遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『悪玉伝』 朝井まかて  角川書店

2018-11-28 12:06:56 | レビュー
 この小説の末尾近くに次の一行がある。「わしこそが、亡家の悪玉やった。欲を転がして転がして、周りの欲もどんどん巻き込んで、江戸にまで転がったわ。」タイトルの「悪玉伝」の悪玉は直接的にはこの第一文の「悪玉」に由来すると言える。だが、そこには誰が「悪玉」なのかという問いかけが潜ませてあるのでは、という印象をいだかせた。
 「わしこそが、亡家の悪玉やった」と考えたのは誰か? 木津屋吉兵衛である。
 この小説、「大岡越前守忠相日記」の元文5年(1740)に「辰已屋一件」として記録された事項を題材にして、元文4~5年に大阪で発生した辰已屋騒動の顛末を史実という実像部分に作者の想像と構想の虚像を織り交ぜたフィクションである。
 読後印象は、ストーリーの転がり方に惹きつけられて一気読みさせられたに尽きる。
 そして、この小説のストーリー展開と著者のスタンスからみて、吉兵衛は本当に悪玉なのかという問いかけが読後に残る。この小説の巻末に参考文献が一覧となっている。そこに、内山美樹子氏の論文『辰已屋一件の虚像と実像 -大岡越前守忠相日記・銀の笄・女の舞剣紅楓をめぐって』が掲記されている。研究者の立場から論じられている。これは早稲田大学リポジトリから入手し拝読できる。木津屋吉兵衛という人物については辰已屋騒動の起こった同時代からも様々な見方があり、話題性が高かったようである。悪玉・善玉論を考えてみる上でも、興味深い。こちらの一読もお奨めである。

 吉兵衛は、堀江吉野屋町の富商、薪問屋辰已屋の次男に生まれた。父の生家(木津屋)が跡継ぎに恵まれないことから、吉兵衛は13歳の時、持参金3000両と共に木津屋の養子となった。だが、家業は番頭任せで、芝居見物を始め遊興に明け暮れ、京大坂の文化人と交わり、自ら文雅堂という私塾を開き、塾生の面倒をみるという生き方をする。遊蕩の限りを尽くしそれが因で、木津屋の身上を潰す直前に至る状況にある。一方、兄は辰已屋久左衛門衛を継承し、家産200万両、大番頭の与兵衛、嘉助を始とする5人の番頭を筆頭に460人の奉公人がいるという大坂では名の通った富商である。その兄が突然に亡くなる。18歳の一人娘の伊波には、泉州の廻船問屋・唐金屋から2歳年下、16歳の乙之助が養子となり、伊波の許嫁となっている。その乙之助が有ることから通夜・葬儀の慌ただしい最中に、相州の生家に帰ってしまう。亡くなった兄のために、伊波・乙之助の後見人として助けようと思っていた吉兵衛は、そのため辰已屋の「跡目相続人」として表向きの手続きを済ませて、兄の葬儀後の辰已屋の運営に入り込んでいく。
 
 「第1章 満中陰」では木津屋吉兵衛の人物描写から始まり、通夜、葬儀から満中陰までの顛末が描かれる。その中で、木津屋、辰已屋、唐金屋などの関係者及び吉兵衛の交友仲間が明らかになる。

 「第2章 甘藷と桜」は、場面が一転して江戸になる。大岡越前守忠相が登場する。忠相と長いつきあいとなる配下の加藤又左衛門、青木文蔵(号は昆陽)との間で、甘藷の厚切りを試食するという場面から始まるので、話はどこに行くのか・・・・と思ってしまう。大岡忠相がどういう状況にいたかが読者に見え始める。将軍吉宗の指示で、染井村の植木商、霧島屋に出向く。玉川小金井堤に奈良の吉野山の桜を運び込み植樹するという計画話が出る。老中首座、松平和泉守乗邑が昵懇にしている廻船問屋・唐金屋が商い抜きで協力すると申し出ていると、忠相は霧島屋から聞くことになる。ここに伏線が張られていく。
 
 跡目相続人の手続きを済ませた吉兵衛は、辰已屋の運営実態、内実を知り始める。一方生家に帰ってしまった乙之助の問題は、大坂の商人として唐金屋とは直接の話し合いで決着を付けられると心積もりをしていた。しかし、乙之助は大坂の奉行所に訴状提出するという挙に出る。「第三章 白洲」が最初の山場になる。吉兵衛は交友仲間を仲介にして、大坂の商人流儀で手を打っていく。その結果は吉兵衛側の勝利となる。そして、吉兵衛は辰已屋久左衛門としての欲を転がし始める。この白洲の顛末が、火種となっていく。

 「第4章 鬼門」、「第5章 依怙の沙汰」、「第六章 辰已屋一件」、「第7章 波紋」は第2ステージへと展開していく。そのトリガーとなるのは乙之助が江戸に出て、「御箱」(目安箱)に直訴状を入れるという手段に出たのである。ストーリーの舞台は大坂から江戸へと移っていく。
 ここで富商といえども商家の継承問題(一町家の内輪もめ)という次元だったはずの事象が、徳川吉宗の改革後の治政下における奢侈な振る舞いの問題、さらに贈収賄問題・疑獄事件としての次元が大きく絡まった事件へと急転していく。つまり、支配者側にとり、封建制構造社会の根幹を揺るがす政治的問題に転換して行く。
 ここには、大坂という商人社会基盤と江戸という幕府直下の武家社会基盤との風土の違いが根底に絡んでいる。さらに、流通経済や金融経済という構造面でそれまでの大坂の優位性が背景として存在する。忠相は貨幣改鋳問題で大坂商人との間で苦い経験をしていて、大坂を鬼門視していた。ところが、辰已屋一件を寺社奉行の忠相は、評定所の一員として、吉宗の下命で直訴された辰已屋一件を改めて直接裁き、結論を上申する立場に投げ込まれていく。
 
 この後半の読ませどころにはいくつかのストーリーの糸筋がある。
*大岡忠相の視点を通して描き出される吉宗の治世の有り様と江戸幕府に食い込みつつある唐金屋の有り様。
*辰已屋の跡目相続人となった吉兵衛の家族を含めた辰已屋での内輪の事情
*辰已屋吉兵衛が江戸からの差紙により拘引され江戸送りとなり、牢屋入りとなる。
 牢屋暮らしが克明に描かれる。ここにまた一つの伏線が組み込まれて行く。
*治世者としての評定所側の描写。忠相の観点での事件の捉え方。
*終始木津屋吉兵衛として尋問対象となる吉兵衛のスタンスと事態の捉え方
*辰已屋一件の関係者の処分状況
これらの糸筋が絡まり合い太い筋として、評定所の下す結論とその一部変容へと集約していく。

 ここで興味深いのは、一旦だされた吉兵衛への処分内容に、吉兵衛が最後まで抗う点にある。そして、遂に吉兵衛は乙之助の父である唐金屋与茂作と直談判する機会を得るというクライマックスに連なっていく。

 最終章である「第8章 弁財天」は2つの立場を語って終わる。
 一つは、辰已屋一件に関与した大岡忠相の考えたことと、彼が己の日記に「辰已屋一件」を記録に残したという事実。だがそれは事実の一端を記録したのみという。
 もう一つは、最終的に吉兵衛はどうなるのか。

 あとは、直接この小説を開いて、楽しんでいただくと良いだろう。

 補足として記す。小説に触発されて内山美樹子氏の論文を読んでみた。当論文よると、1739~1740の辰已屋騒動の後に実録小説『銀の笄(かんざし)』が創作され、1778年には歌舞伎潤色されて舞台で上演されていた。事件6年後の延享3年には「女舞剣紅楓」が大坂で初演された。また、歌舞伎狂言「棹歌木津川八景」も創作されているという。さらには、関連作として寛政5年(1793)に歌舞伎狂言「けいせい楊柳桜」、寛政6年(1794)に浄瑠璃「持丸長者金笄剣」が初演されているという。一方で、基礎史料として、上記の「大岡越前守忠相日記」のほかに『徳川実記』、『町人考見録』、『翁草』などがあり、事実内容に迫ることができる。大正2年(193)に出版された『大阪市史』第1巻・第3巻に辰已屋騒動が記されている。これら史資料をもとにした虚像と実像の分析論考を、併せて読むとさらに興味深い。
 辰已屋騒動を題材にして江戸時代に連綿として形成されてきた創作物の存在と、史料が書き残さなかった空隙が、著者のイマジネーションを刺激し、この小説を創作させる動機づけになったのだろう。私はこの小説を読み、初めて辰已屋騒動の存在を知った。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
辰巳屋一件の虚像と実像-大岡越前守忠相日記・銀の笄・女舞剣紅楓をめぐって-
内山美樹子氏  早稲田大学大学院文学研究科紀要  早稲田大学リポジトリ
大阪をホジクル 23.辰巳屋騒動
「”相対済し令”の盛立と展開-その2-」 大石慎三郎氏 論文 学習院大学
名奉行・大岡忠相の実像-図書館の図書散歩- 荒井貢次郎氏 :「東洋大学」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

 
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『阿蘭陀西鶴』  講談社文庫
『恋歌 れんか』  講談社
『眩 くらら』  新潮社
 

『英文快読 政権交代から見えてくる日本の歴史』 著=西海コエン IBCパブリッシング

2018-11-25 12:53:38 | レビュー
 英文快読シリーズを読むのは2冊目である。本書の特徴は、5章構成になっていて、日本の歴史の中で、政権交代が行われた転換点だけに絞り込んで、その歴史的状況を説明している点である。全体では、52の転換点にまとめられている。その転換点の抽出数を本書の構成の紹介と合わせてまず量的にまとめてみよう。
1章 古代 Acient Period    (11)
2章 中世 Medieval Period    (10)
3章 近世 Early Modern Period (12)
  4章 近代 Early Modern Times (12)
  5章 現代 Modern Times ( 7)
 私にとっては、ここでまず「近世、近代、現代」を英語でどう表現するかから学ぶことになった。今まで、どう英訳するか考えてもいなかったからである。現代の事項について数が少ないのは、「過去の歴史ではなく、評価するには時期尚早」という判断によると「あとがき」に触れられている。

