遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『スカラムーシュ・ムーン』  海堂 尊  新潮社

2016-04-23 11:48:56 | レビュー
 2015年7月、海堂ワールドに新たな局面が現れた。読後に私が連想したのは変化拡大する三層構造の多面球体に一つの面が増殖したというイメージである。この作品を読んで、過去・現在・未来という三層の構造を持ち、多面で構成される球体に、新たな一面が増殖し、それが過去次元の局面と連接し、現在次元の他局面との柵の中に、さらに局面を広げて行き、全体のつながりがさらに濃密に交錯していくというイメージだった。多面体は面を増やし、球体を膨張させながら全体はどこかと相互に接点、接線を持ち、リンキングするネットワークとして広がって行くというイメージである。
 
 海堂ワールドに親しんでいる人は、スカラムーシュという言葉から、銀縁眼鏡をかけ、頭にはヘッドフォンを欠かさない神出鬼没の人物、彦根新吾を直ぐに想い浮かべることだろう。この小説はまさに、あの彦根新吾が中核となって動くストーリーとなっている。
 Scaramouch(スカラムーシュ)はフランス語の辞書を引くと、「古代イタリア喜劇の道化役」と説明されている(『コンサイス仏和辞典』三省堂)。さらに手許の英和辞典にも同じ綴りで、イタリア語からフランス語を経由して取り入れられた単語として載っている。「1.スカラムッチア(からいばりする臆病者) 2.ほら吹き;やくざ者」(『リーダーズ英和辞典』研究社)。フランス語では、lune が月を意味する単語だから、本書のタイトルに Moon が組み合わされているところをみると、英語としてスカラムーシュ・ムーンという言葉がタイトルとなったとみるとよいのだろう。
 彦根新吾は虚を実に、実を虚に変換するというきわどい境界上で活躍する大ほら吹きの道化師的存在と他人には映る。人には大ほら吹きと思われるような壮大な構想力を持ち、巧みな話術で語りかけ、今ここに存在しない虚の構想を実体あるものに転換して行こうとする仕掛け人である。自ら財力と権力を担い、太陽のように自ら爆発し光を放つということはない。天空の月が他源泉(太陽)のエネルギー、光を受け止めそれを反射させて闇夜を光らせるように、無構想の闇の中に構想という光を照らして、見えざるものを見えるように働きかけていく役割を担う。太陽に相当する光源がなければ、光ることができない。
 この小説で彦根新吾は、「浪速大学医学部 社会防衛特設講座 特任教授 彦根新吾」という名刺を駆使する人物として登場する。浪速の村雨府知事の参謀という位置づけにいる。そう、『ナニワ・モンスター』で開幕した新章に対し、その発展としての第2章が始まるのである。はや過去層の多面球体の一面となった『ナニワ・モンスター』にリンクしながら、現在層の多面球体上に、一つの面ができはじめるということになる。
 つまり、『ナニワ・モンスター』で出て来た人々が、現在層のこの小説の中で勿論登場して蠢き出す。それは、たとえば、彦根新吾と対決する立場である警察庁の無声狂犬・斑鳩室長であり、スカラムーシュを嫌いながらも、その発想に組みする立場になる浪速診療所院長菊間洋一と元院長で洋一の父・菊間徳衛である。さらに、斑鳩室長との絡みでいえば、過去層の一局面となった『輝天炎上』、桜宮市に建設されたAiセンターの崩壊とも深いつながりがあるといえる。

 この小説は、「序章 旅人の寓話」から始まる。高い城壁に囲まれたノルガ王国に辿り着いた旅人が死ぬ。その死は老医師が原因だとした裁き人の審判により、老医師は縛り首となる。オアシスに医師がいなくなる。冬に災いが到来しその王国が滅びると言う寓話。
 序章に続くストーリーは4部構成となり、2009年5月26日から12月31日という期間の出来事を語る展開となって行く。こんな構成である。
 第1部 ナナミエッグのヒロイン
 第2部 スカラムーシュ・ギャロップ
 第3部 エッグ・ドリーム
 第4部 シロアリの饗宴 (+ 終章 グッドラック )

 この作品の読後の第一印象は、オムニバス作品というスタイルをとっているということである。オムニバスは、「2.それぞれに独立したいくつかの短編をまとめ、全体として、一貫した作品にした映画」(『日本語大辞典』講談社)を意味する。つまり、第1部から第3部は、第4部に組み込まれる伏線的な場面が一部組み込まれていて、第4部に繋がる形になっている。しかし、主に第4部が過去層の一面に加わった『ナニワ・モンスター』と一番密接なストーリー展開上の関わりとなっている。極端に言えば、『ナニワ・モンスター』の続編は第4部だけを読んでもほぼ大凡のところはストーリーとして繋がって理解できると思うくらいだ。勿論、伏線部分について、多少の補足があればすぐに続編としてつなげられるといえそうだ。ただし第4部の奥行きを広げて楽しむには、第1部~第3部の物語が一貫したつながりとして読ませる中で、生きてくるという感じである。
 たとえて言えば、ケーブルカーで山に登るより、山道を回り込みながら頂上を目指す方が、様々な角度での景色が広がり、楽しめるというようなものである。

 第1部 ナナミエッグのヒロイン
 ひとことで言えば、ワクチン製造のための有精卵1日10万個の生産・納入子会社設立ストーリーである。
 舞台は北陸・加賀の宝善町にある養鶏ファーム『たまごのお城』。社長は名波龍造で、高品質の食卵として無精卵の生産に尽力する中小企業である。しかし、経営は厳しくなってきている状況にある。主な登場人物の一人は、跡取り娘で加賀大の大学院生であり、『たまごのお城』の広報を担当する名波まどかである。そこに、小学校以来の腐れ縁のある真砂拓也と鳩村誠一が関わって行く。真砂拓也は地元運送会社の草分け、真砂運送のドラ息子。工学部を卒業後、まどかと同じ大学院の野坂研究室の院生となっている。鳩村誠一は鳩村獣医院を継ぐために獣医学部に入学し、獣医の国家試験をめざしているが、野坂研究室に入り浸っている。
 仕掛け人はスカラムーシュ・彦根先生。彦根先生が上記肩書の名刺を持って、『たまごのお城』をふいに訪ねて行く。ワクチン製造のための有精卵1日10万個の生産・納入という話を持ちかける。納入先は、四国の極楽寺にある浪速大学のワクチンセンターである。有精卵の納入には片道500kmの運搬という作業が必要になるという仕事だ。
 高品質の食卵(無精卵)生産に一生を捧げる名波龍造の会社に持ち込まれた有精卵生産、それもワクチン生産のための卵造りという課題。出だしから拒絶反応を引き起こし、紆余曲折をはらむストーリーが始まっていく。分社化がどういう経緯の元でできるかというお話。独立した短編とみることもできるストーリーにまとまっている。
 第4部との絡みは、彦根が村雨知事に報告する一言にある。「これで今冬、厚生労働省が画策していると想定される官製パニックを回避できます」。つまり、彦根の頭脳にある近未来予測と対策作りの構想に端を発しているという一点が結節点となっている。

