遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『私が彼を殺した』  東野圭吾  講談社文庫

2016-11-30 10:35:31 | レビュー
 加賀刑事シリーズにおける著者のチャレンジ精神はこの作品でも発揮されている。
前作の『悪意』は、野々口修の手記と加賀恭一郎の作成した記録や回想などの形式で小説が構成されていた。今回のこの小説は主な登場人物の氏名が章立ての見出しになっていて、その人物がそれぞれ自分の視点でストーリーのある側面を語り継いでいくという構成になっている。小説のタイトルに「私が彼を殺した」と言わしめる殺意の動機をそれぞれが秘めていて、「彼」の殺害に何らかの関与をしている可能性が垣間見えるというおもしろい展開となる。

 殺される「彼」とは、穂高誠である。穂高は脚本家であり、小説家。穂高企画という自分の会社を経営していた。静かな住宅街の中にあり、高い塀を巡らし、周りとは不調和なほど白い家に住む。それは穂高の傲慢さを象徴するかの如くである。穂高企画は順風満帆できていたのだが、穂高が本格的に映画製作に乗りだしたことで、その経営状態ががおかしくなりかけている。穂高は、原作、脚本だけでなく、製作、監督まで自分で始めたのである。過去2本の映画製作を手掛けたが、借金だけが残った。それを気にすることもなく、穂高は次の作品を手掛け映像メディアでヒットを出そうと考える。その為には、話題が不可欠という信念を持っていた。そこで彼は神林美和子に関心をいだいた。神林美和子は最近話題となった女流詩人である。

 上林美和子の詩を読む機会があり、彼女の詩人としての才能を発掘したのは編集者の雪笹香織である。彼女は穂高誠の担当編集者でもあった。彼女は上林美和子を女流詩人として世に出した後も、穂高の担当編集者を続けている。雪笹香織は、危うい関係と分かりながらも一時期穂高と肉体関係を持ったこともある。

 上林美和子は、保険会社に勤めながら詩を書いていたOLだった。美和子の詩がある機会に美和子の友人の姉にあたる雪笹香織の目に触れる。雪笹香織が美和子の詩人としての才能を発掘し、計画的に美和子の詩集のプロモーションを出版界に行った。その結果、美和子は話題の女流詩人となった。さらに、雪笹香織の紹介で美和子は穂高誠に出会う。その出会いが二人の結婚へと進展する。穂高にとってそれは計算尽くの行動である。結婚式の前月に美和子は保険会社を辞めた。 
 事件は、教会での結婚式当日に発生する。新郎となる穂高誠がヴァージンロードに足を踏み入れる直前に倒れて急逝してしまうのである。死因は毒によるものと分析される。穂高を毒殺したのは誰なのか?

 ストーリーは「神林貴弘の章」から始まる。貴弘は美和子の兄である。美和子が小学校に入学した翌日、親戚の法事のために車で出かけた両親が高速道路で事故に遭遇し即死した。そのため兄妹二人は別々に親戚に預けられて育つ。貴弘が大学に残ると決まった年に、15年ぶりに、女子大生となっていた妹の美和子が家に戻ってきた。貴弘は量子力学研究室に所属する。そして二人の同居が始まる。だが兄妹が長年別れて生活していたのが第一の間違いで、同居したのが第二の間違いとなる。二人の同居は近親相姦に進展して行ったのである。その環境を激変させるのが穂高の出現でもあった。
 最初の章は、貴弘の妹との関係についての回想と穂高邸に出向いての結婚式前の打ち合わせから始まる。穂高邸に集まったのは、穂高誠以外には、雪笹香織、上林貴弘、上林美和子、そして駿河直之である。駿河は穂高の事務所に勤める。穂高の片腕のような存在になっている。
 美和子が雪笹香織に言われて、エッセイの原稿を取りに行くためにリビングルームを出て行った間に、もう一人の人物がリビングルームのレースのカーテン越しに見える芝生を張った庭に現れるのである。雪笹香織が上林貴弘から目をそらし遠くに視線を向けたとき、芝生の庭に立った髪の長い女性の姿を発見し、目を大きく見開き、激しく息を吸い込む。そのシーンを貴弘は目撃する。

 章は「駿河直之」に代わる。駿河は庭に現れた白いひらひらしたワンピースを着て幽霊みたいな顔をして立っている女性が浪岡準子であると即座に気づき、愕然とする。駿河は穂高から浪岡への対応を迫られる。穂高は美和子に浪岡準子のことを気づかれたくないと告げるのだ。
 駿河は車のタイヤを作る会社に勤め、会社の金を使い込み窮地に立っていたときに、流行作家・脚本家として羽振りのよかった穂高の助けで使い込んだ金を返済することができた。それを契機に、穂高の事務所に勤めるようになる。駿河と穂高は大学時代、映画研究会サークルのメンバーだったのだ。穂高の会社の経理面を管理するとともに、穂高に頼まれ、自分が学生時代に書いたシナリオも穂高に提供するようになっていく。
 駿河の住居と階は異なるが同じマンションに浪岡準子が住んでいた。駿河はロシアンブルーの雌猫をペットとして飼っていたのだが、この猫がきっかけで、動物病院に勤める浪岡とあるきっかけで知り合いとなる。そして猫が取り持つ二人の関係は恋人的な付き合いとなっていく。しかし、駿河の恋人となる前段階で、浪岡を穂高に取られる事になる。穂高は口では浪岡準子に結婚することを匂わせるが、本音はその気が無い。そのうち、準子が妊娠してしまう。穂高は、準子が堕胎するするよう駿河に説得を頼み、堕胎をさせることまで任せてしまう。

 そして「雪笹香織の章」が続く。雪笹と穂高の過去の経緯が、雪笹の観点から語られていく。編集者と作家というビジネス関係に、肉体関係が加わっていく。穂高が結婚のことなど考えていないことを知りつつ、関係が深まる。浪岡準子の登場で穂高に捨てられても、編集者としてのプライドを保ち続け、ビジネス上の関係は継続する女性である。勿論、その後の穂高と浪岡の関係も熟知している。その上で、穂高の要望を受け、美和子を引き合わせるという役回りもしてしまう。勿論、穂高との過去の関係や己の感情は、上林美和子にはおくびにも出さない。上林美和子には有能な編集者として、常に対応していく。
 その結果、打算を踏まえた穂高の美和子へのプロポーズ、そして結婚式を控えた前日から当日へと進展していくのである。雪笹は穂高、上林との仕事絡みで前日は穂高邸を訪ね、当日は美和子の関係者、列席者の一人として結婚式に臨む。

 これで主な登場人物が出揃う。後は事件が発生した段階で、加賀恭一郎が登場してくることになる。

 上林貴弘は実の妹でありながら、美和子を異性として意識し、近親相姦を犯す。妹の美和子はその関係を清算することとの絡みも含め穂高のプロポーズを受け入れる。結婚式では兄の貴弘が親代わりの立場を兼ねた列席者とならざるを得ない。勿論、内心では穂高を憎悪する真逆の立場である。
 駿河直之は穂高の雇われ人であるが苦しい経営状態になりかけている事務所の運営を任されている。それなりの自負を持つ。無茶を言う穂高には欠かせない相棒的な位置づけにもなっている。大学からの友人でもある。一方で、恋人にしたかった女性を横取りされた男でもある。穂高の尻ぬぐいまでも手伝わされる役回りとなっている。
 雪笹香織はプライドが高い編集者。穂高に捨てられても、編集者という立場から、穂高が関わりを持つ女性の近くに居続けてきた。表面上は平静さを常に装い続けている。
 三者三様にそれぞれは穂高に対して憎悪・殺意に繋がる動機を秘めているのである。
 結婚式の前日に、芝生の庭に突然現れた浪岡準子は、その日の夜、穂高邸の庭で自殺する。浪岡が自殺に使用した毒入りカプセルは、穂高の死因となったものと同じだった。そのカプセルは、穂高が持病のアレルギー性鼻炎の薬として以前から飲んでいたカプセルと同じものだった。そしてそのカプセルの中身が毒入りのものにすり替えられていたのだ。
 ストーリーの展開プロセスの中で、この3人はそれぞれが毒入りカプセルを入手する機会があるという状況が現れていく。
 
 この小説の章立ては次の順番で移り変わる。その章名の人物が己の視点から一人称で語っていくストーリーで、全体が構成される。その個人語りがストーリーのプロセスとして繋がって行くという趣向である。『悪意』とはまたひと味異なるアプローチであり、そこに著者のチャレンジ精神が発揮されている。
 神林貴弘→駿河直之→雪笹香織→神林→駿河→雪笹→駿河→神林→雪笹→神林→
  雪笹→駿河→神林→駿河→雪笹→神林→駿河→雪笹→駿河→雪笹→神林
そこにさらに新しい試みが加えられている。加賀恭一郎の捜査行動はこれら3人の登場人物のそれぞれの受け止め方と加賀の行動を語る形を通して描写されていくことになる。加賀自体が、捜査過程で推理をしながら行動するという描写でのストーリー展開ではない。

 そして、事件に関係する登場人物が穂高誠の死後、初七日に穂高邸に電報で呼び出され、一堂に会することになる。そこに加賀恭一郎が現れる。最後の章は上林貴弘が語る形で、加賀恭一郎の行動が記述される。加賀は3枚のポラロイド写真を示し、次のエンディングの言葉を語ったと記す。

 「ほかの方には何のことやらさっぱりわからないでしょうね。しかし、一人だけ、今私がいったことの意味が理解できたはずです。そして理解できる人間こそが、穂高さんを殺害した犯人です」
 加賀はいった。「犯人はあなたです」

つまり、加賀の最後の説明をヒントに、このストーリー展開での推理を推し進め、理解できた読者だけが、この穂高殺害の犯人がだれかわかるという終わり方なのだ。『どちらが彼を殺した』よりも、一段階複雑になった構造である。上林貴弘、駿河直之、雪笹香織が語るストーリーの中に、すべての事実情報が書き込まれているといるという趣向である。
 最後に、マジックの種は明らかにしたでしょう。もうお解りのはず・・・・という、著者から読者への挑戦になっている。
 この作品も、形式は『どちらが彼を殺した』と同じで、西上心太氏による「推理の手引き<袋綴じ解説>」が文庫本の巻末に付いている。

