遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『赤い指』 東野圭吾  講談社文庫

2016-12-31 14:00:02 | レビュー
 この小説が文庫化されたのが2009年8月であり、単行本で発刊されたのが2006年7月である。直木賞受賞後の第1作になるという。入手した文庫本の奥書を見ると、2014年2月で第29刷となっている。つまり、加賀恭一郎刑事シリーズは継続して愛読されているということだろう。

 この小説の冒頭は、加賀の父・隆正の病室に松宮脩平が訪れている場面から始まる。松宮脩平は隆正の妹・克子の息子である。克子は以前結婚していた相手の姓をそのまま名乗り、脩平は未婚の子として出生した。脩平の父にあたる人は既婚者だったが、家を出て、離婚が成立しないまま克子と夫婦同然の生活をしていて、勤務先での火災に遭い死亡したのである。隆正は妹を援助してきたのだ。そのため、松宮は伯父に恩義を感じている。癌で入院している隆正の見舞いに頻繁に出向く。松宮が迷わず警察官の道を選択したのは、伯父の隆正という最も尊敬する人間が警察官だったことによる。その結果、現在警視庁の捜査一課に所属する刑事となっている。
 松宮は従兄弟である恭一郎が隆正の病因を知っていても、病室に見舞いに来ていないことに疑問を抱いている。松宮が病室を訪れていたとき、担当の看護婦・金森登紀子が患者の体温と血圧測定にやって来る。隆正は登紀子と将棋をしているようなのだ。将棋盤があり、隆正は登紀子を強敵だと言う。隆正はこの将棋を楽しんでいるのである。何気なく将棋のことが描写されている。だが、それは副主題に関わる要素でもあったことが、この小説で明らかになる。
 恭一郎と父・隆正の関係に何があったのか? この副主題が、私が加賀シリーズを読み続けてきた一つの動因でもあったのだが、それがこの小説で明瞭になった。それは、隆正が遂に癌で死ぬという結末を迎えたからでもあるが・・・・。加賀恭一郎のプロフィールがさらに詳しくなる。副主題に関心を持つ読者としては、哀しみの中にも、明らかになった事実によって、ある種の闇の局面が表に現れ、疑問が解消されるということになる。ここに、加賀家という家族のあり方が底流に流れている。

 この作品の本題に移ろう。ここで扱われる主題は、前原昭夫とその家族、親戚の人間関係、あり方がベースになっている。それが深く事件に絡んでいく。昭夫は中央区の茅場町に東京本社がある照明器具メーカーの営業部直納二課で課員二人を統括する立場に居る。夕刻の六時過ぎ、妻の八重子からの電話を昭夫が会社の事務所で携帯電話で受けたことから始まる。電話で話せないこと、とんでもないことになった・・・・としか、妻は語らない。付け加えたのは、夫の妹である春美が家に来る予定を夫の方から断っておいてほしいという事だった。

 昭夫が自宅の最寄り駅で下車し、バス停でバス待ちをしているとき、ピンク色のトレーナーを着た7歳の女の子を見ていないかと問い歩く父親らしい男性を目に止める。そして、バスで帰宅すると、妻の八重子は自分が帰宅したとき、庭に知らない小さな女の子が倒れていたのを発見したという。その子は死んでいた。警察には知らせていないという。直巳という息子は自分の部屋に居るが、母親の八重子が呼んでも出て来ないという。少女の死と息子・直巳になんらかの関係があるようなのだ。母親の問いかけに対し、直巳は「うるさいって。どうでもいいだろって」と言うだけで、部屋に閉じこもっているのだと言う。
 昭夫は2ヵ月程前に、買い物から帰った妻が、直巳が近所の女の子に酒を飲ませて悪戯をしようとしていたのではないかと思える場面に出くわしたという話を聞いていた。幼女趣味という異常性を持っているのではないかと疑うことになる。しかし、その時は普段の様子では昭夫にはそうは思えなかったのだ。
 昭夫は警察に電話しようとする。だが、八重子は挟みを自分の喉元に当てて、夫が電話をすることを止めるよう懇願する。妻の行動に困惑した昭夫は警察に電話をすることを断念する。そして闇の世界に踏み込んでしまうことになる。夜中の二時近くに、10分位離れている住宅地の真ん中にある銀杏公園まで女の子の死体を運び、公衆トイレ、男子用トイレの中に遺棄するという行動に及ぶ。昭夫は八重子と共謀して隠蔽工作に手を染めていくことになる。
 
 このストーリーは、殺人犯が確定しているところから始まって行く。勿論、事件そのものは公園のトイレで小さな女の子の死体が発見されたことが発端となる。早起きして、公園で煙草を吸うのを楽しみにしている近所の爺さんが公衆便所に行き発見したのだ。
 現場検証と初動捜査という手続きから捜査が始まって行く。松宮は捜査一課の刑事としてこの事件に関係し、所轄の刑事として加賀恭一郎も事件捜査に携わっていく。刑事たちにより地元の聞き込み捜査がしらみつぶしに行われていく。勿論、前原家への聞き込みもその一環になっていく。昭夫が死体遺棄した日の午前十時過ぎに、加賀が前原家に聞き込み捜査に訪ねて行くことから、加賀の捜査行動を主体に事件の捜査側は描かれて行く。

 このストーリーは、前原昭夫が妻・八重子とともに、息子・直巳の犯行を隠蔽するために、どのように隠蔽工作を深めて行くかという一つの流れと、初動捜査を始め聞き込み捜査などから、事実関係が明らかにされていく流れ、特に前原家の聞き込み捜査を行った加賀刑事が、事件の経緯と収集した情報の累積の中でどこに疑問を抱き、何に気づき、どう推理していくかというもう一つの流れを描き込んでいく。この2つの流れがパラレルに展開されていく。
 読者には最初から見えている犯人と時間の経過につれて行われる隠蔽工作が逐次わかっていく。一方、ブラックボックスの中身を捜査活動全体から得た情報と己の捜査行動からの情報を統合し、加賀がどう解明していくかの歩みに併走する感じで読み継いでいくということになる。この構想がおもしろい。

 前原家の構成と関連事項に触れておく。
 前原昭夫  職業は上記の通り。警察への通報を断念し、隠蔽工作の中心になる。
       結婚して18年。上司の紹介から始まった交際を経て結婚。
 前原八重子 結婚して3年後に子ができる。直巳という名前も自分で決める。
       子育て中心になり、他はなおざりに。離乳食についての考えで姑と対立
 前原直巳  中学3年生。ゲーム機に耽溺。幼女趣味から女の子を殺す結果になる。
 前原政恵  昭夫の母。夫の死後、高齢で複雑骨折し歩行が不自由になる。
       一人暮らしは無理となり、嫁いだ娘が中心に行う世話を受ける立場。
 田島春美  昭夫の4歳下の妹。駅前で夫が洋品店を経営。店を手伝う立場。
       母の介護のために前原昭夫の住む実家に車で日参している。
       母との接触の中で、母親の状態を一番よく認識している人間である。
昭夫は、父親の死後、母が歩行不自由になった時点で、妻を説得し実家に戻り同居する立場になる。八重子の姑・政恵に対する感情的なこじれは尾を引いたままであり、姑の世話は昭夫の妹に大凡投げている。

 嫁と姑の価値観の違いからくる確執関係、二人との間で板挟みとなる夫の立場、介護問題が複雑さを加える。娘として親の世話をきっりとしたいという行動と兄夫妻に対する批判的思いと感情、子育ての歪みがもたらす危機状況など、どこにでもありそうな要素が、悪い方向に結合し、進展増幅していく悲劇が描き出されていく。隠蔽工作と嘘の捏造が家庭内での悪のスパイラルを生み始める。
 アナロジー的な状況要素が読者側の家庭にも身近にありそうな内容である故に、その悪のスパイラル・プロセスに陥る隠蔽・捏造がリアルさを増す。それを加賀がどのように解明していくのかに一層引き込まれることになる。
 この小説のタイトルはどこに関わるのだろうかと思いながら読み進めていたのだが、加賀が語り出すまで気づかなかったという結果になった。「赤い指」に重要な意味が込められていた! 

