遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『警視庁公安部・片野坂彰 紅旗の隠謀』  濱嘉之  文春文庫

2022-12-24 17:14:23 | レビュー
 警視庁公安部・片野坂彰シリーズの第3弾。文庫書き下ろしとして2021年1月に刊行された。

 茨木県石岡市にある県営住宅地。ベトナム人が多く住む所で、家畜泥棒の頭領チャン・クンが殺された。日本にアジトを構える上海系チャイニーズマフィアの参謀格の男が部下に命じたのだ。命じられた部下は、最近チャイニーズマフィアの傘下に入ることを決めたベトナム人のヤンを試しに使った。彼らはチャン・クンとは違い、家畜泥棒をした上で繁殖させて事業にするということを行っていた。だから早めに敵を始末しようとした。プロローグはこの事件の顛末で始まる。

 この事件が発端で、ベトナム人の不法残留コミュニティの存在が明らかになり、警察庁警備局外事課の理事官はこの問題への対応に迫られる。理事官は片野坂にデータ解析を依頼した。片野坂は理事官から聞き出した警視庁ビッグデータ内の保管場所とキーワードを確認しアクセスする。片野坂はこの基本データが宝の山だと認識した。マフィアの裏の繋がりも見えて来るのではと香川も同意する。このストーリーは実質的にここから始まる。この事案で白澤のハッキング技術が遺憾なく発揮されることになる。

 <第一章 京都の情報>は、場面が一転する。片野坂が京都の先斗町にある小料理屋で、押小路に逢い情報収集する。押小路は京焼窯元の末裔で、骨董の世界に転じ今ではアンダーグラウンドの世界とつながっている人物。二人の会話は新型コロナウイルスの話題から始まり、中国、北朝鮮の動向からさらに世界情勢の分析まで進展していく。
 片野坂を中核にしたこのシリーズは、一挙に視野が国際情勢にまで広がり、その中で日本国内の問題が位置づけられて捜査が進展するというおもしろさがある。ここでの情報交換は、いわば背景づくりになっている。

 <第二章 長官官房総務課>では、片野坂は警察庁長官官房総務課に福岡県警から出向してきている植山重臣補佐との会話から、池袋に中国人富裕層相手の売春組織があるという話を聞く。植山は県警時代のタマ(協力者)、残留孤児三世の中国人からその情報を得たという。片野坂はそのタマからさらに情報を得られれば、その事案を引き受けると約束した。このとっかかりの情報を片野坂は早速、香川と情報の共有をする(第三章)。
 片野坂は植山から得た情報をもとに視察拠点の設置(第四章)に取りかかる。捜査への足がかりが作られる。この事案の捜査が動き始める。

 この第3作は、第1・2作と対比すると、少し特異なストーリー構成になっている。
 事案の捜査へのいわば種まき(着手)が終わると、ストーリーは、片野坂と香川の会話内容が、国際情勢の分析と警察観点での日本への影響というマクロ視点による情報交換という場面描写が頻出するようになっていく。リアルタイムに近い形で世界情勢の分析が展開されるので実に興味深い。勿論その分析結果は、片野坂が事案として取り組み始めた案件との接点がある。そこから具体的な捜査事項が抽出されていく。だが、読者にはその捜査事項がかなり直接の事案とは距離があるように感じる。片野坂、香川が直接主体的に扱う部分は、読みながら既に着手している事案とどのようにつながるのか、予測しがたい感じ、迂遠さを感じるくらいである。

 どちらかといえば、中国、北朝鮮、韓国という近隣諸国を軸にしながら、西欧・ロシア・アメリカ等世界諸国間の情勢を分析するウエイトが高いインテリジェンス小説という印象が濃厚である。
 読者にとり、このストーリーに描写される世界の情勢分析は、同時代性という観点で、考える材料として参考になり興味深いものがある。この小説に絡むフィクション部分を捨象するとその世界情勢分析は事実を踏まえて著者が己の分析を吐露していると思われる。

 この第3作には新風が生じてくる。第2作に登場した望月健介が片野坂のチームメンバーに加わってくる(第5章)。外務省から警察庁に移籍して、警視庁に出向する形をとって・・・・。
 香川は中国の上海浦東国際空港で引き起こした発砲事件のために、中国本土には近づけなくなった。この事後処理に片野坂は暗躍する一方、独自人脈も築き始める(第8章)。 望月は、香川に代わり中国本土に国際出張することから、早速情報収集活動の戦力として動き始める(第10章)

 香川は池袋の中国人富裕層相手の売春店の情報収集・分析を手がけていた。だが、この店が出撃拠点となり、日本国内での山林の広大な土地取引に結び付き、その取引がさらに植物だけでなく、”動物の種”をターゲットにしているという情報にリンクしていることを突き止める。「食の簒奪」という黒い闇、違法行為にリンクしていく(第8章、第9章)。勿論、片野坂と香川はその裏付け捜査に着手する。
 副次的に、読者は牛・豚の飼育と地産という事項について、実態情報の一面を知るということにもなる。この点も普通なら表には出て来ない業界話・裏話として興味深い。

 望月は中国本土に出張しチャイニーズマフィアの情報収集をする。この「食の簒奪」にリンクする重要な情報を収集する役割も担っていくことになる。
 さらに、香川はスイスへ、望月はトルコへと出張する。片野坂がターゲットとしている現在の事案に絡む金の流れの確認である。そして、香川と望月は事実捜査のためにルガノに潜入する(第11章)。

 このストーリーは事案解決のために世界各地に捜査活動を拡大して行くというところがおもしろい。捜査権のない外国で、彼らがどのような活動をするかである。一方、ブリュッセルを拠点としながらも、新型コロナ感染の拡大で居所を転々と変えながら、裏方的な役割を果たす白澤が重要な情報を次々に片野坂にフィードバックしていくところがいい。
 そして、最終的な強制捜査(第12章)に突入していく。普通のストーリー展開でいえば、日本国内の直接現場それぞれの地道な捜査活動の累積が描き出されるはずだが、そのフェーズがほとんど表面には出て来ない。片野坂のチームが担当している側面に焦点が当てられているからともいえる。だが、この点が従来のストーリー展開と比べて少し特異に感じる側面である。
 いずれにしても、様々な問題事象を一挙に解決する大団円が描かれる。
 現実にこんな事件解決があれば、スカッとした思いに満ちることだろう・・・と思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの関心でネット検索してみた事項を一覧にしておきたい。
和牛流出に刑事罰!なぜ? :「NHK」
「和牛流出」はすでに始まっている 中国だけではない海外WAGYU生産の実態
                  :「文春オンライン」
「受精卵も専門家も日本から」和牛流出、逮捕の男が語る :「朝日新聞デジタル」
和牛の海外流出 流通管理でブランドを守ろう  2019/7/11:「読売新聞オンライン」
歯止めが利かない日本種苗の海外流出の現実【種苗法改正を考える緊急連載 第3回】
                  :「SMART AGRI」
種苗法違反事件 新品種守り海外流出防げ  2021/6/30  :「産経新聞」
「種苗法改正案」は種の海外流出を防ぐのか 東大・鈴木教授の徹底解説 2020/6/10
                   :「毎日新聞」
外国資本による森林取得に関する調査の結果について 令和4年8月2日 :「林野庁」
外国資本による森林買収に関する調査の結果について 令和4年8月3日 :「林野庁」
石垣牛 :JAおきなわ
神戸牛とは  :「森谷商店」
神戸ビーフ  :ウィキペディア
酪農家が肉牛を飼うための基礎講座:黒毛和種の血統と育種価 :「畜産試験場」
BREED「黒毛和種の三大血統」  :「BEEF-LAB.COM」

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『警視庁公安部・片野坂彰 動脈爆破』    文春文庫
『警視庁公安部・片野坂彰 国境の銃弾』  文春文庫

===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2022.12.6現在 2版 32冊



『Curious George and the Bunny』 Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company

2022-12-23 11:20:18 | レビュー
 英語絵本の電子書籍版を探していて、本書を見つけた。表紙には illustrated by H.A.Rey と明記されている。H.A.Rey 本人によって描かれた絵本である。1998年のコピーライトが明記されていて、その所有権は Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company である。

 冒頭から脇道にそれる。このコピーライトの記載をよく読むと経緯がわかって興味深い。絵本はあくまでリハビリ英語学習の材料にしているので、これも学習の一部と言えよう。この箇所の原文を引用する。
Copyright © 1998 by Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company, based on
Curious George a Kite, copyright © 1958 by Margret E. Rey and H.A.Rey, ©
renewed 1986 by Margret E. Rey, assigned to Houghton Mifflin Company in 1993.

