この本を手に取ったのは、本のタイトルがおもしろかったことと併せて、モディリアーニの絵が表紙に使われていたことによる。
「本書は、芸術家の恋愛をめぐる人生模様と作品が織り成す、華麗な物語を紹介する試みである」と、著者は「おわりに」の冒頭に記す。この一行は、「はじめに」の冒頭の一行、「美の本質は、恋愛にある」に呼応している。著者は「恋愛」というフィルターをかけて作品を選び出し、作品の裏に潜む芸術家の恋愛模様や主義を目の前に浮かび上がらせた。自分の感性・感覚だけで掲載作品を鑑賞した味わいに比べ、各章の解説を読んで改めて掲載作品を眺めると、甘み、苦み、酸味などが微妙複雑にからんだ味に一層変化してくる。
それは、手軽に実験できる。この本に所載の絵画、彫刻をまず自分の目で眺め、鑑賞しておく。まず独自に感じ、味わってみる。その後で各章のその主作品についての「恋愛」譚や、関連してさらに展開された説明を読む。そして、再びその章の絵画あるいは彫刻を鑑賞する。さて、そのお味はどう変化するだろうか。それを楽しむのには、手ごろなボリュームで各章がまとめられていると思う。
今まで様々な美術展でその作品群を鑑賞していた画家、彫刻家の幾人かについて、私はこの本からその人物の意外な人生模様を一歩踏み込んで知ることができ、一方、未見の作品にも誘われた。そして今後の作品鑑賞にひと味深みを付け加えられたように感じている。
著者は記す。「美とは、なにものかがなにものかを恋い求める際に、激しくかきたてられる感情を意味している。人がなにかを美しいと思うのは、その美しいと思われるもののなかに、自身が願ってやまないもの、求めてやまないものが結晶しているからである」と。本書に取りあげられた芸術家たちの恋い求めた姿がいかにバラエティに富んだものだったかがよくわかる。
章のまとめ方は2種類ある。一つは、特定の芸術家とその作品について、恋愛を軸に、様々な人々と作品の関わりへと展開して行く形式。つまり、モディリアーニ、ピカソ、ジェローム、ドガ、マネとモネ、ルノワール、ムンク、カミーユ・クローデルという人物名で八章がまとめられている。他の一つは、テーマ的見出し形式の下に、芸術家と作品に言及していくものである。こちらには、「ダンテとベアトリーチェ」、「モンマルトルの夜会」、「モンパルナスの娘」という三章がある。
<モディリアーニ> 最初の章がモディリアーニの恋愛である。著者はモディリアーニが35歳で病死する最後の3年ほどを共に過ごしたジャンヌ・エビュテルヌとの関係を中心に書いている。彼女は、満1歳の娘ジャンヌを残し、21歳で、妊娠8ヵ月だったが、モディリアーニの死の2日後・未明に、パリのアパルトマンの6階(注:ヨーロッパでは5階)から飛び降り自殺をした。
手許には、2008年に開催された「モディリアーニ展」の図録がある。モディリアーニをプリミティヴィスムの観点から紹介する美術展だった。本書には、「プリミティヴィスム」という用語は一切でてこない。この図録には、本書に掲載の『ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』(1918)、『自画像』(1919)、『黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ』(1919)は載っていないので、これらの絵は来日しなかったものだ。最初の肖像画には瞳が描かれている。しかし、後の2枚には瞳が描かれていない。瞳を描写しない絵をモディリアーニは数多く描いている。なぜ、彼は瞳を描かなかったのか。著者はその謎をこの本で解き明かしている。なるほど・・・・と思った。
図録に所載のメリル・シークレストの論文「アメディオ・モディリアーニ『夢に力尽きて』」によれば、ジャンヌと出会う前に、モディリアーニには別の恋人がいた。ひとりは、モー・アブランテス、2人目はベアトリス・ヘイスティングスだったという。この論文では、モディリアーニとジャンヌが1916年の末に出会ったことと二人の死の事実に触れているだけである。そして「彼らは結婚をしていなかった」と記す。
一方、本書の著者は、「ジャンヌとモディリアーニの結婚は、私的な誓約書は交わしたものの法的には未手続きのままであった」と記している。恋人ジャンヌをこの本で初めて具体的にイメージできるようになった。
末尾の章で、ジャンヌの死について著者はこんな一文を記している。
「生きたいとの願いが強いゆえに、生きる場を見出せないという現実に絶望し、生きる希望を見出すことができなくなっていたのである」と。
この本を読み、絵を味わうにはここに書き留めることを少なくする方が良いのかもしれない。そこで、最小限の私の印象だけをメモしておきたい。
<ピカソ> ピカソの修羅のごとき愛欲遍歴と彼の示したエゴイズム、彼の屈折した感情が簡潔に記されている。その上で、ピカソの『自画像』(p53)を眺めると、一層、強烈だ。私は、この自画像を初めて見た。
<ジェローム> 接吻する男女の絵『ピュグマリオンとガラテア』は彫刻家と美神との恋。この「アカデミズム」の画風に対比して、印象派の絵が語られていて興味深い。
<ドガ> 場末のカフェの片隅に描かれた男女二人のまなざし、その表情に改めて焦点をあてさせるドガの『アプサント』。そこに近代都市に生まれる「絶望という名の親密感、不幸の居心地」-その逆説的言辞に意味が与えられる。「ドガのカメラ・アイ」という言葉がキーワードになっている。
<ダンテとベアトリーチェ> ダンテとベアトリーチェの出会いを描いた絵から、ダンテがベアトリーチェを登場させた『神曲』に話が展開する。また「見初める」という視点での絵画に話題がつながっていくのがおもしろい。
<マネとモネ> マネとモネの対比。そこにルノワールも登場する。三者の違いの描写がおもしろい。モネが妻カミーユを描いた『死の床のカミーユ・モネ』(p141)が載っている。画家の「業」のすさまじさに思いを及ぼす。
<ルノワール> ルノワールの画業の原点が陶器の絵付け仕事だったと初めて知った。近代芸術そのものの青春の聖地・モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットとボヘミアン精神が溌剌と描き出されている。無名のルノワールが恋したのは10歳年下のリーズ・トレオ。彼女をモデルに『ボヘミアの女』(p161)が描かれている。
<ムンク> 不安と不幸に満ちる世界を描くムンク。ムンクの生い立ちと、平穏な幸福とは無縁の男女関係に囲まれた彼の青春、ムンクの心の地獄が彼の絵の世界を紡ぎ出した。そのことがよくわかる。主観をそのまま描いたムンクの絵の暗黒性が逆に人を惹きつける。
<カミーユ・クローデル> 彫刻家としての才能を持っていたカミーユ。ロダンとの宿命的な恋愛が生まれなければ、芸術家カミーユはどんな人生とどれほどの作品群を遺しただろうか。カミーユと出会わなかったなら、ロダン芸術はどうなっていただろう・・・・そんなことを空想したくなった。それにしても、悲しいカミーユの後半生だ。
<モンマルトルの夜会> ルソーの絵を軸にして、詩人アポリネールがピカソと共に、60代なかばになっていたルソーのために<ルソーの夜会>を催したという。この描写の中にルソーの人物像が浮かび上がる。併せて「ベル・エポック」期の芸術家たちの姿が。しかし、ここでも、著者はピカソの性愛遍歴には手厳しい。その指摘には同意したくなるのだが・・・・・。
<モンパルナスの娘> モンマルトルに替わり芸術の聖地となったモンパルナス。モデル引退後、その地にイタリア料理専門の安食堂を開いたロザリ・トビア。彼女はボヘミアン芸術家のアイドル兼母親代わりになったという。「蜂の巣」と通称された芸術家共同住宅の建設を実行した彫刻家アルフレッド・ブーシェ。この二人を軸に、かつてのモンパルナスが語られる。そこには、モンパルナスの黄金時代への郷愁が込められている。そして、最後に、再びモディリアーニに戻っていく。
『恋愛美術館』には、多くの芸術家が登場する。芸術家同士のつながり、絵画観の変転、変遷がしからしめるところなのだろう。そういう人間関係の中で、筆者は芸術家の恋愛と作品を語る。各章に登場する名前を挙げてみる。
<モディリアーニ> ミケランジェロ・ブオナナローティ、ティノ・ディ・カマイーノ、ジャンヌ・エビュテルヌ
<ピカソ> グスタフ・クリムト、エドヴァルド・ムンク
<ジェローム> エドゥアール・マネ、ティツィアーノ・ヴェチェルリオ、ジャン=フランソワ・ミレー、フランチェスコ・アイエツ
<ドガ> エドワード・マイブリッジ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、北斎、D.F.ミレー
<ダンテとベアトリーチェ> ヘンリー・ホリデイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、エドワード・バーン=ジョーンズ
フレデリック・レイトン、イワン・ニコラエビッチ・クラムスコイ、アレクサンドル・ブローク、ウィルキー・コリンズ、トルストイ、マネ、
ジョン・ブレット、ランボオ
<マネとモネ> ルノワール、ドガ
<ルノワール> ヤコブ・ファン・ロイスダール、ゴッホ、コロー、ルソー、マネ、ソラレス・イ・カルデナス、ボードレール、
ピエール・フランク=ラミ、ドガ、アンリ・ミュルジェール、プッチーニ、シスレー、モディリアーニ、シェイクスピア、
バズ・ラーマン、ジョルジュ・ブリエール、フランソワ・ブーシェ、ゴーギャン
<ムンク> イェーガー、イプセン、グリーク、スタニスラウ・ブシビシェフスキー、オスカー・ワイルド、ゾラ、
ジョージ・バーナードショー
<カミーユ・クローデル> ロダン、イサドラ・ダンカン、シェイクスピア、ダンテ、レーヌ=マリー・パリス、イプセン
ジャン=レオン・ジェローム
<モンマルトルの夜会> アンリ・ルソー、ギョーム・アポリネール、マリー・ローランサン、ピカソ、セザンヌ、ブラック
アンドレ・サルモン、ジェローム、ヘミングウェイ、ガートルード・スタイン、M・ジロー、M・シュバリエ、
<モンパルナスの娘> ウィリアム・ブグロー、ジェローム、ルノワール、ドガ、モディリアーニ、ピカソ、アポリネール
ユトリロ、パスキン、マン・レイ、ジャコメッティ、ジャン・コクトー、ヘミングウェイ、アルフレッド・ブーシェ、ロダン
カミーユ・クローデル、ローランサン、レオ・フェレ、ジュリエット・グレコ、金子由香利、ジャンヌ・エピュテルヌ、サルモン
スタニスラス・フュメ、ジャンヌ・モディリアーニ、
脇役として登場する様々な芸術家の素顔の一端を知るのも興味深い。
本書から私にとって印象深い文章を引用しておこう。
*美を求める人の心は、そのまま恋うること恋われることを求める心へと連なり、実現は決してしないかも知れぬ理想を求め、地上にはいないはずの神を求める情熱へとも連なることになる。 (p4)
*写実が現実を写すことを意味するのに対して、記念は理念の記憶を残すことを意味している。 (p22)
*人は、自分の欲求のままに生きたいと願うと同時に、自分の欲求を超えた大いなる使命のために生きたいと願うものである。
自由には、そうした配慮や献身の対象を、自分で発見し選択しなくてはならないという重責がともなってくる。
この重責を全うしない限り、自由には、虚空に放り出されたような孤独感がつきまとうことになる。 (p38)
*若く頑健な身に美味なものが、成熟し老成した身にも美味であるとは限らない。(p52)
*もともと恋とは、相手のなかに理想を見出す心情のこと。 (p64)
*現実というものには、つねにイデアの理想や定義を裏切るかたちでよけいなものがつきまとい、欠けた部分が備わっている。芸術は、いわばこのイデアの似姿を生み出す作業である。 (p67)
*人は皆、魂の磁石を持っている。 (p170)
*死者は生者に、生きることを教えてくれる。 (p192)
*人は、その思いのほとんどを語らぬままに生涯を終える。
思いの大半の、その真の苦しみや哀しみを、ほとんど語らぬまま生を全うしていく。
それほど人の思いの奥底にある苦しみや哀しみは深く、向かい合うには激しすぎる痛みを伴っているからである。 (p258、p264)
*むしろ気づかぬふりをして生きていくしかないような思いが無数に存在するのである。 そうした思いを抱えた人が、わずかに自身に許すことがけきるものがあるとすれば、それはおそらく、他者の痛みや苦しみに涙することをおいてはないであろう。
であるからこそ、演劇や文芸の歴史は悲劇から始まっているのであろう。(p259)
この本に記載された言葉にまつわる情報をネット検索してみた。
ダンテ・アリギエーリ :ウィキペデイアから
Beatrice Portinari :Wikipedia から
File:Dante and beatrice.jpg 拡大図
ポンテ・ヴェッキオ :italyguides から
世界で最も美しといわれる橋:Ponte Vecchioは「古い橋」という意味
サンタ・トリニタ橋 :フィレンツェ・オルトラルノ・ネットから
ピュグマリオン :「ギリシャ神話解説」サイトから
ルツ記 :ウィキペデイアから
ルツ記 :「布忠.com」から
神曲 :ウィキペディアから
ベルリン分離派 :ウィキペディアから
アポリネール :ウィキペディアから
アポリネールのオフィシャル・サイト (フランス語)
ジュリエット・グレコ パリを歌う :YouTubeから
ミラボー橋 金子由香利 :YouTubeから
最後に、一つ腑に落ちないことがある。
「ダンテとベアトリーチェ 忘れ得ぬ女」の章の最初の箇所にある本文の記述(p104・p105)とヘンリー・ホリデイ作『ダンテとベアトリーチェ』の絵との照応関係についてである。
まず、本文から著者の記述を引用する。
p104の最後の2行目以降:
「女性三人の衣の色はフランス国旗と同じ赤白青だが、青の女性が奥にいるのでダンテの衣の緑と女性の二人の衣の色で、イタリア国旗の赤白緑の配色ができあがる。・・・人物の並びも、女性三人組よりはこの赤白緑の三人の方が揃って見えるので、意図的な配色かも知れない」