 第2部 スカラムーシュ・ギャロップ
 中心の話は一転して、彦根新吾が己の構想を実現するために、つまり虚を実に変換する仕掛けの固めとして行動するプロセスを描く各地遍歴譚である。それは浪速から始まり、桜宮市、極北市、モナコ公国のモンテカルロ、ジュネーヴ、ベネチアへの遍歴となる。それは虚を実に転換するための軍資金づくりであり、己の構想の裏付けを確信するための旅物語でもある。
 スタート地点の浪速はワクチンとの絡み。『ナニワ・モンスター』で活躍した医師・菊間父子が浪速の医師会の固め役として登場してくる。桜宮市には、ウエスギ・モーターズの上杉会長に面談し、軍資金確保のための仕掛け人として動くためにスカラムーシュは出向く。極北市には、その後の世界遍歴のための要の品を入手する為でもある。ここで、あの天城資金が登場してくるからおもしろい展開となる。
 これを彦根新吾流構想の実現のための仕掛け作りストーリーとみれば、独立した短編と見ることができる。それだけちょっと飛んだエピソード展開となる。
 第4部との絡みの伏線としては、東京地検特捜部の福本康夫副部長が登場し、福本副部長に斑鳩室長が呼び出されるシーンが組み込まれている。そして、斑鳩室長が、原田雨竜という得体のしれない人物を福本のご指名に応じて、捜査資料室から引っ張り出してくることになる。この雨竜がスカラムーシュに対抗するくせ者なのだ。

 第3部 エッグ・ドリーム
 これは第1部の続編的位置づけになる。分社化された会社「プチエッグ・ナナミ」が名波まどか社長の下で、1日10万個の有精卵納入を成功させるに至る波乱万丈のサクセス・ストーリーを描く短編となる。その実現に重要な役割を果たす形で、真砂運送から分社化されたプチエッグ・ナナミの依頼のみに対応する子会社ができ、拓也が社長となる。なかなかおもしろい展開となる。
 この小説の中では一番短いストーリー展開。しかし、重要な人物が一人登場する。拓也の部下となる柴田さん。スカラムーシュ・彦根との深い因縁を持ち、また医師・菊間洋一とも関係している人物だったので、話が俄然面白みを加えることになる。
 第4部との絡みで言えば、雨竜がプチエッグ・ナナミを攻撃対象にするという展開が組み込まれていく。

 第4部 シロアリの饗宴
 この小説の核心がこの第4部だ。9月29日(火曜)から12月24日(木)の期間のおける攻防戦が描かれる。
 浪速府知事・村雨弘毅への支持率が高止まりした状況で、知事参謀の彦根が知事の座を投げ捨て、浪速市長選に立候補するという提案をする場面からストーリーが始まる。どこかで見聞したような・・・・。村雨陣営は騒然となる。スカラムーシュ・彦根の構想の虚が実に転換できるかどうか、その試金石でもあるこの提案からストーリーが展開していく。この第4部に、著者海堂の真骨頂が現れている。実におもしろい展開となる。
 図式的に見ると、彦根の計を踏まえて日本三分を主唱する村雨陣営には要となる3人の人物が居る。まず参謀の彦根。虚を実に転換しようとするスカラムーシュ。厚生労働省前局長汚職事件を摘発し、公判に持ち込もうとしている浪速地検特捜部の鎌形(通称カマイタチ)。キャメルパニックを収束させた陰の功労者、喜国忠義。彼は浪速検疫所紀州出張所の検疫官だが、村雨の目指すカジノと医療による独立国家建設という日本三分の計の一端を支えるべく、村雨の股肱の臣となっている。
 それに対抗するのが、東京を拠点とする官僚群だ。東京地検特捜部の福本副本部長を中心とする。省庁横断的組織防衛会議、別名ルーレット会議を主導していた斑鳩室長。福本が指名し、表に現れてきた原田雨竜。雨竜は財務省から警察庁に出向しているくせ者官僚。厚生労働省医療安全啓発室室長の八神直道。彼はインフルエンザ・ワクチンの不足を喧伝する役割を担う形で加担させられていく。
 村雨の日本三分の計を阻止するために、東京の官僚による中央統制主導派が反撃を始める。おもしろいストーリー展開となっていく。

 第4部の見出しだけ列挙してご紹介しておこう。
 24 ナニワの蠢動、25 神輿の行方、26 雨竜、動く、27 日本独立党、28 カマイタチの退場、29 軍師対決、 30 決心、31 邂逅、32 暴虐、33 スプラッシュ・パーティ、という展開となる。スプラッシュが「splash」だと、「(水・泥などを)はね返す、はなかける、はねかけてよごす」という意味になる。「splosh」という名詞だと「ぶちまけた水(の音)」という意味合いがある。このパーティは、「日本独立党」結党パーティである。その創設者にして初代党首は村雨である。会場で意外な事態が発生する。
 なかなかおもしろい展開となって終わる。スカラムーシュは、多分はやくもつぎの構想を思い描いているのではないか・・・・そんな気がする。スカラムーシュにとって、この期間の活躍も、一局面にすぎないのだろうと思われる。

 この小説で実に興味深いのは、スカラムーシュと彦根が呼ばれ始めた由縁が明らかになることだ。そこに今は拓也の部下、一運転手となっている柴田が関係していた。彦根新吾を覆うベールが一枚はがされる。それが重要な要素として書き加えられている。

 最後の最後が、今後の展開を期待させる。こんな文章が記されている。

  シオンは彦根に寄り添う。
  「お供します。どこへでも」
  そしてささやく。
  -- もう、離れない。
  唇に微笑。その腕が細腰を抱き、華奢なシルエットはぴたりと寄り添う。

そこに締め括りとして6行の文章が続いて、この小説はエンディングとなる。海堂ワールドの一つの局面が閉じられた。あとは、この小説をお楽しみいただくことである。

 ご一読ありがとうございます。

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「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
出版年次の新旧は前後しています。

『アクアマリンの神殿』  角川書店
『ガンコロリン』    新潮社
『カレイドスコープの箱庭』  宝島社
『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版


『光悦 琳派の創始者』 河野元昭編  宮帯出版社

2016-04-19 14:08:50 | レビュー
 2015年は琳派400年ということで、京都では各所で琳派関連の展覧会が催された。その中核は京都国立博物館での秋の特別展覧会「琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る」だったと思う。本書も奥書を見ると、2015年10月に出版されている。タイトルに惹かれて本書を手に取った。本書は光悦研究者の論文集である。本阿弥光悦とその周辺の関係者、並びに光悦の生きた時代との関係を、多角的な視点から論じている。
 光悦、宗達から始まり、琳派と呼ばれる流れの作品群に関心を抱く一般美術愛好者に過ぎない門外漢なので、本書における専門的な論及については、背景知識の乏しさから理解の及ばないところがある。研究者には研究者としての読み方があり、反論の余地があるのかもしれない。
 本書の各章は丁寧に論拠を提示して論理的に論述されている故に、その論点と主張点の香りを感じることは門外漢でもそれなりにできる。素人にとっても、本阿弥光悦がどういう人物だったのかという全体像を多面的に眺め、大凡のイメージを形成するのには有益である。己の関心に応じて光悦とその時代について理解を深める良きガイドとなった。

