読後感の爽やかな時代小説だった。
鹿伏山から南に流れ、川幅が五町にもなり流れの急な巨勢川が御定法により川止めとなる。その汐井宿がこの物語の舞台である。ここは上野藩六万石の領内で、隣国の綾瀬藩に仕える軽格の武士・伊藤七十郎が巨勢川の川止めに遭う。そこで、六尺褌だけの裸同然の姿にぼろぼろの半纏をひっかけた素足の男、川止めのため宿賃稼ぎの土俵積みをしていた牢人・佐々豪右衛門に声をかけられる。そして川明け待ちまで、泊まる木賃宿の世話を受ける。こんな場面から話が始まる。
粗末な藁葺二階建ての木賃宿。武士が泊まる宿にふさわしいものとは言えないが、川止めがいつまで続くか解らないし、軽格の武士でもあり、七十郎は案内された木賃宿に宿泊することにする。
一階には中年の百姓や町人の泊まり客。二階は豪右衛門の他に、徳元という坊主、弥之助という猿回し、門付けの鳥追いらしき女、やくざ風の風体の若い男が泊まっている。七十郎は、この二階に泊まり込む。
七十郎は自らも認める綾瀬藩内一の臆病者。藩内には派閥の対立が起こっている。一つは中老稲垣頼母の派閥であり、他の派閥の領袖は江戸家老甘利典膳だ。小身の出だが藩財政の建て直しに尽力した成り上がりで、再建過程で大阪商人と結託している人物だ。稲垣頼母が下城途中で襲撃され亡くなると、頼母の指南役のような立場で派閥に属していた元勘定奉行の増田惣右衛門が派閥の領袖におさまる。この人物、頼母の父が在世中、その懐刀として派閥を動かしていた狡猾無類な策士である。稲垣派は頑迷な保守派の色彩を濃くする。増田惣右衛門は、甘利典膳が私腹を肥やしているという証拠をつかむ。その渦中で、儒学者佐久間兼堂に師事していた若者十八人が藩政改革の建白書を国家老の沼田四郎兵衛に出して、上宮寺に立て籠もる。この上宮寺党に七十郎が加わらなかったのも臆病故だった。国家老は、江戸在住の藩主に早馬を走らせ裁可を仰ぐ。江戸家老甘利典膳が急遽帰国してくるという。
こんな状況の下で、七十郎は増田惣右衛門の呼び出しを受け、甘利典膳の刺客となる命令を受ける。七十郎の亡父が稲垣派に属していた為である。藩内一の臆病者に刺客がつとまるのか?「そなたの臆病は有名だ。だからこそ、甘利典膳も油断して、そなたを刺客とは思わぬだろう」「不意をつけば、なんとかなるのではないか」
そこに、稲垣頼母の娘美祢が上宮寺党の十八名の命を助けてほしいと関わってくる。
刺客を引き受けた七十郎は、巨勢川の川明けで甘利典膳が渡川してきたところを待ち、与えられた使命を果たそうとする。
川止めで木賃宿に泊まり込んでいる間に、七十郎は豪右衛門に尋ねられ、二階にいる皆の前で刺客としてここにきている内情を話してしまう。一方で、豪右衛門のお節介もあり、一階に泊まり込む百姓や二階の町人などの事情にも関わっていくことになる。また、この木賃宿で起こった事件に巻き込まれていく。上野藩領内で巨勢川が氾濫した時の状況と顛末、刃傷沙汰、藩内を騒がせている流れ星と名のる盗人事件など・・・・・
上野藩という小藩の政事の非情と人間模様、綾瀬藩の派閥抗争に渦巻く策謀と策謀の二重構造などが、鮮やかに描かれていく。
なぜ、藩内一の臆病者が刺客を命じられたのか。そこに現れる駆け引きと人々の関わり方が読みどころであり、おもしろい。そして、百姓・町人との関わりを深める中で、ひとの思いの真実を見分けることができるようになり、武士という己を捉え直していく七十郎の姿が興味深い。父から体を鍛えるためにと教えられ修練した秘技を武士として卑怯だとし使わないと決め、臆病者と自認する男が持つ自覚のない強さとユーモラスさがおもしろく描かれている。
文中のこんな一節が心に残る。
*(わたしは武士だ-)
何か大切なもののために刀を抜かなければならないと思った。
*もうじき川明かりが見えます。日が暮れて、あたりが暗くなっても川は白く輝いているんです。ほら-