p106の最初から4行目
「絵の作者は英国十九世紀の画家ヘンリー・ホリデイ。」
著者は国旗の色三色の対比の形で記述しているので、誤植とは思えない。一方本書p105に該当の絵を載せ、前者の引用文の続きに、後者の引用文を記述している。この章は、「フィレンツェで観光みやげを売る屋台の、定番となっているのがこの絵葉書。」という書き出しで始まる。「この絵葉書」がヘンリー・ホリデイの絵を意味することが、この章の本文の文脈から読み取れる。
そうすると、絵の左から二人目の女性の服装の色が「黄色」であるので、本文と照応しないのだ。「この絵葉書」が掲載された絵が別物とすると、絵葉書自体が掲載されるはずだし、そうであれば、ホリディが色違いの2枚の絵を描いたことになる。ネット検索に挙げた英文版ウィキペディアのBeatrice Portinariにも掲載されているヘンリー・ホリデイの絵は、この本のp105掲載のものと同じだ。
さてこの不可解さは何だろう。著者の思い違いなのか・・・・
フィレンツェには観光旅行で訪れたことがある。観光みやげは買ったが、定番だという「この絵葉書」は購入しなかったので、絵葉書自体をたどれない。
フィレンツェで英語版の観光ガイドブックを購入していたので、ちょっと調べて見た。橋のことは載っていたが、ダンテのエピソードや絵は載っていなかった。
ご一読いただき、ありがとうございました。
この本は1994年8月に出版された。関東・東海地方における大地震について書かれた新書である。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災:1995.1.17)の少し前であり、阪神地域や東北地域における地震についてこの本では触れられてはいない。しかし、地震に対する警告としては同じ次元にあると思う。出版時点で、著者は地震理論および大地震についての長期的見通しの観点で、20世紀末頃から、日本が地震に対して「静穏期」から「大地動乱」の時期に入ったと警告したのだ。本書はより一層身近な警告書になったといえる。
この本を読んで、「歴史は繰り返す」「温故知新」という言葉を思い浮かべた。
地球史規模の視点で捉えると、地震は周期的にまさに繰り返されていることに納得せざるを得ない。その繰り返される地震に対し、その時々の人間が臨む姿勢が問われているということだろう。歴史的に見れば、同じ地域に住む人間の人口密度が増加し、居住空間、生活形態や社会構造が高度化・複雑化してきた実態を考えると、過去の同規模の地震発生とその結果を振り返ることから、今後の地震災害発生時の事態の深刻さを類推することができるということになる。
プロローグにおいて、著者自身が述べたいことを要約している。
「関東・東海地方の大地震発生様式にもとづく一つのシナリオによれば、今世紀末から来世紀初めごろに小田原地震、東海地震、首都圏直下地震が続発し、それ以後首都圏直下が大地震活動期に入る公算が強い。これらの地震による首都圏とその周辺の震災は、最悪の場合、従来とは質的に異なる様相を呈し、日本と世界に重大な影響をおよぼすだろう。そのような震災とその影響はもはや戦術的な対応では軽減しきれないから、思いきった地方分権による分散型国土の創成に今すぐ着手すべきである」
この警告が、為政者ならびに一般市民にどこまで認識されているのだろうか・・・・・
第6章「大地動乱の時代をどう迎えるか」の「一 首都圏大震災の背景」「二 そのとき何がおこるか」に、大地震が発生した時の著者の震災シナリオが描かれている。本書出版以降の現実に発生した二つの大地震の実態を重ね合わせて読めば、まさに戦慄そのものとなる。ここに描かれたことが、まさにリアルなものになるのではないか。
著者はまず、第一章、第二章で歴史的な大地震について文献を渉猟して、地震理論を踏まえ、詳細な分析・復元を試みている。第一章では、幕末から明治維新の動乱期に、大地震の動乱が重なるように現れている状況をつぶさに捉える。嘉永小田原地震、安政東海地震、安政南海地震、そして安政江戸地震の発生。著者は当時の政治・社会状況を重ねながら、その地震規模と災害規模を解明する。そして第二章では、明治東京地震と大正関東地震について詳細に分析している。著者によると、関東大地震の被害は、「前年度の一般会計予算の約3.7倍」にのぼるといわれたという。
第二章の末尾で、著者はこう記す。
”1853年嘉永小田原地震で始まった関東地方の「大地動乱の時代」は、70余年間つづいたのち、1923年関東大地震とその余震活動によってようやく幕を閉じ、「大地の平和の時代」に入ったのである。”と。
しかし、今ふたたび「大地動乱の時代」に入ったという。その主張のために、著者はまず地震についての理論的な概説を第三章・第四章で行っている。
私自身、これらの章を読み、地震理論の詳細を理解できたとは到底思えないが、その考え方の大枠は把握できたように思う。「プレートテクトニクス」という地学大系理論を踏まえた「地震テクトニクス」の研究成果をもとに、著者は一般読者にわかるように比較的平易に説明されている。
第三章では、「現代の地震観」、「震源断層運動をさぐる」、「地震をおこすプレートの運動」という三段階で「大地震の正体と原因」を具体的に説明する。P104掲載の「世界の地震分布」図を見れば、日本全体がほぼすっぽり分布図のプロットで覆われてしまっていることがわかる。P105掲載の「世界のおもなプレートとプレート境界(変動帯)の分布」図をみれば、日本列島が、ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという4つのプレート境界に位置することがわかり、地震分布との重なりが一目瞭然である。
「地球上の巨大地震の大部分は沈み込み境界でおこる。それらの震源断層運動は、海溝から陸側に傾き下がるプレート境界面(深さ数十キロくらいまでのスラブ上面)を震源断層面とする逆断層型であることが、プレートテクトニクスとは独立に地震学的に明らかにされた」(P111)という。だが、「その震源断層運動がなぜそこに発生したのかという理由は、地震の解析だけではわからない。まして、将来どこにどんな大地震がおこるかという問題にたいしては、別の方向からの取り組みが必要である」(P118)ようだ。「古地震学」というアプローチも欠かせないのだとされる。
第三章を地震一般理論編とすれば、第四章は「関東・東海地方の大地震発生のしくみ」という事例研究、具体的応用編となっている。第一章、第二章の歴史的事実を踏まえて、地震理論からこの地域の地震発生メカニズムを究明し、地震史との総合を試みている章といえる。
特に、関東地方に在住の方々は、少なくともどんなプレート構造の上で日常生活を送っているかを認識するうえで、この章は必読だといえるだろう。
過去の地震史の事実と現代の地震理論を総合すると、今や「ふたたび迫る動乱の時代」のただ中にいるのだと、第五章で著者は警告する。過去の大地震には規則性が明らかにみられるという。この規則性を現在に当てはめると、長期的視点ではそのような結論に到達する。そして、「小田原地震のくり返し間隔の約70年(T)を単位として、2Tで東海地震がくり返し、3Tで関東地震がくり返すようにみえる」という。マジックナンバーは70年。
「地震の災厄は、台風などと違って、進路が変わったり消滅したりすることはない。プレートが動いているかぎり(それは、私たちにとっては太陽があるかぎりというのに等しい)、ひずみエネルギーの蓄積はつづくから、先送りされればされるほど事態は悪化するのである。」(P171)「多くの地震学者が、首都圏直下のM7クラスの地震はいつおこっても不思議ではないと思っている。おもな理由は、過去400年間の平均発生頻度にくらべて、最近約60年間の静穏さは異常だというようなことである。」(P172)という視点に立つ。
さらに、著者は「西南日本東進説」という仮説をうちだされている。”日本海の海底と西南日本は「アムールプレート」、「東北日本」はオホーツク海プレート」と仮称するマイクロプレートに属すると考え、関東以北のオホーツク海プレートにたいして、フィリピン海プレートが年間3~4センチの速さで北北西に、アムールプレートが年間1=2センチの速さで東に動く”という作業仮説である。そして、西南日本東進説の立場から、「アムールプレート東限の日本海東縁~フォッサマグナに沿う大地震の続発に注意する必要がある。」という。
1997年10月、筆者は雑誌『科学』に「原発震災 -破滅を避けるために」という論文を寄稿された。これはいま、『原発と震災 この国に建てる場所はあるのか』(「科学」編集部編 岩波書店 2011年7月刊)の第一章冒頭の論文として所載されている。4ページの小論文だが、東海地震と浜岡原発震災を考える上で、併読すると、一層「大地動乱」のはじまり、その重みが認識できると思う。
付記として、自らへの覚書を兼ね、この新書の地震理論と事例説明から学び理解したことの一端を要約してみる。
*専門用語の「地震」とは、揺れの原因となる地下の出来事をいう。大きさの単位が「マグニチュード(M)」である。
*地震の発生源はあくまでも地下の震源断層面である。
「活断層」は、第四紀(約170万年前から現在まで)またはその後期に何度かずれ動いた証拠を示す地層。これは、過去に震源断層運堂をくり返した地下の弱い面の表れなので、将来もそこで大地震が起こる可能性をもつ。
*地震の震動が「地震動」で、その強さを「震度」で表す。
地震動は、震源過程によってきまる震源域での地震波の強さや性質に、波が伝わってくる途中の影響と、足元の地盤の影響が加わったもの。
*「震災」とは「地震災害」のこと。強い地震動の影響範囲にたまたま人間の文明があれば発生する社会現象をいう。人間への被害に着目しているだけのこと。
*大半の地震は、地球表層の厚さ100kmほどの「岩石圏(リソスフェア)」の部分で発生する。地下深部の岩石の急激な破壊は面状に起こり、「地震波」が発生する。
*リソスフェアにはたえず大規模な「造構力」が働いている。
*地震波は3種類。P波(縦波:ガタガタという縦揺れ)、S波(横波:ユサユサという横揺れ)、表面波。この順に遅れる。
*地震波の発生に関係するのは、「くい違い速度」または「すべり速度」、および面上の破壊の拡大様式と拡大速度である。これらは「動的な震源断層パラメータ」といわれる。
*地震波が最初に放出された位置が「震源」で、その真上の地表の点を「震央」という。*震源断層運動には、基本的なタイプとして「横ずれ(運動)」と「縦ずれ」がある。前者には「右横ずれ」と「左横ずれ」、後者には「逆断層(運動)」と「正断層(運動)がある。
*地震現象は特定の弱面の震源断層運動に注目するのが本質的である。
*「周期」というのは正確なくり返しにたいする言葉なので、地震や噴火の場合は使わない方がよい。
*地震動の周期が固有周期に一致すると、構造物が共振現象を起こし、損傷・破壊に繋がる。すべての構造物は、重さやガッチリさの度合いによって、自然に揺れるときの周期(「固有周期」)が決まっている。
目安 → 木造二階建(約0.3秒)、鉄筋コンクリート五偕建ビル(0.4秒弱)、鉄骨30階建超高層ビル(約3秒)、巨大な吊り橋(十数秒)。
*地盤は、性状に応じて揺れやすい周期(「卓越周期」)がきまっていて、その周期付近の地震動をとくに増幅する。硬い岩盤で0.2秒以下。軟らかい地盤ほど周期が長くなる。
*地盤の液状化の重要性は、1964年の新潟地震によって認識された。関東地震において、震源で何がおこって地表でどんな地震動が生じたかという全貌は未だ解明されていない。*各行政で実施されている地震被害想定報告書は、危険要因の多くは、過去のデータがなくて定量化できないなどの理由で採りあげられていないのが実態である。つまり、被害想定に大きな限界が含まれている。報告書は過少評価されているとみておくべきものと私は解釈した。
さらなる部分は、本書をご一読いただき理解を深めていただくとよいだろう。
本書を読み、その理解を深める一環として、ネット検索してみた。
情報は重ね合わせて、多面的に読み進めて行くと有益だと思っている。
地震の年表(日本) :ウィキペデイアから
固有地震 :ウィキペデイアから
全国地震動予測地図 2010年版 :平成22年5月20日
地震調査研究推進本部地震調査委員会
リーフレット「わが国の地震の将来予測 -全国地震動予測地図-」
地震の将来予測への取組-地震調査研究の成果を防災に活かすために-
大規模地震対策特別措置法
最終改正:平成一一年一二月二二日法律第一六〇号
防災システム研究所ホームページから
東海地震・警戒宣言・強化地域
東日本大震災(2011年東北地方太平洋沖地震)/現地調査・写真リポート(撮影・文:山村武彦)
阪神・淡路大震災(平成7年兵庫県南部地震)
東京都防災ホームページから
直下地震の被害想定に関する調査報告書(概要)
本文
首都直下地震による東京の被害想定(最終報告)平成18年3月
「地震防災をテーマにした神奈川県立西湘高校の《調べ学習》Part2」から
神奈川県地震被害想定調査報告書 概要版(平成11年3月)
静岡県地震防災センターのサイトから
第3次地震被害想定報告書
「地震・防災 あなたとあなたの家族を守るために」のウェブサイトから
「第二部 地震防災情報:2.5 都道府県の被害想定一覧」
関東平野直下の地震と1855年安政江戸地震 :東京大学地震研究所のサイトから
災害教訓の継承に関する専門調査会報告書原案
「1855 安政江戸地震」
江戸の地盤と安政江戸地震 松田磐余 :京都歴史災害研究 第5号
安政東海地震 :ウィキペディアから
関東地震 :ウィキペデイアから
1923年(大正12年)関東大震災写真
ご一読いただき、ありがとうございます。
