遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『新版 赤毛のアンの世界へ』 編集長 矢代伸一 Gakken

2014-06-27 23:58:38 | レビュー
 原著者・翻訳者の名前は知っているが、『赤毛のアン』はアニメ映画で知っているだけで、本を読んではいない。だが親近感と表紙に惹かれて読んだ。なかなか楽しい本である。写真を中心に据えながら赤毛のアンについて、その全体像をわかりやすく受け止められる工夫がなされている。サブタイトルが「素敵に暮らしたいあなたへの夢案内」とあるが、夢案内を裏切らないできばえになっていると感じる。

 まずは全体構成をご紹介しよう。表紙をめくると、巻頭とじこみ附録として川上尚子さんのイラスト画「アヴォンリー村マップ」がある。そして、内表紙、目次に続く。
 4章構成になっているが、その前に「こんにちは。アンの島」と題して、写真家・吉村和敏さんの素敵な写真が12ページに渡って載っている。そして、
  第1章 物語の世界   第2章 プリンス・エドワード島の魅力
  第3章 アン風の暮らし 第4章 アンと私たち
という章立てである。それぞれ独立した内容なので、どの章からでも読み進めることができる。しかし、まず吉村さんの写真を眺めるのをお薦めする。夢案内にふさわしいと判断するからだ。

 「こんにちは。アンの島」とは、『赤毛のアン』の原作者L・M・モンゴメリの生まれた島であり、『赤毛のアン』のモデルとなっている実在する島をさす。原作者を育み、アンの豊かな想像力をさらに開花させた島、プリンス・エドワード島(以下、PEIと略記)である。この島はカナダの東部に位置し、広さは愛媛県と同じくらいで、なんとカナダのなかで最も小さい州なんだとか。
 写真家吉村さんは、20代の頃、この島に住みながら撮影を重ねたという。今も毎年訪れているそうだ。だからこそ、島の四季折々の中から、美しい風景を選び抜けたのだろう。原作者の生きた世界、アンの世界にすっと入り込んでいく夢案内にふさわしい風景にまず魅了される。川上さんのイラスト図と実在の風景を重ねていくと、『赤毛のアン』愛読者にはアンの生きるヴァーチャル世界がまさにリアルに動き始めることだろう。

 各章にも写真やイラストが沢山載せられている。自然の風景、建物、室内、日常風景など、PEIの魅力を様々な角度から楽しめる構成になっている。
 「第1章 物語の世界」は、赤毛のアン、アン・シャーリーの魅力を、まず「涙・友情・恋・家族・道・」という5つの観点から、小説からの引用章句とその補足説明、写真で綴っていく。愛読者には、あっ!この章句はあの場面!と連想できて楽しいのではないか。

 *これからは、精いっぱい、いいことをするつもりよ。もう二度と美しくなろうなんて思わないわ。もちろん、よい人になることのほうがいいわ。それはわかっているんだけれど、でもときどき、そうとは思っても、それをなかなか信じられないことがあるのね。あたしほんとうに、よい人にないたいのよ、マリラ。    p24
 *あたしには感謝すべきことがたくさん、あるのもわかっているんです。
  ・・・・あたしはね、友情をそれはそれは感謝しています。友情は人生を美しくしますもの。  p32
 *きょうはあたしたちの幸福の誕生日よ。
  あたしはダイアモンドも大理石もほしくはないわ。あたしがほしいのはあなただけ。    p38
 *ミス・ステイシーが・・・・話してくださったのよ。ティーン・エージの者が、どんな習慣をつくり、どんな理想をもつかということは、とても重大なんですってね。なぜなら、二十になるころまでにあたしたちの性格ができあがって、一生の基礎がかたまってしまうからなんですって。  p50
 *もしあたしがなかったら味わえなかったろうというものを世の中に贈りたいの。p52

キラリと光る引用章句が他にも沢山載っている。3番目の言葉など、まさに殺し文句である。言える相手が見つかれば素晴らしい!そう言われてたら、もっと素晴らしいことだろう。

 そして、「アンの歩んだ道」として0歳から54歳までの出来事の年表が載っている。新潮文庫で全10巻のアンの世界を超ダイジェストで理解できることになる。これは便利だ。ストーリーの流れの時間軸が見えるのだから。愛読者には改めて頭の整理に役立つことだろう。
 この第1章に「L・M・モンゴメリの生涯」として、6ページで簡潔な伝記がまとめられている。著者を知り、アンの世界と重ね合わせると、違った興趣が導きだされるのではないかと推測する。まず惹かれたのは、モードって美人だったんだ! ということ。
末尾に「ルーシー・モード・モンゴメリ略年譜」が付いていて、これまた便利である。その後に関連情報の簡潔なまとめカタログがある。

 「第2章 プリンス・エドワード島の魅力」には、実際の島の暮らしの一端が数多くの写真とともに綴られている。そして、「PEIの楽しみ方」ノウハウでまとめている。副題に記す「島のとりこになった人へ」の積極的なメッセージだ。

 「第3章 アン風の暮らし」は、副題そのもの。「アンのように暮らしたい人へ」
 この章、「アンが過ごした夢の部屋」として、「パティの家、塔の部屋、夢の家、炉辺荘」がイラスト図・解説文付きで各見開き2ページでアンの部屋に入り込める趣向である。愛読者はイラストから小説の描写が甦ってくるのでは・・・・そんな気がする。
 そして、料理とクラフトのレシピが載り(7ページ)、赤毛のアンの「お料理辞典」(7ページ)・「インテリア用語辞典」(9ページ)で締めくくる。まさに赤毛のアン愛読者ならではのページである。現時点の私には、ああこのような内容が10巻の中にでてくるのか・・・に留まるのだが。料理のレシピはそれを誰かが作ってくれたら、味わいたい!

 「第4章 アンと私たち」は、『赤毛のアン』の翻訳者・村岡花子に焦点を当ててまとめられた「私たちとアンをつなぐもの」である。翻訳者の娘さん、村岡みどりさんが「村岡花子と『赤毛のアン』」というタイトルで、村岡花子の簡潔な伝記をまとめられている。モードの伝記同様、この伝記も一読の価値あり、としてお薦めする。村岡花子がどんな時代背景の中で、どのように原書に巡りあい、翻訳を始めたのかの経緯が理解できる。次の箇所だけ、引用しておこう。私にはこの簡潔な伝記の要の文章に思われる。
 「昭和20年、8月15日、やっと終戦となりました。去って行ったカナダの宣教師たちへの感謝と友情の証しとして、また自分自身が強く生きて行くためにも、家中の紙をあつめて訳しつづけていたアンの翻訳は遂に完成し、大きな風呂敷包みとなっていました。しかし、しばらくは、出版のあてもないまま、戸棚にしまわれたままでした。」(p125)
 モードの伝記同様、「村岡花子年譜」も付記されている。本書を読み、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」が開設されているということを初めて知った。
 『赤毛のアン』は1952年、三笠書房から出版されたのが最初である。その当時、カナダの作家L・M・モンゴメリは、日本では名前すら知られていない存在だったようである。 第2次世界大戦が始まるのが1941年12月。日本と西欧諸国の関係が険悪化していく中、宣教師たちが追われるようにして日本を去るのが1939年。村岡花子は宣教師の一人、ミス・ショーから「大きな時代の流れとともに失われていく世界の代わりに」(p124)1冊の本を残されたという。それが『アン・オブ・グリン・ゲイブルズ』だった。つまり『赤毛のアン』の英書である。
 時代背景を考えると、一層感興溢れるものがある。

 赤毛のアンの背景と全体像を知るガイドブックとして、まさに最適である。
 

 ご一読ありがとうございます。


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いくつか関連項目をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

プリンス・エドワード島へようこそ  州政府・カナダ・公式ガイド
赤毛のアン記念館・村岡花子文庫   ホームページ

Anne of Green Gables  オフィシャルサイト
  こちらのページで映画の抜粋ビデオが見られるます。

Lucy Maud Montgomery :From Wikipedia, the free encyclopedia
L・M・モンゴメリ   :ウィキペディア
村岡花子   :ウィキペディア

The L.M. Montgomery Research Centre Web site
   Lucy Maud Montgomery's birthplace, ca.1880's, Clifton, P.E.I.
   Lucy Maud Montgomery age 17, ca. 1891. P.E.I. (P.W. College)

The L.M. Montgomery Institute of U.P.E.I.
   Her life


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『読書の技法』  佐藤 優   東洋経済新報社

2014-06-24 10:32:13 | レビュー
 副題が「誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術『超』入門」である。
 冒頭にカラー写真の8ページがある。最初のページでまず驚く。蔵書は自宅、仕事場(2ヶ所)合わせて約4万冊という。収納スペースは全体で約7万冊分を既に確保しているそうだ。ふと思い出した。大阪に司馬遼太郎記念館が開館した時、そこを訪れその蔵書に圧倒されたことを。また、本で読んだだけだが、
 つまり、知の巨人たちにはそれだけの情報源が背景にあり、その情報源の上に自らの卓見や創造が積み重ねられていくのだ。それだけの本をどう読むのか。それがその人の編みだした読書技法なのだろう。
 強烈な印象として通底する点は、彼らにとって「本」は自らの知的創造のための「道具」(情報源)であり、それらをどう使いこなすかのようだ。道具は使うためのものであり、ぼろぼろに汚くなってかまわない。そこから効用を引き出せればよい。使い方は様々なレベルがある。しょっちゅう使う道具もあれば、1回だけの道具など様々というところか。目的に合わせて使い分けるのだから、目的(執筆のテーマ)が増えれば、あるいは変われば、大小様々な道具(本)も変化していく。手にとって汚して使える道具は物理的に手許にないと、すぐには使えない。蔵書という形で道具が増えるのはあたりまえなのだろう。書架が林立する写真、本に囲まれた仕事場の写真を見るだけで、まずは強烈な刺激を受ける。

 「はじめに」と「おわりに」を読んでまずわかることは、本書は『週刊東洋経済』に2007年5月から連載された「知の技法 出世の作法」から読書に関する部分を抽出し大幅に加筆、編集して単行本化したもの。著者の読書術を初めて体系化したのが本書のようだ。知力をつけるために読書は不可欠。だが、その読書には読み方がある。時間は有限。その中でいかに本を読むか。著者は自らの読書術について「全力投球して書いたのが本書である」とする。さらに、「読書の技法というタイトルになっているが、物の見方・考え方、表現の仕方まで視野に入れているので、知の技法についての入門書と考えていただきたい」と言う。本書を読み、この点は確かにそこまで踏み込んで実体験を語り、助言がなされている。
 少しネット検索してみると、著者はこんな読書術関連の本も書いている。キーワード検索で見つけた順で記す。『功利主義者の読書術』(新潮文庫)、『世界と闘う「読書術」思想を鍛える一○○○冊』(共著・集英社新書)『野蛮人の図書室』(これも読書術に触れているかも)。私は未読だが。

 「時間が人間にとって最大の制約条件になる」(p3)から正しい読書法を身につける必要があると主張する。だから、月平均300冊以上に目を通す、多い月は500冊を越えると発言できるのだ。
 どうしてそんなに読めるのか? 秘密は読み方にあるようだ。
 熟読、普通の速読、超速読という3区分があり、読む/読まないの判断を的確にするギア・チェンジと読書法で本に目を通す。この読書術があるからこそ、効率的な読み方で300~500冊という冊数がはじき出されるのだ。「300冊のうち、熟読している本は洋書を含めて平均4~5冊である。500冊を越える場合でも、熟読しいるのは6~7冊だ。熟読する本を2冊増やすのは、そう簡単なことではない」(p26)と記す。
 著者自身の読書術による区分と内訳説明ではこうなる。
  熟読(読書ノート作成を含む)      4~5冊(あるいは6~7冊)
  普通の速読(30分から2~3時間での読書) 50~60冊
  超速読(1冊5分程度での処理)      240~250冊
 つまり、「どうしても読まなければならない本を絞り込み、それ以外については速読することである」(p26)という鉄則がある。MUSTの本=熟読については、この「熟読」レベルを押さえておくことが必要になる。

 著者の「熟読」概念の前提は、その分野やテーマに対して、根底の基礎知識が身についていて、強靱な思考力の錬磨が成されている/されることである。その上でのMUST(読まなければならない)の本ということなのだ。「熟読」の意味を押さえておく必要がある。
 著者の普段の「熟読」は基礎知識の先の発展的・応用的段階での話が中心なのだ。だから「著者の専門分野であるインテリジェンスやロシアについての新刊本であるならば、まったく新たに知る事項は5~20%程度である。その部分だけを熟読すればよい」(p27)のであり、それが「速読」との組み合わせによる読書術につながって行くのである。これは、新しい専門書もその分野のプロなら1~2割読めば著者の論点がわかるという同じ見解を他書で読んだことと共通する。やはり、そんなものか・・・と、改めて納得した。
 著者の論じる読書の技法を習得するには、まず「熟読」レベルの前提を我々はクリアすることから始めねばならないことになる。