 非常に緻密かつ巧妙に伏線が張られていくストーリー展開である。論理的推理力の乏しい凡人、つまり私にはポイントポイントを数回読み直して・・・・推理を楽しめるというか苦しめられる作品に仕上がっている。この謎解きをお楽しみいただきたい。
 
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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象に加わってきました。
次の本をまずは読み継いできました。お読みいただけるとうれしいです。
『悪意』 講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』 講談社文庫
『眠りの森』 講談社文庫
『卒業』  講談社文庫
『新参者』 講談社
『麒麟の翼』  講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社

『カラー版 妖怪画談』 水木しげる  岩波新書

2016-11-26 09:51:40 | レビュー
 近年、妖怪に興味を持ち始めた。高田崇史著『神の時空-かみのとき-』シリーズで、ぬりかべの福来陽一が登場してくるのを興味を持って読み継いできたことが、一つの大きな契機かもしれない。そして、丁度1年前に、菊池章太著『妖怪学講義』(講談社)を読んだ。これらはこのブログにその読後印象を載せている。
 その後、数冊の妖怪関連本を購入した。その内の1冊がこの本である。水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」はあまりにも有名である。その絵をいろんなところで見ているが、直接作品を読んだことがなかった。水木しげる著としてはこの新書版が初めてとなる。

 奥書を見ると、このカラー版が出版されたのは1992年7月。入手した本は2015年10月の第13刷である。多分、この本は廃れることはないだろう。不可思議なもの、妖怪という目には見えない存在を具象化して描き出した本なのだから、ちょっと関心を抱けば、好奇心が手に取らせる一冊だと思う。歴史的に有名なのものに鳥山石燕画の『百鬼夜行』がある。全部を通覧していないが、部分的にいろんな機会にその画図をみたことがある。

 本書で、大半の妖怪画は見開き2ページを使いカラーで描かれている。時には1ページに1点のところもある。絵と文章が一部重なるが、「談」の部分として、取り上げた妖怪に関わる一文が載せてある。妖怪そのものの説明と著者の見聞体験、調査・考察がわかりやすく読みやすい文で、エッセイ風に語られている。

 通覧した第一印象はまずその妖怪画にある。妖怪は漫画タッチの描写であるが、場面背景は細密繊細に丁寧に描き込まれている。そのコントラストに惹かれる。妖怪が現れるあるいは棲息する場所がすごくイメージしやすい。細密画と呼べる類いの描写である。色使いから美しさを感じる。その背景の中にマンガチックな妖怪がポンと飛び出している。通覧してその妖怪たちに、親しみを感じるのだからおもしろい。
 もう一つは、著者がところどころに、世界各地の妖怪を挿入していることにある。著者自身が現地に行き、現地での体験と見聞を踏まえて描いている。

 「はじめに」の文で、著者は4,5歳のころに、お寺に行き、「のんのんばあ」と呼んでいたようだが、ばあさんにお寺の地獄極楽の絵をみせてもらったという。それがが妖怪世界に没入していく原点だったと回想している。地獄極楽が「本当にあると思って非常におどろいてしまった」ところから、妖怪が「すなわち、いる、と思って五十年以上経過してしまった」という。著者にとっては、妖怪が「終生の友となってしまった」のだ。

 この本には、一つ一つの妖怪を語る「談」の中に、著者の妖怪探索遍歴が断片的に綴られていく。この部分、著者の人生が見える部分もありけっこうおもしろい。
 妖怪が出現するという現地に著者が出かけて行き、現地の人々と語り、その体験やイメージを丹念に情報収集して、著者自身が現地で妖怪を感じとる作業をしているのが良く分かる。たとえば、2番目に登場する「だきつきばしら」という妖怪については、「千年以上を経た黒光りする柱をみて、目にはみえないなにかを感じた。いや、たしかに形はないけれども、不可解な”気”に満ちていた」(p7)と文末に記す。
 各地の妖怪の話から、名称は違えども共通する妖怪の種と著者が分類している説明も文中に記される。たとえば、「産女(うぶめ)」を取り上げ、山口県で産女と呼ばれる妖怪が、所によっては「ウグメ」と言われるとか、愛媛県で「ウグメ」と言われる妖怪に触れている(p136)。

 勿論、本書には著者が創造した妖怪「鬼太郎」についても触れている。見開き2ページに鬼太郎とよく見る妖怪たちが大きく描かれている。
 この「鬼太郎」の項に、明確に著者の思い、考えが述べられている。著者は「鬼太郎」を実はこの本の妖怪の中に加えたくなかったそうだ。
 その理由は、「この本に出てくる妖怪たちはすべて、本当にいるのではないか(目には見えないが・・・・)という連中ばかりなので」とその理由を記す。逆に言えば、著者の原体験と人々の体験の聴取、文献の渉猟を経て、著者はいると思う妖怪をこの書に厳選したということになる。巻末に「登場妖怪一覧」が載せてある。それは本書の章立てに沿っている。つまり、
 Ⅰ 奇妙なもの見てある記  Ⅱ 出会った妖怪たち
 Ⅲ 妖怪の有名人たち    Ⅳ 幽霊・付喪神のたぐい
という区分で取り上げられている。

 妖怪については、著者はこんなことを述べている。
*もともと妖怪は簡単なことばでは説明しきれいないものだが、いわゆる「霊的なもの」である。霊々と書いてかみがみと読む読み方もあるが、神も霊(かみ)であり、妖怪も霊である、と考えて世界中の妖怪と対決すると、なぜか極めて妖怪がよくわかる。 p152
*もともと妖怪は目に見えないものが多い。すなわち感じだ。 p152
*神様と妖怪、あるいは幽霊と分けてしまうと、逆に本質を見失う。 p217
*日本のものを七、八百集めて頭の中に入れて、現地に行ってみると、非常に世界の妖怪がよく分かる(分かったつもりかもしれないが・・・・)。というのはやはりその本質は”霊”なのだ。  p221

 そして、鬼太郎について、イギリスの妖精風であるとして、妖精もまた”霊”なのだととらえ、「ぼくは40年かかって偶然、妖怪の妖精化をここみていたようである」(p154)と述べている。「目にみえないさまざまな”霊”は存在しており、健康なものだ」ととらえているのである。この文が載っている見開き(p154-155)の妖怪たちが大集合している絵は楽しげですらある。この絵に著者の思いが凝縮しているように感じる。
 本書末尾の「奇想を楽しむ日々」というエッセイの中で次のように記している。
   我々はもともと”霊々(かみがみ)の世界”からやってきたのであり、
   そして”霊々の世界”に去ってゆく存在なのだ。
   もう少し”霊的なもの”に関心をもっていい。
 
 楽しく妖怪たちに接することができる本である。それがまずおもしろい。

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妖怪がらみでネット検索して得た情報を一覧にしておきたい。
ゲゲゲの鬼太郎  :ウィキペディア
水木しげるロード彫刻群  :「鳥取ArtDBProject 野外彫刻」
水木しげる記念館 ホームページ
【公式】ゲゲゲの鬼太郎(第1期) 第1話「おばけナイター」 :YouTube
【公式】ゲゲゲの鬼太郎(第2期) 第1話「妖怪復活」  :YouTube
ゲゲゲの鬼太郎5期 ネコ娘登場シーン   :YouTube

画図百鬼夜行  :ウィキペディア
鳥山石燕『画図百鬼夜行』妖怪画像一覧  :「妖怪うぃき的 妖怪図鑑」
今昔画図続百鬼  :ウィキペディア
今昔百鬼拾遺   :ウィキペディア
百器徒然袋    :ウィキペディア
鳥山石燕     :ウィキペディア
鳥山石燕  岩井國臣 :「劇場国家にっぽん」
謎解き『画図百鬼夜行』-鳥山石燕の構成方法をめぐって- 北城伸子氏 論文
百鬼夜行  :「コトバンク」
百鬼夜行  :ウィキペディア
百鬼夜行絵巻 :ウィキペディア
うぃき的現代妖怪絵巻  :「妖怪うぃき的 妖怪図鑑」

【厳選25枚】江戸時代の幽霊画がめちゃくちゃ怖い【夜見ちゃダメ】:「江戸ガイド」
【閲覧注意】これは怖いゾォ~!世にも恐ろしい幽霊画 :「NAVERまとめ」
美しくも恐ろしい…厳選・日本の【美女幽霊画】浮世絵師別ランキング
    :「Ranking Share」

File99 おばけの絵  美の壺 :「NHKオンライン」
明治生まれの画家・伊藤晴雨がいざなう幽霊の世界  :「nippon.com」

[妖精は実在した!?] 写真に撮られた妖精たち!  :「NAVERまとめ」
「妖精の死体」がメキシコで発見される! DNA検査、X線撮影実施へ
    2016.7.21  :「知的好奇心の扉 トカナ」

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1年前に読んだ本について書いたブログ記事はこちらをお読みいただけるとうれしいです。
『妖怪学講義』  菊池章太  講談社


『マル暴総監』 今野 敏  実業之日本社

2016-11-23 17:28:19 | レビュー
 マル暴シリーズの第2弾! 北綾瀬署の組織犯罪対策係に属する甘糟達男巡査部長と彼が組む恐い先輩、郡原虎蔵とのコンビが主人公である。気楽に読めるマル暴刑事活躍ストーリーだ。二人の対照的なキャラクターは第1作の読後印象記の冒頭に触れたので、そちらをお読みいただければうれしいかぎりである。第1作は、甘糟刑事の名前が小説のタイトルになっていた。今回は「マル暴」+「総監」である。総監は何かのアナロジーで使われているのかと思っていたら、なんと「警視総監」の「総監」である。
 このシリーズ第2弾、一層コミカルさが加わった作品だ。構想に奇抜さがあって、マルBエンターテインメントとして楽しめる小説世界である。