アメリカの作家、クライブ・カッスラーはテレビ界から作家に転進したようだが、NUMA(国立海中海洋機関)に所属する特殊任務官ダーク・ピットを創造し、このダーク・ピット・シリーズで、海洋冒険小説の世界的ベストセラー作家になった。その第1作デビューは1973年という。私は1989年1月に新潮文庫でこのシリーズの1冊を読んでから、そのおもしろさに惹かれ、ダーク・ピット・シリーズを手始めに次々に諸作品を読んできた。
カッスラーは、日本で翻訳出版された年次でいうと2000年6月以降、共著者と連名で海洋冒険小説を複数シリーズ刊行するようになった。私の知るかぎりで以下述べる。
☆NUMAファイル(NUMA特別出動班カート・オースティンとメンバーの活躍するシリーズ):ポール・ケンプレコスとの共同執筆 :2000年6月出版から(新潮文庫)
☆オレゴン・シリーズ(オレゴン号船長、ファン・カブリーヨと同船乗組員の活躍するシリーズ):ジャック・ダブラルとの共同執筆 :2007年10月出版から(ソフトバンク文庫)
☆トレジャー・ハンター、ファーゴ夫妻シリーズ :グラント・ブラックウッドとの共同執筆 :2010年3月出版から (ソフトバンク文庫)
☆そして当初のダーク・ピット・シリーズが、ダークの子、ダーク・ジュニアとサマーの二人の活躍に引き継がれ、クライブ・カッスラーが長男のダーク・カッスラーとの共同執筆で第二世代のシリーズに入っている。:2006年12月出版から(新潮文庫)
いずれのシリーズも、クライブ・カッスラーの小説の質と醍醐味は維持されて、その範囲が広がってきていると思う。
さて、この本は上記シリーズでいうと、オレゴン・シリーズの翻訳第5作目になる。
オレゴン・シリーズは、ファン・カブリーヨが会長として率いる<コーポレーション>という組織が、みかけはオンボロ貨物船--その実態はMHD(磁気流体力学)推進システムで航海し、様々な最先端の科学設備・機器と戦闘用武器、潜水艇などを装備した船--オレゴン号を舞台にして、請け負った機密任務を世界のいたるところで遂行するという物語だ。アメリカ政府が、政府機関では直接手がけられない極秘任務を、カブリーヨに託する。それを<コーポレーション>が請け負って、全力で任務課題を達成するという活劇シリーズだ。
オレゴン号の主要メンバーは船長以下、CIAや軍隊、あるいは特殊な政府系研究所などにかつて所属していた経験があり、特定分野では超一流の技術知識やスキル、スペシャリティおよび身体能力を持つ。ある任務をカブリーヨが請け負うと、彼の頭脳から生み出される計画案をベースにさらに実行計画がリファインされ、各人が専門性を縦横に発揮して課題解決に関わっていく。極秘任務は少数精鋭のメンバーで実行されていく。
この第5作には、少し際立った特徴がある。プロローグが「1941年12月7日ワシントン州パイン島」で始まる以外、現代の状況の描写に年月という要素が記載されていないという点である。
パイン島はロニシュ家が所有する。この島にはカリブ海の私掠船の船長が宝物の一部を隠したという伝説があり、事実、正方形の謎の立坑が存在する。その立坑にロニシュ家のニックとその兄弟たち五人がはいり込む計画を実行するエピソードから話が始まる。 ニックが立坑の底近くの壁に窪みを発見するが、探索途中に事故が発生し、ドンが亡くなってしまう。時あたかも、アメリカは真珠湾奇襲攻撃を受け戦時態勢に入っていた。ドンの葬儀の後、ニック、ロン、ケヴィンは父親から出生証明書を渡され、志願していく。ケヴィンは亡くなったドン(兵役年齢18歳になっていた)の書類を渡され志願する。「家族の誇りになれば、おまえたちも許してもらえるかもしれない」と、父親は言う。
場面は一転して、現代になる。
アルゼンチンはエルネスト・コラソン元帥が率いる軍事政権下にあり、繁栄する民主主義国から実質的な警察国家に変貌した。南米の非常事態を監視していた<コーポレーション>のカブリーヨにCIA局員のオーヴァーホルトから仕事の依頼電話が入る。人工衛星が南米上空で故障し、アルゼンチン領内に墜落した。その残骸の中から、少量のプルトニウムをエネルギー源とした装置の回収をして欲しいという任務だ。カブリーヨはそれを請け負う。一方、その頃、南極半島のウィルソン-ジョージ観測基地で、ある事件が芽生え始めていた。
この物語の前半は、カブリーヨ以下4人のチームがアルゼンチンに潜入し、この特殊装置の回収任務に携わる顛末譚だ。その潜入経路の途中で、偶然にも軟式小型飛行船の残骸を発見する。オレゴン号砲雷長のマーフィーがこの行方不明の飛行船のことを記憶していた。カブリーヨは、回収任務が解決したら、遺族に飛行船発見とその遺物の手渡しを決意する。装置回収の過程でカブリーヨは、アルゼンチン軍の将軍フェリペ・エスピノサおよびその第九旅団部隊員と争奪戦を繰りひろげることになる。このエスピノサが後々も、カブリーヨの眼前に立ち現れる敵となるのだ。この装置回収のストーリー展開が最初の読みどころ、その1といえる。
装置回収任務を完了し、アルゼンチンに近い位置にいるオレゴン号のカブリーヨに、オーヴァーホルトから、ウィルソン-ジョージ基地における緊急事態の調査依頼が舞い込む。カブリーヨはオレゴン号作戦部長のリンダ・ロスの指揮で、オレゴン号による南極基地の調査を指示する。
一方で、カブリーヨは飛行船の搭乗者の遺族がだれかを調査した後、オレゴン号機関長のマックス・ハンリーと一緒に、遺族のジェイムズ・ロニシュに事実を伝えるための旅に立つ。これがプロローグの立坑にカブリーヨが関わっていく契機になり、そこでの発見が意外な方向に話を展開していくことになるのだ。
この立坑の調査とその後の事実探索には、つねにアルゼンチン軍人の介入がつきまとう。
立坑内のからくりを見つけ、そこから辿ってカブリーヨが発見した遺物の碑は、明代の中国船に関連したものだった。海事研究家・パールマターに問い合わすと、中国史研究者のタマラ・ライトを紹介される。彼女はミシシッピ川のジャズ・クルーズを楽しんでいるとのこと。そのクルーズ船にカブリーヨとマックスは訪ねていくことになる。そこにまた、エスピノサがタマラ・ライトの掠奪を目的に出現する。
この一連のストーリー展開が活劇その2だ。
タマラ・ライトの説明で判明したことは、1400年代末に中国艦隊の蔡松司令官が、航海の途中で、乗組員が正気を失ったので、船・静海号もろともに氷の国に沈めたという。
一方、リンダ・ロスは南極基地調査で、その基地に近いアルゼンチンの基地から来た一隊の銃撃を受け、からくも難を逃れた後、ウィルソン-ジョージ基地の状況調査と併せて、アルゼンチン基地の偵察をすることになる。その結果、緊急事態発生の原因が究明され、またアルゼンチン基地が大規模な精油所施設であり、南極条約に違反している事実を発見する。そこにはミサイル基地もあるようなのだ。
全く異なった事象が徐々に連関し収斂していく。人工衛星からの回収装置には、打ち落とされたような痕跡がありそれができるのは中国だけだという可能性、南極基地での緊急事態発生の原因と沈められた中国船の連関、アルゼンチン基地の大規模な精油所施設の存在、中国が軍事政権のアルゼンチンに肩入れする理由など・・・これらが結びついて行く。
もし、氷の国に沈めた中国艦というのが、南極で発見されたなら、中国が領土権を主張できる根拠になるのだ。たとえ、中国艦が南極で発見されても、それを認めることはできない相談だ。だが、中国に莫大な国債債務を負うアメリカ政府は、アメリカ人に直接に被害が出るとは言えない南極の現状において、たとえアルゼンチン基地の違法事実を知っても、外交戦略上、手を出せない。
「正道に従え」と、カブリーヨの父親はつねにいっていた。「なにを案じていても、結果はどうにでも始末できる」。カブリーヨは行動を決断する。
タマラ・ライトの救出と南極の事態解決の計画を練り、その遂行に全力投球するカブリーヨとオレゴン号のメンバー。そこでも将軍エスピノサおよびその第九旅団部隊員が立ちはだかる。エスピノサとの最後の闘い。この本のタイトル「南極の中国艦」の意味がおわかりいただけよう。この行動の展開が後半の読みどころである。
アルゼンチンの暑熱のジャングルと極寒の南極という地理的広がり、アメリカ・アルゼンチン・中国が南極と関わるという国際政治の局面の広がり、明代中国船・宝船の探索という歴史の軸の広がり・・・・・いつものことだが、カッスラーの小説はスケールが大きくて痛快だ。
オレゴン号シリーズの既刊一覧をまとめておこう。
『遭難船のダイヤを追え!』 2007/10
『日本海の海賊を撃滅せよ!』 2008/9
『戦慄のウィルス・テロを阻止せよ!』 2009/9
『エルサレムの秘宝を発見せよ』 2010/9
『南極の中国艦を破壊せよ』 2011/3
このシリーズ、次は何時頃出版されるのか。
この小説に出てくるワードをネット検索してみた。
南極の気候 :ウィキペディアから
南極条約 :ウィキペディアから
南極観測基地の一覧 :ウィキペディアから
磁気流体力学 :ウィキペディアから
鄭和 :ウィキペディアから
ヘッケラー&コッホMP-5 :ウィキペディアから
FNファイブセブン :「MEDIAGUN DATABASE」のウェブサイトから
グロック :「MEDIAGUN DATABASE」のウェブサイトから
ベレッタ :「MEDIAGUN DATABASE」のウェブサイトから
迫撃砲 :ウィキペディアから
魚雷 :ウィキペディアから
OTOメララ127mm :個人ブログ(「鳳山雑記帳」)から
ボフォース 40mm機関砲 ::ウィキペディアから
地獄の黙示録 :ウィキペディアから
ウェルギリウス :ウィキペディアから
ウェルギリウス :ウィキクォートから
軟式飛行船 :ウィキペディアから
C-130ハーキュリーズ :ウィキペディアから
ベル206 ジェットレインジャー :ウィキペディアから
グラップル作業 :YouTubeから
タワーヤーダ :イワフジ工業(株)のサイトから
竜骨(船) :ウィキペディアから
ゾディアック膨張式ボート :ZODIACのサイトから
救難艇 :ウィキペディアから
プリオン :ウィキペディアから
プリオン:空気感染は「非常な少量でも致死」 :「WIRED ARCHIVES」から
現実のアルゼンチンについて
アルゼンチン :ウィキペディアから
アルゼンチン共和国 :外務省のウェブサイトから
ご一読いただき、ありがとうございます。
『庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか』(中野純・講談社+α新書)を読んだ時、本書に触れられていたので、タイトルに惹かれて読んで見た。中野氏の本は現場探訪体験を軸にした地獄・奪衣婆論だったが、こちらは文献や図像を基礎にした学術的な論考といえる。地獄の位置づけを考える入門書として適していると思った。
著者は、冒頭で「死者を看取ることも、死を身近に感じることも、あの世-他界に思いを馳せることもなくなっているといわれて久しい」現状の一方で、臨死体験の報告書や他界に関する事柄・情報が溢れているという事実を指摘する。そして、他界の思考には、「現世に対するある種の距離感を不可欠とする」のであり、そこには、「現世への隔たり・厚みをもった”知”が集積されている」という。そして、「他界のアルケオロジーとでもいうべき、他界の”知”の断層を探ることにこそ、なにほどかの意義があるのではなかろうか」という立場から、この一書をまとめている。
著者は、冥界の旅の案内書といえる『地蔵十王経』、源信が八大地獄を冒頭に書き記した『往生要集』、他界遍歴・蘇生譚を扱う『日本霊異記』、モガリ儀礼と黄泉の国を記す『古事記』などの文献を基盤に、『北野天神縁起絵巻』(承久本)、「六道絵」、「立山曼荼羅」、「熊野観心十界曼荼羅」を主なビジュアル素材として、先人の諸研究を踏まえそれらの図像を観察・分析し、他界・地獄についての”知”を明らかにしていく。
第1章では「他界を遍歴する」ことに焦点をあて、「少なくともあの世へと思いをめぐらすことによって、この世の姿が立ち現れてくるのではないか」と考える。『古事記』、『日本霊異記』、『往生要集』という大きな流れの中で、仏教導入以前と以後において、他界遍歴・地獄遍歴がどのように変化していったのか。古代の葬送儀礼であるモガリ儀礼と他界遍歴譚の事例を分析することから始める。
仏教的な他界観が入る以前は、現世と他界が同一空間に併存し、水平的・平面的な空間として構成される古代的・記紀神話的な他界観が息づいていたという。そして、モガリ儀礼における遺体の存在のもとで、霊魂が遊離し他界遍歴をして元の身体(遺体)に復帰するという蘇生譚を生み出したということを文献事例で例証する。
モガリ儀礼がどういうものかを『魏志倭人伝』や『隋書倭国伝』と『古事記』から引用し説明する。『古事記』におけるイザナキのヨモツ(黄泉)国訪問譚から、当時の他界は、「川を渡り、坂を越えておもむく、奥深い山中・山の彼方(あるいは、海の彼方)」にあり、「生者の世界の周縁部に設定される、水平的・平面的な空間構造をもつ世界として認識されている」とする。
しかし、この他界観はモガリが禁止され、仏教的葬法としての火葬が広まっていくにつれ、他界観、さらにその深層で死生観や霊魂観が大きく変容していく。火葬=身体の焼却は決定的な死を意味する。つまり「霊魂の帰るべき身体が失われ、現世と他界の往還に根底的な断絶が刻印された」のだから。著者は、死霊のさまよいについての説話を引用して語っている。そして「火葬が受容されていった背景には、霊魂の浄化、そして他界への安住が即座の骨化によって達成されるとする、信仰が優勢になっていったと考えられる。」と述べる。
それでもこの他界は、「山越阿弥陀図」のイメージにあるごとく、「険しい坂の向こうにある山・山中、深い河を渡った向こう岸、あるいは両者を融合させた場に、山中他界として構想されていた」。意外にも『古事記』に記された神話的な他界とほとんど隔たりがないと著者は判断している。
