遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『オフマイク』  今野 敏  集英社

2020-10-30 22:38:52 | レビュー
 ”スクープ”シリーズの第5弾になる。主な登場人物は警視庁捜査一課内の特命捜査対策室に属する黒田祐介巡査部長と谷口勲の二人、及びTBNの夜のニュースショー『ニュースイレブン』の番組記者・布施京一である。布施の関係で『ニュースイレブン』のディレクターの一人鳩村昭夫、キャスターの鳥飼行雄と香山恵理子が関わりを持ってくる。特に今回のストーリーでは、香山恵理子に大きく関わる側面が出て来ておもしろい展開となる。
 この小説は「小説すばる」の2019年3月号~2020年2月号に連載され、2020年7月に単行本として刊行された。

 ストーリーは、ペア長黒田と組む谷口の視点から捜査を見つめるというスタンスを取り入れながら描かれて行く。黒田の同期であり捜査二課に所属する多岐川刑事が黒田のところに持ち込んできた依頼事項がこのストーリーの始まりとなる。20年前に春日井伸之という六本木のマンションに一人暮らしをしていた学生が首吊り自殺をしたという。当時彼は23歳。継続捜査を担当している黒田にこの20年前の事実を秘密裡に調べ直して欲しいという。多岐川はこの20年前の自殺事案が、多岐川の懸案となっている政治資金規正法違反、あるいは贈収賄に絡んでいる可能性があると睨んでいるのだ。当時の資料ファイルを多岐川は黒田に差し出す。春日井はSSと称されるイベントサークルに所属していた。多岐川は依頼時点でマル対が誰かは言えない立場だという。わずかの情報資料を足がかりに黒田たちは20年前の学生の自殺事案をどのように聞き込み捜査で洗い直していくのか。これがまず、読者にとって関心事となる。

 一方、布施は鳩村に「ニュースイレブン」が打ち切りになるという噂を聞いたが本当かと質問する。鳩村にとっては寝耳に水だった、鳩村の質問に、布施はIT長者の藤巻清治から酒を飲んでいる席で聞いたと答える。同じ噂を、黒田は『かめ吉』で東都新聞社会部の持田記者から、布施にからむ話ということで「ニュースイレブン」打ち切りの噂を聞いていないかと声をかけられていた。そこには他局が香山恵理子争奪戦を始めているという話も付随していた。
 
 聞き込み捜査はちょっとした情報、切り口を切っ掛けにして芋蔓式に人間関係を辿る形で進展していく。この点がリアルで興味深い。春日井に関わる知り人捜しのプロセスは、巡り巡って捜査一課第一強行犯捜査担当の池田管理官に行き着く。池田管理官は20年前、その事案に関わっていた。自殺というのは当時では妥当な結論だったと判断するが、違和感が残っているという。黒田は、聞き込みから春日井が亡くなる前に、同じサークルの女子大生が自殺したという情報を得ていた。池田管理官は、二人の関係について、証言も物的証拠も得られなかったという。そして、状況は自殺だった。自殺に見えるものはなるべくごちゃごちゃいじり回さないで処理する。その線で終わっていたのだ。池田は、己の違和感にケリをつけるうえからも、黒田が春日井についての事案を継続捜査とすることを追認する。池田は黒田の上司に連絡しておくという。ここから黒田・谷口のペアは公の捜査活動に入って行く。

 20年前の春日井の自殺事案について、布施はある切っ掛けから独自に調べていた。そして、黒田・谷口の聞き込み捜査に自然な形で関わりを持ち、情報提供をしたり情報交換をする形に進展していく。このストーリーのおもしろいところは、刑事と記者の立場という次元を抜けたところで、黒田と布施との間に絶妙な阿吽の呼吸での情報交換や協同行動ができる関係が有益に作用していくところにある。彼らの関係を読み進む楽しみである。

 聞き込み捜査を地道に行うことで黒田と谷口は事実を積み上げて行く。そこからさまざまな解明すべき疑問や究明点が浮かび上がる。勿論、他殺の可能性も浮上する。一方、布施は自分が入手した情報をさりげなく黒田に伝える。勿論、黒田はその情報の裏付け証拠の有無を重視し、事実を調べる行動を取る。
 たとえば、春日井が加わっていたSSの主宰者は藤巻だったことを布施は一緒に酒を飲む場で藤巻本人から聞いていたという。黒田は勿論、それが事実かの裏付け捜査を実行することになる。さらに、春日井と藤巻の具体的な関係を究明していくのはもちろんである。

 鳩村は布施からの打ち切りについての噂を起点に、キャスターの鳥飼と香山を交えて意見交換をする事から始めていく。香山はその噂を知っていた。布施はIT長者の藤巻が香山を秘書かPR担当に引き抜こうかという考えを抱いているという。本人から聞いたと。さらに、直近で藤巻がフィクサーになりたいとネット上で言い出していることが話題になる。「ニュースイレブン」の報道スタンスに藤巻問題は関係がないと主張する鳩村の考え方が徐々に変容していく。報道と視聴率、番組の打ち切りの噂に直面した鳩村の視点での描写という側面も、このストーリーの一つの柱になっている。
 黒田が春日井の属していたSSのことを調べていることを聞くと、香山はその背後の事実調査に関心を持ち、布施と一緒に報道という立場から調べてみたいと言い出す。

 このストーリーの構成と展開にはおもしろいところがいくつかある。
1. 黒田と谷口の地道な聞き込み捜査のプロセスから、SSの人間関係の構図が徐々に見え始めること。そこに布施からの情報が重要な役割を果たしていて、うまく組み込まれていく。SSの巧妙な仕組みと人間関係の構図が解明されるにつれて、意外な実態が明らかになっていく。

2. 鳩村が報道について「ネットの話題を番組で取り上げる必要はない」という考えを皆に述べていた。しかし、藤巻についての周辺情報が累積するに従い、鳩村はその報道姿勢を変容させていく。その経緯がパラレルに書き込まれていく。この点も興味深い。

3.IT長者の藤巻はネット上でさかんに発言し、話題となっている人物である。今の総理と親しい関係にあると見做されている。そこから「忖度」という問題が発生してくる。「忖度」という問題がどのようにして生み出されるかという側面を放送業界と警察組織とについて、描き込んでいておもしろい。同時代性のトピックをうまく反映させ、ストーリーに取り込んでいる点が巧みである。

4. 布施と協働しSS問題と藤巻の周辺を調べる意欲を出した香山恵理子が連絡を断つという事態が発生する。「ニュースイレブン」の本番に現れない。失踪という異常事態が発生する。そこにも別の次元の人間関係上のある種忖度が働いていた。こちらの事件が黒田・谷口の継続捜査に大きく絡んでいく。ある意味で、事件解明への大きな梃子となっていく。

5 香山が番組当日に穴をあけるという緊急事態が鳩村に「ニュースイレブン」報道直前に、奇策をとらせることになる。だがその奇策が思わぬ新基軸を生むことになる。この設定がストーリーを愉しませることにもなっている。

 この黒田・谷口が継続捜査として手がけた20年前の自殺事案が、多岐川の当初の読み通りになったかどうか。それは本書を開いてお楽しみいただきたい。

 ご一読ありがとうございます。

このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『黙示 Apocalypse』 双葉社
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18

『山岳捜査』  笹本稜平  小学館

2020-10-18 17:10:41 | レビュー
 山好きでかつ警察小説を愛読する人にはのめり込める作品だ。特に後立山連峰の鹿島槍ヶ岳、五竜岳辺りを登山した経験がある人には、冬山登山のスリリングな感触をヴァーチャルに味わいながら事件の成り行きに引きこまれることだろう。
 奥書を読むと、本書は「STORY BOX」の2015年4月号~2017年5月号に連載され、改題、加筆修正して2020年1月に単行本として刊行されている。

 冒頭は、桑崎裕二が浜村隆をパートナーにして、天狗ノ鼻に到着し、テントは持参しているが、そこに雪洞を作って一泊し翌早朝に鹿島槍ヶ岳の北壁に挑むという山行の場面描写から始まる。雪洞作りは浜村への指導でもある。
 桑崎は大学時代山岳部に所属していた。山好きが高じて登山と仕事の両立を望み、ひらめいたのが山岳救助隊。その結果、大学卒業後、長野県警に奉職し、現在は県警山岳遭難救助隊に所属する。昨年が入隊5年目で、涸沢常駐隊のチームリーダーとなった巡査部長である。高度な登攀経験を積んでいることから、八木副隊長の信頼も厚い。
 浜村は桑崎より2歳下。地元の松本市出身、高卒で長野県警の警察官となり一昨年に県警山岳遭難救助隊に入隊した。高校ではワンダーフォーゲル部に所属していたという。警察官としてのキャリアは桑崎より長いが、浜村は入隊後の年数と山のキャリアを加味して桑崎には大先輩として敬意を払っている。この二人がこのストーリーの中軸となって行く。
 浜村がアイスクライミングに興味を示しだし桑崎に要望したことがきっかけで、休暇をとってこの山行を桑崎が実行したのだった。だが、それがとんでもない事件に二人がかかわっていく契機となる。

