原著者・翻訳者の名前は知っているが、『赤毛のアン』はアニメ映画で知っているだけで、本を読んではいない。だが親近感と表紙に惹かれて読んだ。なかなか楽しい本である。写真を中心に据えながら赤毛のアンについて、その全体像をわかりやすく受け止められる工夫がなされている。サブタイトルが「素敵に暮らしたいあなたへの夢案内」とあるが、夢案内を裏切らないできばえになっていると感じる。
まずは全体構成をご紹介しよう。表紙をめくると、巻頭とじこみ附録として川上尚子さんのイラスト画「アヴォンリー村マップ」がある。そして、内表紙、目次に続く。
4章構成になっているが、その前に「こんにちは。アンの島」と題して、写真家・吉村和敏さんの素敵な写真が12ページに渡って載っている。そして、
第1章 物語の世界 第2章 プリンス・エドワード島の魅力
第3章 アン風の暮らし 第4章 アンと私たち
という章立てである。それぞれ独立した内容なので、どの章からでも読み進めることができる。しかし、まず吉村さんの写真を眺めるのをお薦めする。夢案内にふさわしいと判断するからだ。
「こんにちは。アンの島」とは、『赤毛のアン』の原作者L・M・モンゴメリの生まれた島であり、『赤毛のアン』のモデルとなっている実在する島をさす。原作者を育み、アンの豊かな想像力をさらに開花させた島、プリンス・エドワード島(以下、PEIと略記)である。この島はカナダの東部に位置し、広さは愛媛県と同じくらいで、なんとカナダのなかで最も小さい州なんだとか。
写真家吉村さんは、20代の頃、この島に住みながら撮影を重ねたという。今も毎年訪れているそうだ。だからこそ、島の四季折々の中から、美しい風景を選び抜けたのだろう。原作者の生きた世界、アンの世界にすっと入り込んでいく夢案内にふさわしい風景にまず魅了される。川上さんのイラスト図と実在の風景を重ねていくと、『赤毛のアン』愛読者にはアンの生きるヴァーチャル世界がまさにリアルに動き始めることだろう。
各章にも写真やイラストが沢山載せられている。自然の風景、建物、室内、日常風景など、PEIの魅力を様々な角度から楽しめる構成になっている。
「第1章 物語の世界」は、赤毛のアン、アン・シャーリーの魅力を、まず「涙・友情・恋・家族・道・」という5つの観点から、小説からの引用章句とその補足説明、写真で綴っていく。愛読者には、あっ!この章句はあの場面!と連想できて楽しいのではないか。
*これからは、精いっぱい、いいことをするつもりよ。もう二度と美しくなろうなんて思わないわ。もちろん、よい人になることのほうがいいわ。それはわかっているんだけれど、でもときどき、そうとは思っても、それをなかなか信じられないことがあるのね。あたしほんとうに、よい人にないたいのよ、マリラ。 p24
*あたしには感謝すべきことがたくさん、あるのもわかっているんです。
・・・・あたしはね、友情をそれはそれは感謝しています。友情は人生を美しくしますもの。 p32
*きょうはあたしたちの幸福の誕生日よ。
あたしはダイアモンドも大理石もほしくはないわ。あたしがほしいのはあなただけ。 p38
*ミス・ステイシーが・・・・話してくださったのよ。ティーン・エージの者が、どんな習慣をつくり、どんな理想をもつかということは、とても重大なんですってね。なぜなら、二十になるころまでにあたしたちの性格ができあがって、一生の基礎がかたまってしまうからなんですって。 p50
*もしあたしがなかったら味わえなかったろうというものを世の中に贈りたいの。p52
キラリと光る引用章句が他にも沢山載っている。3番目の言葉など、まさに殺し文句である。言える相手が見つかれば素晴らしい!そう言われてたら、もっと素晴らしいことだろう。
そして、「アンの歩んだ道」として0歳から54歳までの出来事の年表が載っている。新潮文庫で全10巻のアンの世界を超ダイジェストで理解できることになる。これは便利だ。ストーリーの流れの時間軸が見えるのだから。愛読者には改めて頭の整理に役立つことだろう。
この第1章に「L・M・モンゴメリの生涯」として、6ページで簡潔な伝記がまとめられている。著者を知り、アンの世界と重ね合わせると、違った興趣が導きだされるのではないかと推測する。まず惹かれたのは、モードって美人だったんだ! ということ。