第二章において、著者は地獄・極楽という他界の思考は、その根底に人々が現実=現世をどう思考し認識し対応したのかというところに求めるべきであり、現世を超えようとする想像力・構想力が他界を生み出したとみる。他界は「現実の徹底した表象化、言い換えるなら、欲望の過剰なまでの肥大化・豊饒化もしくはドラマ化である」という。そして、他界をめぐる言説・図像を分析していく。
『北野天神縁起絵巻』その他に描き出された地獄の場面を分析する。図像化による地獄の現前化は、リアリティを持って人々に迫ってくる。地獄絵によって知る地獄は、現世のリアリティとは異次元に構築され、人々の信念により維持されていくとみる。
一方、他界幻視を実践した例として、源信による「臨終の行儀」の実践を考察する。源信らが結成した二十五三昧会(講)において、浄土への往生、新たな生を目指す”死の床”の看取りが行われたシステムとその結果を詳細に論じている。(私はこの二十五三昧会がどのようなものかに少し関心を抱いていたので、この書を読み、この点でも有益だった。)しかし、源信ですら死の間際に、最後の想念を語らなかったという。「おわりに」の章で、筆者は「二十五三昧会では、臨終の床で仏菩薩の来迎を見ようと日々修行していたが、少なくとも記録のなかでは、誰ひとりとして見ることはかなわなかった」と重ねて記している。だが、二十五三昧会の結衆たちは、「看病、死の看取り、臨終での見仏、葬送儀礼、夢想、追善供養を行なって、往生を共同して支援した」ようだ。
また、山林修行者が他界幻視の技法を様々に実践しているが、この修行法が密教思想に裏打ちされ、修験道の十界修行として高度な実践的システムを形成するに至ったと説く。
一般民衆は、遊行僧(聖)や僧侶、尼僧などによる地獄・極楽譚の唱導、「熊野観心十界曼荼羅」、「立山曼荼羅」その他多くの図像の絵解きを通じ、他界を幻視する心性を培い、他界遍歴・他界幻視を実践したとする。全国いたるところに、この世で地獄や賽の河原と称される場所が形成されていくことになる。「立山曼荼羅」には地獄が描き込まれ、現実の場に設定された立山地獄が地獄のリアリティを迫真のものにしていったという。人々にとり、地獄という他界は、「身近に仰ぎ見ることのできる、山岳の山中やその裾野・地下が地獄の在処であり、生者が呼び出すなら、死者の霊が寄り来ることのできる場、死者と生者が出会うことのできる場、不可視ではない現実の場に、地獄が実在したのである」という。
そして、「地獄は現世や共同体と隣接する場に設定されはしたが、決して地続きであったわけではなく、感覚・思考にいて現世に対する時空間の隔たりがあった。地獄をはじめとする他界のコンセプトは、いわば死者の眼差しから、現世を逆照する拠点として構築されたというべきであろう」と著者は述べる。「現世と対峙しつつ、現世の外に立つ死者、またそのような時空間としての地獄」という思考が生み出されたと説く。現代人が死あるいは死者をターミナルだという時間意識、思考法でとらえることの「貧しさ」を指摘する。
「他界を幻視することの豊かさとは、死の体験も包摂した生の体験を照らしだすこと、これまでにない生の体験のベクトルを獲得することにあろう。死は孤立しているのではなく、生と繋ぎ合っている。生の体験を拡張させるものとして、他界の体験は重要な意義を帯びることになる。他界という異次元の世界に向かい合うこと、そこでは他界が新たな生の可能性として構築されている」のだと言う。著者は、他界のイメージが生の世界を反照することの意義を主張する。他界のイメージが現代人にとり貧困になることによって、「死や他界を介して、何ものかを畏れる慎み深い生」が喪失していったと論じている。
余談だが、私にとっては、地獄を説いた経典が典拠としていくつかあることをこの章から知ったことも、別の収穫だった。
第三章は「三途の川の奪衣婆」として、奪衣婆の誕生、奪衣婆の系譜、奪衣婆の図像について、『地蔵十王経』を軸に論じている。奪衣婆には、「嫗の鬼」、無慈悲な鬼婆の側面とは別に、民俗学的視点で、姥神-山姥-山の神という”女神性”の側面があり、お産の神としても信仰されていたという。奪衣婆が人の身体の始まりと終わり、生と死の両方に携わる者として人々に認識されていたというのは、興味深い。
第四章「女の地獄と穢れ」は、「熊野観心十界曼荼羅」世界の絵解きである。先人の研究を踏まえて、この曼荼羅の構成を詳述し、またこの曼荼羅を諸国に伝播させた熊野比丘尼そのものの絵解きも行っている。この曼荼羅は夫婦の人生の道程を描いている点を説明した後、著者は曼荼羅に描かれた女の地獄に焦点を当てる。両婦地獄(嫉妬の炎・鬼の心)、血の池地獄(不浄の血と血盆経信仰)、および産まず女地獄(不妊の罪)という三地獄を詳述する。
当時の仏教教説が、「女性を宗教的に劣った救いがたい存在として差別しおとしめ」、「家のなかであれ、社会のなかであれ、女性の従属的な地位を正当化し甘受させる思想として力を発揮した」。また、不妊の既婚女性については、「女性としての存在とともに、”ひと”としての存在を否認」することに果たした側面を指摘している。
「おわりに」で筆者はおもしろい対比をしている。「当麻曼荼羅」、「智光曼荼羅」あるいは「阿弥陀浄土曼荼羅」に描かれた浄土は、「幾何学的といえるほど、左右対称に空間が完璧に画定されている。”反自然”といっていいほどの景観なのである」。それに対し、地獄もまた”反自然”の空間としての構想かもしれないが、「なによりも肉体の苦痛、そこには厭うべき自然が横溢していよう」とみる。それ故に、「さまざまな苦難に満ちた現世では、地獄に堕ちたくはないにしても、浄土よりも、地獄のほうがいっそう身近であったことはたしかだ」と。地獄の内容を予め知ることで、「苦難に耐える心構えが培われ、死を迎えることがかろうじてできるかもしれない」と。
この書ではテーマを外れるので触れられていないのだと思うが、民衆への浄土信仰の浸透の中で、浄土信仰に対して、地獄がどういう役割を果たしたのか、論じてほしい気がした。
最後に筆者は述べる。「地獄めぐりはこの世へと帰還する。地獄がこの世から生み出されているという事実は、昔からなんら変わりはしないのである。・・・・今日でも、地獄を想起せよと、地獄の思考が今でも求められているのは、・・・・かつてのそれが語られることなく、記憶の底に閉じ込められているからである。現代に連なる歴史の記憶を発掘するために、新たな地獄めぐりに出立しなければならない」と。
かつての地獄の思考は、著者が記すように「罪業」を根底にして存在した。それが地獄・極楽と不可分の関係にあった。その根底が欠落していれば地獄の思考を深耕できないという意味だろう。新たな地獄めぐりをするためには、人間存在の意味に改めて光を当てて、人間にとって地獄とは何かを再定義することから始めなければならないと受け止めた。
かつての人々が抱いた他界観・地獄観に、一歩身近なものとして近づけた気がする。
欲をいえば、各章にもう少し説明図あるいは曼荼羅の部分図を例示して欲しかった。
この本のキーワードになる言葉のいくつかを、ネット検索してみた。この本の理解を深め少しでも拡げる糧として。
『往生要集』 :ウィキペディアから
源信 (僧侶) :ウィキペディアから
三途の川 :ウィキペディアから
三途の川・画像集
三途の川の日本的変質 玄侑宗久 :「東北河川紀行」から
十王、『地蔵十王経』 :ウィキペディアから
血盆経 :「雑学の世界・補考」サイトから
『北野天神縁起絵巻』(承久本) :「文化デジタルライブラリー」から
『北野天神縁起絵巻』の画像集
『地獄草紙』 :「e国宝」から
『起世経』諸説の八大地獄のそれぞれに付属する別所(小地獄)から選ばれた地獄が描かれているとか。
『餓鬼草紙』 :「e国宝」から
『正法念処経』の述べられている餓鬼が描かれているとか。
九相図 、九相観 :ウィキペディアから
九相詩絵巻
二十五三昧会 :ウィキペディアから
慶滋保胤 :ウィキペディアから
当麻寺練供養式 :YouTubeから ←「迎講の儀式」
当麻寺「練供養会式」を間近で見てきました :「奈良の寺社観光ガイド」サイトから
立山曼荼羅 :「立山・静寂庵」のウェブサイトから
「立山曼荼羅絵解き」のページ
「はじめに」のところに、全体図が載っています。
熊野観心十界曼荼羅 :「ようこそ!西光山 宝泉院へ」のウェブサイトから
謎残る生と死の宗教画―熊野観心十界曼荼羅 :「歴史の情報蔵」のサイトから
紙本著色熊野観心十界曼荼羅図 :「平成19年度 愛荘町新指定文化財」から
恩山寺のビランジュ(小松島市) :徳島新聞の「文化財を巡る」サイトから
ご一読いただき、ありがとうございます。
付記
第1刷発行版で、1カ所、校正ミスと思えるところに気がついた。
168ページ6行目 「毘蘭樹は・・・・・・また世界の誕生と終末に関わる樹木とだといえる。」
この後半、「・・・・・に関わる樹木だといえる。」 でよい文末だと思量する。
今年2月に『吉原手引草』と『仲蔵狂乱』を立て続けに読んで以来、この作家の小説を興味にまかせた順番で読み進めてきた。これが15冊目になる。(当ブログを開設してからは、この本が最初に読了したもの。)
登場人物の筋からすると、歌舞伎物の系譜だがちょっと脇道にそれた謎解き小説といえる。
「家、家にあらず」というタイトルは、世阿弥の『風姿花伝』(『花伝書』)の第七「別紙口伝」中、最後から二つ目の条に記された文言が引用されている。世阿弥は能の伝承の観点で述べているが、作者はそれを武家大名の「家」というものに重ね合わせ、さらに大名屋敷の奥御殿に住む女たちの世界における「人」に重ねて合わせていったのだろう。「家、家にあらず・・・・・人、人にあらず・・・・」この言葉の意味するものがこの本の主題であり、読者への問いかけなのだ。
中心人物が複数いる。それぞれの生き様という点でも興味深い。
瑞江 :笹岡伊織の娘で、おば様(浦尾)の声がかりで大名屋敷の奥勤めに出る。
浦尾 :志摩二十余万石の大名、砥部家の奥御殿御年寄。
笹岡伊織 :北町奉行所同心。定町廻り。芝居検分も職務のうち。
荻野沢之丞:中村座立女形。
真幸 :砥部家の奥御殿表使。
貞徳院 :砥部家藩主生母
大名屋敷の奥勤めに出た瑞江が、奥女中の世界に当初一種のカルチャーショックを感じながら、いじめを経験し、長局全体の人間関係も分かり始め、少しずつ奥勤めに慣れていく。ところが、長局において、立て続けに、中老・玉木の死、当藩主の元乳母で今は茶の湯の師匠を務める五百崎の死に巻き込まれる。玉木は自室での自害として扱われる事件、一方、五百崎の死は、先代藩主時代の中老で何十年も前から心の箍がはずれている「おゆら様」に刺し殺された態の事件である。玉木の自害に不審を抱き、五百崎の刺殺された現場に駆けつけて見聞した瑞江は、二人の死について疑惑を深め、その奥に隠された謎を推理しようとする。二人の死の事件それぞれに御年寄・浦尾が様々に表の重臣との間で話し合いを繰り返し、行動している様子を瑞江は見聞する。三之間勤めという下層奥女中の視点から大名家の実態に触れていく。奥女中の口の端から様々な情報を集め、自らの推理を働かせ、謎を解こうとする。そこは、同心の娘として育った性なのか、究明心を突き動かされるのだった。
一方、父・笹岡伊織は、男女一対の屍体が大川の百本杭に引っかかったという相対死(心中)事件を扱う立場になる。男は人気歌舞伎役者・小佐川十次郎で、女は水茶屋の主人の妹だが、砥部家下屋敷の奥勤めをしていたことがやがて判明する。二人の屍体を検分したことで、伊織は心中という点に不審を抱き、探索を始める。役者仲間の荻野沢之丞は、番所に呼び出されて、伊織から小佐川のことについて事情聴取を幾度も受ける。その過程で大名屋敷内の舞台での歌舞伎披露の宴のことに話が及んでいく。
娘・瑞江が奥勤めをする砥部家に関わるきな臭い筋書きが伊織には読めてくる。そして、その大名屋敷で娘が奥勤めしていることへの気懸かりが強くなる。娘は娘で、自分の推理と疑問を父に伝えてみようと、然るべきルートを通じて文を託す行動に出る。
二十年前の苦い思い出に再び関わりたくはないと思いつつも、沢之丞は結局関わりを深めざるを得なくなり、伊織の手助けをする役回りを担っていく。
大名・砥部家のお家騒動、八丁堀同心・笹岡家の秘め事、歌舞伎役者・荻野沢之丞の家と言う形で、「家、家にあらず」というフレーズが幾重にも色合いを変えながら関わっていくのだ。
さてこの謎解き、攻め口は二つ。父・伊織の扱う事件からのアプローチと、長局での見聞情報を土台に瑞江が行う推理のアプローチ。その二つがいつしか収斂していくという構成上の面白さがこの本の特徴だろう。瑞江の推理が主で、父の事件が添えになり、事の広がりを読者に示唆していく。
本文中に、書体を変えた記述がいくつか出てくる。これがストーリー展開の中で重要な伏線を果たしている。(読後にそれが一層明瞭になった。)そして、個々の事件を集約した大本の問題の解明が進展する。それと同時に、やはりそうだったのか・・・別次元の事実が解き明かされるという二重構造のしかけに驚嘆する。本文中の言葉の各所に作者のしかけが潜んでいたのだ。
大名屋敷内の長局という特異空間での殺人事件。密室殺人趣向の謎解きを瑞江と一緒に楽しんでいただくとよい。そして、奥勤めでの瑞江自身の心の動きを味わってもらうと、一層興味深いものになろう。
この小説の副産物が併せておもしろい。大名屋敷の長局における奥女中の日常生活を垣間見させてくれるところが一つの興味深い点だ。奥女中の位・格式、生活様式、愛欲の確執、生活の保障、外部世界との関わり方・・・・など。さらに、当時の歌舞伎役者の有り様の一端が窺えるという点、定町廻り同心の実態という点、も挙げることができる。
作者の引用した言葉に触れておこう。(この本の標題ページの裏に引用文が記載されている。)
『花伝書(風姿花伝)』(世阿弥編 川瀬一馬校注、現代語訳 講談社文庫)から引用する。
原文
一、この別紙の口伝・当芸において、家の大事、一代一人相伝なり。たとへ一子たりといふとも、不器量の者には伝ふべからず。「家家にあらず、続くをもて家とす。人人にあらず、知るをもて人とす。」といへり。これ万徳了達の妙花をきはむるところなるべし。
