この小説のテーマはマネーロンダリングの大がかりなカラクリの捜査活動プロセスを描き出すことである。かつ、そのプロセスを通じて、副産物として政財界・警察組織などの組織機構に隠然と内在する利権体質およびそれに加担する一群の人々の存在を描き出す。それはフィクションという形を借り、現実の隠れた局面を暗喩しているリアル感があり、実に興味深い。
主な主人公は、警視庁の組織対策部総務課に属する特命部隊、マネー・ロンダリング対策室の樫村恭祐(かしむらきょうすけ)警部補。彼は犯罪収益解明捜査四係の主任で、捜査二課の企業犯罪捜査第二係から異動して3年目である。樫村の相棒は体重80kgという巨体の上岡章巡査部長。上岡は窃盗犯担当の捜査三課にいた変わり種である。それに、同三係の橋本久典巡査部長、倉持徹巡査が参加していき、チームとなる。三十すぎの橋本は、殺された被害者の弔いにしかならない殺人捜査に空しさを感じ、刑事があこがれる表看板の捜査一課から志願して異動してきたという変わり種だ。捜査一課で鍛えられた現場感覚とその能力を発揮する。倉持は最年少の26歳、柔道3段、空手2段という貴重な武闘派。生活安全課で詐欺やマルチ商法のような経済事案を担当してきた粘り強さを長所とする。
ストーリーは、埼玉県飯能市内の山林で、宮本弘樹の遺体が近隣住民により発見され、通報された時点から始まる。宮本は豊島区に本店を置く共生信用金庫の職員で、外為法違反の容疑で指名手配中だった。宮本は広域暴力団系の覚醒剤密売組織から依頼を受けて、巨額の闇資金を海外に不法送金している疑いを持たれ、捜査チームから事情聴取されている最中に遺体となったのだ。
不法送金疑惑に対する特捜チームの編成は組対部四課の暴力犯特別捜査二係、五課の薬物捜査三係、マネロン室の樫村と上岡だった。組対部四課は刑事部捜査四課の名前が変わっただけで、「マル暴の四課」という意識と体質はそのままである。特捜チームの管理官はしばらく内偵を進めようという意向だったのだが、組対部四課の亀田保夫警部補が、強引に宮本を任意同行させて、事情聴取を担当した。亀田が宮本を事情聴取したのが2週間前。だが為替業務の専門家である宮本の釈明に、煙に巻かれた形で一旦放免せざるを得なくなった3日後に、宮本は勤め先を無断欠勤して行方をくらませた。その結果がこれだ。亀田と樫村は階級は同格だが、亀田が年は一回り上なのだ。
検視の結果、遺体は死後1週間、首を吊った状態で発見された遺体に吉川線がなく、高級品とわかる所持品はそのままだった。県警は自殺と一旦判断する。
この小説のおもしろいところは、ストーリーのプロセスに様々な対立の構図が組み込まれていてそれが複雑に錯綜し絡まりながら、ジワジワと真相に近づいていくという構成にある。そして、その対立が様々な組織に内在する利権構造や個人の欲望と絡む人間関係などの体質を浮き彫りにするという局面にある。その局面は現実をかなりリアルに暗喩していると思わせるものばかり。負の欲望の人間関係ネットワークが事件の隠蔽、ミスリードの作用因となり、長い時間軸で一つの事件がいくつかの過去の事件と連鎖し、そこに因縁の絆があったという構想が興味深い。
対立の構図に触れながら、このストーリーの展開に少し踏み込んでおこう。
1つは特捜チームにおける対立の構図。それは、管理官の意向を振り切ってでもマル暴対策的な動きを先頭に立ち推し進める亀田とマネロンの筋の解明を第一目的と考える樫村の対立である。亀田は宮本を使って不法送金をした覚醒剤密売組織の大本を潰すということを目的にとらえる。それは組対部四課と五課の薬物捜査の捜査感覚である。一方、樫村は覚醒剤の密輸がビジネスとして成立するのは、アングラマネーの国際移動を支援するマネーロンダリングのチャネルが存在するからであると考える。そのチャネルの仕組みを解明し無効化することが覚醒剤供給を断つ観点でより大きな意味があるとする。宮本が共生信金のコンピュータの勘定系システムを利用して不法送金した仕組みが解明できれば、それは一つの覚醒剤密売組織の撲滅だけに留まらず他にも適用展開できるからだ。樫村の立場からすれば宮本がその切り札になるところだった。ここには明らかに、捜査の方向性についての立場の対立がある。
第2は、事件の管轄からくる対立の構図。宮本は警視庁の管轄下で、覚醒剤密売に絡まる巨額資金の不法送金という事件の被疑者だった。しかし、埼玉県警の管轄下で遺体として発見された。当初の検視では遺体の状況から自殺と判断されていたのだが、遺体からサンプルとして採取されていた血液からヘロインが検出されたことにより、他殺の可能性が浮上する。埼玉県警はこの事件を他殺とみて捜査本部を組み、事件の解明に乗りだす。殺人件の捜査管轄の主体は埼玉県警になる。殺人事件の捜査、その犯人逮捕が主目的となっていく。この場合警視庁は間接的に協力するという形になる。宮本に関わる情報および根本の事件の解明目的という観点で、2つの警察組織の綱引き、対立関係が生じてくる。だが、そこにはそういう対立関係が生まれる方向へ意図的に持ち込まれたという作為性が内在するのである。