 天狗ノ鼻で桑崎が先に雪を掘り始めた時、浜村が眼下のカクネ里の下流近くで幕営している3人のパーティーがいることに気づいた。北壁登攀のためのベースキャンプとは考えにくい場所であり、桑崎は山行のルートとしては不審に思い、また勘違いして迷い込んでいたとしたらまずいという不安をも覚えた。落ち着きが悪い思いから、桑崎は本部に連絡だけは入れておいた。その時点で、遭難届は出ていないという。

 桑崎たちは翌朝3時に雪洞を出発。北壁を目指す。その時点で、カクネ里のテントのあったあたりは真っ暗で、動きはみられなかった。桑崎・浜村の北壁登攀の描写が続く。
 午後1時過ぎに鹿島槍北峰に立つ。天候の悪化は予想より早まりそう。桑崎たちは天狗尾根を下降し、天狗ノ鼻で前日に出会った別パーティの行動の様子を見ることにした。登頂が遅いので、彼らの遭難の危惧を考慮したのだ。
 天狗ノ鼻からカクネ里を覆うガスにわずかの切れ目ができ、例のパーティの幕営地あたりが垣間見えた。テントはなかった。だが、テントのあった場所、雪の上に俯せに横たわり動いている様子のまったくない人の姿を、桑崎は双眼鏡を最大にズームして視認した。それが実質的な事件の始まりとなる。

 県警山岳遭難救助隊の一員として、そのままに見過ごすわけには行かない。桑崎たちは本部と連絡を取った後、現地に下降して行く。現地で死亡した女性を発見。それも他殺死体だった。後は殺人事件として捜査一課の仕事になる。現場検証の必要性から桑崎たちが現場周辺を触るわけには行かない。
 天候は悪化。桑崎たちは事件現場に支障を及ぼさない場所でテント泊し、本部と連絡を取り合う。翌日天候の回復に合わせてヘリを飛ばしてもらい、死体にビーコンを取り付ける作業だけして、桑崎たちは撤収することに。だが、レスキューヘリが現場近くに到着し、地上1mほどの高さでホバリングし、死体近くに移動してくれている矢先に、カクネ里の上流で雪崩が発生した。まさに危機一髪で桑崎・浜村は機内に転げ込む。ビーコンを取り付ける予定で表層の雪を掘り出しておいた死体に、桑崎がビーコンを取り付けるゆとりも無かった。死体は300mほど駆け下る雪崩に呑み込まれてしまった。

 県警本部庁舎に戻った桑崎は捜査一課の刑事富坂から事情聴取を受ける。当初、富坂はこの死体発見という事実すら受け入れようとしない様子だった。雪山の現場、それも雪崩に流されたことから二の足を踏んでいるとすら桑崎は感じた。

 翌日正午すぎ、大遠見山附近で停滞しているパーティから110番に救難要請が入る。東京からの3人のパーティ。男性2名、女性1名。女性の体調が悪化しているという。女性が低体温症になっているのは間違いがなさそう。桑崎と浜村が先遣隊となり、さらに緊急出動の体制が組まれる。救難要請の交信から、遭難者の一人は原口豊とわかる。現地に到着した桑崎は、そのパーティの装備や服装からその3人がカクネ里で幕営していたパーティだと確信した。だが、男性二人は既に死亡していた。女性は低体温症の症状が出ているが何とか生きていた。その原口は4年前の11月に剱岳で救難要請をし、富山県警のヘリで救助されたが、県警の扱いについて裁判に訴えるという一悶着を起こしていた人物でもあった。
 3人が所持していた運転免許証あるいは健康保健証から、原口豊、湯沢浩一、木下佳枝と身元が判明した。
 次の日、撤収の準備として、遭難者のテントと荷物の片付けを救助隊の稲本がしていて、ザックの中から人間の指が入れられた半透明の食器容器を見つけた。桑崎は言いがたい慄きを覚えた。
 
 また、桑崎が原口と救難要請に対する交信をしていた時点で、大谷原の駐車場にここ数日、品川ナンバーのSUVが駐まっているという連絡が大町署の地域課から入っていた。その車が盗難車である事実がわかり、さらに車から湯沢浩一の指紋が検出されたのだ。

 さまざまな状況証拠が累積していくが、事件を関連付け殺人事件を裏付ける確実な物証は出て来ない。3人のパーティによる死体遺棄や死体損壊の容疑は明かである。
 そんな状況下で、捜査本部が立ち上がる。富坂が雪山が絡む不可解な一連の事件にやっとやる気を見せ始める。捜査本部ができてから大町署の名物刑事山谷が加わる。一方、桑崎と浜村はこの一連の事件に当初から関わっていたことから、捜査本部の一員として加わることを要請される。

 カクネ里の死体を確認した桑崎は俯せの女性の写真を撮っていた。その喉元には引っ掻き傷があり間違いなく吉川線だった。写真から検視官も同じ判断をしていた。それともう一つ、その死体は凍結していたという事実があった。この季節にカクネ里あたりで凍結することはあり得ない。では、どこで凍結したのか。桑崎にはわからない。
 病院に搬入されて治療を受けていた木下佳枝が遂に亡くなってしまう。
 一連の事件がどのように関係するのか、しないのか。事件に関係して直接証言できそうな人は居なくなった。身元が判明したことから家族・親族並びに周辺の人々への聞き込み、確認捜査が進展し、少しずつ捜査情報が集まり、見えなかった筋が明らかになっていく。原口豊の素性を洗うことから、大町出身の資産家の名前が浮上してくることに。
 事件との関係の有無は不明ながら、捜査すべき事項が増えて行く。

 このストーリー、最後のステージまで後立山連峰の雪山が関係していく。
 救難要請が八峰キレットから入る。第12章は、悪天候中を桑崎・浜村・稲本の3人がパーティを組み、五竜岳を越えて八峰キレットまで救助活動に赴く雪山での行動が描写されていく。事件を解決するためにも、この救助活動は必須となる。
 登山の好きな人は、悪天候の雪山での登攀描写に引きこまれていくことだろう。雪山の状景を思い描きながらイメージを膨らませることで、特に雪山登山経験者は臨場感を追体験できるのではないかと思う。
 最後の第13章で、累積されてきた事実情報を踏まえて、事件の謎が解明されることに・・・・・・。

 捜査本部が立った後、徐々に腰が引けていく警察組織のトップ層と、何としても事件を解決したいと思う富坂と山谷の両刑事。富坂・山谷と桑崎・浜村がこのストーリーでは事件捜査側の主役になっていく。捜査過程における警察のトップ層とベテラン刑事たちとのコントラストが興味深い。
 「警視正以上の警察官は国家公務員で、その任命権は国家公安委員会が握っている。つまり、うちの刑事部長も帳場のある大町署の署長も、みんな国家公安委員会が任命する役職だ。そういう仕組みなら、政治が介入する余地も十分あるわけでね」「情けない話だが、それが実態だからどうしようもない」(p233)というベテラン刑事の愚痴も飛び出してくる。
 一方、確実な物証を基礎に事件を捜査していく立場の富坂刑事たちと、山岳遭難救助という立場で一連の事件を捕らえて行く桑崎たちとの間の考え方や思いのコントラストが描かれて行く。警察組織もどこに所属するかで大きくものの見方が変わる。この点もおもしろい。

 本書表紙の中央に「山岳捜査」というタイトル、左上隅に「Mountain Investigation」と記されている。investigation という英単語は今まで、調査、研究という意味でしか使ったことがなかった。手許の辞書を引くと、「調査」という太字での訳語の続きに、「捜査、取り調べ」という意味も普通のフォントで併記されていた。犯罪の捜査は detection という単語を想起し、investigation とは結びつけることがなかった。知っているつもりの英単語も意外とその意味の広がりを理解していない。investigation という単語を遅ればせながら再認識した。お粗末な話だが・・・・・。