 日本の歴史を学校教育で学んでいる。そして、個人的にも特定の時代や特定の関心から歴史関連書を読んだことはある。時代小説レベルでは結構読んでいるが、ここには史実とフィクションが入っているから別枠とみよう。だが、通史的に政権交代の変遷を考えたことはなかった。そういう意味で本書は、まず英文を読みながら古代から現代までの政権交代の有り様や新たな変化が生じた時のことを学び直すという副産物が第一のメリットになった。今までに身につけていた断片的知識を再整理するという意味でも役立つ。
 第1冊目の紹介で触れているが、英文には単語や熟語に翻訳語(句)がルビとして付いている。その助けだけで、まあまあ読みすすめる「快読」感もある。勿論、英文全文の訳文が載っている。
 
 英文快読シリーズと言いながら、日本語タイトルで語ってきた。本書の英文タイトルは、
   Japanese History through the Struggle for Power
である。

 たとえば、「3章近世」の政権交代としてどの事項がとりあげられているか見出しをご紹介する。最初の番号は52項目としての通し番号である。日本語の見出しを先に書き、その語句自体を英語でどう表現されているか、英文見出しを並記した。ここからだけでもいくつか英単語の使用法を学ぶことができる。
22 本能寺の変   The Honno-ji Incident
23 秀吉の統一 Unification under Hideyoshi
24 関ケ原 Sekigahara
25 江戸幕府の政権樹立 The Establishment of the Edo Shogunate
26 家光の改革 The Reforms of Iemitsu
27 吉宗登場 Yoshimune's Ascendance
28 大名のお家騒動 Clan Power Struggles
29 田沼政権の崩壊 The Fall of the Tanuma Regime
30 寛政の改革 The Kansei Reforms
31 天保の改革 The Tempo Reforms
32 一橋派と紀州派 The Hitotubshi Faction and te Kishu Faction
33 桜田門外の変 The Sakuradamon Incident

あなたが日本人であるなら、これだけの項目について、通史的レベルでその基本的な歴史的事実のポイントをまず日本語で説明できますか? そして、それを英語で説明することはできますか?
 私は、残念ながら歴史的知識としては、まだら模様というのが正直なところだ。本書で英文をまず読み進めることで、通史レベルにおいても、ああそういう側面・事実もあったのか、と認識を新たにする箇所がいくつもあった。

 現代についての7事項を日本語見出しで触れておこう。「46.吉田茂の時代 47.片山内閣の成立 48.55年体制の確立 49.岸内閣と池田内閣 50.田中角栄逮捕 51.天の声?福田内閣の崩壊 52.細川政権による自民党長期政権の終焉」である。

 本書の表紙に記されてるキャッチフレーズをご紹介しておこう。
「権力闘争から浮彫にされる日本史の全貌を英語でスッキリ快読!」というもの。

 さて、本書を読み終えて気になっていることに触れておこう。
 表紙に「著=西海コエン 訳=マイケル・ブレーズ」と記されている。表裏に二人のプロフィールが記されている。西海コエンは「1955年大阪生まれ。ニューヨークと東京をベースとするジャーナリスト、ライター」で、「英文で日本人の伝記なども書きおろし出版している」とする。一方、マイケル・ブルーズは「日本の大手出版社に編集者として30年以上にわたって勤務、独立後は、フリーの翻訳者・編集者として活躍」するという。
 本書は「英文快読」書だから、英文にルビ付きを主にし、「訳文」と題して、日本文の全訳説明が記載されている。
 西海コエンは本書の日本文説明を執筆し、マイケル・ブルーズが英文に翻訳したのだろうか? そして「英文快読」書として、英文(主)・訳文(従)というスタイルになっているだけなのか。あるいは、西海コエンが本書の英文を著し、マイケル・ブルーズが翻訳文を担当したのか。西海コエンが日本人で英文で執筆したなら、日本文での説明も自分自身で執筆するのが一番適切な筈である。日本生まれ日本育ちだが外国籍の人で日本人と結婚して日本姓を名乗る日本文化・歴史を熟知した人であっても、それは同じと思える。とすると、著=西海コエン、訳=マイケル・ブレーズという表記は、どう理解すればよいのか?
 本文を読む事からは外れるが、ちょっと気になる・・・・・。

 いずれにしても、「もともと日本人にとって親しみ深い『日本の歴史』を通して英語を勉強し、そこで得た知識で海外の人に日本を語るという一石二鳥の効果を狙ってみましょう」と、冒頭の「日本史を通して英語を勉強する意味とは」の中に記されている一文は的を射ていると思う。
 英文快読を通じて、改めて日本の歴史を学ぶことになったなあ・・・・。そんな感想を抱いている。

 ご一読ありがとうございます。

バイリンガルの英語学習本としては、徒然に次のご紹介をしてきました。こちらもご一読いただけるとうれしいです。
『英文快読 意外と知らない世の中の「なぜ?」』 ニナ・ウェグナー IBCパブリシッング
『世界のトップアスリート英語名言集』 デイビッド・セイン 佐藤雅子 Jリサーチ出版
『世界のトップリーダー英語名言集 BUSINESS』デイビッド・セイン 佐藤淳子 Jリサーチ出版


 

『棲月 隠蔽捜査7』  今野 敏  新潮社

2018-11-22 18:13:56 | レビュー
 著者の作品群の中では、好きなシリーズの一つである。竜崎伸也というキャリアの警察官を主人公とするシリーズもの。今回は、大森署署長竜崎が実質的に最後の陣頭指揮をして解決する事件となる。なぜなら、竜崎に人事異動の内示が発令されるという噂を警視庁の伊丹俊太郎刑事部長が竜崎に告げるからである。それが事実になる。どこに異動となるのか?それは本書を開くお楽しみに残しておこう。

 さて、今回は竜崎が朝出かける支度をしている時に、息子の邦彦がポーランドに留学しようと思っていると告げるところから始まる。邦彦は2年遅れで東大の学生になっている。留学すれば、さらに卒業が遅れることにもなる。
 竜崎が大森署に着くと、大森署管内を通過している電車がシステムダウンで止まっているという。システムダウンの原因は発表されていないと聞き、竜崎は問い合わせてみるように指示を出す。原因不明という回答を聞くと、竜崎は生安課長を呼び大森署の管轄外で高輪にある私鉄の本社にサイバー犯罪に詳しい捜査員を行かせろと指示する。ところが、その直後に、ある銀行でもシステムダウンが発生したという。本店は千代田区大手町。竜崎はこちらにもすぐに捜査員を行かせろと指示する。このことが管轄重視の警察組織に波紋・軋轢を呼び起こす。勿論、事件性を感じたらすぐに行動を起こすという原理原則主義の竜崎は、つまらぬ組織間の軋轢は気にも留めないが、周囲はハラハラしている。初っ端から異色な始まりとなる。まずは例の野間崎管理官が弓削方面本部長の指示で竜崎の前に現れる。竜崎を良く知る野間口管理官は板挟みの心境である。また、警視庁の前園生安部長からも文句の電話が入ってくる。このストーリー、おもしろい出だしだ。読者は、どうなっていくのかと興味津々となることだろう。

 翌朝5時に竜崎は携帯電話の振動で目を覚ます。平和の森公園内の池の畔で遺体が発見されたという。関本刑事組対課長からの報告である。竜崎は現場に臨場する。山辺検視官は遺体を見分し他殺と判断した。山辺は既に、竜崎がそろそろ禊を終えられる、つまり降格人事による警察署勤めを終えて異動するという噂を知っていた。山辺は、遺体に複数の殴打の跡が見られ、溺死させられたと判断したのだ。
 殺人事件として大森署に捜査本部が立つ。捜査本部長は警視庁の伊丹刑事部長、竜崎が副本部長である。警視庁からは、田端捜査一課長、岩井管理官が加わる。岩井管理官が捜査本部の中心の管理官になる。そして、組織的には竜崎が実質的に陣頭指揮をとる形になっていく。
 被害者については、大森署生安課に記録があった。少年係が以前からマークしていた非行グループのリーダーだった玉井敬太、18歳。夜回りをしていた少年係の根岸が深夜2時に恐喝の現場を押さえ、その結果家裁の審判により少年院送致となった。だが、一般短期処遇であり、6ヵ月後に少年院を出て来ていたのだ。そして元の非行少年グループに戻っていた。非行少年グループはギャングと呼ばれていた。捜査員は、このギャングのメンバー3人を任意同行させ事情聴取することから始めて行く。少年たちの取り調べということで、少年係の根岸が取り調べに立ち合う。彼女は、ギャングのメンバーたちの取調中に見せる普通より反抗的な態度から、誰かをかばっているのか、何かを恐れているのではないかと感じるという。
 捜査が進展する中で、いくつかの事実がわかってくる。
*玉井が少年院入りする前には、「玉井一派」などと名乗っていたこと。
*玉井が少年院から出て来て、戻ってきた時には、ギャンググループは「ルナティク」と名乗っていたこと。いつ頃から「ルナティック」と名乗り始めたかは不明。
*「玉井一派」と名乗っていたころに、玉井は一人の少年をいじめていたということ。
*玉井が殺されていた状況はリンチ殺人のように見えたこと。
などである。
 事情聴取を受けた少年たちが誰かをかばう、あるいは恐れている風に感じるのはなぜか? その点の解明が必要となっていく。
 そんな最中に、文部科学省のホームページが改竄されたという事件が発生する。このハッキングは、私鉄や銀行のシステムダウンの実行犯と同一の可能性も言い出される。

