重の大きい鉱物が、潮や海流などで分離されて濃縮されたものらしい」と石上に説明した。
 稲葉は石上を春勇留島(オボロ島)に事件調査に行かせるために関係者を呼んでいた。ヨウワ化学工業の開発四課チーフ・安田広喜である。安田が石上に事情を説明する。その要点がこのストーリーの重要な背景となる。

1.ロシアは現在この島を実効支配している。島の近くで漂砂鉱床が発見された。
2.現在生産されているレアアースの90%以上が中国産であり、中国の精練技術が最も進んでいる。
3.モナザイトを採堀しようとすれば、鉱石にレアアースと放射性元素のトリウムが共存している。鉱石から元素を分離した後、トリウムを野積みにすれば環境汚染を引き起こす。このトリウムは原子力発電として利用できる。トリウムを利用してもプルトニウムは作れない。ヨウワ化学は、5年前に高層化しない溶融塩炉で発電するシステムを開発していた。発電量20メガワットだが、この島で必要とする電力は賄える。つまり、放射性元素の処理問題と電力確保の課題がクリアされる。
4.政治的問題が残る。春勇留島(オボロ島)はロシアに実効支配されているが、日本政府はあくまでも日本の領土と認識している。日本企業が合弁に加わることはあくまで民間の経済行為にとどめる。それにより、対中外交でレアアースをカードに使われない保険の一つとする。
5.「オロテック」には、広東省に本社のある電白希土集団という企業が中国から技術提携という条件で合弁に参加している。
6.生産されたレアアースは、日本、ロシア、中国が同等の権利をもつ。

 その結果、島内の住民はほぼオロテックの社員である。三すくみで業務を分担している状況にある。
 領土を主張するロシア:漂砂鉱床からの採掘と運搬、居住施設の運営等 100人
 生産技術の中国:選考、分離、精製のプラントを運営。この区域は独自管理。130人
 エネルギー供給の日本:原子力発電所の運営とその区域の管理 110人
人数もほぼ同じ位であり、三者にとっての独立した共用区域があるが、一方で居住区域も含め業務等は截然とすみ分けができている。島にはロシア国境警備隊の人間が数名駐在するだけであり、警察機能はない。
 この背景情報が最初に書き込まれていく。これを読むだけでストーリーは複雑な展開になりそう、おもしろくなりそうな予感を持つだろう。

 こんな背景の島で日本人の変死が発生した。安田の後任で、発電部門の責任者である中本から安田に送信されてきた画像は、水色のジャンパーを着た上半身、背景が岩山のような屋外のもので、特異なのは両目が抉りとられていて、赤い穴があいているものだった。死体を見つけたのは砂浜を散歩していた中国人。現状、遺体を国境警備隊の管理下に置いているにすぎないという。
 西口はオロテックに出向してまだひと月足らずの状況で、変死体となって発見された。日本人出向者の間では、第二、第三の犠牲者が出ないか動揺しているという。出向者に如何に安心感を与えるかが喫緊の課題となっている。

 出向日本人社員たちにとり、現役警察官が島に行くこと自体が重要なことである。だが、日本の警察官が島で捜査活動をすることは、現状では国際問題になりかねない。勿論、殺人犯を見つけたとしても逮捕権はない。石上は、形式上ヨウカ化学の社員ということで島に赴くという苦況に投げ込まれる羽目になる。安田は出向社員には刑事さんが行くと周知し、安心感を与えたいと言う。稲葉課長は、石上にとりあえず三ヵ月間と期限を告げる。さらに稲葉は石上に言う。ボリス・コズロフは既に日本を脱出し、「スーカ(メス犬=警察の犬)を殺せ」と言い残したと。ボリスが行くことのない島への「三ヵ月の転地療法だ」とも気楽に言う。
 石上は、名目上は出向社員として赴き、西口変死の事実を確認し、その犯人を何の権限もバックアップもないままに「調査」しなければ成らないという窮地に立たされる。

 このストーリーが面白くなるのは、石上が日本から送り込まれた警察官だということをロシアと中国の主要な人間は予測していることである。勿論、島に到着した後、日本人の出向社員の前で、最初に警察官であることを明らかにし、調査への協力を依頼する。そして、責任者の中本を筆頭にして聞き込み調査を開始する。
 この島でのオロテックの最高責任者バキージンは石上が警察官であることは知っていた。石上に調べてわかったことは全て報告して欲しいと要求する。全てを知ることが己の責任だという。勿論、石上は了解するしかない。バキージンの協力は不可欠だからだ。バキージンは元KGBだった。
 診療所の女医・プラノーヴァ医師からは西口の死因を確認することから始めていく。このプラノーヴァとの関わりは徐々に深まっていく。この女医もまた、単なる医師ではなかった。別の顔を持っていた。
 一方、流暢に日本語を話すヤンという中国人が、共用区域にある食堂「フジリスタラーン」で自ら石上に話しかけてくる。彼の部下のウーが西口を「ビーチ」と称されている砂浜で発見したのだと。ヤンはプラントの警備面での責任者だった。そして、彼もまたもうひとつの顔を持っていた。

 聞き込み調査を進めていくことで、石上は少しずつ状況を把握し、推理を広げて行く。
 西口の祖先がかつてこの島に住んでいたことがあり、この島のことを少し聞かされていたことを知る。自ら希望して出向社員になり、島のことを調べていたという。その理由が単なるルーツさがしなのかどうかは不詳だが、糸口ができる。
 島が無人島になる以前、日本人が住んでいた頃、事件が発生していた。日本ではほとんど知られていないが、この周辺地域のロシア人の間では、ある伝説が伝わっていた。
 一旦、無人島になったあと、ソ連軍が占拠し軍事施設を運営していた。その頃ここに収容所もあったという。後に軍関係者はこの島から撤退する。
 オロテックがこの島で操業を始める前に、かつての日本人たちの住居跡や墓場などほぼすべてが破壊され、更地にされたうえで、現在の施設が作られたのだ。

 バキージンは当初単独で調査する石上の能力を軽んじていたのだが、石上は聞き込み調査を広げるに従って、日本・ロシア・中国の三すくみの状況と間隙を逆に利用しつつ、西口殺害の真相に迫っていく。
 
 島の共用施設区域には食堂やバーなどの遊興施設がある。そこを支配しているギルシュに石上は当初脅かされる。だが、あることを契機として二人の関係が変化し深まっていく。

 石上にとって、調査が進み始めた段階で、なんと大敵のボリスがこの島に上陸してくるのだ。石上が居るとは知らずに、別の目的でこの島にきたのだが、勿論石上と出会った段階で、めす犬は殺すと宣告する。石上はまさに窮地に立たされる。

 石上と関わる周囲の人間との関係が二転三転しながら、このストーリーが展開していく。そこが読ませどころである。ここに登場する主要な人々は表向きの顔の他に、もう一つの顔を持っている。それ故に、その人間関係が複雑な関わり合いになっていく。そこに生じる駆け引きの面白さが縦横に織り込まれている。
 確保したい事項あるいは守りたい秘密が人により異なっている。それが関係性を複雑にしていくというストーリーの構想が面白い。
 殺された西口にもこの島に執着する秘密があったのだと、石上は推測する。

 現状において日本はこの島での警察権を持たない。銃撃戦の後の帰国後、石上は稲葉の質問に対して事実を語る過程で、ある事実だけを歪曲する選択をした。いわば、死人に口なしであり、かつ日本の警察権の及ばない故にではあるが・・・・・。
 
 この作品はフィクションではある。しかし、時の流れの累積と時代状況・文明が発展変化してきた中で、意外と北方領土問題の根底に横たわる重要な側面を示唆しているのかもしれない。公開され知らされている事実と知らされていない事実の存在・・・・・・。一般国民は蚊帳の外、という風に。あるいは、伝説化された情報の存在。
 ふと、追加的にそんな連想も読後印象として持った。