 いずれにしても、エンタテインメント性にも優れ、楽しめる作品である。

 ご一読ありがとうございます。

この作品に出てくる山についてネット情報を調べてみた。その一部を一覧にしておいたい。
鹿島槍ヶ岳 :「日本アルプス登山ルートガイド」
   キレット小屋から鹿島槍ヶ岳 その1 続きにその2、その3あり。 
鹿島槍ヶ岳  :ウィキペディア
鹿島槍北壁正面ルンゼ 20160320~21 :「千種アルパインクラブ」
鹿島川源流 カクネ里 :「長野県の山岳」
五竜岳   :「日本アルプス登山ルートガイド」
  八峰キレット小屋から五竜岳 その2~その5がつづく。
八峰キレット|鹿島槍ヶ岳~五竜岳を1泊2日テント泊  :YouTube
【テント泊登山】国内屈指の難関ルート八峰キレットに挑む|北アルプス後立山縦走:YouTube
1週間で24件の遭難事故、下山まで集中力を切らさないように! 島崎三歩の「山岳通信」 第158号  :「YAMAKEI ONLINE」
五十音順・長野県の山岳データ ホームページ

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この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『サンズイ』  光文社
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館

『フィデル出陣 ポーラースター』  海堂 尊  文藝春秋

2020-10-13 23:32:44 | レビュー
 本書のタイトルが目に止まった。「ポーラースター」という副題に気づいたことによる。というのは、以前に『ポーラースター ゲバラ覚醒』、チェ・ゲバラの伝記風小説を読んでいたからである。こちらはフィデル・カストロを取り上げている。本書は「ポーラースター・シリーズ」の第4作になるようだ。「週刊文春」の2018年2月15日号~2019年12月19日号に連載された後、加筆して2020年7月に単行本として出版された。

 『ポーラースター ゲバラ覚醒』を読んだ後、「ポーラースター・シリーズ」が出ていることをうかつにも気づかなかった。『ゲバラ漂流 ポーラースター』が単行本の第2作として刊行され、それぞれ文庫本化されていた。さらに『フィデル誕生 ポーラースター3』が文庫本で出版されているのを知った。いずれ中間の二作を順次読んでみたい。

 さて、本書はキューバ国民にとっての英雄、フィデル・カストロの若き時代の行動を史実を踏まえたフィクションの伝記風小説として描き出している。
19歳になったばかりのフィデル・カストロ=ルス(以降、フィデルと記す)は、1945年8月、ハバナ大学の法学部に入学する。「1 フィデル見参」は、最新型のV8タイプの白いフォードに乗って、ハバナ大学のキャンパスに降り立つ場面の描写から始まる。「26 翼に夢を」は、1955年7月、フィデルがメキシコに亡命した時点を描いている。
 メキシコシティの空港に降り立ち、数日後の集会でフィデルが独演会を実施し、そこで一人の青年に出会う場面でこのストーリーは終わる。「その青年こそ、フィデルの片腕となりキューバ革命の戦略面を支える英雄、エルネスト・チェ・ゲバラだった。二人が出会った時、チェは『放浪者』にすぎない。そんな彼を二十世紀を代表する革命家にしたのはフィデルの熱情と、チェが終生抱いたフィデルへの敬愛の情だった」(p527)と著者は記す。
 久しぶりに、上下二段組みで500ページを少し越えるボリュームの長編小説を読むことになった。

 「あとがき」で、著者は「キューバ革命の本質は、米国経済支配からの脱却だ。それは日本ではあまり口の端に上らない」(p532)と記す。
 キューバにおける民主化運動を抑圧し、親米的立場のもとに独裁的政権として振る舞い、大統領就任期間中に己の蓄財を優先させる政治体制の打破をフィデルは目指す。ハバナ大学に入学した時点から、独裁政権打破・米国経済支配からの脱却を目的に、将来の政治家を目指し、フィデルは真底からの政治的人間として果敢に行動していく。フィデルの反逆の軌跡が描かれていく。キューバ革命の背景に何があったか、その前夜ともいうべき段階でフィデルがどのような行動を取っていたのかがイメージしやすくなる小説である。
 このストーリーを読むと、フィデル・カストロに対する毀誉褒貶の振幅が大きくなることもうなづける。
 
 大学入学以降、メキシコへの亡命までの10年間のフィデルの行動を見るだけでも、彼の人生は波乱万丈だ。大学には籍を置くだけで専ら政治的活動に専念していたことが良く分かる。それも、大学内からの政治的活動という枠には収まらず、国内各地、さらには中南米地域の政治情勢の渦中にも自ら飛び込んでいくというスケールの広がりを見せている。本書を読み、フィデルの青年時代の生き様の特徴と節目をいくつか見出した。

*大学の授業はほとんど出ずに、図書館を拠点として独学で法律、歴史、政治史などを学んでいる。放校処分になりかけたが、それはうやむやのままになった。学務課は50科目の試験に合格すれば理論上卒業可能と言う。フィデルは2日で一科目の教科書を丸暗記し試験に合格すると次の科目を勉強するという形で、3ヵ月で50科目の試験に合格するという離れ業を為し遂げ、1950年6月にハバナ大学法学部を卒業し、弁護士資格を得たという。ずば抜けた頭脳の明晰さと記憶力を持っていたようだ。学業面のエピソードが幾つか出てくる。それがおもしろい。

*大学内の学生活動家とは常に一線を画し、独自の立ち位置で政治的活動を行ったことがわかる。学生同盟FEUの中枢部、学内の共産党系組織の活動、それぞれとは距離を置く。己のめざす政治活動を行うために、FEUの法学部代表になるが、それも己の信条のもとに活動を円滑に機能させる手段としか考えない。フィデルの政治信条と雄弁さ、行動力がフィデリストと称するシンパを生み出して行く。体制派にアンチの人々を周囲に引きつけていく。

*FEUの裏組織である<トロツキスト>のマスフェレルが作ったMSRと、<アナキスト>のエミリオ・トロが創設したUIRという2つの学内愚連隊とも、一線を画する。だが、私的なつながり次元において、MSRの突撃隊長ラファエル・デルビノとはサンチャゴの頃からの旧知として関係を維持する。デルビノの手引きで、意図的に裏情報を入手する仕組みも知ることいなる。それがフィデルの行動に役立つ事にもなる。
 一方、UIRのタカオ・アマギ副隊長とも相互に個人的な信頼関係を築いて行く。

*大学内の活動に留まらず、純正党に入党しあらゆる場で演説する機会を広げて行く。
 一方、チバスのラジオ放送番組で語る時間枠を与えられ、己の思想・信条を伝える場を作っていく。大学内の学生新聞の媒体も編集者に気に入られうまく活用していく。
 フィデルはメディアの使い方に巧みだったことが随所に出てくる。

*フィデルはFEUにドミニカ&プエルトリコ解放同盟委員会を立ち上げ、委員長におさまり、隣国問題にも関与していく。それがトリガーとなり、ドミニカの独裁者トルヒーヨ政権打倒のために義勇兵を集め、カリブ軍団の第二戦線創設という活動に着手する。軍事訓練まで行う段階に進展するが、国際政治の圧力で計画は頓挫する。フィデルにとって、一つの経験となる。だが、その結果について自己流の解釈しかしないという側面も見られる。
 また、コロンビアで開催される汎米会議に反対する形で企画された中南米国際学生会議に、FEU書記長が議長を任される。フィデルは先発隊として、議長代行という立場でこの会議の事前準備に深く関わって行く。それは、コロンビアの政治家でカリスマ的指導者のガイタンの謦咳に接する機会となり、ガイタンから学ぶことにもなる。だが、ガイタンが暗殺されるという事態に遭遇し、また「ボゴタソ」が発生した渦中でともに行動する立場にもなる。このとき外国での戦いの中に己を一時的にではあるが投入する経験をする。
 己の視点、発想、判断で、目標を設定し即行動に移していくフィデルの姿がここにも面目躍如として現れている。

*唐突に大学から退学処分の勧告をされる。それにフィデルが抗議したせいか、放校処分が宙ぶらりんの状態がつづく。なんとその時期に、フィデルは保守・体制側で上流階級の一族であるディアス=バラルト家のミルタに結婚を申し込む。ミルタの兄ラファエルは弁護士で体制側に居るが、フィデルの立場を容認している。フィデルが学生結婚をしたのである。私のものさしでは考えられない行動選択だ。凡人の発想との違いだろうか・・・・。
 フィデルは新婚旅行を兼ねて3ヵ月の新婚生活をアメリカで過ごす。この間に、二代前のキューバ大統領で現職の上院議員、フルヘンシオ・バチスタとの面談を始め、ピノ=サントスからの紹介でニューヨークを支配する重要人物数人に面会するという経験を積む。フィデルにとってのアメリカ観が形成される機会にもなる。
 このような展開を付随的に生み出していくところが、人間的なスケールの違いなのだろうか。