 以前のご紹介記事で、H.A.Rey が1977年に没し、Margret E, Rey が1996年に没したことに触れている。それを前提に考えるとコピーライトの所有者の変遷がよく理解できる。
 Margret E. Rey と H.A.Rey 夫妻が生前に、『Curious George a Kite』で1958年に著作権を取得していた。その著作権は H.A.Rey の死後、1986年になって更新され Margret E. Rey が著作権者になった。Margret E. Rey 存命中の1993年にその権利が Houghton Mifflin Company に譲渡された。この経緯に基づき、この本は1998年に Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company が著作権者になっている。(たぶん、この理解で問題はないと思うのだが・・・・。間違っていればご教示をお願いしたい。)

 そこで、もう一つ、Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company の成り立ちについてである。『Curious George The Perfect Carrot LEVEL 1』のご紹介の折に、推測を述べていた。その後でインターネット検索をして調べてみて、出版社のサイトを見つけた。HMHという形でホーページ。それで経緯がわかった。 HMH History Timeline というページで沿革が説明されていた。 クリックしてご覧いただける。

 このページによれば、1852年に Henry O.Houghton がマサチューセッツ州ケンブリッジに Riverside Press という印刷会社を始めた。彼はボストン地域の大手出版社との関係を築いて行ったという。1864年に編集者と組んでHurd & Houghton という会社を作り、出版社の買収をして出版業界に進出。Hurd 氏の引退後、社名を Houghton & Osgood に改称。1880年に Osgood 氏との関係を解消すると、George Mifflin 氏を正式のパートナーとして、Houghton, Mifflin & Co. を設立。
 その後、2007年に、Houghton Mifflin は、Harcourt Education、Harcourt Trade、
Heinemann を取得することで、社名を Houghton Mifflin Harcourt(HMH) と改称した。
こんな沿革をもつようだ。

 尚、H.A.Rey夫妻はナチのパリ侵攻前にアメリカのニュウヨークに移住した。Curious
George の原稿を Houghton Mifflin に持ち込んだことで、両者の関係が始まったそうである。

 さて、英語絵本の本筋にもどろう。
 H.A.Rey 本人によるジョージのイラスト、まずやはり微妙に後継のジョージの絵とは違うなという印象をうける。それは当然なのかもしれない。勿論絵本を楽しむ分には全く支障はない。

 この絵本、おもしろいことの一つは、黄色帽子の男は一切登場せず、ジョージだけのお話である。話はジョージが小さな小屋(a little house)を見つけることから始まる。この話でも Bunny という単語が使われている。母親ウサちゃんと赤ん坊ウサちゃんたちが中に入って居る。ジョージは、赤ん坊ウサちゃん一羽を小屋から出して抱いてみたくなる。ジョージはそれをやってみた。ジョージは楽しくなる。

 そして、赤ん坊ウサちゃんと、かくれんぼうをしたくなった。かくれんぼうって、英語では、hide-and-seek というようだ。本文に、George wanted to play hide-and-seek. と記されている。
 赤ん坊ウサちゃんを地面におろすと、ジョージが目隠ししている間に、赤ん坊ウサちゃんはまさに脱兎のごとく走り去った!
 ジョージはかくれんぼう遊びどころではなくなる。探し回るジョージを描く絵に、次の文が記されている。
  Where did the bunny go? George looked everywhere but the bunny was gone.
All the fun was gone.

 この箇所、2ヵ所で was gone が使われている。久しぶりに be 動詞の特別な使い方を思い出した。手許に残してある高校生向け文法書を確認してみた。「往来・発着を表わす少数の自動詞の過去分詞とともに、完了後の状態を表す完了形をつくる。 She is gone away.(彼女は行ってしまった)」(『高校生の完全英文法』大塚高信著・美誠社)
 ウサちゃんが消えちゃった。楽しみもみんな消えちゃった、というところか。
 子供たちが、絵本を通じて、自然とこの使い方を知るんだなと思った。

 ジョージは悲しかった。母親ウサちゃんの許に赤ん坊ウサちゃんを戻せなくなったから・・・・。さて、ジョージはどうするか? そうだ! 母親ウサちゃんに探させてはどうか! このジョージの閃きが功を奏する経緯がこの後に描かれていく。そして、Happy End!

 この絵本、やさしい文での語りとなっている。とはいうもののイディオム表現がいくつも出てくる。子供たちはそれらを日常生活の中で意味を理解しつつ自然と身につけていくのだろう。ピックアップしてみると、次のような文がある。
 He put the bunny down.....        put down
 The bunny ran off like a shot!       run off
 He could not put the bunny back in the house with Mother Bunny.   put back
 He put a string on her(=Mother bunny).   put on
 George helped the bunny out.        help out
 George took the string off Mother Bunny.   take off
 George was grad to see Mother Bunny and all her babies settle safely down
 to sleep.                   settle down

英語絵本からけっこう復習できる・・・・・・ 昔の記憶が呼び戻されてくる。辞書で再確認してみる機会にもなっている。ボリュームが多くなく、手軽で楽しめておもしろい。

 本書に明記はないが、この絵本、H.A.Rey と Margret が共同で文を作ったのだろうか。構想は二人で相談し、Margret が書いたのだろうか。あるいは、H.A.Rey が一人で創作したのだろうか。そんなことをちょっと考えるのも楽しい。

 ご一読ありがとうございます。

インターネット検索して得た情報をいくつか一覧にしておきたい。
H. A. Rey  From Wikipedia, the free encyclopedia
Margret Rey From Wikipedia, the free encyclopedia
Curious George  From Wikipedia, the free encyclopedia 
HMH  ホームページ
Curious George Official YouTube
アニメ『おさるのジョージ』で楽しく英語を学ぼう【可愛くてためになる!】
                    Azusa Kawamura

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 こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『Curious George The Perfect Carrot LEVEL 1』
Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company
『Curious George Cleans Up LEVEL 1』 Houghton Mifflin Company
『MARGRET & H.A.REY'S Curious George and the Dump Truck』
Houghton Mifflin Company
英語絵本電子書籍版 覚書・感想 一覧  計 19冊 2022.12.1 Version 1


『原田マハの印象派物語』  原田マハ   とんぼの本(新潮社)

2022-12-21 16:02:04 | レビュー
 書名に著者名が冠されていることと、「印象派物語」という標題に惹かれて手に取ってみた。本書は、「とんぼの本」の1冊として、2019年6月に刊行されている。

 この本、印象派の全体像を手軽に知るには便利なガイドブックとなる。
 見開きの「目次」の上半分に、ジヴェルニーにあるクロード・モネの終の棲家にある「水の庭」の風景が載っていて、下半分に本書の構成が示されている。
 そして、冒頭はグラフで、「印象派と出会える場所」を点描する。印象派の絵画等をピンポイントで取り上げつつ、印象派と出会える場所を例示する。パリのオランジェリー美術館、オルセー美術館、マルモッタン・モネ美術館、チュイルリー公園からの風景、エトルタの断崖である。オルセー美術館蔵の作品がいくつか紹介されている。その一つが、見開き2ページを使ったモネの<サン・ラザール駅>である。その絵には、
  旅はいつも、
  サン=サンラザール駅から
  はじまった
というメッセージが付されている。モネの絵を見つめながら、未知の旅へと旅立つ一人になった気にさせる。う~ん、いいな・・・・。

 著者の作品に『美しき愚かものたちのタブロー』がある。「美しき愚かものたち」というタイトルに副題「物語の序にかえて」を付けて、語り始める。「印象派」という名称がどのような経緯で生まれたかがまず語られる。それは版画家でもあり劇作家でもあったルイ・ルロワが「シャリヴァリ」紙に発表した諷刺文から始まったと。それに続く、著者の表現が素敵である。
 ”古くさい因習や作画のルールにとらわれず、自分の見たまま、感じたまま、好きなように描く。印象をかたちにする。それこそが、自分たち新しい時代の画家に与えられた使命なのだと彼らはわかっていたからです。自分たちの「印象」が目に見えるかたちで伝わったのならば、自分たちがこれから成そうとしていることの初めの一歩を踏み出せたのだと、彼らは理解しました。だからこそ、彼らは、誇らしげに掲げたのです。我らこそは<印象派>。それは、<愚かもの>の別名かもしれない。それでも、それこそが、おのれが画家である輝くしるしなのだと。”(p20)
 まさに読者への導入になる。

 この後、「愚かものたちのセブン・ストーリーズ」がつづく。
 ここでは印象派画家たちの人生の一局面がシャープに切り取られ、その画家の思いや行動を通じてその画家の肖像を言葉で描き出す。ごく短い分量の短編小説の連作となっている。この部分がまさに「印象派物語」といえる。ここで描き出された画家の小説タイトルを列挙しておこう。
  モネの物語  何もなかったように モネがまだモネではなかった時代
  ベルト・モリゾとマネの物語  このバルコニーから 女流画家の愛と闘い
  メアリー・カサットとドガの物語  永遠の一瞬 波乱の時代を超えて
  ルノワールの物語  まぶしい季節 手と絵筆の絆
  カイユボットの物語  通り雨、天気雨 友へのまなざし
  セザンヌの物語  無言のふたり 絵描きとその妻、愛すべき不美人画
  ゴッホの物語  アイリスの花束を フィンセントとテオ 絵で結ばれた兄弟

 この連作集には一工夫が加えられている。このショートショートの間にその画家の関連作品が複数枚挿入されている。読者は、描かれた画家の思いと重ねながらそれら作品を眺めることになる。これは作品鑑賞のひとつのアプローチ法と言えるかもしれない。そこに共振が生み出される。
 もう一つは、ショートショートの後に、画家の年譜が提示され、そこにも小さな絵であるが、抽出された作品が年譜と関連付けて提示されている。
 この「愚かものたちのセブン・ストーリーズ」を通して、読者は印象派に属した9人の画家たちの人生を簡略に知ることにもなる。
 印象派入門編という趣きで本書を受けとめることもできる。冒頭で、ガイドブックと印象を述べたのもそう感じるからである。