 まずは、本書が光悦に対し、どのように切り込んでいるか、目次のご紹介からはじめたい。全体は4部構成となっている。

 Ⅰ 序論  ここは編者・河野元昭(敬称略)が「光悦私論」を論じている。
 Ⅱ 光悦とその時代  5人の研究者が光悦と周辺の人々、時代との関係を論じる。
    光悦と日蓮宗         河内将芳
    近世初頭の京都と光悦村    河内将芳
    光悦と寛永の文化サロン    谷端昭夫
    光悦と蒔絵師五十嵐家     内田篤呉
    光悦と能 - 能役者との交流 天野文雄
    光悦と朱屋田中勝介・宗因   岡 佳子
    光悦と茶の湯         谷端昭夫
 Ⅲ 光悦の芸術  光悦芸術の領域を分担し、4人の研究者が論じている。
    美術愛好の視点からは、鑑賞のしかたを深める上でまず有益なガイドとなる。
    書画の二重奏への道-光悦書・宗達画和歌巻の展開   玉蟲敏子
    光悦の書                      根本 知
    光悦蒔絵                      内田篤呉
    光悦の陶芸                     岡 佳子
 Ⅳ 光悦その後  目利きの難しさがわかり、おもしろい。
    フリーアと光悦 - 光悦茶碗の蒐集  ルイーズ・A・コート
 
そして、巻末には、本阿弥光悦書状一覧、本阿弥光悦略年表、本阿弥光悦系図、参考文献がまとめられている。研究者ではない私には、略年表と系図がまず役に立つ。

 そこで、素人の読後印象を少し覚書を兼ねてまとめてみたい。これをきっかけに本書を手に取られるなら、お役に立つことになりうれしい限りである。

「光悦私論」は「桃山はバロックの時代だった。桃山芸術とはバロック芸術であった」という冒頭の一行で惹きつけられた。バロックという言葉が、スペイン語やポルトガル語でいびつな真珠を「バローコ」と呼ぶことに由来するということを初めて知った。バロックが芸術様式にとどまらず、人間におけるものの見方や考え方の発展原理だという立場を著者は援用している。そして、調和、安定、静謐という性格を持つ古典主義的な芸術に霊感を受けながら、光悦が個性的感覚的な芸術を生み出し、曲線、対照、韻律、動勢、装飾という特質を発揮する点を著者は指摘している。
「光悦私論」というタイトルの下で、その後、光悦上層町衆論、光悦村、俵屋宗達、光悦様、嵯峨本、金銀泥下絵和歌巻、光悦茶碗、光悦蒔絵、光悦の能、という小見出しの形で論述されている。つまり第Ⅰ部は本書の総論となっている。本書の全体像を知るガイドとしてわかりやすい。

 第Ⅱ部は光悦が京における上層町衆の立場で生きた時代の背景と、光悦の人間関係を様々な切り口から知る機会となり、理解を深める役にたった。光悦が日蓮宗を深く信仰していたこと、及び光悦村の建設が芸術村の創造という裏に日蓮宗信仰の理想郷づくりという側面があったこともなるほどと思う。「光悦町古図写」は「琳派 京を彩る」展で見てはいたが、その折り記載文字の判読ができす、鷹峯の光悦村については概念的イメージの域を出なかった。「近世初頭の京都と光悦村」には「光悦町古図より作成した光悦町の概要」図が掲載されていて、その説明から芸術村内の住民達の具体的な機能と光悦との関わり合いがイメージできおもしろい。
 光悦が活躍した時期が寛永文化の勃興期であり、後水尾天皇を中心とした文化サロンをはじめ、当時の文化人の様々なネットワークに光悦が深く関わっていたことが「光悦と寛永の文化サロン」の論文で具体的に納得できた。多面的な分野にわたる光悦の活躍はそういう人脈に繋がっていたことが基盤となり、光悦の作品はやはりそういう人々との関わりの中から生み出されたのだろう。光悦は天賦の芸術的才能を持つだけでなく、社交性を備えた人物だったにちがいない。そのネットワークを巧みに利用したともいえる。
 私は辻邦生著『嵯峨野明月記』という作品を介して、嵯峨本のイメージを持っていた。それ以上はあまり考えていなかった。上記特別展覧会で「光悦謡本」の展示を見たとき、謡本の作成も関わっていたのかと思った次第。だが、「光悦と能」という論文を読み、光悦には能役者との深い交流があり、能自体にも造詣が深かったことが理解でき、なるほどなと納得できた。単に仕事として依頼を受けて謡本を手掛けたというレベルではないということへの理解が深まった。本書を読まなければ、謡本まで手掛けていたのか・・・くらいの鑑賞認識で止まっていたところである。
 同様のことになるが、蒔絵や茶の湯の分野において光悦の背景を論じた上掲論文から光悦への理解が深まる。
 もう一つ、本書からのおもしろい発見は京の町人・朱屋田中勝介という人物が、江戸幕府の命を受けて、ノヴァ・イスパニア(現メキシコ)に渡航していたという事実である。中国や東南アジアとの交易として実施された天龍寺船、角倉船、御朱印船のことは多少知っていたが、朱屋田中勝介という人物の存在は初めて知った。光悦と関わっていた人物というから、一層興味深い。

 第Ⅲ部は光悦芸術の分野ごとで、その作品群そのものに関連した論文であり、作品鑑賞にはダイレクトに有益である。研究者の分析的視点が参考になり、作品鑑賞に広がりと奥行きを加えることができる。
 宗達と光悦の協働作業による和歌巻の創造に対し、「書画のデュオ(二重奏)」と名づけて位置づけるという論述は、なるほどと思う。「書画の二重奏への道」を読み、門外漢の私には「葦手」「歌絵」と称される領域があるということを逆に学ぶ機会ともなった。 「光悦の書」では、光悦の字形が素眼法師流の後に繋がる流派の中に居ながら、光悦流と呼ばれるスタイルを生み出されてきた点が理解できる。「当時の型に嵌まった和様書道」から光悦が抜け出た背景がわかり興味深い。「放ち書き」と「肥痩の変化」というキーワードが鑑賞を深める参考になる。
 「光悦蒔絵」の最後に、「『光悦蒔絵』という言葉は、光悦個人に帰納され易いが、むしろ光悦風意匠を持つ蒔絵の総称として『光悦蒔絵』と呼ぶのが適切と考えられる」と論じられている。蒔絵の作品から作者を同定する分析的な見方の論述プロセスが興味深い。意匠レベルと蒔絵の制作プロセスの関わり、専門の蒔絵師との関係などが複雑さを生み出すのだなと思う。光悦蒔絵として定説となっているのが13点だけということを、この論文で初めて知った。
 特別展覧会では、光悦茶碗の形と色合いに魅了されて見入っていただけだった。「光悦の陶芸」を読み、本阿弥光悦が茶碗制作をいつから始めたのかということ自体が考察対象となている。『本阿弥行状記』を基本史料として再考察しながら、京都における軟質施釉陶器の生産の隆盛期及び樂家と交信された光悦書状の分析を通じ、作陶開始の起点を推論されている。聚楽焼の呼称が現れる慶長10年代の初め頃から、樂吉左衛門と光悦の制作上の関係が始まり、作陶の起点となったという分析である。光悦は手捏ねと篦削りによる成形手法を採用している。樂家と深く関わりながら、樂家流の作風とは一線を画した光悦の美意識による作陶がなされたというところがおもしろい。また、光悦が「陶器を作る事は余は惺々翁にまされり」とか「強て名を陶器にてあぐる心露といささかなし」と述べているというから、一層おもしろい。
 