 著者の言う「熟読」の前提、つまり基礎知識の学び方を明確に技法として説明している。ここは虚心に学ぶ必要がある。凡人の私はまずここから再出発する必要を痛感している。なぜなら、「重要なことは、知識の断片ではなく、自分の中にある知識を用いて、現実の出来事を説明できるようになることだ。そうでなくては、本物の知識が身についたとは言えない」(p58)と論じられると、返す言葉がないから・・・・。
 そこで、著者の技法を要約すると、
1)高校の教科書と学習参考書レベルの知識が基本である。これを確実に修得する。
 これは大学受験勉強式丸暗記の意味ではない。その分野の論理をきちんと理解した上での暗記ということだ。「ロシアの知的エリートは、大学入学前2徹底的に教科書を読み込む。・・・・ロシアやイギリスの知的エリートは、きちんと理解したうえで徹底的に暗記につとめるので、その知識が血肉となり、将来応用が利くものになる。」(p43-44)
 教科書は事項の羅列になっている箇所がある。学習参考書は自己完結型なのでそれで理解を補強できるから役立つという。
 「より高度な専門知識を身につけるために高校レベルの基礎知識が不可欠であるとの認識を持って、再度、教科書と受験参考書をひもとけば、その知識は確実に生きた知に転化する。」(p8)
2)その際、基礎知識の欠落部分を自己診断せよ。欠損部分の重点的補強が大事。
 それには、大学入試センターの試験問題が解けるかどうかが目安となる。
3)学習法として9つのポイントを意識する。
 ①テーマを決める、②事実を知る、③最新のデータを知る、この3つがまず基本。そして、④インタビューする、⑤専門書を読む、⑥アンケート調査をする、⑦レポートを書く、⑧プレゼンテーションをしてみる、⑨ディベートなどの方法を試みる、などのステップアップを行う。 (第Ⅱ部はこの1)~3)を詳説している。)
4)論理的思考力と読解力を鍛えること。
 p192-193に、論理について4つのポイント、文脈について3つのポイントが引用されている。読者のテキスト読解力が飛躍的に向上すると著者は請け負っている。ご一読されたい。

 その上で、普段の熟読の技法を説明している。要点はこうだ。
1)熟読する際の基本書は3冊、5冊と奇数にする。
 学説の偏りなどによる「刷り込み」を回避する。定義や見解はまず多数決で判断しておくため。基礎知識段階では、上級の応用知識まで欲張らないこと。
2)熟読法の要諦は、同じ本(=基本書)を3回読むことである。
具体的な「熟読の技法」手順をこう説明する。手順だけ抽出する。
 (1)まず本の真ん中くらいのページを読んでみる(第一読)
 (2)シャーペン(鉛筆)、消しゴム、ノートを用意する(第一読)
 (3)シャーペンで印をつけながら読む(第一読)
 (4)本に囲みを作る(第二読)
 (5)囲み部分をノートに写す(第二読)
 (6)結論部分を3回読み、もう一度通読する(第三読)
3)正確な知識を身につける。→突っ込んだ質問に答えられるレベルの理解と知識の定着
 「10冊の本を読み飛ばして不正確な知識をなんとなく身につけるより、1冊の本を読み込み、正確な知識を身につけたほうが、将来的に応用が利く」(p101)

 「速読」という概念に対して、著者の見解は非常に明確である。
 大前提がある。それは「速読」は「必要な情報を拾い上げる」分野の本にのみ適用するということ。娯楽のために楽しんで読む類いの本-小説や漫画など-は、それぞれ好きに読めばよいと切り離している。「速読」の要点を記す。
1)速読術は熟読術の裏返し概念である。熟読術を身につけずに速読術を体得することは不可能である。
  →ページのめくり方や視線の動かし方の指南本は役立たない。
2)速読術は読む必要のない本を排除するために必要である。
  →記載の言葉の定義がなく、先行思想の成果を踏まえていないデタラメ本の排除
  →自分にとって基礎知識のない専門書かどうかの判断。基礎知識がなければ排除
   読む必要があるなら、基礎知識の習得から始めること(=基本書の熟読)
3)「普通の速読」と「超速読」に区分する。いずれかの技法で読む。
 普通の速読: 400ページ程度の一般書や学術書を30分程度で読む技法
 超速読  : 1冊を5分程度で読む技法。これは「試し読み」が目的。
   試し読みとは、書籍を自分にとっての4つの範疇に区分するための評価。
   ①熟読する必要があるもの
   ②普通の速読の対象にして、読書ノートを作成するもの
   ③普通の速読の対象にするが、読書ノートを作成するには及ばないもの
   ④超速読にとどめるもの
4)「超速読」の技法 5分の制約を設けて読む。
 やり方
 (1)「序文の最初1ページ」と目次を読む
 (2)それ以外のページはひたすら全体を見て、ページをめくる。
 (3)気になる語句や箇所だけ、マーキング→シャーペンでの囲み、ポストイット利用、ページ折り
 (4)結論部の最後のページを読む
 目的 3)で述べた本の仕分け作業と本全体の当たりをつけるため。
5)「普通の速読」の技法 目的意識を明確に。完璧主義は論外。雑誌なら筆者で判断。
 「普通の速読」は頭に情報源の「インデックス」を整理して作るためのもの。
 (1)文字を早く目で追うために、定規を当てながら1ページ15秒で読む。
 (2)重要箇所はシャーペンで印をつけ、ポストイットを貼る。
 (3)まず、目次と初版まえがきを注意深く読み、それから結びを読む。
 (4)当たりをつけた重要な箇所は(1)(2)の技法で、それ以外は超速読する。

 最後に、著者は「読書ノート」の作り方を説明している。それは記憶を定着させるための抜き書きとコメントを走り書きするためという。読書で得たものを役に立つ知識にするための技法と言える。具体的な事例による説明が載っているので第Ⅰ部第4章を読んでいただくとよい。
 この章で著者は次の点を強調している。
・突っ込んだ質問をされて答えられるなら、取りこんだ知識は自分の中に定着している
・1冊の本を読み込み、正確な知識を身につけたほうが、将来的に応用が利く
・大切なのは正確な形でデータを引き出せることと、積み重ねた知識を定着させること
・レーニンの読書ノートの作り方に学べ
・蓄積された知識はビジネスの武器になる

 著者は読書の技法を説明する際、自分の読んだ本を例示して、技法を踏まえながら論及を広げている。そこに、「物の見方・考え方、表現の仕方」が自ずと発露されている。結果的に技法を超えた視野が本書に広がっているといえる。
 愕然としたのは、著者が例えばとして例に出してきている大半の書籍名は初めて目にするものばかり・・・・だった。著者の論点と重ねられる、あるいは対比・共有できる知識/情報の定着以前であり、それらの書籍とは無縁だったことだ。
 もしこの本を手に取り、その例示本の内容をご存じならば、著者の論じている内容が一層おもしろくなるかもしれないと想像する。
 知の巨人、恐るべし・・・・。
 

 ご一読ありがとうございます。

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『生存者ゼロ』  安生 正   宝島社

2014-06-20 23:51:58 | レビュー
 途方もない設定である。しかし、不可能なように見えるエリアサイズでの「生存者ゼロ」があり得ないことではないという迫力があり、実にリアル感に溢れている。
 その事象は、北海道・根室半島沖、厳寒の北太平洋、沖合21海里にある東亜石油の石油掘削プラットフォームTR102との連絡が途絶えたという事件から始まる。矢臼別演習場での日米合同雪中訓練を終えたばかりの廻田にTR102への出動命令がかかる。TR102からの応答がないためテロ攻撃の可能性が高いという理由による。レンジャー部隊を率いて廻田は現地に向かう。TR102での作戦時間として許されたのは30分。
 だが、廻田たちが現地で遭遇したのは、作業服があるからようやく人間とわかるくらいの肉塊。顔面の皮膚はすべて溶解し、解剖人形を思わせるように表情筋がどす黒くむき出しになった死体のみ。全員死亡。テロ攻撃ではなかった。全身が壊死したように痛んでいる。実見した廻田にとって、「これはウィルスや細菌によるものとしか思えない。二年前、ウガンダでの任務にそなえ、アフリカ地区の感染症については一通り学んだが、こんな症例は見たことがない」(p32)というものだった。何らかの感染症か?

 序章は全く違う土地から始まる。中部アフリカのガボン南西部ニャンガ州である。
 本作品のもう一人の主人公・富樫裕也が登場する。密林に田当てられた小屋を研究施設として、彼はここで新種の微生物を探す仕事をしている。日本の国立感染症研究所でのパートナーだった妻・由美子と3歳になる息子・祐介を伴いこの地に入植して半年経過していた。富樫は気鋭の感染症学者だが、ある事件のせいで日本を追われたのだ。だがこの地での新種微生物探索の作業として捕獲した猿から採血する際に、誤って由美子が注射針を自分の親指に刺してしまう。富樫が救援を求めるが、救助を待つ期間に妻が亡くなる。祐介を託された富樫はその地からやむなく脱出を謀る。その富樫は、結果的に息子・祐介もなくし、日本に帰国。筑波研究学園都市で己を苛みながら一研究者として生きている。
 その富樫が突然に護送される犯人かのごとく首相官邸からの指示で警官に引っ張られていくことになる。
 TR102の作業員の命を奪った原因究明を依頼されるのである。研究する場所は、国立感染症研究所村山庁舎。そこに居たのは鹿瀬細菌第一部長。かつてこの国立感染研究所で研究に関して確執のあった同僚だった。もと富樫の部屋だったところを鹿瀬は部長の執務室としておさまっている。富樫は3年ぶりに落ちぶれた感染学者としてみすぼらしく帰還してきたことになる。

 富樫は審議官に2つの条件を出し、原因究明の研究に着手する。
1.仕事を終えた暁には、ガボンの施設の再建と研究継続の支援と許可を得られること。
2.この研究所では自分の自由に一人で研究ができること。個室と机一つの準備。並びにBSL-4実験室1つの占有ができること。BSLとはバイオセキュリティ・レベルを意味する。
 富樫の研究がスタートすることは、鹿瀬細菌第一部長との関わりがいやでも再開されることになる。ふたたび過去の事件を踏まえた二人の確執が始まっていく。その中で富樫が事件とかかわった経緯も明らかになっていく。そして、鹿瀬の企みも・・・・。

 TR102の事件から30日後、廻田は感染症の疑いで入らされていた感染症の隔離病棟から解放される。優秀なスナイパーであった館山三等陸曹-TR102に出動した廻田の部下-は原隊復帰の前に宿泊先ホテルの最上階から飛び降り自殺を図っていた。一命を取り留めた館山を廻田は見舞う。館山の富士山を見たいという希望を叶えてやるために、廻田は館山を病院の屋上に連れて上がってやる。喉の渇きを訴えた館山のために廻田が水を入手に離れた隙に、館山は再度自殺を試み、死んでしまう。廻田にとっては、TR102への出動命令に館山を加えたことが、館山の死に対する責任、原罪意識となっていく。
 廻田は第一線のテロ対策部隊長から市ヶ谷の中央情報隊に異動の辞令を受ける。

 TR102事件から9ヶ月後、北海道標津群の川北町で突然恐怖の事象が勃発する。川北駐在所から中標津警察署地域課に着信が入る。北沢巡査部長が取った電話口に聞こえたのは「・・・た、助けて。・・・・助けて!」悲鳴が絶叫に変わり、途切れる。
 生存者ゼロの事態の始まりだった。
 帯広の第5旅団の宿舎に、年明けの雪中訓練の計画作成のために滞在していた廻田は、緊急事態発生、標津町まで飛べとの緊急命令を受ける。川北町の中心部でへりから観察した状況は、廻田がTR102で出会った光景と交錯するものだった。TR102の生存者ゼロの再現である。
 沖合21海里の絶海のプラットフォームから、なぜこの川北町につながるのか?

 TR102への緊急出動を体験し、川北町の現場も知っている廻田は、今後の防疫体制確立のために、急遽調査の担当者の命令を受けることになる。そして、廻田は富樫との交点が出来ていく。
 パンデミックが発生したのか? TR102事件の分析研究の報告書はお粗末なままだった。未だ3月時点から何も進歩していないままである。
 廻田は現地の現場調査に目指すことから着手する。川北町に入る入口で、廻田は立ち入りを拒否されて憤慨しているスタイルのよい若い女性に出会う。祖母の安否を確認のために東京から戻ってきたのだという。立入禁止処置に憤っているのだ。廻田が名前を尋ねると弓削亜紀と名乗った。祖母の名前は弓削佳代ということをおざなりに聞いて、廻田は町の中心部に向かう。
 この弓削亜紀と廻田はその後一緒にこの事件の解明に取り組むことになるとは思いも及ばないことだった。

 翌年1月24日、道東の町を壊滅させたパンデミックが、今度は足寄町で発生したのだ。
 
 パンデミックの状況はなぜか、周期性をもって西に広がっていく。廻田はその周期性の気づき始める。
 研究に取り組んでいた富樫は、妻と子の死に苛まれコカインを常用するようになっていた。ある段階で、富樫は鹿瀬細菌第一部長の仕掛けた罠にはまり、麻薬中毒患者専用の施設に収容されることになっていた。
 鹿瀬の研究活動には何ら進展は見られない。廻田は富樫との直接接触することに進んで行く。そこにあの弓削亜紀が参画してくることになる。
 原因解明のためには、原点回帰が必須と判断し、再びTR102のプラットフォームに立つことになる。再調査からの出発。だがそこから原因究明が進展する。パンデミックの正体は思わぬ原因にあった。

 パンデミックは、TR102-川北町-足寄町-夕張・北見沢へと移動し、遂に札幌近郊に侵入する形に進展する。第7師団、第11師団、そして第5旅団の一部を札幌防衛のために投入する方針が実行に移されるのだが・・・・・ 第5章は息詰まる急展開の描写となる。読ませどころである。だが、このパンデミックの正体に対して、自衛隊は無力だった・・・。
 どういう結末となるかが、楽しめる作品だ。奇抜なようで、すごく説得力がある。実におもしろい結末である。
 