 そして、著者がモネのあしあとを辿る旅に出る。風景写真が多数併載される。いや、写真が主ともいえる。それが「ノルマンディー紀行」で、「セーヌを下り、モネ・アトラスを旅する」(p97)という趣向。
 旅は、パリから北西約10kmにあるアルジャントゥイユのセーヌ河畔の風景写真から始まる。ここでは、旅する著者が被写体になり、あちらこちらの景色に登場する。文は編集部と明記されている。著者が画家モネの眼をたどるという企画である。
 アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ジブェルニー、ルーアン、オンフルール、ル・アーヴルを巡り、ノルマンディーの名勝であるエトルタに至る紀行となる。
 この紀行の最後は、エトルタの奇岩、アーチ状の「アヴァルの門」を望む海岸線の風景写真となっている。楽しそうな著者の姿が捉えられている。

 最後に、「人生でただ一度しかない展覧会」というタイトルでの公開対談の記録文が併載されている。「オルセーは第二の故郷」という三菱一号館館長の高橋明也さんと原田マハさんの対談録である。
 かなり以前に一度だけだがオルセー美術館を訪れたことがある。その美術館がリニューアルされて、「新生オルセー美術館」としてオープンされていることをこの対談文で遅まきながら知った。この対談文を読み、美術館自体と作品展示法にかなりの変化があるようで、再訪してみたいな・・・・そんな思いを強くした。
 美術館ならびに美術展の企画側の視点を盛り込んだ対談部分が興味深い。

 印象派へのガイドブックとして楽しめる一冊である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『ゴッホのあしあと』   幻冬舎文庫
『リボルバー』   幻冬舎
『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『美しき愚かものたちのタブロー』  文藝春秋
『常設展示室』  新潮社
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『サロメ』  文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』  新潮社
『暗幕のゲルニカ』   新潮社
『モダン The Modern』   文藝春秋
『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』  文藝春秋
『楽園のカンヴァス』  新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』  毎日新聞社


『Curious George The Perfect Carrot LEVEL 1』 Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company

2022-12-20 15:33:57 | レビュー
 Curious George ・新冒険シーズの1冊を英語絵本電子書籍版で読んだ。こちらは2009年のコピーライトと表記されている。前回ご紹介した『Curious George Cleans Up LEVEL 1』は2007年のコピーライトで、Universal Studios の所有権となっていた。所有権者は変化していないが、商標登録をしている会社は、 Houghton Mifflin Company から Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company に変化している。2007年から2009年の間に、出版社が合併したのだろうと推測する。英語絵本を時系列で読んでいるわけではないので曖昧さがあるが、この辺りの経緯は舞台裏事情として追跡すれば、おもしろいのかもしれない。
 このシリーズは、Joe Fallon の脚本によるテレビドラマが元になっている。今回は、Marcy Goldberg Sacks が絵本化したと明記されている。

 さて今回は、ジョージが「ちゃんとした立派なニンジン」(The Perfect Caarrot)を育てるというお話。なぜ、ニンジンを育てる? それは、ビルがウサギに餌を与えるのをジョージが手伝ったことに由来する。ウサギはニンジンが大好きと記されている。
 The bunnies loved carrots. ウサギを rabit ではなく、bunny と表記している。どうちがうの? 辞書を引くと、bunny は小児語で「ウサ(ギ)ちゃん」というニュアンスのようだ。
 
 複数の辞書を引くとおもしろい。ちょっと脇道に。
 今まで意識も注意もしてこなかったことだが、rabbit はウサギでも、家[飼い]ウサギを意味し、hare は野ウサギをさすと言う。rabbit は hare より小型で穴居性があるそうな。アメリカでは、飼いウサギ、野ウサギの区別なく rabbit と呼ぶのがふつうだとか。
 2023年の干支はウサギ。rabbit は臆病さを連想させる一方で、多産の象徴でもある。
(as) timid as a rabbit というフレーズが載っている。timid は「臆病な」を意味する。
 rabbit's foot、それもウサギの左後ろ足は幸運のまじない、魔除けのお守りだとか。j辞書にはこんなことも説明されている。
 pull a rabbit out of a hat というフレーズが載っている。「(帽子からウサギを取り出すように)思いがけない解決策を生み出す、奇策を編み出す」と説明がある。(『ジーニアス英和辞典 5版』大修館書店)
 bunny という言葉から、大人は bunny girl の方を想起するかも・・・・。手許の複数の辞書に第二義としてこの意味が掲載されている。
 rabbit on と動詞で使うと、「[・・・について]長々とむだ話をする」(同上)という意味だという。
 この辺りで、本筋に戻ろう。

 手伝うジョージの手許のニンジンが無くなってしまう。George run out of carrots. と記されている。run out of というイデオムを子供たちは早くも知るのだ・・・・。
 ジョージは、餌のニンジンが無くなってどうしょうかと思う。ビルは畑からニンジンを引き抜いた。ジョージはニンジンの種があれば育てられるとビルから教えられる。

 黄色帽子の男がジョージに種の袋(a packet of seeds) を与える。袋には育て方が記されているので、彼等はまず説明書を読むことから始める、They read the directions. とある。direction はまず方位、方向という意味だけれど、指図、命令の意味がある、その次に指図書、説明書、使用法の意味としての語義が続く。再認識することに・・・・。

 Then he(=George) dropped the seeds in one by one.
 The man helped George cover the seeds with dirt.
地面に長く堀った溝に、ジョージが種を一つずつ蒔いていく。one by one が出てくる。また、以前に英語絵本で知った dirt がここでも使われていることに気づいた。

 ジョージは、種を蒔き、水をやれば、翌日にはニンジンができると思っていた。黄色帽子の男は、ジョージに説明する。
 Take good care of them every day. They will grow in time.
ここでは、 take care of や in time がふつうに使われている。この絵本では、イディオム表現がけっこう出てくるなと思った。子供たちは絵本を通じて身近に表現方法を増やしていくのだろう。いやそれよりも、今では Curious George のテレビドラマが先行しているようだ。その後、絵本でそれを手軽にリピートするということか。

 毎日ニンジンを育てる世話をしたジョージは遂にその成果物を収穫する、出来たニンジンの中には形のおかしいものもあれば、ちゃんとした立派なニンジンもできている。
 ジョージは立派な良品ニンジンをケースに入れて、ビルに見せに行く。ビルは不在で、ウサちゃんたちが行方不明の貼り紙がドアに貼ってあった。
 ジョージは、ウサちゃんたちの足跡を辿って行く。足跡はジョージを洞穴に連れて行った。ジョージは洞穴の中に居る放心状態でお腹を空かせたウサちゃんたちを見つけ出す。勿論、ジョージはケースに入れて持っていたニンジンをウサちゃんたちに与え、自分はビルを捜しに戻り、洞穴まで連れてくる。ジョージの与えたニンジンは殆ど食べ尽くされていたけれど、ウサちゃんたちはそこにとどまっていた。
 When they got back to the cave, the bunnies were still there.
But George's carrot was almost gone!
was almost gone と、go という日常語で簡単に表現されているところになるほど・・・・。

 このお話の最後の文は:
His carrot was a hero --it had saved the bunnies and the day! である。
なぜ、末尾に the day が・・・ save the day ってどういう意味? 
手許の英和辞典の1つは不記。あとの2冊には載っていた。これもイディオム表現だ!
 save the day で、「(間一髪のところで)危機を救う、勝利[成功]をもたらす」(同上)、「どたん場で勝利[成功、解決]をもたらす、急場を救う」(『リーダーズ英和辞典』研究社)という意味だった! 最後にまたナルホド・・・・・。

 この英語絵本、最後に「食物はどこからくるのか」という標題での説明と、「ニンジンの料理」と題し、キャロット・マフィンの料理法の説明が附録として載っている。大人が子供たちに絵本に続く応用場面への発展をちゃんと提供している。
 ニンジンを例にしたお話から、食物がどこからもたらされるかに目を向けさせ、また、ニンジンのマフィンを作って、絵本の先の楽しみを倍加させようというところか。

 英語絵本から学べることがやはり多い。おもしろい。

 ご一読ありがとうございます。

 こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『Curious George Cleans Up LEVEL 1』 Houghton Mifflin Company
『MARGRET & H.A.REY'S Curious George and the Dump Truck』
Houghton Mifflin Company
英語絵本電子書籍版 覚書・感想 一覧  計 19冊 2022.12.1 Version 1

『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』  大澤絢子  筑摩選書

2022-12-19 23:27:51 | レビュー
 タイトルにある「六つの顔」って? この語句にまず引き寄せられて購入した。それでいてしばらく書棚に眠らせていたこの本を読み終えた。2019年8月に刊行されている。

 著者は「序章 あふれだす親鸞」で、まず最初に、「六つの顔」の意味を明らかにしている。
 親鸞は日本人にとっては身近な宗教者として名前は誰でも知っている。東西両本願寺の宗祖である。ひときわ規模の大きい両本願寺を含めて、親鸞を宗祖とする浄土真宗は主なものだけでも10派にわかれているという。また、幾人もの有名な作家たちが「親鸞」について小説を書いている。『歎異抄』の注釈書や関連書を通じて親鸞が広く知られている。親鸞という名前が身近なものになり、歴史上実在した親鸞とは別に、人々にイメージされた親鸞像がある。それらの総体として親鸞像が存在すると言える。

 私的には、学生時代に日本史の授業で「親鸞」という名を知った。倉田百三の戯曲「出家とその弟子」を読み、そこに登場する親鸞に惹きつけられ、『歎異抄』解説本を読むことが縁となり私的な親鸞像のイメージができ始めた。浄土真宗の宗祖という側面での縁はなかった。その後に、親鸞関連書籍、小説の「親鸞」伝、親鸞にまつわる社会人講座を聴講するなどで親鸞像が形成されてきている。