 玉井が少年院送りになる判断が家裁で下される前に、玉井は嵌められたのだと主張していたという。根岸が恐喝現場を目撃して逮捕していたのに、これはなぜか? このことを改めて調べ直すために当時の被害者を含めて改めて調査する作業も加わってくる。町の少年たちへの聞き込みを片っ端から根岸・戸高は行った結果から、少年たちもまた、事情聴取を受けたメンバー以上に何かを恐れている様子が見えるという。さらに、根岸は、大森署管内やネット上で、若者たちの間で、「ルナリアンが支配する」という言葉がよくみられるという。
 恐喝を受けた被害者にも改めて事情聴取が行われ、当時の事件発生までの状況が明らかにされる。また、いじめの対象になっていた少年も判明し、警察に任意同行してもらい事情を聴取することになる。
 捜査結果の事実を聞く一方、事情聴取に竜崎が立ち合うなどの行動から、思わぬ推論が竜崎には浮かび上がってくる。

 竜崎は、システムダウンの問題解明に携わらせている捜査員の田鶴に電話連絡をした折り、思いつきで、ルナリアンを知っているかと尋ねる。田鶴は掲示板やSNSで話題になっていることを知っていた。これが田鶴を触発し、思いがけない発想に展開していく。それが事態解明に結びついていく。このストーリーの中では、田鶴のキャラクターがけっこう楽しい。

 殺人事件を解明するためには物的証拠を懸命に捜査することが定石行動となている。聞き込み捜査も、物的証拠を発見し押さえるための作業である。だが、このストーリーでは、竜崎は信頼する部下たちが捜査過程で感じた思い・考えという物的証拠が未だない印象論にも合理性があると判断し、合理的な推論を展開していく。ここに原理原則主義者竜崎の新たな一面が加わっている。

 「ルナリアン」は「ルナー」は「月」であり、「ルナリアン」は「月世界の人」という意味になる。「棲月」という本書のタイトルは、このルナリアンに由来するネーミングのようである。

 このストーリーのおもしろいところは、内示の噂を知らされた竜崎の心に戸惑いが生じたという事実である。キャリアの国家公務員で警察官僚の己に取り、異動は当たり前という原理原則主義の己に起こった心理的動揺。竜崎には初めての体験だという。竜崎が実質的に陣頭指揮をとる捜査本部での捜査の展開プロセスの折々に、竜崎が己の心理の動きを自己分析していくことが織り込まれていく。これが正式に内示が伝えられる前の竜崎の準備となっていく。竜崎がどこに異動することになるのか? 読者にはそれが明らかになるプロセスを興味深く読む事ができる。
 異動の噂を伊丹から聞いた後、竜崎は帰宅して、妻の冴子に一応そのことを心の準備として告げる。竜崎は己の動揺には触れずに、「もしかしたら俺は、大森署に来てからだめになったにかもしれない」と言う。冴子は即座にそれを逆だと否定する。「大森署があなたを人間として成長させたの」と。実に適切で楽しい発言ではないか。
 このストーリー、竜崎の人事異動の内示と異動先の確定までに、家族を含め周辺の人々がどのように反応し意思表示していくかがおもしろい読ませどころにもなっていく。

 本書の末尾は、竜崎の大森署での最終日を描いている。感動的な場面描写でエンディングとなる。竜崎は新任地へ車で向かうというのが最終行となる。

 このシリーズ、当然今度の異動先での新たなポジションでの活躍が描かれることになるだろう。私は今から期待している。違ったおもしろみが加わるのではないかと。まさかこれでシリーズのエンディングではないだろう。

 ご一読ありがとうございます。

このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『回帰 警視庁強行犯係・樋口顕』 幻冬舎
『変幻』  講談社
『アンカー』  集英社
『継続捜査ゼミ』  講談社
『サーベル警視庁』  角川春樹事務所
『去就 隠蔽捜査6』  新潮社
『マル暴総監』 実業之日本社
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)

『日本史の内幕』  磯田道史  中公新書

2018-11-18 09:22:26 | レビュー
 「まえがき」の冒頭に著者は「この本は、古文書という入り口から、公式の日本史の楽屋に入り、その内容をみることで、真の歴史像に迫ろうとする本である。」とその立場を明確に宣言している。そして、その後に、「歴史教科書は、政府や学者さんの願望に過ぎない」と断定している。政府や学者さんは「彼らが信じていて欲しい歴史像」を書いているのだという。勿論、著者自身も歴史学者である。この本は、教科書として定説化された歴史の叙述に含まれる解釈に、その著者たちの「願望」が含まれると指摘する。穏やかな「願望」という言葉が使われているが、そこにはある方向に読者を導こうとする意図、作為、恣意に繋がる側面もあるので注意が必要ということも暗示していると思う。
 著者は「日本史の内幕を知りたい。そう思うなら、古文書を読むしかない」と主張する。古文書は事実について記された一次史料だからである。勿論、その古文書の存在と内容が事実・真実を語るものなのかどうかの厳密な調査分析というフィルターをかける手続きがいる。その点も具体的に事例の説明で触れていて興味深い。

 本書を読んだ印象は、古文書を手がかりに特定の歴史的事実の内部事情を断片的に読み解き紹介した寄せ集めエッセイ集というところだ。それが、本書の「戦国女性の素顔から幕府・近代の謎まで」というサブタイトルに通じている。戦国時代から近代まで、入手した断片的な古文書の解読プロセスを説明しながら、史実の断片に教科書的イメージではない側面が浮かび上がってくるところを読み解き、読者に伝える。採りあげられた話題がバラエティに富んでいて、一見トリビア的である、しかし、「願望」を内包した教科書的な日本史概説に出てくる史実の特定事象を抽出し、それに関わる古文書を介して「細部」に光をあてて見直すということで、立ち止まって読者に日本史をとらえ直す機会を提供していく。そういう読み解きになるのか、そうだったのかということになりトレビアンである。このあたり、読者の関心と読み方次第で、今までの歴史認識が変わるかもしれないし、おもしろいトリビアの泉にとどまることにもなるかもしれない。
 
 本書は次の7章にまとめられている。
第1章 古文書発掘、遺跡も発掘
 古文書との出会いと発掘事例を紹介しながら、幅広い雑多な断片的事例を手始めに並べている。この章の話題、どれから読でも読み進めることができる。相互にあまり関係はない歴史エッセイである。それは各章レベルでも言える。読者の好みで読み始めること可である。
第2章 家康の出世街道
 「家康」に関わる断片的な古文書を読み解きつつ、「家康」に焦点が絞られている。
 日本史教科書に描かれた家康と史実の概説を再考する上ではまとまっていておもしろい。
第3章 戦国女性の素顔
 家康の妻「築山殿」、「直虎」の二人の素顔を古文書を読み解き考えるという趣向。
 「秀吉は秀頼の実父か」という論議点を古文書から読み解いている。
第4章 この国を支える文化の話
 古文書に記述された日本の文化の側面に光を当てて様々ななトピックを扱っている。
 能、同時刻生まれの存在、毒味役、香道、生花の化学、婚礼儀式、本の役割、美容整形など。
第5章 幕末維新の裏側
 龍馬、西郷、山田方谷、吉田松蔭など、古文書に記された内容から読み解くという趣向・
第6章 ルーツをたどる
浮田という姓の背後に隠された「宇喜多」姓の話や、黒田家のルーツを探る話、さらには著者の家系との浦上玉堂の家系とのつながりなどが語られている。
第7章 災害から立ち上がる日本人
 文献や古文書をもとに、災害に日本人がどう対応してきたかを事例で採りあげている。江戸の大火、江戸に落ちてきた隕石、南三陸の津波、富士山の噴火記録、安政地震、古文書にみる熊本地震が採りあげられている。

 別の観点からの本書のもつ読ませどころ、興味深くおもしろいところを箇条書きでご紹介しておこう。
*古文書をどこからどのようにして入手してきたかを具体的に織り込んでいる。
*古文書を研究する学者として、勤務先を転々と変えてきた理由を語っている。
*著者の本が元となり映画化された作品関連の裏話が巧みに織り込まれている。
*著者の家系に関連した事項も歴史の断片的事実として織り込み話題を展開している。
*古文書研究という専門性が核となった人脈繋がりや仕事の広がりが語られている。

 古文書読み解き歴史話エッセイ集として肩が凝らずに楽しみながら読めて、日本史をとらえ直す契機になる一書である。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に、以下の読後印象紀も載せています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』 NHK出版新書
『歴史の読み解き方』  朝日新書



『源氏物語を反体制文学として読んでみる』 三田誠広  集英社新書

2018-11-15 11:53:12 | レビュー
 タイトルに使われた「反体制文学として」という文言に惹かれて読んでみた。
 本書は、『源氏物語』の成立過程を重視しながら、その作者紫式部について著者の推論をかなり大胆に語っているところが、興味深くて印象的だった。本書を読んだことで知らなかった事実をいくつか知った。そのことをまずご紹介しよう。そんなこと常識だよと笑われるかもしれないが・・・。
 *南北朝時代に成立したとされる『尊卑分脈』には、紫式部について「御堂関白道長妾」という記述があるという。 p13
 *宇多天皇に抜擢された菅原道真は右大臣となり内覧の宣旨を与えられる。そして「荘園整理」に着手し財政改革をはかる。それは摂関家の荘園に多大の損失を与える結果となる。そこに太宰府左遷の因がある。 p56
 *藤原道長は、長女彰子を一条天皇のもとに入内させ、皇子の誕生によって摂関家としての政権は盤石となる。長徳元年(995)に内覧の宣旨を受けているが、道長は関白には成らなかった。道長の残した日記は『御堂関白記』と称されるが、それは後世につけられた俗称だとか。 p104,p191
 *道長は一条天皇が親政をめざそうとするのに対し、不要な対立を避ける形で時機を待つスタンスを貫いた。 p175
 *娘の彰子が生んだ長男の後一条天皇の即位により完全な外戚となる。 p193
 *道長は摂政を1年ほどつとめて、52歳で長男の頼通に職務を譲り引退した。 p197
 