現代語訳
一、この別紙の口伝は、この申楽芸において、観世の家の大事なことで、一代には一人だけ受け伝えるというものである。たとい、一人っ子であろうとも、才能の無い者には伝えてはならなぬ。古人も「芸の家というものは血統が続くのが家ではない、芸の真髄が続くのが家である。人間は人間の形をしているのが人間ではない、人の道を知っているのが人間である。」と言っている。そういうのが、あらゆる徳をすっかり修めつくした芸の上の妙花を究めた境地というのであろう。
そこで、作者の引用文だが「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。」となっている。『風姿花伝』にも表記の異本があるということなのだろうか。
末尾にネット検索でサンプリングしたように、「続く」とする出版物の方は見つけることができたのだが・・・・。
「知るをもて人とす」に値する人が、「続くをもて家とす」ということに意味が存在する。「人人にあらず」レベルの輩が画策して、「続くをもて家とす」と思うとしたら、それは間違いだということなのだろう。
砥部家の奥御殿は後者の現状になることを浦尾は恐れたということなのだろう。笹岡伊織の家は「続くをもて家とす」そのものであり、荻野沢之丞の家は、いずれ『風姿花伝』どおりに歩むということなのだろうか。この小説を読み、引用文を確認して、そんな思い抱いた。
作者は本文の中で、笹岡伊織に、その父に臨終のきわでこう言わせた。
「伝えておきたいことがある」「我が家は、家にあらず、と心せよ」と。
伊織はこう解釈していると記す。
「お前は立派な家に生まれたわけではない。黙っていても代々受け継いでいけるような家をもたない身分なのだから、業を懸命に磨くことでしか世を渡れないぞ、と父は諭すつもりだったのだろう。たしかにこの役目は当人の年季と腕だけがものをいう。」
伊織の父の臨終の言葉には、伊織のこの思い以外にも意味が込められていたのではなかろうか。「風姿花伝」の言の如くに。
この小説に出てくる言葉について、より深く楽しむために、ビジュアル情報その他をネット検索してみた。そして、そこからのワード連想も。
裲襠(うちかけ)
笄(こうがい)
片外し :御殿女中の髪型の一つ
銀杏髷 :ウィキペディアから
築地塀
長屋門
荻野沢之丞
歌舞伎の鬘
烏枢沙摩明王 :ウィキペディアから
烏枢沙摩明王 画像集
江戸時代に実在した藩の一覧 :ウィキペディアから
江戸三百藩HTML便覧
秋海棠、鳳仙花、曼珠沙華、桔梗、小車、藤袴、
「植物園へようこそ!」の「名前による索引」から、これらの花々をお楽しみください
羅漢槇 この庭木も上記の植物園サイトで見られます。
『花伝書』の該当条について :岩波文庫(昭和10年9刷)
44/56のページをご確認ください。
『花伝書・能作書 校註』中の該当条について :新日本図書(昭和22)
55/76のページをご確認ください。
ご一読ありがとうございます。
隣り合う日坂藩と鵜ノ島藩の間で、瀬戸内海に面する笠島湾での干拓地の境界線をめぐる紛糾が起きていた。日阪藩には学(きょうがく)・青葉堂村塾がある。「郷学とは各藩が武士だけでなく百姓、町人も勉学ができるように藩校とは別に開設した学問所」である。青葉堂村塾の最初の教授・岩淵湛山のために、鵜ノ島藩家老の永井兵部が鵜ノ島藩からも新田の一部を提供して郷学の学領とすることを申し出て、兵部と湛山の間で学領についての覚書を作成した。日坂藩でもこれに応じ領内にある干拓地のうちに学領を設定した。この学領が郷学を運営維持する源だった。
湛山が病死した後、日坂藩家老島野将大夫の推挙で、当時二十五、六歳の牢人・梶与五郎が教授を引き継いでいた。干拓地の境界をめぐる紛糾の最中に、鵜ノ島藩が提供した学領の覚書と測量地図があると与五郎が言い出し、江戸の評定所で覚書を見せると申し出て、出府することになった。しかし、この与五郎が鵜ノ島藩領内の沼口宿に近い河岸で、一太刀で斬り殺されたのだ。金は盗まれたが、道中手形などは残されていた。与五郎が青葉堂村塾の教授であることが判明した後、この人物の過去の行状について悪い噂が伝わっていき、与五郎の評判が地に堕ちることになる。
この物語は、村塾で与五郎の薫陶を受け藩校に進み、成人した二人の武士を軸に展開する。二人は、恩師の悪い噂を信じられない思いから真実を究明していこうとする。恩師の亡くなり方に不審を感じざるを得なかったのだ。二人はともに二十二歳の若者で、勘定方九十石の穴見孫六と七十石の郡方筒井恭平だ。鵜ノ島藩に出かけ、最初に探索を始めた孫六は与五郎同様に、鮎川宿はずれの街道で一太刀で斬られてしまう。そのため、恩師与五郎の死と友人孫六の死についての謎の解明を恭平が担うこととになる。
この小説は推理小説の形式を取っている。恭平が孫六あるいは、今では青葉村の庄屋を継いでいる義平やおようという村塾で共に学んだ仲間と、自分たちの村塾時代の恩師・与五郎のことを追憶し再確認しながら、なぜ、誰に殺されたのかに思いを巡らせる。孫六亡き後、鵜ノ島藩領内に出かけて行き、幾度かの苦難に遭遇しながら、恭平がその探索を行っていくというストーリーだ。
この小説で作者が語りたかったことは、
「ひとはなぜ傷つけあうのだろうか。ひとはなぜ、大切なものを奪われてしまうのだろうか」(p291)および
「そうか、おとなは、ありのままの先生の姿を見ることを忘れてしまっていたのだな」(p299)
という、恭平に語らせた思いの奥にあるようだ。
郡方目付の多田作兵衛がいう。
「それにしても、梶と申す男、若いころは博打と女に目がなかった放蕩者だったそうな。そのような者が、よう四書五経を教えられたものだ。お主も大変な師をもったな」
「師の不徳は門人の不徳。師の不始末はお詫びいたします。ただし、それがし、師を恥じてはおりません。それだけはお忘れなきよう」
恭平は言い捨てる・・・・・
村塾で師・与五郎が子供たちによく言った言葉がある。
「桃栗三年、柿八年-- 柚子は九年で花が咲く」
この「柚子は九年で花が咲く」というフレーズの由来は、恭平が探索を深めるにつれて、明らかになっていく。
事件の全貌を把握できた恭平は言う。
「先生は勝手気ままに生きてこられたわけではありません。苦しまれ、考えを深められた末に生きる道を見出されたのです」と。
村塾の小さな女の子がぽつりと言った。
「先生はそんな人じゃなかったもの」
「やさしかった」
鵜ノ島藩家老・永井兵部と恭平が言葉を交わす。
「ひとの心は些細なものでございますか」
「政事を預かるとはそういうことだ。肉親の情は捨てねばならぬ」
「われらは先生からさようにはおそわりませんでした」
「なに--」
「ひとはひとを大切にせねばならぬと教わってございます」
「柚子は九年で花が咲くと先生はよく申されました」
「わたしたちは先生が丹精を込めて育ててくださった柚子の花でございます。それでもお斬りになりますか」
「清助めは、やはり親不幸者だ。死んでから後もわしに恥をかかせおる」
事件の全貌が解明され、干拓地領界争いが決着した後、恭平は青葉村庄屋・儀平が離縁したおようと祝言をあげる。そして、郡方勤めの傍ら、青葉堂村塾の教授を務めることになる。
物語は、村塾の子供たちの大声の唱和で終わる。
--柚子は九年で花が咲く
政事と私情が交錯し、何人もが殺され傷つきながら、紛糾事案が解決するという顛末物語だが、事の顛末とは一歩距離を置いたところでの爽やかさが読後に残る。
恭平をはじめ、残されたそれぞれの登場人物が生きる道を見出したことから生まれてくる爽やかさなのだろう。
この本から幾つかキーワードを選び、ネット検索して、その一石の波紋を少し拡げてみた。
ユズ(柚子) :ウィキペディアから
柚子の花 :「植物園へようこそ!」のウェブサイト
右上の名前索引からしかアクセスできません。
「ユズ」、「モモ」、「クリ」、「カキ」のそれぞれの花を眺めてみてください。
日本教育史 :ウィキペディアから
関谷学校 :個人ブログ(「ビッチュほのぼの日誌」)から
関谷学校の歩み :備前市のホームページから
足利学校 :ウィキペディアから
足利学校 :「足利学校」のホームページ
足利学校跡の情報、地図、概要
含翠堂 :岸田知子氏解説
含翠堂 :「摂津名所図会」のサイトから
懐徳堂とその逸材たち :「江戸しぐさ」のホームページから
渋川郷学 史跡案内 :「かみつけの国 本のテーマ館 新館」サイトから
抜刀術 :ウィキペディアから
居合抜き :YouTubeから
辻斬り侍の居合抜き :YouTubeから
干拓とは :九州農政局のサイトから
新田 :ウィキペディアから
ご一読ありがとうございます。
著者が1998年に生み出した『ST警視庁科学特捜班』は、シリーズを重ね2010年12月出版のこの本で11冊になった。警察小説としてはちょっとユニークなシリーズだ。
主人公は警察官ではなくて一般職員の研究員である。科学捜査研究所の中に実験的に特別に設置されたグループ(科学特捜班)である。Scientific Task forceと英訳するところから、STと略されている。このST室は、キャリア組の百合根友久警部が係長となり率いる組織と位置づけられている。彼は普段、メンバーからキャップと呼ばれている。
このSTのメンバーが実にユニークなキャラクターとして生み出された。どの本から読んでも分かるように、著者は各書のはじめに、それぞれのキャラクターをわかりやすく描写している。それをまとめると、こうなる。
赤城左門: STのリーダー。自称一匹狼。常に髪が少し乱れ、無精髭を生やす。
法医学の専門家。医師免許を持つ。若い頃、対人恐怖症だった。
青山 翔: 心理学の専門家。文書担当。プロファイリングを行う。秩序恐怖症。
おそろしいほどの美貌の持ち主。初対面の人はだれも唖然となる。
山吹才蔵: 坊主刈りで、いつも柔和な表情の人物。曹洞宗の僧籍を持つ。実家は寺。
第二化学担当で、薬学の専門家。
結城 翠: 物理担当。なりたかったのは潜水艦のソナー手だが閉所恐怖症で断念。
聴覚がとてつもなく発達している。ノイズキャンセラーのヘッドホンが必需品の女性。
服装は露出過多。なぜなら、服装にすら閉塞感を覚えるそうだ。
黒崎勇治: 長い髪を後で束ねる古武士然とした人物。古武道の免許皆伝を持つ。
第一化学担当で、化学事故、ガス事故などの鑑定の専門家。
嗅覚が非常に発達しており、科捜研では「人間ガスクロ」と称される。
結城の聴覚と黒崎の嗅覚が組み合わされると、「人間嘘発見器」となる。容疑者の鼓動の変化や呼吸の乱れ、発汗やアドレナリンなど興奮物質の分泌の匂いから、二人は容疑者の嘘を感じ、見抜くのだ。
こんなメンバーを率いるキャップ・百合根はまとめ役であるが、彼等から教わることが非常に多いといつも感じている。ちょっと控え目なキャリアである。STメンバーはあくまで研究員だから、自ら捜査する権限はない。そこで、事件に携わる刑事達との連結ピンの役割を果たす刑事が配される。菊川吾郎・警視庁捜査一課刑事で、ノンキャリアの警視だ。このSTメンバーが事件に関わり、次々にその論理的分析力・特殊能力を活かして、事件解決の糸口を発見、捜査への示唆を提示していく。彼等の出した結論・意見を、百合根と菊川が事件を担当する刑事達の思考枠に合うように、時には翻案説明する場面も出てくる。
さて、この第11作の舞台は福岡県の沖ノ島である。港湾工事中の事故で一人死亡。その事故調査に福岡県警本部から、STへの協力要請があり、福岡に調査に赴くよう指示が出る。古代から続く因習を持つ地域で、どれだけどういう風に科学のメスが入れられるか、というのがこの事件のいわばテーマといえる。
沖ノ島での工事でその日の撤収作業中に、遺体が海で発見される。しかし、事故現場は島全体がご神体として扱われる地域なのだ。沖ノ島の沖津宮の神社は、宗像大社の神域になり、現場検証にも神社の社務所の許可が必要で、地元の警察も迂闊に捜査権を振り回せないという。STが現地福岡に着いても、未だ捜査員が島に行けない状態のままだったのだ。
この沖ノ島には古来から厳しい風習が継承されてきている。『御言わず様』と呼ばれる、島で見聞きしたことは、決して外で話をしてはいけないという掟。沖ノ島からは草木の一本たりとも持ち出してはいけないという掟。島には宗像大社の神官以外は基本的に上陸できないという。特に女人禁制である。これら厳しい宗教的タブーの存在。法律ができる以前から、その地域で生きる人々が生活の知恵として守ってきた風習なのだろう。地元の警察ですらとまどう状況の中で、科学の立場で臨むSTに何ができるのか。
沖ノ島の港湾工事は宗像大社の発注で、地元のゼネコン『下山建設』が請負い、実際の仕事は『芦川土木』が下請けとして実施している。事故の通報者は、この芦川土木の社長で地元の人。遺体発見者は臨時雇いの作業員・笹井。彼も地元の人間で親は漁師であり、沖ノ島の信仰を敬っている。死亡したのは同様に臨時に契約した4人のダイバーの一人だった。STメンバーは捜査会議に出席する一方で、現場に行けないため、まず出来る聞き込み捜査に立ち会うことから事件に一歩踏み込んでいく。『下山建設』の広報部には、福岡県警のOBが居る。この死亡事故はゼネコンの自社とは無関係なのだという立場を主張する。そしてOBの存在がなにがしか地元の警察官に隠然と影響を及ぼしている面が見え隠れする。
信仰の一部としての風習を重んじる地元の人々の中で、東京から応援にきて、科学に立脚して自らの分析・判断で論理的推理を行おうとするSTが、どのように現状打開の一歩を踏み出していけるか、というところがこの事件のおもしろみといえる。
根深い信仰と因習に対し捜査権限を迂闊に振り回せない地元警察の立場。沖ノ島の古来からの風習・神の祟りを恐れる人々に対する聞き込み。風評を恐れ協力を拒むゼネコンの広報部・・・・神対科学、風習対法律、現役警察官対警察官OB、福岡県警対警視庁STという様々な対立項。STは神・風習、地元警察官の思考枠とどのように戦えるのか?