 もう一つ興味深いのは、コカイン中毒者になっている富樫が口にする幻影的な神との出会いからの言葉である。「パウロの黙示録」その御使として審判する側に選ばれた者、「そこで選ばれし者は試される」という思いである。富樫は廻田に5つの鉢の予言的言辞を語る。この5つの鉢がある意味で、この作品の展開のコマ回しのような役割りを担っている。

 この作品の根底にある主張を最後に引用しておこう。多分、これが少なくともその一つだと思う一節だ。
「人を想う心、人を気遣う心、それこそがこの難局に立ち向かう拠り所だ。どんな武器も、どんな軍隊も、強く折れない心に勝るものはない、廻田もそうありたいと願う」(p295)

 本書には細菌学や地質学に関連した専門用語が噴出する。その意味は横に置いておき、用語については字面を読み飛ばすだけで読んでも十分楽しめる。これらの専門用語は本書に緊迫感を与える形になっている。勿論、専門用語の意味を深く理解した上で読むならば、本作品の奥行きが一層深くなるのかもしれないけれど。私はそこまでは読み込んではいない。まあ、多少は調べてみたが・・・・。

 終章の末尾は、廻田が富樫のノートの最後の頁を読むシーンで終わる。
 --これこそが人類の運命を決する。下弦の刻印の意味を知るべきだ--
この「下弦の刻印」・・・・何なのか? 本作品には続編が予定されているのではないか・・・・そんな予感を抱く最後のシーンである。
 
 
 ご一読ありがとうございます。


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本作品に出てくる用語とその関連についてネット検索した結果を一覧にしておきたい。

表情筋 :「Hand-clap」
膜様落屑 ← これが膜様落屑です :「Dr.たけるの小児科メモ(帰国編?)」
連鎖球菌 :ウィキペディア
カポジ肉腫 :ウィキペディア
カポジ肉腫について :「国立感染症研究所 感染病理部」
エボラ出血熱 :「国立感染症研究所」
ブルーリ潰瘍 :「国立感染症研究所」
コンゴ出血熱 → クリミア・コンゴ出血熱  :「国立感染症研究所」
ラッサ熱  :「国立感染症研究所」
細菌の種類(好気性細菌と嫌気性細菌、細胞壁による分類と形状による分類)
  :「カラダの教科書」 
芽胞体 ← 芽胞  :ウィキペディア
炭疽菌   :ウィキペディア
バシラス属  :ウィキペディア
グラム陽性菌  微生物学講義録  吉倉 廣 氏
膿痂疹 →  伝染性膿痂疹 <皮膚の病気> :「家庭の医学」
セレネース  :「goo辞書」
古生代  :ウィキペディア
ペルム紀 :ウィキペディア
ベンド紀 → エディアカラン  :ウィキペディア
三葉虫 :ウィキペディア
アンモナイト  :ウィキペディア
黄泉津大神  世界大百科事典内の黄泉津大神の言及 :「コトバンク」
イザナミ  :ウィキペディア


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『検事の本懐』  柚月裕子  宝島社

2014-06-17 11:37:36 | レビュー
 私のよくやってしまうことだが、『検事の死命』読んで、それより先に『検事の本懐』が出版されているということを知った次第。そこで早速読んで見た。
 本書は5つの短編小説から構成されている。収録された第5話「本懐を知る」が、『検事の死命』に収録の「業をおろす」に連動していく。後者が完結編の位置づけとなっている。やはり、「本懐を知る」を読んでから「業をおろす」を読むのが素直な流れであることに納得する。だが、である。逆読みもまた、ああ・・・そういう繋がりになっていたのかと一歩奥に入る思いとなり、それなりにおもしろく読めたと感じている。

 さて、収録作品名を最初に列挙しておこう。「第1話 樹を見る」「第2話 罪を押す」「第3話 恩を返す」「第4話 拳を握る」「第5話 本懐を知る」である。
 どの作品にも検事左方貞人が登場するが、この作品集のおもしろいところは、登場の仕方、ストーリーの展開への関わり方にかなりバラエティがあることだ。検事としてストーリーの中心人物となり活躍する作品ばかりとは限らない。事件と深く関わっていく、あるいは何らかの関わりがあるという設定である。勿論、検事左方貞人が事件の真相を究明し、検察の正義を目指すという信条と行動はそこかしこにあらわれていく。少し変化球的な扱いのあるところが興味深いといえる。

 それでは収録作品の簡単な紹介と読後印象をまとめてみたい。
《 第1話 樹を見る 》
 本作品のタイトルは、「木を見て森を見ず」という格言の逆を行くという発想がキーになっている。
 作品の直接の中心人物は左方検事ではない。米崎東警察署長の南場照久が中心人物。そこに、警察学校の同期で同じ警視正だが、今や県警本部の刑事部長・佐野茂が絡んでゆく。話は県警本部での県内警察署長および本部所属長以上の幹部が集まった会議の場面から始まる。米崎東署管内で放火事件が継続的に発生し、遂に17件目が発生したのだ。
 人が住居として使用していない非現住建造物や公共の危険が発生する建造物以外への放火だったものが、13件目は住居に灯油をまかれた形跡のある放火であり、夫婦・乳児の3人が遺体で発見された。その時点で、県警本部と所轄の合同捜査本部が立つ。佐野が捜査本部長、副本部長に南場、実際に捜査現場を取り仕切るのが県警捜査1課長の須藤だった。指揮権は佐野にあり、須藤は佐野の手足。佐野が指揮をしながら17件目が発生した。
 佐野は捜査本部が機能しなかったのは、副本部長南場が須藤に捜査を混乱させるような意見をしたと決めつける。犯人逮捕より、自分の手柄を重視する佐野のやり方に南場は憤りを感じている。佐野は犯人が検挙できなかったのを南場のせいにしようとする。
 県警上層部にすり寄り出世街道を上る佐野は、同期である南場を目の敵にしている。警察学校時代は、南場の方が優秀だったことにもよる。連続の放火事件を解決できずに苦悩している南場。犯人検挙よりも、南場のひきずり落としを画策する佐野。そこには男の嫉妬心が渦巻いている。その矢先に、さらに18件目が発生する。
 南場はそれまでの捜査活動の累積からマークしている人物を別件逮捕して勝負に出る行動を取る。微罪で別件逮捕された新井は米崎地検に送致される。家宅捜索令状をとるのが主目的である。南場は地検の刑事部副本部長筒井義雄と面談して、放火魔との関わりを事情説明する。新井の件は左方検事に配点され、左方が担当することになる。
 ガサ入れが可能となったことから事件の解決は急進展する。だがそこには真相を歪めかねない盲点があった。森を見て突っ走った南場を、森の中の樹を見た左方検事が救うことになる。左方は1件の独自捜査をして懸念事項を解決するが、その件も警察が解決したことにして欲しいと筒井を介して南場に委ねるのだ。
 筒井が南場に言う。「あいつは条件やデータだけでは事件を見ません。事件を起こす人間を見るんです」(p64)と。
 県警上層部における事件とは別次元での男の確執。筒井と左方は検察の正義の視点から南場をサポートする結果になる。出世欲絡みの確執を切り崩し、事件の真相究明に軌道修正をかける。後味の良い短編である。

《 第2話 罪を押す 》
 被疑者の自供の裏にある真実は何か? 自供調書を認知し罪状を判断することが、事件と罪を誤った方向に押し進めることにならないかというテーマ設定が興味深い。繰り返される犯罪者の行為に接し、被疑者をよく知る検事に思わぬ先入観の入り込む怖さを扱っている。
 検事任官2年目の左方貞人が昨年4月に東京地検から米崎地検に転勤となる。そして刑事部副部長の下に配属された新米検事としての時期に取り扱った事件の話である。
 被疑者はハエタツと通称される小野辰二郎。なぜそう呼ばれるのかがおもしろい。3年前に54歳の小野は住居侵入罪及び窃盗罪で警察から送致され、筒井が起訴した男である。小野は微罪の常習犯で、娑婆と刑務所を往復している累犯者。刑期を終え出所したその日に、繁華街のディスカウントショップでショーケースから出させていた時計を、店員が他の客に声をかけられ対応している隙に盗んで逃げたという。店員に追いかけられ近くの路上でつかまる。警察の取り調べに対し、小野は全面的に犯行を認めた。盗品の腕時計からも小野の指紋が検出された。小野本人は動機を換金目的だったと自供している。
 しかし、犯行当時の小野は受刑中に貯めた作業報奨金2万8000円余りと一通の手紙を持っていたという。手紙は身内からの絶縁を告げるものだと書類には記されていた。
 筒井は、換金目的なんて嘘、刑務所に戻りたかっただけだとろうとつぶやく。そして、今回の窃盗事件を筒井は左方検事に配点する。
 「検事という職の重みを、筒井は知っている。自分の判断が、ひとりの人間の人生を大きく変える。だから筒井は、明らかに被害者の犯行と思われる事件でも、できる限り現場まで足を運び、被害者や目撃者の証言を取った。この目で確かめ、耳で聞いて起訴を決めてきた」(p75)。そんな筒井でも「俺はそこまで、しなかったかもしれない」と上司・森脇のつぶやきと同じ思いを共有する事案だったのだ。
 左方検事は小野の供述書に記載された手紙のことに、一歩踏み込んだのだ。その内容を知るために。左方が出した小野の処分は、不起訴、釈放である。
 左方が小野に言う言葉が良い。「やり直すためには、罪がまっとうに裁かれなければいけない。嘘の果てには嘘しかないように、罪の先には罪しかない。彼のこれからを本当に思うなら、いま、彼をまっとうに裁かなければいけない」と。(p117)
 他人の内面を鋭く読み取る検事左方貞人の深い人間性の発揮を描いた小品である。


《 第3話 恩を返す 》
 左方検事は高校時代を広島で過ごした。その時の同級生天根弥生から米崎地検で執務する左方に電話が入る。話をするのは十数年ぶりだった。「左方くん。あんときの言葉、覚えとる?」左方の脳裏には、12年前、弥生と別れた呉原駅のホームでのやりとりが瞬時に甦る。「忘れるわけがない」天根弥生の苦悩を救う行動に左方が踏み出すことになる。それが弥生に対して「恩を返す」行為となっていく。
 2日後、弥生は米崎市にやってきて、左方に苦境を訴えて相談に乗ってほしいと頼む。弥生には誰にも言えない過去の思い出したくない出来事があった。結婚を間近に控えた弥生はその過去の出来事をネタに、ある警官から強請られているのだと打ち明ける。左方はこの問題解決を請け負ってやる。それが左方にとっては恩返しにもなることだった。
 広島地検に居る同期の木浦に連絡をとり、勝野正平という刑事について調査を依頼する。「勝野ってやつは、アンタッチャブルだな」という切り出しで、木浦は左方に調べた結果を伝えてくれる。情報を総合し、左方は強請の事件解決のために、弥生に指示を出す。そして、広島に出向いていくことになる。
 左方がどんな生き方をしてきたのか。左方の高校時代の風景が、この作品で明らかになっていく。左方が弥生に対して、何に恩を感じていたのかが。これはこのストーリーの裏テーマとして語られていく。ストーリーのメインは、強請事件の解決プロセスの展開にある。
 左方が呉原駅近くの喫茶店で勝野と対峙する場面、その最後の緊迫した状況の会話が実に快感である。167ページの二人のやりとり。抽出したいがネタバレは興味半減。止めておこう。この小品をどうぞ一読願いたい。左方検事、左方という人間をより深く知るためにも・・・・・。