 第Ⅳ部は、アメリカの実業家チャールズ・ラング・フリーアの光悦茶碗の蒐集プロセスが語られている。第一印象は、茶碗の真贋判定の困難さという点である。多くの贋作をつかまされながら、試行錯誤で己の審美眼を磨き、本物を見分けるという能力を高めるしかないのだろう。そのことが詳細なレベルで感じ取れる論文である。この論文を読み、光悦作と陶磁器専門家の林屋晴三により認められているのは30点だけということも知った。それらにすら大半は「伝統的に」という留保を付けていると末尾の註は記す。古美術品の蒐集に伴う真贋判定の難しさである。この論文には、フリーアの蒐集に関わった古美術商として、画廊主高柳陶造、山中商会、松木文恭という人々が登場する。彼らは真贋問題という次元にはどういう関わり方の立場をとったのだろうか。真贋の責任には関わらないあくまで単なる仲介だけということなのか? 興味深いところだ。
 美術鑑賞好きの素人には、この「フリーアと光悦」が一番気楽に読めて、ある意味でおもしろい論文だった。この論文の末尾に付された「フリーア美術館所蔵光悦関係陶磁器コレクション」のリストに記された、フリーアとモースのコレクション品のそれぞれへの所見を読み比べていくと、古美術品の真贋判定がいかに難しいかが実感できる。古美術品コレクションというのは、騙されることを織り込んだ上で己の審美眼を信じるという行為なのかもしれない。

 琳派の創始者、光悦の全体像を深く知る導きとなる書である。光悦研究者にとっては、新たな学術的論争の起点になる書なのかもしれない。
 美術愛好者、読者にとって関心のある分野を部分読みできる書でもある。

 ご一読ありがとうございます。

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本阿弥光悦関連でのネット検索結果、関心事項を一覧にまとめておきたい。
本阿弥光悦  :ウィキペディア
本阿弥光悦  :「コトバンク」
【 あの人の人生を知ろう~本阿弥 光悦 】 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
本阿弥光悦について  :「琳派の世界」
本阿弥光悦覚え書き

鶴図下絵和歌巻(つるずしたえわかかん) :「京都国立博物館」
舟橋蒔絵硯箱   :「e國寶」
舟橋蒔絵硯箱〈本阿弥光悦作/〉 :「文化遺産オンライン」
舟橋蒔絵硯箱  :「岩崎研究室」
伊勢物語(嵯峨本) 国立公文書館所蔵資料特別展 将軍のアーカイヴズ
   :「国立公文書館」 
嵯峨本 徒然草 :「印刷博物館」
関西大学図書館電子展示室 伊勢物語
数寄者乃手鑑 本阿弥光悦 :「茶道表千家 幻の短期講習会-マボタン」
本阿弥光悦 :「樂焼」(樂美術館)
国宝・白楽茶碗 銘 不二山 本阿弥光悦作  :「サンリツ服部美術館」
集結、光悦ずくし。サンリツ服部&五島美術館 国宝白楽茶碗『不二山』を見たか!?
  :「KazzK(+あい)」
楽焼黒茶碗(雨雲)〈光悦作/〉  :「文化遺産オンライン」
光悦黒楽茶碗 銘七里  :「五島美術館」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  今野 敏  中公文庫

2016-04-13 10:06:04 | レビュー
 2003年2月に学研M文庫から『憑き物祓い』というタイトルで出版された作品である。それが2009年11月に『憑物(つきもの)』と改題され「祓師・鬼龍光一」をサブ・タイトルとして中公文庫に入った。第1作より一層「祓師」という言葉に直結する題名である。私の知る限り、このシリーズはこの2作目でとどまっていると思う。
 
 この第2作も前作と同じ警察小説とオカルト的な伝奇小説の融合であり、殺人事件に一層のバイオレンス要素が加味され、アクション化されたストーリー展開となっている。この小説でも、警視庁生活安全部少年一課に所属する富野輝彦巡査部長が凄惨な殺人事件の捜査活動に加わる羽目になる。そして連続して発生する殺人事件の性質から、再び祓師・鬼龍光一とコンビを組む形に進展し、そこに安倍孝景も加わってくることになる。
 鬼龍光一は、陰陽道の系統である「鬼道衆」の血筋をひく祓師。一方、鬼龍の説明では、安倍孝景は「鬼道衆」の分家筋にあたる「奥州勢」の血筋をひく祓師である。

 さて、最初の事件は渋谷のクラブ『フェロー』のダンスホールで起こった。そこは螺旋状の階段を下りた地下にあるクラブ。そのフロアに血まみれの15体の死体が転がっていた。なぜ、殺人事件現場に、捜査一課の田端課長ご指名で富野が呼び出されたのか?
 前作で富野が最終的にコンビを組んだ捜査一課の矢崎寛久刑事が事件現場に居た。矢崎は富野に言う。「クラブでガキどもが刃物振り回して殺し合ったんだ。抗争事件としか考えられないだろう。・・・・真夜中までこんな店で遊んでいるのだから、立派な非行少年だろう」と。だが、少年一課の富野の視点では、この凄惨な死体が非行少年には見えないのだった。殺人現場から離れようとした富野はふと奇妙なものに気づく。マドラーが明らかに意図的に並べられて六芒星(ろくぼうせい)が描かれていた。ダビデの星とも呼ばれる形である。富野は鑑識係員に依頼しその写真を撮っておいてもらう。

 捜査本部が渋谷署に設置され、富野は捜査本部に吸い上げられ捜査に加わることになる。田端課長は第一報を聞き、直感的に前作の連続暴行殺人事件と今回の若者たちの刃傷沙汰に似通った臭いを感じたのだ。そこで富野を予備班に組み入れ、遊軍として自由に捜査活動せようと考える。

 捜査本部ができ4日が過ぎた時点で、今度は六本木にあり、ダンスができるスナックといった感じの店『ウィッチタ』で従業員3人を含む13人が死んでいる事件が発生する。この事件も鑑識によると凶器は刃物だった。
 その現場に出向いた富野は、渋谷のクラブ『フェロー』で現場を検分していた人物をふたたびそこで見る。その男に声をかけると、その男は啓北大学医学部の八代と名乗る。凶悪犯罪が増加する中で、法医学の役割が重要になりつつある。検体を待つだけでなく、現場での遺体の状況を検分することが有益と判断して、警察に申し入れて連絡を受けているのだと彼は富野に説明した。富野は八代に興味をもつ。その八代が富野に「やり口が手慣れてきていますね」と印象を語った。
 その直後に、店の奥にあるテーブルの一つに視線を移した富野は、はっとする。3つのコースターすべてに黒いフェルトペンでの落書き、六芒星が描かれていたのだ。

 『ウイッチタ』を出た富野は、深夜にもかかわらず近辺に集まっている野次馬の中に、黒ずくめの男、鬼龍を見出した。富野は鬼龍が大量殺人の現場に現れたのは何か理由があるに違いないと思う。そこで、前回の事件で協力者となった鬼龍に六芒星のことを訪ねたのだ。鬼龍は「陰陽道系では、六芒星とは言わず、カゴメ紋といいます。誰もが恐れるのが、カゴメ紋だと言われています。それくらいに強い呪をかけることができるのです」と言う。
 