祭祀が行われる沖ノ島という場所の神域とはどこまでなのか、どこに一線を引けるのか?
単なる事故か、それとも殺人事件なのか・・・・・
赤城が遺体解剖を引き受け他殺と判定する。聞き込み捜査に立ち会った結城・黒崎の「人間嘘発見器」のペアが嘘の発言を見抜き、青山が神域の解釈論を打ち出していく。僧籍を持つ山吹が宗教という観点から状況分析し、青山の推理・洞察と同じ頂点に辿りつめていく。この事件も、一見ばらばらな個性を持つ人間の集まり、まとめようがないかに見えるSTが、その持ち味をうまくかみ合わせていくことになる。この展開が実に楽しい。
今回の事件は、山に取り付くまでの行程が緩やかで長く、STの本格的な推理によって最後の頂上までの急勾配を一気に登って行くという感じの展開である。読み終えてしまえば、わりと単純な事件なのだが・・・・
このシリーズ、発行順に読んできた訳ではなかったが、新書版が出版された順に並べるとつぎの一覧になる。今は文庫版もかなり出ている。わりと楽しみながら気軽に読めるシリーズだ。
1998/03 ST警視庁科学特捜班
1999/09 ST 毒物殺人
2000/12 ST 黒いモスクワ
2003/02 ST 青の調査ファイル
2003/07 ST 赤の調査ファイル
2004/01 ST 黄の調査ファイル
2005/01 ST 緑の調査ファイル
2005/08 ST 黒の調査ファイル
2006/07 ST 為朝伝説殺人ファイル
2007/12 ST 桃太郎伝説殺人ファイル
関心事を少し、ネット検索してみた。
宗像大社のホームページ
宗像大社 :ウィキペディアから
宗像大社と沖ノ島 :承福禅寺のサイトの1ページとして
年に一日しか立ち入りできない島:宗像大社沖津宮現地大祭前夜
:個人ブログ「しゅんでる!」から
沖津宮現地大祭 :和田義男氏のフォトギャラリーから
科学警察研究所
科学捜査研究所の活動 (京都府警察の事例)
科学警察研究所 :ウィキペディアから
科学捜査研究所 :ウィキペディアから
科学捜査研究所研究員(法医、化学) 教養考査の例題
嘘発見器 :ウィキペディアから
死刑・冤罪・嘘発見器 :個人ブログ「nandoブログ」から
亀梨和也と赤西仁、嘘発見機 :YouTube動画
polygraph : WIKIPEDIA から
博多ラーメン :ウィキペディアから
福岡ラーメンランキング :トクナビから
福岡らーめん紀行 :「九州らーめん紀行」のサイトから
ご一読ありがとうございます。
著者には、警察小説としていくつかのシリーズがあるが、これは『隠蔽捜査』シリーズの系譜だ。著者は1978年に問題小説新人賞を受賞、その後の旺盛な作家活動を経て、2006年に『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞、2008年に『果断 隠蔽捜査2』で山本周五郎賞・日本推理作家協会賞を受賞した。一定の地歩を築いた上での受賞だ。そして第3作『疑心 隠蔽捜査3』が出版されている。
この『隠蔽捜査』シリーズは、東大卒のキャリアである竜崎伸也という原理原則を信条として思考判断し行動する警察官を主人公としたものだ。一般的な警察官から見れば、かなりの変人とみられるキャラクターが生み出された。だが、原理原則から判断する指示・行動は関係者との間で軋轢を当初に生み出すが、事件解決への統率と捜査活動が的確迅速なものになっていく。
この竜崎の脇役として、警察での同期・伊丹俊太郎が登場している。同じキャリアではあるが私大卒。小学校の同期であった竜崎にいつも一方的に親しみを感じている。伊丹は竜崎を友人視しているが、竜崎は小学生のとき、伊丹とそのグループにいじめの対象にされただけで、別に友人とは思っていない。そのことを伊丹に面と向かって言う。しかし、事件解決の為には、要所要所で協力を密にするという展開がおもしろいところだ。
この『初陣』には、「隠蔽捜査3.5」と副題付いている。なぜか?
この本、竜崎伸也が主人公ではなく、伊丹俊太郎が主人公で事件が展開する。しかし伊丹が竜崎に相談を投げかけたり、今回こそ自分が竜崎を助けられる立場だと思って、竜崎に関わっていくというストーリーである。『隠蔽捜査』の本流からちょっと横道に入ったところで様々な事件が展開しており、それが竜崎に関わるという趣向である。隠蔽捜査のテーマとなる事件発生の間隙に、伊丹の所轄で発生した事件が取り扱われているのだ。
前三作が長編だったのに対し、この「隠蔽捜査3.5」は短編集である。ちょっとした時間の合間に、一篇ずつ読んでいってもおもしろい。7篇が収録されている。タイトルをならべてみると、
指揮、初陣、休暇、懲戒、病欠、冤罪、試練、静観 となる。
各編の事件はこんなふうである。
指揮 33ページ
伊丹は福島県警本部に赴任し、県警本部の刑事部長を3年間勉めたところで、警視庁の刑事部長に転任の内示を受ける。そして異動の直前に殺人事件が起きる。現場主義の伊丹は捜査本部につめる。正式の着任の3日前に、捜査本部で後任となる東大卒の時任は言う。「私はあなたのやり方を踏襲するつもりはありませんので」「警察幹部は、現場にいる必要はない。それが私の考えです」。3日経っても、容疑者の身柄は拘束されない。時任は県警本部長に着任報告を済ませたという。事件の解決を見届けたいが、宙ぶらりんの立場になったことに気づく。さて、どうするか・・・・伊丹は竜崎に電話をして相談する。原理原則の竜崎は、何も問題ではないと言い、その考えを述べる。どこまで「権限」が認められるのか。
初陣 33ページ
伊丹は福島県警から異動し、警視庁の刑事部長室の主になる。その時点で、他府県において県警裏金事件が二件発生しており、国会の予算委員会で野党がこの問題に質問する予定という状況が生まれていた。伊丹も福島県警時代を振り返ると、捜査資金のプールという行為が行われていた事実を知っていた。私的に裏金を使ったと言う事実は見聞しなかったのだが。
伊丹に、竜崎から電話が入る。伊丹の異動と同時期に、竜崎は長官官房の総務課長に異動していたのだ。県警裏金事件の国会答弁下準備が竜崎の初仕事、初陣なのだという。竜崎は伊丹に問う。「これが、俺の初陣なんだ。協力してくれ」「福島県警時代のことを話してほしい」「・・・・実際に福島県警で、裏金作りが行われていたかどうかの実態が知りたいんだ」身内から斬りつけられた質問だ。伊丹と竜崎の押し問答、そして、伊丹は竜崎に事実を述べるが、そこから伊丹の心中の葛藤が始まる。自分にも飛び火してくるのかと・・・・
その時、綾瀬署管内での殺人事件の報が伝えられる。現場主義の伊丹は、捜査本部に出向こうとする。一方で、警視庁の刑事部で裏金を作っていたということがないか、刑事総務課長に調べるように指示を出す。そして、伊丹にはこの殺人事件が警視庁で現場主義を始める伊丹の初陣になるのだ。
『隠蔽捜査』が長官官房総務課長時代の竜崎を扱った小説なので、その最初の初仕事のエピソードに相当するのが、この初陣だ。
休暇 33ページ
伊丹は群馬の伊香保温泉への二泊三日の旅行を計画し、金・土二日の休暇をとる。妻とはずっと別居状態が続いている伊丹は、一人旅として伊香保温泉に行く。旅行初日の金曜の夜、携帯電話に田端課長から連絡が入る。大森署管内で殺人事件が発生したという。一係の結論は、大森署管内に合同捜査本部を置き、五十人態勢としたい意向。しかし、大森署署長は捜査本部設置はムダだと拒否する。前代未聞のことだ。大森署長はある事件がもとで降格人事を受けた竜崎伸也が署長になっていた。伊丹は直接竜崎と電話で連絡を取る。竜崎は情報の共有さえうまくできれば、合同捜査本部などムダだと主張する。伊丹はそのまま休暇をとっていればいいと。現場主義の伊丹は戸惑う・・・・本庁の立場で合同捜査本部設置を強行すべきかどうか。それは伊丹の常識とは違う。竜崎の原理原則を聞いた後、伊丹自身の中で思考の葛藤が始まる。伊丹の部下は捜査が遅れないよう即刻の指示を望むのだが・・・・
これは、竜崎が大森署に異動した後の事件を扱う『果断 隠蔽捜査2』と対応させると、ある時点での大森署管内の別事件ということになる。
懲戒 35ページ
時枝刑事総務課長が伊丹に報告する。捜査二課の現職刑事白峰洋一が参議院選挙時の選挙違反のもみ消しをはかったという事実があるという。彼は伊丹が警視庁捜査一課で管理官をしていたときに担当していた係にいた人物。伊丹は良く知っている。処分を決定する立場の警務部長・金沢は、処分について伊丹の意見を参考にしたいという。実質的な処分案を伊丹に決めさせたい意向なのだ。伊丹が白峰に質問すると、「私は、はめられたかもしれません」という返事。「辞表を出します」とまで言う。それを押しとどめる伊丹。マスコミ対策を憂慮し処分問題について頭を悩ます伊丹に、与党の大物政治家から会いたいという電話が入る。議員からの一種の圧力だ。伊丹は面談することにする。その後、伊丹は大森署の竜崎に相談をもちかける。竜崎は言う。「やるべきことをやればいい。それだけだ」と。
病欠 36ページ
伊丹はインフルエンザにかかる。熱が出て猛烈な寒気。間接の痛みもひどい。仕事をやすむわけに行かないと出庁する。第二方面の荏原署管内で死体発見の知らせが入る。捜査本部を五十人態勢で組み、荏原署に設置する指示を出す。しかし、各署でインフルエンザでやられた捜査員が多く、捜査員が足りない。例外的に大森署はインフルエンザの影響をほとんど受けていないという。竜崎が危機管理を事前に徹底実践していたのだ。伊丹は竜崎に捜査員10人の応援を求める。当の荏原署の署長がインフルエンザで病欠しているという。伊丹は合同捜査本部の会議に署長が出るように暗に指示する。会議が始まるが、そこに竜崎から電話が入る。そして、現場主義を標榜する伊丹に竜崎は忠告する・・・・
冤罪 28ページ
第三方面本部、碑文谷署で4件の不審火が続き、容疑者特定され逮捕される。物的な証拠がいくつか見つかっているが、容疑者は犯行をずっと否認する。その後、放火未遂でつかまった第二の容疑者がいて、すべての犯行を自供したという。第一容疑者は本当に冤罪だったのか。
現場主義の伊丹は、直接碑文谷署に出向き、状況を把握しようとする。たった一人の捜査員が、第一の容疑者江上の犯行を主張しているという。話を聞くと、2件の目撃情報と物証があるという。検察官が署にやってきて、早く送検しろと指示する。自供第一主義の警察だ。自供があるという事実。誤認逮捕・冤罪事件に発展するのを恐れる警察庁幹部。苦しいときの何とかで、伊丹は竜崎に相談の電話をかける。竜崎はあっさりとひとこと助言する。その助言は捜査の盲点だった。
試練 20ページ
綾瀬管内で発生した連続強盗で全国に指名手配された容疑者が、大森署の刑事に逮捕されたという。伊丹はねぎらいの言葉をかけようと竜崎署長に電話をかける。竜崎はあいかわらず、やるべきことをやっただけと答える。そして、竜崎がアメリカ大統領来日時の方面警備本部長に任命されたらしいということの事実を警備部長に直接質したいという。伊丹が竜崎の頼みを引き受ける。伊丹は何とか警備部長と面談することができる。警備部長は伊丹に竜崎がどういう人物か尋ねる。警備部長は、女性キャリアを竜崎のところに送り込み、竜崎を試してみたいと言う。
2ヵ月ほど経ってから、藤本警備部長から伊丹に直接電話がかかる。紹介したい人がいるという。予定を後回しにして警備部長室に行くと、紹介されたのは、例の女性キャリアだった・・・・
この短編だけは、比較的伊丹がリラックスしている話だ。「今度は俺がおまえを助けてやる番だ」という思いを強めているくらいだから。
『疑心 隠蔽捜査3』は、竜崎が方面警備本部長に任命され、アメリカ大統領来日の時を扱っているので、このエピソードはその少し前のエピソードという関係になる。
静観 49ページ
朝一番に一日の予定を告げに来る時枝課長の態度が気になる伊丹。質問すると、大森署の竜崎署長の下で、3つの不祥事が重なって起きているという。初動捜査で事故死と断定した事件に関連し、別件の強盗事件で逮捕された被疑者が取り調べ中に殺人を自白した一件。車両同士の交通事故の事故処理中に、交通課係員と運転手がトラブルを起こし、運転手が大森署を訴えるといきまいている一件。そして、窃盗事件が発生し、捜査員が地取りで話を聞いていた相手が犯人だったことが後ほどわかるが、その時には犯人に逃げられていたという一件なのだ。3つの事案が伊丹には伝達されず、方面本部の野間崎管理官が押さえていたという。過去に竜崎が野間崎を怒らせた一幕を伊丹はふと思い出す。