 著者は、天皇の皇子から臣籍降下して源氏姓を得た源氏一族は、藤原摂関家の権勢の拡大過程で、没落していく悲劇の中にあったという。そして、藤原兼家が雌伏の時代を経て、独裁政権を確立するプロセスを具体的に論じていく。兼家の独裁により、抵抗勢力が源氏一族ばかりでなく、傍流の藤原一族にまで広がっていったという。この兼家に対し、円融天皇の寵愛を受け、男児(一条天皇)を産んだ娘の詮子までもが批判的な立場をとるようになる。それが左大臣源雅信の娘倫子に、4歳年下の三男道長を入り婿という形で結びつけることで、詮子は左大臣を自分の味方に引き入れたとみている。倫子は道長の正室となる。さらに倫子を道長の正室にする以前に、詮子が、失脚した源高明の娘明子を道長の愛妾として結び付けていると著者は推測している。この明子を側室と認めさせる前提で、倫子を道長の正室にすることを画策したとする解釈はおもしろい、藤原道長は若い頃、源氏一族と強い絆で結ばれていた。そのことが、父兼家と二人の兄たちの権勢や強引なやり方に距離を置かせる一つの要因にもなっていたとする。
 源雅信の邸が土御門殿であり、倫子のもとに入り婿となった道長は当然土御門殿に住むことになる。紫式部の自宅は東京極大路をはさみ土御門殿の斜向かいにあった。著者はこのことを重視している。

 紫式部が『源氏物語』を書着始めた時代は、道長の父兼家が摂政となり、絶対的な権勢を確立した時代である。つまり政治的体制は摂関政治であり、その黄金期を迎えていたということになる。著者はこれを「体制」という。一方、紫式部が『源氏物語』で描いた時代は、宇多天皇・醍醐天皇・村上天皇が親政を行った時代、つまり「延喜天暦の治」を念頭においていると考えられている。天皇親政の時代を背景として物語が展開していく。『源氏物語』には摂政も関白も登場しない。紫式部が生きた時代の体制の中での物語ではなく、「あえて皇族(天皇あるいは上皇)に権威があった時代を設定し、さらに『光源氏』とよばれるスーパーヒーローが、藤原一族を凌駕していく物語を書いた」(p30)ことが「反体制として」の創作だと著者は指摘する。「反体制として」はそういう意味合いで述べられたのか・・・・・である。「反体制」という言葉に過剰反応していたのだろうか、少し肩すかしをくらった感じを受けた。

 一方で、読んでおもしろかったのは、なぜそういうストーリーに設定されていったのかという点での著者の推論である。その箇所が読ませどころになっている。著者が藤原兼家の摂関政治体制確立のプロセスを詳しく説明したのは、その裏返しと言えるかもしれない。一方、この摂関体制確立のプロセスでどういうことがあったのかをかなり具体的に理解できるところが、通読する副産物としてのメリットである。具体的な系図や姻戚関係図を使った説明がわかりやすい。

 著者の論点だと私が理解した点を要約する。その論点を具体的事実や小説家としての経験を踏まえ、わかりやすく展開していくところが読ませどころになっている。
*紫式部の父藤原為時は儒学者だが、藤原氏の傍流で、長らく下級官吏階層のままだった。だから紫式部は権勢をもつ藤原摂関家に批判的立場・反抗する側の立場がわかる。
*紫式部は少女の頃から、左大臣の土御門殿には出入りしていた。そこは源氏一族の邸であり、女房たちは下級貴族の出身である。紫式部の書いた物語の直接の読者層はまず彼女たちだった。つまり、読者の関心・ニーズは源氏が活躍し、そこに登場するヒロインに己を重ねていける仮想現実の展開、単なる絵空事でなく、リアリティが感じられる物語である。著者は、読者のニーズが光源氏のキャラクターを作り上げたという。
*『源氏物語』に先行する有名な物語にも、反体制的な要素が含まれている。
*道長は『源氏物語』の評判が高まると、入内させた彰子のところに、一条天皇が訪れる誘引となる道具としてそれを利用した。一条天皇の関心は紫式部の創作意欲を高めることにもなる。
*一条天皇は自ら親政を行う意志を持っていたので、天皇と源氏を主体に描いた『源氏物語』に関心を寄せ、愛読者になった。

 藤原摂関家という政権を担い権勢を発揮する立場からみれば、『源氏物語』という物語の世界でいくら源氏がヒーローであろうと、反体制の政治思想自体を鼓舞するような内容でない限り、痛痒を感じないということではないのかと、本書を読み思った。「延喜天暦の治」と称される時代が過去にあったことは事実なのだから、その時代を懐かしむ程度に留まるならば、源氏一族や摂関家の体制に不満を持つ反抗勢力のガス抜きの役割すら果たすという意識があったかもしれない。道長が『源氏物語』を、一条天皇を引き寄せる道具に使ったということは、その内容において、政権担当者に害を及ぼすほどのことはないという判断があったからだろうと思う。ストーリーのメインは、光源氏を中心にしながらの男女の色恋、人間関係が描かれているのだから。
 著者は、「道長の専横に対する批判や怨嗟が下級貴族の間に広がっていたことが、源氏の英雄が活躍するこの物語の普及の大きな要因だったのではないだろうか」(p205)と記している。

 奥書を読むと、著者は大学で文学部の教授を歴任しているが、芥川賞を受賞した文学者である。日本史の研究者、学者ではない。そのため、『源氏物語』や『紫式部日記』などとともに参考文献を広く参照しつつも、独自に大胆な仮説(推論)を展開している。この部分も読ませどころとなっている。その仮設(推論)をいくつか要約しておこう。
*光源氏の「光」は「光輝くお方」と通常説明されている。著者は一歩踏み込み、「光」には「思いがけない天皇」という意味がこめられていると説く。 p24,p30
*『竹取物語』の作者に源順の名が挙がるのは、藤原一族の悪口を書くには、没落した源一族だからという憶測が働くから。 p121
*著者は『源氏物語』が「若紫」の巻から書き始められたとみる。 p130
*22歳頃の道長自身は、自分の将来について確たるビジョンを持っていなかった。p146
*紫式部が父の邸宅にいるころに、道長は紫式部を訪ね関係を持ったとみる。p165
*紫式部と藤原宣孝との縁談は道長が己の思惑からまとめたもの。 p168
*紫式部の生んだ女児は宣孝の娘ではなく、父親は道長と著者は推論する。 p170
*著者は、道長の栄光が長くは続かないと予見していたと推論する。 p201

 著者の仮説(推論)を含めて、『源氏物語』の構想・内容を考え、紫式部の素顔を考えるのには興味深い書となっている。

 ご一読ありがとうございます。
 タイトルに使われた「反体制文学として」という文言に惹かれて読んでみた。
 本書は、『源氏物語』の成立過程を重視しながら、その作者紫式部について著者の推論をかなり大胆に語っているところが、興味深くて印象的だった。本書を読んだことで知らなかった事実をいくつか知った。そのことをまずご紹介しよう。そんなこと常識だよと笑われるかもしれないが・・・。
 *南北朝時代に成立したとされる『尊卑分脈』には、紫式部について「御堂関白道長妾」という記述があるという。 p13
 *宇多天皇に抜擢された菅原道真は右大臣となり内覧の宣旨を与えられる。そして「荘園整理」に着手し財政改革をはかる。それは摂関家の荘園に多大の損失を与える結果となる。そこに太宰府左遷の因がある。 p56
 *藤原道長は、長女彰子を一条天皇のもとに入内させ、皇子の誕生によって摂関家としての政権は盤石となる。長徳元年(995)に内覧の宣旨を受けているが、道長は関白には成らなかった。道長の残した日記は『御堂関白記』と称されるが、それは後世につけられた俗称だとか。 p104,p191
 *道長は一条天皇が親政をめざそうとするのに対し、不要な対立を避ける形で時機を待つスタンスを貫いた。 p175
 *娘の彰子が生んだ長男の後一条天皇の即位により完全な外戚となる。 p193
 *道長は摂政を1年ほどつとめて、52歳で長男の頼通に職務を譲り引退した。 p197
 
 著者は、天皇の皇子から臣籍降下して源氏姓を得た源氏一族は、藤原摂関家の権勢の拡大過程で、没落していく悲劇の中にあったという。そして、藤原兼家が雌伏の時代を経て、独裁政権を確立するプロセスを具体的に論じていく。兼家の独裁により、抵抗勢力が源氏一族ばかりでなく、傍流の藤原一族にまで広がっていったという。この兼家に対し、円融天皇の寵愛を受け、男児(一条天皇)を産んだ娘の詮子までもが批判的な立場をとるようになる。それが左大臣源雅信の娘倫子に、4歳年下の三男道長を入り婿という形で結びつけることで、詮子は左大臣を自分の味方に引き入れたとみている。倫子は道長の正室となる。さらに倫子を道長の正室にする以前に、詮子が、失脚した源高明の娘明子を道長の愛妾として結び付けていると著者は推測している。この明子を側室と認めさせる前提で、倫子を道長の正室にすることを画策したとする解釈はおもしろい、藤原道長は若い頃、源氏一族と強い絆で結ばれていた。そのことが、父兼家と二人の兄たちの権勢や強引なやり方に距離を置かせる一つの要因にもなっていたとする。
 源雅信の邸が土御門殿であり、倫子のもとに入り婿となった道長は当然土御門殿に住むことになる。紫式部の自宅は東京極大路をはさみ土御門殿の斜向かいにあった。著者はこのことを重視している。