 なぜか? それは最近新しく警視総監になった人物が主な登場人物の一人として登場する。その総監が警視庁の頂点として祭り上げられることを嫌い、まるで暴れん坊将軍のような行動を密かに夜な夜なしていたのである。都内の様々な夜の街に白いスーツ姿で出没し、喧嘩騒動などに割って入るという行動を取っていたのだ。それが甘糟の勤める北綾瀬署管内にも現れたことから、ストーリーは思わぬ方向へとどんどん展開するということになる。前作よりも一層コミカルに話がころがっていくという次第。

 発端は午後11時をすぎた頃に、郡原からかかってきた電話を甘糟が受けて、チンピラがにらみ合っているという通報現場に出向かされたシーンから始まる。場所は綾瀬駅近くの細い路地を挟んで並ぶ飲食街の、あるスナックの外である。睨み合いの連中を囲んで人垣ができている。睨み合っているのは、片方が3人組で、それと対峙しているのが2人組。人垣の中には、管内に事務所を構える多嘉原連合の組員・唐津晃(通称アキラ)がいた。甘糟はアキラを目に止め、彼から2人組が多嘉原連合の半ゲソだとわかる。また、人垣の中には、阿岐本組代貸の日村誠司の姿もあった。アキラからその睨み合いは前哨戦が終わった後始末なのだと聞き、甘糟は様子見をする。
 ところが、そこに人垣の中から白いスーツを着た恰幅のいい男が突然「待て待て」と言って飛び出してくる。時代がかった物言いをして、「この喧嘩、俺が買った。さあ、束になってかかって来やがれ」なんて言い出す始末。アキラに言わせれば、睨み合いの引っ込みが白いスーツの男によりぶちこわされたことになる。事態が悪化する前に、甘糟が職権を使う出番となる。甘糟は白いスーツの男に「何だ、てめえは?」と言われ、名乗ってバッジと身分証を見せる。その間に、3人組、2人組は姿を消していく。50代半ばの白いスーツの男も、甘糟に「どこかに消えてよ」と促されて立ち去る。甘糟は何となくその男の顔を知っているように感じたのだが、思い出せない。
 翌日、郡原に甘糟が状況説明をすると、白いスーツの男はどこかの組の幹部かもしれないと郡原は言い、聞き込みをしろと甘糟に指示する。甘糟は確たる情報はないが、組事務所に聞き込みに行き、日村から噂では新宿百人町あたりで、白いスーツの男が目撃されていることを知る。さらに郡原に教えられた警察組織の伝手をたより、白いスーツの男のことを追跡している間に、管内で刺殺事件が発生する。被害者は、甘糟の目の前で揉めていたチンピラの一人だった。

 結果的に北綾瀬署に捜査本部ができる。北綾瀬署の強行犯係と警視庁捜査一課の担当する事案となるが、チンピラが被害者だったという関係から甘糟・郡原もその捜査本部にかかわらざるを得なくなる。綾瀬駅近くでのもめ事が発端に関わっていると判断されたのだ。
 捜査本部の会議に、警視総監が臨席するという大事になる。真っ先に唖然としたのは、勿論甘糟だ。睨み合いの現場で白いスーツの男の顔を見て言葉を交わしていて、知っている顔と思っていたのが警視総監だったのだから。
 会議後、甘糟は警視総監に呼び出され、その夜の事を口外無用と命じられる。自己保身としては従わざるをえない。

 捜査本部の会議では、甘糟が見たもめ事の状況から、殺された男を含む3人組、2人組、白いスーツの男の身元捜査から地道な捜査活動が始まって行く。警視総監がなぜかこの事件には毎回会議に臨席するという一種桁外れな状況が続く。そのため捜査関係者はテンションが上がって行く。

 このストーリーの構想と展開において、おもしろいと感じる点をあげてみよう。
1.捜査一課の筋読みとして、まず白いスーツの男が重視され、その身元の割り出し、追跡捜査が最重要課題となって展開していくことである。甘糟は第1回の捜査会議から、白いスーツの男が警視総監であることを知ったので、総監が殺人事件と無関係だと認識している。だが、そのことを暴露できない立場に置かれた。まずこれが喜劇的要素の最たる点である。筋読みの間違いを知っている事実を指摘できないのだ。
 白いスーツの男=総監は極秘事項となった。その前提でストーリーが展開する。だから滑稽である。

2.甘糟が捜査本部の筋読みの間違いを、どのような策を講じて軌道修正させられるかに知恵を絞らざるをえなくなるという面白さ。
 マル暴刑事には自分は不向きだと甘糟がぶつくさ言いつつ、しっかりと事件の真相に肉迫していくその捜査プロセスがコミカルなタッチで描き込まれる。見るところはしっかりと見ている甘糟の思考と推理が楽しめる。

3.総監が何食わぬ顔で捜査会議に臨席し、ポーカーフェイスで状況を観察する。捜査本部のトップの筋読み違いに翻弄される捜査員の状況を見ながら、総監がどうするかという点の興味がある。総監自身の立場上、自らの暴れん坊将軍的思いつき行動が絡んでいることを暴露できないのだから滑稽である。さて、総監は火の粉を浴びないためにどんな手にでるか?
 総監が臨席する捜査会議の状況描写もおもしろい。

4.捜査本部の主流である捜査一課・強行犯係の捜査とは一線を画し、郡原・甘糟が特命で別途捜査行動を始めて行く。それがどういう展開をするのか、本流の筋読みにどう絡んでいくのか。このコンビの捜査のしかたへの興味が加わる。
 その際にも面白いのは、甘糟は郡原に対しても、白いスーツの男が総監であることを告げることができない立場である。その前提で独自捜査を進めることになる。では郡原はどういう形で総監の関わりを知るのか?

5.郡原は適度に仕事をさぼりながらも、己の推理を働かせ筋読みと犯人究明を考え続ける。そして、甘糟に大まかな捜査方向と、調べる課題をポンと投げつける。恐い郡原の大まかな指示を受けた甘糟が独自の推理と考えを積み上げて、打開策を見つけていく。それが的を射た捜査の進展となっていく。この展開がどうなるかが読みどころとなる。
 この二人の行動の描き方がコミカルでおもしろい。
 甘糟は、多嘉原連合の事務所と阿岐本組の事務所の双方を振子のように往き来しつつ必要な情報を集める。同時に警察組織内の伝手を頼った情報収集、独自に築いたヤスと呼ぶ情報屋の線からの裏付け情報の収集など、知恵と努力を重ねる。そのプロセスでの甘糟の愚痴の連発が実にコミカルなのだ。甘糟の愚痴を読むのが楽しくなってくる。

6.捜査本部を担当するのは捜査一課の土井係長である。この捜査本部が立ち上がり、甘糟と郡原が加わったわけだか、捜査のプロセスで甘糟は郡原と土井係長が同期だということを知る。そして、甘糟が郡原の指示を受けて会う新宿署の組織犯罪対策課の上小路刑事もまた、郡原の同期だった。そんなことから、郡原についてのプロフィールの別の側面が見えてくる。ここもまた興味深いところである。郡原のイメージがふくらむ。

 捜査の進む中で、土井係長が甘糟に総監に呼び出されたことについて質問される。勿論、甘糟は「総監の気紛れ」だろうとシラを切るしかない。しかし、このとき、土井係長はその気紛れという言葉から、ふと妙な噂のことを語る。総監が着任してしばらくすると、警務部や警備部というごく近しい連中の間で総監にあだ名がついたという噂を最近聞いたというのだ。そのあだ名が「マル暴総監」である。土井には、なぜそんなあだ名が付いたのかが不可思議だという。ここでさりげなく、この作品のタイトルの由来が記されている。
 
 2人組の半ゲソはアキラを通じて身元はつかめる。謎の3人組の名前を甘糟はなんとか多嘉原連合のアキラと阿岐本組代貸の日村から聞き出すことに成功する。ヤクザはその縄張りの関係から、地元で起こったチンピラ絡みの刺殺事件に無関心ではいられない。ヤクザの情報網をつかってアキラと日村はそれぞれ独自に情報収集していたのだ。3人組の名前が割れる。そして、彼らの中に江戸川区あたりの暴走族だった者がいることがわかる。甘糟は警察組織の伝手から具体的な背景情報を収集して、捜査と推理を重ねていく。
 そこから甘糟には、殺人事件の構図が見えてくる。そして暴力団がどう関わっているかも。

 捜査本部は最後まで、白いスーツの身元を追い続ける。まさに骨折り損。しかし、それが間違いながらも、総監に行きつくなら別の意味で大変・・・・。さてどうなることか。

 一方、甘糟・郡原の捜査本部内での特命別行動も、郡原の思考と甘糟の捜査活動が成果を見せ始める。そして、郡原も白いスーツの男の正体を遂に知らされることになる。
 事件の解明の最終段階で郡原が妙案を画策する。これがなんともおもしろいエンディングに繋がって行く。それにより総監が白いスーツの男だという正体がばれることなく、ハッピーエンドとなる。これ以上書けば、読む楽しみがなくなるだろう。印象記を終えよう。

 このシリーズ第2弾、警察組織に実際にありそうな局面へのアイロニカルな視点も織り交ぜながら、多分起こり得ない構図をフィクションとして構築している。著者は楽しみながら書いていたのではなかろうか。

 ご一読ありがとうございます。
 

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)


『悪意』 東野圭吾  講談社文庫

2016-11-20 00:00:48 | レビュー
 加賀刑事シリーズは著者が小説の構成に様々なチャレンジ意欲を発揮していておもしろい。今回は算用数字による章立て表記ではなく、「事件→疑惑→解決→追及→告白」という形で章が進み、それらは野々口修の手記、あるいは加賀恭一郎の記録文あるいは独白という体裁になっている。その後に「過去の章」が三章続く。それは「加賀恭一郎の記録、彼等を知る者たちの話、加賀恭一郎の回想」で構成される。最後に「真実の章 加賀恭一郎による解明」で終わる。

 この小説を読み、私が興味深いと思ったころを列挙してみる。
1.野々口修が児童向け読み物の作家であるという設定にある。発生した殺人事件に関連して、作家が自分の立場や行動を手記にまとめる。その手記を読者が読むという形でストーリーが始まる。その野々口は、加賀が教師の道を選択し、社会科の新任教諭としてある中学校に赴任したときに、国語の教諭として在職していた先輩だったという関係が明らかになる。加賀はかつての同僚かつ先輩であった野々口を殺人事件の容疑者として捜査することになる。過去のある時期の野々口について、加賀は経験としてその人物を知っていて、印象を持っている。それが捜査の中で加賀の思考・推理にどう影響していくかという点が興味深い。