*1951年8月のチバスの自殺、1952年3月のバチスタ・クーデターを経て、1953年1月の「マルティエ生誕百年式典」での抗議デモへといよいよ変革前夜が迫っていく。フィデルは本格的な蜂起計画を練り始める。「モビミエント(運動)」という密かな組織作りを始めて行く。それは、サンチャゴのモンカダ兵営襲撃という計画実行に繋がって行く。
 だが訓練はしていても実践経験のないフィデルにとり、この襲撃は計画における誤算もあり水疱に帰す。だが、その戦いの顛末が後に大きな問題としてキューバを揺り動かしていく。
 フィデルの逃避行、逮捕収監、その後の裁判闘争、ピノス島の監獄への投獄という一連のプロセスが続いていく。バチスタ・クーデター辺りからの一連の経緯がやはり本書の一番の読ませどころとなっていく。
 勿論ここに、青年時代のフィデル・カストロの全てが集約していると言える。彼の信条と行動、死と行動の関係認識、彼の価値観と優先順位、人間性などが凝縮して表象されているといえる。
 

 私はキューバの歴史を何も知らないに等しい状態だった。政治史となれば尚更知識が無い。次々と出てくる独裁政権の変遷や内容はたぶん表層的な理解しかできていないし、その差異なども深くはわからないままに読み進めることになった。それでも、第二次大戦後のアメリカとキューバの経済面での力関係や、キューバの政治状況の雰囲気については大凡だが感覚的には深く伝わってきたと感じる。
 その環境の中で政治的人間として疾駆した青春時代のフィデル・カストロは、やはりキューバにとっては偉大な存在と受け入れられ、人々に深い共鳴を与えたのだと感じる。
「フィデル・カストロは、キューバ国民が矜持を取り戻すために必要なことをした」(p534)と「あとがき」の一文に帰している。

 このストーリーには、法とは何か? という命題も深く関わっているように思う。

 「あとがき」に著者は次のように書いている。
「筆者は本シリーズでキューバ革命の立役者チェ・ゲバラの物語を執筆しているうち、当時のキューバを理解しなければ革命の真髄はわからないと悟り、フィデル・カストロの物語を外伝として書いた。」(p531)と記す。チェ・ゲバラがフィデル・カストロを引き出してきたようだ。これもまた、おもしろいと言える。

 「あとがき」の一文で著者は「米国という国は建国以来、属国に対しワンパターンの対応を繰り返している。故にキューバとアメリカの物語を読めば、現代日本の置かれた状況を理解する一助になるだろう」(p531)と記している。著者の視点の一つがここに表明されている。本書は、我々の日本の状況を知る為の鏡の役割をも果たしている。

ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で関心事項を少し調べてみた。一覧にしておきたい。
キューバ :ウィキペディア
キューバ共和国 基礎データ  :「外務省」
フィデル・カストロ  :ウィキペディア
フルヘンシオ・バチスタ :ウィキペディア  
キューバの英雄ホセ・マルティ :「ONLYONE TRAAVEL」
キューバ独立の使徒、ホセ・マルティ~第二次ハバナ宣言冒頭演説~  :YouTube 
キューバの歴史   :ウィキペディア
ベネズエラ・ボリバル共和国 基礎データ  :「外務省」
ベネズエラの歴史  :ウィキペディア
コロンビア共和国  基礎データ  :「外務省」
コロンビアの歴史  :ウィキペディア

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「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
出版年次の新旧は前後しています。
『氷獄』  角川書店
『ポーラースター ゲバラ覚醒』  文藝春秋
『スカラムーシュ・ムーン』  新潮社
『アクアマリンの神殿』  角川書店
『ガンコロリン』    新潮社
『カレイドスコープの箱庭』  宝島社
『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版



『警視庁情報官 ハニートラップ』 濱 嘉之  講談社文庫

2020-10-10 13:15:17 | レビュー
 表紙の折り込み部分に記された著者のプロフィールによると、著者は2007年に『警視庁情報官』で作家デビューした。本書はその第2作になる。2009(平成21)年4月に単行本が刊行され、2011年4月に文庫本化されている。

 黒田純一は平成19年秋に小笠原の警察署長として着任する。1年半の勤務が予定されていたが、赴任して10ヵ月近くなった7月中旬に、宮本警視総監が巡視という名目で黒田と面談するために父島に海上自衛隊の救難飛行艇で飛来した。それは黒田と直談判するためだった。黒田を室長として情報室を再結成するという。なぜか? 黒田は、情報室勤務時代に何度かメモで報告していたことから宮本警視総監に己の推測を述べた。イージス艦関連の情報漏洩問題が喫緊の課題になっていることを言い当てたのだ。プロローグはこんな場面から始まる。

 平成20年夏、「警視庁総務部企画課情報室 室長」の職名で、黒田純一は情報室の再構築を始める。まずは人事の協力を得て人材探しを行い、異動発令をすることから。どういう観点を基準にして人選していくかという描写は興味深い。
 警視庁本部11階の元の情報室が再び稼働し、また都内の5ヵ所の民間ビルのワンフロアーが分室となる。黒田にとっての活動拠点ができる。
 捜査事案は、国家機密の漏洩にかかる外事事件捜査と知能犯事件捜査が複合していた。この情報漏洩には警察、防衛双方が関わっている疑いが強いと考えられていた。黒田はいくつかの情報漏洩パターンの推理から始める。一方で、人選した部下に対して、研修の最後に「防衛省および警察による機密漏洩事件、および中国大使館関係者による教唆、強要」と題して、当面捜査すべき事件についての捜査会議を1週間かけて行った。
 そして、いよいよ情報室が動き始める。

 黒田が動き始めると、海外の情報機関も注目を始めた。モサドのクロアッハは黒田に中国の公安が君を追っているようだと忠告した。また、小笠原警察の次長からは、島民に黒田のことを聞き回ってる中国人4人組がいると電話連絡を受けた。

 黒田は3つの漏洩ルートを想定して、10年近い過去に遡った捜査にそれぞれ適任と考える部下を割り振って行く。まず1章で1ルートについて、情報漏洩関係者の立場、姿と行動が描写されていく。

 第2章 防衛省ルート 平成11年
  防衛省技術研究本部(技本)の内部研究チームの一つ、艦艇装備研究所は、かつて第一研究所と呼ばれた。第一研究所主任研究員、藤田幸雄が関係していた。藤田は取引先の「菱井重工」の永田課長から接待を受け、中国への三泊四日の旅行に誘われて、それに便乗する。それは、藤田が中国でのハニートラップに陥り、情報漏洩者に転落していく始まりだった。中国への小旅行のプロセスに仕組まれた罠が自然な感じで受けとめられて、興味深い。
 このルートの捜査に黒田は、公安講習の中でも外事成績に優秀で武器や戦艦等に並外れて通じている2名の警部補を捜査担当者にした。

 第3章 警察ルート  平成11年
  大坂府内の中国人マフィアと呼ばれている集団を調査する大阪府警警備部外事課警部補の青木光男が情報漏洩者になる顛末が描かれていく。青木の息子は小学校3年生になったとき難病認定され、中学2年で亡くなる。四十九日法要後、菩提寺の墓に納骨を済ませた。次の日曜日に青木は一人で墓参りに行く。その折り、葬儀の時に火葬場で認めた美貌の女性に声をかけられた。青木の息子とは小学校5年時代に同級生で、3年前に亡くなったのだと言う。その女性は黒澤冴子と名乗った。それから、2週間後、青木が調査のために菱井重工大阪支社ビルのロビーに居るとき、再び黒澤冴子に声を声をかけられる。それが契機となり、青木は彼女の罠に陥っていく。青木もまたハニートラップにとらわれてしまう。それは事件に対する入口に過ぎなかった。青木が追う事件は広がりと重要性を帯びていく。青木が己のミスを上司の歳若きキャリア、西田に報告した事から、その事件に関すして警察組織内部の関わりかたが徐々に上層部や関連部署に及んでいく。
  黒田はこのルートの解明には、公安総務課の第八担当者を採用した。