 紫式部が『源氏物語』を書着始めた時代は、道長の父兼家が摂政となり、絶対的な権勢を確立した時代である。つまり政治的体制は摂関政治であり、その黄金期を迎えていたということになる。著者はこれを「体制」という。一方、紫式部が『源氏物語』で描いた時代は、宇多天皇・醍醐天皇・村上天皇が親政を行った時代、つまり「延喜天暦の治」を念頭においていると考えられている。天皇親政の時代を背景として物語が展開していく。『源氏物語』には摂政も関白も登場しない。紫式部が生きた時代の体制の中での物語ではなく、「あえて皇族(天皇あるいは上皇)に権威があった時代を設定し、さらに『光源氏』とよばれるスーパーヒーローが、藤原一族を凌駕していく物語を書いた」(p30)ことが「反体制として」の創作だと著者は指摘する。「反体制として」はそういう意味合いで述べられたのか・・・・・である。「反体制」という言葉に過剰反応していたのだろうか、少し肩すかしをくらった感じを受けた。

 一方で、読んでおもしろかったのは、なぜそういうストーリーに設定されていったのかという点での著者の推論である。その箇所が読ませどころになっている。著者が藤原兼家の摂関政治体制確立のプロセスを詳しく説明したのは、その裏返しと言えるかもしれない。一方、この摂関体制確立のプロセスでどういうことがあったのかをかなり具体的に理解できるところが、通読する副産物としてのメリットである。具体的な系図や姻戚関係図を使った説明がわかりやすい。

 著者の論点だと私が理解した点を要約する。その論点を具体的事実や小説家としての経験を踏まえ、わかりやすく展開していくところが読ませどころになっている。
*紫式部の父藤原為時は儒学者だが、藤原氏の傍流で、長らく下級官吏階層のままだった。だから紫式部は権勢をもつ藤原摂関家に批判的立場・反抗する側の立場がわかる。
*紫式部は少女の頃から、左大臣の土御門殿には出入りしていた。そこは源氏一族の邸であり、女房たちは下級貴族の出身である。紫式部の書いた物語の直接の読者層はまず彼女たちだった。つまり、読者の関心・ニーズは源氏が活躍し、そこに登場するヒロインに己を重ねていける仮想現実の展開、単なる絵空事でなく、リアリティが感じられる物語である。著者は、読者のニーズが光源氏のキャラクターを作り上げたという。
*『源氏物語』に先行する有名な物語にも、反体制的な要素が含まれている。
*道長は『源氏物語』の評判が高まると、入内させた彰子のところに、一条天皇が訪れる誘引となる道具としてそれを利用した。一条天皇の関心は紫式部の創作意欲を高めることにもなる。
*一条天皇は自ら親政を行う意志を持っていたので、天皇と源氏を主体に描いた『源氏物語』に関心を寄せ、愛読者になった。

 藤原摂関家という政権を担い権勢を発揮する立場からみれば、『源氏物語』という物語の世界でいくら源氏がヒーローであろうと、反体制の政治思想自体を鼓舞するような内容でない限り、痛痒を感じないということではないのかと、本書を読み思った。「延喜天暦の治」と称される時代が過去にあったことは事実なのだから、その時代を懐かしむ程度に留まるならば、源氏一族や摂関家の体制に不満を持つ反抗勢力のガス抜きの役割すら果たすという意識があったかもしれない。道長が『源氏物語』を、一条天皇を引き寄せる道具に使ったということは、その内容において、政権担当者に害を及ぼすほどのことはないという判断があったからだろうと思う。ストーリーのメインは、光源氏を中心にしながらの男女の色恋、人間関係が描かれているのだから。
 著者は、「道長の専横に対する批判や怨嗟が下級貴族の間に広がっていたことが、源氏の英雄が活躍するこの物語の普及の大きな要因だったのではないだろうか」(p205)と記している。

 奥書を読むと、著者は大学で文学部の教授を歴任しているが、芥川賞を受賞した文学者である。日本史の研究者、学者ではない。そのため、『源氏物語』や『紫式部日記』などとともに参考文献を広く参照しつつも、独自に大胆な仮説(推論)を展開している。この部分も読ませどころとなっている。その仮設(推論)をいくつか要約しておこう。
*光源氏の「光」は「光輝くお方」と通常説明されている。著者は一歩踏み込み、「光」には「思いがけない天皇」という意味がこめられていると説く。 p24,p30
*『竹取物語』の作者に源順の名が挙がるのは、藤原一族の悪口を書くには、没落した源一族だからという憶測が働くから。 p121
*著者は『源氏物語』が「若紫」の巻から書き始められたとみる。 p130
*22歳頃の道長自身は、自分の将来について確たるビジョンを持っていなかった。p146
*紫式部が父の邸宅にいるころに、道長は紫式部を訪ね関係を持ったとみる。p165
*紫式部と藤原宣孝との縁談は道長が己の思惑からまとめたもの。 p168
*紫式部の生んだ女児は宣孝の娘ではなく、父親は道長と著者は推論する。 p170
*著者は、道長の栄光が長くは続かないと予見していたと推論する。 p201

 著者の仮説(推論)を含めて、『源氏物語』の構想・内容を考え、紫式部の素顔を考えるのには興味深い書となっている。

 ご一読ありがとうございます。

『鮫言』 大沢在昌  集英社

2018-11-11 10:36:07 | レビュー
 本書は著者のエッセイ集である。ここには、1993~1995年に著者が『週刊プレイボーイ』に100回にわたって連載したエッセイと他の媒体にために著者が書いたエッセイを併せてまとめたものである。『陽のあたるオヤジ』というテーマでの連載である。最初の70回分をまとめたエッセイ集が、『陽のあたるオヤジ』というタイトルで一度書籍化されてたようだ。私は知らなかった。
 今回は連載した原稿に加筆修正し、掲載順を変更し再構成されているという。そのため、本書での『陽のあたるオヤジ』についての掲載は、「はじめに」から始まって、個別エッセイのタイトルだけで、初出の時期記載はない。ボリュームで言えば、実質最初の298ページ分が『陽のあたるオヤジ』という連載のエッセイであり、テーマとしては一貫している。残りの実質75ページが1994~2015年にかけて諸媒体に載った個別エッセイの集積である。こちらは、初出の年月日、掲載紙誌名が各エッセイの末尾に記載されている。

 『陽のあたるオヤジ』は、『週刊プレイボーイ』への連載ということによるのだろうが、エッセイのスタイルはかなりくだけた、いわば普段着の感じで書き綴られていく。ごく気楽に読めるというタッチである。一方、後半の諸紙誌向けのエッセイはいわばビジネススーツを着て書かれたという感触である。書き方のスタイルがオーソドックスになっている。標準的な書き方のスタイルになっている。私には普段のなじみとしては読みやすい。 著者がエッセイを書くにあたり、そのスタイルをかき分けているところが読後印象としておもしろかった。

 「はじめに」というエッセイに、次のくだりがある。
 すると、オヤジは、「好きなんだね、その若い人が、その人の話をしているときの君の目は輝いている」と、いった。(p11)
 著者はこのセリフが「オヤジならではの、必殺テクニック」だという。21歳のときにこのセリフをオヤジが言うのを彼女の傍で聞き、30になってから、そう気づいたと記す。そして、「素直に喜んだ私が、女の目にはガキと映り、キザなセリフをほざいて微笑んだオヤジは、女には頼りがいのある大人と映ったわけだ」(p11)と結論でけている。そして、「陽のあたるオヤジ」はそういう存在なのだと著者は位置づけている。このエッセイの冒頭の一行を読むと、著者が40を迎える直前の2年間くらいに、書き綴ったエッセイの収録ということになる。自分自身の昔話ばかりでなく、今の話も、未来の話もする、なんでもありで書くと最初に宣言しているところがおもしろい。内容はその通りになっている。中学から高校時代の読書遍歴と小説書きになる目標を抱いた話、東京の大学に入り六本木を中心に遊び呆けた時代の話、著者がつきあった女の話、小説家になった経緯の話、作家仲間の話、魚釣り話、小説家の賞に関わる話と選考委員の立場での話など、多岐にわたっていておもしろい。学生時代以降、三十代までの著者の姿が伺えて興味深い読み物になっている。大学を中退する羽目になるほど、凡人からみれば規格はずれの学生生活だったようである。その様子が垣間見える。しかし、その中で小説家になるという確固たる意志は崩さず書き続けたというのは、やはり・・・・と感じる。小説家になろうとする人が賞を受賞したらどうなるか、その体験談を交えた見聞話や小説家に関係する裏話も出てきておもしろい。
 「人間・大沢在昌」というエッセイで、「『陽のあたるオヤジ』で私は、等身大の大沢在昌を書いた。・・・・『陽のあたるオヤジ』がおもしろくないのであれば、それは大沢在昌がおもしろくないのだ」と断言している。つまり、作家大沢在昌の素顔に触れたい人にとり、この普段着で書かれた感じの『陽のあたるオヤジ』は必読書と言えよう。楽しみながら、大沢在昌に肉迫する材料になる。
 
 後半の「1994年~2015年」は、ビジネススーツの感じのスタイルと書いた。書き方がいわゆる標準的で真面目な書きっぷりになっていることからの印象であり。一般読者受けのする文章だからである。また、エッセイの内容として取り上げられているテーマがそいうスタイルを要求しているからでもあろう。最初の5本の見出しを列挙してみる。「推理小説家の仕事」、「第一回小説推理新人賞」、「ふたつの問い」(⇒新人賞受賞時の裏話)、「永久初版作家」、「『氷の森』17年後のあとがき-六本木と出会って」と具合である。読みやすく、かつ、小説家という職業の内情が垣間見えて興味深い。真面目な感じの語り口調になって当然というところ。
 著者の代表作の一つは受賞作となった『新宿鮫』(1991)であり、それはシリーズ化をもたらした。さらに後作の2作品が大賞受賞作になっている。著者作品との出会いは遅まきながら2009年に『新宿鮫』を初めて読んだことによる。それ故、バリバリの売れっ子作家の一人のイメージしか持ち合わせていなかった。このエッセイ集を読み、知らなかった著者像の側面を知り、興味深い。次のことが、後半のエッセイに記されている。
*15歳のときに「ハードボイルド作家」になる、と決めたという。 p318
*「永久初版作家」 そんなあだ名が著者についたと記す。 p324
*「売れない作家の集まり」と言われた仲間が話題作を次々と出す中で、おいてけぼりにされるような焦りを感じたという。著者ですらそんな時期を経験しているのだ。p324
*デビュー以来28冊目の本で、やっていく自信を失いかけ、29冊目が著者の人生を一変させたという。それが『新宿鮫』だとか。そして、このシリーズ化は当初の予定にはなかったという。 p326,328
*デビュー以来11年間、泣かず飛ばずという状況だったという。  p336
*著者にとり、柴田錬三郎が遠くて近い作家だという。眠狂四郎はまぎれもなくハードボイルドだと記す。『眠狂四郎無頼控』が著者16歳のときの青春文学だったという。 p331-337
他にもいろいろエッセイの中に記されている。