2.野々口の過去との関わりから、教師となった加賀恭一郎がなぜ教職の道を断念したのかという理由が明らかになる。それがこの小説の副産物でもある。なぜ加賀が教職の道を断念し警察官に転身したのか。加賀恭一郎という人物の過去自体に抱いた関心の一端が解明されている。少なくとも私にはこのシリーズを読み継ぐ上での関心事の一つを充たされた。

3.野々口は作家である。手記という形でストーリーが語られる。手記の中に事実を記しつつ自分に有利な形に変容させて虚偽の部分を巧妙に混入させている可能性がある。その手記に対置するものとして、加賀恭一郎が事件捜査の事実記録として記したもの、記録ではないが独白として事実解明への一端を語るものの2つが組み合わされていく。おもしろい構成である。それらをつないで殺人事件の真実が見え始めていくというストーリー展開とその構想がおもしろい。
 野々口の手記内容から事実と虚偽の分離を行うことと、虚偽部分が事件の事実解明にどう関わるかの解釈が重要になっていく。手記内容の解釈が二転三転していくという緻密な構成になっている。なるほど、そう読めたのか・・・・という興味深さがある。

4.この小説のタイトルは「悪意」である。野々口の悪意がどこにあったか、それが印象的である。

 さて、ストーリーの発端は、4月16日火曜日に流行作家日高邦彦の自宅で起こる。野々口修の手記は、彼が午後3時半に自宅を出て、電車・バス・徒歩を合わせて20分もあれば到着する日高邸に向かうところから始まる。
 日高邦彦は小学生の頃から野々口修が知り合っている友人関係にある。日高がいち早く作家として認められ、流行作家となった。国語の教師をしていた野々口は日高の紹介を得て、子供向けの読み物作家の道を歩み出したのである。
 野々口が日高邸を訪れたとき、彼は2つのトラブルに出会う。一つは八重桜が1本だけ植えられた日高家の庭にジーンズとセーターという軽装の女が入り込み、腰をかがめて地面を見ていたのに出くわす。その女の飼い猫が死んだのは日高が毒ダンゴを仕掛けたせいではないかと恨んでいるのだという。日高は猫について「我慢の限界」というエッセイを書いていたのだ。日高は野々口に毒ダンゴを庭に仕込んだのだという。
 野々口が日高と話しているとき、藤尾美弥子が訪ねてくる。彼女は日高の書いた小説『禁猟地』の回収と全面的改稿のクレームを日高に行っているのだ。その著書はある版画家の生涯を描いたフィクションなのだが、そのモデルが美弥子の兄、藤尾正哉なのだ、正哉の学生時代の奇行がほぼ事実通りに小説で描かれていることへの名誉毀損クレームである。藤尾正哉は、野々口、日高たちと同じ中学に通っていた同級生でもあった。
 日高家を辞去した野々口は、夕方自宅のマンションを訪れた童子社の大島が野々口の原稿を読んでいる時に、日高からの電話を受ける。そして、午後8時頃、日高邸を再訪する約束をする。

 午後8時に日高邸についた野々口は屋敷が真っ暗で門灯も消えているので、クラウンホテルに泊まっているはずの日高の妻理恵に電話を入れる。理恵のの到着を待ち、屋敷に入る。日高の仕事場のドアには鍵が掛かっていて、中に入ると真っ暗だった。しかし、パソコンのスイッチが入ったままで、デスクトップのモニター画面が光っていた。日高邦彦は部屋の中央でうつ伏せの状態で、首を捩り、ひだりお横顔を見せて死んでいたのだ。
 日高夫妻はこの日の夜、クラウンホテルに一泊し、翌日出国して、バンクーバーに移住し、そこを仕事場にする予定でいたのだ。聡明社の月刊誌への連載の最後の1回分を仕上げて、ファックスで送るために、日高はこの仕事場に残り、妻の理恵は一足先にホテルに行っていたのである。
 通報により、警視庁の捜査員たちが現場検証を手順通りに行う。この現場に加賀刑事が登場する。加賀はこの殺人事件の捜査の一員となる。
 凶器は日高の仕事場に置かれていた文鎮で、これによる殴打が原因だった。玄関および仕事部屋のドアには、鍵がかかっていた。ドアノブの指紋は日高夫妻のもののみ。仕事場の鍵は内側からかけられた可能性が高い。それは指紋が拭き取られた痕跡が残るからである。使用された凶器と鍵のかかった部屋の状態が、いくつかの矛盾をはらむ。そんな状況の中で、加賀の推理が始まって行く。
 野々口修の手記はじつに整然と書かれていて、野々口のアリバイも完璧にみえるのである。「だが私(=加賀)は正直なところ、犯人は彼(=野々口)ではないかと疑っている。そのきっかけとなったのは、事件当日の夜に彼が発した、なんでもない一言だ。それを聞いた瞬間から、私は彼が犯人である可能性について検討を始めた」(p83)のである。

 作家である野々口が整然と記した手記、及び野々口の提示する資料・情報、関係者とのかかわりで確認されるアリバイ状況など、一見容疑者とは思えない野々口に対して、加賀がアリバイ崩しに挑んでいく。
 アリバイ崩しのための捜査を加賀が推し進めていくと、それは野々口と日高の小学生時代からの関わり合い方にも結びついていく。
 一種の密室殺人事件の謎解き、緻密に練られたアリバイに如何に風穴をあけられるかのせめぎ合い、そして少年時代にまで遡っていくことになった人間関係に潜んでいた謎、これらが絡みあっていく。手記と状況証拠の解釈が、見方をかえると二転三転していくのである。
 アリバイ崩しの推理プロセスと野々口修の犯行動機の究明が実に興味深い。野々口自身は最後まで、真の犯行動機を語らないのだから。
 この小説は構成という点で著者の意欲的な試みがおもしろい。このシリーズにおいて著者が小説のスタイルをさまざまにチャレンジ精神していく意気込みが楽しい。次はどういう試みが現れるのか、期待したい。

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『どちらかが彼女を殺した』 講談社文庫
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『どちらかが彼女を殺した』 東野圭吾  講談社文庫

2016-11-16 09:09:54 | レビュー
 主な登場人物はごく限られている。
 第一章の冒頭にまず和泉園子が登場する。彼女は便箋に手紙を書きかけ途中で誤字をしたことから読み直し、書き直そうとするが手紙を書くことをあきらめる。そして兄に電話をする。
 ”「お兄ちゃん以外、誰も信じられなくなった」
  「どういうことなんだ」
  「あたしが死んだら」と少し声をおおきくしていい、
  「きっと一番いいんだろうなと思う」と沈んだ声で続けた。
  「おい」
  「冗談」といって兄に聞こえるように笑い声をあげた。
  「ごめん。ちょっと悪ノリしゃった」”
という会話をし、明日必ず帰って来いよ、と言う兄に、帰れたらね、と園子は言って電話を切る。
 園子は東京にある女子大を卒業後、地元の愛知県に本社がある従業員約300名の電子部品メーカーに入社し、東京支社の販売部に所属するOLである。同期入社の仲間たちが全員退職し、今は販売部の女子社員の大半は彼女よりも年下という状況にある。東京のマンションで一人暮らしをしていた。

 電話を受けた園子の兄は、和泉康正(やすまさ)という。愛知県名古屋在住で、愛知県警に務め、交通課に所属して、特殊なシフト制の勤務についている。
 康正たちの子供のころに父親は脳溢血で死亡、3年前に母親が病気で亡くなり、兄妹だけとなった。名古屋と東京と生活場所が離れ、顔を合わせるのが1年に1度有るか無しになっている状態だった。電話での連絡は絶やさない兄妹だったが、金曜日の園子の電話を康正は異質なものと感じていた。康正は日曜日の朝から月曜日の朝までの当直勤務の折に幾度も電話をしたのだが、園子の応答がない。そのため康正は勤務空けに、東京の園子のマンションへ自家用車で訪ねる決心をした。
 両親を亡くした時に兄妹が決めた約束で、お互いの住まいの合鍵を預かることにしていた。康正は合鍵を使いマンションの園子の部屋に入る。康正の不吉な予感が的中した。
 康正は、胸まで毛布をかぶった園子が死んでいるのを発見する。彼女が名古屋に住んでいた頃から使っていた古いタイマーとその電源コードを利用して、設定時刻になれば電流が心臓を通過し、ショック死するという仕掛けをした形で死んでいた。
 まずすべきことは警察に連絡することなのだが、康正はそうはしなかった。
 電話機を探すために室内を見渡し、何かが心にひっかかったのだ。室内でワインを飲んだ跡がある。ベッドの傍の小さなテーブルの上に、白ワインの入ったワイングラスが載っており、流し台の中にもう一つのワイングラスが立ててある。その他の室内の状況から、園子は自殺したのではないと康正は確信する。園子の死の原因、つまり犯人を自ら追跡して捕らえるという決断をする。
 そこで室内の状況を警察官の目で検分し、捜査に必要な証拠物件を収集することから始める。時間をずらして警察に連絡を入れるためにも、現場を荒らさずに必要と思う証拠を集める必要がある。康正はさらに地元の警察が自殺と判断する方向に導く意図で証拠隠蔽・改竄を加える。己で犯人を突き止めるという目的を遂げるために、康正が現場状況に手をつけていることを悟られないようにカモフラージュしなければならないからだ。
 こんなシーンから、このストーリーが具体的に進展していく。現役警察官が所轄の警察を欺いてまでも、妹を死に至らしめた犯人を糾明するという行動がストーリーとして描きこまれていく。