 この小説、加賀が事件の謎を解明した後に、事件の決着をつけるためにどういう行動をとったのかが読ませどころと言える。そこに加賀の家族観、人間観が反映している。
 殺人犯が確定した段階で、捜査一課の小林主任は、松宮刑事に言う。「加賀君の話をよく聞いておくんだ。」「大事なのはこれから先だ」「ある意味、事件よりも大切な事だ」と。それは松宮が加賀恭一郎という人間の有り様を知る機会にもなる。

 この小説、最後は副主題に戻る。隆正の死、そして加賀恭一郎の父に対する態度の真意が明かされる。このシリーズの一冊をたまたま手に取って読んだ時に、なぜ?という疑問を抱いた。このストーリーの展開の中に折り込まれた加賀家の家族関係に関わるエピソードとエンディングでの描写で理解できた。更に一歩、加賀恭一郎の実像に迫れた思いである。
 この小説、「家族」という問題を考える材料を様々に投げかけている作品である。事件の加害者側の前原家の家族問題が主軸になりながら、刑事の加賀家の家族問題が別次元で展開していく。次元の異なる家族問題の交錯が、「家族」という問題について読者に目を向けさせていく。

 ご一読ありがとございます。

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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象に加わってきました。
次の本をまずは読み継いできました。お読みいただけるとうれしいです。

『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社






『仏像風土記 北海道、東北、関東、中部』 籔内佐斗司 ビジュアルだいわ文庫

2016-12-23 10:18:52 | レビュー
 たまたま目にとまり読み始めた本である。なぜか? それは手許に久野健著『仏像風土記』(NHKブックス)があったので、まず同じタイトルだったことに惹かれた。手許の本は部分参照していただけで、まだ通読していないのに・・・である。そして、本書を先に通読してしまった。
 もう一つの理由は、かなり以前に京都市内のギャラリーで著者の彫刻作品を見る機会があった。その折、著者の彫刻作品を写真に使った「開運・福めくり」というひと月の日めくりを購入していて、部屋の一隅に掛けているので、あの彫刻家か・・・というのもまず先に通読したきっかけである。
 奥書を読むと、著者は現在、東京藝術大学大学院文化財保存学保存修復彫刻研究室の教授でもある。
 奈良県の「平城遷都1300年祭の公式マスコットキャラクター『せんとくん』」の生みの親と言った方が、ピンとくるかもしれない。

 本書の「はじめに」を読むと、『仏像礼讃』の続編という位置づけになるようだ。『仏像礼讃』の書名をこの本で知ったので、いずれ読んでみたい。本書の副題に、北海道から中部までの地域名が挙げられている。全国に点在する仏像およそ250件を2分冊で紹介する予定で、こちらがその最初の1冊だとか。131件の仏像がこの文庫本に紹介されている。目次から地域別に紹介されている仏像名称の見出しをカウントすると、北海道(1)、東北(15)、関東(44)、中部(28)となる。「日光・月光菩薩立像」「十二神将立像」「薬師如来坐像および両脇侍像」などと、複数の仏像の紹介もあるので、本書で紹介された仏像の大凡の地域分布くらいの参考としてほしい。

 本書の構成は仏像名称の見出しで見開き2ページ完結型を基本にしている。右のページにまず一行目として「寺名・仏像の造立時期・寺の所在地・電話番号」が記され、「仏像名称」の見出しが続く。そしてその見出しに示された仏像についての解説文が基本は1ページ、場合によってはもう少し長くなる形でまとめられている。左のページに該当の仏像写真が載る。説明には、寺の由来、仏像の由来と仏師について、またその仏師の系譜、そして取り上げられた仏像の見所がきっちりと含まれている。取り上げられた仏像一件についての解説なのでそれぞれが一応独立している。そのため、どこからでも読み進めることができるという便利なガイドブックになっている。掲載されたお寺の見出しとなった仏像との関連あるいは、優品としての仏像があるとその写真掲載と追記がある。つまり、見出しよりも掲載仏の実数が増えるという次第。例えば第1章「東北・北海道」の冒頭には、まず福島県所在の勝常寺(しょうじょうじ)に安置されている「木造日光・月光菩薩立像」が見開きの2ページで紹介されている。たが続く見開き2ページに勝常寺所蔵の「木造四天王立像」(重文)4躰の写真と説明文の続きが5行ある。

 著者によると、本書は「平成のひとりの彫刻家の目から見た地方別仏像案内」である。仏像を見ることが好きな京都生まれで関西在住の私には、本書の地域は手軽には行けないのが残念であるが、京都・奈良の仏師の系譜と仏像様式の地方伝播の事情がわかり、ビジュアルな写真を見つつ解説文を通じて、仏像の広がりをイメージできた。各地方の人にとっては、仏像を見にでかける際に本書を携えて行くと便利だろう。本書は2016年6月に第一刷が発行されている。これに続く東日本版もいずれ読んでみたい。

 本書の特徴にもう少し触れておきたい。
 まずオススメは「序章 仏像世界に関する基礎知識」を通読されることである。まず、読みやすい。ゴータマ・シッダールタ、つまりお釈迦様の生涯を平易・簡潔に説明することから始まり、仏像の種類についての入門レベルの知識ををイラスト入りで説明し、次いで、羅漢・仏弟子・高祖・祖師の簡略なプロフィールを語る。イラストがなかなかおもしろい。仏像や人物の特徴をうまく捉えているなあ・・・・と思う次第。小さなイラストが各所に散りばめられているだけでも、読みやすさにつながっている。
 仏像の修復や仏像分野も手掛ける彫刻家という実務家的立場から説明されているので、一般読者には読みやすいと思う。かつ、仏像の見方の入門的なハンドブックとしてこの部分がお寺で仏像を拝観する時にも役立つと思う。 

 中でも、「バラモン教とヒンドゥー教と密教の相関イメージ」が1ページにイラスト入りでまとめられているのが、私には参考になった。
 
 仏像はすべてカラー写真で掲載されているので、仏像の感触がその色合いから伝わり、イメージがしやすくなる。歳月を経た仏像の衣や肌の感じが色彩的にわかりやすく捉えられる。文庫本なので画像は小さくなるが、それでもけっこう細部までしっかり見られる写真が載せられている。お寺や博物館、教育委員会などからの写真提供による掲載の一方で、個人写真家名での写真も利用されている。その多くは藤森武の写真であるが、ほかに小平忠生・鈴木智彦・寺門益敏・佐藤紀夫・Kenji Turuta・渡辺康文各氏の写真も使われている。それぞれプロの写真家なのだろう。いいコラボレーションとなっている。

 本書で紹介されている仏像写真並びにその解説から、私ができればまず訪れて現地で拝見したいなと思うのは次の仏像群です。本書の掲載順で列挙してみたい。ほんとは勿論全部見たいのだけれど・・・・・。
 木造十一面千手観音菩薩立像(立木観音) 恵隆寺立木観音堂(福島県)
 木造千手観音立像  大蔵寺(福島県)
 木造阿弥陀如来坐像 中尊寺(岩手県)
 木造大日如来坐像  高野寺(北海道)
 木造文珠菩薩立像  東京国立博物館
 木造地蔵菩薩立像  根津美術館
 木造阿弥陀如来三尊像  浄楽寺(神奈川県)
 木造水月観音菩薩半跏像 松岡山東慶寺(神奈川県)
 木造十一面観音立像 海光山長谷寺(神奈川県)
 五大明王  明王院(神奈川県)
 木造釈迦如来立像  福泉寺(茨城県)
 木造十一面千手観世音菩薩立像  中禅寺(日光山輪王寺別院)(栃木県)
 石造不動明王立像  不動寺(群馬県)
 木造聖観音菩薩立像 瀧山寺(愛知県)
 木造大日如来坐像  横蔵寺(岐阜県
 木造大日如来坐像  修禅寺(静岡県)
 木造十一面観音菩薩立像  智識寺(長野県)
 木造愛染明王坐像  妙高寺(新潟県)
 不動明王磨崖仏  大岩山日石寺(富山県)
 木造十一面観音立像  羽賀寺(福井県)