末尾に「ルーシー・モード・モンゴメリ略年譜」が付いていて、これまた便利である。その後に関連情報の簡潔なまとめカタログがある。
「第2章 プリンス・エドワード島の魅力」には、実際の島の暮らしの一端が数多くの写真とともに綴られている。そして、「PEIの楽しみ方」ノウハウでまとめている。副題に記す「島のとりこになった人へ」の積極的なメッセージだ。
「第3章 アン風の暮らし」は、副題そのもの。「アンのように暮らしたい人へ」
この章、「アンが過ごした夢の部屋」として、「パティの家、塔の部屋、夢の家、炉辺荘」がイラスト図・解説文付きで各見開き2ページでアンの部屋に入り込める趣向である。愛読者はイラストから小説の描写が甦ってくるのでは・・・・そんな気がする。
そして、料理とクラフトのレシピが載り(7ページ)、赤毛のアンの「お料理辞典」(7ページ)・「インテリア用語辞典」(9ページ)で締めくくる。まさに赤毛のアン愛読者ならではのページである。現時点の私には、ああこのような内容が10巻の中にでてくるのか・・・に留まるのだが。料理のレシピはそれを誰かが作ってくれたら、味わいたい!
「第4章 アンと私たち」は、『赤毛のアン』の翻訳者・村岡花子に焦点を当ててまとめられた「私たちとアンをつなぐもの」である。翻訳者の娘さん、村岡みどりさんが「村岡花子と『赤毛のアン』」というタイトルで、村岡花子の簡潔な伝記をまとめられている。モードの伝記同様、この伝記も一読の価値あり、としてお薦めする。村岡花子がどんな時代背景の中で、どのように原書に巡りあい、翻訳を始めたのかの経緯が理解できる。次の箇所だけ、引用しておこう。私にはこの簡潔な伝記の要の文章に思われる。
「昭和20年、8月15日、やっと終戦となりました。去って行ったカナダの宣教師たちへの感謝と友情の証しとして、また自分自身が強く生きて行くためにも、家中の紙をあつめて訳しつづけていたアンの翻訳は遂に完成し、大きな風呂敷包みとなっていました。しかし、しばらくは、出版のあてもないまま、戸棚にしまわれたままでした。」(p125)
モードの伝記同様、「村岡花子年譜」も付記されている。本書を読み、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」が開設されているということを初めて知った。
『赤毛のアン』は1952年、三笠書房から出版されたのが最初である。その当時、カナダの作家L・M・モンゴメリは、日本では名前すら知られていない存在だったようである。 第2次世界大戦が始まるのが1941年12月。日本と西欧諸国の関係が険悪化していく中、宣教師たちが追われるようにして日本を去るのが1939年。村岡花子は宣教師の一人、ミス・ショーから「大きな時代の流れとともに失われていく世界の代わりに」(p124)1冊の本を残されたという。それが『アン・オブ・グリン・ゲイブルズ』だった。つまり『赤毛のアン』の英書である。
時代背景を考えると、一層感興溢れるものがある。
赤毛のアンの背景と全体像を知るガイドブックとして、まさに最適である。
ご一読ありがとうございます。
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いくつか関連項目をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
プリンス・エドワード島へようこそ 州政府・カナダ・公式ガイド
赤毛のアン記念館・村岡花子文庫 ホームページ
Anne of Green Gables オフィシャルサイト
こちらのページで映画の抜粋ビデオが見られるます。
Lucy Maud Montgomery :From Wikipedia, the free encyclopedia
L・M・モンゴメリ :ウィキペディア
村岡花子 :ウィキペディア
The L.M. Montgomery Research Centre Web site
Lucy Maud Montgomery's birthplace, ca.1880's, Clifton, P.E.I.