 この小説はその筋立てがおもしろいて興味深い。かつ著者から読者への挑戦という謎解き課題を残したストーリーに仕上げられている。以下の点を上げておきたい。

 1.主な登場人物がごく限られた設定になっているのがおもしろい。
  死んだ状況で発見された和泉園子。その死を発見した兄の康正。そこに加わる人々は、第1章の後半に登場する。
  佃潤一(つくだじゅんいち): 園子は一年余前の10月、会社から徒歩10分ほどで開店して日の浅い蕎麦屋に昼食に出かけたおり、蕎麦屋に入る細い通りで、24,5歳に見える一人の青年が絵を売っているのを見かける。園子は並べられた絵の中に、好きな猫の赤ちゃんの絵を目にとめる。それがきっかけとなり、園子と年下と思える佃潤一との交流が始まり、やがて交際へと進展していく。出会いから3ヵ月後には、等々力の高級住宅地の中にある潤一の両親の家を訪れるまでになる。
  弓場佳世子(ゆばかよこ): 園子の高校時代の同級生で、園子が唯一心を許せる友人である。同じ女子大の同じ学部に入学したことから、さらに付き合いが深くなる。園子は潤一との交際が深まった時点で、兄の潤一よりも先に、友人の弓場佳世子を潤一に紹介した。これがその後の流れを変えていくきっかけになる。
  潤一が園子との距離を置くようになり、ついには佳世子とつきあっていることを園子に告げる。
  加賀恭一郎: もちろんこのシリーズの主人公である。彼は康正が警察へ連絡を取った後に、マンションの所在地の所轄が練馬警察署だったことから、練馬署の刑事の一人として現場に現れる。現場では、事件の手順どおり指紋採取や写真撮影といった情報収集から始められていく。加賀は、現場にいても康正には何の質問もせず、手紙類、領収書類をさかんに調べ、流し台を見たり、ゴミ箱を覗き込んだりするだけという行動をとる。康正は質問してきた刑事たちよりも、加賀の行動がむしろ気になるのだった。
 このストーリーは和泉康正、佃潤一、弓場佳世子と加賀恭一郎という主な登場人物を中心に、捜査過程でその周辺の関係者が立ち現れながら展開する。

 2.ストーリーは2つの捜査が同時進行する形で進んで行く。
  一つは現場に工作を加え、重要な証拠物件を確保した和泉康正が、本来の名古屋での警察官業務の休日などを使って、私的に開始した捜査活動プロセスの描写である。事件に関わる刑事という風を装って関係者の糸を辿っていく。上司にも内緒での行動であり、越権行為を犯すので、これが発覚したら警察官の職を失うことにもなる。警察組織を使えない制約の中で、康正は手中にある重要な物的証拠類を分析し推測し仮説を立てていく。康正がどのように捜査を進めて行くか。それへの興味関心が深まっていく。康正の情報収集から園子の周辺事情が明らかになっていく。
  もう一つは、康正により現場は一種の隠蔽工作がされていたのだが、そこに残された現場の状況と遺留物という事実データをもとに、加賀が着実な捜査を推し進めるアプローチである。この事件に関わった他の刑事たちとは距離を置き、加賀は自殺と即断せず、状況証拠や残された物的証拠から他殺の可能性を含めて検証する。彼はその結果他殺の線で捜査を進めていく。警察組織の中で孤立した捜査活動である。康正とは異なり、かなりのハンディを背負った中での推理、と仮説をもとに、捜査を重ねて行く。
 この二人の捜査の交点がどこでできるか。二人がどういう捜査行動を辿って同じ地点に辿りつき、交差する時を迎えるか、その後互いがどういう行動をとるかが読ませどころとなっていく。

 3.捜査活動の結果、容疑者は佃潤一と弓場佳世子に絞り込まれていく。しかし、その二人のアリバイをどう崩せるかがもう一つの読ませどころとなる。
  最後の場面は、マンションの園子の部屋で事件の謎が解き明かされていく。そして加賀と康正にはどちらが犯人なのかについて、同じ結論に達したのである。康正は最後の最後で、何が決め手になるかがわかり、その決め手を実見していたことから論理的にどちらが殺したのかという結論を導き出せたのである。
  康正は加賀の居る前で、最後の復讐という行為に出る。それは意外な結末となる。これがなかなかおもしろい終わり方である。
  一番面白いのは、加賀と康正の達した結論として、犯人が特定されるが、犯人の氏名はこの小説に記されていない。「どちらかが彼女を殺した」という情報はすべて提供済みなので、読者もまた加賀・和泉と同じように犯人を特定できるはずだよ、という著者から読者への挑戦である。この謎解きをどうぞお楽しみくださいというユニークな試みである。こういうスタイルの警察小説を書いている作家は他にもいるのだろうか・・・・。

 文庫本は巻末に西上心太氏による「袋綴じ解説」が付いている。「推理の手引き」と題するもの。助手と教授の対話という形で語られている。助手は言う。「ずいぶんイジワルな作家ですねえ。読者を苦しめてなにが楽しいんやら」と。その後に教授が謎解きの決め手になる部分にふれていく。当然ながら、犯人の特定の仕方を一歩踏み込んでくれているに止まるが、やはりこの踏み込み方が我々凡人の読み手には手助けになる。あとはご自分でお読みいただき、「推理」を積み重ねてみていただきたい。
 凡人読者の苦しみを分かち合いましょうよ。

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『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 今野 敏  徳間書店

2016-11-11 10:29:11 | レビュー
 横浜みなとみらい署暴対係という警察小説シリーズもたしかこれが第4作となる。
 このシリーズ作品には、ストーリーを読み進める上で読者を惹きつける3つの軸があるように思う。
1) 暴対係の係長・諸橋夏男(もろはしなつお)と係長補佐・城島勇一(じょうじまゆういち)の絶妙な関係という軸がある。諸橋は暴力団及び暴力的組織の根絶を目的・悲願とする刑事であり、通称「ハマの用心棒」と称されている。しかし、本人はそう呼ばれることを嫌っている。城島は諸橋ほどには暴力団根絶という意識はない。暴力団とひと括りにせず、一般市民に多少のプラスとなっている側面のある組織の存在を否定はしていない。法律に抵触するかしないかという基準で判断する。この微妙な価値観の差が、捜査活動でも現れてくる。相棒を組む立場ではないが、それに準じた行動をとっていくところがおもしろい。二人の思考方法は結果的に相互補完的にうまく機能していく。捜査推理における2人の関係と行動が読ませどころになる。
2) 諸橋と神野義治(じんのよしはる)の心理合戦的関係の軸がある。神野は常盤町に古い日本家屋の自宅を持ち、そのあたりだけが昔のたたずまいを残す区画になっている。自宅の表札の脇に「神風会」という看板を掲げる組である。とはいっても、組長の神野と代貸の岩倉真吾の2人しかいないというヤクザである。ただし、ハマでは一目置かれた組でもある。
 諸橋は神風会もヤクザだから何か事を起こせば潰すという立場を堅持している。城島は神風会を昔ながらの任侠団体的存在ととらえていて、神野にある意味で好感すら抱いている。城島と諸橋にとり、結果的に神野は横浜という地域に関連する裏社会の情報源という存在になっている。神野からの情報収集が事件解決の大きなヒントにつながっていく。そこに両者の心理的な攻防戦が常に加わる。ここがストーリーの展開のなかでのおもしろい部分であり、読ませどころになる。
3) 諸橋と神奈川県警の笹本康平監察官との関係という軸がある。笹本警視はまだ30代のキャリアであるが、神奈川県警への異動となった折、警察組織内の綱紀粛正のために自ら警務部監察官室を志望したという変わり種である。彼は諸橋の行動が警察内の組織人としての行動枠から外れがちな点に注目していて、諸橋を監視下に置いている。諸橋の仕事のやり方が気に入らないふしがある。つまり、見た目には一種対立関係にある。ただ、このシリーズが重なるにつれ、対立関係にありながら、その関係が微妙に異なる色合いを加えて行く。この変容する局面が読ませどころになりつつある。

 この3つの軸が、諸橋の所轄区域で発生した事件の展開、捜査推理にどのように作用しストーリーに織り込まれていくかが興味深いところなのだ。

 事件の発端は、桜木町駅近くの飲食街で起こる。12月の冷えこみがきつくなったある夜、居酒屋で諸橋と城島が熱燗のコップ酒を呑み小休止していた時に、喧嘩という声を聞く。300mほど先の現場に2人が出向くと、どちらも柄の悪い連中が2対3で対立していた。諸橋が双方の間に入る。警察手帳をみて2人組は引いたが、3人組は逆ギレしたかのように、諸橋・城島に突っかかっていく。3人をうまくあしらい、手錠をみせるとやっと3人組は一旦引き下がった。
 ところがその後、諸橋、城島が居酒屋で飲み直しをしていると、先ほどの3人組が5人に増えて、刑事と知りつつ意趣返しに現れたのである。諸橋は城島に部下を招集するよう指示する。勿論、諸橋らに5人組は制圧される。それは事件の予兆だった。

 5人組の様子から、諸橋と城島は彼らが東京中心に活動しているはずの中国残留日本人の二世や三世の半グレと推測する。なぜ、東京の半グレ連中がハマで事件を起こすのか?横浜に遊びにきただけなのか?
 翌日、5人組の取調べをする一方で、ハマの裏社会の情勢に詳しい神野に二人は念の為聞き込みに出かける気になる。神野から東京の半グレがチャイニーズマフィアのうちの東北幇(とうほくばん)とつながっているようだという情報を諸橋と城島は得る。諸橋と神野の心理合戦的な会話の中で、神野が諸橋の来訪は他の要件と思っていたふしを感じ取り、諸橋が追及すると、神野は「田家川(たけがわ)のことですよ」とひとこと言う。指定暴力団板東連合会相声会の横浜支部長で理事という立場の田家川竜彦は、自らも田家川組という組織を持っているが、本人は刑務所に服役中なのだ。そのときの事件は既にケリがついたと諸橋は判断していた。だが神野は火種がまだ横浜でくすぶっているという。それ以上は、神野の稼業絡みで言えないという。
 そんなやりとりをした夜、羽田野組組長、羽田野繁、40歳が撃たれて死亡するという事件が発生する。羽田野はみなとみらいの海岸方面に建つホテルからの帰り道、羽田野の乗用車に併走してきたバイクに乗る男に銃撃されたのだ。手下により運び込まれた病院で死亡が確認された。羽田野組は、関西に本家がある暴力団の三次団体にあたる。田家川竜彦の目論んだ事件の折に関わり、そのまま横浜に事務所を置いて居座っている組の組長が射殺されたのである。