《 第4話 拳を握る 》
 「左方が部屋を出ていく。ドアが閉まる瞬間、左方の手が強く握られているのが見えた。」(p274)加東検察事務官が見つめるシーンである。「拳を握る」というタイトルはここに由来すると判断する。検察の正義を信条とする検事・左方貞人の内奥からあふれ出す憤怒が握りしめる拳に象徴されているのである。これは左方検事が己の考えを輪泉副部長進言して、捜査から外され米崎地検に戻るシーンなのだ。
 この作品は、財団法人「中小企業経営者福祉事業団」贈収賄事件について特捜体制が編成され、事件の捜査と解決に至るプロセスを扱っている。中経事業団と二人の与党議員の贈収賄容疑である。厚生労働大臣・新河惣一郎と、新河の元秘書で、参議院議員の田中十三夫が容疑者なのだ。特捜はこの事件に2年の歳月をかけ立件に動き出したのだ。
 各地検に検事と検察事務官、それぞれ10名ずつ応援要請が出される。米崎地検からは左方検事と増田事務官が応援に出される。山口地検からは先崎検事と加東事務官が応援に選ばれた。増田事務官が体調を崩したことから、左方検事を加東事務官が補佐することになる。このストーリーは主に加東事務官の視点を通して、左方検事との関わりの深まり、捜査の進め方、捜査の問題点の浮彫化、捜査のために成すべきことなどがストーリーとして展開していくことになる。
 検察の威信を賭けて取り組まれる特捜の状況を描くということが作品のモチーフであろう。特捜部長・近田慶彦、副部長・輪泉琢也の指揮の下に捜査が始まる。最初の会議において、輪泉副部長が筋読みの説明をする。「筋読みとは内偵捜査の段階で集めた資料や証拠を検討し、適用法令に照らし合わせながら事実関係を推測し、それに応じた捜査の見込みを立てたものだ」(p208)。
 この作品のテーマについての鍵は特捜部幹部の発言の中に秘められていると思う。
 「この捜査には、検察の威信がかかっている。首をかける気持ちで、捜査に臨んでほしい」輪泉副部長 (p211)
 「苛め方がぬるいんだ。いいか、人間ってのはな、最後に頼るのは身内か女と相場は決まっているんだ。責めればぜったいなにか吐く。左方検事にも、そう伝えろ」竹居特捜主任検事 (p230)
 「社会が抱いている、特捜部イコール正義、という強い信頼を失うわけにはいかない。・・・・情に流されるような生ぬるい捜査をしていては立件できない」竹居主任検事(p235)
 「事実はどうだったかなんてことは、この際、問題じゃないんだよ!葛巻が素直にサインさえすれば、本人は起訴猶予で済ませてもいいんだ。それなのにお前は、青臭い正義感を振りかざしやがって!身勝手な行動をして、巨悪を取り逃がしてしまうかもしれない窮地に、特捜を追い込んだんだぞ!」輪泉副部長 (p272)
 「一介の検事であるお前に、指揮権はない。(左方検事がある捜査を進言していたことに対し)・・・今回の事件とは関係ない。・・・・」輪泉副部長 (p273)
 つまり、「事件を起訴する権限を持っているのは、独任制官庁である検事個人です」「私は事件を、まっとうに捜査するだけです」(p268)という左方検事の「検察の正義」が貫かれた捜査により結果がだされるのかどうか、そこにテーマがあると思う。このコインの裏面は検事の「人間性」である。ここに正道としての検事の本懐があるのだろう。
 左方検事は、捜査対象について一つの進言をし、また加東事務官と一緒に独自の推論と信念で調べた裏取りの捜査報告書を提出した。しかしその直後、左方検事は特捜体制から外される。冒頭に記載のシーンである。
 皮肉にもというか、当然の帰結というか、事件は左方が進言していた捜査対象の線を調べることで解決へと向かう。
 著者は加東事務官の内心の思いを記す。「捜査は成功した。事件は立件にこぎつけた。だが、自分たちが行った捜査のやり方は正しかったのだろうか。筋読みありきで見立て捜査に走り、事実を捩じ曲げようとしたのではないか」
 タイトルの「拳を握る」は立件後の加東事務官の思いの表象でもある。「どこに向けていいかわからない拳を、テーブルの下できつく握りしめた」で作品は締めくくられる。

《 第5話 本懐を知る 》
 本作品に検事・左方貞人は特定場面だけに登場する。それも「黙秘」という形での登場である。主な登場人物は幾人か居る。見かけの中心人物は週刊誌「ピックアップ」の専属ライターの兼崎守。彼は別のライターと交互に「闇の事件簿」という見開き2ページの連載を担当している。その兼崎が政治専門のジャーナリストのちょっとした発言にヒントを得て、かつて広島で新聞記者をしていた頃の事件を思い出す。それがこの連載の格好のネタにならないか・・・・と、調査に入るのだ。
 その事件は、広島の弁護士佐方陽世が顧問弁護士を務めていた小田嶋建設の創業者会長小田嶋隆一郎の死後、小田嶋家の財産、遺産管理を任されていたことに関わる。左方弁護士が遺産管理のうち、5000万円相当の債権を現金化し横領したという事件である。逮捕当時は47歳だった。左方陽世は容疑事実を認めるが完全黙秘を貫き、懲役2年の実刑判決を受けた。だが判決が決定後に、横領したとされる金額は私財を処分し小田嶋家に返済しているのだ。
 兼崎は弁護士が弁解も抵抗もせず実刑を甘受した理由に関心を抱き、広島に調査に赴く。広島の弁護士会を皮切りに左方陽世の知人や地縁関係に聞き取り調査を進めて行く。
 兼崎は左方と司法修習生時代の同期だったという篠原弁護士から、左方陽世が実刑を受け入所中に膵臓癌が発見され、出所目前に大阪の医療刑務所で死亡したこと、冤罪事件を進んで請け負い、まっとうに事件を裁かせることに熱心だった弁護士だったと聞く。横領を認めて金をすぐに返済していれば、弁護士なので執行猶予がつくところだがそれもなかった。陽世の息子、つまり貞人が検事になっているということも知る。
 聞き取り調査から様々な背景が明らかになっていく。兼崎は米崎地検の左方検事を訪ねるが、何の情報も得られない。左方陽世について、悪徳弁護士と評する人は小田嶋隆一郎の息子、現小田嶋建設社長関係者以外は皆無なのだ。その小田嶋社長から先代の墓に定期的に参りにくるかつての女性従業員の話を聞くことになる。その女性は、同じ墓地にある左方陽世の墓にも参っているという。兼崎はこの何気ない社長の発言にヒントを得て、この女性捜しに着手する。
 そして、最後に兼崎が行き着いたところは、「我欲に走らず、ひたすら恩を返そうとする人間がいた」という事実だった。誰もが真実を語らず、墓場に持って行った、あるいは持っていこうとしているということだった。
 兼崎が聞き込み調査から確実と感じる仮設を立てるが、証拠が得られないため記事にできずに終わる。
 だが、『検事の死命』に収録された「業をおろす」では、左方陽世の幼馴染みの親友だった僧侶が、ふとした偶然から、語られなかった真実を発見する形で話が展開していく。左方陽世が黙秘により実刑を受けた背景が一層明瞭になっていくことで、話が完結する。それぞれの話は独立した作品として読める。しかし、両者を重ねて読むと、正に「業をおろす」がこの「本懐を知る」と照応し相乗効果を発揮し共鳴していくことが分かる。
 この作品では、「語らないこと」がそれぞれの「本懐を知る」ことに連なっていくという連環なのだ。実に興味深い設定である。だが、そこには「わからなさ」という業が残る。それが「業をおろす」で、明らかになるのである。「わからなさ」にとどめられた業が消滅するのだ。ぜひ、『検事の死命』も読まれることをお薦めする。
 「恩を返す」という行為がそれぞれの行為者の思いにより様々に異なる色彩を帯びたものとして描かれている。この局面も読ませどころと言える。


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本作品からいくつか連想する事項をネット検索してみた。覚書として一覧にしておきたい。

特別捜査部  :ウィキペディア
逮捕された人はどうなるのですか :特捜部事件の場合
     :「庶民の弁護士伊東良徳のサイト」
東京地方検察庁特捜部は、正念場 三井 環(市民連帯の会代表・元大阪高検公安部長)
東京地検特捜部の犯罪  :「秦野エイト会」
犯罪捜査(4)特捜部と可視化 「最強」復活への活路 :「msn 産経ニュース」
     2014.5.24

八田隆氏が国家賠償請求訴訟で挑む「検察への『倍返し』」 :「BLOGOS」
   記事 郷原信郎 2014年05月16日

横領 :「刑事弁護専門サイト」
業務上横領 Q&A :「刑事弁護専門サイト」


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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『検事の死命』 宝島社



『近江古代史への招待』 松浦俊和  京都新聞出版センター

2014-06-14 10:36:23 | レビュー
 ここ数年、滋賀県の史跡探訪を繰り返すうちに、近江古代史に少しずつ興味が深まってきている。それでこのタイトルにまず関心を抱くとともに、表紙の土偶が初見だったので一層興味を惹かれた。こんな土偶のことは全く知らなかったから。
 平成22年(2010)の2月、湖東の東近江市永源寺相谷(あいだに)町(旧神崎郡永源寺町)に広がる相谷熊原遺跡の発掘調査で出土したものだという。縄文時代の竪穴建物跡から発見された土偶。何と高さ3cmあまりで重さ14.6gのかわいらしい、ふっくらとした作りの土偶なのだ。「放射性炭素年代測定法」での分析結果も、縄文時代草創期(1万3000年余り前)と評価されたという。それと併せて、自立式の立体的な作りであることも驚きだったとのこと。滋賀県つまり近江は発掘調査が進めば、ますますおもしろくなりそうな地域だ。

 古代史の資料となると、どうしても学術用語が増えその領域の知識がない素人には理解しづらい。ある程度慣れていくと抵抗感が少なくなるけれど。この本は・・・と思いながら読み始めたら、結構読みやすく、カラー写真が一つのセクションで必ず数枚掲載されているのでモノクロ写真と比べたら同じ考古学的遺物であっても目を引く程度が違い、文字説明だけの堅さが一層低減される。
 
 本書が読みやすく、わかりやすい文章で書かれていて、一気に通読できるのにはいくつか理由がある。
 第1は、本書が京都新聞滋賀版に、週1回の連載で近江の古代史を紹介するという目的で書かれたものであることによる。2009年4月からの1年間51回の連載をまとめた本である。静かな古代史ブームが継続し、発掘調査現場の説明会には多くの人が集まる状況が出てきているけれど、それでも新聞購読者数からすれば、一握りの人々だろう。一般読者が読みやすく感じる工夫を加えていかなければ、連載が成り立たないはず。読者の反響がやはり連載の後押しをしていたのではないか。

 第2は、「古代史への招待」という目的に沿った結果だろうが、本書の構成が古代史通史の概観という展開になっているので、近江という地域を時間軸で確認しながらそのイメージを膨らませ、重層的に理解を積み上げ、広げ、様々な関連性を見いだしていけるからだろう。
 本書の構成はこんな章立てになっている。
 第1章 琵琶湖の湖底遺跡に挑む
  琵琶湖の漁師の網に掛り多く土器が引き揚げられたことから始まった葛籠尾崎湖底遺跡の発見を、地元出身で水中考古学の普及推進に尽力した小江慶雄(おえよしお)氏との関わりの中で紹介している。そして、それを現在の滋賀県立大学による最新技術での継続的な調査研究の紹介並びに、新たな発見事例へと展開させていく。このあたり、一般読者には過去の話ではなく、現在の身近な話につなげているので、興味を引くことになる。
 第2章 縄文-湖辺の縄文人のくらし
  縄文時代における気候の温暖化がなぜわかるのか? 近江八景の一つに「粟津青嵐」その粟津湖底遺跡の発見を材料に、貝塚、ムラの共同作業でのゴミ捨て場から何がわかるか。捨てられていたその遺物(植物、動物など)から、当時の気候がわかるのだという展開がおもしろい。なるほど・・・・である。たかがゴミ! ではないのだ。たとえば貝殻の断面に残る成長線を分析すれば、どんな水温状態で採集され、捨てられたのかがわかるそうな。また、この遺跡から成人の頭骨-20歳前後の女性?-や淡水真珠が6個出土したいう。滋賀県下の各地遺跡から丸木舟が30例あまり出土しているようである。それも「スマート型」「がっしり型」など数種あり、大半がスゴ材だがヤマザクラなどもあるとか。
  丸木舟を実際に復元し、1990年に湖上での航行実験をしたそうだ。こういうことがあると、古代が現代に結びつきおもしろい。その結果は? 本書p35-36をご参照!
 この章のp414-42に冒頭の土偶が出てくるのである。もう一つ、p39に掲載の「筑摩佃遺跡出土の土偶」もおもしろい。これは河童型土偶と呼ばれているそうだ。東近江市正楽寺遺跡で発見された土面片からの復元されたマスク(p44)もおもしろい。どんなシーンでどのように使ったのか? 想像の翼が羽ばたく。これはすべて私には初見だったので、一層関心を抱く。
 第3章 弥生-争いと祭り-
 弥生時代に入ると、少し予備知識のある局面もあり、興味深く読めた。断片的知識を統合し、総合化していく形でこの章を読み進められて、大いに参考になった。関西圏で近江が重要な役割を担うベースができつつあったことが納得できる。次ぎの項目が写真を提示しながら順次紹介されていく。
 巨大環濠集落の出現(守山市の下之郷遺跡、伊勢遺跡)
 ココヤシ人面容器:熱帯アジア産椰子の実を利用した容器がなぜ湖東に?
 形状・大小様々な木偶の出土-形代、墓の祭りのあり様。烏丸崎遺跡・湯ノ部遺跡他
 木製琴の発見:守山市服部遺跡出土の木製琴で具体的に解説。これ復元されている!
 24個の銅鐸(大岩山で)の大発見。国内最大銅鐸あり。下釣遺跡からは最小銅鐸!
今後、何が出てくるか? 
 第4章 弥生から古墳へ -前方後円墳の時代-
 近江の最初の古墳はどれか? から始まり、どこでどういう古墳が発掘調査され、何が出てきているかが平易に写真入りで解説されている。
 東近江市と蒲生郡竜王町との境にある雪野山古墳。名前だけは聞き知っていたが、そこから発見された5枚の銅鏡が重要な意味を持っていそうだ。今後の研究に期待したいところ。また、何といってもやはり、高島市の鴨稲荷山古墳を始めとする古墳群の説明が圧巻である。継体天皇のふるさと・高島のことが簡潔に説明されている。
 また近江からは様々な形の形象埴輪が出土しているようだ。全体像がつかめて興味深い。特に栗東市新開4号墳で発見された船形埴輪は驚きである。P90に写真が掲載されている。琵琶湖で実際に使われていたのか? ロマンが広がる。
 第5章 渡来人の活躍-渡来人と近江-
 6世紀に入った近江は渡来人の集住実態を的確に捉えていかないと、近江の位置づけが適切に理解できないようだ。巨大群集墳の存在実態、そこからの出土品、古代の文書史料から読み取れる氏族名称などから、渡来人の活躍が色濃く見えてくる。
 第6章 都、飛鳥から大津へ-大津京の時代-
 天智天皇の大津遷都の理由考察から始め、大津宮の発掘の最近事情までふれた上で、いくつか興味深いことに触れている。大津宮発掘と関わり、大津宮内裏正殿復元図が掲載されているので、一層イメージが湧きやすい。一度、崇福寺跡を訪れたことがあるが、塔跡から舎利容器が発見されていて、それが国宝に指定されているというのを、本書で知った。南滋賀廃寺から特異なサソリ紋瓦の出土、山ノ神遺跡(大津市一里山三丁目)からは巨大な鴟尾が出土しているということも、私には初見である。興味深い。鴟尾は2002年に発掘調査で見つかったという。そのころは考古学分野にあまり関心がなかったのだろう。マスメディアで見聞した記憶がない。天智天皇と蒲生野にも触れられていて、蒲生郡での新都造営の気持ちがあったのでは・・・・という見方をおもしろいと思う。
 第7章 壬申の乱-都、再び飛鳥へ-
 壬申の乱では田橋の戦いが最後になりました。この後、大津京の戦後処理がどうなったか。史料に明確に記されていない点を考古学的視点で考察した結果、リサイクル発想の適用が考えられているのをおもしろいと思う。田の唐橋発掘調査の要点が解説されいる。何度か田唐橋を訪れているので、これもまた興味深い。唐橋遺跡から無文銀銭が発見されているというのを初めて知った。富本銭との対比写真が興味深い。大友皇子の最後の地並びに御陵選定の経緯にも触れられている。義経伝説と同様に、大友皇子逃避伝説も各地にあるようだ。時代を隔てて同じ発想をするのは、これも日本文化の精神構造の一つだろうか。
 第8章 そして、奈良時代へ-近江の新たな展開-
 奈良時代になっての近江が違った形で重要な地域となる。近江国府の発掘調査の最新情報レベルでの総括がなされている。大津市神領の丘陵地に広がる近江国疔跡を歴史探訪しているので、改めて復習できる章だった。近江国疔跡と関連遺跡位置図(p168-169)と説明を読むと、近江の重要性が一層明瞭になってきて、一歩深入りしたくなる。
 第9章 聖武天皇の登場-東国巡幸と近江-
 聖武天皇の5年余に及ぶ東国巡幸において、近江の地が大きく関わっていたことが語られている。2002年に滋賀県立膳所高校の敷地内発掘調査で、「禾津頓宮(あわづのとんぐ)」跡が発見された。紫香楽宮については、甲賀市信楽町宮町にある宮町遺跡の発掘調査が進展するにつれ、ここが「紫香楽宮跡」の本命だろうと今考えられている。そのホットな要約解説がある。考古学は地道な発掘の継続調査の上に、物証を土台に緻密な論及が重ねられていく。謎が解明される一方で、新たな謎が見つかるというおもしろい世界。1993年の石山国分遺跡の発掘調査は、保良宮造営地との関連性に論及されている。膳所城下町遺跡は保良宮地との関連あるいは藤原仲麻呂の乱との関連が論議されているとか。
 おわりに-桓武天皇の即位-
 天智天皇の都「大津宮」が廃された後、その地は「古津」と称されるようになったという。天智天皇系の桓武天皇が即位し、平安京遷都を実行した翌月、あらためて滋賀郡の古津を大津と改称したという。それも延暦13年11月8日に詔を出すことによって。この書を読むまでこの点も全く意識していなかった。知るということはおもしろいことだ。著者は、桓武天皇の登場と平安京遷都が、近江国にとり、新しい時代の幕開けだとして、この古代史通観を締めくくっている。
 滋賀県下の名所旧跡を「観光」視点からさらに一歩「古代史」に足を踏み入れる導きとなる手軽な入門書である。近江国の歴史的な奥行きの深さに触れるテキストとして便利である。