 著者は「この本では、親鸞像を形作っている主な要素を『顔』に見立てて、そのうち特に重要な『六つの顔』がなぜ、どのように生み出されたかを、中世・近世・近現代を通して読み解いていく」(p13)ことを本書の目的にしたと述べる。それは「日本人にとって親鸞とはどのような存在であったかを説き明かすこと」(p15)であるとも言う。
 但し、その読み解きにおいて、「ここでは、日本国内で暮らしてきた人々の、親鸞像の受容に範囲を限定している」(p24)と述べている。

 身近で曖昧な総体としての親鸞像を分析し、著者は6つの要素を抽出した。それが「六つの顔」である。中世以降、親鸞像がどのように変遷してきたかを論じていく。現在までの親鸞像の整理が巧みに行われている。自分自身が抱く親鸞像と対比して、親鸞その人を考えてみる上でイメージのフレームワークとして役に立つ本である。


 著者が論ずる「六つの顔」という要素は何か。
 著者は、①如来の化身、②法然の弟子、③説法者、④本願寺の親鸞、⑤妻帯した僧・親鸞、⑥『歎異抄』の親鸞、という要素を抽出している。
 そしてこれらの要素がどのようにして生み出され、親鸞像が変容してきたかを中世から始めて現代へと読み解いていく。論拠を踏まえて分析的に説明されるとなるほどと思う。

 通読した印象は、敬われ崇められる聖なる親鸞像から、苦悩しつつ生ききった人間親鸞へ、親鸞像の拡大・深化が行われてきた。宗祖という親鸞像にとどまらず、宗教という枠組みをはずしても親鸞その人が人間としての学びの対象となるということかなと思う。

 本書で初めて知ったことは、親鸞自身が自分の生涯について語った記録は、『教行信証』の「後序」と呼ばれる短い文章だけであるそうだ。

 詳細は本書をお読みいただくとして、本書の構成と「六つの顔」の形成の関係を少し、ご紹介しておこう。
<第一章 「宗祖親鸞」の起源>
 親鸞の生涯を語る原型は、親鸞のひ孫にあたる覚如(1270-1351)が制作した「親鸞伝絵」という絵巻物である。本願寺の正統性を確立する上で、「御開山」として宗祖・親鸞像を決定づけた。覚如はこの「伝絵」に①「如来の化身・親鸞」、②「法然の正統な弟子・親鸞」、③「教えを広めた説法者」の要素を描き出した。覚如自身は親鸞の没後に生まれた人なので、「如来の化身・親鸞」という要素については「取材を重ねた上で覚如が、親鸞を神秘的な存在として描いたと考えるべきだろう」(p31)と分析する。
 そこには信仰集団の祖師としてのイメージ強化が意図されたのだろう。「宗祖親鸞」を決定づけたのは康永本だそうである。
 親鸞像のイメージ作りは、覚如が本願寺の正統性を打ち出していく意図が反映していると読み解かれている。教団の確立という目的からは当然のプロセスかなという気がする。
 裏返せば、親鸞の教えのみならず、血のつながりの維持・継承が重要な要素になっている。

<第二章 「宗祖親鸞」の決定版とは?>
 この章は、第一章の経緯の論証が中心となる。覚如が詞書をした「伝絵」には3本の絵巻があるという。琳阿本と高田本が1295年に制作され、その48年後に康永本が制作された。これらの関連分析から、康永本が決定版になることが読み解かれていく。興味深い分析になっている。
 例えば、「伝絵」には、「臨終来迎」は描かれていないそうだ。その理由説明をなるほどと思った。69ページをお読みいただければよい。
 著者は「康永本に描かれた親鸞は、親鸞に関する事実というよりも、覚如が僧侶や門弟たちに伝えたいと思う親鸞のイメージであったと言うべきであろう」(p77-78)と言う。
<第三章 「妻帯した僧・親鸞の誕生>
 「『伝絵』には、親鸞の結婚や妻に関する描写は一切出てこない。親鸞自身、自分の結婚や妻については何も語っていない」(p84)そうだ。「伝絵」は企画展などでどういうものか見た事がある。しかし詳細は知らなかった。この本で、江戸期に「妻帯した僧・親鸞」という親鸞像の形成された経緯がわかって、おもしろかった。
 徳川幕府の宗教政策が根底にあったようである。本章の小見出しを列挙しておこう。
「結婚」か「妻帯」か?/ 僧侶の妻帯と戒律/ 親鸞の思想と僧侶の妻帯
 日常化していた僧の女犯/ 例外だった江戸期の浄土真宗/ 親鸞の妻帯を語る伝記
 『秘伝抄』と『照蒙記』/ 浄土真宗の肉食妻帯論/ 「妻帯した僧・親鸞」の普及
 後世に影響を与えた『正統伝』と『正明伝』
 「妻帯する宗風をはじめた僧・親鸞」の完成/ 親鸞の妻は玉日か恵信尼か

<第四章 「『歎異抄』の親鸞」と「私の親鸞」>
 唯円がまとめた『歎異抄』は記憶では蓮如が封印した。明治期以降にその『歎異抄』が世に流布していく。暁烏敏著『歎異抄講話』(1911年)が嚆矢となり、『歎異抄』をモチーフとした倉田百三の戯曲「出家とその弟子」が世にベストセラーとして受け入れられて行く。様々な人々による新しい『歎異抄』の解釈を通して、6つめの顔(要素)である「『歎異抄』の親鸞」像のイメージが形成されていく。
 この章では、その新しい解釈とあらたな親鸞像のイメージが詳述される。それは、「自己が抱える苦悩を親鸞へと投影し、自己の確立を求める態度」(p119)への指向である。「自己内省と罪悪の自覚」(p123)と「他力を重視していること」(p123)という特徴を持つと言う。「人間親鸞」の側面に光が当てられていく。親鸞像形成の視点が変わる。「愚かな親鸞」への共鳴という方向にイメージが変容していく。
 著者は、私にとっての親鸞が語られ出したという側面を分析していく。

<第五章 大衆化する親鸞>
 著者は、「自らの悪に向き合い、苦悩する人間味ある親鸞と、歴史学の立場から明らかにされた史実上の親鸞」(p154)という二つの「人間親鸞」が鍵となって、大正期に親鸞ブームが起こった状況を見つめていく。近代以前には考えられなかった「書き手自身が抱える苦悩と親鸞の人生を重ね合わせながら親鸞を語る」(p154)ことがブームを生み出したのだ。その状況が具体的に語られている。そこにはブームを可能にした出版メディアの急成長という要因があったことにも着目している。
 
<第六章 現代の親鸞像 -五木寛之から井上雄彦へ>
 新聞に連載発表された五木寛之の小説「親鸞」と『バガボンド』を描く漫画家井上雄彦が制作した親鸞屏風を取り上げて、現代の親鸞像とその受容を分析している。

<終章 日本人はなぜ親鸞に惹かれるのか>
 第一章から第六章で分析し読み解かれたエッセンスをこの章で総括していると言える。
 最後に、私にとり特に印象深い箇所を引用し、ご紹介しておきたい。
*『歎異抄』における親鸞の言葉は「伝絵」には引用されず、内容も殆ど重ならない。 p22
*親鸞は、浄土真宗の宗祖とされている。本来、この「浄土真宗」という言葉は、特定の組織を指すものではなく、極楽浄土に生まれるための真実の教えを意味する。親鸞には、浄土真宗という教団を立ち上げるつもりはなく、あくまで自分は、師である法然の教えを継承した者という態度を貫いていた。したがって、浄土真宗のことを親鸞に率いられた教団だと捉えるのではなく、親鸞を宗祖と仰ぐ教団だと考えた方が適切である。 p28
*親鸞には本願寺という寺を建立する気はなかったが、覚如は本願寺と親鸞を結びつけた。門弟たちのさまざまな集団が関東その他の地域に存在していた当時にあって、覚如は「本願寺の親鸞」を強調することで、本願寺が他の門弟たちの集団と違って特別な位置にあることを示したかったのだろう。  p41
*浩々洞の三羽烏と呼ばれた暁烏、多田、そして佐々木。いずれもが、徹底して自己省察をすることで自らの悪さや愚かしさを自覚し、そこから絶対他力へと進んだ人間親鸞を語った。これが「『歎異抄』の親鸞」像の原型となっている。  p130
*(付記:大正期の親鸞ブーム)この時期に描かれた親鸞は、大別すると、自分の煩悩に悩み、そこからの救いをひたすら求め続ける青年としての親鸞と、弟子たちと同じ目線で彼らを温かく見守る老人としての親鸞である。いずれの場合も如来の化身でもなければ神秘的なエピソードを持つ宗祖親鸞でもない、人間としての親鸞である。 p159

 お読みいただきありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『親鸞「四つの謎」を解く』  梅原 猛  新潮社
『親鸞始記 隠された真実を読み解く』  佐々木正  筑摩書房
『親鸞』上・下      五木寛之   講談社
『親鸞 激動篇』上・下  五木寛之   講談社
『親鸞 完結篇』上・下  五木寛之   講談社
『親鸞 全挿画集』  山口晃  青幻舍