川面だけが白く輝いているのを見ると、元気になれる。なんにもいいことがなくっても、ひとの心には光が残っていると思えるからって。
*豪右衛門さん、女はね、一度でも誰かに大切にしてもらうと、自分を大切に思って生きていくことができるんです。わたしは七十郎さんから一生、胸に抱いていける宝物をもらったんですよ。
*わたしは臆病者かもしれませんが、それでもひとを守ることを知っています。
*身をもって得たものこそが、そなたにとって大切なものとなろう。
大切にせねばならぬ者のことを何と呼ぶか存じておるか。
友だ-
副次的に、川止めがどのように一般庶民を悩ませたものかということを感じることができた。
臆病者を自認する武士の物語、おもしろい設定だ。武士とは何か。
ご一読、ありがとうございます。
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この小説に出てくる語句の幾つかをネット検索してみた。時代背景を考える材料になるだろう。横道にそれた話材として・・・・
巨勢川 :佐賀市地域文化財データベースサイト
このあたりがこのフィクションの舞台設定なのかどうか、さだかではないが・・・
川越し と 川止め :kidsnet
川止めと文金高島田 :俳優・守田比呂也の見たり聞いたり、話したり
「川越制度と川会所」について :島田市のサイトから
鳥追い :ウィキペデイア
旅籠屋と木賃宿の違い :よここくnavi
「東海道ルネサンス」というページ、けっこう楽しめそうです。
東京の木賃宿 孝徳秋水
明治の風景。ネット検索のおもしろい余録です。
桃割れ :アズマ かつらの変わり髷
日本刀の手入れ方法 :日本美術刀剣保存協会
微塵流 :ウィキペディア
無外流 :ウィキペディア
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鹿伏山から南に流れ、川幅が五町にもなり流れの急な巨勢川が御定法により川止めとなる。その汐井宿がこの物語の舞台である。ここは上野藩六万石の領内で、隣国の綾瀬藩に仕える軽格の武士・伊藤七十郎が巨勢川の川止めに遭う。そこで、六尺褌だけの裸同然の姿にぼろぼろの半纏をひっかけた素足の男、川止めのため宿賃稼ぎの土俵積みをしていた牢人・佐々豪右衛門に声をかけられる。そして川明け待ちまで、泊まる木賃宿の世話を受ける。こんな場面から話が始まる。
粗末な藁葺二階建ての木賃宿。武士が泊まる宿にふさわしいものとは言えないが、川止めがいつまで続くか解らないし、軽格の武士でもあり、七十郎は案内された木賃宿に宿泊することにする。
一階には中年の百姓や町人の泊まり客。二階は豪右衛門の他に、徳元という坊主、弥之助という猿回し、門付けの鳥追いらしき女、やくざ風の風体の若い男が泊まっている。七十郎は、この二階に泊まり込む。
七十郎は自らも認める綾瀬藩内一の臆病者。藩内には派閥の対立が起こっている。一つは中老稲垣頼母の派閥であり、他の派閥の領袖は江戸家老甘利典膳だ。小身の出だが藩財政の建て直しに尽力した成り上がりで、再建過程で大阪商人と結託している人物だ。稲垣頼母が下城途中で襲撃され亡くなると、頼母の指南役のような立場で派閥に属していた元勘定奉行の増田惣右衛門が派閥の領袖におさまる。この人物、頼母の父が在世中、その懐刀として派閥を動かしていた狡猾無類な策士である。稲垣派は頑迷な保守派の色彩を濃くする。増田惣右衛門は、甘利典膳が私腹を肥やしているという証拠をつかむ。その渦中で、儒学者佐久間兼堂に師事していた若者十八人が藩政改革の建白書を国家老の沼田四郎兵衛に出して、上宮寺に立て籠もる。この上宮寺党に七十郎が加わらなかったのも臆病故だった。国家老は、江戸在住の藩主に早馬を走らせ裁可を仰ぐ。江戸家老甘利典膳が急遽帰国してくるという。