 いずれにしても、読者をあちらこちらに引きまわしながら、楽しませてくれる作品である。
 
 ご一読ありがとうございます。
 
この作品からの関心の広がりで、ネット検索したものを一覧にしておきたい。
漂砂鉱床   :「コトバンク」
海浜性漂砂鉱床  :「TrekGEO 自然を歩こう」
レアアース  :「コトバンク」
希土類元素  :ウィキペディア 
世界のレアアース生産量 国別ランキング・推移 :「GROBAL NOTE」
モナザイト  :「コトバンク」
自然放射性物質による被ばく(モナザイトに着目して) :「安全安心科学アカデミー」
ネオジム  :ウィキペディア
溶融塩原子炉 :ウィキペディア
トリウム熔融塩炉は未来の原発か?  :「WIRED」 
活気づく「溶融塩炉」の開発 高木直行(東京都市大学 大学院共同原子力専攻主任教授)2018.3.22  :「日本エネルギー会議」
北方領土問題 :ウィキペディア
北方領土の姿  :「内閣府」
北方領土の大きさ  :「北海道 標津町」
北方領土交渉特集  :「朝日新聞DIGITAL」
 
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徒然にこの作家の作品を読み継いできました。ここで印象記を書き始めた以降の作品は次の通りです。こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『欧亞純白 ユーラシアホワイト』 大沢在昌  集英社文庫
『鮫言』  集英社
『爆身』  徳間書店
『極悪専用』  徳間書店
『夜明けまで眠らない』  双葉社
『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 角川文庫
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『お地蔵さまとわたし 十七人が語る珠玉の仏教随筆集』 佼成出版社

2019-02-23 13:22:21 | レビュー
 京都に生まれ育ち住んでいると、子供の頃から地蔵盆があり、町内にはお地蔵さまを祀った小祠がある。社会人になり家庭を持つと、今度は町内の地蔵盆行事の世話をする立場にもなる。日常生活の身近な所にお地蔵さまが存在する。お地蔵さまはどの地域にもたぶん隈無くいらっしゃることだろう。
 「まえがき」には、『地蔵十輪経』に「動かざること大地の如く、慈心の深きこと秘蔵のようであるから、その徳をたたえて地蔵菩薩という」と説かれていると言う。この経典は未読だが、地蔵菩薩の名称の由来を知ることができた。
 「まえがき」で印象深いのは大乗仏教で無数に出てくる如来・仏・菩薩についての総括的な説明だ。お地蔵さまは実在仏ではないことを最初に明記している。そして、○○如来・仏というのは、「釈尊がさとられた悟りの内容」を示されたものと言う。そして、○○菩薩は「釈尊が長い間に積まれた数々の修行の内容の名称」だとする。「地蔵は、菩薩の名ですから、釈尊の修行の名です。その修行は、大地がだれかれから踏まれても決して怒ることがないように、いかなる屈辱にも耐える忍耐の修行です。・・・・忍辱の修行の象徴です」と言う。○○如来、○○菩薩の存在とその個々のはたらきについての説明はかなり読んできたが、全体としてのこの説明は初めて目にするもので、新鮮な感覚で受けとめることができた。

 本書には『大法輪』に執筆された17人の様々な立場の人々の随筆が収録されている。その共通テーマが「お地蔵さまとわたし」との関わりについてである。様々な観点、目線、切り口から語られている。お地蔵さまとわたし(/人)の関わり方の随筆を介して「お地蔵さま」そのもの、その存在意義・価値を多面的にとらえることができる。読者により琴線に触れ響く随筆が違うかもしれない。だが、きっと共鳴する箇所があり、また涙する箇所があると思う。また一歩、お地蔵さまとの距離が近くなる書である。

 本書は、三章構成となっている。内容と感想を簡略にご紹介する。詳細な肩書きは略す。本書でご確認願いたい。

第一章 底知れぬ慈愛

大地の蔵、大地の宝   坂村真民  詩人
 結婚6年目に授かった子が死産だったという。この時からお地蔵さまと深いつながりができた経緯が語られ、自作の詩「美しい美しいお地蔵さま」と「大地の蔵」に触れている。真民さんの詩の背景、一つの起点をこの随筆で知った。手許の詩集を改めて紐解きたい。

お地蔵さんと閻魔さま  酒井日慈  僧侶
 お地蔵さんと閻魔さまが表裏一体であることを完全に証明する随筆。著者は記す。「苦を抜くは『悲』であり、これが閻魔さまであろう。楽を与えるは「慈」であり、これがお地蔵さんだ。」(p25)と。

お地蔵さまは見捨てない 坂口和子  法人会長
 日本石仏協会会長の著者が、悩みを持つ人からのお地蔵さまについての問い合わせを語る。そこから得た交流と体験を綴る。末文は「・・・・衆生とともにあるお地蔵さまでいてほしい。どこの石仏も、その地で生きて、人と同じように呼吸していると私は信じている」である。(p32)

母のぬくもりに包まれて 青山俊菫  僧侶
 著者は父45歳、母三十代後半にして誕生した女児だったという。祖父は生まれる前から、著者が出家することを予言した。5歳の時に尼である叔母が迎えに来た。母に対する自分の思い及び生き別れとなったわが子に対する母の思いとその行為(花嫁衣裳の一式を寺に送り届けてきた)を綴る。著者はそれを寺の荘厳用に縫いなおした。そしてその後の後日譚を綴る。末文がその集約といえる。「私は、まずはわが母の上に、そして師や友や一切の上に、地蔵菩薩の同悲の、代愛の悲願が感ぜられてならない」と。(p42)

乗り越えて澄む     酒井大岳  僧侶
 岩手県陸前高田市の一婦人から飛び込んできた一通の手紙から進展したエピソードと岩手県の仏教会とのご縁、二年続けて会う機会を得たその婦人の変容を語る。初年と翌年とではその婦人の「お顔は変わっていた。すっきりと澄んでいたのである」と。(p49)
 次の一文がいい。「悲しみを聞いてくれたお礼に掃除をしてあげたら、そのお礼だといってお地蔵さんが『澄んだ眼』をプレゼントしてくれたのだ。」(p50)

丙の人生を歩む     加藤大道  紙彫仏師
 成績が甲乙丙で評価された時代がある。著者は己が丙の人生を送ってきたと、子供時代の成績から回顧していく。東京に丁稚奉公に出た著者が店の裏通りの一角にあった小さな地蔵堂のお地蔵さんとの関わりを綴る。徴兵検査では丙種合格だったが海軍に招集されたという。「そのお地蔵さんが、虚弱体質の私に、敢えて、丙の人生を歩ませてくれたような気がする」(p58)と記す。著者はお地蔵さんから己の生き方を学んだようだ。

第二章  悲心の祈り

野に立ちつくすもの  石川 洋   宗教家
 一燈園(京都・山科)の托鉢者として行願を行っていた若い頃の思い出を綴る。行願とは、「一軒一軒門口に立って、お便所の掃除をお願いして歩く」行である。二つの便所掃除の体験が綴られる。最初の事例では便所掃除を終えた家で、その家の子供たちから、「うん、便所掃除のお地蔵さんだ!」とけがれのない声で言われたと記す。その次の一文「形ばかりの、いつわりの多い私の願行を、幼いものの心の眼が浄化してくれる」という自己省察が引き締めている。文頭に著者の古い習作の俳句と小さな詩が載る。その詩の一つ「野の仏」に惹かれた。野の仏はお地蔵さまと理解した。

ハーンの願い     藤原東演   僧侶
 ハーン(小泉八雲)の人生を記した随筆。仏教に出会うことで、ハーンは菩薩道に生きようと決心した。それも鎌倉でのお地蔵さんとの出会いが契機だろうと著者は推測する。小泉節子夫人の一文から、ハーンがお地蔵さんの心を自分の心としていて、「悉有仏性」の教えを身をもって生きたと判断する。ハーンの生き様を介して、お地蔵さんの存在を深められる。この随筆から、「或は山林、川原、河池、泉井を現じ、利、人に及ぼして、悉く皆度脱す」(「地蔵菩薩本願経」)という句に邂逅できた。