 第4章 政治家ルート 平成13年
  防衛庁キャリアの関本功は防衛大学校副校長で退任すると元制服組の民間研究室に入る。関本は民政党衆議院議員の鶴田静雄の事務所を国会内の情報収集の拠点とした。鶴田は関本を重用し、参議院選挙に比例区からの出馬を促す。関本は落選するが、個人票で10万票を越える得票により、防衛産業の国内大手企業とのパイプを作ることができた。鶴田には黒岩英五郎という国家の基幹産業から「ピンハネ」を重ねるフィクサー的存在で「鶴田の財布」の役割を果たす男がいた。黒岩は軍需産業分野の技術を中国に合法的に輸出することを考え始める。黒岩は関本から藤田幸雄を紹介される。藤田を介して、黒岩は菱井重工の幹部や船舶関連商社「四海産業」の山田孝市との面識を深めていく。四海産業代表取締役の山田は裏の社会にもよく通じた男で、鶴田の公設第二秘書、大橋裕一郎を協力させ見返りの報酬を与えることでうまく取り込んで行く。、
  この政治家ルートの捜査に、黒田は内閣情報調査室経験者を採用した。

 第5章 黒田の情報 平成12年
  黒田は父島で宮本警視総監に情報漏洩についての己の推測を述べた。それは黒田が企画課に異動した平成12年ごろから、対中国情報漏洩疑惑を中国大使館筋からの情報で認知していたからである。この時、黒田が情報を入手した経緯が描き出されていく。
  それが、捜査を指揮する背景となっていく。

 第6章 事件捜査  平成20年
  そして、いよいよ3つの情報漏洩ルートのそれぞれの担当者の捜査活動の成果が捜査資料として集積されされていく。また、この事件捜査のために黒田が築いた8人1チームの捜査体制を形成する。この方式がまず興味深い。黒田は情報はいつでも使える状態にあってはじめて活きるという思いから、自ら尽力して情報検索システムを築き上げていた。それがこの事件捜査でパワーを発揮し始める。併せて、黒田がこの情報室の捜査体制をどのように運用していくかも描き込まれていく。
  さまざまな経緯でのエピソードを交えながら事件捜査のプロセスが描き込まれていく。情報管理室は、黒田が想定した情報漏洩ルートについて担当者が捜査を進めるとともに、これまでに各部署の視点で独立的分散的に調査・捜査された諸資料を整理・分析・集約する。各種情報の集約から、情報漏洩に関わるルートが次第に明らかになり、事件概要の相関図が出来上がって行く。そしてターゲットを絞り込み、主犯を決めたチャート図が作られていく。
  黒田は捜査方針を絞り込み、警視庁の各部署が連携し強制捜査に乗りだすための要になる。強制捜査のXデーを決めるのだ。
  この最終章が上掲の想定情報漏洩ルートの関わり合いの謎解きをしていくプロセスとなり、このストーリーの読ませどころとなっていく。

 事件は解決するが、さらにそこにはもう一つのハニートラップが潜んでいた。この意外性がもう一つのおもしろさであり、またハニートラップの怖さなのかもしれない。

 著者は黒田の優れた点の一つを「職業人として組織から評価される最大のところは、部下を育てる姿勢を常に持って、その努力を惜しまないところにあった」とする。この側面がこのストーリーを楽しませる要素にもなっている。

 最後に、黒田が部下の内田に名刺管理の重要さについて語る言葉をご紹介しておこう。「情報管理ってのは組織上のさまざまなデータもそうだが、個人情報の管理がいちばん重要なんだよ。特に情報を活かす立場にある者は情報内容も当然ながら、一個人とその関係者の関係までキチンと把握管理しておくことが大事なんだ。そこを押さえておけば、管理だけでなく分析もその先の予見性も見えてくる」(p324-325)
 黒田式の名刺管理の実例を示した後で、黒田が語る言葉だ。読者にとっても、頭にガツンと感じる人がいるのではないか。私はガツン!だった。そこまでの管理をしたことがなかった・・・・・・。参考とすべき、部下指導エピソードとして織り込まれている。

 もう一つ、警視庁における情報管理の統合化の話が、ストーリーの一環として出てくる。情報の統合化がどういうことかがイメージできてわかりやすい。それは、情報の統合システム管理の利用者側の利点がわかるとともに恐ろしさもわかるということである。

 ご一読ありがとうございます。

本書の描写から広がった関心の波紋として、キーワードでネット検索してみて得た情報を一覧にしておきたい。
橋本元首相、新聞記者ら 中国ハニートラップにハマった人々:「NEWSポストセブン」
「中国に甘い政治家・官僚」はハニートラップにかかってる。:「トップ防災『一期一会』」
“技術流出”に関する経済レポート一覧:119本  :「keizai report.com」
営業秘密の流出が多発、管理体制の整備を(中国) :「JETRO」
刑事に関する共助に関する日本国と中華人民共和国との間の条約  :「外務省」
   (略称:日・中刑事共助条約)
日中刑事共助条約の署名について  :「外務省」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』   講談社文庫
『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  文春文庫
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』 文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』 文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』 文春文庫

『利休椿』 火坂雅志  小学館文庫

2020-10-06 15:52:51 | レビュー
 タイトルの「利休椿」という言葉に惹かれてかなり以前に購入していたのをやっと読んでみた。勝手に長編と思い込んでいたのだが、開けてみると7作をまとめた短編集で、最後のタイトルが「利休椿」である。末尾の「解説」の記録によると、1994年から1996年にかけて各誌に発表された短編を収録したという。1997年5月に単行本(実業之日本社刊)となり、2006年11月に、単行本をもとに加筆推敲されて文庫本化されている。

 「山三の恋」「関寺小町」「辻が花」「天下百韻」「包丁奥義」「笑うて候」「利休椿」と短編の題を並べてみると、やはり「利休」を冠した「利休椿」という題名が私を含む一般的読者にとっては一番アトラクティブな印象ではなかろうか。千利休はたぶん誰でもしている有名人。利休の椿って何だろうとまず目に止まり、惹きつけられる。他の題からは、名古屋山三、小野小町、辻が花染め、くらいの語彙をすぐに連想するが、その先で少し距離を感じる。「天下百韻」から直ちに里村紹巴と明智光秀の連想はできなかった。「包丁奥義」「笑うて候」になると??? 私には何の連想もすぐには働かなかった。
 それでも、並べてみるとこの短編集は日本の歴史に題材を取った歴史時代小説だということがわかる。

 各短編を少しご紹介してみる。

「山三の恋」
 尾張国那古屋(名古屋)出身の名古屋山三郎は蒲生氏郷の小姓となる。24歳のとき会津若松で氏郷がにわかに死んだ。衝撃を受けた山三郎は剃髪、出家したが、心にかかる女人のことを確かめたくて、還俗し京に戻る。その女人との出会いとなった場所に足を向ける。清凉寺から愛宕参道を一町ばかり行った竹林の先である。そして、文禄元年、21歳の折に、紫の頭巾で顔を包んだ老女に名指しで声をかけられたことから回顧していく。「わがお仕えするお方さまの、命を懸けた一生に一度の恋のためなれば・・・」と老女は山三郎に言ったのだ。老女の名は九条という。この導入部が興味を惹きつける。
 その山三が清水寺の境内でからまれているところを助けた加賀座の大夫・白糸と黒谷の真如堂の紅葉見物に行く。そして、偶然あの九条という老女を見かけ、その後を追跡していく。老女を問い詰めた結果、「お方さま」と呼ばれた女人に5年ぶりに再会し、意外な事実を知ることに・・・・・。それが山三に禍をもたらす。
 歴史に残る秀吉の嫡子出生にまつわる噂話を巧みに採り入れた美男子山三のエピソードとしておもしろい。

「関寺小町」
 寛永11年正月12日、仙洞御所の能舞台で、能楽師、49歳の喜多七太夫は演目として「関寺小町」を舞うと思い定めた。
 秀吉は七太夫の才を愛し、金春座の大夫、金春禅曲のもとに10歳のときに弟子入りさせ、さらに禅曲の次女、静乃と縁組みさせた。だが、禅曲は演目での肝心なところは「これは金春家の一子相伝ゆえ、教えることはできぬ」と突き放した。七太夫の天賦の才を恐れたのである。
 「関寺小町」は難曲中の難曲で、大和四座ではあまりの難しさゆえに、60年近く演ずる者はなかったという。なぜ、喜多七太夫がそれを承知でこの「関寺小町」に挑むのか。その理由が語られて行く。
 七太夫は「関寺小町」を完璧に演じきった。だが、七太夫は処分を受ける身となる。
 能の世界のしきたりと天賦の才への妬みが生み出す醜い一面が描かれている。