 一見全員が死ぬまで戦った様に見えるこの2つの事件は、六芒星/カゴメ紋が共通に残されていたことと、八代の意見を考慮して、捜査本部を本庁に移し合同捜査本部として新体制で取り組むことになる。
 富野は鬼龍に会わなければならないと思って高円寺のアパートに出向いていく。鬼龍は留守だったが、その近くで安倍孝景に出会う。孝景は富野に言う。カゴメ紋が関係するなら命にかかわる。特定の犯人が殺し合いをするように仕向けたのであり、誰かが呪いをかけているのだ断言するのだ。

 今度は白金6丁目、外苑西通りに面したビルの地下にあるバー『ビタースイート』で事件が起こる。6体は暴力団風、1体はバーテンダーと思われる遺体だった。その現場で、富野はちょっと洒落たライト、電球に竹で編んだ籠をかぶせたような和風ライトを見て言葉を失う。駕籠の編み目はカゴメ、つまり六芒星の形だった。八代が気づき富野に知らせたのだ。
 やはり、その現場付近に、鬼龍と安倍が来ていた。
 ここから、富野と祓師鬼龍、安倍との具体的な連携が始まって行く。捜査活動の進展と併行しながら、富野と鬼龍・安倍の行動も展開することになる。

 この小説の構成として興味深いのは、次々に発生する一見殺し合い風の殺人事件の描写及びその捜査活動を描くストーリーの流れと、何人もの人を殺していく男の心理・行動を描くストーリーの流れとの2つが交互に織り交ぜながら展開されていくところにある。その男は亡者(/外道)に取り憑かれている。その男は亡者にされたのだ。背後には親亡者が存在する。
 さらにそこにカゴメ紋という強力な呪が加わわっている。祓師たちは、これら一連の事件がはっきりとした意図を持ち、犯行場所も選ばれていると分析する。いままでの3つの事件に加えてさらに3ヵ所での同一の犯行を重ねると予測すらする。
 発生した事件の解明のための捜査活動に併せて、今後の犯行の予測という要素が加わってくるという展開の面白さがある。
 また、鬼龍が富野に対し、鬼龍と同類の霊的な力を秘めている由縁を富野の血筋に遡って説明していくのだからおもしろくなる。富野は己の秘められた力に気づいていないだけなのだと。
 さらに、鬼龍は恐ろしい予測をする。犯人は「蠱術(こじゅつ)」という呪術の一種をやろうとしているというのである。

 合同捜査本部の会議で、富野は犯行現場に共通して残された六芒星の形を踏まえ、オカルトマニアの異常な犯罪の可能性を強調する。犯行現場で六芒星を描こうとしている可能性を説明すると、現実主義の刑事たちから反発が起こる。だが、ろくな手がかりがないので、富野の説明に乗ってみると田端課長が発言する。富野の説明が的を射る方向に進展し始める。富野は田端課長から本部で情報の整理担当を指示されるのだが・・・・。

 過去3件の事件を踏まえ、これから起こりうると予測される3件の事件。その捜査活動がどう展開するかがおもしろいところである。さらに、カゴメ紋という強力な呪を使い、「蠱術」という呪術の一種を使おうとする見えない相手に対して、その脅威を知りつつ鬼龍と安倍がどう立ち向かうのか、そして秘められた能力を持つという富野がどういう働きを見せるのか、そのあたりが読ませどころとなる。
 私にとって興味深かったのは、最終局面で鬼龍が「まず、蠱術の憑物を落とす」と言って行う祓いの儀式シーンの描写である。前作までになかった祓師として行う術法の具体的なプロセス描写が出てくるからである。
 そして、このストーリーもまた、意外な展開と結末を迎える。小説ならではの展開であり、このエンターテインメントでひとときを楽しむことができるだろう。
 
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【どう違うの?】ヤンキー、チーマー、チンピラなど...ワルの分類をまとめてみた
:「NAVERまとめ」
チーマー  :「日本語俗語辞書」
カラーギャング  :ウィキペディア
カラーギャング :「日本語俗語辞書」
ストリートギャング  :ウィキペディア
危険すぎる世界のギャングまとめ   :「NAVERまとめ」
スタジャン   :「着こなしガイド」
スタジャンの人気ランキング(メンズ)  :「ZOZOTOWN」
監察医  :ウィキペディア
六芒星  :ウィキペディア
六芒星(ダビデの星)について :「ヘブライの館2」
かごめ歌の暗号を六芒星で解くと1ドル札のピラミッドの目が
ダビデの星と篭目紋は関係ありますか。:「YAHOO!知恵袋」
安倍晴明判紋  :「『陰陽師』の小部屋」
五芒星  :ウィキペディア
最凶の毒! 古代中国の禁術が蠱惑する医学と呪術の危うい接点とは   :「cakes」
巫蠱(ふこ)の術

陰陽道  :ウィキペディア
神道と陰陽道  :「出雲大社紫野教会」
陰陽道とは  :「UMIN SQUARE」

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)


『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  今野 敏  中公文庫

2016-04-11 10:21:51 | レビュー
 前回ご紹介した『鬼龍』で触れているが、この作品では、「鬼道衆」の血筋をひく祓師(はらいし)の鬼龍光一が主人公として登場する。『鬼龍』では鬼道衆として修行の身だった鬼龍浩一が主人公だった。この小説では「浩一」が「光一」に改称されているが、その発展型といえるだろう。なぜなら、鬼龍光一の住所が、杉並区高円寺、大和陸橋のそばで、今時、学生も住まないような安アパートなのだから・・・・。そして、まだ修行の身なのだと、鬼龍に語らせている。

 この小説は、『鬼龍』とは異なり、殺人事件の捜査という警察小説ストーリーに陰陽道の系統である悪霊祓いを仕事とする祓師が関わって行くとハイブリッド型作品となっている。捜査活動に悪霊祓いという行為、オカルト性を加えたエンターテインメントである

 そこで、主な主人公をまず紹介する。殺人事件発生により、捜査本部が設置されることから、数名の刑事が直接に関係していくがストーリーの中心になるのは冨野輝彦巡査部長である。彼は警視庁生活安全部少年一課勤務であり、本来なら殺人事件は担当外。しかし、事件の性格上捜査本部に特に指名により加わっていく形になっている。この冨野は本人が気づいてはいなのだが、じつは陰陽道に携わる鬼龍からみれば、冨野にはオカルト的現象に対するかなり鋭敏な感性を身につけているという。このあたりがおもしろい設定でもある。捜査活動と祓師の行動とのリンキングの立場になっていく。
 殺人事件の背後に潜む亡者そのものを祓うという使命から、発生した殺人事件に警察の捜査活動とは無関係に関わり始めるという形で、祓師・鬼龍光一が登場する。
 ここでさらに構図的に面白さを加える点が2つある。その一つが、安倍孝景の登場である。彼は「奥州勢」の血筋をひく祓師である。祓師として「鬼道衆」の鬼龍光一にライバル意識を露わにみせる。鬼龍光一は常に黒のジャケット、黒のズボン、黒いシャツに黒の靴という黒ずくめの服装で事件現場に登場する。一方、安倍孝景は対照的に、銀色の髪で、白ずくめの服装という出で立ちである。祓師として行う術法も対極的な形に設定されていておもしろい。また祓いの対象とする悪霊を鬼龍は「亡者」と呼び、安倍は「外道」と呼ぶ。
 もう一つが、鬼龍光一・安倍孝景による悪霊祓いというオカルト的次元の行動に対しての現実的構図である。捜査本部に本宮奈緒美が加わる。警察庁の刑事課長の推挙により、殺人事件に対する分析スタッフとして組み込まれて来る。彼女はシリアル・ケースの犯罪という異常犯罪の専門家であり、臨床心理学者なのだ。つまり、オカルト的次元の分析・見識行動に対して、科学的次元の分析・見識が対比され、展開していくという構図がある。
 富野輝彦、本宮奈緒美、鬼龍光一、安倍孝景が事件解明に関わる主な登場人物というところになる。そこに捜査一課の矢崎寛久刑事、渋谷署の寺本刑事などが加わる。