伊丹が大森署に出向く。竜崎に質問すると、三件の不祥事に対して、目下のところは「別に何もしない」という。唖然とする伊丹に対し、竜崎は「静観していればいい」と言うだけだった。警視庁に戻った後、伊丹は野間崎管理官を呼び、意見を聞く。彼はあくまで竜崎の責任を追及すると言う。竜崎が不利だと思う伊丹は、その夜、小学校時代の夢を見る。何人かの友達が竜崎を押さえつけている夢だった。竜崎は本当にピンチに立たされているのか?伊丹は、もう一度朝一番で、大森署に行こうと決意する。
この短編、事実確認の仕方の大事さを言外にうまく書き込んでいる作品だと思う。
伊丹の電話に対して、仕事の邪魔をするなと言いながら、相談にのり、的確な判断と意見を述べる竜崎。原理原則の思考から生まれる意見が事件を解決に導く大きな一石になる。伊丹が本書の主役であり、伊丹のキャラクターがよくわかる一方、竜崎の発言がキラリと光ってくるのがおもしろい。
同じキャリアでありながら、東大卒と私大卒に厳然と差があると認識する伊丹。そして、キャリアという立場ながら、現場主義に徹して現場を統率するスタンスが自分にとっては有利にはたらくという計算も含めて、自分に合ったスタイルだと方向づけていく伊丹の行動スタイル、通常の警察官の常識の枠に軸足を置く人物だ。そういう伊丹と竜崎のコントラストが事件に動きを与えていき、楽しく読めた。
この小説に出てくる用語や語句から関心を持ったものをネット検索してみた。
国家公務員倫理法
この法律の第二章第五条に、政令で国家公務員倫理規程を定めることが規定されている。
国家公務員倫理規程
公職選挙法
第十三章選挙運動に、禁止事項が規定されている。
明治維新の警察 :「風適法のひろば」サイトから
日本の警察 :ウィキペディアから
川路利良 :ウィキペディアから
裏金 :ウィキペディアより
警察裏金・不正支出問題
全国市民オンブズマン連絡会議が作成する、警察裏金・不正支出問題の特設ページ
(静岡県警)裏金問題 :静岡県庁の真ホームページ(発行・牧野紀之)から
県警裏金問題 弁護士ら討論 自由法曹団総会 松山 :愛媛新聞ONLINEから
道警裏金問題 :北海道新聞のサイトから
冤罪 :ウィキペディアから
冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件 :ウィキペディアから
こんなにある20世紀の冤罪事件 :FUKUSFI Plaza のウェブサイトから
冤罪ファイル バックナンバー一覧 :冤罪ファイルのウエブサイトから
検察庁 :ウィキペディアから
検察庁とは
検察庁と刑事手続の流れ :法務省のホームページから
(このページで、裁判の項に裁判員制度のことが触れられていないのが不思議)
犯罪の概要 :検察庁のホームページから
犯罪白書 法務省のホームページから
伊香保温泉 :ウィキペディアから
伊香保づくし :伊香保温泉旅館協同組合のホームページから
榛名山 :ウィキペディアから
榛名山の画像
ご一読ありがとうございます。
1998年11月に出版されたこの本は藤原定家が晩年に作ったという『小倉色紙』についての物語だ。ご存じのとおり定家は『百人一首』を選んだ人と言われている。また、それ以前に定家は『百人秀歌』を選定している。この百人一首の歌を一首ずつ一枚の色紙に書かれたものが『小倉色紙』だ。勅撰和歌集の選者である定家が百人一首を選んだ。しかしその選ばれた歌には秀歌と凡作が交じっていて、その凡作と評価される作者がもっと良い歌を詠じているのに定家がそちらをとりあげていない事実が謎とされる。そこから、この百首の歌によって定家がその背後に、何らかのメッセージ、謎を潜めさせたのだという見方がある。百人一首の鑑賞ガイドブックや研究書以外に、この謎解きのジャンルがあり、幾つもの本が出版されている。
例えば、『百人一首の秘密 驚異の歌織物』(林直道・青木書店)、『絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く』(織田正吉・集英社文庫)、『百人一首の魔方陣 藤原定家が仕組んだ「古今伝授」の謎をとく』(太田明・徳間書店)、『QED 百人一首の呪』(高田崇史・講談社文庫)などがある。この本の著者は、歌そのものではなく、百首の歌が認められた百枚の色紙に潜む謎を追究する。小倉色紙をその真作贋作判定および殺人事件を絡めたミステリー仕立てにした。色紙というユニークな切り口から語られた646ページの長編だが、面白く読み進めることができた。副次的に学ぶ点も多く、教養小説的な側面を興味深く読んだ。
著者はあとがきに、「運命に翻弄され、知識人や文化人、それに権力者の俗物根性にもてあそばれ、さまざまな毀誉褒貶にさらされてきた百枚の色紙--。その生の声を聞きたい、それが私がこの物語を書きたいと思った動機でした」と記している。定家の死後、『小倉色紙』はそれを入手した人々の思惑や欲望の渦の中で翻弄され、動き、はては贋作すら生み出されていく。なぜそうなったのか。結局、生の声とは色紙に関わる人間達のぎらぎらした生の姿なのだという思いがした。
プロローグは連歌師宗祇が死に臨む場面の描写から始まる。虚空に定家卿の姿を見ているかの如く訴えかける。「あの色紙は、あれは・・・・、拙者が作ったのではござりませぬ。拙者はただ・・・・」「拙者はただ、あなたさまを・・・・」。次に、古田織部の京屋敷でのただならぬ動きを南隣の屋敷主の目で描く場面、および一老人が十一枚の墨痕も鮮やかな色紙形をしみじみと眺めた後、不動明王の台座の下に箱ごと押し込むに至る経緯と場面が重ねられていく。この相互に無関係な三つのエピソードは何? これがまず関心を引き起こす。
この物語、都心から1時間圏内にある磯崎市立武蔵野美術館の開館記念展の企画・準備の物語として展開されていく。関西のある私立美術館での仕事を辞め、この新設美術館に転職した中世美術史を専門とする学芸員・秋岡渉が主人公だ。この美術館に戦後の書壇の最高峰に君臨した書家・宇田川皐楓のコレクションが、未亡人から寄贈される。秋岡はこの収蔵品の調査・分類・研究を担当することになる。その収蔵品の中に、1枚の小倉色紙が含まれていた。一方、ニューヨークのサザビーズで行われたセカンド・オークションで、東京の画廊経営者・海野が藤原定家の真筆とみられる小倉色紙を競り落として帰国する。それは、これまで行方の知られなかったうちの1枚とみられるものだ。そしてこの1枚が武蔵野美術館に持ち込まれてくる。美術館はこの1枚を購入し、美術館の目玉作品にすることを決断する。これら2枚の色紙は真作なのか、はたまた世に数多流布されている贋作なのか、秋岡はその究明をせざるを得なくなる。一方、この色紙2枚が契機となり、小倉色紙を中核にした開館記念展の企画が浮かび上がってくる。つまり、小倉色紙を所蔵する全国の美術館・博物館および個人所蔵家を洗い出し、出展依頼をして、書の記念展を開催するというアイデアだ。『百枚の定家 - 小倉色紙の謎』という企画が進行し始める。
色紙の真贋問題は、書跡研究の大家に判定を依頼するという手順が必要となる。そこで秋岡は、真贋究明に奔走する。そうこうしている間に、海野を通じて、郡上八幡で10枚の色紙が見つかったという話が伝わって来る。その色紙の所在を確認し、その真贋を確かめて出展依頼に持ち込むこと、さらに場合によれば美術館がそれら色紙の購入を検討するという話に進展する。ますます、真贋問題が重要な緊急課題になっていく。一方で、記念展の準備のために既知の所蔵先に出展依頼の交渉を進めていかなければならない。記念展を成功させるためには、カタログの準備、会場のデザイン、集客の為の宣伝媒体など様々な要素が同時並行に推し進めていくことが必要になる。その過程で小さな美術館が様々な悩みや施設トラブルに直面していく。海野に色紙10枚を持ち込んだ郡上八幡の骨董屋・曽根とのコンタクトが全くとれないという秋岡の悩みが重なっていく。色紙の所有者に直に故事来歴を確認にでかけたり、曽根の知人を探し出し、曽根の消息を探らざるを得なくなる。一方、真贋判定を依頼し、美術展に協力を願う想定をしていた大家・大河内が静養に出かけた那須郡の黒髪温泉で持病の心臓病が原因で死去してしまう。様々な問題が次々と発生してくるのだ。
喫緊の小倉色紙の真贋問題、国内外で今まで行方が知られなかった色紙が見つかったことに対する謎の究明をストーリーの軸に据えながら、美術展企画準備の裏方話が様々な局面で展開していき、それらが企画展開催に収斂していく。
小倉色紙がどのような経緯で作成されたのか、その色紙がなぜそれほど重視されたのか、色紙がどういう役割を果たしたのか、百枚の色紙がどのように分散し、行方知れずになっていったのか、なぜ贋作が数多く作られるようになったのか・・・・・その謎が語られ、解き明かされていく。
副次的こんな知識を学ぶことにもなる。私には興味深い事項ばかりだった。
*美術展の企画・準備の過程がどんなものかという流れが理解できる。
*御子左家の系譜と定家の人物像
*小倉色紙の装丁形式について
*小倉色紙茶会使用一覧
*連歌師宗祇の人物像と宗祇関連年譜
*二条歌学系譜と古今伝授、冷泉家の成立
*定家流、定家様の起こりと広がり、定家の末裔と定家様の書き手の系譜
*当時の公家日記の役割
*小堀遠州の人物像
最後に、著者が「小倉色紙一覧(伝来の現存状況)」をまとめている。この一覧によると、100枚中49枚は記録に一度も現れず、行方が不明のままだという。
このようにいろいろ学びながらも、真贋問題の推理を味わえ、大河内の死、秋岡自身が美術館内で燻蒸ガスの残留する収蔵室に閉じ込められる事故、骨董屋・曽根の他殺というミステリーの謎解きが重なってくる。
百人一首に対しての関心は以前からあったが、この小説を読んで、定家や宗祇にも興味を抱くようになった。そこで、少しネット検索を試みた。
ウィキペディアには、関連項目が結構載っている。
藤原定家
御子左家
二条派
冷泉家
宗祇
連歌、連歌師
百人一首:概要の中に、小倉山莊色紙について触れている。
明月記
冷泉家時雨亭文庫
式子内親王
東京国立博物館 小倉色紙
五島美術館 書跡:小倉色紙
茶道百字辞典 小倉色紙
筆跡鑑定
古文書、古文書学
宝生流謡曲 定家
謡蹟めぐり 定家(ていか):「謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド」より
花 定家葛
能面 深井(ふかい):「定家」に使われる女系の面
たまたま見つけた番外編
謡曲「定家」のイメージを現代風にした動画とか(YouTubeより)
ご一読ありがとうございます。
付記
以下、本書を読んで気づいた点である。上記新人物往来社の第1刷発行版による。
(現在発行の幻冬舎文庫版では訂正が加わっているかもしれない。)
1. 420ページ 1行目 「その訴えによって土佐に流罪になり、その地で没した。」
これは法然上人源空についての記載箇所だ。
『法然 十五歳の闇』(下)(梅原猛・角川ソフィア)の巻末所載法然年譜によれば、1212年(建暦元年)11月17日、帰洛を許され、20日、東山大谷の禅房に住す。
1212年(建暦二年)1月25日、死去。 となっている。
『法然上人絵伝』(下)(岩波文庫)135ページによれば、
「同(注記:建暦元年)十一月十七日彼卿を奉行として花洛に還帰あるべきよし。烏頭変毛の宣下をかうふり給ぬ。則廿日上人帰洛し給ければ、一山徳をしたひ、・・・・」そして、141ページに、「建暦二年正月廿五日午の正中なり。春秋八十にみち給。釈尊の入滅とおなじ。」
つまり、法然は京都で死去している。著者の思い違いであろう。
2. 438ページ 10行目 「連歌師から古典学者に域にまで成長したのは、・・・」
ここは、やはり「連歌師から古典学者の域にまで成長したのは・・・・」の校正もれだろう。(「に」ではなく「の」であろう)
3. 559ページ 3行目 「・・・写本類は、ほとんどのこの打紙なんですがねえ」
この箇所、「ほとんどこの打紙・・・」ではないだろうか。(「の」不要)あるいは、「ほとんどはこの打紙・・・・」かもしれない。校正もれだと思う。
本書は2010年8月26日に第1刷が発行された。3.11の半年余り前だ。
原子炉がなぜ時限爆弾なのか?