 最後に、エッセイに記された著者の考え方の一端をご紹介しておこう。
*「書くという行為は、いつも自分の中をのぞきこむことと同じだ、やれやれ。」p159
*「何かやりたいのなら、すぐ始めるべきだ。経験の蓄積は、同時進行であっても十分可能なのである。・・・・あせることはない。だが計画倒れになるくらいなら、傷だらけでもいいからスタートを今すぐ切るべきだと思うのだ。」 p173
*「人生は『いつも目一杯』であった方がおもしろいのだ」 p304
*「リアルとリアリティもちがう。フィクションにリアルを求めるなら、ノンフィクションの方がはるかにおもしろい。フィクションに求められるのは、あくまで「らしさ」だと、私は考えている。」 p326

 大沢在昌の作品群を楽しむためのバックグラウンドになる本といえる。

 ご一読ありがとうございます。

徒然にこの作家の作品を読み継いできました。ここで印象記を書き始めた以降の作品は次の通りです。こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『爆身』   徳間書店
『極悪専用』  徳間書店
『夜明けまで眠らない』  双葉社
『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 角川文庫
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『贖い主 顔なき暗殺者』 ジョー・ネスボ  集英社文庫

2018-11-07 10:19:55 | レビュー
 北欧のミステリーを読むのは初めてである。翻訳本のタイトル「贖い主」と副題の「顔なき暗殺者」になぜか惹かれて読む事にした。
 英語版の原題は、調べて見ると「The Redeemer」である。辞書を引くと、 「買戻し人、質受け人、見受け人;[The Redeemer]あがない主{(Jesus)のこと」(リーダーズ英和辞典・研究社)と説明されている。英語版のタイトルで考えると、翻訳版の「贖い主」というタイトルは一旦すっきりと繋がる。文庫本の表紙には、日本語訳タイトルの上部に著者名と「REDEEMER」と記されているだけである。これはカバーデザイン的に扱われただけなのか、なにがしか意図を含めていたのか。

本書を読み終えてから、英語版の原題を知り、私は少し気になっている。なぜか? それはこのタイトルがなぜ名付けられたのか、という関心だ。
 動詞は「redeem」である。「1.<名誉などを><努力して>取り返す、回復する;改良する、改善する;<債務などを>償還[償却]する、<紙幣などを>回収する、兌換する;現金[景品]と引き換える。2.買い戻す、買い受ける、身受けする;助ける、救い出す;解放する、放免する;免責する;[神学]<神・キリストが>犠牲になることによって救う、あがなう。3.<欠点などを>補う、償う;値打ちのあるものにする、正当化する。4.<約束・義務を>履行する。5.埋め立てる」(同上)とそこには、幅の広い意味が含まれている。
 別の辞書を引くと、redeemer について、「redeemする人、(殊に)救世主」(熟語本位英和中辞典・岩波書店)と説明され、救世主はキリストのことと注記がある。
 定冠詞 the がなければ、「redeemする」人という語義に戻る。するとその動詞の意味合いが広がっていく。このミステリーでは、タイトルの付け方自体に興味深さがあるように思う。この点についても、本書を読んで考えてみていただきたいと思う。

 ストーリーの冒頭は、1991年8月にエストゴールで行われた救世軍の夏のキャンプで、「彼女」が14歳のときの話から始まる。そこに登場するのは、ヨーンとロベルトの兄弟、リカール・ニルセン、マッツ・ギルストップである。このキャンプで「彼女」は深夜に暴行された。「彼女」と暴行した男が誰のことかはわからないまま、この過去の事実がこのストーリーの伏線になる。
 このストーリーの現在は、2003年12月[14日(日曜日)から始まり、事件が結末を迎えるのは12月22日(月曜日)で、エピローグはクリスマスイヴの前日で終わる。

 12月14日の冒頭の描写は、再読して初めて明確に解ったのだが、パリでの仕事をこの日の夜に終え、オスロでの仕事に向かう予定の暗殺者の登場から始まる。続いて、オスロに場面が転じられて、ハリー・ホーレ警部、救世軍のヨーン・カールセン大尉、テア・ニルセンのこの日の行動が描かれて行く。ハリー警部は、この日コンテナ・ターミナルでの事件を追っていて、コンテナ・ターミナルで番犬に噛まれる羽目になる。
 12月15日、ハリーが事件の被害者の父親に会いに行った折りに、次のような会話が出てくる。”「・・・・打つことをやめない心臓を止めてくれるだれかを待っていたんですよ。あ・・・・、あ・・・・」「贖い主ですか」「そうです、それです。贖い主です。」「しかし、それはあなたの仕事ではないでしょう、ヘル・ホルメン」「ええ、神の仕事です」ホルメンがうなだれて何かをつぶやいた。「なんですか?」ハリーは訊いた。(略)「しかし、神が自分の仕事をなさらなかったら、だれかが代わりにやらなくてはならないんです」”「贖い主」という言葉は、こんな文脈でまず出てくる。
 この日、彼(=暗殺者)がオスロに現れる。彼の行動の描写の中で、彼自身の過去が回想の形で語られて行く。暗殺者の姿が少しずつ読者に見えて来る。
 12月16日、救世軍のダーヴィド・エーホフ司令官、娘のマルティーネ、リカール、グンナル・ハーゲン、ラグニルの行動が描写されることで、このストーリーの関係者が増えていく。そうして、数百人の人々が集まる救世軍による街頭コンサートの最中に、救世軍のメンバーが頭を撃たれて殺される。被害者はロベルト・カールセンでヨーンの弟だった。ここから事件が始まっていく。殺人事件の発生までが、第一部「出現」である。

 この著者のスタイルなのかも知れないが、ストーリーは登場人物のそれぞれの周辺部を少しずつ分散的に描き加える形で裾野がまず広がる。登場人物の関係性がわかりづらいままに、ロベルトが殺害されるという事件が出現する。息の長い登場人物群の散在的描写は読者を戸惑わせる。読者を渾沌状態に置くことに著者の意図があるのかもしれないが。著者は読者をどこに引っ張って行こうとしているのかが常に気になる描き方である。こんなスタイルが徹底している長編ミステリーを読むのは初体験である。導入部が長すぎる印象を抱いた。

 このミステリーは五部構成になっている。第一部が「出現」。まさに「彼」と表記される暗殺者が出現し、救世軍兵士ロベルト・カールセンが街頭コンサートの最中に射殺される事件が出現する。第二部は本書のタイトルである「贖い主」がそのまま表題となっている。そして、第三部「磔」、第四部「慈悲」とつづく。第五部は「エピローグ」である。
 出現-贖い主-磔-慈悲というつながりをみると、あたかもキリストを連想させるかのようなネーミングである。まともや、この意図は何かと思ってしまう。

 この第二部「贖い主」からがおもしろい展開になっていく。なぜか? 群集が集まる街頭コンサートの中での暗殺は意図も簡単に、彼の当初の計画通りに終わった。予定通りならその足で、空港から出国できるはずだった。だが、気象条件悪化を理由に空港は閉鎖され、飛行機の出発は明朝午前10時40分に変更されたのだ。このことで、暗殺者の想定が齟齬を来していく。オスロに留まらざるを得なくなる。だが、そのことでこの事件の報道内容を暗殺者は知ることになる。被害者ロベルトは別人だったのである。暗殺者に指示が出ていたのは、ヨーン・カールセンの方だったのだ。つまり、暗殺者の仕事はご破算になったことになる。暗殺者は、指示されていた対象者ヨーンの所在を確かめて、暗殺するという約束(目標)を履行しなければならない状況に追い込まれていく。
 ハリー警部という人物を熟知していたビャルネ・メッツレルが異動し、オスロ警察の新刑事部長となったグンナル・ハーゲンは、ロベルトが殺されたこの事件をハリーに責任者となって捜査するように命じる。ハーゲンはハリーの日頃の素行を快く思っていない。ハリーに瑕疵があれば処分したいと考えているところがある。そんな背景の中で、ハルヴォルセン刑事とペアを組みながら、他の刑事たちにも指示を与えつつ、この事件の捜査に乗り出す。
 