「辻が花」
 堀川端の辻が花染め師、藪木千竹の弟子である義一が直面する切なく哀しくかつ妖しさを含むストーリーである。義一は平野神社境内で白玉椿を画帖に写しているときに、高貴な女人を垣間見て心を妖しく騒がせられる。ふらふらと女人のあとをつけ、四条家の姫君だと知る。身分の違いを知りつつ、義一はもう一度会いたいと恋情をつのらせる。
 仕事に手がつかぬ義一の様子を師匠は見抜き、義一をとがめる。十日後、師匠の供をして、さる堂上公家の屋敷を訪れることになる。それは聚楽第への輿入れのための嫁入り支度の衣裳の依頼だという。師匠は、五領の衣裳の内、一領を義一に任せるつもりだと言う。何と、その依頼主は四条三位中将隆昌。義一が垣間見た女人の父だった。その時、かの女人が眉子姫という名だと知る。
 義一がどういう行動をとるか。そこが読ませどころとなっていく。

「天下百韻」
 興福寺の小者をつとめていた父が亡くなると、家のたつきを支えるために松井紹巴は13歳で興福寺の塔頭、明王院の喝食となった。喝食の身を嫌悪する紹巴はその境遇から抜け出し、行くすえは天下を取りたいと望む。己の知恵と力で何ができるか。友の信徳丸との語らいの中から紹巴が活路を見出したのは連歌師になる道である。紹巴が連歌師として名をなすために行った権謀術数のプロセスと生き様が描き出される。里村紹巴の誕生である。紹巴はさらに連歌師よりももっと高みにのぼりつめる野望を抱く。そこには、明智光秀が洛西愛宕山で催した連歌の会が絡んでいた。連歌師として招聘された紹巴は、この折り光秀らとともに天下百韻を詠む。
 後に、紹巴は秀吉に発句の事を尋ねられ機知により死罪を免れることに。さらにその後の紹巴の生き様を簡潔に最後に語り加えている。
 どこまでが史実なのかはわからないが、里村紹巴の生涯をイメージできる短編である。

「包丁奥義」
 慶長2年、有馬の湯で湯治のため逗留していた風間三十郎は、湯宿角ノ坊のあるじから「池ノ坊」にお忍びで泊まる客のために料理を作る助力を頼まれる。その客とは秀吉の正室、北政所づきの筆頭女官、孝藏主だという。同行した庖丁人が暑気あたりで倒れたことによる。三十郎が作った料理を孝蔵主は堪能することになった。
 これが思わぬ波紋を引き起こす。
 有馬の湯治から京の庵に戻った翌日、三十郎のもとに北政所に仕える者だという美童が現れ、北政所の命令だと言い、三十郎を駕籠に乗せて大坂城に連れて行く。三十郎は北政所のために、大奥の台所で料理を作る羽目になる。だが、これは一種の試しであった。
 秀吉が行った醍醐の花見は有名である。秀吉が花見料理のことを口にした時、淀殿づきの女官頭が淀殿の方に任せていただければと秀吉に言った。そこから花見の膳における女の戦いが始まることに。淀殿側は大草流包丁術宗家、遊佐大膳を起用する。
 三十郎は北政所のために料理の腕を振るうことを求められる。相手が遊佐大膳と聞いたとたんに、三十郎はその役目を引き受ける決意をする。花見の裏での料理の戦いの始まりとなる。
 太閤秀吉の醍醐の花見にこんな視点もあったか・・・・と興味深い短編である。

「笑うて候」
 安楽庵策伝は京都誓願寺の五十五世法主となり紫衣を勅許された高僧である。だがそれよりも、落語の祖として一般には良く知られている。晩年に『醒睡笑』という小咄集を書き残した。「希世の咄上手」といわれた。その策伝が(あいつだけには敵わなかった)と思う男がいたという。その男とは泉州堺の鞘職人、杉本甚右衛門。
 策伝の回想という形で天正12年から天正15年にかけてのエピソードが語られる。杉本甚右衛門とは、ある期間、秀吉の御咄衆の一人となった曽呂利新左衛門のことである。
 策伝と新左衛門が笑わせるという点で競い合ったという時期があったというのがおもしろい。曽呂利新左衛門のエピソードをもっと知りたくなってきた。

「利休椿」
 大徳寺塔頭、聚光院で庭の世話をしていた又左は利休に見込まれ、椿専門の花作りとして独り立ちした。伏見指月の丘の宇治川を見下ろす日当たりのよい土地に立てられた草庵に住み、広い庭に100本をこえるさまざまな椿の木を植えている。利休が又左のために土地と家を用意した。又左は独立して7年目に朧月という品種を生み出し、利休の期待に応えた。
 利休は聚楽第のなかに二畳台目の茶室と書院を造り、それにふさわしい庭を造作するよう秀吉に命じられたという。又左は利休からその庭にふさわしい椿は何かと問われる。
 又左は利休が既にふさわしい椿を脳裡に描いていると知りつつ、求めに応じて利休と椿談義を行う。利休は夢を見た話を又左に語る。「わしは、紫の椿が花入れに活けられているのを見た」と。紫の椿を探して欲しいと又左は依頼される。
 紫の椿を茶室に飾りたいという利休の執念が、いつしか椿の花作り又左の執念になっていく。紫椿の探索は、遂に又左が故あって二度と戻るまいと封印した故郷・大洲に足を向けることになる。又左の回想と大洲への紫椿探しの旅が進展していく。又左の封印の理由が読ませどころとなっている。
 又左が京に戻ってから半月後、利休は関白秀吉の勘気をこうむり、切腹して果てた。
 幻の紫椿の物語。ロマンを感じさせる一方、又左の封印に関心を抱かせる興味深い設定になっている。短編末尾の一行を引用しておこう。
 「いまも、指月の丘に椿の銘木が多いのは、又左の夢の名残かもしれない。」
 
 最後に、著者の「あとがき」に触れておこう。
 著者はこれら諸雑誌に発表された短編について、「桃山時代は、日本のルネサンスと言っていい」と断言し、その上で「桃山を生きた美の変革者たちの凄絶な生きざま」を書きたかったと述べている。そして、著者自身、京の西山の山中に咲く紫の椿を見たと記している。

 本書を読んで、初めて調べて見て、著者・火坂雅志が2015年2月26日に58歳で病没していたことを遅ればせながら知った。合掌。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋でネット検索してみた事項を一覧にしておきたい。
名古屋山三郎 :ウィキペディア
名古屋山三郎 :「コトバンク」
謡蹟めぐり 関寺小町 :「謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド」
関寺小町  :「能楽師 久田勘鷗」
辻ケ花  :ウィキペディア
辻が花について  :「辻が花染め工房 絵絞庵」
天女花  :「GANREF」
里村紹巴 :ウィキペディア
里村紹巴 :「コトバンク」
愛宕百韻 :「コトバンク」
愛宕百韻 :「K's bookshelf」
第25話 曽呂利新左衛門(生年不詳-1603年) :「関西・大阪21世紀協会」
秀吉のお伽衆、曽呂利新左衛門 :「レファレンス協同データベース」

火坂雅志  :ウィキペディア
火坂雅志文庫一覧

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『大絵画展』  望月諒子  光文社

2020-10-04 21:52:39 | レビュー
 『哄う北斎』から『フェルメールの憂鬱 大絵画展』と溯る形で読み継ぎ、著者のアートミステリー小説第1作に立ち戻った。このミステリー小説は、第14回日本ミステリー文学大賞新人賞を2010年に受賞した作品という。2011年2月に単行本が発行され、2013年3月に文庫本化されている。

 画家ヴァン・ゴッホは主治医だった「医師ガシェの肖像」を描いた1ヵ月後に、パリ郊外の村で自殺した。その事実を冒頭で記した後、ストーリーは100年後、ロンドンにある美術品競売会社ルービーズにおけるこの絵のオークション風景から始まる。このオークションの様相が興味深い。イアン・ノースウィグはマリアの希望でこの絵を競り落としたいと頑張るが、金額に糸目をつけないアジア人画商、得体の知れない日本人に1億2000万ドルで競り落とされてしまう。それから時は2002年に飛ぶ。
 