著者は原発と地震との関係をこの本で論じている。
1995年の阪神大震災から、「日本は地震の活動期に入った」という地震学者の言葉が下敷きになっている。地球史規模で見れば、数年、十数年、数十年などはほんの一瞬であり、まさに「時限爆弾」のカウントと同じ位の短さで刻々とカウントダウンが始まっているのだ。カウントゼロで地震の発生が起爆になり、人災要因の累積結果である原子力発電所が事故を起こし爆発するという意味の暗喩だと理解した。
本書の副題は、「大地震におびえる日本列島」であり、本書の構成を見れば本書のタイトルの意味が一目瞭然であろう。
序章 原発震災が日本を襲う
第一章 浜岡原発を揺るがす東海大震災
第二章 地震と地球の基礎知識
第三章 地震列島になぜ原発が林立したか
第四章 原子力発電の断末魔
電力会社へのあとがき--畢竟、日本に住むすべての人に対して
本書に福島第一原発は間接的に3.11以前の事故事例について出てくるだけである。第一章の浜岡原発は日本の識者が認識する「いよいよ迫る東海大震災」に直結するものとしてシンボリックにとりあげられているにすぎない。「予測されている次の東海大震災の想定震源域の中心に、信じがたいことに浜岡原発がある。・・・この東海大震災は、御前崎の前に広がる遠州灘を震源として海側で発生する地震である」(P36)という点で、日本の原発立地の典型例として提示されたのだ。活断層の上に、あるいはその近傍に全原発が立地しているという事実を我々読者が理解できれば、原発と地震の関係は全原発で同じになる。つまり、3.11に福島第一原発事故(フクシマ)が浜岡原発よりも一歩先に、本書出版後わずか半年余で著者の主張を実証してしまったのだ。実現して欲しくない推論がまさに現実化してしまったのだ。
第一章のP95~99「原発震災で何が起こるか--大都市圏の崩壊」をまず読んでいただくと良いかもしれない。東海大地震が発生した時の著者の想像図である。どのように感じられるだろうか。本書を3.11(フクシマ)以前に読むのと、現時点で読むのでは、感想がかなり異なるかもしれない・・・・・あなたはどう受け止められるだろうか。
著者はこの想像図を提示する前に、日本を取り囲むプレートの配置と、過去に発生した太平洋中心の主な地震の震源地はプレート境界で発生していることを説明し、2009年の駿河湾地震の実害と安政東海大地震の状況について対比的に分析し、詳しく事実を説明している。その上で描かれた想像図なのだ。
また、著者はこの第一章に静岡大学の小山真人教授の「東海地震、正しくイメージを」と題する静岡新聞への寄稿文全文を引用している。
本書の著者はこう述べる。
「私が本書で最も読者に理解していただきたいことは・・・・専門家の意見と予測に耳を傾ける真摯な態度を持つ一方で、私たちの生命を左右する”ある種の専門家”に対しては、重大な猜疑心を抱いて見なければならない」(P193)と。
そして、駿河湾地震が起こった時の報道姿勢について、「コメンテーターたちが浜岡原発の危険性を必死になって過少に語ろうとしていた態度から歴然とする事実だが、どうやら日本では、原発震災が本当に起こった時に、テレビ局はNHKも民放も、政府や電力会社からの圧力を受けて、現地住民や国民に正しくその危険性を伝えないだろう、と確信させる出来事であった」(P59)と記す。これは、フクシマでまさにその実態が露わになってしまった。著者のこの確信を、国民の大半が共有せざるを得なくなった。現地住民、国民は、繰り返し欺かれてきたことになる。いまも尚欺かれているように感じる。
なぜ、地震が問題なのか。出版時点の著者の論点を抽出してみよう。フクシマの映像を見た人は納得するだろう。私は納得した。
*原子力発電所は、・・・原子炉建屋とタービン建屋という別々の建屋から成っている。タービン建屋の強度は、原子炉建屋と比較にならないほど弱い。どちらの建屋に破壊が起こっても、原子炉の沸騰水が一本の配管でつながっているので、その熱を奪えなくなり、メルトダウンという最大の惨事を引き起こすおそれが出てくる。(P65)
*原子炉建屋とタービン建屋は、まったく別の施工によって建てられ、基礎工事からすべて異なる建物で、・・・やや離れた場所にあるから、東海地震で予測されるような大地震では、地震の揺れが襲った時には、それぞれがまったく異なる揺れ方をする。(P65)
*パイプは、それぞれが溶接によってつながれているので、地震のショックで破壊する可能性が最も高いのは、欠陥を含む溶接箇所である。(P68)
*原子炉や再処理工場などの原子力プラントについての耐震性の数字は、主として原子力施設内で最も強固に建設されている部分に議論が集中しやすいが、所内完全停電を誘発する可能性が高いのは、送電系統やタービンなどを含めて、その周囲に接続する部分であり、これらの耐震性は、一般建造物とさして変わらないものを多数含んでいるからである。所内が完全停電になった場合には、原子炉が暴走していると分かっても、緊急事態に対して、ボタンを押しても何も作動しないのだから、何も手を打てなくなる。時間がたてばたつほど原子炉の暴走は、そのまま最悪の事態へと突入してゆく。(P69)
著者の視点で捉えると、原子炉自体の耐震性もさることながら、原発の関連施設や送電システム全体の耐震性がなければ、配管破断、送電停止などで、確実に原子炉暴走が発生する。だからこそ地震が重要要因になる。地震が原発事故を起こすのではない。活断層の上に原発を立地させるという選択をした人間が、および地震に対する耐震性を完璧に想定せず、対処しないまま原発を築いた組織集団の行為という要因が、地震を起爆にして事故を人災として起こすのだ。そのことを認識するためには、地震発生のメカニズムについて、および現状の原発がもつ様々な人災要因について、事実に基づいて正確に理解しなければならないのだ。
ところが、地震学者の中にもいろいろあり、地震の分析を限定的・局面的にとらえている輩もいる。電力会社に都合のよい解釈を述べる人も存在することに著者は警鐘を発している。著者は、まず地球全体規模のマクロの視点から地震を理解する必要があると説き、第二章で、現在の地震学の考え方を具体的に解説している。
地球は生きているということをまず強調する。地球の内部構造、その力学的構造、ヴェーゲナーの大陸移動説、「プレートテクトニクス」理論、そして、日本列島にどのような造山運動のメカニズムが働き、列島が形成されたかの変遷を解説する。西ヨーロッパの地質分布を図で説明(P150)しているが、もっとも若いアルプス造山帯(イタリアはその一部)でも2億5000万年前以降の地質なのだ。それに対し、日本については、新生代後半(2400万~1200万年前)に、海底火山によるグリーンタフ造山運動が始まったことで、日本列島が最後に形成されたと説明する。日本はヨーロッパの地質などと比べて、決して「強固な岩盤」が存在しないと説く。そして、我が国の原発立地について、地質学者・生越忠氏の批判点を引用する。「電力会社が宣伝している強固な岩盤とは、言葉だけだ。原発は、湾内の弱い破砕帯を選んで建設されてきたので、原発ぐらい弱い地盤の上に建っているものはない」(P151)。著者は言う。「浜岡原発が建設された地層は、相良層である。・・・相良層は『強度が低い』軟岩なのである。これは、ここまで述べた日本のグリーンタフ造山運動を知っていればすぐ分かることだが・・・」(P134)と。
私は「プレートテクトニクス」理論の要点はいくつかの記事で読んだことがあったが、「グリーンタフ造山運動」という言葉自体を本書で初めて知った。勿論、日本列島形成の変遷も・・・・地震について、いかに無知であったかをこの書でまず学んだ。自覚すれば、事実をさらに知るアクションを起こすだけだ。
第三章は、日本で「プレートテクトニクス」理論が共有された認識になる以前に原発が導入され、この理論を長らく認めようとしなかった事実を語る。そして、「日本の電力会社は、地盤が強固な土地を選んで原発を建設するのではなく、原子力発電所の建設地を選択したあと、その『安全性』を証明するためにアリバイづくりの地質調査をする、という逆の手順を取ってきた。」(P157)と論じている。地震予知総合研究振興会という組織が御用学者・専門家の役割を果たしたと記す。
また、阪神大震災でそれまでの原発耐震指針の信頼性がなくなり、過去の原発の耐震性の計算式が総崩れになったこと、および2009年9月の「改訂新指針」決定後の耐震性について説明している。その上で、「日本の原発の耐震設計審査指針は、『大事故を絶対に起こさないために、果たして日本に原発を建設できるか』という、最も基本的な地球科学の疑問から出発しなかった。そして現在も、その疑問を抱かない異常な人間たちが、審査をおこなっている。『いかにすれば原発を建設し、運転できるか』という結論を導くための、屁理屈の集大成理論である」(P175)と論断している。
また、新潟中越地震で何が起こったか、柏崎刈羽原発を事例として採りあげる。そして、変動地形学に注目し、その紹介をしている。
第四章では、なぜ日本が高速増殖炉”もんじゅ”のプルトニウム使用を、一方でプルサーマルをスタートさせたのかを、放射能の基礎知識を説明した上で論じ、六ケ所再処理工場の計画と行き詰まりの実態を説明する。これら国策を推進してきた主要人物、それに荷担した人物を実名入りで記し、それらの人々がどんな役割・機能が担ってきたのか、その実態を述べている。著者は、電力会社・原子力産業界が、今や迷走状態にあり、「本来の目的さえ失って、ハンドルもブレーキもない車に国民を乗せて、目的地を知らずに暴走させている」(P268)と批判する。
原発震災の危険性と「高レベル放射性廃棄物」の処分問題が、結局、日本国民全体を「原発断末魔」の苦しみの時代に巻き込んでしまったのだ。一般国民が知らぬ間にあるいは無関心のままここまできた結果、日本破滅のシナリオの一つが準備されてしまったのだ。
この事実について知り、気づいて、自分の頭を使って考え、行動することを著者は問いかけている。
「電力会社へのあとがき」に、著者は記す。
「原子力とは、原子炉の運転が止まるまで危険なのである。批判しても、原子炉が動いていれば、結果として、何の意味もないことである。原子炉を止めるまで、私たちの危険は去らないからである。私はこう尋ねたい。
日本人は、なぜ死に急ぐのか?」(P281)
死に急ぎたいとは思わない。日本地図の視点から見れば、支脈の活断層の近くに生活している事実を認識せざるを得ない。現住所での生活をやめるわけにはいかない。ならば、原子炉を止める選択肢しか残らない。100%安全な原子炉なんてあり得ないのだから。
フクシマの実態を突きつけられてしまった現在、もはや原発に対して「知らぬがほとけ」では生きていけない。3.11以降、時代は変わってしまったのだ。
引用されている情報のいくつかのソースおよび本書を読みながら関心を抱いたその他関連情報をネット検索してみた。
全国地震動予測地図 2010年版 平成22年5月20日
地震調査研究推進本部地震調査委員会
全国地震動予測地図
- 地図を見て 私の街の 揺れを知る - 手引・解説編 2010 年版
pdfファイルの一括ダウンロードができます。
全国地震動予測地図
- 地図を見て 私の街の 揺れを知る - 地図編 2010 年
これは予測地図の一括ダウンロード用です。
全国地震動予測地図 平成21年7月21日
地震調査研究推進本部地震調査委員会
上記のページから以下を抽出します。
都道府県別確率論的地震動予測地図 中部地方
このpdfファイルの15-16枚目(ページ番号78-79)が浜岡原発のある静岡県の領域です。
全国地震動予測地図 - 地図を見て 私の街の 揺れを知る -
本編 (「地図編」・「手引編」・「解説編」)
pdfファイルの一括ダウンロードができます。
2分続く本震,1年続く余震 東海地震,正しくイメージを
小山真人(静岡大学教育学部教授) 静岡新聞 時評(2007年5月10日)
この時評が、本書のP85~87に紹介されています。
「浜岡原発リポート」というブログ(Nobuo Kasai氏作成)を見つけました。
安政の大地震 ウィキペディアより
安政東海地震 防災システム研究所のページより
安政南海地震 防災システム研究所のページより
東海地震 ウィキペディアより
安政東海地震の前兆現象 日本大学文理学部・静岡県地震対策課
[報告]安政東海地震・安政南海地震(1854)に伴う日月異常と火柱現象について
東京大学地震研究所 都司嘉宣
プレートテクトニクス ウィキペディアより
地震はなぜ起きるのか 防災科研のウェブサイトより
プレート理論の画像集
日本列島周辺のプレート
日本列島の誕生 1/3
shnn1000 さんが 2010/07/04 にアップロード
日本列島の誕生 2/3
日本列島の誕生 3/3
日本列島の成り立ちと定山渓の山々
東北地方の新第三系 北村 信 東北大学理学部教授
原子燃料サイクル施設を載せる六ヶ所断層
渡辺満久・中田 高・鈴木康弘
六ヶ所再処理工場が抱える大問題
ガラス固化体製造と活断層をめぐって
「段丘面」の位置付け鍵/再処理工場・活断層問題
渡辺満久教授、現地での活断層説明-1
yamyamkn さんが 2008/06/16 にアップロード
再処理工場直下の活断層を指摘した渡辺満久東洋大学教授が、六ヶ所現地で活断層の露頭を前に解説します。
渡辺満久教授、現地での活断層説明後のインタヴュー
yamyamkn さんが 2008/06/16 にアップロード
東日本巨大地震の震源遷移 H23.3.7~3.16
MrMIKE0045 さんが 2011/03/16 にアップロード
東日本巨大地震の震源遷移(H23.3月7日~3月16日)を、気象庁DBよりアニメ化
宍道断層 島根地質百選選定委員会
島根原子力発電所近傍の宍道断層を巡る重大問題とそれへの対応
震分第46-8-1号 委員:石橋克彦
活断層はどこまで割れるのか? 中田 高 ・ 後藤秀昭
お読みいただき、ありがとうございます。