 高校生くらいの年齢の肉づきで、生前は美少女だったに違いないと思われる全裸死体を富野輝彦が見下ろしている場面からストーリーは始まる。暴行陵辱のうえでの惨殺という異常な事件。それは、手口が似ていて同一犯人の仕業とおもえる3件目の事件だった。いくつかの目撃証言から、犯人は少年らしいということになり、少年による少女の連続殺人事件と判断され、少年一課から富野が参加することになったのである。そして、上の方からのお声かかりで参加した本宮奈緒美は、刑事たちからは疎まれる立場であり、結果的に富野と本宮が組まされる。富野は暫定的な相棒となる本宮とともに予備班扱いとなり、捜査活動に従事する。
 殺人事件の現場にマスコミのレポーターが集まっている。その中に交じっていて少し異質な雰囲気の人物に富野は気づく。近づいて行き、富野が職務質問すると、その男は鬼龍光一と名乗り、職業はという質問に、「お祓い師かなあ・・・・」と答えたのだ。
その3日後、婦女暴行事件が発生する。井の頭公園内を逃走中の犯人に鬼龍がお祓いを終えた直後に、富野が追いつく。鬼龍と言葉を交わした後、地面をかきむしるようにして泣く若者を富野が逮捕する。犯人の素性が直ぐに判明する。というのは、その若者(安原猛)に本宮が少年鑑別所で面談したことがあったからだった。

 二度までも事件の過程で鬼龍と出会った富野は、鬼龍の住む高円寺のアパートに訪ねて行く。こんな会話が交わされる。
 「どうせ祓うなら、今度は、罪を犯す前にしてもらいたいな」
 「できればそうしたいんですけどね・・・・」
 これを契機に、富野は鬼龍に捜査活動で得た情報の一端を提供するに至る。結果的に鬼龍は事件の解決に協力していく
 
 新たな連続少女暴行殺人事件が発生する。この一連の事件は犯人・木島良次の視点からストーリーが展開する。捜査本部が立ち上がり、再び富野・本宮が組み込まれていく。木島の視点での犯行に到る描写と富野・本宮の二人組の視点での捜査プロセス描写が織り交ぜられつつストーリーが展開していく。
 凝り固まった陰の気を探し歩く形で鬼龍は行動していた。富野は事件現場付近で、鬼龍を見出す。そこに「悠長なことを・・・」と揶揄するごとき発言で安倍孝景が現れてくる。奥州勢も動き始めていた。富野の質問に鬼龍は答える。「鬼道衆の分家筋です。奥州勢と呼ばれる連中の一人、安倍孝景」と。
 さらに、仲根亜由美、下村達也という高校生が加わってくる。彼らもまた、何者かにより亡者にされたのだ。この二人には陰の気を追うことから安倍と鬼龍が先にアプローチできることになる。そして、亡者祓いを行うのだが・・・・。だれから亡者にされたのかが網の目のように繋がって行くという展開となる。どうつながるかが、おもしろいところ。このストーリー展開の読ませどころとなる。
 木島良次の犯行が重なるにつれ、富野は鬼龍との情報交換を深める一方で、田端課長の指示を受け、本宮との二人組を解消し、矢崎刑事と組み事件を追うことになる。本宮は寺本刑事と組む。この組み替えが波紋を広げる。

 亡者が亡者を作るという連鎖。それを断ち切るには、親亡者に行きつくしかない。事件が連続して起こるにつれ、富野は亡者・外道という捉え方を認める方向に深化し、捜査活動との協働をはかる方向に突き進む。それは、殺人事件を専門とする刑事ではない警察官富野の職務柄と富野の感性からの発想と行動として描かれる。一方で、本宮奈緒美の臨床心理学者としての分析が重ねられていく。オカルト的アプローチと科学的分析的アプローチ。そして刑事本来のアプローチ。異なる観点の織り交ぜかたがストーリー展開を興味深くしている。
 捜査活動、親亡者の追跡のクライマックスはとんでもないどんでん返しとなる。
 
 ストーリーとはまったく別に『鬼龍』との対比での印象がひとつある。『鬼龍』は本宮からの指示にしたがい、依頼を受けた案件への対処を鬼龍浩一は修行として実践していた。この作品で鬼龍光一は鬼道衆の祓師として修行中の身となっている。しかし、依頼主も本宮の指示もないように思える。鬼龍光一が独自に修行のために行動しているところが、少しおもしろい。祓ってお金になるわけではない。安倍孝景もそうである。彼は鬼龍光一に対抗する形で登場してくる。このあたり、警察小説としてのストーリーに組み込まれたことによる結果か・・・・。

 警察小説とオカルト的な伝奇小説の融合は小説という世界だからこそ楽しめるエンターテインメントなのかもしれない。現実にあったら恐ろしい。このシリーズの特徴なのか、著者はこの作品でも少しエロチックなシーン描写を取り入れている。それも併せて、ひととき楽しめるストーリーである。

 ご一読ありがとうございます。
 
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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)

2016-04-03 18:20:14 | レビュー
「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。

こんな作品を興味・関心の趣くままに読み継いできています。お読みいただけるとうれしいです。

更新4版のリストの上に、2015年12月までの読後印象記掲載分を追加しました。
読み進めた順番の単純積み上げですので、出版年次の新旧は前後しています。

『マインド』 中央公論新社
『わが名はオズヌ』 小学館
『マル暴甘糟』 実業之日本社
『精鋭』 朝日新聞出版
『バトル・ダーク ボディーガード工藤兵悟3』 ハルキ文庫
『東京ベイエリア分署 硝子の殺人者』 ハルキ文庫
『波濤の牙 海上保安庁特殊救難隊』 ハルキ文庫
『チェイス・ゲーム ボディーガード工藤兵悟2』 ハルキ文庫
『襲撃』  徳間文庫
『アキハバラ』  中公文庫
『パラレル』  中公文庫
『軌跡』  角川文庫
『ペトロ』 中央公論新社
『自覚 隠蔽捜査 5.5』  新潮社
『捜査組曲 東京湾臨海署安曇班』  角川春樹事務所
『廉恥 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『闇の争覇 歌舞伎町特別診療所』  徳間文庫
『熱波』  角川書店
『虎の尾 渋谷署強行犯係』  徳間書店
『曙光の街』  文藝春秋
『連写 TOKAGE3-特殊遊撃捜査隊』  朝日新聞社
『フェイク 疑惑』 講談社文庫
『スクープ』 集英社文庫
『切り札 -トランプ・フォース-』 中公文庫
『ナイトランナー ボディガード工藤兵悟1』 ハルキ文庫
『トランプ・フォース 戦場』 中公文庫
『心霊特捜』  双葉社
『エチュード』  中央公論新社
『ヘッドライン』 集英社
『獅子神の密命』 朝日文庫
『赤い密約』 徳間文庫
『内調特命班 徒手捜査』  徳間文庫
『龍の哭く街』  集英社文庫
『宰領 隠蔽捜査5』  新潮社
『密闘 渋谷署強行犯係』 徳間文庫
『最後の戦慄』  徳間文庫
『宿闘 渋谷署強行犯係』 徳間文庫
『クローズアップ』  集英社
『羲闘 渋谷署強行犯係』 徳間文庫
『内調特命班 邀撃捜査』 徳間文庫
『アクティブメジャーズ』 文藝春秋
『晩夏 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『欠落』 講談社
『化合』 講談社
『逆風の街 横浜みなとみらい署暴力犯係』 徳間書店
『終極 潜入捜査』 実業之日本社
『最後の封印』 徳間文庫
『禁断 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『陽炎 東京湾臨海暑安積班』  角川春樹事務所
『初陣 隠蔽捜査3.5』   新潮社
『ST警視庁科学特捜班 沖ノ島伝説殺人ファイル』 講談社NOVELS
『凍土の密約』   文芸春秋
『奏者水滸伝 北の最終決戦』  講談社文庫
『警視庁FC Film Commission』  毎日新聞社
『聖拳伝説1 覇王降臨』   朝日文庫
『聖拳伝説2 叛徒襲来』『聖拳伝説3 荒神激突』  朝日文庫
『防波堤 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『秘拳水滸伝』(4部作)   角川春樹事務所
『隠蔽捜査4 転迷』    新潮社
『デッドエンド ボディーガード工藤兵悟』 角川春樹事務所
『確証』   双葉社
『臨界』   実業之日本社文庫