『警視庁公安部・片野坂彰 動脈爆破』  濱嘉之  文春文庫

2022-12-17 16:04:15 | レビュー
 公安部片野坂彰シリーズの第2弾。文庫書き下ろしとして、2020年3月に刊行された。
 トルコで邦人が行方不明になるところからストーリーが始まる。女性2人と男性1人。カッパドキアのホテルのセフティ・ボックスに保管されていたパスポートから、イスタンブールの在トルコ日本国総領事館では行方不明者の氏名を確認した。男は外務省職員の望月健介。大臣官房総務課から出向し、ドバイに在住する国際テロ情報収集ユニットの構成員だと分かる。総領事館の一等書記官内山田邦彦はこの案件をトップシークレット扱いにして対処すると判断した。内山田は密かに望月のデータの収集に着手する。
 この第2作では、外務省の実情について、フィクションであるが、かなり批判的な視点で取り扱っている。そこには著者の警鐘が含まれているのかもしれない。

 片野坂はトルコでの邦人行方不明の連絡を公安総務課長から受けた。一方、白澤はルーカスから情報を得て、即座に片野坂にそのことを報告していた。香川は行方不明者の女性の一人吉岡里美の出国データが不明である点の実態調査を始めていた。
 片野坂は公安部長にまず報告する。この時点で、片野坂は調査元がなぜ在イスタンブール総領事館なのかに疑問を抱いた。片野坂がこの事件に関与していく起点になる。
 香川の調査で、吉岡里美は北海道に実在し、彼女のパスポートが海外で不正使用されていた事実が判明する。吉岡里美の韓国での苦い経験を聴取し、不正使用される事態に至る背景の追跡捜査を香川は始める。それが、思わぬ方向へと進展していく。
 この第2作、前半は海外現地での行方不明者救出ストーリーである。後半は日本国内での事件を如何に未然に制圧するかというストーリーに進展していく。その繋がりが興味深い。

 <第二章 情報戦>
 外務省内の幹部間での情報分析、ブリュッセルに駐在する白澤の情報収集、片野坂による邦人行方不明へのアクションとして緒方外務副大臣に情報面からの仕掛けを行い、緒方をこの事件のネゴシエーターに祭り上げていく。片野坂がこの行方不明事件に対して行動する準備段階と言える。

 <第三章 ソウル>
 ブリュッセルで、白澤はイギリスのエージェントであるウィリアムスから、旅行中に連れ去られた日本女性がシリアで保護されたという情報を知らされる。高田尚子が保護され入院中と、白澤は片野坂に報告する。片野坂が警備局長に速報すると、直ちに官房副長官、官房長官に報告する形に。片野坂は緒方副大臣の要請もあり現地に赴くことになる。
 一方、吉岡里美本人から聞き込みをした香川は、ソウルに飛んで捜査を広げて行く。

  <第四章 ベイルート>
 片野坂はレバノンのベイルートに飛び、緒方副大臣をサポートする形で、この事案に取り組んで行く。この時点で、片野坂は吉岡里美になりすました女の背景を把握していた。ベイルートで緒方副大臣の了解を得て、ブリュッセルに居る白澤を呼び寄せることにし、また白澤の友達エカテリーナ・クリンスカヤの協力を得たいと白澤に告げる。勿論、クリンスカヤの背景を承知の上である。さらに、片野坂はFBI時代の友人、モサドの上席分析官スティーヴ・サミュエルと連絡をとり、事案に関わる重要な情報を入手する。まさにヒューミントの本領を発揮していくプロセスが描かれる。

 <第五章 日本国内のターゲット>
 香川は日本、韓国、中国を独自の判断で飛び回り、捜査を進めて行く過程で、日本国内での破壊活動が計画されている情報をキャッチする。
 それが、このストーリーのタイトル「動脈破壊」にリンクしていく。
 この章では、香川の捜査は中国に広がり、上海から寧波市での情報収集に及ぶ。

 <第六章 救出>
 片野坂らが、ベイルートからシリアのダマスカス国際空港に飛び、高田尚子を救出する経緯が描かれる。そこに一つの意外性が織り込まれていく。
 一方、上海浦東国際空港から出国するため搭乗ゲートを過ぎようとしていた香川が何者かに銃で撃たれる危地に陥る。

 <第七章 告白>
 救出劇の舞台裏話と香川の中国における捜査の裏話。新たな展開への情報収集が始まる。それは日本国内におけるチャイニーズマフィアに絡む。それが糸口となっていく。
 補足的な事象として、沖縄の基地問題の一側面などを織り込んで行くところが、著者の視点として興味深いところでもある。

 この後、<第八章 銃撃戦>、<プロローグ>へと進展する。香川は追跡していた側面への対処が実行されていく。
 この第2作は、2つのメインストーリーが、絡み合ながらも続いていくという感じである。つまり、2つの山場が全く異なるフェーズでの事件解決という姿で描き込まれていることになる。この構想がおもしろい。

 最後に、片野坂が白澤との会話で語るゾルゲの発言内容が印象深いので、ご紹介しておきたい。
「・・・また彼は日本人から情報収集を行う際に、『日本人は他人を売る発言を簡単にはしないが、プライドが高い高学歴な人ほど自らの無知を他人に指摘されると、反論するために饒舌になる』として『そんなことも知らないのですか?』と尋ねることで、数多くの情報を引き出していたと伝えられています」 (p365)

 この小説、ヒューミントの重要性と、電子情報データベースの駆使並びにハッキングの活用、裏返せばその脅威を強烈に描き込んでいる。ここにこのシリーズの特徴が現れている。もう一つが、リアルな同時代性の世界情勢分析の織り込みである。この視点は読者にとって考える材料となる。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『警視庁公安部・片野坂彰 国境の銃弾』  文春文庫

===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2022.12.6現在 2版 32冊


『太平洋の薔薇』 上・下  笹本稜平  光文社文庫

2022-12-16 17:59:58 | レビュー
 40年近い船員生活を過ごしてきた柚木静一郎は最後の航海に臨んでいた。彼の最後の伴侶となる船がパシフィックローズ号。本書のタイトルはこの船名に由来する。
 パシフィックローズ号は船齢24年の不定期貨物船。1万総トン、15,000トン積みでほとんどあらゆる貨物を運ぶ船。満載すれば14ノットがせいぜいというところ。
 パシフィックローズ号の船長である柚木と機関長山根亨以外の乗組員は外国人であり、総勢18名。10月下旬、午前10時20分に生ゴム12,000トンを積みスマトラ島中部のドゥマイ港を離岸した。目的地は横浜。ハーバーパイロットの嚮導で国際航路への合流点に達したのが13時10分。ここから柚木が操船の指揮を執り、シンガポール海峡を抜け北北東に進路をとる。
 夜間航行中に、柚木は三等航海士ミゲロの報告で、500総トンほどの小型タンカーの火災を知る。双眼鏡で確かめると船名は「サンタクルス」号。ミゲロが救難用の国際VHF無線で交信を試みるが応答無し。救難要請も発信なし。サンタクルス号に一番近い船がパシフィックローズ号だった。胸騒ぎがするも、船舶火災を無視できないと判断した柚木は救出に向かう。炎上するサンタクルス号に接近した時点で、国際VHFに救出の応答があった。だが、一瞬の胸騒ぎが当たる。それは海賊の罠だった。パシフィックローズ号は、ハイジャックされてしまう。これがこのストーリーの始まりとなる。

 2000年に作家デビューした著者笹本稜平は、2003年にこの『太平洋の薔薇』で第6回大藪春彦賞を受賞した。2003年8月、中央公論社から単行本が刊行され、2006年3月に光文社文庫となっている。

 文庫本奥書の書名記載には、長編冒険小説と付記されている。文庫本で実質864ページに及ぶ長編である。ハイジャックされることにより、柚木船長は大型船の水域としては危険な珊瑚礁やサンドウエーブの海域の航行、接近する台風に向かう航行、日本列島を挟んで太平洋側と日本海側を進む二つの低気圧が生み出す高波、波浪の峰に向かう航行などを迫られることになる。強いられた冒険に果敢にも乗組員とともに挑んでいく。それは、乗組員全員を無事に生還させるという目的のためだった。

 パシフィックローズ号は、生ゴムという積荷の強奪と乗組員の身代金目的でハイジャックされたのではなかった。ハイジャックの裏では、テロリストが周到な計画のもとに糸を引いていたのである。積荷の強奪は単なる余録であり、テロリストはある危険物を運搬させる目的のもとに柚木とパシフィックローズ号を狙ったのだった。

 この小説は、メイン・ストーリーとして、柚木船長と乗組員がこの危難を克服し無事生還できるかどうかを描きあげて行く。柚木船長が破天荒な条件下にある海域を如何にダイナミックにかつ周到に操船し、危難を克服していくかがまず読ませどころになる。
 さらに、柚木船長が乗組員の生還とパシフィックローズ号奪還を目的に定め、ハイジャックした側のリーダー格でありアララトと名乗る男と対峙する。その頭脳戦が併せて読みどころとなる。柚木とアララトの対峙を通じて、アララトの目的とその人物像が徐々に明らかになっていく。

 さらに、複数のサブ・ストーリーがパラレルに進行していく。
1. 主人公は柚木夏海。27歳。柚木静一郎の娘。夏海は一流の国立大学を卒業後、海上保安庁に就職。昨年からICC(国際商工会議所)の下部組織IMB(国際海事局)が運営するクアラルンプールの海賊情報センターに出向している。夏海は小学2年の時、父に同行する形で、まだ船齢の若かったパシフィックローズ号で船旅を経験し、この船を熟知していた。
 パシフィックローズ号がハイジャックされたことを知ると、海賊情報センターの任務として、キャプテン・コンディリスの指揮下で、父の乗るこの船の捜索・発見活動にキーパーソンとして関わっていく。海賊情報センターは実働部隊を持たないので、その業務は緊急時でも情報の発信と調整業務が中心となる。
 父を救出しなければという危地に投げ込まれた夏海の心理と行動が描かれる。