 このミステリーがおもしろくなるのは、ここから2つの筋がパラレルに進行していくからである。
 一つは、暗殺者が暗殺という約束を履行するために、ヨーンの所在をどのように発見し、再度暗殺をどのように計画し、実行し、オスロから退去しようとするかという側面の展開である。
 ここでは、暗殺者にとっていくつかの制約が加わってくる。現地のノルウェー語が分からない外国人であること。足のつきやすいクレジットカードは使えない。現金の所持は少ない。冬のオスロで約束履行のための時間(期間)を警察の目に触れずにどのようにサバイバルするか。さて、暗殺者はどうするだろう・・・・・である。
 この暗殺者の過去が徐々に明らかになっていく。そこにはクロアチア紛争の状況が織り込まれていた。その紛争の最中で「小さな贖い主」と呼ばれ、恐れ敬われる兵士となった男がいた。このミステリーでは、「贖い主」という言葉の意味が何重にも重ねられているようである。
 今一つは、ハロー警部がこのロベルト殺害事件の真相解明にどういうアプローチをとっていくのか。捜査活動の展開がどうなるのかへの興味である。
 ここでいくつかの視点が出てくる。街頭コンサートの渦中で発生した射殺事件の犯人像の特定がどのようにできるのか。ロベルトは偶発的に殺害されたのであり、殺害対象は別人であるという事実をどの時点で、如何に認識でき、捜査活動の筋読みが転換できるか。依頼殺人としてのプロによる暗殺事件という筋読みがどこでどのようにできるか。暗殺者の特定がどのようにできるか。一方で、暗殺を依頼した人間の存在に気づき、その人間をどのようにして絞り込むことができるのか。併せて、暗殺を依頼した人間の狙いは何だったのかの解明である。社会的な慈善事業活動を展開する救世軍の関係者が暗殺対象にされた背景にどんな意図が潜んでいるのか。
 そして、この2つの筋が交わっていく。
 ハリーは、暗殺者の居場所を特定していく。だが、ハリーが現場に行くまでに、暗殺者は、ハーゲン刑事部長の指揮下での捕獲作戦が実行されて射殺される。殺人事件の犯人が発見され死んだと報道されるのだが、暗殺者は現存するということが明らかになる。暗殺者は復活した。なぜか? ストーリーの各所に組み込まれていた伏線の先で、そんな展開も組み込まれている。
 そして、ハリーの指示を受けて、暗殺者を追い詰めているはずのハルヴォルセン刑事が瀕死の重傷を負うという事態が発生する。ハルヴォルセン刑事はそれが原因でなくなってしまう。だが、そこにハリーはある真相を発見していく。
 さらに、ハリー警部自身が、ベアーテ・レンオスロ警察鑑識課長から、「わたしたちは警察官なんですよ。ハリー。わたしたちの仕事は法と秩序を守ることであって--裁くことではないんです。そして、あなたはわたしのろくでもない贖い主ではないんです--わかってますか?」と、「贖い主」という言葉をぶつけられる場面すら描かれている。
 この顔なき暗殺者を利用した事件の真相は、全く意外な結末となる。
 
 ハリー警部は、刑事部長を退任するメッツレルから時計を一つ贈られた。この時計の刻む音に関わるハリーの反応が、所々で点描されていく。そして、それらの点描が伏線となっていて、エピローグでは、この時計の持つ意味が最後に明らかになる。

 このミステリーでは、「贖い主」と「贖罪」という言葉がキーワードとしてストーリーの基盤になっている。

 ご一読ありがとうございます。

本書を読み関心の湧いた事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
救世軍  :「コトバンク」
THE SALVATION ARMY INTERNATIONAL homepage
救世軍 The Salvation Army Japan ホームページ
オスロ  :ウィキペディア
贖い  :ウィキペディア
贖い主 聖句ガイド :「末日聖徒教会」
    贖い主キリスト  
第5日目 御子の血による贖い   :「牧師の書斎」
贖罪   :「コトバンク」
クロアチア紛争  :ウィキペディア
美しさと紛争の傷跡の地、クロアチア  :「SWI swissinfo.ch」
クロアチア人とセルビア人の対立はなぜ起こったのか?  :「灼熱」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『英文快読 意外と知らない世の中の「なぜ?」』 ニナ・ウェグナー IBCパブリシッング

2018-11-04 10:07:38 | レビュー
 表紙には、「英文快読」の表記の上に「全訳・ルビ付き」、下部には「BILINGUAL BOOKS FOR BEGINNERS」と記されている。本書の英文タイトルは「Ever Wonder Why」である。 ここに本書の特徴が要約されているといえる。少し補足して読後印象を紹介する。
 1.本文は高校生の教科書レベルの平易な英文で記されている。
 2.一つの「なぜ?」の問いかけに対して、その説明をするというスタイルである。
  1ページをフルに使った英文説明で13行。
  短い説明の場合はは1ページで終わり、それも短いもので5~6行。
  最も長い説明文の場合で3ページ。21~25行くらいである。
 3. 英文の単語あるいはフレーズに薄い青色の下線が引かれ、同色でルビが付く。
  単語の意味、フレーズの意味が小さな文字で翻訳されている。
  つまり、英文本文を読みながら、詰まればルビの手助けでほぼ「快読」が可能。
  辞書を引くことなしに、スムーズに読み進めることができる。
 4.その項目の最後に英文説明の内容が全訳されている。読後に内容確認もできる。
 5.我々が普段気にせず当たり前に思い、「なぜ?」と問われると窮することがある。  そのようなちょっとトレビアな「なぜ?」が分類されて詰まっている。
     文化と習慣(22)、スポーツ(11)、人のからだ(18)
     自然と動物(20)、食べ物(14)
  つまり、意外と知らない「なぜ?」が合計85項目詰まっている。
 6. それぞれの「なぜ?」は独立しているので、どの項目からでも読み進められる。

 肩が凝らずに、手軽に読み進めることができ、たぶん挫折することなく比較的短い時間で通読、快読できる本だと思う。

 意外と知らない「なぜ?」の質問事例をいくつか抽出してみる。あなたはその説明ができますか? 説明できるなら、本書を開くビギナーではないでしょう。だけど、英語で説明できるかと言われた場合に、本書が参考になるかもしれない。
 この本、上記の通り、全訳されているので、トレビアな豆知識だけ知りたい人は、日本語での質問とその全訳された説明文を読むだけでも、おもしろいと思う。
 「なぜ?」をサンプリングしてみよう。まずは、日本語文で列挙する。
 *わたしたちは初めての人と会うとき、どうして握手するの?
 *なぜ信号の色は赤・黄・青(緑)なのでしょうか?
 *ハイヒールはどうしてできたの?
 *トランプのカードはどうしてダイヤ、ハート、クラブ、そしてスペードになっているの?
 *ハロウィーンの起源は?
 *ゴルフコースはどうして18番ホールまであるの?
 *競技にはなぜ1等、2等、3等があるの?
 *テニスボールはどうして黄色なの?
 *人の体にはいくつの骨があるの?
 *どうして人は夢を見るの?
 *どうして右利きや左利きの違いが起きるの?
 *どうして空は青いの?
 *なぜ雲は白いの?
 *なぜガンの群れはV字形になって飛ぶの?
 *マクドナルドのマークはどこから来たの?
 *なぜドーナツに穴があいているの?
 *ロブスターやカニは火を通すとどうして赤くなるの?
こんな具合の「なぜ?」である。
 意外と普段意識していないし、ちょっと気になってもすぐにパスしてしまうような「なぜ?」である。子どもたちに問われると、まず戸惑ってしまう意外と知らないことばかり。勿論、著者は定説だけでなく、いくつかの説がある場合はそれらを列挙して簡潔な説明を加えている。ナルホド!そうだったのか!である。
 楽しみながら読めることは間違いない。

 上記で平易な英文と記した。以下一つの「なぜ?」から、英文の部分引用で事例を紹介する。英文説明の感じを判断していただけるだろう。

 Why does Santa Cluas wear red and white?

Everybody knows that Santa Claus wears red and white, but not everybody knows taht ~略~。
 Before the 20th century, pictures of Santa Claus (also known as Saint Nicholas) showed him wearing all different colors. But red and white didn't become the official colors of his suit until 1931, when an artist named Haddon Sundblom was hired by Coca-Cola Company to come up with a winter advertisement.
For the ad, Sundblom decided to draw Santa Claus wearing red and white, which were Coca-Cola's official colors.  以下最後の二文略

 そして、この英文説明に、この引用箇所で言えば以下のルビが下線と薄い青色文字で付記されている。
  誰でも、サンタクロース、赤と白の衣裳を着る
  20世紀、~として知られる、聖ニコラス、~見せた、着ている、様々な色
  画家、ハッドン・サンドブラム、~に雇われた、考えだす、広告
  広告、サンドブラム、~を描くことに決めた、コカコーラ社の企業カラーだった
これらのルビがどの単語、フレーズの箇所かは、あなたならお解りになるだろう。つまり、大凡の単語・フレーズはルビ付きとも言える。

 それゆえ、「快読」できるという気分を味わいながら、読み進めることができると言える。英文を読むという抵抗感を少なくするには有益な本である。いろんなテーマで、この「英文快読」シリーズが出版されている。
 私にはこれが通読した第1冊目。他のテーマにもチャレンジしてみよう。

ご一読ありがとうございます。


『阿修羅像のひみつ』 興福寺監修 田川・今津他共著 朝日新聞出版

2018-11-01 09:47:38 | レビュー
 2009年に東京と九州で国宝阿修羅展が開催された際、九州国立博物館で事前に阿修羅像他の仏像がCTスキャナで撮影されて、その画像データの解析が行われ、阿修羅像の秘密が明らかにされるというCTスキャナの画像を載せた新聞報道を読んだ記憶があった。その報道記事では、阿修羅像の正面の合掌した手のズレのことと、もともと合掌していたのか、何か物をもっていたのかという論議点のことに触れていた記憶があった。
 そこで、この本のタイトルを見た時、関心を惹かれて読んでみた。
 奥書を見ると、今年(2018)の8月に朝日選書の一冊として第1刷が発行されていた。副題に「興福寺中金堂落慶記念」と記されている。
 新聞報道では、先日中金堂の落慶法要の諸行事が実施され、10月20日から興福寺中金堂の一般拝観が開始された。CTスキャンによる計測で始まった画像データが研究者・仏師など様々な学際的視点で解析研究された成果が9年を経て、タイムリーに公開されたと言える。