 読みやすさの理由と思う第3点は、著者の経歴にあるように思う。
 本書巻末の著者略歴と「あとがき」を併読すると、著者は近年、大学の非常勤講師として活躍されているようだ。それ以前は、日本考古学を学んだ後、大津市教育委員会文化財保護課に入られ、文化財保護課長、そして大津市歴史博物館長という経歴の持ち主。文化財に関わる実務面からの仕事に長年携わってきた方のようだ。このことが、学者・研究者の姿勢とは少し異なるアプローチ、文体でわかりやすく書く感覚を養ってきたのではないか。文化財に親しんでもらうには・・・・という日頃の視点が、この連載の読みやすい書き方の根底にあるように思う。

 
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近江古代史に関連する情報源を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
滋賀県文化財学習シート  :「滋賀県」
 「史跡」分類の中に、茶臼山古墳・小茶臼山古墳、近江国庁跡附惣山遺跡・青江遺跡
 皇子山古墳、近江大津宮錦織遺跡、大岩山古墳群、稲荷山古墳他多数開示。pdfファイル
埋蔵文化財活用ブックレット :「滋賀県」
 ダウンロードできるブックレットの目次ページ
 史跡近江国府跡と中世関連の寺院、城跡などの資料を開示 pdfファイル
近江デジタル歴史街道  :「滋賀県立図書館」
遺跡現地説明会配布資料資料 :「滋賀県文化財協会」
 上御殿遺跡、吉身西遺跡、横山城遺跡、膳所城遺跡、金森西遺跡、堤ヶ谷遺跡
 塩津港遺跡、岩瀬谷古墳群、中沢遺跡、岡遺跡、長畑遺跡、天神畑遺跡
 など・・・他にも多数の配布資料を開示 pdfファイル
紀要 :「滋賀県文化財協会」
 第1号~第22号の紀要内容が開示されています。古代史関連論文満載。pdfファイル
 
湖底遺跡  琵琶湖のあらまし :「滋賀県」
琵琶湖湖底遺跡 :Youtube
粟津湖底遺跡の貝塚の断面剥ぎ取り 考古のおはなし :「京都国立博物館」
葛籠尾崎湖底遺跡  葛籠尾崎湖底遺跡跡資料館
葛籠尾崎湖底遺跡跡資料館
 「小江慶雄氏の足跡」というページもあります。

大津市歴史博物館  ホームページ
   大津の歴史事典  検索索引ページ(50音、分野、地区別)

 

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『検事の死命』  柚月裕子  宝島社

2014-06-10 22:27:31 | レビュー
 『遊心逍遙記』として読後印象を書き始める少し前に、著者の『臨床真理』と『最後の証人』を読んでいた。そして、『検事の本懐』を未読のままで、この『検事の死命』を読む事になってしまった。

 検察官佐方貞人が主人公の本作品、どこかで記憶がある名前だなと振り返ると、『最後の証人』の主人公、あの信念の弁護士佐方その人だった。
 『最後の証人』では、「法を犯すのは人間だ。検察官を続けるつもりなら、法よりも人間を見ろ」「どのような理由であれ、罪は罪として償わなければならない。しかし、まっとうに裁くということは、事件の裏側にある悲しみ、苦しみ、葛藤、すべてを把握していなければ出来ないことなのではないか。行動の裏に理由があるように、事件には動機がある。そこにある感情を理解していなければ、本当の意味で罪を裁くことにはならないのではないか。」こんな文章を読後メモとして抜き書きしていた。特に印象深い文章だったからだ。

 本書には4つの作品が収められている。それらはヤメ検弁護士佐方貞人が検事の時代だったころの活動を扱った作品群である。『検事の本懐』に続くようだ。私のよくやることだが、今回も順序逆に読み進める結果になった。いずれ『検事の本懐』の読了後にその印象をまとめるとして、まずは本書についての印象をまとめてみたい。

 本書は米崎県米崎市に所在する米崎地検に配属された刑事部の担当検察官佐方貞人が主人公であり、彼のサポート役として検察事務官増田陽二が准主人公的な役割で登場する。 本書の4つの短編の主な登場人物が同じである。それぞれが独立した作品であるとともに、その作品のどこかに他作品への連接点が含まれている。それは主な主人公たちを多面的にステージを変えて描くことになる。そのため、特に主人公左方貞人の人物像に奥行きと深みを与えることになる。
 収められた4つの作品とは「心を掬う」「業をおろす」「死命を賭ける」「死命を決する」である。最初の2作は全く独立した短編として読める。尚、「業をおろす」には本書の内タイトルページの下に編集者の注記が付されている。後で触れよう。
 後の2作はそれぞれ独立した短編であるが、どちらかと言えばこの2作を一つの中編としてとらえる方が私にはスッキリする。まさに「検事の死命」という作品という意味である。それは短編に付された副題でもみることができる。独立した短編とみると、「死命を賭ける」の終わり方がすこし心残りな要素を含んだものにとどまるのだ。それはアメリカ映画において、連作を想定されている時のエンディングの手法に似ている要素が入っているからそう感じるのだろう。
 「死命を賭ける」は「死命」と考える事案解決に取り組む刑事部ステージを扱う。副題が「『死命』刑事部編」である。「死命を決する」は同様に「『死命』公判部編」であり、公判部ステージを取り扱う展開となっている。左方検事が刑事部から公判部に横異動して、同じ案件を立場をステップアップして関わって行くという設定である。

 検察官左方貞人の信念は「ここで屈したら--たとえ検察にいられたとしても、検事としては死んだも同然です」(p220)という基盤に立ち、検事という職分が生きるか死ぬかという「検事の死命を賭ける」(p220)という意識で法と罪に取り組むことにある。そして、増田が代弁する「わかっています。自分たちの仕事は罪をまっとうに裁くことであり、罪はまっとうに裁かれなければいけない、そう思います」という思いにある。さらに、それは左方の上司・刑事部副部長の筒井が発するつぶやきに通底するのだ。「秋霜烈日の白バッジを与えられている俺たちが、権力に屈したらどうなる。世の中は、いったい何を信じればいい」(p226)

 連作作品のそれぞれについて、印象を少しまとめてご紹介してみよう。

《 心を掬う 》

 この短編は郵便物紛失事件を取り扱ったもの。酒処ふくろうという飲み屋の親父が、「知り合いの常連客が北海道にいる娘に出した郵便が届かない」ということをふと話題にする。その後、増田と同じ検察事務官が増田に対し、自分が親戚筋から聞いた手紙が届かないという同種の事例を語るのだ。この話を増田が左方検事に伝える。すると、少し考えにふけった後で左方が増田に指示する。「二件の郵便物の宛先、いつ、どこの郵便局またはポストに投函したのかなど、調べてほしいんです」と。 警察から送致されてきた案件ではない。「なにか考えがあるとはいえ、郵便物の紛失話を急いで調べなければいけない理由が、増田にはわからない」。左方検事がトリガーを引いた事案がここから始まる。それが米崎中央郵便局の郵政監察官の懸案事項と思いにリンクしていく。一方左方が増田に出した指示は、手紙に関連した学生時代の思いが底流にあったのだ。
 左方は思わぬ手段を密かに実行する。また、そこまで検事が現場に踏み込んで行動するのかと、増田を感動させるシーンに展開していく。この展開への発想に意外性があり、おもしろく、読ませどころである。
 やはり、本作品のキーセンテンスは次の言葉である。
「私たちが扱っているのは単なる紙きれではありません。人の気持ち、心です」
 こう福村郵政監察官が検事室のソファでつぶやいたのだ。


《 業をおろす 》

 本短編は、『検事の本懐』に収録の「本懐を知る」の完結編にあたると内タイトルの下に編集部が付記している。この前作を読んでいなくても、独立した短編として十分に読み応えがあった。この作品だけの世界でも十分に感情移入してしまい涙を誘発させる作品となっている。付記には「『本懐を知る』読了後の方が一段と興趣が増すと考えております」と併記されている。この点はいずれ逆読みすることで、付記通りの順番で読む方がやはり一層よかったのかどうか、確認してみたい。
 
 さて本作品の時期設定は、左方が故郷である広島の県北に位置する次原市山田町に6年ぶりにお盆に帰郷したときである。テーマは亡き父親の選択した行為・道の真実が解明されるということにある。
 左方貞人は父・陽世の十三回忌法要のために帰郷する。菩提寺である曹洞宗龍円寺の住職は父陽世のおさな友達でもあった。貞人の父陽世は弁護士であり、顧問先の会社の会長小田嶋隆一朗の遺志で、小田嶋家の遺産を管理していた。しかし、その資産を横領した罪に問われ実刑判決を受け、黙って実刑を受け入れるという行動を選択したのだ。その父が服役中に膵臓癌で死亡する。貞人が高校2年生のときである。
 法律の道に進み、検事となった貞人には、横領の発覚時点で金をすべて返済すれば、普通は執行猶予がつき、実刑を受けなくてもよいということを知る。弁護士の父がそれを知らぬはずがないと判断する。父は裁判の判決が出たあとに、現に金を返済しているのだ。
 龍円寺の住職(人々から龍円さんと呼ばれている)なら、貞人の父がまるで罰せられることを望んでいたようにも思えるその理由を親友として知っているのではないか・・・・と思い、龍円に尋ねようとする。その場では龍円は答えず話をそらしてしまう。
 十三回忌の法要の中で、龍円がもう陽世の業をおろしてもよい時期だろうと語り、ごく最近龍円が知り得た真実を法要の場で明らかにする。こんな流れでストーリーが展開する。弁護士の役割・立場、恩義、己の信念などが複雑に絡まり合っていく。読み応えのある作品に仕上がっている。