 半グレ5人組を検挙し、留置場に入れて取調べをしていたが完全黙秘が続いている矢先に羽田野襲撃事件が発生した。5人組について逮捕状請求の手続きをしていないままだった。諸橋の前に笹本監察官が現れ、規則違反を理由に5人組を釈放せよという。それが諸橋のためでもあると言う。諸橋は落ち度を認めざるを得ず、5人組を釈放する。釈放して泳がせることで何かがつかめないかとも考える。つまり、部下に5人組を尾行させ監視に入ることになる。その後、半グレはダークドラゴンという集団の一員だとわかる。

 当然のことだが、羽田野襲撃事件には捜査本部ができ、県警の捜査一課とともに強行犯係が捜査を担当することになる。捜査本部は殺人事件の犯人捜査という視点で事件に取り組んでいく。殺されたのはマルBであるが、ハマのヤクザの組織状況や勢力関係がどうなっているかについて情報をあまり持たない上に、その視点を考慮する意識も少ない。捜査本部は、犯人がバイクを使い、九ミリのオートマチックを使い10発を乗用車の後部座席に向けて撃ち込んだという手口から捜査を進めていく。
 一方、諸橋と城島は、羽田野殺しはハマの縄張り争いと深く関係していると推測する。神野がひとこと言った田家川絡みの火種の線である。田家川竜彦が服役中でも、田家川の意を汲んで動く者が居るはずである。田家川が指示したか、意を理解して独自に動いたということなのか、という観点から諸橋たちは捜査を始める。また、関西系の羽田野組組長の殺害は、関西系の暴力団の本家が横浜に直に現れ、報復を始めるきっかけになりかねない。もし関西系が羽田野繁の葬儀を横浜で行うということで出張ってきたら、それはハマでのヤクザの戦争に拡大する懸念もある。羽田野繁の葬儀がどこで行われるかも、暴対係には大きな関心事になっていく。
 諸橋の部下による監視の報告によると、半グレのリーダー格一人は横浜の安宿に逗留し、横浜の動きを監視するために残っている様子だという。ダークドラゴンの起こした事件の直後に羽田野殺害が発生していることから、この2つの事件はどこかで繋がるかもしれないと諸橋は考える。
 
 田家川の指示あるは意を汲み取って動く人間がいるとしたら誰かという線から、諸橋と城島は、田家川の懐刀で実力ナンバーツーの志麻元雄藏を俎上に上げる。彼は相友組合の理事長であり、相友組合は実質は志麻元組というヤクザなのだ。諸橋は志麻元雄藏の動きを見張りの対象に加える。だが、まず諸橋がそう考えるのは神野のひと言に端を発している。もし、神野の発言を疑うなら、今の状況をどう捉えたら良いのか? 諸橋と城島の思考は二転三転していく。

 諸橋が神野と接触することは、捜査本部の捜査を妨害する事になるという発言すら出てくる。そして、捜査本部の捜査と目撃証言から、神野のところの岩倉が犯人隠避の疑いで捜査本部に引っ張られるという事態に発展する。捜査本部は神野を疑い出す。
 その線はないと確信する諸橋と城島は神野に会いに行く。しかし、その行動は、捜査一課の係長の目には、諸橋たちが神野とつるんでいるのではないかという見方にまで発展していく。見えにくい事件の全体構図の筋読みの違いが、冤罪の可能性を含む大きな問題に変化していくことを諸橋は指摘する。勿論、相手が耳を傾けることはない。
 そこに当然の如く、笹本監察官が諸橋の前に現れてくる。捜査一課のクレームについて諸橋に警告する一方で、諸橋たちの見方・意見を聴取することで、笹本監察官も独自の行動を取り始める。
 
このストーリーの興味深いところがいくつかある。
1. 横浜の裏社会における縄張り争いの構図という視点である。田家川組の組長が服役中という状況で、どういう情勢変化が起こりうるかというシナリオが二転三転しながら、シュミレーションされる。諸橋と城島の捜査推理が組み直されていくプロセスが興味深い。横浜への関西系暴力団の進出意図が加わることで、その複雑さが倍加する。

2. 諸橋、城島の情報源となっている神野の許にいる岩倉が引っ張られるということが及ぼす影響をどう読み解いていくか。全体構図の筋読みで大きな影響を及ぼすことになる。それは警察組織側にもヤクザ組織側にも言えることである。

3. ダークドラゴンがどのようにかかわっているのか? 誰の指示を受けて動いているのか? ダークドラゴンは氷山の見える部分であり、見えざる部分が問題なのだ。それが裏社会の勢力関係にどう関わり、どのような影響を及ぼすのか? 
 
4. 横浜という土地柄、中華街が関わってくる。チャイニーズマフィア、あるいは幇(ばん)という裏社会がらみの繋がりの側面が最後に登場する。表面に顔を覗かせることなく、まさに裏で動くという底力をみせるという部分が描かれる。これは著者の単なるフィクションの産物にすぎないのか。
 何らかの裏社会のネットワークが現実の中華街の裏にも蠢いているのか・・・・・。

5. 警察組織といえども、捜査本部の下に動く捜査一課・強行犯係の領域と暴対法や暴力団排除条例を背景に動く暴対係の領域とでは違いがある。その思考法の違い、全体構図の描き方の違い、筋読みの違いのコントラストが強く描かれていて興味が強化される。
 併せて、諸橋の部下たち、浜崎・倉持・日下部・八雲の性格や特技・能力の違いがうまく捜査活動に活かされていく。その描写もまたおもしろい。

 最後に、本書のタイトル「臥龍」についてである。私が通読した限りでは「臥龍」という言葉に直接に関連して触れている箇所はなかったように思う。読み落としている懸念も多少はあるが、多分それはなかった。
 「臥龍」を辞書で引くと、「(1)ねむっている龍。(2)民間にうもれている大人物」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。この第二義を考えると、中華街でレストランのフロアマネージャーをやっている陳文栄をこのストーリーの文脈から「臥龍」と位置づけることを意味するのだろうか。最後まで影を潜めていた人物が事件解決の重要な役割をさらりとかつ平然と果たす立場になるのだから。
 タイトルの臥龍の解釈について、本書を読んでご意見、ご教示をいただけたらと思う。
 ご一読ありがとうございます。

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本書と直接関係はないが、キーワードをネット検索してみた。一覧にしておきたい。
法令編 暴力団対策法の要点  :「暴力追放愛知県民会議」
   暴力団に負けない! その時のための撃退 HOW TO ハンドブック pdfファイル
暴力団対策法で勤仕されている27の行為 :「「全国暴力追放運動推進センター」
怒羅権  :ウィキペディア
ヤクザと乱闘事件を起こしたチャイニーズドラゴンとは?ー中国マフィア「怒羅権(ドラゴン)」ー  :「NAVERまとめ」
「中国人犯罪」最前線をチャイニーズマフィア元幹部が激白! :「Asagei plus」
 (1)億単位の犯罪マネーで正業に  
 (2)旧家に眠る骨董品が標的に
 (3)富裕層に向けたある“サービス”
指定暴力団の状況 pdfファイル  :「全国暴力追放運動推進センター」
全国指定暴力団一覧  :「YAKUZA Wiki」
錦糸町の犯罪 ヤクザと外国人マフィアが激突!集団暴行事件  :YouTube
【衝撃映像】凶暴山口組ヤクザ!日本刀を振り乱す暴力団員が超危険!YYⅡ :YouTube

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)



『超辛口先生の赤ペン俳句教室』 夏井いつき  朝日出版社

2016-11-06 09:42:02 | レビュー
 TBS系のテレビ放送番組に『プレバト!!』がある。この番組は俳優・歌手・お笑いタレント・作家など様々な分野の有名人をゲストに迎えて、ここに登場する俳句の他にも、料理、華道、書道、水彩画など、様々な分野を取り上げ、ゲストの才能の有無を判定するというバラエティ重視の教養番組(?)である。あるときたまたま、本書の著者・夏井先生が、ゲストが事前に与えられた兼題写真で一句ひねって提出した俳句を、判定者の立場で評価し才能の有無を判定するという放映を見た。これが面白くて、この番組の常連視聴者の一人になってしまった。勿論その他のジャンルも視聴している。
 他のジャンルも同様の方式である。まずゲストが与えられたテーマで作品に相当するものを仕上げる。誰がその作者であるかを伏せられて作品の評価を判定者が事前に評価する。才能あり、凡人、才能なしの3ランク評価である。
 ゲストは番組内で、俳句の場合なら兼題写真をみて作句したその意図、主旨、気持ちなどを説明する。判定者である夏井先生は、それを聞いた上で、作品の辛口批評をしながら、どういう風にしたら俳句になるか、本人の思いを俳句に表現できるかという観点を踏まえて添削するという趣向である。そして、作品事例を踏まえた俳句を作るワンポイント・レッスンの要点指導がナレーションと文字画面で行われる。ゲストはそれぞれのジャンルでは一応成功しているタレントの持ち主、その道のプロだ。しかし、自分の畑を出ると、二足、三足の草鞋を履ける人もいれば、一般人と同列の人も多い。だからこそ、バラエティの面白さが生まれる。自分の畑を離れた人が、まな板の上の鯉として、番組に出演し、料理されるのだ。
 視聴者の立場でみると、「人のふり見て」笑いながら、うなずきながら、俳句を作るとはどういうことかを少しずつ学べる(というか、学んだつもりになれる)番組である。番組を視聴するだけなら、実際に学べたかどうかはわからない。ワンポイント・レッスンすら忘れてしまうかもしれない・・・・。