 このストーリー、大絵画展とどういう関わりがあるのだろうと疑問にすら思うことから始まる。男女二人がジャスダックに上場予定で値上りが確実という株のもうけ話の詐欺に遭う。男は群馬県南部の旧家、大浦家の長男荘介。美術大学卒業後、東京で小さなデザイン事務所を営んでいる。金銭感覚がなく借金まみれの生活を送っている。荘介の事務所に矢吹と名乗る男が業界誌2000部の制作という話を持ち込んでくる。それが切っ掛けで、矢吹との関係が深まり、その矢吹に騙され1000万円を準備し詐欺に遭う。その荘介の借金の返済に対し母定子は屋敷の蔵から骨董品等を持ち出して、東京銀座の日野画廊を仲介に品々を売却して、その金を息子に与えるということを繰り返している。
 もう一人の女とは筆坂茜。元銀座のホステス、地方を転々とした後、今は都内の外れの地で、小さなスナックを経営している。彼女も闇金融の借金を抱える身。本物の遊び人の匂いを持った客・安福富男に株の話を持ちかけられ、500万円を準備し詐欺に遭う。

 その頃、新聞には「大絵画展 4月11日より開催」という新聞広告が掲載されていた。この告知だけがこの後もストーリーの途中に唐突に時折挿入されていく。

 ストーリーは若い無名の画家美濃部の話に転じる。銀座で日野画廊を営む日野智則のところに自作を幾度か持ち込む。日野はあるときその1作を買う。だが、その作品が日野画廊の柱の一つになっている日本画家戸倉秀道に買い取られる。戸倉はその絵を模写し自作として展覧会に出し入選する。後日にそれを知った美濃部は日野を恨む。
 
 日野智則は13年前に、ロンドンのオークションで「医師ガシェの肖像」を競り落とした画商だった。日野は池谷実の代理人となった。池谷はブラックマネーを扱う。銀行での担保価値がつく時代になり、池谷にとり絵画はいわば資金操作の道具だった。日野は画商として池谷と一定の距離を置きつつ、絵画取引での関わりを維持する。「医師ガシェの肖像」の所有者は変転し、バブル崩壊後は銀行の担保物件として、他の絵画とともにレンタル倉庫会社の専用ロッカーに万全の管理で保管されている。
 
 大浦荘介と筆坂茜は、自分たちが詐欺にあったと気づくと、言われるままに資金を振り込んだ証券会社の事務所を探し訪ねて行く。偶然二人はその事務所で鉢合わせることになる。その事務所自体がフェイクだった。お互いがその会社の人間と思い込みひと騒動をしている最中に、更に一人現れる。城田と名乗り、茜のスナックに幾度がかよって来ていた男だった。
 城田は荘介と茜に己の身分を明かす。銀行から派遣されてある倉庫会社で債権管理をしているという。そして彼は、トランクルームには膨大な絵画が担保の回収として保管されていると語る。その中にゴッホの「医師ガシェの肖像」もあるという。城田はこの作品の来歴を二人に説明する。そして、倉庫会社からこの「医師ガシェの肖像」を盗み出すという仕事を二人に持ちかける。借金を重ねて株購入資金を準備した二人は、その返済の目処もなく切羽詰まっているために、この「医師ガシェの肖像」窃盗の話にのめり込んで行く。
 窃盗の準備に必要な車両その他一切を城田が準備し、当日はその会社の警備の内部コントロールルームから二人に指示する。ただし、内部協力者が居るとわからぬようにカモフラージュし、犯行はあくまで二人によるものとみえるようにふるまうという。城田の正確で巧みな説明と作戦を聴いた二人は、その手順を実行することになる。
 つまり、このストーリーのメインは、専用トランクルームから「医師ガシェの肖像」を盗み出すことである。それが二人にとっては、借金返済のためのミッションになる。
 ただし、専用トランクルームには、2つのコンテナーが収めてあり、現場からはまずこの2つのコンテナーを盗みだし、別の場所に移動させて、そこで開梱して「医師ガシェの肖像」を抜き出す必要があるという。
 そしていよいよ絵画窃盗行為が開始される。窃盗プロセスは緊迫感を醸し出しながらスピーディに進展していく。

 このストーリーのおもしろさと読ませどころは低めの山から高い山にの如くに連なって行く。そして、その後下山の途中の眺めとなる。そのあたりをご紹介しよう。
*借金漬けになっている大浦荘介と筆坂茜が株に関わる詐欺行為を仕掛けられる手口が低めの山場と言える。欲に目がくらむというおもしろさと言える。
*日野画廊を営む日野智則の視点から、美術界の様相と絵画取引について、業界話的なエピソードを加えていて、この業界をイメージする上で読ませどころとなっている。一筋縄ではいかない世界といえようか。
*ヴァン・ゴッホ作「医師ガシェの肖像」の誕生と、その後のこの絵の所有者の変遷に関連した事実情報の提示やさまざまな作品にまつわる周辺話は、美術ファンにとって作品の背景を知るうえで興味深いことだろう。
*レンタル倉庫会社に侵入して絵画窃盗行為を働くプロセスの描写は大きな山場の一つとして読ませどころになっていく。
*ヴァン・ゴッホ作「医師ガシェの肖像」を入手したがっているスイスの銀行家が居るという。そこで盗み出された「医師ガシェの肖像」を池谷に転売目的で買わないかという話が持ち込まれる。池谷はこの話にうま味を感じて行動に乗りだす。
 ここには13年前のオークションから始まり、バブル期の紆余曲折まで含め、池谷に意趣返しをしたいというさまざまな人々の思いがこもる池谷陥落作戦である。
 海千山千の池谷の資金を吐き出させ、その罪悪を暴き出す契機づくりでもある。大掛かりな作戦として、読ませどころとなっている。これもまた大きな山と言える。
 ここで、大浦荘介と筆坂茜沢も仕組まれた作戦をまったく知らずに一役買う形になるところもおもしろい。
 池谷が現金と引き換えに見た「医師ガシェの肖像」には裏の仕掛けがあった。
*大浦と筆坂が盗み出した2つのコンテナには絵画が135点収納されていた。新聞は「総額2000億円、世界史上最高額の盗難事件」と報じる。
 「医師ガシェの肖像」を除く残り134点が何処に行くのか? それが本書のタイトル「大絵画展」にリンクしていく。それはどのように。それは読んでのお楽しみである。
 この大絵画展自体も相対的には低めの山場といえるが、全体の構成からはおさまりのよい読ませどころとなっている。
*日本の高度経済成長、バブル期における日本人の異様な美術品買いの行動が、芸術文化行動という視点から見つめられ、問題提起がなされているところもおもしろい。
*このストーリーの最大の読ませどころは、イアン・ノースウィグの思考と行動にある。それを城田がリーダーになり窃盗犯罪計画と池谷殲滅計画を実行していく。完全犯罪の遂行である。そのために全体のプロセスは緻密に二重三重に構造化されている。さまざまな人々の互いの関係性は極小化され、相互認知も極小化されることになり、全体構造を知る人は最小人数である。
 最後は、オークションで「医師ガシェの肖像」を競り落とせなかったイアン・ノースウィグが、この絵を合法的に入手する手続ルートが組み込まれているという落とし所があるのだからおもしろい。

 私は直近の作品から本書に溯って読んできた。イアン・ノースウィグ、城田、日野智則及び美術品競売会社ルービーズは本書から一貫して登場していくことがやっと確認できた。
 
 さて、後は本書を開いてこの作品の構想のおもしろさを楽しんでいただきたいと思う。
 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連し関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
医師ガシェの肖像  :ウィキペディア
ゴッホが有名な「医師ガシェの肖像」を描く本編映像が解禁 『永遠の門 ゴッホの見た未来』 :「Celeb Extra」
ゴッホが最後にたどり着いた村オーベルシュルオワーズ  :「O'bon Paris」
ゴッホ自殺の考察 :「ゴッホの考察サイト」
「絵画投資--もう一つの神話」の崩壊  :「cs-trans.biz」
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『死にがいを求めて生きているの』  朝井リョウ  中央公論新社

2020-10-03 15:55:14 | レビュー
 「螺旋プロジェクト」に連なる作品のうちの一作。「海族」と「山族」との対立の物語というこの「螺旋プロジェクト」に興味を抱き、この小説もその一環として読んだ。原始から未来への時間軸、「螺旋」年表では、本書は平成の時代を背景とした小説である。「小説BOC」創刊号~10号(2016年4月~2018年7月)に連載され、加筆・修正されて2019年3月に単行本化されている。
 