 龍円は法要の最後に真実を語った後、大愚良寛の残した詩句を語る。
 「君看よや 双眼の色 語らざれば 憂いなきに似たり」
 この句は「この私の目を見てくれ。何もかたらないからといって、心に何もないわけではないのだ」という意味だと龍円は説いている。そして言う。「・・・・事のすべてを知り陽世の真情を知ったわしとしては、あいつが現世で誤解されたままでいるのが苦しゅうて苦しゅうて、かなわんかったのです」と。(p141)

 貞人が龍円に返す言葉もよい。左方貞人らしい。
 「父は父のやり方で、自分の仕事をやり遂げました。私は私のやり方で、自分の仕事をするだけです」(p143)


《死命を賭ける [死命」刑事部編》
《死命を決する 「死命」公判部編》

 この連作では、検事が抱える幅広い事案件数の重圧下でみれば、一見取るに足りない小さな事案である。極端に言えば、さらりと判断し処理してしまえる案件だ。しかし、その案件をでんと据えて、左方にその案件を真っ向から取り組ませていく。この作品で検事の職分は何かを著者は問いかけている。そこにテーマがあると感じる。

 左方に配点されてきた案件の一つは、痴漢行為の案件である。
1.案件内容 満員電車の中で衣服の上から身体を触ったとされる痴漢行為
  それはその程度から、迷惑防止条例違反が適用される案件。
  強制わいせつ罪レベルに至らない程度のある意味軽いものである。
2.被疑者 武本弘敏、43歳。会社員、地元の大手予備校勤務で経理課長。
  武本は職場恋愛の上で、婿入りした男。その結果、県内の名門一族の係累になる。
  義母は県内有数の資産家一族本多家の四女。義父は元教育長で地元で有名な教育者
  本多家は政財界に様々な伝手と影響力をもつ地元の名家、有力者の一族。
3.被害者 仁藤玲奈、米崎市内の高校生、17歳。母子家庭という家庭環境に育つ。
  万引きと恐喝で補導されたという前歴を持つ少女。
4.問題点 武本は左方検事に対し、送致事実に意義を唱える。
  「もちろんです。私は少女の身体に触れてなどいない。痴漢なんかしていません!」  「・・・・・・正確には覚えていませんが、もうあんたはおしまいだ、とも言いました。
   でも--と、少女はそのあとすぐ、わたしの耳元で囁いたんです。
   お金を払えばなかったことにしてやる、と」
  主張は真っ向から対立する。どちらかが偽証している。名門の係累に繋がる被疑者を無実にするために、上層部や政治家までがこの事案に圧力をかけてくることになる。

 左方はこの案件の送致事実の確認から始め、起訴状を提出する決断を下す。そのプロセスを扱ったのが前半の刑事部編である。罪があれば、その罪を正しく裁く、案件の大小・軽重ではない、勿論、検事としての出世欲や外部からの圧力に屈することがあってはならない。検事社会における赤レンガ族と現場派という2つの潮流の確執の存在もそれとなく巧みに組み込まれていく。だが検事の死命の受け止め方が根本なのだ。左方の本領が発揮される。

 検事には送致案件を立件起訴するかどうか決定する役割と、裁判所で刑事罰を告訴し弁護士との対立論争の中で罪の存在を証明する役割との2つのステージに分担されている。前者が刑事部のステージであり、後者が公判部のステージである。

 左方は上司の筒井と同時期に刑事部から公判部に米崎地検内で横異動する。そして、刑事部の担当検察官として自分が起訴状を出したこの痴漢行為案件を、公判部の検事として裁判所の法廷の場で、告訴して弁護士と論争し、罪の立証する役割を担っていく。左方の検事人生が、刑事部から公判部へとステージが変わる。
 「死命を決める」の読みどころは痴漢行為をどのように立証していくか、その立証のために左方がどういう行動を重ねていくか、そして己の確信を揺るぎない事実として証拠の列挙と論理で構築していくかにある。
 武本には、本多家が後ろに控え、その顧問弁護士であり、米澤県下では大物弁護士、やり手と呼ばれる井原である。さらに、本多家が政界との伝手と影響力を行使して、地検や県警などの上層部にさまざまな形で圧力をかけてくる可能性がある。井原弁護士はあらゆる手段を使って、被告人の無罪を勝ち取りに出る。
 「井原法令綜合事務所が県下最大の弁護士事務所たり得た理由は、徹底して準備を怠らない用意周到な法廷戦略にある。法に触れない限り、どんな手を使ってでも、依頼人有利の判決に導く。それが井原のポリシーだ。」(p241)

 武本は勾留延長が決まったあとの井原弁護士との接見において、井原に頼む。
 「もしかしたら、半田という男が裁判の証人になってくれるかもしれません。」
半田は飲み屋で知り合った男であり、事件当日、満員電車に偶然乗り合わせ、自分のすぐそばにいたのだという。その飲み屋があどういう店か井原は武本に尋ねるが、守秘義務のある弁護士の井原に対しても、武本は勘弁してくれと言い、明かさない。半田とコンタクトをとった井原は半田を最後の切り札として使えると判断する。そして、周到な裁判戦略を構築していく。
 この半田が意外な裁判闘争の意外な展開の焦点となっていく。実におもしろい。
 裁判のプロセスの検事と弁護士の対立論争のプロセスの展開の巧みさがこの種の作品の読ませどころである。どれだけリアルに、論理的に緻密に対立点を明瞭にさせ、立証過程のどこで一転して惨敗するかもしれないという危機感を漂わせるか・・・・その論争プロセスに読者が予期しない展開なり、論理構成の導入があるほど、おもしろい。本書は十分にこの裁判闘争のプロセスを堪能させてくれる。たかが軽い痴漢行為の罪状立証プロセスだが、されど厳しい罪状立証プロセスなのだ。読み応えがある作品にまとまっている。

 『検事の本懐』は未読であるが、今後著者はヤメ検弁護士左方貞人シリーズを執筆展開するのか、検事時代の左方貞人の活躍も並行させるのか。いずれにしても、左方シリーズが続くことを期待したい。


 ご一読ありがとうございます。

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本書に関連する語句をいくつか調べてみた。一覧にしておきたい。

郵政監察官 ← 郵政監察制度 :ウィキペディア
刑事訴訟法 :「RONの六法全書 on LINE」 
   60条1,3項を参照ください。
 
検察官バッジ 
 検察官の付けているバッジ Q&Aコーナー :「検察庁」
   左欄から「Q&Aコーナー」を選び、「その他」の分類に説明あり。
 検察事務官バッジで語る役割の重要性 :「釧路地方検察庁」
弁護士のバッジ :「日本弁護士連合会」
 
違法収集証拠排除原則 ← 違法収集証拠排除法則 :ウィキペディア
令状主義 → 被疑者の権利-令状主義 :「日本国憲法の基礎知識」
横領罪  :ウィキペディア
 
迷惑防止条例 :ウィキペディア
京都府迷惑行為防止条例 :「京都府」
 第3条(卑わいな行為の禁止)
強制わいせつ罪 :「司法試験用 刑事法 対策室」
 
十王図 10幅 :「奈良国立博物館」
ああ恐ろしや十王図  霊巌寺所蔵
 

ジャクソン・ポロック :「ヴァーチャル絵画館」
カーゴ・パンツ  :ウィキペディア
 


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『原発メルトダウンへの道』 NHK ETV特集取材班  新潮社

2014-06-06 09:49:43 | レビュー
 本書の副題は「原子力政策研究会100時間の証言」である。
 ETVが3本のドキュメンタリーを制作して放送したという。残念ながらその放映があるということを見落としていて見ていない。
 「前編 置き去りにされた慎重論」「後編 そして”安全神話”は生まれた」。その続編として「不滅のプロジェクト~核燃料サイクルの道程~」。この3つの番組が制作された。本書はその取材記である。歴史的事実を地道に具体的にトレースしていく作業が行われた記録となっている。
 取材記の中核資料が「島村原子力政策研究会」の記録として残されていた100時間を超える録音テープである。島村とは、1956年、「発足したばかりの科技庁(=科学技術庁)で原子力政策課長に就任。日本初の原子炉導入に携わった後、原子力局長や原子力員会委員などを歴任。引退後も1996年に82歳で亡くなるまで、日本の原子力行政において指導的立場にあり続け、政策決定に深く関わった人物だ」(p18)。p28には、1955年経済企画庁原子力室長時代の写真が載っている。島村武久氏である。その島村が1985年から94年までの9年間、「島村原子力政策研究会」を開催していたという。録音テープはこの研究会の事実記録なのだ。今は伊原義徳氏(旧通産省・旧科技庁の官僚、本書出版時点で87歳)ほか有志が現在も「原子力政策研究会」を結成して、島村の志を引き継いでいるという。著者は伊原氏から入手したこの録音テープを軸にしながら、様々な取材情報を総合し、取材記をまめている。

 著者のスタンスは明確である。「全巻を徹底的に聞き込むことで、島村たちが推し進めてきた日本の原子力政策の足取りを追体験し、構造的な矛盾を徹底的に検証していく。そこから初めて、福島原発事故に至る過程が明らかにされるとともに、次世代に伝えるべき教訓が出せるかもしれない。」(p19)ここに原点がある。
 「はしがき」の冒頭の一文は次の通りである。
「本書は、日本に原子力発電所の導入が検討され始めた1950年代前半から、東京電力福島第一原子力発電所がレベル7の炉心溶融事故を起こす2011年3月11日までの日本の原子力政策の歴史をたどったものである」。
 本書は資料根拠を明示し、関係者の略歴も明記しつつ実名で歴史をたどっている。それは、伊原氏が著者に録音テープを貸し出した意図にも合致する。「後の世代に事実を伝える一助になるのであれば」(p19-20)。内輪の極秘の会合記録だった故に、そこには赤裸々な衝撃的言葉が発せられているようだ。その一端がこの取材記に引用され跡づけされてもいる。
 島村氏自身が、研究会を始めて程ない1987年『島村武久の原子力談義』(電力新報社)を出版し、「日本の原子力政策の矛盾を手厳しく批判している」という。(p29)

 原子力が平和利用という旗印のもとに、基礎研究をなおざりにして、まずは実用炉の導入へと突き進み、その結果がフクイチのメルトダウンへの道となった。私には到底想像の及ばない規模の負の遺産が残された。そうなったのはなぜか・・・・・。本書はその経緯を跡づけている。まず「事実」を知るために、必読の書の1冊となるだろう。

 最初に目次を紹介しておきたい。ここだけで大凡の文脈が明確になる。

  はじめに
 序章 極秘の会合・島村原子力政策研究会
第Ⅰ部 置き去りにされた慎重論
 第1章 残されていた極秘の証言記録
 第2章 巨大産業と化していく原子力
 第3章 初の商業炉導入の”真相”
 第4章 軽水炉の時代の到来
第Ⅱ部 そして”安全神話”は生まれた
 第5章 科学技術の限界を問おうとした科学裁判
 第6章 最重視された稼働率の向上
 第7章 自らの神話に縛られていった「原子力ムラ」
第Ⅲ部 ”不滅”のプロジェクト-核燃料サイクルの道程
 第8章 なぜ日本は核燃料サイクルを目指したのか
 第9章 核武装疑惑解消のために
 第10章 壮大な夢の挫折-変質するサイクル計画の”目的”
  あとがき
  関連年表

 第Ⅰ部の見出し「置き去りにされた慎重論」について、著者が次の要約文を記している。この要約文に至る克明な取材経緯の記述が読みどころである。
「日本への原子力発電所の早期導入を国策として進めた、国と財界。基礎から研究すべきだとの主張を退けられた科学者。経済性を優先せざるを得なかった電力会社。それぞれの思惑の中で、ひとり置き去りにされたのが、安全性だったという現実--。」(p176)
是非、この事実経緯を一読願いたい。政治主導で事が進み、最初は様子見の産業界が動き出すと、科学者の主張は横に置き、ここでも「バスに乗り遅れるな」心理で突っ走って行った現実がある。それを「今こそ振り返る必要がある」(p176)同じ轍を繰り返さないために。

 この第Ⅰ部を読んでいただきたいために、いくつか引用しておきたい。
*「電力経済研究所の設立という既成事実を先手を打って作り上げることで、学術界の停滞ムードを打破しようとしたのです。 p34  ← 森一久氏の証言
*1954年2月、藤岡たちは原子力シンポジウムを開催。原子力の平和利用の一例として、当時、注目を集めていた原子力潜水艦がテーマに取り上げられ、科学者たちの間では、研究再開発を歓迎する雰囲気が生まれかけていた。原子力予算案はこうした科学者たちの動きを無視し、全くの政治主導で出現したのである。 p57
*1955年の夏、前田正男と中曽根康弘に加え、松前重義、志村茂治の4人による超党派国旗議員団が結成され、具体的な原子力政策の検討が始まった。  p59
*「正力さんたちに、湯川先生のアイデアを生かそうという気持ちはほとんどなかったですね。ただ政府が作った政策に、湯川さんの署名が欲しかっただけでした。・・・ p85
  ← 湯川の門下生藤本陽一氏の証言。東京大学原子核研究所の元教授。
*こうしたJRR-1で発生したトラブルは、正式の報告には何も書かれなかった。そして、十分な検証を行う時間もない中、立て続けに研究2号炉であるJRR-2の建設が始まった。
*伊原氏たちは、正力が見落としていた重要な問題点を見つけた。そもそもコールホールダー原発の原子炉は、核兵器を製造するためプルトニウムを造り出すことを目的に設計された炉が原型であり、純粋に発電を目的として開発されたものではなかった。そして、炉内で造り出されたプルトニウムは、イギリス政府が核兵器の材料として買い上げることになっており、・・・・発電コストが低く抑えられている理由・・・だったのである。 p114
*日本初の商業炉は、終始、正力松太郎が主導権を握り、安全性や経済性につして様々な問題を抱えたまま、イギリスから導入することが決定された。  p119
  →正力は、ヒントン卿のいうことに惚れ込んだのだという。
 →「ある意味で口火を切ったのは中曽根さんかもしれないけれども、原子力発電ってことになると、やっぱり正力さんってものを忘れることはできない。正力さんの決断で踏み出したから、後は加速度的にサーッといったような気がするんです。」(島村武久)p146*そりゃ35メートルの高さだったら津波の被害を受けなかったかもしれないけれど、そんな所に発電所を造れたかということですよ。造れたかもしれないけれど、非常に高いものにつくでしょうね。経済的に安くすむということから、GEを選んでターン・キーという形で契約を結んだわけだから、それを覆してしまったら、全く意味が無いと言うことですよ。(豊田正敏氏の発言)  p167  ←元東電・原子力開発本部、原子力部長代理
 → この判断は当時としては妥当なものだったと語る。