2. 世界一周航海を行っている豪華客船スターライト・オブ・シリウス号の船内でのストーリーが始まっていく。主な登場人物はドクター・ザカリアンとこの船の船医藤井慎也である。場所は晩秋のアドリア海から始まる。32歳で独身の藤井は2週間前にサウサンプトン港で新任船医として乗船したばかり。ドクター・ザカリアンは、この船の最上階の船客VIPたちの一人でひときわ異彩を放つ人物。1921年生まれの82歳。医師。旧ソ連からアメリカに亡命した天才科学者で、細菌学と免疫学の国際的権威。ザカリアン研究所を設立し、アメリカの代表的な富豪の一人となった。この豪華客船の処女航海以来この船上で暮らし、キャビンは個人的に買い取り、スターライト・クルーズの20%を所有する大株主でもある。ザカリアンの許には、執事一人が同船していて、ザカリアンの世話をしている。
 ストーリーの冒頭の導入場面の次に突然このサブ・ストーリーが始まる。最初は読者としてとまどうが、徐々にこのザカリアンの独特の雰囲気と謎に関心を抱くことになる。徐々に彼が重要な人物であることが見え始める。

3. イルクーツク州立病院内科に運び込まれた患者が出血熱の一種だと診断され、病室が立入禁止となる場面から始まる。その病室を検分するのが州公衆衛生局防疫部長イリヤ・ミロノフである。彼は内科部長から状況説明を受ける。
 この事態にFSB(連邦保安局)イルクーツク州支局が絡んでくる。FSBは元を辿ればKGBである。支局長ルシコフからステパーシンFSB中尉は命令を受ける。シベリア連邦管区大統領全権代表レオニード・クルコフ将軍からの直接の指示だという。イルクーツクから200kmほど北西の小さな町、チェレンホーヴォのBBI(バイカル・バイオケミカル研究所)からモスクワの本部に、保管してあった特殊な細菌が一週間前に盗まれたと報告が出された。BBIは民間に払い下げられる前は、バイオプレパラートの一つだった。それは1970年代にソ連が推進した生物兵器開発計画の研究施設の総称を意味する。
 国家にとって大問題が発生していたのだ。ステパーシンは国家的機密事項の追跡捜査と奪還を担う立場に投げ込まれる。一方、ミロノフはこの事態を己の出世のチャンスと捉えていく。このサブストーリーがどのように絡んでいくのか、読者としては興味津々となる。

4. 諜報活動のサブストーリーが始まって行く。アメリカのNSA(国家安全保障局)西アジア担当情報分析官ロナルド・フィルモアが長年追跡してきたティグラネスというコードネームの男・宿敵に関わる通話をNASA自慢のスーパーコンピュータから弾き出したのだ。ティグラネスはASLA(アルメニア解放秘密軍)がベイルートに拠点を置いていた当時の最高責任者だった。フィルモアがCIAに所属し、ティグラネスを追跡していたとき、恋人のファティーマがティグラネスの仕掛けにより爆殺された。フィルモアの執念の行動が始まって行く。このサブ・ストーリーがどのように関わるのか。当初はリンクする接点が見えぬまま、進展して行く。それが関心を喚起していく。

5. パシフィックローズ号を所有する東伸海運では、船との通信が取れなくなった時点で、不定期船グループのチーフ猪谷行男が海上保安庁に通報した。海上保安庁では緊急対策本部が立ち上げられた。前例のアロンドラアレインボー号事件のときと同じ対応が始まる。シンガポールにヘリ搭載型の巡視船「かいもん」、航空機ファルコン900、SST(海上保安庁特殊警備隊)一個小隊が派遣されることに。勿論、夏海はシンガポールのチャンギ空港からファルコン900に搭乗し、海上保安庁の一員として海上捜索に加わる。
 シンガポールに到着した「かいもん」は燃料と食糧、水の補給を済ませると早速捜索のために出航する。キャプテンは矢吹晃三等海保監である。日本を離れた赤道直下の熱帯の海で捜索活動が始まっていく。矢吹は柚木静一郎の伝説的なエピソードを知っていて、柚木に私淑していた。それだけにこの捜索には力がこもっていた。
 一方、海上保安庁もまた官僚組織である。船には島村という業務管理官が乗船していて、矢吹らの行動を監察している。事なかれ主義の島村は、矢吹にとっては行動を制約される障害になっていく。島村は本部に圧力をかける形で、矢吹の行動を制約しようとする。官僚組織の悪弊が織り込まれていくところが、リアル感につながる。また、ハイジャック問題に対する国際的な連携の難しさが、法制面の制約と各国の実力並びに組織風土という両面から描き込まれる。その渦中で矢吹キャプテンがどのような判断と行動を乗組員とともにとっていくかが、このサブ・ストーリーでの読ませどころとなる。

 これらサブ・ストーリーがメイン・ストーリーとパラレルに進行し、やがて集約・統合されていく。

 荒れ狂う海での操船描写がダイナミックであり、そのシーンを想像する楽しみを十分すぎるくらい与えてくれる。この小説、ミステリー調のストーリー展開を軸にし、CGを駆使して航行のダイナミックな場面をふんだんに盛り込み、一方で、シリアスな状況・事象も要所要所に登場させる必要性があるので、映画化すればおもしろい作品になるのではないか・・・・そんな気がする。リアルな映画化を想定すれば、相当な制作費が必要になるだろうとも思う。

 20年近く前の作品だが、古さを感じさせずリアルに読み進められるストーリーだと思う。大藪春彦賞は納得である。書棚に眠らせておかずにもっと早く読めばよかった。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
海賊インフーメーションリンク  :「日本船主協会」
アロンドラ・レインボー事件  :「国土交通省」
IMB(国際商業会議所の国際海事局)による統計 :「日本船主協会」
ダッソーファルコン900  :ウィキペディア
海上保安庁の装備品一覧  :ウィキペディア
「しきしま」級巡視船の整備 :「海上保安レポート2010」
ヘリ搭載 最大級巡視船「あさづき」就役(2021年11月12日)  YouTube
海賊行為の発生件数  :「社会実情データ図録」
海賊行為の動向とホットスポット  :「gard」
IMB海賊情報センター発表/ソマリア、ナイジェリア近海で海賊事件急増 :「IMOS」
生物兵器禁止条約(BWC)の概要  :「外務省}

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『相剋 越境捜査』   双葉社
『指揮権発動』   角川書店
『転生 越境捜査』   双葉文庫
『最終標的 所轄魂』   徳間書店
『危険領域 所轄魂』   徳間文庫
『山狩』   光文社
『孤軍 越境捜査』   双葉文庫
『偽装 越境捜査』   双葉文庫

=== 笹本稜平 作品 読後印象記一覧 === Ver.1 2022.1.22 時点 20冊

『ゴッホのあしあと』  原田マハ   幻冬舎文庫

2022-12-14 15:42:46 | レビュー
 著者の『たゆたえども沈まず』という小説を2年余り前に読んだ。その後に、本書が出版されていることを知った。奥書を見ると、本書は2018年5月に幻冬舎新書として刊行され、2020年8月に文庫化されている。
 文庫本で169ページという作品。小説『たゆたえども沈まず』とはコインの裏表の関係と言える。著者はゴッホの作品に出会い、「私も、絶えず対話しながら作品を見てきて、ゴッホが辿った足跡を資料で追いかけ、実際に現地を歩いて旅をしてきました」(p18)と記す。小説家の立場でいえば、本書はコインの裏面。コインの表が小説『たゆたえども沈まず』である。
 本書は、まさにゴッホの「あしあと」、ゴッホの人生、その作品、画家としての生活拠点について、時系列的にたどる。ゴッホの作品を解説し、「人間・ゴッホ」と対話する思索を重ね、ゴッホの居場所を訪ねる。作品ガイドと紀行文を兼ねたエッセイと言えようか。

 まず、目次をご紹介しよう。
  はじめに
  ファン・ゴッホの関連地図
  プロローグ 私とゴッホとの出会い
  第一章 ゴッホの日本への愛、日本のゴッホへの愛
  第二章 パリと林忠正
  第三章 ゴッホの夢
  第四章 小説『たゆたえども沈まず』について
  第五章 ゴッホのあしあとを巡る旅
  失われた春 -あとがきにかえて

 この目次を見ただけで、コインの裏表という関係が見える。第四章で、著者自身が『たゆたえども沈まず』の背景について語っている。この小説は「入口が林忠正で、出口がゴッホ」と語る。「林忠正は、結果からいうと、小説を創作するための大きな鉱脈でした」(p121)と言う。
 松方コレクションを残した松方幸次郎や、大原美術館を創立した大原孫三郎が日本に優れた印象派の作品をもたらし、印象派が日本で認知されるに至る。その結果、印象派画家の一人としてゴッホが日本人を虜にして行く。日本でゴッホの絵画へのブームが起こり、日本からのゴッホ愛が広がり深まっていく。
 だが、それより50年前に、林忠正がパリに居た。印象派の画家たちやゴッホが日本の浮世絵に惚れ込み日本を愛すること、所謂ジャポニズムの流行が西欧において先行した。