Lucy Maud Montgomery age 17, ca. 1891. P.E.I. (P.W. College)
The L.M. Montgomery Institute of U.P.E.I.
Her life
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まずは全体構成をご紹介しよう。表紙をめくると、巻頭とじこみ附録として川上尚子さんのイラスト画「アヴォンリー村マップ」がある。そして、内表紙、目次に続く。
4章構成になっているが、その前に「こんにちは。アンの島」と題して、写真家・吉村和敏さんの素敵な写真が12ページに渡って載っている。そして、
第1章 物語の世界 第2章 プリンス・エドワード島の魅力
第3章 アン風の暮らし 第4章 アンと私たち
という章立てである。それぞれ独立した内容なので、どの章からでも読み進めることができる。しかし、まず吉村さんの写真を眺めるのをお薦めする。夢案内にふさわしいと判断するからだ。
「こんにちは。アンの島」とは、『赤毛のアン』の原作者L・M・モンゴメリの生まれた島であり、『赤毛のアン』のモデルとなっている実在する島をさす。原作者を育み、アンの豊かな想像力をさらに開花させた島、プリンス・エドワード島(以下、PEIと略記)である。この島はカナダの東部に位置し、広さは愛媛県と同じくらいで、なんとカナダのなかで最も小さい州なんだとか。
写真家吉村さんは、20代の頃、この島に住みながら撮影を重ねたという。今も毎年訪れているそうだ。だからこそ、島の四季折々の中から、美しい風景を選び抜けたのだろう。原作者の生きた世界、アンの世界にすっと入り込んでいく夢案内にふさわしい風景にまず魅了される。川上さんのイラスト図と実在の風景を重ねていくと、『赤毛のアン』愛読者にはアンの生きるヴァーチャル世界がまさにリアルに動き始めることだろう。
各章にも写真やイラストが沢山載せられている。自然の風景、建物、室内、日常風景など、PEIの魅力を様々な角度から楽しめる構成になっている。
「第1章 物語の世界」は、赤毛のアン、アン・シャーリーの魅力を、まず「涙・友情・恋・家族・道・」という5つの観点から、小説からの引用章句とその補足説明、写真で綴っていく。愛読者には、あっ!この章句はあの場面!と連想できて楽しいのではないか。
*これからは、精いっぱい、いいことをするつもりよ。もう二度と美しくなろうなんて思わないわ。もちろん、よい人になることのほうがいいわ。それはわかっているんだけれど、でもときどき、そうとは思っても、それをなかなか信じられないことがあるのね。あたしほんとうに、よい人にないたいのよ、マリラ。 p24
*あたしには感謝すべきことがたくさん、あるのもわかっているんです。
・・・・あたしはね、友情をそれはそれは感謝しています。友情は人生を美しくしますもの。 p32
*きょうはあたしたちの幸福の誕生日よ。
あたしはダイアモンドも大理石もほしくはないわ。あたしがほしいのはあなただけ。 p38
*ミス・ステイシーが・・・・話してくださったのよ。ティーン・エージの者が、どんな習慣をつくり、どんな理想をもつかということは、とても重大なんですってね。なぜなら、二十になるころまでにあたしたちの性格ができあがって、一生の基礎がかたまってしまうからなんですって。 p50
*もしあたしがなかったら味わえなかったろうというものを世の中に贈りたいの。p52
キラリと光る引用章句が他にも沢山載っている。3番目の言葉など、まさに殺し文句である。言える相手が見つかれば素晴らしい!そう言われてたら、もっと素晴らしいことだろう。
そして、「アンの歩んだ道」として0歳から54歳までの出来事の年表が載っている。新潮文庫で全10巻のアンの世界を超ダイジェストで理解できることになる。これは便利だ。ストーリーの流れの時間軸が見えるのだから。愛読者には改めて頭の整理に役立つことだろう。
この第1章に「L・M・モンゴメリの生涯」として、6ページで簡潔な伝記がまとめられている。著者を知り、アンの世界と重ね合わせると、違った興趣が導きだされるのではないかと推測する。まず惹かれたのは、モードって美人だったんだ! ということ。