 第Ⅱ部は表題「そして”安全神話”は生まれた」のとおり、「安全神話」が作られた経緯を証言・資料ベースで明確に跡づけしている。
 アメリカで開発された軽水炉型原発が「プル-ブン・テクノロジー(完成された技術)」として日本に輸入されたことにより、「少なくとも国は積極的に技術開発に投資する必要はない」「完成されたという認識が、ミスリードした思想的な背景にあるのではないか」(p182、殿塚猷一氏)とみる。さらに、「原発が設置された地域の住民感情に配慮する余り、日本では原子力の危険性と向き合ってこなかったことが、今回の事故被害を大きくした背景にある」(p183)という議論がメンバーで議論されているのだ。
 第5章で、原子力の科学技術の限界と安全性を問おうとした「日本初の科学裁判」となったで「伊方原発訴訟」が「作られる側」住民の視点に立って、議論の経緯が再検証されている。フクイチで現実化した問題事象のほとんどがこの裁判の中で論じられているのである。安全性の捉え方について、国側の証言者の発言記録から、どこで論理の展開が打ち切られているかがよく分かる。事故の想定において必ず緊急炉心冷却装置(ECCS)が働くという前提で、立地評価がなされているということが当然視されているのである。(p222)「無視できる程度のリスクは受容可能であるということで、原子力発電の利用が容認・推進されるということの認識が大切である」(裁判当時、原子炉安全専門審査会会長、東大教授、内田秀雄氏)という認識は、現在も原子力ムラの認識としてなんら変化していないのではないか。そんな気がしてならない。
 
 第6章では、火力発電の公害問題が取り上げられ始めた1970年代初めに、オイルショックが発生し、日本経済の低迷の最中で、1974年8月の朝日新聞への最初の原子力広告を皮切りに各新聞に続々と原子力広告が登場して行った経緯が跡づけられている。そこには企業として収入源を補うために広告掲載の収入源として原子力広告が位置づけられていったこと、金の力が結局、報道における報道の仕方に影響力を及ぼして行ったという事実が読み取れる。
 「権限と人員を持った原子力規制を担当する強力な機関を設置すべきだという声は、原子力行政懇談会の議論の過程で、原子力政策の推進を前提としたものへと姿を変え、最終的に法律化されるときには、権限の弱い諮問機関的な安全委員会の形に収まった。原子力政策推進のためには、『規制』ではなく、あくまでも『安全の確認』にとどめるという姿勢が貫徹されたといえる」(p257)。原子力行政にとり御しやすい形に変質した経緯もよくわかる。
 電力会社各社が、一旦原発を導入し建設稼働すると、稼働率向上という側面に突っ走っていき、それ故にトラブルの隠蔽、虚偽記載の横行などの発生してくる経緯が明らかにされている。

 第7章では、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故が発生して行ったにもかかわらず、あるいはそれ故に原子力ムラが自らの安全神話に縛られていった経緯が克明に追跡されている。安全だと言い続けてきた前言を翻せないというジレンマがそこにはある。
 「深刻な原発事故が『起きる可能性がある』としたら、住民は原発を受け入れるだろうか。」(p286)この根源的な問題に行き着いても、そこを曖昧にしたままで進める姿勢が、現在もそのまま温存されているのではないか。
 このあたりの論理思考を検証するのに有益だ。

 第Ⅲ部の表題は、「”不滅”のプロジェクト」である。
 これは第10章に出てくる伊原義徳氏の体験的感想に由来する。「日本ではプロジェクト不滅の法則というのがあって、いかにおかしくても死なないと。プロジェクト不滅というのはおかしいじゃないかって叱られるんですけれど。まあいったん決めたら何とか最後までやるというのが、体質なんでしょうか。」(p369)という箇所だ。そして、副題にある「核燃料サイクル」もまさにその様相を呈してきたし、今なお継続しているというところにある。現在までの道程を明らかにしようと試みたのがこの第Ⅲ部だ。
 伊原氏は、この法則を持ち出した続きに、「高速増殖炉開発」を挙げて、「依然として今の考えでいけるのかどうかという問題は、私は個人的にはちょっと気になっておりますが。まあ依然として、再処理をやってというのは、理屈は一番いいんですけど」と疑念を述べている。
 上掲のとおり、第Ⅲ部は3つの章で構成されている。「なぜ日本は核燃料サイクルを目指したのか」「核武装疑惑解消のために」「壮大な夢の挫折-変質するサイクル計画の”目的”」という文脈である。
 以下、キーセンテンスと思われる箇所を抽出してみよう。詳細な道程の分析は本書をぜひご一読いただき、それぞれにお考え願いたい。

*正力(松太郎)の他にも、核燃料サイクル計画に関心を持たない人々は数多くいた。中でも最も及び腰だったのが、電力会社をはじめとする産業界だった。 p313
*追い風となる出来事が起きた。1973年の第一次オイルショックだ。石油に頼る火力発電の将来が危ぶまれるようになる中、プルトニウムをリサイクルして使う核燃料サイクルに、経済界を中心に大きな期待が寄せられるようになったのである。
  → この時のさらなる追い風を著者は例示する
    1977年4月 茨城県大洗町の研究用小型の高速増殖炉「常用」が初臨界に成功
    1978年3月 福井県敦賀市の新型転換炉「ふげん」が臨界に成功 同7月初送電
    1978年   茨城県東海村に小規模のプルトニウム抽出の再処理施設建設
  → 国が核燃料サイクル計画に執心し、経済界は資本の論理(利益)だけなのだ。
 現在、「ふげん」では、26年間がかりの廃炉作業が行われている。発生する高レベル放射性廃棄物の処理や管理には、数千年から数万年が必要と見込まれている。 p344
 685億円かけて建設されたふげんは、本来の増殖炉としての役割を果たすことなく、「プルトニウム焼却炉」として使われ続けた。増殖というメリットを生かせない限り、その機能とコストを比較すると、新型転換炉は、軽水炉に全く太刀打ちできるものではなかった。 p344
*外務省の官僚たちは、核燃料サイクルによってプルトニウムを取り出せることに注目。この技術を開発することにより、日本がいつでも核武装できる体制を整えておこうと考えていた。核武装という選択肢を持っておくことは、日本の防衛・外交上必要だという考えは、同僚の間で共有されていたと、矢田部氏は語った。(付記:元外務省国際連合局の科学科長・矢田部厚彦氏) p331
*科学技術疔の官僚たちは、・・・もんじゅの事故以降、プルサーマル以外に、プルトニウムを使う手だてが見当たらなかった・・・最終的にプルサーマルは、2000年の長期計画で国策として行っていくことが明記された。  p362
*科学技術疔から計画を引き継いだ文部科学省は、今後も高速増殖炉の開発を軸に、核燃料サイクル計画を進めて行くこととした。→2011年の小委員会の結論を踏まえ p366-7
 現在でも、今後の核燃料サイクル計画の具体的な方針を巡る意見はまとまらず、継続して議論されていくことになっている。  p368
*半世紀の時間と巨額の国家予算をつぎ込んで推し進められてきた、核燃料サイクル計画。壮大な夢を追った後に残されたのは、半減期2万4000年のプルトニウム。そして、この先10万年にわたって監視を続けなければならない高レベル放射性廃棄物だった。 p370

 「資源エネルギーをいかに確保するか」が原子力選択にあったという。資源エネルギー確保は、いつの時代においても基本テーゼである。原子力の選択において、基礎科学研究の論理が横に押しやられ、資本の論理、欲望の論理が何時かしら「危険なものは危険」という日常感覚を麻痺させ、核燃料サイクル計画を不滅のプロジェクトとするまでに、つっぱしてってしまった事実。原発メルトダウンへの道に至った現実。
 やはり、ここでその事実を見つめ直す必要があるのではないか。

 「あとがき」は末尾でこう述べている。
 「原発の安全神話という病理が私たちの社会に根を張る過程を見つめた本書が、原発反対を訴える人々にとっても、原発推進を訴える人々にとっても、これまでの原発に深く関わってこなかった人々にとっても、巨大技術がはらむリスクを客観的に見つめる一助となれば望外の幸せだ」と。

 最後に、本書第Ⅰ部に関連して、『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』(有馬哲夫著・新潮新書)を併読されることをお薦めしたい。この「遊心逍遙記」を書き始める前に読んだ新書である。重ね合わせると、さらにその経緯について、視点を広げることもでき、事実の理解が深まると思う。

    
 ご一読ありがとうございます。
 


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本書関連で関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

ETV特集 シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論
  :「録画テータベース」
NHK ETV特集 原発事故への道程(前後編)文字起こし :「PUKIWIKI」
 
正力松太郎 :ウィキペディア
中曽根康弘 :ウィキペディア
 
再処理推進への懸念示す島村研究会資料 20年前の当事者等の会合記録から
  :「核情報」
敗戦後日本にもちこまれた悪魔の火:原子力(1) :「社会科学者の時評」
敗戦後日本にもちこまれた悪魔の火:原子力(2) :「社会科学者の時評」
プルトニウムの危険性   :「社会科学者の時評」
 
発電炉の仕組みのちがい :「発電所の種類」
原子力発電の仕組みとは? 原発先生の特別授業 用語集
 
東海村 :ウィキペディア
東海村JCO臨界事故 :ウィキペディア
動力炉・核燃料開発事業団  :ウィキペディア
日本原子力開発機構 ホームページ
日本原子力発電 :ウィキペディア
日本原子力発電株式会社 ホームページ
日本原燃  ホームページ
 
六ヶ所再処理工場 :ウィキペディア
六ヶ所再処理工場反対  「美浜の会」のサイト項目 
六ヶ所再処理工場に伴う被曝-平常時と事故時   小出裕章氏
たねまきJ「六ヶ所村再処理工場 ・恐るべき再処理の実態」小出裕章氏(内容書き出し・参考あり)7/19 :「みんな楽しくHappyがいい」
【六ヶ所再処理】工場周辺住民の被爆を国は認識 2012-12-23 :「原発問題」

プルサーマル :ウィキペディア
プルサーマル計画 :「日本原子力発電株式会社」
プルサーマル :「電気事業連合会」
概要:プルサーマルの危険性を警告する :「核情報」
プルサーマル導入-その狙いと危険性  小出裕章氏
プルサーマル MOX燃料の危険性!? 日本が保有するプルトニウムは4000発分!
 
伊方原発訴訟 :ウィキペディア
伊方原発をとめる会 未来に負の遺産を残さないために ホームページ
伊方原発訴訟上告審判決 ジュリスト pdfファイル
原発行政への司法審査のあり方 三つの原発訴訟最高裁判決から考える 首藤重幸氏
伊方原発訴訟判決の問題点  礒野弥生氏
原発訴訟における「主張立証の必要」について  安井英俊氏
証言 伊方原発訴訟
 
原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染
お気に入り記事へ保存 04:31 05/27 2011 三宅勝久氏 :「 My News Japan」
 
伊方発電所の安全対策について :「四国電力株式会社」
 
ふげん :ウィキペディア
もんじゅ :ウィキペディア
小出裕章さんにきく。(4) - 「もんじゅ」と原子力研究の歴史について。
- 2014.04.28 音声   :Youtube
迷走続く夢の原子炉「もんじゅ」 事故、不祥事で信頼失墜  ;「福井新聞」
    (2014年4月5日午前7時15分)
福島原発以上に危険性のある高速増殖炉『もんじゅ』で今起きていること
 :「ガジェット通信」
 
原発個別地図・六ヶ所再処理工場(青森県)からの距離 :「ちょっと便利帳」
原発個別地図・大飯発電所(福井県)からの距離    :「ちょっと便利帳」
原発個別地図・浜岡原子力発電所(静岡県)からの距離 :「ちょっと便利帳」
原発個別地図・伊方発電所(愛媛県)からの距離    :「ちょっと便利帳」
 
原子力百科事典 ATOMICA :「高度情報科学技術研究機構」
 


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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』 東浩紀編 genron

『原発ホワイトアウト』 若杉 洌  講談社  ←付記:小説・フィクション
『原発クライシス』 高嶋哲夫  集英社文庫 ←付記:小説・フィクション

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (41冊) (更新2版)



『満つる月の如し 仏師・定朝』 澤田瞳子  徳間書店

2014-06-01 10:46:02 | レビュー
 最近、仏像鑑賞のための本を数冊読み継いできていたので、たまたまある新聞記事でこの作品名を知り、「仏師・定朝」という副題に関心をもち読んだ。その際、本作品が新田次郎文学賞の受賞(2013年)作品だということも知った。この著者の作品を読むのはこれが初めてである。