『鬼龍』  今野 敏  中公文庫

2016-04-03 17:57:23 | レビュー
 作品の出版というのはけっこう変遷がありおもしろいものである。現在、中公文庫に「鬼龍(きりゅう)」に関連する本が3冊含まれる。私が最初に読んだのは『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』で、引き継いで『憑物 [祓師・鬼龍光一]』を読んだ。これらを読んでいたときに、冒頭の『鬼龍』が同文庫で出版されているのを知った。
 作品が出版された経緯を跡づけると、『鬼龍』が一番早くて1994年11月にカドカワノベルズで出版されている。そして、『陰陽祓い』(学研M文庫)が2001年7月に、『憑物祓い』(学研M文庫)が2003年2月に出版された。この後者2冊が、中公文庫にまず改題されて入った。前者が『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』として2009年10月、後者が『憑物 [祓師・鬼龍光一]』として2009年11月に。その後で『鬼龍』が2011年5月に文庫本化された。

 著者の発想・構想と作品化の流れから言えば、やはり私が読んだ順序より、発表された時系列でその読後印象をまとめてご紹介する方が良いだろうと思う。
 最初にまず明確にしておきたいのは、作品化の段階での出版社との関係なのかもしれないが、主人公の名称が変化することである。『鬼龍』は主人公が「鬼龍浩一」として登場する。そして、祓師を冠する後の2冊では「鬼龍光一」となる。
 もう一つ、『鬼龍』における鬼龍浩一は東京に住み、本宮から指示を受けて「亡者祓い」を修行の身として実践中の段階を描く。つまり、「亡者祓い」を請け負う形のストーリー構成で始まった作品である。一方、祓師・鬼龍光一は独り立ちした「亡者祓い」のプロとして登場する。そして、それは警察小説として、事件絡みの中での亡者祓いというストーリーに構成が発展している。こういう点が大きく異なる。
 読者の立場からは、鬼龍浩一=鬼龍光一と考えて読み進めても何ら支障なくこのシリーズを楽しめる。つまり、『鬼龍』は「祓師・鬼龍光一」誕生の原点となる作品であり、「亡者祓い」そのものに重点が置かれているとも言える。
 それでは、まず原点となる『鬼龍』の読後印象記から始めたい。

 まず、鬼龍浩一の立場を明確にしておこう。鬼龍浩一は鬼道衆の末裔であり、「亡者祓い」の能力を磨く修行中の身である。鬼道衆の本宮は奈良県桜井市にあり、今は一応宗教法人の形を取っている。浩一の祖父・鬼龍武賢彦(たけさかひこ)が鬼龍本宮の神主であり、父・春彦は本宮の禰宜の立場に居る。浩一は祖父・武賢彦の指示を受け、東京に出て高円寺にある安アパートの一室に住み、修行中なのだ。実際に「亡者祓い」をすることが修行なので、強力な亡者に逆に敗れて、亡者の餌食となるか、あるいは命を滅ぼす危険性がつきまとう。もし敗れれば鬼道衆の役立たずとして祖父及び父から棄てられるという冷厳な境遇に放り込まれている。武賢彦が信者から秘密裏に依頼を受けて「亡者祓い」を請負い、浩一に指示が出され、浩一が「亡者」に対決していくことになる。
 つまり、鬼道衆の氏子の依頼で請け負われた問題事象を第一線で引き受けて、その問題事象の背後に潜む「亡者」を祓い、問題解決をする。鬼龍浩一は「修行のために亡者祓いをやらされているので、多額の金を貰えないのは当然だった。料金は、直接鬼道衆の口座に振り込まれる」(p63)のだ。高円寺の安アパートに住む浩一のささやかな夢は、「いつかは、安アパートを脱出して、港を見下ろす高級マンションに住みたい」というもの。太陽蓄気法という鍛錬を、高級マンションの広いベランダで、海から昇る太陽にむかってやりたいという。そんな夢をもつ修行中の鬼龍浩一像がまずおもしろい。

 この小説は大きく捕らえると、2つのストーリーが太い軸として交錯しながら展開していく。
 一つは請け負いとして、与えられた問題の「亡者祓い」を鬼龍浩一がどのようにアプローチし、どういう具体的な対処をして、問題事象を解決するか。武賢彦から与えられた修行のハードルを乗り越えられるかという課題解決型ストーリーの展開である。
 この流れでは、2つのストーリーが織りあげられていく。まず最初は、『スクランブル女学園』というテレビのバラエティ番組に出演するタレント・中沢美紀に取り憑く亡者を祓うという仕事。テレビ局内のスタジオ・楽屋・編集室がその舞台となる。中沢美紀に取り憑く亡者は、美紀の肉体の魅力を餌に陰の気を充満させ、男たちを虜にしていこうとする。鬼龍浩一は繰り広げられるエロチックなシーンに割り込んで、邪気を祓い亡者を退散させようと行動する。著者の数多い作品を読んできたが、多少妖艶な場面を描くというのはあまり無かったように記憶する。この小説はその数少ない方の描写が所々に出てくるというのも、興味深い。

 「亡者祓い」その2は、日本橋に大きな自社ビルをもつ『小梅屋』という総合食品加工の株式会社が舞台となる。3ヵ月ほど前に発生した一役員の自殺未遂を発端に、次々に異変が発生する。指示を受けた浩一は、不況による経営不振が原因ではないかと反論するが、三流探偵みたいな推理で余計なことを考えず、「亡者祓い」に臨めと父に一蹴される。「経営不振で、雰囲気がよどんでいるとしたら、陰の気が集まりやすい。最も人間が亡者になりやすい環境じゃないか」と。
 浩一は鬼道衆の本家が手配した段取りに従い、『小梅屋』が出資する外食産業、ファミリー・レストランのチェーンである「リトル・プラム」からの研修派遣者という立場で、この総合食品加工会社に出向いていく。調査には一定期間が必要であり、その会社内を比較的自由に動き回れる立場がまず必要だからである。
 浩一は、人事課にまず出向くことから始めるのだが、会社の受付嬢の一人から早くも陰の気を感じる。そして、徐々にこの『小梅屋』の中に充満する陰の気、亡者の存在の深みに足を踏み入れていくことになる。テレビ局での「亡者祓い」は前座話で、『小梅屋』での「亡者祓い」がこのストーリーの核心展開かと思っていたら、そうではなかった。2つの「亡者祓い」が密接に繋がっていくという意外性が仕組まれていて、なかなかおもしろい展開となる。修行中の浩一にはかなり過酷な試練となっていく。ちょっとエロチックなシーンの描写も加えながら、伝奇エンターテインメントとしては楽しませてくれる筋立てになっていると思う。