末尾に「ルーシー・モード・モンゴメリ略年譜」が付いていて、これまた便利である。その後に関連情報の簡潔なまとめカタログがある。
「第2章 プリンス・エドワード島の魅力」には、実際の島の暮らしの一端が数多くの写真とともに綴られている。そして、「PEIの楽しみ方」ノウハウでまとめている。副題に記す「島のとりこになった人へ」の積極的なメッセージだ。
「第3章 アン風の暮らし」は、副題そのもの。「アンのように暮らしたい人へ」
この章、「アンが過ごした夢の部屋」として、「パティの家、塔の部屋、夢の家、炉辺荘」がイラスト図・解説文付きで各見開き2ページでアンの部屋に入り込める趣向である。愛読者はイラストから小説の描写が甦ってくるのでは・・・・そんな気がする。
そして、料理とクラフトのレシピが載り(7ページ)、赤毛のアンの「お料理辞典」(7ページ)・「インテリア用語辞典」(9ページ)で締めくくる。まさに赤毛のアン愛読者ならではのページである。現時点の私には、ああこのような内容が10巻の中にでてくるのか・・・に留まるのだが。料理のレシピはそれを誰かが作ってくれたら、味わいたい!
「第4章 アンと私たち」は、『赤毛のアン』の翻訳者・村岡花子に焦点を当ててまとめられた「私たちとアンをつなぐもの」である。翻訳者の娘さん、村岡みどりさんが「村岡花子と『赤毛のアン』」というタイトルで、村岡花子の簡潔な伝記をまとめられている。モードの伝記同様、この伝記も一読の価値あり、としてお薦めする。村岡花子がどんな時代背景の中で、どのように原書に巡りあい、翻訳を始めたのかの経緯が理解できる。次の箇所だけ、引用しておこう。私にはこの簡潔な伝記の要の文章に思われる。
「昭和20年、8月15日、やっと終戦となりました。去って行ったカナダの宣教師たちへの感謝と友情の証しとして、また自分自身が強く生きて行くためにも、家中の紙をあつめて訳しつづけていたアンの翻訳は遂に完成し、大きな風呂敷包みとなっていました。しかし、しばらくは、出版のあてもないまま、戸棚にしまわれたままでした。」(p125)
モードの伝記同様、「村岡花子年譜」も付記されている。本書を読み、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」が開設されているということを初めて知った。
『赤毛のアン』は1952年、三笠書房から出版されたのが最初である。その当時、カナダの作家L・M・モンゴメリは、日本では名前すら知られていない存在だったようである。 第2次世界大戦が始まるのが1941年12月。日本と西欧諸国の関係が険悪化していく中、宣教師たちが追われるようにして日本を去るのが1939年。村岡花子は宣教師の一人、ミス・ショーから「大きな時代の流れとともに失われていく世界の代わりに」(p124)1冊の本を残されたという。それが『アン・オブ・グリン・ゲイブルズ』だった。つまり『赤毛のアン』の英書である。
時代背景を考えると、一層感興溢れるものがある。
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Lucy Maud Montgomery :From Wikipedia, the free encyclopedia
L・M・モンゴメリ :ウィキペディア
村岡花子 :ウィキペディア
The L.M. Montgomery Research Centre Web site
Lucy Maud Montgomery's birthplace, ca.1880's, Clifton, P.E.I.
Lucy Maud Montgomery age 17, ca. 1891. P.E.I. (P.W. College)
The L.M. Montgomery Institute of U.P.E.I.
Her life
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