 第一章では、オランダ生まれのゴッホが画家を志した足跡を時系列で追う。ゴッホが画家を志すまでの紆余曲折と、画家となってからの画風の変遷、そしてゴッホと浮世絵との出会いを語る。

 第二章では、林忠正とゴッホ兄弟が1886年に同じパリにいたことが語られる。ゴッホは1886年、32歳の時に弟テオを頼ってパリに出る。パリで画家を目指す。この頃、弟テオはグービル商会に勤めアカデミーの画家たちの作品を主として扱う画商だった。一方、林忠正は、パリ万博に参加する日本側の一員としてパリに入った後、そのまま居付き、日本美術を扱う「林商店」として独立した歩みを始めていた。著者はここが小説を書く動機となったと語っている。著者は林忠正を美術商という領域における日本初のグローバル・ビジネスマンと位置づけている。
 「ゴッホ兄弟と林忠正が交流したという文献は、今のところ何一つ探し出せていません」(p60)と記す。それが逆に小説創作の原点になったと本書で明らかにされている。たとえば、次のことも明記されている。”小説『たゆたえども沈まず』の中では、「フランスという国で、あなたにとっての芸術の理想郷を見つけ出すべきだ」という助言を、林忠正がゴッホに与えるシーンを描きました。これは私のフィクションです。私は小説の中で、林忠正と加納重吉を、日本の権化、もしくは象徴として書きたいと思いました”(p70)と。

 第三章は、アルル時代以降のゴッホが絵に何を追い求めたのか、ゴッホの死までの期間を追いながらゴッホの夢を語る。アルル、サン=レミ=ド=プロヴァンス、オーヴェル=シュル=オワーズというゴッホが住みついた町やその地の風景を織り込みながら、ゴッホの足跡が語られる。
 この章には、ゴッホの絵、<アイリス>(1889年)、<草むら>(1889年)、<星月夜>(1889年)、<カラスのいる麦畠>(1890年)がモノクロで挿入されている。

 第四章は、上記の通り、小説『たゆたえども沈まず』の背景話である。著者はp124に林忠正肖像を載せている。そして、「この小説の目的の一つとして、『林忠正の復権』を考えていました。ゴッホの知名度は一般的にはほぼ100パーセントに近いと思います。しかし林忠正の知名度は1パーセントにも満たないのではないでしょうか」(p125)と記す。なぜ「復権」なのか。それは本書に記されている。「入口が林忠正」というフレーズもこの意図と関係していると言える。
 林忠正が美術商として浮世絵を扱う。勿論、他にも浮世絵を扱う現地の画商も居た。パリで浮世絵が認知され人気を博し、印象派の画家たちが浮世絵から画法などを吸収して行った。ゴッホも浮世絵に魅了された画家である。浮世絵が日本との接点となる。
 小説『たゆたえども沈まず』の最後で、林忠正がたしか「たゆたえども沈まず」というフレーズを語ったと記憶する。それが小説のタイトルになっている。このフレーズ、パリ市の標語から拝借したものと著者は明らかにしている。本書を読み初めて知った。
 著者は、この小説にもう一つの裏メッセージを絡めていると記す。本書でお確かめいただきたい。小説『たゆたえども沈まず』の読み込みを深める役にたつことと思う。この小説を読んだ時には、残念ながら、私は著者の言う裏メッセージまでは思いが及んでいなかった・・・・。

 第五章は、ゴッホが「どれほど切実に一つ一つの場所に行き、どれほど真剣に風景を切り取っていったのか、そこに住む人々の肖像を描きとめていったのか」(p142)という視点で著者がゴッホのあしあとを巡る。それがこの最終章である。
 パリ市内においてゴッホのあしあとを想起できる場所や建物などを列挙することから始まり、同様にアルル、サン=レミ=ド=プロヴァンス、オーヴェル=シュル=オワーズへと巡って行く。
 その後に、オランダ、ベルギー、ニューヨーク、日本においてゴッホの作品をコレクションしているお薦めの美術館を列挙し簡潔な紹介をしていく。ゴッホの作品というあしあとを鑑賞できる場所。著者が取り上げている美術館名を列挙しておこう。
 ファン・ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ひろしま美術館、ポーラ美術館である。

 最後に、印象深い文をいくつか引用しご紹介したい。
*ゴッホはつねに自分に向かって絵を描いています。自分が満足するもの、今描くべき絵を描き続けました。売れるかどうかもわからない。  p67
*ゴッホが個性を研ぎ澄ませるほど、狂気を孕んだように情熱的な絵になっていきます。その個性こそが新時代の窓になるようなものでした。美術が自己表現へと変わっていく過渡期でした。  p68
*天才とは、ピカソのような人をこそそう呼びたい。自分が意図しなくても、そっちの方に行ってしまうのが天才です。ゴッホは自分を鼓舞する努力もしているし、書き続ける努力もしている。努力家なのです。  p80
*何故、自殺してしまったのでしょうか。それは最後に自分の勇気を試したというのが私の結論です。テオを自由にするために自分はどこまでできるのか。 p111
*ゴッホはおそらく一種の心身症みたいな状態だったと思います。何をもって狂気とするか。・・・・・「狂気と情熱」、そこばかりが今までクローズアップされすぎてきたように思います。新しいゴッホ像をつくりたい。彼の周辺の人の目には、ゴッホがどう見えていたか。それを丹念に描き出したかったのです。   p132

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、検索した事項を一覧にまとめておきたい。
Fluctuat nec mergitur.  :「山下太郎のラテン語入門」
林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商  :「国立西洋美術館」
林忠正  :ウィキペディア
ドガと林忠正──交友についての覚書  :「三重県立美術館」
美術館に行こう Von Gogh Museum  ホームページ
ゴッホ美術館  :ウィキペディア
クレラー・ミュラー美術館 ホームページ
クレラー・ミュラー美術館  :ウィキペディア
MoMA ホームページ
ニューヨーク近代美術館  :ウィキペディア
ひろしま美術館  ホームページ
ポーラ美術館   ホームページ
松方コレクション  :「国立西洋美術館」
大原美術館 ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『リボルバー』   幻冬舎
『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『美しき愚かものたちのタブロー』  文藝春秋
『常設展示室』  新潮社
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『サロメ』  文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』  新潮社
『暗幕のゲルニカ』   新潮社
『モダン The Modern』   文藝春秋
『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』  文藝春秋
『楽園のカンヴァス』  新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』  毎日新聞社


『絵巻で読む方丈記』 鴨長明  [訳注] 田中幸江 東京美術

2022-12-13 13:32:52 | レビュー
 表紙と「絵巻で読む」という冠語句に興味を引かれて手に取った。『方丈記』の絵巻があるということを知らなかったので、それが一番のインセンティブである。
 三康文化研究所附属三康図書館蔵の『方丈記絵巻』が出典。表紙の折込部分には、「『方丈記』を絵巻仕立てにしたもの。絵の総数は、17図に及ぶ。近世以前作の『方丈記』の絵巻は他に例を見ず、大変貴重なものである。江戸時代写」と説明されている。冒頭の表紙に利用されているのは、この『方丈記絵巻』の「安元の大火の絵」である。
 本書は2022年7月に単行本として刊行された。

 読み始めてからふと思ったのは、『方丈記』訳注付の文庫本を購入していて書棚に眠っていたのでは・・・・。探してみるとなんと3種の文庫本を持っていた。それぞれ構成に特徴を備えた訳注付きである。

 『方丈記』は和文と漢文の特徴を併せ持つ「和漢混淆文」で書かれている。ほんの一部を原文で部分読みしてはいたが、和漢混淆文ということにちょっと敷居の高さを感じて、文庫本を買いながら原文を通読することなく眠らせていた。

 本書を開けて読み始めると、ページの基本構成は、まず『方丈記絵巻』の絵が上半部に、原文が下半分に記されている。そして、原文中の語句について、最小限での[注]が付記される。その後に現代語訳が続く。その現代語訳には、原文の上部に付けられた絵の部分拡大図が訳文の各所に配されいる。部分図にキャプションが記され、絵の細部を鑑賞・観察するガイドとなり、かつ方丈記本文の理解を拡げる一助となっている。

 読み始めて、鴨長明の和漢混淆文が意外と読みやすいということに気づいた。
 勿論、原文の語句の細部が理解できたという訳ではない。細部は気にせず、原文全体で鴨長明が語ろうとする大意が大凡捕らえられる。そして、それに続く訳注者の現代語訳で本文全体の意味が理解できる。お陰で、絵巻の絵を鑑賞し、イメージを描き出しやすい状態で、『方丈記』原文を一応通読し、現代語訳で鴨長明が伝えようとしたことの大凡が理解できたように思う。本書を読み進めることで、原文を読む抵抗感レベルが下がった。眠らせてきた文庫本を随時読み進める動機づけにもなった。

 本書の構成でおもしろいところをもう一点最初にご紹介しておこう。『方丈記絵巻』の原典に相当する部分(上半分が絵、下半分が原文)はページの上部が抹茶色の色帯となっている。その後の現代語訳のページはあずき色の色帯であり、識別できるようになっている。
 つまり、抹茶色帯ページを読み継いでいけば、『方丈記絵巻』の世界に入り込み鑑賞していくことができる。あずき色帯ページを読み継いでいくと、『方丈記』を現代語訳で読み内容を理解するとともに鴨長明の伝えたいことを味わうことができることになる。
 私は抹茶色帯ページとあずき色帯ページを交互に順次読む形で読了した。