こんな状況の下で、七十郎は増田惣右衛門の呼び出しを受け、甘利典膳の刺客となる命令を受ける。七十郎の亡父が稲垣派に属していた為である。藩内一の臆病者に刺客がつとまるのか?「そなたの臆病は有名だ。だからこそ、甘利典膳も油断して、そなたを刺客とは思わぬだろう」「不意をつけば、なんとかなるのではないか」
そこに、稲垣頼母の娘美祢が上宮寺党の十八名の命を助けてほしいと関わってくる。
刺客を引き受けた七十郎は、巨勢川の川明けで甘利典膳が渡川してきたところを待ち、与えられた使命を果たそうとする。
川止めで木賃宿に泊まり込んでいる間に、七十郎は豪右衛門に尋ねられ、二階にいる皆の前で刺客としてここにきている内情を話してしまう。一方で、豪右衛門のお節介もあり、一階に泊まり込む百姓や二階の町人などの事情にも関わっていくことになる。また、この木賃宿で起こった事件に巻き込まれていく。上野藩領内で巨勢川が氾濫した時の状況と顛末、刃傷沙汰、藩内を騒がせている流れ星と名のる盗人事件など・・・・・
上野藩という小藩の政事の非情と人間模様、綾瀬藩の派閥抗争に渦巻く策謀と策謀の二重構造などが、鮮やかに描かれていく。
なぜ、藩内一の臆病者が刺客を命じられたのか。そこに現れる駆け引きと人々の関わり方が読みどころであり、おもしろい。そして、百姓・町人との関わりを深める中で、ひとの思いの真実を見分けることができるようになり、武士という己を捉え直していく七十郎の姿が興味深い。父から体を鍛えるためにと教えられ修練した秘技を武士として卑怯だとし使わないと決め、臆病者と自認する男が持つ自覚のない強さとユーモラスさがおもしろく描かれている。
文中のこんな一節が心に残る。
*(わたしは武士だ-)
何か大切なもののために刀を抜かなければならないと思った。
*もうじき川明かりが見えます。日が暮れて、あたりが暗くなっても川は白く輝いているんです。ほら-
川面だけが白く輝いているのを見ると、元気になれる。なんにもいいことがなくっても、ひとの心には光が残っていると思えるからって。
*豪右衛門さん、女はね、一度でも誰かに大切にしてもらうと、自分を大切に思って生きていくことができるんです。わたしは七十郎さんから一生、胸に抱いていける宝物をもらったんですよ。
*わたしは臆病者かもしれませんが、それでもひとを守ることを知っています。
*身をもって得たものこそが、そなたにとって大切なものとなろう。
大切にせねばならぬ者のことを何と呼ぶか存じておるか。
友だ-
副次的に、川止めがどのように一般庶民を悩ませたものかということを感じることができた。
臆病者を自認する武士の物語、おもしろい設定だ。武士とは何か。
ご一読、ありがとうございます。
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この小説に出てくる語句の幾つかをネット検索してみた。時代背景を考える材料になるだろう。横道にそれた話材として・・・・
巨勢川 :佐賀市地域文化財データベースサイト
このあたりがこのフィクションの舞台設定なのかどうか、さだかではないが・・・
川越し と 川止め :kidsnet
川止めと文金高島田 :俳優・守田比呂也の見たり聞いたり、話したり
「川越制度と川会所」について :島田市のサイトから
鳥追い :ウィキペデイア
旅籠屋と木賃宿の違い :よここくnavi
「東海道ルネサンス」というページ、けっこう楽しめそうです。
東京の木賃宿 孝徳秋水
明治の風景。ネット検索のおもしろい余録です。
桃割れ :アズマ かつらの変わり髷
日本刀の手入れ方法 :日本美術刀剣保存協会
微塵流 :ウィキペディア
無外流 :ウィキペディア
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