 この本は、プレバトの放送内容から抽出された事例を材料にして、番組での添削と解説を整理してまとめたものと言えそうである。まずテレビ番組に登場したゲストの作品と作句者名が載っている。そして、その作品を事例にして、著者は読者に質問を投げかける。まず読者に作品事例の問題点を質問形式で考えさせるのである。つまり、初心者が犯しやすい間違いを作品事例で考えさせ、指摘させる。読者の俳句づくりの基本知識の有無を理解させる形になっている。
例えば、「第1章 季語は1句に1つ?」の最初の質問は、兼題写真が「6月の鎌倉」で、電車が進んできていて、線路の左側すぐ近くに紫陽花が咲き誇っている写真である。そして、ユナクさんと陣内智則さんのひねり出した俳句作品が事例に取り上げられている。読者への問いかけは、「紫陽花」という季語以外に「季重なり」が生じているので、どれが紫陽花以外の季語かをまず指摘せよと質問している。
 これに読者が答えられるためには、「季語」の知識が必要である。ここで読者もテストされているという次第である。その後に、ページをくれば答が記され、作品事例に対するコメントが載っている。作品事例のどこに問題点が潜んでいるかの具体的な指摘、作品事例そのものに問いに対する赤ペンでの説明を付記し、作品へのコメントが付記されている。
 分析→問題点指摘、とくれば当然、ではどう改善するか?となり、添削後の修正句が一つの解答として載せられている。

 こんなスタイルでページが進む。プレバト放映シーンの活字版と言えそうである。違うのは、各作品事例に才能あり・凡人・才能なしという評価語がないこと。それはまあ多少の幅があっても、改善余地があり添削することで意味がある事例を抽出しているからだろう。多分凡人以上の作品事例からということになろうか。
 
 つまり、<< 質問と作品事例の提示 → 兼題写真掲載 → 答 → 作品事例への赤ペン記入 → 質問に対応して作品事例の分析と解説のコメント → 添削後としての修正版・俳句作品の提示 >>というページ建てになっている。
 まさに「俳句教室」であり、流れがわかりやすくて、すんなりと入っていける組み立てになている。兼題写真自体もキレイで楽しい息抜きにもなる。

 俳句なんて敷居が高いな・・・・と感じる人は、「プレバト」視聴のノリで入って行きやすい「俳句教室」であることは間違いがない。テレビ番組の出演者の作品事例がそのまま使われているのだから、番組の雰囲気を思いだしながら読める楽しさもあると思う。
 最初からほぼ順に誰の作品が俎上にのせられているか列挙してみよう。一層本書への親しみがわくかもしれないから。
ユナク、陣内智則、優木まおみ、木村祐一、和田正人、西川貴教、青木愛、長島一茂
鈴木明子、峯岸みなみ、秋元才加、前川泰之、石井一久、前田吟、山村紅葉、北原里英
織田信成、柴田理恵、吉村涼、市毛良枝、NONSTYLE 石田、宮川一朗太、箕輪はるか
ピーター、杉村太蔵、田原総一朗、蛭子能収、鈴木奈々、黒川智花、岡本麗、岡本玲
石田純一、大久保佳代子、長谷川初範、梅沢富美男、高橋惠子、笛木優子、平愛梨
ダレノガレ明美、白石美帆、高橋茂雄、DAIGO、杉山愛、熊谷真美、藤本敏史
ロバート秋山、宮崎香蓮、濱田マリ、大友康平、廣田遙、和田アキ子、春名風花
武井壮、竹財輝之助、三遊亭円楽、インパルス板倉、東幹久 という人々だ。

 本書の構成に触れておこう。
序章 はじめの一歩を踏み出すために
 有名な「柿食えば・・・・」の句を材料に、俳句の表記についての質問から始まる。

第1章 季語は1句に1つ?
 上記で詳述の進めかたで6問設定されている。
 ここには、「知ってトクするQ&A」という触れ込みで、「季語は絶対に入れなくてはいけないの?」というコラムが載せてある。解説は本書を開いてほしい。
 
第2章 「発想の吹き溜まり」を抜け出すには?
 冒頭で著者は語る。「俳句を作るとは・・・『類想類句』を避け、オリジナリティのある発想や言葉を見つけ出す、言葉のパズルのような作業なのです」(p40)と。類想類句にに堕すという発想の吹き溜まりを抜け出すヒントがこの章で作品事例を使いながら語られる。まずは俳句の音数をどう数えるかという実作へのコツを「チューリップ」の音数という切り口から入っている。わかりやすい。
 ここでは3問の投げかけがある。質問のしかたもちょっとおもしろい。
 ここの「Q&A」は、「歳時記と友達になろう!」である。作品事例を使った解説。

第3章 「言葉の無駄遣い」って何?
 これはテレビ番組視聴者には馴染みのある「何}」である。
 冒頭で、著者は「俳句は十七音しかありませんから、いかに言葉を無駄遣いせず、効率よい言葉を選ぶかが重要なコツとなります」と述べ、作品事例を取り上げ説明する。
 ここでは、6問が投げかけられている。

第4章 「こころ」と「ことば」に隙間あり?
 作者の表現が読み手にきちんと伝わらない原因について分析している。
 4問が設定されている。光景を具体的な映像に描くことや表現における作句者の立ち位置が論じられている。
 ここにも「Q&A」があり、「[添削]した句の作者は誰になるの?」という素朴な疑問への説明が行われている。

第5章 「発想を活かす」ための小さなコツとは?
 ここでは、作句する際に、知ってトクする様々なテクニックが、作品事例の添削という形で解説されていく。この章では、最初と最後に「Q&A」がある。最初は「切れ」の意味説明で、最後は「俳号」をまず持っては?という勧めである。その間に、次のテクニックの事例研究があるという形になっている。
 「切れ」の効果/ 動詞の効果/ 助詞の選択/ 「調べ」の効果/ 
 駄洒落とナンセンス/ 季語を主役とする工夫/ 描写の精度
これらのテクニックの意味するところが、これら語句から即座に理解できるなら、あなたはこの「俳句教室」の読者は卒業していることだろう。別の入門書を探すとよい。何? そのテクニックは・・・と思う人は、添削事例を読むと一歩理解が深まるだろう。敷居はまたげたことになる。例えば、説明臭さのある動詞ではなく、眼前に映像を浮かべられるような動詞を選択してうまく活かすということが推奨されている。その効果が具体的な作品事例を分析し、解説したうえで、添削後の句が提示されているのである。
 この章、読んでトクする章である。

第6章 プレバト秀句を味わう
 この本は2014年12月に初版第1刷が発行されている。2016年6月の初版第10刷を読んだ。つまり、2014年12月以前のプレバト放映から作品事例が抽出されたということだろう。 秀句として紹介されているのは、次の人々の句である。
ピース又吉、中田喜子、山村紅葉、藤田弓子、遼河はるひ、杉山愛、今井華、市川猿之助 どんな句が詠まれ、どこが秀句となるかの解説は本書で味わっていただくとよい。著者のコメントを読むと、なるほど・・・・と思う。
 もし、この第2版がでるなら、上記の人々の作句から秀句に並ぶ句がその後いくつか生まれていることだろう。
 この章にも、「Q&A」がある。「俳句」を始めるには何を準備すればいいの?
 まあ、当然の説明といえる。句帳、筆記用具、歳時記、国語辞典が挙げられている。
 最後に「知ってトクする実作のコツ」として、「基本型」に挑戦!という解説がある。これも作品事例で説明が行われているので意味合が理解しやすい。
 1) まず「季語とは関係のない12音のフレーズ」を作る。
 2) フレーズの気分に似合った季語を探す。
ことだと解説が加えられている。そこには2つのコツがあるという。それは何か?
それは本書のp148~p151の後半部をお読みいただきたい。

 著者は、序章の最初に、「『俳句』とは、『型』の文学です。言葉をパズルのように型に入れると一句作れる、かなりメカニックな性質を持っています」と。
 五、七、五の枠の中に言葉を嵌め込み、季語を一つ入れる。無駄な言葉遣いは極力避ける。説明的でなく、イメージが浮かぶような映像化できる句、音や匂いを感じさせるような言葉選びというあたりに、コツが潜むようである。それをわかりやすく解説している赤ペンを駆使した本と言える。
 著者は「あとがき」の末尾近くで、本書を「初めの一歩を踏み出したい人の背中をちょいと押してあげられる超入門書」と位置づけられた本と述べている。
 
 筆者の顔、言動が別媒体で見えているという本はやはり親しみが持てる。歳時記以外で手許に購入済みの俳句関連本は積ん読のままにして、これを先読みしてしまった。
 著者はこう言う。「俳句を通して、日本語の豊かさ美しさを愛してくれる人が一人でも増えることが、私たちの掲げる未来予想図だ」と。

 ご一読ありがとうございます。


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本書からの波紋で、ネット検索してみた。一覧にしておきたい。
俳句新聞いつき組 公式ページ
100年俳句計画 :「marukobo.com」

歳時記  :ウィキペディア

インターネット歳時記 :「日本伝統俳句協会」
季語検索  :「増殖する歳時記」
歳時記   :「俳誌のsalon」
わたしの俳句歳時記 歳時記監修/永方裕子

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『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』 高田崇史  講談社NOVELS

2016-11-03 18:05:51 | レビュー
 鶴岡八幡宮(鎌倉)→熱田神宮(名古屋)→貴船神社(京都)→大神神社(奈良)→伏見稲荷大社(京都)と変転と場所を変えたこの神の時空シリーズはいよいよ辻曲家が住む東京に場所を移してきた。