 本書に全面掲載された抹茶色帯ページの『方丈記絵巻』の17図部分を眺めて、あずき色帯ページの現代語訳と部分図を読み継いでいくというのが、『方丈記』の絵巻の17図を鑑賞し、本文内容を理解しやすい方法と言える。

 本書を通読して、鴨長明は『方丈記』の前半に「五大災厄」の見聞を記録し、後半に方丈の庵の環境と周辺の風物並びに方丈での暮らしを描き、己の感興を記しているということがわかった。
 本書では、冒頭の有名な文章「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし」で始まる箇所を「序章」とし、その後に「五大災厄」が、
 「安元の大火」「治承の辻風」「治承の都遷り」「養和の飢饉」「元暦の地震」
と区分されていく。そして後半部分となる。
 後半は、本文が「人間の生活の苦しみ」「方丈の庵」「庵での生活」「たどり着いた境地」と区分され続く。
 そして「そもそも、一期の月影傾きて、余算、山の端に近し」からが「終章」とされている。

 上記した手許の文庫本の目次と本書のこの目次を対比的にみると、本文全体でみた場合、本文の区切り方にそれぞれの本で微妙に違う箇所がある。これは各訳注者の『方丈記』に対するスタンスの違いを示しているのかもしれない。今後読み継ぐ上でのおもしろさの一つになる気がする。

 色帯付きページ部分を前半とすると、後半に「『方丈記絵巻』解説」が載っている。
 最初に、「『方丈記絵巻』の構成」というタイトルで、モノクロ画像ではあるが、この絵巻(47紙)全体が8ページにまたがって掲載されている。絵巻のイメージを把握するのに役立つ。「絵巻の継紙と構成」が見開きページでまとめてある。
 その後に次の解説が続く。
 『方丈記絵巻』外観/ 絵巻の各場面/ 『方丈記』作者・鴨長明
 『方丈記』の諸本と文体/ 『方丈記』の内容/ 鴨長明略年譜
これらは、『方丈記絵巻』と『方丈記』について、さらに一歩掘り下げて、理解を深め鑑賞する導きとなる。専門的視点での解説が加えられている。
 
 本書を読んで初めて知ったのだが、『方丈記』もまた写本により流布し読み継がれてきたので、諸本が並存していて、二種五類に分類されるという。
 大きくは「広本(こう)本系統」と「略本系統」に二分類される。
 「広本系統」は、さらに「古本系統」と「流布本系統」に類別されるという。本書『方丈記絵巻』は「流布本系統」になるそうである。
 もう一つは略本系統で、こちらは「五大災厄」の記述がないものという。[長亨本・延徳本・真名本(真字本)]。

 手許の3種の文庫本を確認すると、3冊とも底本は「最古の写本である大福光寺本」となっている。ここでの分類に当てはめると「古本系統」である。同じ大福光寺本を底本にしていても、訳注の解説において、三者三様に本文の区切りが行われていることになる。『方丈記』も詳細に分け入っていけば、興趣が尽きないのかもしれない。
 
 最後に、後半部の訳注者の解説から印象に残る箇所を覚書を兼ねてご紹介しておこう。
*『方丈記』は「無常の文学」といわれ、「無常」を語る作品の代表格とされる。『枕草子』『徒然草』とともに「三大随筆」と称されることから、「随筆」の典型として捉えられることも多い。しかし『方丈記』は、あくまでも作者鴨長明が理想的な終の栖である「方丈の庵」について語った「住居論」である。 p103
*おそらく長明は、「和文」や「漢文」といった既成の文体に物足りなさや限界を覚え、和歌などの韻文の表現を散文の世界に調和させるにはどうしたらよいか、音楽的感覚に基づく語感を文章に乗せるにはどうしたらよいか模索したことだろう。・・・・「和漢混淆文」に、長明は表現の可能性を感じたのではないか。自らが目指す作品世界実現のために、最も適した表現手段を見出したのである。・・・・・・ 長明が「和漢混淆文」を用いて『方丈記』を書いたことは、もしかしたら当時は先鋭的で実験的な試みだったかもしれない。・・・・書かれた当時は「最新」の文体を用いた「最先端」の作品であったかもしれないということを忘れてはならないだろう。  p103-104

 111ページという厚さの本。そこに絵巻の17図すべてが多くの部分図とともに収録され、原文と現代語訳を併載し、諸観点からの解説も加えられている。楽しみながら『方丈記』の世界を知ることができる本。教養書の一冊としてお薦めできる。

 ご一読ありがとうございます。

『Curious George Cleans Up LEVEL 1』 Houghton Mifflin Company

2022-12-11 17:50:04 | レビュー
 Curious George の新冒険シリーズを英語絵本電子書籍版で読んだ。本書はコピーライトが2007年で、Universal Studios の所有権となっている。商標権は Houghton Mifflin Company に属するようである。このシリーズはレベル分けされており、本書は5~7歳を対象とすると裏表紙に記されている。この冒険シリーズのレベル1としては2冊目となる。
 裏表紙には本書の特徴がアピールされている。レベル1は「短い文、独創的な話、簡単な会話」で記されていること。そして、本書自体は「道具と科学技術、空気圧、簡単な工学技術」という点に焦点をあてているとある。
 表紙には、最初、Joe Fallon の脚本によるテレビドラマ・シリーズが作られて、それをもとに、Stphen Krensky が絵本にしたと表記されている。

 タイトルの Cleans Up は「きれいに(掃除)する」である。お猿のジョージが何をきれいにするのか? これがとんでもない方法を使う話だから、子供たちにとっては想像するのが楽しくなることだろう。

 黄色帽子の男とジョージが住む家に、新しい絨毯(じゅうたん、rug)が届き、ジョージは好奇心でワクワクする日になった。ジョージは色が気に入り、その上を歩くと柔らかい。歩き廻っている間に、喉が渇いたジョージはブドウジュースをガラスコップに入れる。ガラスコップを手に持って、絨毯の上に戻った。
 It felt squishy between his toes. という文が続く。足の指あたりでふわっと柔らかさを感じるということだろう。squishy という単語をこの絵本で知った。
 この後、ジョージはコップを持っているのを忘れて、絨毯の上で跳びはねた。勿論ジュースが飛び散って絨毯を汚す羽目に! さあ、大変。最初はペーパータオルを使ったが役に立たない。そこで、ジョージは知恵を絞る。
 Geoorge remembered soap was good for cleaning. ジョージはきれいにするには soapが良いということを思い出す。辞書を引くと「石けん」と訳されている。絵本は液体洗剤のボトルの絵が描かれている。つまり、洗剤の意味で使われている。ジョージは、いくつかの洗剤を一緒に使うと効果的だろうと考る。ここからがおもしろい展開になる。

 ジョージは床に敷かれた絨毯の汚れた部分に直に洗剤をそそぐ。後は「水」だと、屋外の蛇口からホースを伸ばし、絨毯の敷かれた部屋に窓の外から水をドンドン注入した! 部屋は水で溢れるばかり。水を入れすぎてしまう。
 そこでジョージは、近くの農場に行き、ポンプ(water pump)を借りることに。勿論、ポンプは重い。本文に It was heavy, so he had to put it on wheels. という記述がある。絵本には、ポンプを台車に載せた絵が描かれている。台車を weheels という複数形で表現している。手許の辞書にはそんな訳は載っていない。こんなところはなるほどと思う。これは子供用語なのだろうか。ここまでで、ホースや台車という「道具を使う」という視点がお話に導入されている。さらに、ジョージは牛に台車をひかせて家に戻る。
 And he had to get help towing it home. という記述がある。「引く」というと即座に pull を思い浮かべてしまう。ここでは、tow という単語が使われていた。引っ張る、牽引するという意味である。この単語も初めてこの絵本で知った単語。
 ジョージは、ポンプを家の外に台車に載せたまま設置して、時間をかけて、絨毯を敷いた部屋から、屋外に水を吐き出すことに成功する。ここで、空気圧の原理が登場する。

 絨毯は、湿っぽいけれど今までよりも綺麗になった。ここで、本文には、even if が使われている。5~7歳を対象とする絵本で、早くも出てくるのだなと思った。
 The whole room was ckeaner, even if it was a little wet. と記されている。
 最後の一文は、完全に全てが元通りになるにはしばらくかかったという表現になっている。
 絵本としておもしろいのは、ポンプを引っ張ってきた来た牛が、家の中に入ってきている場面でおしまいとなっているところ。最後の絵に、ジョージは出ていない。

 まあ、最後はめでたしめでたしで終わるのは定石であるが。

 この絵本の特徴は、お話の後に、「SIMPLE TOOLS AND TECHNOLOGY」という解説ページが付いていることである。大人が子供たちに対して道具と科学技術の初歩の一端を教えるためのページである。勿論、まず大人たちにきっちりと理解をしてもらうためでもあるのだろう。どのようにして楽に運ぶかの問題も一つ載せてある。それと空気圧の原理、高圧と低圧の説明がある。こちらにも問題が一つ載っている。

 部屋にホースで水をじゃぶじゃぶそそぐなんて、大人では考えもしないけれど、ジョージや子供たちの発想では楽しいかもしれない。

 絵本から学べることはやはりいろいろある。英語のリハビリ学習としては気楽に楽しく学べるというところ・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

 こちらもお読みいただけるとうれしいです。

『MARGRET & H.A.REY'S Curious George and the Dump Truck』
          Houghton Mifflin Company
英語絵本電子書籍版 覚書・感想 一覧  計 19冊 2022.12.1 Version 1