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『アノマリー 水鏡推理』 松岡圭祐  講談社

2016-12-20 14:06:12 | レビュー
 水鏡推理は早くも第4作である。この作品の奥書を見ると、書き下ろしの作品であり、内容は文庫版の『水鏡推理Ⅳ アノマリー』と同じと記されている。単行本と文庫本が同時発売されたようである。単行本は2016.10.14の第一刷発行。こんな出版のしかたもあるのか・・・。それはさておき、今回の筋立ても結構楽しめる。

 気象分野の研究事実の間にフィクションを織り交ぜて構築されたこの第4作も実におもしろい展開に仕上がっている。今回は気象の予測精度という観点がストーリーの重要な軸となり、気象予測という分野の状況が俎上にのぼっている。特に山の天候の予報が外れることへの影響、登山者の遭難・生死の問題が長期的な気象予測や気象制御の研究とからめて構想されている。それがまた一捻りした構造のストーリー展開故に面白い。

 アノマリー(anomaly)という英単語を辞書で引くと、「変則;異常;変則的[例外的]なもの[こと];<生>異形(特徴的型からのずれ);<理・気>偏差;<天>近点(離)角」(「リーダーズ英和辞典」)と説明されている。
 気象学では、科学的に実証はされていないが、10月0日は毎年ほぼ晴れるというような天気の特異日が存在するという。これを一種のアノマリーと呼ぶそうである。「アノマリー。法則や理論と比較し説明不可能な事象のことだった」(p317)本書のタイトルである「アノマリー」は具体的には天気の特異日を象徴しているのである。そして、このタイトルに使われているアノマリーが、この小説の重要なキーワードであり、トリックの要となっている。その持つ意味がトリックに使われているやり方に、説明されるまで気づかなかった。トリックの核心を明かされて、なるほど!である。

 ストーリーの展開について触れていこう。
 冒頭は少女少年院収容者4人が富士山の5合目から頂上を目指して登山を始めるシーンの描写から始まる。おのおの15歳の女子4人-鹿沢由惟・池居杏那・須堂渚・阿島鈴菜-である。まず彼女たちのかなり具体的なプロフィール描写が行われる。なぜそれぞれの氏素性をかなり克明に書き込むのだろうという思いが最初に起こった。しかし、このプロフィールの積み上げが、後の八甲田山での遭難の可能性という展開において様々な人間関係の柵に関わって行く背景になる。
 少女少年院に入っている彼女たちがなぜ富士山登山なのか? それは、初等中等教育局初等教育企画課の統轄補佐である片倉宏之が発案企画した「女子少年登山プロジェクト」の試行なのだ。具体的実行は、NPO法人、非行ソリュート・ラポール・センターの代表、濱浦俊久と、少女4人とは別の少年院で法務教官を務める富永紀香が担当窓口となり、4人をサポートしている。このプロジェクトは、たんなる登山ではなく、夏から秋にかけての3ヵ月の間に、挑戦する山岳の難易度を上げていき、その過程を本人たちに記録させ、登山の経緯をSNSで公表し続けるという企画だった。最終課題の達成までが、非行少年への更正手段であり、この課題を達成すると更正のための長期処遇を短期にあらためるという意図があった。少年院に収容する人数を減らしたいという意図を秘めていた。この登山プロジェクトは非行少年に更生の機会を与える方策と位置づけられていて、その最初の試行なのだ。

 富士山登山が成功すると、そのときの4人の少女少年が登山の行程で自ら撮った動画や写真をSNSで発信していくという形がとられた。SNSを介して徐々にそのプロジェクトの進行状況が浸透し、その試行に対する関心が高まっていく。4人は自分たちの登山中の苦しい顔や状況をクローズアップして撮っていた。そして4人はルックスが優れている子ばかりだったのである。併せて、登山中の景色なども撮っていた。
 4人は、安達太良山、月山、伊吹山を次々と登山し、八甲田山の登山を行うことになる。

 登山の予定日は、日本気象協会では雨で悪天候となると予報したのだが、民間予報会社プレシアンス社の予報は午後から晴れるというものだった。プレシアンス社の予報を利用して4人は八甲田山の登山を始めた。だが、天候の悪化により遭難した可能性が高まっていく。水鏡はこの少女少年4人の遭難事態に関わらざるを得なくなっていく。それはなぜか?

 平成5年に気象業務法が改正され、解説予報業務が完全自由化され、許可事業として民間予報会社(=予報業務許可事業者)が予報を実施できるようになったのである。株式会社ウェザーニューズやウェザーマップなどが事実存在する。これらは実態として気象庁官僚などの天下り先になっている。この民間予報会社としてプレシアンス社が急速にシェアを伸ばしていたのだ。業界を席巻する存在になったのだ。
 一方で、前年に気象予測についてのコンペが厳正な手続きの下で実施され、一定期間の中で民間予報会社の予測を提出した。プレシアンス社の予報の的中率が飛び抜けて高かったことからコンペで1位となっていたのだ。
 だが、「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース”に配属されている総合職の浅村琉輝(りゅうき)は、このプレシアンス社が公表している予報モデルに疑問を持ち、調べていたのだった。新ガイドライン策定が忙しい中で、手が空いている一般職は水鏡だけだということで、彼女は浅村の仕事を手伝う羽目になる。
 その手伝いとは、1ヵ月間の気象予報データのチェックだった。気象関係知識のない水鏡は浅村から説明を受けながら手伝い仕事に取り組む。しかし、それは1晩の残業での手伝いに終わってしまう。水鏡は翌朝まで職場に泊まり込むことになる。
 なぜ、1日限りの手伝い仕事になったのか? 浅村はその翌日から忽然と姿を消したのだ。一種行方不明の状況になる。だが、かなりの分量の紙類が入った定形外の封印した封筒を何も言わずに水鏡のハンドバックに入れて、託していたのである。封筒の表には「預かっておいてください。誰にも見せないように」と、ボールペンでの几帳面な筆跡の文面を記して・・・・・。

 たった1日の仕事の関わりだけであった浅村が重要そうな資料を託して消息を絶つ。この縁がきっかけで、水鏡瑞希は、浅村失踪の謎に入り込んでいく。そのためには、プレシアンス社の情報についての収集、霞が関で事情を嗅ぎまわることから始めて行く。その結果、気象庁の総務部情報利用推進課に所属する一般職の藤川豊が瑞希に協力していく結果になる。
 八甲田山のある地域の気象予測は日本気象協会が悪化の予報をしたのに反し、プレシャンス社は天候が晴れに向かうと予報する。このプレシアンス社の予報を利用し、少女4人は登山を開始し、天候の悪化の中で遭難の危機に遭遇する。少女たちが撮影した動画ががSNSを通じて発信される。そして、それが途絶えることになるのだが、クローズアップして撮られた写真の背景に、一瞬だが浅村の顔が映っていることを水鏡は発見する。
 ここから事態がさらに急転回していく。遭難の事態が発生すると、経験上救出は72時間が生死の限界と言われているのである。
 藤川が協力してくれているというものの、水鏡瑞希の孤立無援な謎解き行動が時間との競走の中で始まっていく。一日、浅村との仕事に関わった因縁を理由にして、八甲田山の遭難救出活動の現場まで、ほぼ日帰りで出張することも始める。

 この小説のストーリー展開にはいくつかの観点が折り込まれ、それらが絡まり合っていくいくのがおもしろい。
1. 水鏡や浅村は、”研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース”に所属する。プレシアンス社は民間予報会社であり、また、「女子少年登山プロジェクト」の企画は別の部局の主管である。タスクフォースという観点で、彼らが他組織体の主管事項にどういう関わりとなっていくのか? 官僚組織における業務の範疇、縄張りという観点での関わり。

2.なぜ浅村が八甲田山での少女たちの登山写真に写っていたのか?
 それは浅村が調べていた気象予測、プレシアンス社の予報自体との関わりであるはずだ。だが、なぜそれが「女子少年登山プロジェクト」と関係するのか?

3. 動画に浅村が写っていたことが省庁内の幹部たちにどういう影響を及ぼしていくか? 官僚視点から、その事態にどう対応していくか? 官僚の行動の価値観と対処方法の実態という観点。

4. 山での遭難事故に伴う低体温症がどういう状況を呈するのか? 72時間のタイムリミットとの関連がどのように描き込まれていくか? 遭難事故への対処方法、関係者の動きという観点。
 この小説の冒頭で、4人のプロフィールが詳細に描き込まれるが、実際のストーリーの中で、4人の遭難の可能性のある行動を描写する場面は意外と少ない。遭難の可能性という状況に対応する人々の側の様々な局面および水鏡の思考と行動という観点から描かれる。

5. 「女子少年登山プロジェクト」の推進については、その窓口側の官僚の観点もある。その意義について国会審議での対策が必要となる。文科省の生涯学習政策局、生涯学習推進課。民間教育事業振興室に所属する総合職の徳塚淳はその国会対策を担当している。
 彼がその準備のために、一般職の力をどれだけ必要かという観点が描かれている。気象予報の問題が争点に関係することから、プレシアンス社の急速なシェア拡大とその予報についての情報収集を必要とする。徳塚がその点を切り出すと、一般職の安藤が手回しよく、文科省と気象庁との連携から、情報収集先との段取りをつけていた。それは、文科省の主導で実施された「渇水対策のための人工降雨・降雪に関する総合的研究」の担当部署である。文科省内に気象庁からの出向している総合職の官僚がいるという。この総合研究は、第二期の研究が終了したが、まだ実験データの分析中であり、担当部署が存続するという。
 気象庁にコンタクトして情報収集するのは手続きと手間暇がかかるが、文科省が絡む部署なら、情報収集しやすいというあたり、官僚の発想の観点がおもしろい。勿論、民間企業でも類似の発想はあると思うが・・・。
 水鏡が八甲田山現地へ出張し、そこで現地入りしていた浅村の母親から、水鏡は浅村が自宅に残していたメモのなかに、科学技術・学術政策局の萩山・堀辺の名前と内線番号があったことを知る。この2人は、徳塚が情報収集の対象とした総合的研究の関係官僚だった。水鏡は出張報告をした猪橋特別室長を介して、この2人に会うことになる。水鏡のこの2人からの情報収集が気象予報の業界や気象現象自体について、謎の解明への一歩踏み込んだ理解への契機となっていく。
 「渇水対策のための人工降雨・降雪に関する総合的研究」という観点では、官僚がある目的のために予算を獲得するやり方の裏話的な切り口も折り込まれていく。この局面もまた、官僚の生態の一面をアイロニカルに描いていることになる。

 これらの観点が複雑に絡まり合ってストーリーが進展して行く。そして、水鏡は「虎穴に入らずんば・・・」式に、己の推理の先を確かめるために、虎穴に飛び込んでいくことになる。アノマリーという語が謎解明のキーワードとなり、官僚たちの結託の構図が暴かれていく。後半はまさに一気読みさせる興味と面白さに溢れている。
 
 この第4作にも、変わらず”研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース”が平成25年8月、文部科学省内に設置。現在も実在するということが内表紙の裏に記されている。
 この記載がありながら、現在の官僚機構が内在する弊害の側面がアイロニカルにストーリーに織り込まれていく。これはある種の社会諷刺としても興味深い。国家公務員の中の総合職と一般職の関係と職種間の確執、一般職の仕事に対する達成感の問題、総合職の個人が不正を働く上での価値観や感覚、総合職の予算獲りの実態など、リアル感に溢れているように思う。例えば、次のような類いの記述が随所に織り込まれていく。
 25歳の一般職事務官、水鏡瑞希が総合職の課題の手伝いとして残業し、職場に泊まり込んでしまうというストーリー展開の描写。 (p51-p63)
「一般職が死ぬほど働いて達成した業績を、総合職はかっさらっちまう。」(p73)
「総合職どうしが顔を合わせると、互いの利害が絡まり、話が脱線しがちになる。そんな状況につきあわざるをえなかった。」(p147)これは瑞希の立場の描写。
「過去に裁判長がこう発言したから、財務省としてこのように判断した。その命題が定まっているうちは、状況を覆すことはできない。・・・・前例さえ作ってしまえば、幹部ですら流れには逆らわない。」(p252)
「・・・ならば実現可能と信じる政治家に、夢を見させつづけ、財務省から予算を引き出す。利口で現実的、効率的なやり方を選ぶことに、なんの迷いが生じるだろう。
 そのためには、どんな調整にも手を染める。判例すら操作し、財務省の通達を変更させる。官僚なら誰でも試みること。ただ程度の問題だけだった。・・・要領よく立ちまわり、組織での地位を獲得しながら、経済的成功にも恵まれる。国家公務員としての理想の生き方だろう。」(p309)
などである。
 一方で、一般庶民が官僚に抱く誤解の側面-高い給料、特権的待遇、左団扇-という点についても、言及している。「事実はほど遠い。民間に労働時間の短縮を啓蒙する厚労省ですら、百時間ぐらいの残業が当たり前だった。国家公務員に労働基準法は適用されない。過労死しても文句はいえない。有給は存在しないも同然だった。出勤日に休みをとったことにして凌ぐ。国家ぐるみの出勤者帳簿の改竄。霞が関では常識のひとつに挙げられる」(p36)と。だが、そういう省庁の官僚が民間企業の超過残業を追及するというのも逆転したアイロニーを読みながら感じてしまう。
勿論、国家公務員の経験はないので、この風刺的描写について、小説と世間の見聞などからの想像で、そういう面が実態としてあるだろうという感想の域をでない。しかし、このシリーズの特色である研究費、ひいては税金の不正使用への批判的視点からの切り込みはおもしろい。研究費予算獲得に対する官僚の実態描写は実に興味深い。ここらは、フィクションとして虚実皮膜で描き出されているが、巨大な官僚組織のどこにでもありそうな・・・・・官僚よ、ふざけるなと言いたくなる。だから国民の監視が重要なのだろう。

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『水鏡推理』  講談社
『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』  講談社
『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』  講談社
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.1       2016.7.22

『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 大沢在昌  角川文庫

2016-12-15 15:03:46 | レビュー
 当初、原題が『カルテット』で始まったシリーズだが、文庫本として出版される際に、「特殊捜査班カルテット」という名称が副題に付けられた。『生贄のマチ』、『解放者』(リベレーター)、に続く第3巻が本書であり、このシリーズの完結巻となる。
 文庫本の奥書によると、「小説 野性時代」の2013年12月号~2015年9月号に「相続人」というタイトルで連載されたこの作品が、『十字架の王女』と改題され「特殊捜査班カルテット3」で2015年11月に文庫本として出版された。
 前作『解放者』のラストで、タケルとホウの頭脳であるカスミが背中に銃弾を受け、救急車で搬送されるという事態に陥る。搬送されたカスミが行方不明という状況からこの完結編が始まる。この第3巻、前2巻を読んでいなくても、一応作品全体のストーリーは理解できる。この『十字架の王女』だけ読んでも構想がおもしろい作品に仕上がっている。 しかしである、やはり『生贄のマチ』、『解放者』を読んでから、読み進めた方が特殊捜査班の背景の理解と奥行き、その陰翳の深みを楽しめると思う。

 『解放者』の舞台となったタワーホテルでの一件以来、藤堂とヤクザの組織である”本社”は全面戦争に入ったという状況からこのストーリーが始まる。藤堂はヤクザではないが、裏社会で国際的犯罪組織を運営し、独自の帝国を築いている。その藤堂が日本国内を任せていた部下の村雲に裏切られた。これが一つのトリガーになっている。村雲の裏切りを藤堂は許せない。村雲は藤堂の報復を恐れて、日本のヤクザ組織「一木(いちもく)会」と”本社”を巧みに使い分けて利用し藤堂から逃れようとする。一方「一木会」と”本社”は対立関係にある。藤堂が”本社”と抗争状態に入ったのは村雲が絡んでいるからである。

 法の範囲を超える覚悟で警視正クチナワが発足させた特殊捜査班の活動を支援する委員会が、タワーホテルでの一件後に解散したことにより、クチナワは己の行動をバックアップしてくれる存在がない状況に置かれる。行方不明になっているカスミ、そのカスミがまだ生きていると信じて、タケルとホウはカスミを探し出そうと頭脳を絞る。クチナワは警察組織を動かせない状況の中で、タケルとホウをバックアップする決断をする。トカゲはそのクチナワにどこまでも付き合っていく道を選択する。クチナワはかつての部下であるバー「グリーン」のマスターを藤堂を捕らえる目的のために呼び戻すことを決意する。そこには併せてアバシリと呼ばれる元部下も参画してくることになる。

 タケルとホウは行方不明のカスミが生きていると信じ、カスミをどのようにして探すかに知恵を絞る。カスミの安否をつきとめるには、藤堂の居場所をつきとめるのが一番早い。しかし、藤堂が”本社”と戦争をしている中では、容易なことではない。その藤堂についての情報を得るには、藤堂の元部下だった村雲を見つけることで打開できると結論づける。だが、クチナワからは、村雲が藤堂の資金を盗み、グルカキラーを使って郡上を殺し、報復を恐れて、国外に脱出したと聞かされていた。その後の情報を得るため、タケルはトカゲの携帯に電話し、村雲がアフリカのナイジェリアに所在するラゴスに向かい消息を絶ったと知らされる。村雲を見つけたい理由をトカゲに話し、調べてみるという返事を得る。
 一方で、タケルとホウは独自に、村雲がラゴスで消息を絶ったという情報からの先を調べようとする。ホウの知り合いであるナイジェリア人・レビブを通じ彼らの独自ルートを使った情報を得られないかという行動することから始めて行く。そのレビブから、”本社”に繋がる人物がホウを捜しているということを聞く。そのことを逆にタケルとホウは利用しようと考える。ホウを囮にして情報を引き出そうという行動に出る。ホウを捜していたのは”本社”の若手で頭が切れる倉田啓一だった。罠を仕掛けるつもりが、逆に罠に陥りかけるという危うい場面に陥る。それを救うのがクチナワとトカゲである。しかしこれが一つの突破口となり事態が前進し始める。
 倉田を介してクチナワやタケルたちは、村雲が”本社”により密かに日本に戻っていることと村雲が己の安全確保の保険にしているのが、「マッカーサー・プロトコル」と称される議定書だった。それは朝鮮戦争が勃発した当時に端を発している話だった。当時日本は米軍の占領下にあった。マッカーサーの率いる占領軍司令部は日本の政府を飛び越して、日本の極道勢力をうまく利用したいがためにマッカーサー側と極道側が協力関係を結ぶという密約を交わしたと言うのである。その「マッカーサー・プロトコル」と称される密約書のほとんどが朝鮮戦争後に密かに回収されていったのだが、ただ一つ残っていたのだ。それを藤堂の部下がある経緯から保有していた。それを村雲が入手したのである。藤堂にとっては反故紙同然の無用の一物だが、ヤクザ組織にとっては武器となる一物である。村雲はそれを己の命の保険にしていたのだ。このことから全体の構図が見え始める。
 倉田から村雲の居場所を突き止めるが、クチナワたちはその場所に至ったときには、倉田の部下たちは殺され、村雲は何者かに連れ去られていたのだった。そこにグルカキラーが関わっていることは、倉田の部下たちの殺され方から歴然としていた。グルカキラーは一木会が操っていたはずだが、一木会は関与していない。状況が混迷していく。

 この完結編の興味深いところがいくつかある。
1.委員会が解散し、警察組織のバックアップが得られない状況の中で、クチナワがどういう行動でタケルとホウをバックアップし、サポートしていくかということ。クチナワの捨て身の行動は10年前の失敗の根本原因の解明に繋がって行くというところが興味深い。

2.「マッカーサー・プロトコル」という1950年代、朝鮮戦争の最中に結ばれた秘密の議定書が、全体構図に深く関わっているということが明らかになっていく。ストーリーが日本とアメリカの関係にまでスケールアップしていくという側面が加わる。その議定書を村雲が入手し、己の安全の保険としていることから、全体の構図が二重三重に複雑さを加えていることになる。その議定書が最後まで切り札として使われていくというところがおもしろい。
3.タケルの両親と妹が誰によりなぜ殺されたのか、その経緯がどうなっていたのかが遂に明らかになる。両親と妹が惨殺された事件は大きな全体構図に嵌め込まれた一片だったのである。それはグルカキラーの実態がわかることでもあった。

4.カスミの置かれていた状況、カスミが自ら選択してきた生き方が遂に明らかになる。
 藤堂は国際的犯罪組織として己の帝国を築き、運営してきた。それを娘のカスミに継承させることを想定して、藤堂はカスミに戦闘実技から帝王学まであらゆる教育を施してきたのだ。だがカスミは父の母に対する扱いを契機にして、父を心底憎むようになる。それが、カスミがクチナワと手を結び利用し利用される関係にしていったのだ。犯罪者側の父に対し、警察側の立場に与することで、父を狩る側に身を置いてきた。
 背中を銃で撃たれた後、父の許に居るカスミは、独自の行動を取る。それは、特殊捜査班にカスミが引きこんだタケルとホウを死なせないという大前提に立っての行動である。カスミとタケルとホウの3人の微妙な関係が最後までまとわりつく。
 父への憎しみを抱きつつ、悪の帝国の王女として、その組織の継承者の道をとるのか、どこまでも父を憎み、悪を狩る側に立つ道をえらぶのか。カスミはま逆の生き方の選択という十字架を背負うことになる。そして、カスミが危地に陥ることで、藤堂の真の思いも明らかになっていく。最後の修羅場が結論を導くことになる。

5.クライマックスの舞台は、再び「ムーン」へと戻って行く。中国残留孤児三世のホウが、親友であり天才的DJだったリンを失った場所である。今や墓場同然と化している場所だった。そこに主な登場人物が集まらざるを得ない必然性が生まれていくのである。そして大活劇となる。このクライマックスの構想がおもしろい。この完結編、落とし所がなかなかうまく仕組まれていた。ある意味で、ハッピーエンドに納めているくころが巧みである。
 クチナワの運用する特殊捜査班の新バージョン、パート2がいずれ創作されるのではないか、という期待すら抱かせるエンディングは実にうまい。

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徒然にこの作家の小説を読み、印象記を書き始めた以降のものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『嘘をもうひとつだけ』 東野圭吾  講談社文庫

2016-12-09 21:28:27 | レビュー
 加賀恭一郎刑事シリーズは、『どちらが彼女を殺した』、『悪意』、『私が彼を殺した』と、斬新な小説の構成手法と読者への推理と解明について投げかけが続くというチャレンジ精神に富むものであった。ここで、ちょっと目先が変わる。読者にストレートに速球を投げ込んでくるという感じの急転回になっている。ここで初めて加賀シリーズが短編作品集となった。周到に伏線を張り、複雑に人間関係が絡まり合い、筋読みを二転三転させる構想ではなくて、そのものズバリに近いストーリーの展開となる。しかし、読者に対する目くらましはうまく仕組まれている。比較的ストレートな展開だからといって、そう簡単にネタばれするということはない。なるほど、と思わせる仕掛けは短編といえど抜かりがない。そこがおもしろいところである。一方で、筋読みでかなり重たいストーリー展開の作品が続いた後だけに、ショートストーリーでの推理を楽しめるのは、清涼飲料水で一息つくようなところもある。

 この文庫本には5つの短編が収録されている。奥書によると、「小説現代」で1996~1999年に4作品、「イン・ポケット」に1999年に1作品が発表された作品群である。
 それぞれの短編小説についての読後印象をまとめてみたい。

<嘘をもうひとつだけ>

 第1作目が単行本、文庫本のタイトルにつかわれた同名の作品。『眠りの森』でバレリーナとバレー団を扱っていたが、これも演劇としてのバレーに関わっる領域に題材を取っている。公演を間近にしてその準備に励む弓削バレー団の舞台練習の場に、練馬警察署の加賀が訪れる場面からストーリーは始まる。公演を目前にする創作バレー「アラビアンナイト」を弓削バレー団が初演した際に、プリマドンナであった寺西美千代に加賀が聞き込み捜査に行く。
 バレー教室を開く準備をしていた早川弘子が自宅マンションの敷地内の植え込みの中に倒れているのを管理人が発見した。警察の調査で、7階にある自室のバルコニーからの転落死と判明。早川はバルコニーをバレーのレッスン場として使っていたという。事故による転落なのか、自殺なのか、他殺なのか。このマンションには弘子が死ぬ1週間前に引っ越してきたばかりなのだ。室内には、段ボール箱がまだ開梱せず積まれた状態にある中での死亡だった。寺西美千代の部屋は8階で弘子の部屋の斜め上に位置するという関係にあった。
 かつてプリマを演じた寺西が関わっていた「アラビアンナイト」の台本と自殺者の心理とが論点になっていくところがおもしろい。

<冷たい灼熱>

 8月1日、午後2時40分、木嶋ひろみが徒歩で買い物からの帰宅途中、乗用車がカーポートに入ったところで、運転している田沼美枝子に気づき、声をかける。ゴミ袋の破れ補修の御礼を美枝子に述べたかったのだ。午後3時10分、新聞の集金に回っている中井俊子が田沼家のチャイムを鳴らすが応答がない。午後7時5分、田沼洋次は路上で近所に住む主婦の坂上和子と挨拶を交わす。和子は自宅の庭に水を撒いているところだった。田沼は自宅のドアの鍵を開けたが中は真っ暗だった。ダイニングルーム、その隣の和室をチェックし、洗面所のドアを開ける。そして洋次は妻の美枝子が死んでいるのを発見した。洋次は警察に電話したあと、二階の和室が荒らされていることに気づく。
 捜査員が現場の室内を動き回っているときに、二階を調べていた加賀刑事は洋次に上がって来てほしいと声をかける。加賀は二階の状況にある違和感を抱いたのだ。加賀は洋次に対しいくつか質問する。なくなったという現金がどこにあったのか。貴重品の確認をしたか。今朝の子供の服をを覚えているか。見あたらない服があるか。1歳の子供をどこで寝かせているか。最近停電があったか・・・などと。
 子供の行方は不明だった。村越警部は洋次に顔見知りの犯行の可能性も低くはないと言う。翌日午後、子供の顔がはっきりわかる写真がないか尋ねられるが、洋次はアルバムのある場所がわからない。洋次が言うアルバムの大きさ、形から、加賀は既にそのあり場所を知っていた。
 近所の主婦たちの証言や小さな事実情報の積み重ねから、加賀の推理が進展する。そして、加賀はある不自然さに気づく。
 冒頭のシーンを何気なく読んでしまっていたが、既にそこには重大な伏線が張られていた。ストレートな推理もののようでいて、ひねりが加わっている。なかなか仕掛けが巧妙に組み込まれている。

<第二の希望>

 楠木親子に起こる事件である。楠木真智子は5年前に離婚し、娘の理砂と暮らしている。真智子は会計事務所に勤め、ダンススクールに通う。彼女にとり、ダンサーになることが第二希望であり、第一は器械体操のオリンピック選手になることだった。短大生の頃に第一の希望を断念し、第二の希望を持ち続けているのである。理砂は器械体操の選手になるの道を歩んでいる。真智子は離婚後、理砂が器械体操の選手になることに夢を託し、それを第一にした生活を送ってきた。
 ストーリーは日曜日に理砂が競技会に出かけるのを真智子が見送るシーンから始まる。そこに飼い主が旅行のためにチンチラペルシャ猫を預かっている老婦人がそばの薬屋から出て来て話しかけてきた。しばしの会話を交わした後、真智子の回想という形で、ストーリーは4日前の水曜日の夜に戻って行く。真智子がマンションの自宅に戻ると、玄関の鍵があいていた。2LDKの奧の部屋で男性が死んでいたのだ。警察に電話をする。所轄の警察署から刑事が来て、現場の検証から始まって行く。刑事の一人が加賀である。
 被害者は所持していた免許証と名刺から毛利周介と判明。職業はデパートの外商担当である。加賀の質問に、真智子は半年前くらいから交際を始め、3ヵ月前ほどに作った合鍵を渡していたという。だがその夜は毛利が来る予定はなかったのだ。
 加賀が真智子に聞き取りをしているところに理砂が帰ってくる。真智子は理砂に家に強盗が入ったらしいこと、毛利が殺されていたことを告げる。そのとき理砂の反応は鈍かった。
 加賀は捜査の定石として小さな事実情報を着実に積み上げていく。そして真智子が加賀に話した内容と齟齬する箇所を見つけていく。そして、加賀は、決定的証拠を契機に、明らかになった事実を整合させられる形に推理を推し進めて事件を解明する。
 この短編も、冒頭のシーンに重要な伏線が潜んでいる。そして、意外な展開となる。なかなかおもしろい構想である。

<狂った計算>

 ひとことで言えば、殺人計画の計算が狂うというストーリー。それがどういう形でどう狂ったのかがこのストーリーの読ませどころである。
 フジヤ生花店に数日前から毎日のように必ず菊とマーガレットを買う女性客が来る。坂上と言い、交通事故で夫を亡くしたという。その事故が悲惨なものだったことが町内でも話題になっていた。彼女はまだ若く、店主は近くを通って彼女の家を新築と感じたという。交通事故の件は既に処理済みである。彼女の名前は坂上奈央子。
 交通事故があった1週間後、練馬警察署の加賀が別件で坂上家を訪ねる。彼が捜査しているのは中瀬という人物のことで、1週間前から行方不明となっていて、中瀬の妻から捜索願が出されているという。個人的相談もあったことから、加賀が調べているという。ただ、中瀬が行方不明になる少し前に、中瀬の妻が妙な電話を受けていたのである。それは中瀬が2年前にできたニュータウンに住む人妻に浮気しているという内容だったという。
 中瀬は新日ハウスに勤める建築士であり、2年前に作ったニュータウンはこの坂上奈央子が住む地域なのだ。そのため、加賀が聞き込み捜査をしていると奈央子に話す。
 奈央子は7年前に35歳の隆昌と結婚し、約2年前にこのニュータウンの建て売り住宅を購入したのだ。そして中瀬は契約事項の一環として、何ヶ月に一度か、坂上邸にメンテナンスの関係で訪問していることが明かになる。
 加賀の聞き込み捜査と推理が少しずつ進展していく。
 なぜ、マーガレットを彼女が買ったのかの理由も最後に明らかになる。
 一種のどんでん返しと偶然の重なりがうまくストーリーに折り込まれていくところが発想とひておもしろい。
 
<友の助言>

 この短編は少し異色である。それ故に興味深い。
 「友」とは誰をさすか? 加賀である。加賀が誰に助言する立場になるのか。相手は萩原保であり、大学で同じ社会学部に在籍した友人なのだ。
 加賀が病院に萩原の見舞いに行く1週間前に、萩原は東名高速道路で側壁に激突する事故を起こしたのだった。その日、萩原の妻・峰子は息子の大地を連れて、横須賀の実家に帰っていた。その日の昼間、高校時代の同窓会があったからである。そして事故の起こった翌日の昼過ぎに家に戻る予定だった。萩原はその日、同様に昔の仲間と会食の予定だった。その仲間というのが加賀である。萩原は出かける前に、峰子からの電話を受けた。飼い猫に餌を与えたかの確認と、夫に対してビタミン剤を飲みいつものドリンク剤を飲んで出かけるようにとの助言だった。萩原はその助言に従ってビタミン剤とドリンク剤を飲んで出かけた。そして、事故を起こしたのである。幸いにして命に別状がなかった。
萩原は社員数十人の会社を経営し、様々な事業のプロデュースを請け負う仕事をしている。
 加賀は萩原をどんなに疲れていても運転中に居眠りをする男ではないと評価していた。そこでこの事故に疑問を抱き、個人的に調べ始めるという展開になる。警察沙汰の事件にはならない。しかし加賀は調査し推理した結論を萩原に伝えるというストーリー展開になる。
 加賀刑事シリーズでは、初めて事件にならない事件の追及という形でおもしろい仕上がりになっている。エンディングが微妙である。

 マジックと同じで、種がわかると、なんだそんなところで惑わされたのか、そのヒントに気づかずに読み進めたのか・・・と思う。短編とはいえ、巧妙に仕組まれている点が楽しめる。一作品を短時間で読めるのも、たまにはいいなと思う。

 ご一読ありがとうございます。

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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象に加わってきました。
次の本をまずは読み継いできました。お読みいただけるとうれしいです。
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社

『子規365日』 夏井いつき  朝日新書

2016-12-04 12:03:25 | レビュー
 著者は「プレバト!!」というテレビ番組で、出演者が兼題に対して詠んだ俳句を評価し、才能あり、凡人、才能なしと峻別する。作者の思いを聞いた上で講評し、添削も行う講師として、全国ネット放送で大活躍である。著者は、朝日新聞愛媛版で「子規おりおり」という日々の連載コラムを担当し、2007年1月1日から12月31日まで連載したという。そのコラム記事を1冊にまとめたのがこの新書である。

 少なくとも子規の名前は誰もが知っている。国語の教科書に確実に出てくる名前。そう正岡子規、松山生まれの俳人である。「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」という句が世に親炙している。この句を正岡子規と言われて思い出しても、次の句が思い浮かばない・・・・というのがほとんどの人ではないか。そういう私もその類いだった。『超辛口先生の赤ペン俳句教室』を手に取ったことがきっかけで、この本が出版(2008年8月第1刷発行)されていることを知り、読んでみることにした。

 興味は2つ。第1は、正岡子規及び彼の俳句への入門書的役割として読みやすいかと思ったこと。俳句に関心を持ち始めた頃に、子規の『俳諧大要』『仰臥漫録』を岩波文庫本で買った。しかし、本箱に冬眠状態で来てしまった。子規に一歩入ることで、これらを繙く契機になるかなということから。
 第2は、プレバトの講評者が、著者の故郷松山の大先輩である俳人・子規の句をどのような語り口で料理するのか読んでみたいと思ったことにある。

 まず最初の興味の観点に触れると、いろいろ知ることがあった。正岡子規をほんの少しだが、親しみを感じるようになれたと思う。
 知識として知った中からいくつかご紹介する。正岡子規の左側面の顔写真は有名であり、さすがに私でも知っているが、子規がわずか34年と短命だったことは恥ずかしながら意識していなかった!その短い人生において、何と約24,000もの俳句を残しているという。子規の句を全部味わった人って何人いるのだろう・・・と思ってしまう。
 そこで、必要なときに必要な項目を・・・という目的で、改めて購入していた高校生用学習参考書の『クリアカラー国語便覧』(数研出版)を見ると、例の横顔写真も掲載され1ページで解説されている。その隣ページの高浜虚子は半ページの説明。1/4ページでの説明が2人、1/8ページ単位で16人の解説である。子規さんはやはり、大御所というところか。だが、約24,000句も詠んだと言う実績には触れていない。
 ①子規は17歳で上京し、18歳で旧松山藩主の育英事業・常磐会給費生になったという(p30)。②学生時代には野球に興味を持ち、ユニホーム姿の写真も残っていて捕手だったとか。野球についての気持ちを詠んだ短歌の連作も残しているそうだ(p150)。③その子規が大学を中退し、陸羯南(くがかつなん)が社主である日本新聞社に入社。このころ陸羯南の反対も押し切って、新聞記者として短期間だが日清戦争に従軍。帰路の船上で喀血したそうである。それは明治28年。この年に子規が一時は危篤状態に陥ったことがあるという(p251)。改めて、手許の『便覧』を参照すると、子規が『俳諧大要』の連載を始めたのが、この明治28年だと記されている。さらに、『歌よみに与ふる書』が発表されたのはその後の明治31年である。もし、この明治28年に危篤状態から脱せずに子規が逝去していたら、俳句の世界はどのようになっていただろうかと、ふと思う。④病床にある子規は明治34年9月2日から書き始めた『仰臥滿録』という一書を残している(p188)。⑤明治29年には左腰の痛みは結核性脊椎カリエスであるとの診断結果を知ったという(p257)。そして『病状六尺』を発表した明治35年に死去した。
 ほかにも様々なことが記されているが、これらは子規の句に付された解説文に触れられている内容の一端である。それでは子規のどの句が取り上げられていたかを順に列挙してみよう。
  ① 寄宿舎の窓にきたなき蒲団(ふとん)哉
  ② 夏草やベースボールの人遠し
  ③ 死にかけしこともありしか年忘れ
  ④ 鶏頭(けいとう)のまだいとけなき野分かな
  ⑤ 行く年を母すこやかに我病めり

 この本は毎日のコラム記事に、その時季に相当する季語をキーにして、著者が子規の句から選び出した1句とその句から著者が読み取ったことを解説されている。取り上げた句の理解を深め、句意を味わうために子規がその句を詠んだ背景、状況が子規の人生の一局面として語られる。季語がキーになっているので、子規の人生は時系列においては分断されている。一種無作為に俳句に合わせて、子規の人生のある時点のある局面が句の理解を深める背景として説明されることになる。子規の人生を捉えようとすると、読者が頭の中で少し整理しないと時間軸がわかりづらい。そのためにということでだろう、「まえがき」の末尾の[凡例]の次のページに「正岡子規 年表」が収録されている。

 子規にとって柿は大好物だったという。「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」という句は、本当に子規が法隆寺の近くで好物の柿を楽しんで食しているときに鐘の音を聞いていたのだろうと、楽しくなってくる。手許の歳時記や本で「柿食へば」の句を季語「柿」の例句として挙げているかどうかをチェックしてみた。そしておもしろいことに気づいた。
 「柿食へば」の句を挙げているのは、『基本季語500選』(山本健吉・講談社学術文庫)、『合本現代俳句歳時記』(角川春樹編・角川春樹事務所)、『新改訂版俳諧歳時記 秋』(新潮社編、新潮文庫)、『吟行版季寄せ草木花 秋[下]』(朝日新聞社)であり、『俳枕 西日本』(平井照敏編、河出文庫)には法隆寺の項で例示されている。
 一方、『虚子編 季寄せ』(改訂版、三省堂)と『ホトトギス新歳時記』(稲畑汀子編、三省堂)では、「柿食へば」を挙げていない。この両書は「三千の俳句を閲し柿二つ」という句を例句に挙げる。『ホトトギス新歳時記』は前書の「在日 夜にかけて俳句函の底を叩きて」も載せている。ホトトギスの本流では例句に挙げてないところが興味深い。 では、本書はどうか? この書の中での説明文のどこかで「柿食へば」の句に言及していたと思うが、10月8日の季語「柿」のコラム記事では、「句を閲(けみ)すラムプの下や柿二つ」を句に取り上げている。上記のどちらでもない別句が取り上げられているのだから、一層楽しくなる。この日のコラム記事の本文の後半を引用しておこう。
 ”子規の「柿」好きは有名だが、胃痛で柿を留められた時の「胃痛八句」なる作品もある。「柿あまたくひけるよりの病(やまい)哉」と殊勝な詠みぶりもあれば、「側(かたわら)に柿くふ人を恨みけり」と逆恨みめいた句もあるから可笑(おか)しい。”(p203)翌日の10月9日には「熟柿」の季語で、「カブリツク熟柿ヤ髯を汚シケリ」が取り上げられている。そこに漱石談として子規の食べ方を記述しているから、おもしろい。
 手許の『国語便覧』を見ると、1ページの説明の中に、コラムの形で、「樽柿を十六個食べた男」として、子規の一面を紹介し、「柿食へば」と「三千の俳句を」の二句を併記しているのだから、これまたおもしろい。
 さらに、本著者が「句を閲す」を挙げていることから、下五の「柿二つ」から子規が一状況下で、複数の句を詠んでいることまで、資料の重ね合わせから分かってきた。子規さんもいろいろ作句を試みているんだということがわかって、おもしろい。

 こんな風に一方で、句の背景情報として、子規の生き方、人生の一局面が語られる故に、子規に親しみを感じられることになる。

 第2の関心という点では、本書を読んで興味深い、あるいはおもしろいと感じたことが結構ある。そのいくつかを列挙してみる。

1) 上記は子規の句意への理解を深めるための説明として、著者が子規についての背景情報を語っているということを述べた。しかし、子規の俳句を鑑賞するときに、子規の側に立つだけでなく、鑑賞者の側での句の受け止め方が関わってくる。そうなると、句意を読み込み味わうために、己の経験、体験を重ねていくことになる。つまり、鑑賞を深めるために、著者が己の人生経験、体験を語っている。その断片情報を集積していくと、これまた著者の人生の一端が、子規の句を介して見えてくるのだから、興味深い。
  余談だが、いまやそんなことをしなくても、名前をキーワードにネット検索するとプロフィールをかなり詳細に記載しているサイトがいくつもある。ちょっと調べてみて驚いた。有名人に加わるのも大変だなあ・・・・。プライバシイーなんてないも同然だよねという感じだ。しかし、著者自身が記述したことを拾っていき、つなげてみるのは興味深い。

2) 俳句を鑑賞するということは、どういうことなのか?
 このことを考える材料にもなる。俳句はその作者とは独立した客体として鑑賞できるのか、できないのか。作者の人生や思考などを介してそれを汲み取った上で、己の感性を重ねていくべきものなのか・・・そんなことが気になってきた。
 1月14日の「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の句がその一例である。著者はコラム本文の末尾にこう記す。「俳句の読みは読者の翼に乗って自由に広がるからこそ、作者の真実を知った時の驚きと感動もより深くなる」(p19)と。
 10月30日の「無花果(いちじく)ニ手足生エタトゴ覧ゼヨ」の句がおもしろい。コラム本文の末尾に、著者が「いやはやとんだ深読みであった」(p217)と記しているのである。句を客体化して鑑賞すれば、著者の句意とは違う鑑賞域に突き進む場合もある。もともと句に付された前書なしに、句だけを読む事からの解釈の違いの例が8月10日の「腹中にのこる暑さや二万巻」の句についても語られている。俳人にしてそうなのだというのか。俳人だからこそなのか。おもしろい。

3) 『芭蕉俳句集』(岩波文庫)を読むと、芭蕉が一句の中の言葉を推敲して変更しているプロセスを追った句が時折出ている。それと同じ事の事例が子規の句でも取り上げられている。10月29日の「団栗もかきよせらるる落葉哉」(p216-217)がその一例である。コラム記事の解説で、動詞一つの選択で句の雰囲気が変わることを論じている。作句の勉強になる視点が例示されていて参考になる。順序が逆になったが、同じ事が1月29日の「外套を着かねつ客のかかへ走る」で論じられている。作句心得として参考になる解説である。

4) 短い人生の中で、約24,000句も作れば、当然類句も数多くあるだろうと思う。そんな例を選択された365句の中に見出して、ちょっと楽しくなった。子規さんもやはりなあ・・・。類句発想はあるんだなと。
 2月2日「納豆売新聞売と話しけり」。9月8日「虫売りと鬼灯(ほおずき)売りと話しけり」。の二句。形式は全く同じ。それに加えて、面白いのは著者が本文を書いている視点やスタンスが全く違うのだ。こういう集約本ができなければ、このコラムの内容も日々消えて行き、よほどの好事家でなきゃ、思い出して対比分析的に読む事もないだろう。

5) 通読して行くと、子規の句の解説を通して、その中に作句の視点の持ち方、基本的な及び高度なテクニックという局面での説明を子規の句で行ってくれている点である。俳句を読み鑑賞するという観点からみても、大いに役立つ解説である。
上記を除き、私が役立つと感じた句の取り上げられ日付だけ列挙してみよう。モレがあるかも知れないが、直接的に解説があるので便利な例句といえる。○月△日を○/△という風に略記する。1/18,1/22,2/10,2/12,2/21,3/2,3/30,4/29,4/30,5/19,5/21,5/27,6/6,6/18などの本文での解説が有益である。

 著者の選句眼によることなのかもしれないが、正岡子規を大御所として高みにおいて語るのではなく、人間子規という目線で語っているところが、親しみをもてる。やっぱり、子規さんも俳句の神様という雲の上の人ではなく、いろいろ悩み、苦しみ、共感し、チャレンジした人間だったんだなあ・・・。365日の日々に取り上げられたその日の一句から、やっぱりなあと、ストレートに素顔の子規さんを感じる句をいくつか抽出しておきたい。正岡子規という短命で逝った俳人をちょっと覗いてみようとおもうのではないだろうか。

  1/1  うれしさにはつ夢いふてしまひけり
  1/3  今年はと思ふことなきにしもあらず
  1/11  寒かろう痒かろう人に逢ひたからう
  8/1  ぐるりからいとしがらるる熱さかな
  8/12  風呂を出て西瓜を切れと命じたり
  8/22  書に倦(う)むや蜩(ひぐらし)鳴いて飯遅し
  12/1  来年はよき句つくらんとぞ思ふ

 最後に、正岡子規は別号に「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」というのを使っている。著者はこの号の意味するところを、絵解きしてくれている。ここにも素顔の子規、人間子規が現れていて、なるほどそんなところに由来するのかとおもしろく感じ、かつ納得した。
正岡子規に一歩近づけ、気易く読める新書である。俳句鑑賞、作句の基本も学べる新書になっている。

 ご一読ありがとうございます。

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正岡子規について、ネット情報を少し検索してみた。一覧にしておきたい。
長年の疑問…なんで「正岡子規」の写真は横顔ばかりなの?  :「NAVERまとめ」
正岡子規  :「コトバンク」
正岡子規  :ウィキペディア
正岡子規年表  :「AREA SOSEKI」(漱石とその時代)
松山市立子規記念博物館  ホームページ
  正岡子規の俳句検索
正岡子規 作品一覧 :「えあ草紙・青空文庫」 


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『超辛口先生の赤ペン俳句教室』 朝日出版社