 この作品は交響曲定朝という感じだなというのが私の第一印象である。平安時代に七条仏所の定朝が若くして卓越した彫像能力を持ちながら、仏像制作という形での彫像に苦悩する。しかし最後は宇治・平等院鳳凰堂の丈六阿弥陀如来座像を世に残す。そして、後の世に「定朝様式」という仏像造形スタイルが確立されていくことになる。ある意味で苦悩から歓喜へのプロセスが描かれて行く。
 主旋律は勿論、仏師・定朝の生き様、思いである。彫像能力の才に満ちあふれながら、仏像制作を行うこと、仏像の存在そのものに疑問を抱くという苦悩。そこからあの定朝様式がどのように生まれてきたのか・・・そのプロセスが主旋律である。
 この主旋律を際だたせ、サポートし、時には対立する局面をみせながら、副旋律が主旋律に絡まっていく。そして、主旋律を奏でる楽器(定朝)に対して、他の楽器(関係者)が合奏し、重奏し、時には独奏していく。交響曲第九の冒頭のメロディが印象深いようにこの作品も、序章と最終章で鳳凰堂阿弥陀如来坐像に託された定朝の思いがメロディとして奏でられている。

 著者は序章で完成した平等院鳳凰堂の絢爛豪華、荘厳さから書き始めている。
 「定朝が持てる能力のすべてをつぎ込んだ阿弥陀如来への思いは、余人には理解できないだろう。
  養子である覚助は、配下の仏師たちを退け、たった一人で本尊の制作に打ち込む定朝に、苦笑いを隠さなかった。だが、まだ三十歳にもならぬ彼には分かるまい。御仏を作るとは、目に見えぬ仏を彫像として刻みだすだけではない。人の心に秘められた仏性を探り、すべての人々にその在処を告げ知らせる行為なのだ。」(p6)
 この文が主旋律の核になるメロディである。若き定朝の中にこのメロディがしっかりと染み渡り鳳凰堂阿弥陀如来に結実していくというプロセスが定朝の苦悩から歓喜への道程である。だが、定朝自身にとって本来の「歓喜」はその一歩手前で未達になったのではないかという印象が残る。それは最終章に次ぎの記述があるからである。

 ”「隆範さまはいつも、定朝どのはいつか素晴らしい御仏を作られるであろうと、嬉しげに申されておりましたから」
 滝緒のすすり泣きを聞きながら、定朝は重荷を下ろしでもしたような寂しい、どこか虚ろな開放感が心を満たしていくのを感じていた。”(p379)
 「よく来てくださいました。さあどうぞ、本堂に上がってくだされ。隆範さまの目となって、それがしの畢生の作をしかとご覧くださいませ」(p379)
 「なにやら棟梁は平等院の造像が終わって以来、魂が抜けたようになられてしまったのう」(p380)

 定朝は、畢生の作を完成させた。そして歓喜とは別の心境に至ったように思う。
 
 年齢16,7の頃の定朝から享年53歳までを描き、定朝の死から3月余り経った冬のある日のシーンで終わる。
 定朝の墓の墓前に手向けられた古びた料紙。薄い冬の日に料紙に散らされた金銀の箔が映じて薄い光を放っている。境内を掃き清めていた寺男がそれに気づく。手に取ると、料紙には歌が記されていた。
   今ぞこれ 雲間に行かんかりがねの すぐなる道を照らす影かな
 「なんじゃ、妙な手向け物じゃのう。同じ供えるのであれば、後ほどわしらに役立つ品がよいのじゃが」・・・・・寺男は料紙をぐしゃりとねじり、懐に突っ込んだ。(p381,382)

 鳳凰堂阿弥陀如来坐像を仕上げた定朝の心境とこの料紙の歌一首、平凡な寺男の反応。ここに著者のこの作品へのテーマがあるように思う。

 p6の引用箇所の次の行が、「中務さま--それに隆範さま・・・」である。
 この隆範が副旋律を奏でる人だ。ある意味、著者は僧侶隆範の人生を反面で語りたかったのではないかという気もする。いわば重要な准主人公。
 隆範は、一条帝の東宮学士を務めた学者貴族・高階成忠の子であり、幼くして比叡山に登った。天台座主・院源を師として仕え、24歳の春に学生生活を終えたばかりで、師院源の推挙もあり内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんんじ)の一人となり、宮中の護持僧の一人となっている。その隆範は、師・院源を戒師として出家した藤原道長が造営を始めた「法成寺」の九体阿弥陀堂に運び込まれてきた仏像を見ることから定朝との関わりができていく。
 定朝の父・康尚を棟梁として九体阿弥陀堂に仏像が運び込まれる。だが搬入過程で、その一体の阿弥陀如来像の尊容に傷が付いた。道長の計らいで、御像にまだ直すべきところがあれば直せという示唆・指示を得る。運び込まれた像を眺める道長はじめ参集した人々の居るただ中で、定朝が傷ついた阿弥陀如来の顔に鑿を振るいその尊容を修正してしまう。金泥が剥落し、木地と漆が露わになったままだが、修正されたその尊容は道長はじめそこに居た人々を魅了してしまうのである。
 「仏像を福々しく肉感的に作るのは、奈良の昔から行われてきた手法である。しかしいま目の前に現れたそれは、目鼻や頬の丸みを可能な限り薄く作ることで、淡く嫋やかな風情と不可思議な生命感を醸し出していた。」(p27)このとき、定朝16歳である。
 定朝が鑿を振るい修正した如来像を見た隆範は、その如来像に己の胸を激しく揺さぶられる。叡山始め諸寺の数多の仏像に接してきている隆範の心を初めて揺り動かした仏像となったのだ。
 院源の代理で列席していた隆範は叡山に戻り、この仏像のことを師に伝える。叡山山内には諸像の修理・造営を担当する仏所がある。仏所を監督する老僧朝覚は山外の仏師を侮蔑している。その背景の中で定朝に仏像を造らせたいと院源に進言する。隆範は定朝作の仏像を朝廷をはじめ貴族社会の中に広めていきたいという決意へと進んで行く。そして定朝に活躍の場を与えるため、自らサポートを推進していくことになる。主旋律を引き立てていくための副旋律。しかし、その共振・共鳴も相互に相容れない対立を引き起こす局面を内在し、それが発現される時が来る。それは避けることのできないノイズである。

 定朝には天才的な彫像の技量がある。しかし、彼は造像という行為を突き放してみている。御仏を作る行為は嘘っぱちなものと見ている。御仏が居るならば、なぜ盗み、略奪、疫病が日常茶飯事の如く起こるのか。孤児となり飢えて死にそうな子ら数多く存在するのか。美しいと人が褒める仏像を作っても何も救われないではないか。父の如くに、貴族諸賢の意を受けて、期待に沿う仏像を作り、名を成す行為に意義があるのか。
 「父はさすが大仏師です。御仏の存在などどうでもよいと言い放ち、如何にすればより尊げな御仏が作れるか、その一事のみに精勤しております。ですが僕には到底、あんな真似は出来ません」。
 その思いを基底に抱く若き定朝。その定朝が彫像した仏像が、人々を魅了し癒やしているのも事実なのだ。

 内供奉であることを伏せて隆範は七条仏所に定朝を訪ねる。定朝への造像依頼のためである。ここから定朝と隆範がどのように関わりを深めていくか、そして互いに越えることのできない局面がどこにあり、それがどのようにあらわれるかが読ませどころである。
 
そしてこの二人の奏でる旋律に、様々な人々がそれぞれの旋律を奏でて交響していくことになる。主な登場人物を点描しておこう。

康尚 定朝の父。七条仏所の棟梁、大仏師。貴族の評判を得ている仏師。
   だが、若き定朝は父の考え方に反発心を持っている。康尚は打楽器ような役割。

甘楽丸(かんらまる) 叡山の色稚児として生き、そのまま叡山で生活する人物。
   幼児期からの隆範を知る。定朝と関わっていく隆範の行動を常に援助する。
   副旋律の展開、躍動に重奏していく役割を担う。

滝緒 隆範の従者。牛車を担当する牛飼いの童として仕えるところから始まる。
   滝緒もまた、打楽器的役割。隆範の死を鳳凰堂に居る定朝に伝える。

道長 この作品では重要舞台を提供する後見人的存在。要所要所でインパクトを発揮。
   交響曲で奏でられる旋律に打楽器が強烈なインパクトをあたえるような存在。

彰子 道長の長女。太皇太后として登場。父道長のやり方に批判的である。
  一方で、宮廷の人間関係の面から政治的な配慮、決断をし、関わりを持っていく。
  主旋律を引き出し、副旋律を助け、不協和音の発生を打ち消していく調整者的役割
  隆範を介して定朝を支援する立場をとる。

敦明 小一条院敦明親王。道長により皇太子位を譲らされた人。道長に悉く反発する。
   敦明の行動は、交響曲の中で不協和音を奏で続ける人となる。
   ネガティヴな形で定朝や隆範、藤原家との関わりを続ける展開を繰り返す人。

中務 彰子に仕える人。敦明の心情に対する唯一の理解者。悲しみの旋律を奏でる。
   敦明という不協和音を緩衝する旋律を奏でようとするが・・・虚しい立場。
この女性が定朝の造像にとってキーパーソンになる。定朝には打楽器的存在。
   
小式部 和泉式部の子。弘徽殿では中務の唯一の友。中務の心情の理解者でもある。
   常に独自の自由奔放なメロディを奏で続ける人として描かれる。
   それは敦明、中務との関係で奏でられる独自の協奏。だが主旋律に関わっていく

小諾 女童の頃より彰子の許で宮仕えする人。
   時折、副旋律に共鳴する音を奏でていく。定朝の手になる仏像への心酔者となる
   隆範へのインパクトは九体阿弥陀堂から御所に戻る際に童の小諾が詠んだ歌
    むらさきの 雲路に渡る鐘の音に こころの月を託してもがな
   から始まっていく。

道雅 左近衛中将。道長に対する関係では敦明と共通点のある人。対極の生き方を選択
   彰子を陰で支えていく役割を担う。副旋律(隆範)を強める旋律を奏でていく。
   間接的にに主旋律の響きに共振し、増幅させる役割を担う。
 
能信 醍醐帝第十皇子・源高明の娘で高松殿(道長の第二夫人)と称される明子の子。
   宮人の一人として、隆範と親しい関係を保っていく。副旋律を時に増幅する役割
   
栄暹 都の孤児を多く保護し、無仏の荒寺・道光寺に住む僧。比叡山から下山した僧。
   主旋律(定朝)の苦悩、思いの根元に関わり、底流の旋律を奏でていく人。
   生き様として、副旋律(隆範)にインパクトを加える打楽器的存在となる。

 こういう人々が鳳凰堂の丈六阿弥陀如来坐像が定朝により生み出されるまでの物語を織りなしていく。あたかも本作品の本文が4章で構成される交響曲のように、様々な人々の思いが音色として響き合い、交わっていく。
 ちょっと特異な女性、小式部内侍について付記しておこう。ネット検索していて、ウィキペディアは小式部内侍が「万寿2年、藤原公成の子(頼忍阿闍梨)を出産した際に20代で死去し」と記す。本書著者は敦明親王との間の子として設定している。解けない謎のまま残る一事例なのだろうか。著者の設定が中務の悲劇的な生き様を一層際立たせることにはなる。中務の内奥の思いとは別にして・・・・。

 隆範、甘楽丸、滝緒、中務、小諾、栄暹などは、著者の創作による一群の人々であろう。だが、定朝という仏師が生み出されるプロセスをリアルにしていく人々でもある。一読の価値ありと思う。物語の調べとともに、感情移入してしまう高まりを与えられた書だった。

 終章に、鳳凰堂の阿弥陀如来を造像する定朝の思いとして、次ぎの一節がある。
「されど頬は丸く、穏やかに--そう、たとえれば満月の如く作らねばならぬ
 ・・・・・
 言うなればそれは地の底から静かに湧き出る泉にも似た静謐さ、身の内に充満した穏やかな生命の息吹の如く、やさしく繊細な丸みでなければならない」(p371)と。
 タイトル『満つる月の如し』はここに由来するのだろう。

 定朝様式の仏像は数多くあるが、定朝の作と称されるのが平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像だけとは、実に残念だ。しかし、鳳凰堂の修復が終わり、この春からかつての鳳凰堂の姿が蘇ったというのは、うれしい限りである。再公開での拝観ブームが少し低調になった頃に、久しぶりに阿弥陀如来を拝見に行きたいと思っている。

ご一読ありがとうございます。

本作品に出てくる語句と関連事項をいくつかネット検索した。一覧にしておきたい。
法成寺址  :「フィールド・ミュージアム京都」
法成寺   :ウィキペディア
定朝 :ウィキペディア
仏師 定朝 :「神奈川仏教文化研究所」
藤原道長 :ウィキペディア
藤原彰子 :ウィキペディア
敦明親王 :ウィキペディア
藤原寛子 :ウィキペディア
小式部内侍 :ウィキペディア
七条仏所 ← 七条仏所跡 :「京都風光」
康尚  :ウィキペディア
定朝と七条仏所跡 :「平安京探偵団」
上品蓮台寺と蜘蛛塚、定朝の墓 :「京都検定合格を目指す京都案内」
糖尿病と藤原道長 :「古今養生記」
 
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