 辻曲家の次女・摩季が鶴岡八幡宮で思わぬ事件に巻き込まれて亡くなった。辻曲家の長男・了は長女の彩音、三女の巳雨とともに、福来陽一というヌリカベの協力を得ながら、十種の神宝を入手し、辻曲家に伝わる秘法により死んだ摩季を甦らせようとする。その神宝を求める旅で、奇しくも怨霊を解き放とうとする高村皇の一党と対決しければならなくなる。高村皇の指令を受けた磯笛をはじめとする部下が神社の破壊工作をしようとするからである。それを彩音たちは阻止しつつ神宝を求めて経巡る旅シリーズとなっている。
 了は摩季を甦らせる儀式を行う準備に没頭する。彩音は巳雨と福来陽一と共に神宝入手を続ける。摩季を甦らせるために秘法の術式を行えるタイムリミットは2日以内となったのである。東京・中目黒の自宅に戻って、彩音が少し遅い朝食の用意をしているときに、都内で事件が発生していたのである。
 事件発生をキャッチした福来陽一が辻曲家を訪れ、彩音に都内で変な事件が起こっていることを報せる。それを聞いた彩音はテレビのスイッチを入れ、朝のワイドショーでその状況を知ることになる。前日の夜遅くから都内で不審火と殺人事件が連続して起こり、付近の寺社を巻き込み火事が発生しているという。彩音と福来陽一はこの連続放火殺人事件が高村皇らの仕業ではないかと推測する。神社仏閣を破壊し怨霊たちを解き放とうとする計画の一つではないか・・・と。
 彩音は確かに嫌な「気」を感じているのだが、何となく今までとは少し雰囲気が違うという感じもうけていると福来陽一に告げる。だが、高村皇らの仕業ということも念頭におきつつ、既に発生した事件の派生場所や位置関係から情報収集と分析を始めて行く。
 連続放火殺人事件が既に発生しているのは、世田谷区三軒茶屋、豊島区駒込、江戸川区平井の3カ所である。当然ながら、二人は大怨霊の解き放ちと関連がないかから検討を始めて行くが、容易にはわからない。そして、彩音は、江戸五色不動が狙われているのではないかと気づく。

 プロローグは、明暦3年(1657)1月18日昼過ぎ、未の刻に、本郷丸山の本妙寺から出た炎に始まる江戸北東部を舐め尽くした大火事の描写から始まる。これはこの小説登場する榊原すみれが江戸の大火とその後の江戸の再生をテーマとした卒論を書こうとしていることと関連する。すみれは碑文谷女子大学文学部歴史学科の4年生である。そのすみれはこのテーマを考えたときから、心中に不穏な胸騒ぎを感じ始めているのだ。そんな矢先に起こった連続放火殺人事件。6歳年下のますみが動顛して泣きそうな顔で姉のすみれにこの事件の発生を告げに来た。なぜなら、殺害された2人はますみのクラスメートや同級生で、共に碑文谷女子大附属女子高校1年生である。三軒茶屋の被害者が青山教子、駒込は谷川南。谷川南はますみのクラスメートなのだ。二人は共に16歳。身近なところで榊原の家族は恐怖心をいだく。ますみに教えられてすみれがテレビの報道を見たときには、未明に江戸川区平井で放火と思われる不審火と同時に殺人事件がさらに発生していた。
 榊原家は目黒不動大本堂のすぐ裏手あたりにある。

 この小説では、榊原すみれが卒論のテーマである江戸の大火との関連の夢をみる体験を伴いながら、大火と江戸の地理や寺社仏閣の立地などの考察を展開していくストーリーが展開一つの進展をみせていく。そこに彩音と福来陽一が事件の発生した現地を順に訪ねながらさらなる連続放火殺人事件の発生を阻止するために、事件を分析し、行動を重ねていくメインのストーリーが展開していく。2の軸がパラレルに進行していき、最後に交点が生まれることになる。その両面からのアプローチが、江戸つまり東京都区内の地理的景観とその人文社会科学的な構造を浮彫にしていく。寺社仏閣の江戸における連環関係が現れていく。彩音は江戸五色不動に着目し、一方すみれは江戸の大火の関連で江戸の地蔵菩薩に着目していく。
 さらに、もう一つの補助的なストーリーの軸が動いていく。それは警視庁捜査一課の花岡歳太警部補と相棒の久野剛史巡査の捜査行動である。花岡は目黒不動で発生した7年前の未解決事件と辻曲了の関わりに不審を抱いており、辻曲家を捜査目的で訪ねてくる。その応対を彩音がするところから、この連続放火殺人事件に関して両者のつながりが生まれる。彩音が花岡の質問に応対しているとき、連続放火殺人事件の場所と歌舞伎の題材との関連を久野がふと話す。それが彩音に一つのヒントになる。花岡・久野の捜査行動が彩音・福来陽一の行動とが接点を持っていくことになる。彩音はこれからの事件発生の推定場所の情報を花岡・久野に提供する形になる。それに花岡がどう対処するかが一つおもしろいところになていく。

 江戸の大火は自然発生なのか、その裏には人為的な謀略が潜んでいるのかという論議までが浮上していく展開となる。彩音と福来陽一は自分たちで集めた情報をもとに様々に連続放火殺人事件発生場所の関連性という背景の分析を推し進めるが、結局これからの事件を未然に防ぐために、猫柳喫茶店の片隅で原稿を書いている歴史作家の幽霊・火地晋の知識を借りることになる。これはまあ、このストーリー展開の定石となっている。
 彩音と福来陽一が分析して積み上げた全体状況を踏まえて、さらにステップアップする情報を提示し、彩音・陽一の思考を調整・補強していくのだから、興味が一層まさっていく。江戸五色不動尊という観点を軸に、その地理的位置に様々な要素、切り口が重層的に関連拡大して行く。この様々な要素の連環が、江戸を解明する一つの構造になっている。見方をかえると、興味深い東京都区内の寺社仏閣、文化財案内であり、江戸大火の歴史案内ともなっていておもしろい。毛色のちがった観光案内書にもなる小説である。

 さて、今回の読ませどころ、興味深いところがいくつかある。
1. 彩音と福来陽一の分析および榊原すみれの考察が事件発生に伴う副産物としての読ませどころである、江戸五色不動の由緒やその成立が大凡理解できるようになる。また、江戸の大火の歴史との関わりで、江戸の諸事情が垣間見える興味深さがある。吉原に関わる廓の実態話もその一つである。
2. 幽霊の火地晋の該博な歴史知識が加わることで、さらに江戸という都市の全体構造が見えてくる。江戸五色不動尊を基軸にして、六地蔵、主要寺院、街道、宿場、さらには相撲小屋や花見・月見の名所までが有期的に繋がった構造が浮彫にされていく。まさに江戸の見所全体像が見える。このとらえかた自体が面白くかつ興味深いといえる。211ページにそれが福来陽一の手によりマトリクス表に要約されているのでご覧になるとよい。
3. 連続放火殺人事件の主犯がだれか? そこに意外な展開の結末が仕組まれている面白さがある。なんと磯笛が彩音に力を貸す側になるのだから・・・実に意外な想定外の展開である。
4. 辻曲了たちの両親について、今回明らかになり、またヌリカベになってしまった福来陽一の過去の一端が明らかになる。ある時点で、辻曲了のところに福来陽一が訪ねて来たことが契機である。そして今回の事件が一段落すると、なぜか陽一がどこかに行ってしまい、彩音は連絡がとれない状況となる。エピローグにそのことが記されている。それはなぜか? 次作でその理由がわかるのかもしれない。
  さらに 辻曲摩季について、思いも寄らぬ事実がわかる。これは今回伏線として記された印象をうける。次作のよませどころに繋がるのかもしれない。
5. なぜ磯笛が彩音に力を貸したのか? その理由、つまり高村皇の考えの一端が磯笛の口を借りて語られる。さらに、エピローグにおいて、彩音の考え方として、パワースポットとは何かについて、正面切った説明が書き加えられている。高村皇の考えと彩音の考えの一端がそれぞれ截然となる。考える材料としては、これ自体が読ませどころでもある。あるいは、読者の考えるべき材料がストレートに提示されたのである。

 最後に、江戸五色不動自体について本書の記載から一部抽出しておこう。この小説で連続放火殺人事件が発生する順番での記載である。地図上でどういう位置関係にあるか考えてみるのも一考である。本書には地図が付されていてわかりやすい。
<目青不動尊> 最勝寺・教学院  世田谷区太子堂4-15-1  三軒茶屋で事件発生
<目赤不動尊> 南谷寺      文京区本駒込1-20-20   駒込で事件発生
<目黄不動尊> 最勝寺      江戸川区平井1-25-32   平井で事件発生
<目白不動尊> 金乗院      豊島区高田2-12-39    学習院下で事件発生
<目黒不動尊> 瀧泉寺      目黒区下目黒3-20-26   本堂裏手から出火
 さらに、この小説で事件は発生していないが、<目黄不動尊>は、台東区三ノ輪の永久寺にもあることで、これが五色不動の謎の一つでもあるという。
 目黒不動と目白不動は最初から存在していたが、目赤不動は徳川家光が名付けたという。さらに、江戸川柳には「五色には二色足らぬ不動の目」という句があるそうである。そして、『江戸切絵図』には、目黒不動・目白不動・目赤不動という名称が書き込まれているそうなのだが、目青と目黄が地図上には記載なしだという。何時頃に五色不動という総称が使われ出したのか? 
 また、江戸の大火の影響などか、目黒不動と目黄不動(永久寺)以外は、当初の所在地から現在地に移転しているという。
 江戸五色不動自体にも様々な謎や変遷がありそうで、これ自体が興味深い参拝地・探訪地といえるようです。
 この小説片手に、東京都区内の探訪が副産物としてできるでしょう。勿論、それはここまでの「神の時空」シリーズの共通点でもあります。

 ご一読ありがとうございます。

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この本に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
江戸五色不動散歩  :「東京紅團」
江戸「五色不動」巡り!目白・目黒など地名になったパワースポットへ
      :「ぽけかる倶楽部 おでかけ通信」
江戸三大大火  :「東京消防庁」
江戸の三大大火  :「江戸の科学」
少女が火あぶりの刑に…。江戸の大火に隠された悲しい恋の物語:「SUUMOジャーナル」
「明暦の大火(振袖火事)」と復興、江戸の都市改造  :「Kousyoublog」
江戸時代の大火・大火事・大火災の種類一覧  :「いちらん屋」
明暦3年(1657)江戸大火と現代的教訓  広報ぼうさい N0.26
江戸六地蔵めぐり 平野武宏氏  :「寄り道散歩」
江戸六地蔵 :ウィキペディア
【閲覧注意】行ってはいけない!都内にある江戸時代の刑場跡【肝試し】 
      :「NAVERまとめ」
江戸三大刑場を歩く  :「帝都を歩く」
江戸四宿 :ウィキペディア
江戸時代における吉原遊廓の実態と古写真。遊女たちの性病・梅毒 :「NAVERまとめ」
色里・吉原  落語の時代背景 :「松本深志高校落研OB会」

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徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。
(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)

『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS