「継続捜査ゼミ」シリーズの第2作である。奥書を見ると、「小説現代」の2017年8月号から2018年7月号に連載され、2018年10月に刊行されている。
主人公は新米教授小早川一郎とそのゼミ生5人である。小早川一郎は、幼馴染みである三宿女子大学長・原田郁子に誘われ、准教授として教鞭を執ることとなり、4年目に教授となった。かつては警察官でバリバリの刑事として活躍し、警察学校の校長を務めるという警察官人生を経るという経験を持つ。三宿女子大学人間社会学部に所属し、新米教授となってから、講義の他にゼミを持つようになった。そのゼミの通称が継続捜査ゼミである。というのは、このゼミでは研究テーマとして、未解決事件を取り上げることにしているからである。1年目のゼミで5名がゼミ生となった。最初にテーマとした事件の研究が一段落したので、次のテーマ、課題を決めようとしている状況から、このストーリーが始まる。
夏休みが終わり、10月に入り、キャンパスが活気づいてくる。11月2に三女祭と呼ばれる学園祭があり、学生たちがその準備に追われる時期になってきたのだ。
小早川のゼミは水曜日の午後3時から始まる。ゼミ生が集合し、小早川がテーマの選択について、ゼミ生に意見を求めると、安達蘭子が冤罪の危険姓について考えたいと発案する。他のゼミ生もテーマ設定に賛同し、研究のための具体的な事件の絞り込みを行っていくことになる。
そんな矢先に、小早川が被疑者扱いを受けるという事件が起こる。この『エムエス』は小早川がゼミでは「冤罪の危険姓」をテーマとして進めようとする一方で、小早川自身が大学内で発生した傷害事件の被疑者扱いをされ、まさに冤罪が引き起こされかねない状況に陥いらされる。この二つの流れがパラレルに進行して行く。おもしろい設定になっている。
なぜ、小早川が被疑者扱いされる羽目になるのか?
三女祭では毎年ミス三女コンテストが企画実行されてきた。小早川が大学勤めを初めて三宿女子大での学園祭に接したときに、女子大なのにミスコンを行うということに意外な感じを受けた印象を持っていた。そのミスコンが今年も行われる様子である。だがそれがキャンパス内の騒々しさの元凶ともなるという。小早川が敬意をいだく人間文化部の竹芝教授は、ミスコンに対する開催反対運動が毎年起こり、企画実行する委員会と反対派の学生との間で衝突するからと小早川に説明した。
小早川は木曜日に『刑事政策概論』の授業を持っていた。少し遅れて教室に行くと、3人の学生がビラ配りをしていた。その内の一人が、自分たちの考えを説明する時間を欲しいと小早川に要求するが、勿論小早川は拒絶する。だが、そのビラを後で読んでみようと思い、ビラを手にして教壇に立ったのが、事の始まりとなる。ビラに興味があるかと一人の学生が質問した。小早川は、授業と切り離すために、話し合いたいなら授業の後にでも研究室に来てくださいと言い、授業を進めたのだ。
現代教養学科3年の高樹晶という学生が、小早川の研究室を訪ねてくる。彼女はビラの内容に関連し、ミスコンに対する小早川の意見を聞き、討議しにきたのだ。彼女はミスコンは性の商品化だから反対という立場を論じる。ゼミ生と同じ学科なので、後でゼミ生に尋ねるとミスコン反対運動のリーダーが高樹晶だという。
この高樹が小早川の研究室に討議目的で訪ねてきた2回目、彼女が退室してしばらく後、教授館の建物の脇、キャンパスのメインの通りから離れた人目につかない一角で背後から後頭部を殴打され怪我をしたのだ。制服姿の2人の警察官が駆けつけていた。サイレンを聞いた小早川は1階におり、現場近くに行き、警察官に何があったのか質問した。それがこの傷害事件に巻き込まれる発端となる。それも被疑者とみなされる形で・・・・。
このストーリーの興味深い点がいくつかある。まず、この小説では冤罪の発生するメカニズムとその危険姓をテーマとしているといえる。その上で、ストーリーの構成として、以下の観点で、読者にとっては学びながら楽しめる作品に仕上がっていると言える。
1. 小早川が大滝強行犯係長から任意同行を求められ、被疑者扱いの取り調べを受ける。大滝は小早川の説明を頭から聞こうとしない。己の捜査した範囲の情報を前提に、シナリオを描き、小早川を被疑者として取り調べ、自白させようとする。
小早川はかつて刑事だった。刑事の取り調べ方は勿論熟知している。つまり、相手の手の内を冷静に見極めながら、小早川は事件とは無関係である主張を繰り返す。
この両者のやりとりのプロセスが冤罪が発生するプロセスのシュミレーションになっている。また、小早川は己が取り調べられる側に立つことによって、かつての刑事としての己を自省するという側面も語られていく。それは刑事としての大滝係長に対する冷静な評価にもつながっていく。
ストーリーとして面白いのは、この事件に捜査一課の保科と丸山という二人の刑事が関わってくることである。彼らは勿論、小早川はシロだという前提で、大滝の捜査方向にブレーキをかけようとする。つまり、明かな冤罪発生の防止を警察側の立場から図ろうとする。保科は小早川のゼミ生に協力を求めるという手段にでるのだからおもしろい。これは、大学のキャンパス内での事件ということに関係するからだろう。
2.ゼミ生が次回のテーマとして冤罪の危険姓を研究しようとする。これに関連して、冤罪とは? という問いかけに対する論議点が展開されていく。法規的側面や裁判手続き的側面、過去事例など、客観的側面からのアプローチがゼミの論議として進展する。読者にとっても、冤罪について考える場の提供になっている。
そして、蘭子がある事件の裁判結果を踏まえて、ゼミの題材に提起する事件が提示される。疑わしきは罰せずの原則が裁判闘争ではどのように適用されるかという局面も内包されている。そして、この事件の判決後に、意外な事実が明らかになるという興味深い問題を含ませているところが、またおもしろい。
3.女子大の学園祭におけるミスコンについてのディベート風討議が織り込まれていく。
反対運動の先頭に立つ高樹晶の反対主張に、小早川がおのれの立ち位置をどこに置き、高樹の論理展開にどのように対して立論していくかというやりとりの面白さである。小早川が竹芝教授に彼の考えを尋ねるという点もおもしろい。
大学の運営側は、学生の主催する学園祭と毎年実施されているミスコンには、ノータッチと一線を画している。
さて、この第2作のタイトルは「エムエス」である。本書を通読したが、このエムエスが何に由来するのか、私には分からなかった。それらしきフレーズや文脈に気づかなかったのだ。読み落とした行があるかもしれない・・・・。この点だけ、気分的に落ち着かない。ご一読いただき、エムエスと名付けられた根拠がわかれば、ご教示いただきたい。
ご一読ありがとうございます。
このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『プロフェッション』 講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18
主人公は新米教授小早川一郎とそのゼミ生5人である。小早川一郎は、幼馴染みである三宿女子大学長・原田郁子に誘われ、准教授として教鞭を執ることとなり、4年目に教授となった。かつては警察官でバリバリの刑事として活躍し、警察学校の校長を務めるという警察官人生を経るという経験を持つ。三宿女子大学人間社会学部に所属し、新米教授となってから、講義の他にゼミを持つようになった。そのゼミの通称が継続捜査ゼミである。というのは、このゼミでは研究テーマとして、未解決事件を取り上げることにしているからである。1年目のゼミで5名がゼミ生となった。最初にテーマとした事件の研究が一段落したので、次のテーマ、課題を決めようとしている状況から、このストーリーが始まる。
夏休みが終わり、10月に入り、キャンパスが活気づいてくる。11月2に三女祭と呼ばれる学園祭があり、学生たちがその準備に追われる時期になってきたのだ。
小早川のゼミは水曜日の午後3時から始まる。ゼミ生が集合し、小早川がテーマの選択について、ゼミ生に意見を求めると、安達蘭子が冤罪の危険姓について考えたいと発案する。他のゼミ生もテーマ設定に賛同し、研究のための具体的な事件の絞り込みを行っていくことになる。
そんな矢先に、小早川が被疑者扱いを受けるという事件が起こる。この『エムエス』は小早川がゼミでは「冤罪の危険姓」をテーマとして進めようとする一方で、小早川自身が大学内で発生した傷害事件の被疑者扱いをされ、まさに冤罪が引き起こされかねない状況に陥いらされる。この二つの流れがパラレルに進行して行く。おもしろい設定になっている。
なぜ、小早川が被疑者扱いされる羽目になるのか?
三女祭では毎年ミス三女コンテストが企画実行されてきた。小早川が大学勤めを初めて三宿女子大での学園祭に接したときに、女子大なのにミスコンを行うということに意外な感じを受けた印象を持っていた。そのミスコンが今年も行われる様子である。だがそれがキャンパス内の騒々しさの元凶ともなるという。小早川が敬意をいだく人間文化部の竹芝教授は、ミスコンに対する開催反対運動が毎年起こり、企画実行する委員会と反対派の学生との間で衝突するからと小早川に説明した。
小早川は木曜日に『刑事政策概論』の授業を持っていた。少し遅れて教室に行くと、3人の学生がビラ配りをしていた。その内の一人が、自分たちの考えを説明する時間を欲しいと小早川に要求するが、勿論小早川は拒絶する。だが、そのビラを後で読んでみようと思い、ビラを手にして教壇に立ったのが、事の始まりとなる。ビラに興味があるかと一人の学生が質問した。小早川は、授業と切り離すために、話し合いたいなら授業の後にでも研究室に来てくださいと言い、授業を進めたのだ。
現代教養学科3年の高樹晶という学生が、小早川の研究室を訪ねてくる。彼女はビラの内容に関連し、ミスコンに対する小早川の意見を聞き、討議しにきたのだ。彼女はミスコンは性の商品化だから反対という立場を論じる。ゼミ生と同じ学科なので、後でゼミ生に尋ねるとミスコン反対運動のリーダーが高樹晶だという。
この高樹が小早川の研究室に討議目的で訪ねてきた2回目、彼女が退室してしばらく後、教授館の建物の脇、キャンパスのメインの通りから離れた人目につかない一角で背後から後頭部を殴打され怪我をしたのだ。制服姿の2人の警察官が駆けつけていた。サイレンを聞いた小早川は1階におり、現場近くに行き、警察官に何があったのか質問した。それがこの傷害事件に巻き込まれる発端となる。それも被疑者とみなされる形で・・・・。
このストーリーの興味深い点がいくつかある。まず、この小説では冤罪の発生するメカニズムとその危険姓をテーマとしているといえる。その上で、ストーリーの構成として、以下の観点で、読者にとっては学びながら楽しめる作品に仕上がっていると言える。
1. 小早川が大滝強行犯係長から任意同行を求められ、被疑者扱いの取り調べを受ける。大滝は小早川の説明を頭から聞こうとしない。己の捜査した範囲の情報を前提に、シナリオを描き、小早川を被疑者として取り調べ、自白させようとする。
小早川はかつて刑事だった。刑事の取り調べ方は勿論熟知している。つまり、相手の手の内を冷静に見極めながら、小早川は事件とは無関係である主張を繰り返す。
この両者のやりとりのプロセスが冤罪が発生するプロセスのシュミレーションになっている。また、小早川は己が取り調べられる側に立つことによって、かつての刑事としての己を自省するという側面も語られていく。それは刑事としての大滝係長に対する冷静な評価にもつながっていく。
ストーリーとして面白いのは、この事件に捜査一課の保科と丸山という二人の刑事が関わってくることである。彼らは勿論、小早川はシロだという前提で、大滝の捜査方向にブレーキをかけようとする。つまり、明かな冤罪発生の防止を警察側の立場から図ろうとする。保科は小早川のゼミ生に協力を求めるという手段にでるのだからおもしろい。これは、大学のキャンパス内での事件ということに関係するからだろう。
2.ゼミ生が次回のテーマとして冤罪の危険姓を研究しようとする。これに関連して、冤罪とは? という問いかけに対する論議点が展開されていく。法規的側面や裁判手続き的側面、過去事例など、客観的側面からのアプローチがゼミの論議として進展する。読者にとっても、冤罪について考える場の提供になっている。
そして、蘭子がある事件の裁判結果を踏まえて、ゼミの題材に提起する事件が提示される。疑わしきは罰せずの原則が裁判闘争ではどのように適用されるかという局面も内包されている。そして、この事件の判決後に、意外な事実が明らかになるという興味深い問題を含ませているところが、またおもしろい。
3.女子大の学園祭におけるミスコンについてのディベート風討議が織り込まれていく。
反対運動の先頭に立つ高樹晶の反対主張に、小早川がおのれの立ち位置をどこに置き、高樹の論理展開にどのように対して立論していくかというやりとりの面白さである。小早川が竹芝教授に彼の考えを尋ねるという点もおもしろい。
大学の運営側は、学生の主催する学園祭と毎年実施されているミスコンには、ノータッチと一線を画している。
さて、この第2作のタイトルは「エムエス」である。本書を通読したが、このエムエスが何に由来するのか、私には分からなかった。それらしきフレーズや文脈に気づかなかったのだ。読み落とした行があるかもしれない・・・・。この点だけ、気分的に落ち着かない。ご一読いただき、エムエスと名付けられた根拠がわかれば、ご教示いただきたい。
ご一読ありがとうございます。
このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『プロフェッション』 講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18