「八百屋お七」悲恋物語 立川昭二  学者
 八百屋お七が火付け事件を起こし、浅草の刑場で火あぶりの刑に処せられるに至った悲恋物語の事実を話材に取り上げて、地下鉄三田線白山駅に近い大円寺にある「ほうろく地蔵」「とろけ地蔵尊」の由来を語る。併せて「首切り地蔵」「こんにゃく地蔵」「とうがらし地蔵」「とげぬき地蔵」を紹介する。また「やはり最後に残されたのは『祈り』であり、その行き先は江戸の悲恋事件にまつわるお地蔵さんであった」(p88)の一文が記されていて、その経緯が興味深い。

目に見えぬ不思議な力  来馬規雄  僧侶
 東京巣鴨に「とげぬき地蔵」があるというのは知っていた。それが曹洞宗万頂山高岩寺(こうがんじ)という寺にあることをこの随筆で知った。著者はこの高岩寺住職である。この寺の来歴と、1728年に献納された一冊の「霊験記」が寺の進路を大きく変え、発展のもとになったという。その経緯が綴られている。「無条件に信じ、礼拝する。これが帰依ということにつながるのだと思う。地蔵菩薩に真に帰依している人びとは本当に幸せな人びとである」(p97)と記す。「帰依の心」その発心が一つのゴールということか。

みんな、みんなお地蔵さま 佐藤勝彦 画家
 画家として、仏さまなら大半はお地蔵さまを描いているというその体験を中心に語り、お地蔵さまを描くことの自分にとっての必然性を語っている。著者の気づきの一部を記す。「お地蔵さまを描くと体が健康になる」(p99)。「地蔵さまが何であるかという想い」(p100)で描くという。「地の倉、地の倉庫というか、それが地の蔵、つまり地蔵という具合にとらえているのです」(p103)、「この地蔵が私と共にある」(p103)、「わたしがお地蔵さまを描くのも、・・・・ぼくの元気や勇気にとって必要だからです」(p104)

第三章 無心のほほえみ

願心を身体に感じて   松原泰道  僧侶
 57年前の1937年4月、著者が31歳の時、京都妙心寺からの巡教(廻)布教師として和歌山県の熊野川のほとりのお寺での講座に出かけた。昼席を終え、夜の講座があるので、夕食までの時間に寺の世話役のすすめで、堤防の道をまっすぐ行けばよいと聞き、村はずれのお地蔵さまにお参りに行った話である。お地蔵さまに出会えず、通りかかった小学生に尋ね、その案内で通り過ぎてきた堤防の横穴の奥に在せられるお地蔵さまに対面する。そのときの心の動揺となぜそこにという縁起話を綴る。それを地蔵菩薩の願心、隠忍の徳の表れと著者は受けとめる。興味深いお地蔵さまの有り様である。

わらべ地蔵の愛らしさ  小薮実英  僧侶
 著者が住職を務める京都府福知山市の観音寺での体験が綴られる。本堂の小脇にある水子観音堂のそばでの花火事件を契機に、わらべ地蔵を本堂の境内に置くことにしたという。わずかな間にわらべ地蔵が七体に増えた。著者は寺にやってきたわらべ地蔵に名前を付けて、詩を贈った。その詩を語る。合掌地蔵・念珠地蔵・ハイハイ地蔵・花地蔵・おねだり地蔵・ピー子地蔵・ほおづえ地蔵と名づけられた。ほおづえ地蔵は和歌山にもらわれていったと言う。このネーミングがおもしろい。「賽の河原の地蔵菩薩ではなく、明るくさわやかな現世のわらべ地蔵がいい。暗い心を明るくし、落ち込んだ気持ちに希望を与えるそんなわらべ地蔵がいい」(p121)と著者は記す。機会をみつけて、わらべ地蔵にご対面してみたい。

苦しみも悲しみも一身に 長部日出雄 小説家
 恐山の大祭のルポを書きたいという新聞記者に頼まれて、一つの条件を付けて著者が同行した時の体験を綴る。著者は、イタコの口寄せで涙し、温泉で汗を流して、夕食時に酒を飲み、夜は歌と踊りに興ずるという一連の過程を記者に見せたかった。だが、夜は静かなまま。それは津軽の団体客がその日来ていなかったからという。著者の疑問はそれで氷解。併せて久渡寺のオシラ講と金木町川倉の地蔵堂のことを記す。末尾で「人間の苦しみも悲しみも、すべて一身に負ってくれるたくさんの地蔵さまがいたからこそ、津軽の人人は、きびしい風土のなかでも、明るく陽気に生きてこられたのにちがいない」(p130)と著者は確信する。著者はステロタイプなイメージを払拭させたい気持ちをぶつけている。
おこりじぞうに導かれて 髙岡良樹  吟遊詩人
 著者はおじぞうさんの物語をギターを弾きながら歌い語ることを生業にしている。『おこりじぞう』は広島の原爆投下で被爆した少女とお地蔵さんの奇跡の物語である。著者がこの創作をおこなった経緯を書く。その過程で著者は地蔵真言を日ごとに唱えるようになったと記す。「言葉の響きが持つ神秘性は素直に理解できる」(p137)。当初は、1985年7月25日、その日ただ一度歌うために、1年がかりで創作したという。だがその後この文を寄稿するまでに300回以上も、『おこりじぞう』を歌い続けているという。末尾に「おこりじぞうの物語は、終章で笑顔に戻り、ビサンマエイソワカで終わる。」(p139)と記す。それに続く括弧書きの文が素敵である。

お地蔵さんになった男  小松庸祐 僧侶
 最初に、奈良・法隆寺の近くに立つ「まま子地蔵」の話が紹介される。そして、昭和22年9月2日付「長崎日日新聞」で報じられたバスの事故と鬼塚道男さんの死に話を転じていく。この鬼塚道男さんが、昭和49年10月19日、お地蔵さんとして祀られる形になった経緯が綴られる。名古屋の小学校教諭が退職後に、お地蔵さんになった道男さんの物語を「愛の地蔵」と題して自費出版されたという。長崎の時津から206号線を走り打坂に行くと、かつて地獄坂と呼ばれた道路に面してこのお地蔵さん「愛の地蔵」が立つそうである。私は昨年、偶然テレビのある番組で、この事故の事を知った。忘れる事のできない事実である。
 
ただひたすらに合掌  板橋興宗 僧侶
 著者が仙台の林香院をお参りした折、三門前の参道両側三体ずつの六地蔵の堂々とした姿に心が魅かれたと記す。これが動機づけとなり、金沢市の大乗寺に六地蔵建立を行い、さらに境内に三十三観音石像やお地蔵さんの建立へと広げて行った経緯が綴られている。地蔵の寄進者には、名前を付けて、半紙に毛書してもらい、それを石屋さんに刻み込んでもらうと言う。この随筆に著者は持論を記す。印象深い文をご紹介する。

*一心に手を合わせて祈っている姿が、そのまま「利益」になっているのである。天命に任せて人事を尽くしている象徴が祈りの姿である。 p152
*宗教に教義や戒律を論じているうちは味噌くさい。一切の理屈を離れて手を合わせ、意味もわからぬままに一言半句のお題目を唱えるところにこそ、より深い宗教の本義があるのではなかろうか。 p153
*お地蔵さんや観音さんに、ただひたすら合掌してお参りしている姿こそ、天地自然のこころと通じ合っている消息である。天地宇宙の呼吸とひとつになっている姿こそ、もろもろの宗教さえ越えた、本当の宗教と言うべきものではあるまいか。 p154

 以上のように、様々な角度から「お地蔵さまと私」の関係性が寄稿されている。
 本書を開いて見る誘いになれば、幸いである。

 本書には各地のお地蔵さまが16葉掲載されている。その中でも特に私が惹かれるお地蔵さまがいくつかある。修那羅地蔵(長野県松本市、p39)、双体像(青森県津軽、p78,79)、地蔵頭部(埼玉県秩父市、p89)、線刻地蔵群像(青森県三沢・古牧温泉、p115)である。
        (場所名だけ明記のものには、イメージが湧くように私見で仮名称を補足した。)

 本書末尾には、「西の河原地蔵和讃  見伴上人作」の全文が掲載されている。
この地蔵和讃は、「賽の河原地蔵和讃」や「西院河原地蔵和讃」と共通するフレーズがある一方で、異なるフレーズが含まれる。これらの別バージョンなのだろう。見伴上人について少しネット検索した範囲では不詳である。地蔵和讃には様々なバージョンがあるようだ。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
坂村真民記念館 ホームページ
第51代日蓮宗管長に酒井日慈貫首が就任  :「日蓮宗新聞社」
日本石仏協会 ホームページ
青山俊董  :ウィキペディア
酒井大岳  :ウィキペディア
~紙の彫刻 紙彫仏~  投稿:竹山靖玄 前碧水ホール館長
石川洋の名言 :「地球の名言」
藤原東演   :「朝日テレビカルチャー」
立川昭二  :ウィキペディア
とげ抜き地蔵尊 高岩寺 :「巣鴨地蔵通り商店街」
佐藤勝彦 :「佐藤勝彦の世界」
松原泰道 :「コトバンク」
補陀洛山 丹州観音寺 ホームページ
長部日出雄  :ウィキペディア
吟遊詩人 髙岡良樹
小松庸祐  :「大法輪閣」
本師板橋興宗禅師  :「興雲寺」
恐山 賽の河原  :YouTube
賽の河原地蔵和讃
賽の河原地蔵和讃  :「亀龍院」
地蔵和讃
西院河原地蔵和讃 (賽の河原地蔵和讃)
地蔵和讃の中にある、賽の河原の和讃が全文掲載されている資料はありますか。
  :「レファレンス協同データベース」
地蔵和讃  :YouTube
御地蔵和讃 (賽の川原) 吹込巡禮 大教導師 他信者一同  :YouTube

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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
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『百人一首に絵はあったか 定家が目指した秀歌撰』 寺島恒世 平凡社

2019-02-17 21:41:20 | レビュー
 百人一首と聞けば、百人一首カルタを思い浮かべる。和歌と詠者を描いた読み札(絵札)と下の句の文字だけの取り札のセットだ。あるいは、「ちはやふる」という青春マンガとその映画を即座に連想する人がいるかもしれない。百人一首に絵はセットになっていると思っている。そこから先を多分考える人はごく少ないだろう。私も考えたことがない。

 本書にタイトルは、『百人一首に絵はあったか』である。つまり、藤原定家が百人一首を撰したときに、それぞれの詠者を描いた絵が初めから伴っていたのかどうかという問いかけである。藤原定家は百人一首を撰し、文字だけのテキストとして秀歌撰をまとめたのか。それだと、後の時代に和歌に詠者の絵を加え、「百人一首絵」が制作されたことになる。あるいは、定家が百人一首を撰したそのときに詠者の絵も既に描かれていたのか。 まずこの問いかけがおもしろいことで関心を惹かれた。それと本書は「ブックレット<書物をひらく>」というシリーズの一冊で、全94ページ、実質は88ページという比較的手短に通読できるボリュームなので、読んでみる気になった。

 本書は次の構成になっている。
 はじめに
 一 『百人一首』の成立
 二 催しの先例 --『最勝四天王院障子和歌』との関わり
 三 作品の先例 --『時代不同歌会』との関わり
 四 『百人秀歌』の配列
 五 『百人秀歌』の試み
 おわりに

 「はじめに」の冒頭に、著者は藤原公任が編んだ『三十六人撰』は作者の姿を描く「三十六人仙絵」を伴った絵巻として伝えられたという有名な事例を紹介する。「百人一首絵」について多くの種類の作品が生み出されたのは事実であるが、それがいつ誕生したのか、という起源については確たることはわかっていないという。百人一首成立の当初から歌仙絵が描かれていたと推定する複数の証言-頓阿の『井蛙抄』、随筆『榻鴫暁筆』ほか-と、江戸時代に至って盛んに描かれたとする立場との両論がある実情だという。

 著者はそこに、後鳥羽院との関わりに焦点を絞りながら、群像としての歌仙絵が描かれる経緯を見定めることで、百人一首と絵の関わりを追究していく。著者の仮説を緻密な推論として本書で論じている。
 
 『百人一首』が成立するきっかけは定家の日記『明月記』に記載があるという。
 定家は嵯峨中院の障子に飾る色紙形を「彼入道」(=宇都宮頼綱)から求められたという。古来からの人の歌を各一首を撰び色紙形に書くという求めである。その求めに応じざるをえず、定家は「天智天皇より以来家隆・雅経に及ぶ」各一首、筆を染めたと記している。
 著者はこの記事から始め、定家と後鳥羽院との関係性を重視しつつ推論を進めて行く。 その推論を展開する過程でいくつかの論点が明らかにされる。通読して私が理解できた要点と感想を記す。

1.定家は後鳥羽院に登用され勅撰集『新古今和歌集』編集の撰者に加わる。その過程で後鳥羽院が自ら関与を深めることの結果、定家は後鳥羽院と対立し勘当されるに至る。撰者の一人、藤原家隆は後鳥羽院に忠誠を尽くす立場をとる。定家は後鳥羽院に終世複雑な対抗意識を持ち、後鳥羽院の行動を注視していたと著者は言う。つまり、後鳥羽院との関係が定家に大きく影響を与えている点を著者は論じていく。

2.後鳥羽院は承久の乱の首謀者であり、鎌倉幕府により隠岐に配流となる。隠岐にて後鳥羽院は『時代不同歌合』という秀歌撰を生み出す。時代の違う歌人の歌を50組の番いとする新しい試みである。この『時代不同歌合』には各歌人の姿を描く絵を備えた絵巻も多く伝わるという。また、『遠島御歌合』も生み出している。定家はこれら後鳥羽院の試みに影響を受ける一方、批判的問題意識で受け止めていたと著者は論じる。
 『時代不同歌合』が分析的に論じられている点が興味深い。これら歌合のことを本書で初めて知った。学びを少し広げることができた。

3.定家は『百人一首』に対し、『百人秀歌』も撰している。宇都宮頼綱の求めに応じて嵯峨中院のための色紙形に染筆したのは、『百人秀歌』に関係する点を著者は具体的に論じていく。

4.嵯峨中院のための和歌は障子に飾られる企画だったことから、後鳥羽院の御願寺として建立された最勝四天王院のための『最勝四天王院障子和歌』の先例を重視し、この障子絵の作成を詳述している。私は初めて知った内容なので興味深かった。
 この先例を踏まえて、著者は嵯峨中院という山荘がどのような間数の構造であったかの緻密な推論を行う。それがこの山荘の為に染筆された色紙形の有り様を決定づけていくからである。定家は嵯峨中院のための和歌を撰したこと、それが百人一首の成立に繋がっているということは知っていたが、この観点など考えたことがなかったのでおもしろかった。

5.当然のことながら、『百人一首』と『百人秀歌』の関係性が重要な問題となる。著者は百人一首を上段に、百人秀歌を下段にと言う形で、それらの歌人配列をずらりと列挙し、『百人秀歌』の配列原理は隣り合う歌人の番いとなっている。それが百人一首の歌人配列と線で結ぶとどのように変化するかをビジュアルに示しそのプロセスを分析する。
 両者に一致する98人の歌人が線で結ばれた結果、全体が5つのグループに別れ、その個別のグループ内で線が交差しているという事実が明示される。その配置の妙が詳述されている。両者の違いと関係性を論じた他書を読んだことがあるが、この論点は新鮮な感じで受け止めた。読んでいてもおもしろい。
 研究者の間では藤原公任の歌が秀歌かどうかの論議がなされてきたという。著者はこの公任の歌に作歌上の積極的な意味を見出している点も興味深い。
 そして、5つのグループに別れているのは、嵯峨中院の間数の構造とも関係があると著者は論じている。

 著者は次の推論結果を導き出している。
*”『百人一首』と密接に関わる『百人秀歌』の本文は、嵯峨中院山荘に飾られた色紙を忠実に再現する形を取っていた。予めテキストとして目論まれた秀歌撰ではなく、歌仙歌合形式による配置が重視された障子歌に基づいていたのである。” p81
*”『百人秀歌』は、『時代不同歌合』が湛える興趣に富む魅力を受け止め、その独創への共鳴とともに募る対抗意識に由来した秀歌撰と解されるのである。” p81
*”『百人秀歌』編纂の根本動機は、<時代不同>ではなく<時代同一>を結番の基準と定めることにあったとみてよいであろう。” p81
*”障子には色紙形に書かれた歌と向き合う歌仙像が描かれていたことが導かれる。” p82
*”『百人一首』は、・・・・百首を単位とする和歌集成として編まれた文献テキストであった。” p87
*”好ましい組み合わせのための二首番いの原理に基づく選歌を踏まえるならば、『百人秀歌』先行説の蓋然性の高さが導かれるのである。” p88
*”本書では、絵は当初から存在した可能性が高いことを導き、もって『百人一首』の成立と性格を捉え直してみた。” p92

 著者がこれらの結論を導き出す分析と推論の展開が読ませどころだと思う。その論理展開を楽しむことができる。
 
 本書を読み、一読者としては大凡その結論を次のように理解した。
 『百人一首』は撰定した和歌を集成した文献テキストとしてのまとめであり、それに絵を付ける必要はなかった。だが、『百人一首』が出来る前に『百人秀歌』として撰した歌が先行し、それらの和歌が嵯峨中院に飾る色紙形に染筆され、歌仙絵が添えられて山荘の部屋に飾られた。つまり、「百人一首絵」の淵源となる歌仙絵は『百人一首』の成立時点には併行して存在したと推定できる。
 その目的から考え、『百人秀歌』に歌仙絵は必要だったが、『百人一首』に絵は必要ではなかった。後に『百人一首』が重視されていく際、既に描かれていた歌仙絵をベースに詠者の差し替えに伴い必要な歌仙絵が新たに描かれれば、「百人一首絵」として利用できた。そういう進展なのかなと思った。(この理解に誤読があるかどうかは、本書を繙いて著者の推論過程をお楽しみいただき、ご確認ください。)
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、関心の波紋を広げて、少し検索してみた。一覧にしておきたい。
小倉百人一首  :「コトバンク」
百人一首    :ウィキペディア
百人秀歌    :「コトバンク」
百人秀歌    :ウィキペディア
百人秀歌    :「渋谷栄一(国語・国文学)研究室」
百人一首 ホームページ
歌仙絵師の百人一首百絵 説明と解釈
時代不同歌合絵巻  :「e國寶」
時代不同歌合繪. [4]  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
時代不同歌合(初撰本) 後鳥羽院撰  :「千人万首」
日本かるた文化館 ホームページ
   (一)百人一首かるた絵の発祥 
   (七)百人一首かるた絵の起源  
(一)版本『百人一首』の歌人図像の由来

嵯峨嵐山文華館 ホームページ
   百人一首について
百人一首絵抄 十五 光孝天皇 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
佐竹本三十六歌仙絵巻  :ウィキペディア
ちはやふる 末次由紀 公式サイト
ちはやふる -結び-  公式サイト

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


『京の野仏』 水野克比古 光村推古書院

2019-02-12 18:28:28 | レビュー
 SUIKO BOOKS の一冊として出版された著者による写真集である。この本に掲載された野仏の写真を眺めていくと、冒頭の表紙に載せられた野仏が15ページに掲載されていて、洛東にある金戒光明寺の阿弥陀石仏だとわかる。写真の横に添えられた短文にその旨が記載されている。カバーの裏にも記載がある。
 15ページの阿弥陀石仏は昼間に濃緑の葉の樹木を背景に真正面から撮られた石仏の姿のようだ。表紙は夕陽を背景に石仏を側面かつ少し下方から撮られている。撮影の時刻も異なる。一見では同一の石仏とは思えない。
 逆に言えば、野仏の姿、その表情は季節と時刻と見る人の立ち位置や角度により変化するということだろう。こういう対比的な写真はこの石仏一体だけである。だが、野仏を撮るということについて、いい学びとなる実例だ。本書を開けて、これを対比的に眺めてみると興味深さが増すと思う。そして、現地に行き、見仏したくなるのではないだろうか。
 この写真集に取り上げられた野仏について、私自身既に訪れて眺めたことのある野仏がかなりある。だが、記憶から引き出されたイメージとここに掲載された写真を対比すると、ああこの季節にはこんな風に眺められるものなのかという新たな感慨と刺激を得ることにもなった。一方で、現地探訪で見落としていた仏像にも気づいた。未訪の野仏については現地での見仏への誘い、見落としについては再訪への誘いという形で、野仏探訪への動機づけを高められた。本書は2010年12月に初版一刷が発行されている。

 本書には、京都の屋外にある仏像の主なものが洛東・洛南・洛西・洛中・洛北という地域順で収録されている。石仏が主体であるが、青銅造の仏像も何体か取り上げられている。各写真に仏像についての簡単な説明と所在地などのデータが記されている。本書の末尾には、その所在地をプロットし、該当ページを記した地図が掲載されているので、便利である。
 尚、ここでは広義の「京」という意味で使われていて、洛南という地域に宇治市、京田辺市、木津川市(当尾ほか)、和束町、笠置町の野仏も取り上げられている。同様に、洛西地域として長岡京市、亀岡市の野仏も収録されている。当尾の石仏群については、10葉の写真が収録されるとともに、当尾の石仏群の簡略な地図も掲載されている。

 冒頭の「京の野仏」という一文に、著者は「京都は大小取り混ぜて数万体は存在する野仏の宝庫である」と記している。見仏探訪した記憶と本書に収録された所在地を重ねてみると、言われてみるとそうだろうな・・・・という気がする。化野念仏寺の石仏群、愛宕念仏寺の石仏群、大徳寺の千躰地蔵尊、引接寺(千本ゑんま堂)の石仏群、壬生寺の石仏群、京都国立博物館の庭に保存されている石仏群、石峰寺の五百羅漢像などを思い浮かべただけでもかなりの数になる。京都市内の各町内にはお地蔵さんが祀られている。一体でなく数体一緒に祀られてる小祠もある。本書にはそれらの場所の野仏も収録されている。
 
 また、「本書に掲載する写真は、単に即物的、資料的な表現ではなく、京都の自然風景の中に存在する野仏の有りのままの姿を写そうと心がけた」と著者は記す。「春夏秋冬、巡り行く季節の雪月花と仏像との交流」という視点で写された野仏はやはり眺め応えがあるように感じた。季節の花、樹木と仏像の交響はやはりアートである。一瞬の美しさがとらえられている。諸行無常ゆえの一瞬の美の定着といえるのだろう。

 この写真集にはプロの写真家故に撮影の許可と収録が可能となっている野仏も含まれている。私の経験では、例えば、石峰寺の五百羅漢像や善願寺の榧の木不動は屋外であるが拝観者には撮影禁止だった。ここに収録されている野仏で、他にもあるかもしれない。

 最後に、私的に印象深いと感じた野仏の写真をご紹介しておこう。
榧の木不動[善願寺]       p35
天王一石多尊石仏[京田辺市天王下] p38-39
和束弥勒磨崖仏[和束町]       p41
三体地蔵[当尾]           p47
如意輪観音石仏[宗蓮寺]       p63
十一面千手観音石仏[広沢池]   p74,75
石仏群[法金剛院]        p79
釈迦三尊石仏[善導寺]      p93
わらべ地蔵[三千院]      p96,97
三十三観音菩薩石仏[赤山禅院]  p104

この写真集を開く誘いになれば幸いです。

 ご一読ありがとうございます。

『政界汚染 警視庁公安部・青山望』  濱 嘉之  文春文庫

2019-02-09 10:38:39 | レビュー
 青山望シリーズ第2弾である。
 マンションから出て、タバコをふかしながら公園を横切り、ゆりかもめの汐留駅に向かっていた男が、「社長さん」と呼びかけられる。呼びかけた男は社長と呼ばれた男には顔見知りの広域暴力団の幹部だった。その広域暴力団幹部は言う。「あんたが払わないというのなら、こっちは理事長さんに直接交渉するだけのことだな。」「もうあんたの役目は終わったんだよ」と。そして、社長と呼ばれた男は拉致され、ある場所で日本刀で右腕を切断されてしまう。プロローグはそんな特異な場面から始まる。

 このストーリー、冒頭は東京都内にある医療法人社団弘潤会の理事長・中村弘一が参議院議員選挙に出馬するという話である。医師連盟は中村を擁立する意向を示す。一方日本公正党最高顧問の大澤純一郎が出馬要請の電話を中村にかけてくる。中村は出馬を決断するのだが、医師会は候補者の統一ができない分裂選挙の状態になる。中村の選挙事務所はその地域では大御所的存在の古沢幸次郎が選挙対策の総括責任者になる。古沢以下選対に入った市議は当然の如く活動資金としての裏金を要求する。また、党本部がよこした選挙対策で有名な木村義孝は、金指事務長に3000万円出してくれれば当選させてみせると平気で金を要求する。選挙が始まると、金を要求した選対の連中の動きは鈍い。中村危うしという噂も流れる。そんな最中に、選挙コンサルタントの大場芳市と名乗る男が、金指事務長の前に現れる。「当選請負人」として知られた男だった。当落線上の候補者を何とか当選させようとするチームだと言い、2週間の予算は2500万円だと言う。彼は医療法人という特殊性をうまく利用した秘策を金指に語るのだ。金指は大場の具体策を聴き、選挙コンサルタントとしての能力を信頼し始める。だが、それが大きな深みに足を入れていく始まりとなる。
 大場は選挙だけではなく、医療法人とのパイプを作るという狙いを秘めていたのだ。弘潤会は高齢者に対する医療と介護サービスの提供に大きく比重を置き、数多くの医療事業施設を都内で運営する個人病院である。大場の狙いは、有料老人ホーム入居者の「一時金の保全措置」の処理を請け負うことと、医療法人が病院内にもつ精神科の入院施設にあった。金指は理事長を議員に当選させることを夢とし、その実現のためには大場の巧みな要求に応じざるを得ない状況に追い込まれていく。
 大場は当選請負人として実績を持っていたのだが、そこには関東圏で最大の勢力を誇る暴力団との繋がりがあった。その大場はある失敗から消されかけたのだが、岡広組傘下佐藤会の佐藤に助けられていた。その佐藤会を背景に、大場は弘潤会理事長の中村との関係を深め、その医療法人にくい込んでいく。経営手腕のある中村は、中国での医療法人の事業展開も進めていた。

 参議院選挙に出馬した中村は最終的には、次点という立場で落選した。誰か一人がこければ、繰り上げ当選という微妙な立場だった。一方で、選挙違反行為での捜査対象に陥る可能性も勿論ある。
 このストーリーの出だしが興味深いのは、選挙の裏話がかなり具体的に描かれて行く部分である。そういうことがあるかも・・・・というリアル感に溢れている。
 
 ストーリーは思わぬ方向に展開していく。
 立川市の立川通りでひき逃げ事故が発生する。目撃者が名前を名乗らずに警視庁通信司令本部に110番通報をしてきた。赤信号で横断歩道を横断していた歩行者を立川駅方向からきた黒いワンボックス車がはねて、そのまま逃げたという。被害者は所持品から、立川市議の古沢幸次郎77歳と判明した。中村選挙事務所の総括責任者を引き受けた人物である。現場検証と加害者を特定できる映像記録が入手されたことで、ひき逃げ事件の裏のカラクリが明らかになっていく。関与した暴力団が特定され、事件の繋がりが明らかになっていく。
 一方、京都では通称鹿ヶ谷通で元厚生大臣木下武66歳がひき逃げ事故に遭遇し死亡した。木下はこの参議院選挙で最後の最後に当選していた。旧財閥出身の「お公家さん」と呼ばれる風貌だったが、周辺には汚れた金の噂が常につきまとう議員でもあった。この木下武の死が、中村弘一を繰り上げ当選させる結果となる。
 京都のひき逃げ事件は、京都府警の本部長の判断で交通捜査で止まってしまっていた。
 
 多摩川河川敷きで男性の右腕が発見された。ボートに乗っていたカップルが黒いビニール袋を見つけて開いたら、右腕だった。バラバラ殺人事件が発生した。
 選挙後に金指事務長が行方不明となっていた。中村理事長は家出人捜索願いを立川北警察署に提出していた。捜査の進展によりバラバラ殺人の被害者が金指と判明する。
 右腕の切断面の状態と凶器が日本刀ということが判明した。この右腕の切断状態を観察した青山は学生時代に剣道部で活躍した体験を踏まえて感想を語った。その感想が一つのヒントとなり、事件関与者が絞り込まれていく。
 だが、金指と古沢の死は、中村弘一の選挙違反容疑における金の流れの究明を困難にしていく。

 捜査第二課事件指導係長の龍は、参議院選挙での選挙違反問題を扱っている。そして、3人の医者が当落のボーダーラインにいることと、日本求道教団が全面的に支援する広津元彦に注目していた。
 公安総務課第七事件担当筆頭係長の青山は、福岡で発生した現職財務大臣殺人事件の背後捜査を続けていた。青山は日本求道教団の関連で広津も視野に入れていた。
 捜査一課事件指導第二係長の藤中は、都内で連続して発生する強行犯事件の取りまとめに多忙であったが、バラバラ殺人事件に関わっていく。その手口から犯人がマルBの可能性を視野に入れていくことになる。
組対四課事件指導第一係長の大和田は、立川市での古沢幸次郎のひき逃げ殺人事件の加害者が暴力団に絡むということで、この事件に関わって行く。古沢は四谷教団の霊園問題で岡広組との間に入ったという裏話を持つ市議でもあった。

 このストーリーの面白さは、一見個別に発生した事件にみえるものが、それぞれの捜査が進展すると、裏側で複雑に入り組みつつ相互に繋がっているという構図が解き明かされることにある。それが解明できるのは、警視庁の各領域の係長である青山・大和田・藤中・龍のカルテットの間で横の連携力を発揮することができたからだ。
 そして、この横に連携で公安総務課の青山が個別に発生したかに見える事件をリンクさせることに繋がる情報を提供し、連携を深めていくキーパーソンになっていく。
 個別の事件のリンクが見え始めると潜んでいた関連事象が現出し、政界汚染の実態がスケールアップしていくという展開は、読者を惹きつけると思う。

 ご一読ありがあとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』 文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』 文春文庫


『読書という荒野』  見城 徹  幻冬舎

2019-02-03 21:13:33 | レビュー
 著者は大学を卒業後、廣済堂出版に入社。初めて自身で企画した『公文式算数の秘密』を38万部のベストセラーにしたという。その後、文芸書を手掛けたいという思いから、角川書店に入社し、『野性時代』の副編集長、「月刊カドカワ」編集長、取締役編集部長を経て、1993年に幻冬舎を設立した。幻冬舎の代表取締役社長である著者が、己の人生の生い立ちと読書との関わり、読書が持つ意味を熱く語る。読書をする側からの読書論と併せ、編集者として数多くの作家と関わり、24年間で23冊のミリオンセラーを生み出すに至った経緯、本を生み出す側の裏話を交えて、本と読書への思いを語る。
 我々は、読書により一人の一生では経験できないことを学ぶのであり、読書の量がその人の人生を決めるのだと力説する。本書には著者の読書に対する激しい言葉がぶつけられている。

 著者は優れた「認識者」という土台を築かなければ、優れた「実践者」になることは不可能だという。そして「認識者になるためには、読書体験を重ねることが不可欠だ」という信念を持つ。挫折を含めた己の人生における読書を糧にして、また編集者という仕事を通じて、認識者から実践者として生きてきたと自負していると感じる。
 「読書とは自己検証、自己嫌悪、自己否定を経て、究極の自己肯定へ至る、最も重要な武器なのである」(p220-221)と言う。「読書で得た認識者への道筋は、矛盾や葛藤をアウフヘーベンしなくては意味がない。それが『生きる』ということだ。認識者から実践者へ」(p221)突き進んでこその人生なのだと言う。それは「自己実現の荒野へ」突き進むことなのだと。

 著者は、単なるお楽しみの読書やいわゆる教養として知識を積み重ねる、流行の情報を得るだけの読書を真っ向から否定する。人生を切り開いていくために、本質的なものを読み、読書から己がどう感じるかを重視する。「お前はどう生きるのか」という問いを突きつけられる読書体験を語る。本書は6章構成になっている。その第6章の末尾を「血で血を洗う読書という荒野を、僕は泣きながら突き進むしかない」という一文で締めくくる。『読書という荒野』というタイトルは、この一文からとられたようだ。

 本書では著者の人生プロセスにおける読書との関わり方が赤裸々に語られて行く。
 幼少年時代の家庭環境・苛めと読書への傾倒、高校時代の読書と反骨精神。読書から社会・世界の矛盾や不正、差別に怒り、大学時代に左翼思想に傾倒し政治行動にも踏み込むが、赤軍派のように踏み抜くことができなかった挫折とその頃の読書。人生前半の読書体験がダイナミックに語られる。
 社会に出てから、著者は編集者としての人生を選択する。なぜ編集者になったのかを語るとともに、編集者として寄り添いミリオンセラーを生み出した作家と如何に関係づくりをしたか。どんなつきあい方をしてきたかの裏話がつづられていく。それは一種の武勇伝に通じ、また極端から極端への行動をしてきたという破天荒さを暴露した語りでもある。こんな編集者人生もあるのか・・・・・・。多分一つの極端事例ではないだろうかという気もする。だから、読んでいておもしろい。第3章のタイトルは、「極端になれ! ミドルは何も生み出さない」である。このタイトルはそれを実践した著者の持論なのだろう。

 第2章「現実を戦う『武器』を手に入れろ」では、吉本隆明・高野悦子・奥浩平の著書や日本赤軍の奥平剛士・安田安之・岡本公三の乱射事件という行為を熱っぽく語る。それは左翼に傾倒していた時期の著者の心に結びつく。
 その一方で、第6章の「血で血を洗う読書という荒野を突き進め」では、三島由紀夫が「楯の会」を結成し、最後には陸上自衛隊・市ヶ谷駐屯地に押し入り、割腹自殺を遂げたあの衝撃的な事件を語る。あの事件において配られた三島の「檄文」と三島の最後の演説の全文を引用している、「自らの観念に殉じて死ぬ生き方」をとった三島由紀夫について、「言葉を突き詰めてしまった者が、必然的に選ばざるを得ない最後である」(p213)と評し、「僕は、彼の自決そのものが一つの文学だと考えている」(p214)と論じている。
 極端から極端への振幅を持つ読書遍歴の中で、著者は「自己検証、自己嫌悪、自己否定」を繰り返してきたという。桁外れの読書と人生の吐露が興味深く、かつおもしろい。そこが本書の読ませどころになっている。

 第3章から第6章にかけては、編集者となった著者が様々な作家と関わり、ベストセラアーを生み出すに至った裏話をしている。それは作家と著者(編集者)との生身のぶつかり合いである。愉快な・豪快な・特異とも言える深い濃密な関わりあいのエピソードに溢れていている。ここに取り上げられ具体的なエピソードが書き込まれている作家たちの名前を列挙しておこう。それぞれの作家との関係性がおもしろい読み物になっている。
 五木寛之、石原慎太郎、中上建治、村上龍、林真理子、草間彌生、坂本龍一、つかこうへい、である。
 他にも著者が編集者として関わりを深めた作家やアーティスト、読書という観点で影響を受けたとして取り上げている人々と作品が沢山登場している。省略する。

 最後に著者の読書に対する激越な思いについて、その語録を一部紹介しよう。後は、一度本書を開いてみるとよい。

*人間としての言葉を獲得するにはどうすればいいのか。それは、「読書」をすることにほかならない。 p3

*読書で学べることに比べたら、一人の人間が一生で経験することなど高が知れている。読書をすることは、・・・・・・そこには、自分の人生だけでは決して味わえない、豊穣な世界が広がっている。そのなかで人は言葉を獲得していくのだ。  p4

*僕はかねがね「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」と言っている。・・・・読書を通じ、情けない自分と向き合ってこそ、現実世界で戦う自己を確立できるのだ。  p6-7
 『こころ』(付記:夏目漱石著)を読んで初めて、僕は「自己検証、自己嫌悪、自己否定」という概念を実感した。 p29

*読書体験によって多様な人間、多様な人生を追体験し、人間や社会に対する洞察力を手に入れるべきなのだ。 p11
僕が考える読書とは、実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者への想像力を磨くことだ。重要なのは、「何が書かれているか」ではなく、「自分がどう感じるか」なのである。 p15

*著者の気持ちと編集者の気持ちがカチッとはまったときに、たまたま、名作は誕生する。 p18

*僕の「血と骨」と言えるのが『マチウ書試論』だ。『マチウ書試論』を何百回とな読み返しているが、そのたびに新しい発見がある。 p61
 『マチウ書試論』は自己の非倫理を倫理に反転する、私的闘争を賭けた吉本隆明の再生の書なのだ。 p63

*僕はいつも、「売れるコンテンツの条件は、オリジナリティがあること、極端であること、明解であること、癒着があること」と言っている。とはいえ、これはあくまでも結果的に導き出した法則にすぎない。 p85

*僕は人と会うときは、常に刺激的で新しい発見のある話、相手が思わず引き込まれるような話をしなければいけないと思っている。 p86

*本とは単なる情報の羅列ではない。自分の弱さを思い知らされ、同時に自分を鼓舞する、現実を戦うための武器なのだ。 p94

*感想こそ人間関係の最初の一歩である。・・・・だからこそ、「言葉」は武器なのだ。 p102

*表現とは結局自己救済なのだから、自己救済の必要がない中途半端に生きている人の元には優れた表現は生まれない。ミドルは何も生み出さない。 p127

*文学は、・・・・過剰か欠落を抱えた人間からしか生まれない。 p143

*確固たる世界を構築している作家の作品に触れることで、世界や人間の本質を体感できる。 p154

*本物の表現者は例外なく「表現がなければ、生きてはいられない」という強烈な衝動を抱えていることだ。 p164

*結局、作家と編集者は浄瑠璃でいう「道行き」のような関係なのだ。 p184
 
*一心不乱に本を読み、自分の情念に耳を澄ます時期は、必ず自分の財産になる。だから、手軽に情報が取れるようになっただけになおさら、意識して読書の時間を捻出すべきだと僕は考えている。 p192

 ご一読ありがとうございます。

『特捜本部 刑事の挑戦・一之瀬拓真』  堂場瞬一  中公文庫

2019-02-01 13:09:37 | レビュー
 一之瀬拓真は、秋に千代田署から警視庁捜査一課に異動した。殺人事件の捜査を担当する強行班は9つあり、事件が起きる度に順番に現場に投入される。そのため、一之瀬は異動後に殺人現場に出たのは3回だけで、比較的暇だった。
 3月26日午前4時55分に、スマートフォンの着信音で一之瀬は叩き起こされた。先輩刑事宮村からの電話である。江東海浜公園で腕が発見されたという。バラバラ殺人事件の発生だ。現場に着くと宮村は来ていた。右腕が発見され、通報があったという。バラバラにされた遺体の他のパーツについてこれから公園の中を捜すことから始めるという。
 公園のゴミ箱を探して歩き始め、30分後に一之瀬は偶然にもう1本の腕らしきものがくるまれたのを発見した。やはりそれは切断されたむきだしの左腕だった。中指にでかい指輪がはめられていた。一之瀬がリングを検める。その指輪は一之瀬の母校・陽光大学のカレッジリングだった。校章を正面からみた右側に「2009」、左側に「WAKANA」と刻まれていた。一之瀬の母校であるということから、このカレッジリングを手がかりに出身大学での聞き込み捜査をまず任される。一之瀬は母校の学生課を訪ねることから聞き込みを始めて行く。ワカナから3人の氏名にまず絞られた。一之瀬は、その氏名を一つずつ調べていくことになる。ストーリーの始まりとして興味深いのは、2009とWAKANAという手がかりから聞き込み捜査がどのように進展して行くかが具体的に描き込まれていくプロセスにある。
 被害者は原田若菜。「一条若菜」というペンネームを使い、IT企業のセキュリティ対策を専門に取材しているフリーライターだと推定できるところまでまず一之瀬は明らかにしていく。