 内容の専門性の故に一般読者の一人として、掲載論文(というレベルの内容と思う)の文字面を追うだけになった箇所もある。しかし、阿修羅像の造立過程にアプローチできるこの本は仏像鑑賞を味わい楽しむ人には様々な視点で有益だと思う。
 現代の撮像という科学技術の高度さを知ることができる一方で、阿修羅像が造立された天平時代の仏師の仏像制作技術・技量の高さがどういうものだったかを改めて認識させられた。
 「あとがき」まで入れて195ページの本だが、CTスキャンの対象となった仏像の写真とともに、CTスキャン画像をかなりの枚数掲載し、その画像を使った本文解説はわかりやすい。仏像の造立プロセッスという視点から、画像を通じてビジュアルに仏像の内側を眺めることができて、おもしろい。

 私の印象としての本書の特徴をまず列挙してみよう。
*X線CTスキャナによる画像解析は、仏像の健康診断という立場を鮮明にしたこと。
*CTスキャナ画像を多数使い解説した内容からその画像解析の有用性がわかりやすい。*X線CT調査で仏像の造立プロセスにどこまで肉迫できるかが具体的にわかること。
*阿修羅像模型(半身像)の制作が実際に実施された記録と発見が載っていること。
*阿修羅像の心木の復元制作から正面の手が合掌の形と立証されたこと。
*阿修羅像の心木の樹種特定を木材学と現代の科学技術で解析する研究が載っている。

 本書の構成とその要点ならびに冒頭で省略した共著者の紹介を兼ねて、以下まとめたい。上記に挙げた特徴と一部重複するがご寛恕ください。(敬称略)

はじめに  興福寺貫首 多川俊映
 文化財の点検に、従来の「目通し、風通し」に加えて、「機器通し」が重要で不可欠という立場を論じている。「天平乾漆群像を所蔵する立場にとって、内部劣化の進み具合はもっとも知りたい情報である」(p15)とし、非破壊調査であるX線CTスキャン調査を有効と判断する立場である。
 この「はじめに」から、阿修羅像は、天平6年(734)造像され、永承元年(1046)の大火で被災。「彩色し直して」承暦2年(1076)供養の西金堂に再安置。貞永元年(1232)に当時の大仏師たちによる修復。そして、明治期に礼拝対象としての仏像という一歩踏み込んだ立場で阿修羅像修補がなされたという経緯を学んだ。明治27年(1894)に工藤利三郎が撮影した阿修羅像が掲載(p9)されている。

一章 X線CTスキャナによる阿修羅像の調査  奈良大学 今津摂生
 CTによる調査が、仏像の健康診断、制作技術、制作時の秘密という3つのポイントで重要な役割を担うことをわかりやすく説明する。九博に設置された文化財用に特別に制作した大型CTの写真、CTの回転台上の阿修羅像の写真、調査の概念図などが掲載されていて、イメージを作りやすい。阿修羅像を概括したCTスキャナ画像がまず掲載され説明されている。
 併せて、画像を中心に「阿修羅像井外の八部衆・十大弟子のCT調査の成果」が14ページに及んで載せてある。

二章 X線CT調査でわかったこと
1節 X線CTスキャナが見通した天平の超絶技巧   九州国立博物館 楠井隆志
 「阿修羅の内部はどうなっていたか」と「阿修羅はどう造られたか」という視点で、CT画像を数多く利用して説明していく。前者では、興福寺乾漆像の基本構造が具体的に説明されている。頭体中軸材・両脇柱材・肩材・腰材・前後材・棚板・腕材・足材・補強材から構成されているという。CT画像を併せた説明は素人にもわかりやすい。また、構造材は樹種の使い分けがなされていたという。材の軽量化という目的があったそうだ。 
 後者は、CT画像から見えてきた「天平仏工の超絶技巧」を制作工程を追い説明する。その工程は、1 原型塑像を造る、2 麻布を貼り重ねる、3 塑土を除去する、4 裏打ち布を貼る、5 構造材を組み入れる、6 腕材を固定する、7 窓を閉じる、8 木屎漆で成形する、というステップを経るそうだ。「木屎漆を盛り付けた層が固まると、表面に下地層を付けて滑らかに研ぎならし、その下地肌の表面に白土を塗り、白土下地に彩色を施す」(p83)ということで興福寺乾漆像の完成となる。

2節 本格化する文化財のCT調査    奈良大学  今津節生
 九州国立博物館でなぜCT調査を平成17年(2005)の開館直後から推進したのかを説明している。著者は当時の九博での推進者だった。それは、「科学の目で博物館に入ってくる文化財の安全を守る」(p89)ことに第一目的があったという。つまり、「文化財も壊れてから修理するのではなく、過去の修理や傷跡や弱くなった部分を詳しく調べて今後の予防に役立てる健康診断ができないか」(p89)という考えである。CTの威力とその成果が認識され、「あとがき」によれば、CT装置は現在、東京・京都・奈良の各博物館にも導入されたという。
 文化財の3Dデータの蓄積は、「文化財データバンク」の創設という構想を著者は展開している。

三章 阿修羅像に隠された三つの顔 懺悔と帰依の造形
                 愛知県立芸術大学名誉教授 山崎隆之
 著者はまず、乾漆技法そのものについて、事例を踏まえながら、かなり具体的に説明する。仏像を鑑賞する人には、基礎的な情報として役立ち、有益である。その上で、実際に本プロジェクトの研究の一環として、阿修羅像模型(半身像)の実際の制作を担当した経緯と制作プロセスを説明する。プロセス段階毎の工程写真が掲載されていて、イメージしやすい。そして、CT画像データの解析と模型制作の過程からの発見事項について次の点を詳しく説明していいく。
 *像の制作当初に造られた塑造原型の顔が完成像の顔と微妙に違うこと。
 *阿修羅像の完成像の3つの顔それぞれの表情が違うこと。この異例さの持つ意味。
 *三面一体化を成功させているキーポイントが「耳」にあること。
 *阿修羅像の造形思想は、「釈迦の教えにより懺悔し、改心することで救われる、という一連の信仰への道筋」にあるとし、阿修羅がその耳を介して金鼓の音を聴く役割を担うと説く。
 *阿修羅像の顔には光明皇后の長子で夭折した基王のイメージを重ねているとみる。
一般読者には読みやすく、実物を鑑賞する上でも、すぐにイメージを重ねていけ、役立つ。

四章 阿修羅は合掌していた    仏師・仏像修理者 矢野健一郎
 CT画像データの解析・研究において、興福寺から本プロジェクトに打診が行われて、著者は仏像修理者、仏師という立場で参加したという。そして、阿修羅像の全身の心木を等身大で復元するという課題に携わった。その復元プロセスの経緯と発見が説明されている。この章も、一般読者には読みやすい。この章を読み、驚いたのは、3Dプリンターの威力である。CT画像と3Dプリンターとの連携が威力を発揮したことが詳しく語られている。前章と併せて三次元解析の世界の面白さと興味深さが味わえる。
 著者は、今回の研究で仏師の立場から「脱活乾漆の技法、制作の過程がきちんと正確に提示できるようになったと思う」(p147)と述べる。仏師として、天平時代の職人の心理を推測し、「原型作りに使った心木を再利用した」(p147)という仮設を提示する。
 この心木復元プロセスの結論として、「復元した左右の腕心木を胸の心木に打ち付けてみると、掌は体の正面でピタリと合掌する形になった」(p143)という。この発見は感動的ですらある。

五章 人工知能を使って心木の樹種特定を迫る   京都大学 杉山淳司・小林加代子
 木材学という総合科学の立場から阿修羅像の心木に使われた樹種を特定しようとする研究の経緯と成果が説明されている。その前提として、アナログ的な光学顕微鏡を使った観察と樹種の特徴から概観する。そして、標準的な木材のCT画像データを準備し、人工知能を使って、阿修羅像の心木のCT画像データとの対比分析から、樹種の特定に迫る。そのプロセスが説明されていく。
 何をしようとしているのかはわかるが、その分析プロセスのバックグラウンド説明は、専門的であり、門外漢の私には馴染みにくかった。一方で、こういうアプローチでの研究があるという事は実に興味深い。

コラムとあとがき    朝日新聞編集委員  小滝ちひろ
コラムは「『古文化財』健康診断の広がり」と題し、東京国立博物館にX線CTのシステムが導入され、利用されている状況がまとめられている。そして、X線CTによる古文化財の「診断」の今後展望が末尾で述べられている。
 コラムは2017年時点での話題であるが、「あとがき」は2009年の「国宝 阿修羅展」の時点に遡ったエピソードとして記されている。こちらには、その時点で著者が阿修羅像のCT調査をどう眺めていたかが率直に記されていておもしろい。もう一つ、興味深く読んだのは、阿修羅像の運送についての裏話(運送方法開発話)が記されていることである。この「あとがき」、けっこう楽しめる。

 仏像好きの人には視点を変えたアプローチとして、必読の一冊としてお薦めする。

 ご一読ありがとうございます。

本書の関連で、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
法相宗大本山 興福寺 ホームページ
  阿修羅像
  乾漆八部衆立像
  古写真ギャラリー 最後のページに明治27年時点の修復前の阿修羅像写真掲載
  興福寺整備計画
X線CTスキャナによる科学的調査法~九州国立博物館~:文部科学省  :YouTube
阿修羅像をCTスキャンで健康診断! 内部の秘密が明らかに… :「AERAdot」
阿修羅像をCTスキャン! 内部の秘密が明らかに…  :「AERAdot」
阿修羅の謎が明らかに!? CTとAIが判別した、研究者も驚く木材とは? :「AERAdot」
X線CT調査が変える歴史研究の最前線 文化財の新発見相次ぐ アジアも注目 2016/11/2
      :「日経BizGate」
X線CT調査による古墳時代甲冑のデジタルアーカイブおよび型式学的新研究:「KAKEN」
仏像のX線CT調査で金属製『五臓』を発見  楠井隆志氏
四天王寺の国宝、X線CT調査で新事実  :「Lmaga.jp」
3Dプリンター  :ウィキペディア
ここだけは、押さえておきたい! 3Dプリンターの基礎知識 :「Canon」
3Dプリンターの造形方式の違い  :「RICOH]

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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