 もう一つのストーリーは、浩一がテレビ局での「亡者祓い」を終えて、安アパートの201号室に戻った時から始まる。アパートの部屋の前に、待ち人が居たのだ。
 その人は東城大学文学部歴史学科、院生の久保恵理子と名乗る。彼女は古代史の手がかりとして鬼伝説を研究しているという。奈良の鬼道衆の本宮を訪れ、鬼龍武賢彦に会ったという。そして、鬼龍が鬼の一族であり、鬼については浩一に尋ねよと助言したようなのだ。恵理子は修士論文がかかっているという。そして恵理子は立て続けに浩一に質問を投げかける。鬼とトミナガスネ彦の関係は? 龍と鬼の関係は? ニギハヤヒの命と鬼の関係は・・・? という具合に。
 追い返してもいずれ再訪するだろうと、浩一は一旦部屋に恵理子を入れる。恵理子は浩一に鬼道について聞きたいというのだ。浩一の祖父・武賢彦が浩一なら丁寧に教えてくれると助言して、説明する役割を浩一にふったのである。
 武賢彦の意図は? どうも恵理子の人柄を見込み、浩一と夫婦の契りを結ぶ相手として相応しいと考えた節がありそうだ。
 こちらは、鬼及び鬼道衆について、恵理子の疑問、質問に浩一が知っていることを教えるというストーリーの展開となる。このプロセスで鬼道衆の古代からの歴史的背景が解き明かされていく。私を含めた読者にとっては、社会・歴史・宗教という領域で「鬼」「鬼道衆」がどのような位置づけになるのかが理解できる格好のプレゼンテーション文脈になっている。結構興味深い語りの部分である。「亡者祓い」という伝奇的ストーリーの中で、語られていくことである。
 鬼・鬼道衆というものが学問研究の観点からは、どのように認知され評価されているのかは知らない。しかし、この分野についての著者の知識・関心の広がりと蘊蓄を、浩一の語りとして読むことになる。ある意味では、アウトサイダー的視点から日本の歴史を捕らえ直す上での参考になる。
 ここでの語り、情報は、当然ながら、「祓師・鬼龍光一」として、ストーリーがステップアップした構想での展開されるときにも必然的な基礎的背景情報となっていく。

 私個人としては、この「亡者祓い」という伝奇エンターテインメントのストーリーを楽しみながら、実はこちらの鬼、鬼道衆の話の流れに、一層の関心を抱いた。

 この2つめの観点で触れられている見方の大凡をご紹介しておこう。
*鬼道という言葉は『魏志倭人伝』(=三国志魏書東夷伝倭人条)に記載されている。そして卑弥呼についての記述に「鬼道を事として能く衆を惑わす」と出てくる。
*鬼道衆は陰陽道の一派。役行者や安倍晴明よりも古い。
*卑弥呼の鬼道は海の民の太陽信仰と山の民の拝火信仰の両方を受け継ぎ、中国の道教的な信仰も加味していた。
*出雲族(オオクニヌの民族)は龍や蛇をトーテムとし、スサノオ(=牛頭天王)の民族、天ノヒボコの民族は牛をトーテムとしている。
*斐伊川は上流の鉄山と関係し、鍛治部(かぬちべ)と関連していた。そこにヤマタノオロチ伝説が絡んでくる。この伝説は民族間の戦いが象徴的に転換された話。
*日本人のルーツがシュメール人という説(三島敦雄)や天孫民族バビロン起源説(原田敬吾)などに光をあてる。『復元された古事記』(前波仲尾)の幻の論文にも言及する。
*シュメール系出雲族と朝鮮半島系スサ族という図式。スサノオはスサ族の男を意味する。スサ族は朝鮮半島北方のツングース系ともいわれる。出雲族は鬼道衆のルーツ。
*鬼とは、高天原系民族(天つ神)に従わなかった先住民。一般に鬼と言われるのは、出雲系の民族である。
*鬼の正体は、まつろわぬ民が崇めた神や、その一族そのもののことである。

 歴史をどう読むか、ロマンが溢れる話が語られて、実におもしろい。官製歴史観とは異なる歴史解釈がストーリーの背景を支えていくことで「亡者祓い」という伝奇エンターテインメントに奥行きが加わっている。時間軸・空間軸が広がることで一層伝奇ストーリーが楽しめる書となっている。

 ご一読ありがとうございます。

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この本の第二の話の筋に関連する関心の波紋で調べて見た事項を一覧にしておきたい。
鬼とは何か~その2 :「黄昏怪奇譚」
「鬼」とは何か?  :「ことば逍遙記」
鬼とは何か?    :「縄文村」
牡牛(鬼)の文化と龍の文化 :「黄昏怪奇譚」
日本の鬼の交流博物館 :「福知山市」
魏志倭人伝 現代語訳 :「邪馬台国の会」
東夷伝(原文と和訳) :「古代史レポート」
「日本人シュメール起源説」の謎  :「ヘブライの館 2」
32.江戸川乱歩も驚いた!? シュメール語訳『古事記』の謎(1998.6.18)
    :「Reconcideration of the History」
原田敬吾氏と「バビロン学会」(5):「akazkinのブログ」
  この(5)から最初の記事まで遡及する形でリンクして表示されます。
『天孫人種六千年史の研究』 三島敦雄著 :「日本のルーツ研究と弥栄へのシフト」
元伊勢・籠神社と『天孫人種六千年史の研究』〈1〉 :「追跡アマミキヨ」
ヤマタノオロチ  :ウィキペディア
「ヤマタノオロチ」伝説  :「出雲観光ガイド」
八岐大蛇伝説:「土石流災害」多発の陰にある「複合的要因」:「HUFF POST SOCIETY」

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
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『マインド』 中央公論新社
『わが名はオズヌ』 小学館
『マル暴甘糟』 実業之日本社
『精鋭』 朝日新聞出版
『バトル・ダーク ボディーガード工藤兵悟3』 ハルキ文庫
『東京ベイエリア分署 硝子の殺人者』 ハルキ文庫
『波濤の牙 海上保安庁特殊救難隊』 ハルキ文庫
『チェイス・ゲーム ボディーガード工藤兵悟2』 ハルキ文庫
『襲撃』  徳間文庫
『アキハバラ』  中公文庫
『パラレル』  中公文庫
『軌跡』  角川文庫
『ペトロ』 中央公論新社
『自覚 隠蔽捜査 5.5』  新潮社
『捜査組曲 東京湾臨海署安曇班』  角川春樹事務所
『廉恥 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『闇の争覇 歌舞伎町特別診療所』  徳間文庫

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新4版 (45冊)