 本書の構成がおもしろい。章名はすべて人名。「1 白井友里子」「2 前田一洋」「4 坂本亜矢奈」「6 安藤与志樹」「8 弓削晃久」「10 南水智也」と続く。白井友里子と南水智也は各1章、他の4人は前編・後編と各2章に及ぶ。これらの人々のある時期の己の行動と思い、そして彼または彼女の生き方が描かれていく。そして、章名には現れない人物、堀北雄介と関わって行く。彼らは「生きるということ」の意味をそれぞれが異なる形で意識しつつ、己の生き方を模索している。その生き様と人間関係の中で、ある時期にあるいは継続的に堀北雄介との接点を持つ。それぞれの人名のセクションは緩やかな形であるが一応その人物のある時期の物語として完結しているというスタイルになっている。さらにその人物たちは、全体のストーリーに関わりを持っていく。

 白井友里子は、看護師になって3年目、22歳。北海道札幌市内の病院に勤めていて、305号室の患者南水智也を担当している。智也は東京都内の病院から札幌に移されてきた患者である。智也は東京都内のマンションで転倒し意識不明の状態で病院に緊急搬送された。以来重度の脳挫傷による植物人間状態が続いている。
 この病室に頻繁に訪れてくるのが、堀北雄介なのだ。友里子は顔見知りになった雄介と会話を交わすようになる。友里子は、雄介と智也の家が近く、幼稚園からずっと一緒だったこと、家族より以上に一緒に経験したことの意識がある関係だと雄介から聞く。友里子は休日に年の離れた弟が親友の転校のことで落ち込んでいるのを見て、305号室に弟の翔太を連れて行き雄介に会わせるという行動を取る。翔太は親友の転校後、自分は何を生きがいにすればいのかと戸惑っていたのだ。一方、友里子は夢と希望を抱き看護師の道に進んだが、今や日常のルーティン化した看護師生活に疑問を感じ始めている。その思いが描かれる。
 なぜ、雄介が智也の病室を頻繁に訪れるのか。翔太に会った雄介は、「今日が、何かが変わる前日なのかもしれないって、思おうよ」と語りかける。

 このストーリー、雄介と智也、この二人と人間関係を持った人々を順に取り上げていくというプロセスを介して、雄介と智也の関係が徐々に明らかになっていく。そして、智也が植物人間になった原因へと辿って行くことになる。

 白井友里子の続きに登場する人物のプロフィールを簡単にご紹介しておこう。
前田一洋
 小学校時代に北海道に転校し、智也と雄介を知り友達関係を築く。前田の目に移った智也と雄介の関係が描き込まれていく。彼らの間で話題になるのが漫画『帝国のルール』のシリーズであり、それは劇場版として映画化もされる。小学校時代の前田自身並びに前田を介して雄介・智也の生き方が回想される。

坂本亞矢奈
 亜矢奈の視点から、亜矢奈とその友人・礼香、雄介と智也の高校時代の人間関係が描かれて行く。
 坂本は水泳部に所属。智也も水泳部に属し、智也は次期部長となる。智也は水泳だけが得意だった。これは一つの伏線になっている。また、礼香は雄介に惹かれている。
 2年生の夏休みの宿題に職場体験がある。雄介は父の会社での職責名称と漫画『帝国のルール』に登場するウィンクラー大佐の役職名称との類似性から、勝手なイメージを膨らませていた。雄介の父が勤める会社で4人は職場体験を行う。それは雄介にとり勝手に思い込んだイメージが崩壊するほろ苦い思い出になる。

安藤与志樹
 安藤は北海道大学の学生である。学部は違うが、雄介も智也も北大の学生になった。
 大学時代のそれぞれの生き方、試行錯誤が描かれて行く。
 安藤は「半径5メートルを変えようと奮闘する若者たちに光を当てるスペシャル番組」に出演し、同様に出演した雄介を知り、雄介との関係ができていく。当初、安藤は音楽と言葉で政治を身近にしようという行動をし、RAVERSというグループを立ち上げる。だが、その行動は挫折へと向かい、安藤は生き方を変えていく。安藤はスペシャル番組に出演した波多野めぐみの活動に関わりを持っていく。
 安藤の目線を介して、半径5メートルを変えようとさまざまな分野で「生きがい」を求めて行動する若者群像が描かれていく。併せて雄介が己の行動を通じて変えようとする対象が移っていく姿が書き込まれていく。その陰には智也が常に居た。
 ある時期の北海道大学のキャンパスの雰囲気が描き込まれている。
 安藤を介して、海山伝説と漫画『帝国のルール』との関係性が俎上に上ってくる。ここでもう一つの伏線が加わっていく。
 ここに描かれた北海道大学の雰囲気と伝統行事が興味深い。それ自体フィクションなのかもしれないが・・・・。

弓削晃久
 ここで初めて、中年男が登場する。彼もまた己の生き方に不完全燃焼気味のやるせなさを抱いている。テレビ番組制作会社で特にドキュメンタリーを扱うディレクターであるが、落ち目になりつつある。その弓削は、北大の学生自治存続問題をドキュメンタリーにする企画に関わっていた。その企画は中止になった。その弓削がテレビ局の石渡から毒ガス製造の拠点として使用されていた嬉泉島を題材にしたドクメンタリーの話を持ちかけられる。一方、その島は海山伝説発祥の地「鬼仙島」と同じではないかという説も囁かれ出しているという。弓削はこの企画にやる気と生きがいを感じ始める。
 この企画の裏付けを調べて行く中で、「嬉泉島渡航計画/海山伝説駆逐計画」の名の下に人々を集め訓練するという施設のリーダー「長老」の存在が明らかになってくる。この時この制作会社で前田一洋がアルバイトをしていた。そこで前田は突然に南水智也に連絡を取る。その結果弓削と南水智也とに接点が生まれる。智也が行動に出たのはそこに雄介が関係しているからだった。ストーリーは急転回していくことに・・・・。

南水智也
 305号室のベッドに植物人間状態で横たわる智也。智也の聴覚だけは機能している。その智也は雄介が病室に来ていること、友里子の話すこと、ショウタと雄介の会話のこと、などすべて聴いている。この状態で智也ができることは、雄介と己の関わりを回想していくことである。つまり、この回想の叙述により、智也が植物人間になるまでの経緯が明らかになって行く。
 305号室に看護師の友里子が居て、坂本亞矢奈が訪れている場に、田中一洋が智也の見舞いに訪れてくる。そして、そこに雄介がやってくる気配がする。それがこのストーリーのクライマックスとなる。智也に劇的な現象が起こる。

 智也自身の回想の中で、雄介に語りかけることとして、次の文の個所がある。
 「・・・・・、立ち向かう何かに対して命を注ぐことで、死ぬまでの時間に何かしらの意味を付与していないと不安でたまらないこと。」「・・・・・・、別々なものとして共に生きていくためにはどうすればいいかを考える、それでは、雄介の言う生きがいには足らないだろうか」
 他のセクションではそれぞれが己の「生きがい」に目を向けているのに対し、智也はこう回想の中でこのようなフレーズを含めた問いかけを雄介にする。「死にがいを求めて生きているの」という本書のタイトルは、このあたりの文脈に由来するように私は受けとめた。

 この小説は、海山伝説の柵を基底にしながら、「生きがい」とは何かについて、さまざまな登場人物を介して彼らの行動と思い悩む姿を描き出すことがテーマとなっているように感じた。そして、読者に対し「生きがいとは?」を投げかけるストーリーである。
 海山伝説が雄介・智也にどう関わり、どう影響しているかについては、本書を開けて楽しんでいただくとよい。

 ご一読ありがとうございます。


本書から関心を抱いた事項で事実レベルでの情報をネット検索してみた。得られた事項を一覧にしておきたい。
寮長挨拶 :「北海道大学恵迪寮」
【全文公開】平成7年度卒論『北海道大学恵迪寮における「自治」の意味付けの分析』:「note」
大久野島の毒ガス製造 :ウィキペディア
地図から消されていた毒ガスの島、広島「大久野島」に残る戦争遺跡:「LINEトラベル」

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「螺旋」プロジェクトに関連する次の小説の読後印象をまとめています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ウナノハテノガタ』  大森兄弟  中央公論新社
『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社
『もののふの国』  天野純希  中央公論新社
『蒼色の大地』  薬丸 岳   中央公論新社
『コイコワレ』  乾ルカ    中央公論新社
『天使も怪物も眠る夜』  吉田篤弘  中央公論新社