 一方、公園の現場から、さらに左脚の膝から下が発見される。江東署に特捜本部が立つ。一之瀬が捜査一課に異動して、これが初めての本格的な特捜本部になる。
 未発見の遺体パーツの継続捜査、被害者が普段仕事で関係していた出版社や関係先の聞き込み捜査、被害者の家宅捜査、犯行時刻頃の被害者の足取り捜査・・・・・定石的な捜査活動が特捜本部体制の中で進められていく。このプロセスの細密な描写と一之瀬の推理思考や心情、さらに同期の若杉に対する意識の描写が事件の臨場感を少しずつ高めていく。
 もう一つ、この事件の捜査で特異な点は、一之瀬が陽光大学に在籍していた頃の同級生の一人が、被害者原田若菜とIT研究会を介して繋がりがあったという設定になっている点である。その結果、記憶にはあるが知り合いというほどでもなかった同級生の永谷信貴に聞き込みをするために一之瀬は彼の出張先の山形まで出張する事にもなる。一之瀬の聞き込みでは、彼がどこまで原田若菜と深い関わりがあるものなのか不詳のままに終わる。だが、永谷はその後、出張先の山形からなぜか姿を隠してしまう。

 このストーリーでは間接的に、一之瀬自身の学生時代の状況もエピソード風に盛り込まれ、一之瀬拓真という人間像の膨らみが加わっていく。まあ、これはこのシリーズを楽しむ読者にとっては主人公一之瀬拓真により近づく副産物のようなものである。一之瀬の恋人深雪もまた、この捜査活動での情報源の一つに組み込まれていく。

 一之瀬が山形から東京に戻る車中に、宮村から携帯へ電話が入る。江東海浜公園の近くの海釣り公園から別の被害者の右腕が同じような遺棄方法で発見されたという。二人目の被害者の右腕。近くの公園を一日中捜査していて、夜になってから若杉が新聞紙とビニール袋にくるまれてゴミ箱に突っ込んであった右腕を発見したのだ。バラバラ殺人事件が連続して発生した。一之瀬の山形出張は全くの無駄足になるのか・・・・・。
 二つのバラバラ殺人の遺体の切断面が似ていようにも見えるという。同一犯の犯行なのか? それとも単に警察を混乱させ犯行を隠すために最初のバラバラ殺人事件に意図的に重ねられただけなのか? 殺害目的は? 新たな右腕を発見した若杉は、張りきっている。勿論、このことで捜査に投入される人数は倍増した。

 そんな最中に、一之瀬の同期で公安の外事二課に所属する斎木が何気なく一之瀬の前に現れた。これらの事件が公安に絡まっているのか・・・・。事件の様相は混迷を加えそうである。勿論、一之瀬は即座に斎木の接触を岩下係長に報告した。
 一之瀬は、原田若菜に関わりのある人間の継続的な聞き込み捜査に従事する。人間関係を辿る中から、事件の謎に迫る事実が見えて来る。
 原田若菜の自宅近くの防犯カメラのビデオチェックを一之瀬と春山が行う。そこで見落とされていた事実が浮かび上がることになる。一之瀬らの粘りが事実を解明するさらなる一歩となる。

 このストーリーに奇をてらうという側面はない。一度築かれた人間関係をすべて消し去ることはできない。人が長年にわたり積み上げた人間関係の中に残る記録と記憶を如何に辿れるか。原田若菜というフリーラーターの実像を明らかにしていく一環として、大学在籍中に所属したIT研究会の人間関係とその後のつながりが捜査対象として重視されていく。
 また、今や様々な目的で設置された防犯カメラや監視カメラの存在。映像という物言わぬ記録。様々なビデオ情報の中に残された事実を如何に見出し、事実解明へと関連付けていけるか。犯行者がすべての痕跡を消すということは不可能なのだ。結果的に現代は監視社会化された実態となっている様相がよくわかる。
 断片的情報・事実が重ねられて組み合わされ、そこに見えて来る事実が事件の本筋を明らかにし始める。小さな失敗を重ねながらも、一之瀬は事件の核心に迫っていく。そのプロセスが、ここでも読ませどころとなる。

 もう一つ、このストーリーで公安の斎木が時折一之瀬の前に現れる。外事絡みの筋が関係するのか? 一之瀬はQなる人物から事件解決につながる情報、ヒントを得ようとする。このネタ元の存在が、このシリーズでは事件解明への一つの梃子の役割として登場する。どこでQが登場するかというのもこのストーリー展開を読む際のおもしろさとなっている。
 そして、斎木が調べている事件と一之瀬の事件とに接点が見出されてくる。

 このストーリー、被害者原田若菜は、別次元の事件で犯行に関わっていた一人であったことが明らかになっていく。
 事件は遂に解決する。だが、一之瀬は最終状況で拳銃の引き金を引くという行動を取ってしまう。
 「情報は金になるーー今はそういう時代だ」(p482)この認識と行動が事件の根底にあった。なかなか巧妙な構想のストーリーである。
 一之瀬はまた一歩深く刑事の道に踏み込んだ。一方、ラストシーンは深雪との結婚への一歩を進めるための会話で閉じられる。このシリーズ、次作は一之瀬の新婚生活とパラレルに事件が起こるという展開の構想になるのだろうか。次作を期待しよう。

 ご一読ありがとうございます。

本書と直接の関係はないが、現実に発生したバラバラ殺人事件がどれほどあったのか。ネット検索してみた。現実でもけっこう発生しているようだ。一覧にしておきたい。
バラバラ殺人  :ウィキペディア
大阪連続バラバラ殺人事件  :ウィキペディア
琵琶湖バラバラ殺人、被害者は野洲の男性 DNA鑑定で判明 2018.11.30 :「京都新聞」
琵琶湖バラバラ殺人 被害者の身元判明でポスターの似顔絵差し替え 滋賀県警
  2018.12.13  :「産経WEST」
7年ぶり急転…「島根女子大生殺人事件」犯人が撮影したおぞましい写真(1)遺品の中に…  :「Asagei plus」
ピル治験女性バラバラ殺人事件  :ウィキペディア
大阪民泊バラバラ殺人 米国人容疑者が悪用し、女性を追跡したマッチングアプリの恐怖  :「AERAdot」
バラバラ殺人に関するニュース  :「BIGLOBEニュース」
【閲覧注意】日本で起きたヤバすぎるバラバラ殺人事件まとめ  :「NAVERまとめ」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『誘爆 刑事の挑戦・一之瀬拓真』  中公文庫
『見えざる貌 刑事の挑戦・一之瀬拓真』  中公文庫
『ルーキー 刑事の挑戦・一之瀬拓真』 中公文庫
『時限捜査』 集英社文庫
『共犯捜査』 集英社文庫
『解』    集英社文庫
『複合捜査』 集英社文庫
『検証捜査』 集英社文庫
『七つの証言 刑事・鳴沢了外伝』  中公文庫
『久遠 刑事・鳴沢了』 上・下 中公文庫
『疑装 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『被匿 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『血烙 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『讐雨 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『帰郷 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』  中公文庫