宮本の死で一旦解散が決まった警視庁の捜査チームは、他殺の疑いが出たことから急遽存続が決まり、逆に人員も増強されることになる。この時点からマネロン室は橋本と倉持を追加投入し、この事件に参加させる。亀田は独自ルートで疋田組のある者から得た情報だとして、指定暴力団真興会が宮本の殺害に関与していると言い出す。そして宮本殺害の証拠の捜査から真興会という大きな暴力団組織の関与を裏づけ、この組織の壊滅をめざすという方向に捜査チームをリードする。埼玉県警と連携体制を取りながら、警視庁の面子で独自に捜査活動をするという姿勢である。それは、第1の対立の構図とも絡んでいる。だが、そこには亀田の隠された意図が潜んでもいた。
第3は、共生信金とマネロン室の対立の構図。樫村は宮本が不正送金のために、共生信金のコンピュータの勘定系システムを利用したという観点から、そのシステムを利用した手口の解明への協力要請に出かける。応対したのは常勤理事の坂下勝正だった。不審な取引があれば、法規に従って金融機関はFIU(特定金融情報室)に届け出をする義務があるのだが、共生信金からは届け出がなかったのだ。坂下は宮本に対するマネーロンダリング疑惑の曖昧性の部分を突いてくる。そして捜査令状の有無に言及する。
宮本の死に他殺の疑いが出た直後、今度は坂下から樫村に電話が入る。再度相談という形で樫村と上岡は共生信金に出かけてゆく。すると、予期に反し、八雲靖吉理事長が一緒に面談に出てくるのだ。八雲が応対の主導権をとる。宮本は単独犯行として共生の勘定系システムを道具として利用した、共生としては宮本に利用されたのかという問いかけである。企業としての従業員に対する監督責任は問われて然るべきだが、それは社会的責任のレベルの次元であり、共生としては犯罪とは無関係だ。勘定系システムを捜査されるということが表に出れば共生信金の信用に疵がつく。勘定系システムは金融機関の存立基盤であり、信頼性の側面でのダメージは計り知れない。捜査に納得できないと論じていく。
建前は宮本の個人的犯行への限定化と共生の社会的責任・信頼性維持という観点からの企業防衛である。勘定系システムに対する捜査拒絶の姿勢を示し、宮本の犯行手口を知るためシステムに対する捜査に対立する。樫村が捜査令状を突きつけられない状況を前提に、宮本が既に死んでいて本人の自白を得られない状況が明確になった時点で対立を露わに示構図である。そこをどう打開していくか・・・・。ここを打開できないと、マネロン室の存在意義がない。
一方、樫村の上司須田係長は八雲についての情報を過去の捜査記録を当たった結果掴んでいた。二十年ほど前のバブル景気の頃、再開発用地の地上げ問題で、八雲が真興会の先代ときなくさい関係があったこと。虎ノ門のオフィスビル用地の地上げの際、脅迫容疑で真興会の構成員が逮捕されたが、事件はそこ止まりで決着がつき、資金供与の大手ノンバンクもそこを真興会に紹介した八雲にもお咎めなしで終わっていること。八雲はフィクサーとして暗躍してきている人物だが、シッポをつかまれたことはない。元大物警察官僚の有力政治家と縁戚関係を築き、実弟は一部上場企業の経営者、政官財に暗躍する力を備えているという。事件に対して裏からの妨害工作に暗躍する力を持つようなのだ。
共生信金の八雲は、樫村との何度かのやりとりの中で、自社のシステムについて監督官庁である金融庁の方にチェックしてもらうつもりだという奇策を持ち出してくる。警察とは切り離そうという魂胆だ。樫村は逆に、共生信金が組織ぐるみでマネロンに関与しているのではないかと疑惑を深める。
第4は、金融庁対警察組織との意識対立の構図。それは金融庁にあった特定金融情報室が5年ほど前に国家公安委員会に移管されたことに関わっている。その実務は警察庁に設置されたJAFICが担当しているのだ。世界的に注目を集めるマネーロンダリングの取り締まりは、金融庁の縄張りに属する仕事と考えていたからなのだ。金融庁のプライドである。一方、警察サイドは、マネロンが組織犯罪対策と密接な関係があるので、JAFICが実務をし、取り締まりをする方が効果が高まるという理屈なのだ。縄張り意識の対立が事あれば尾を引く綱引きとなる。へたをすれば、捜査への横槍、遅延への要因になりかねない。
捜査が展開する最中に、海外から新たな動きがもたらされる。香港のFIUからJAFICに通報が入ったのだ。現地の金融当局が追っていた資金の動きの中から浮かびあがったものだ。香港に設立されているあるペーパーカンパニーの口座に、共生信金の口座から数百億円に上る資金が1回あたり100万円以下の金額で多頻度集中送金されているという某大なデータだった。個別で見ると、金融機関には税務署に海外送金の届け出する義務のないというレベルの送金の手口なのだ。そこに犯罪性が潜んでいるのかどうか・・・・。
樫村たちにとって一つの手がかりが出てくる。
捜査が展開される中で、あるとき樫村の妻から樫村に電話が入る。樫村の妻は元警察官だった。妻と娘が不審な男に見張られているという電話だった。樫村は帰宅したとき、周辺を一巡し一台の車に気づくとともに、気になる男に出会う。警察手帳を見せ質問するが、その場はうまく言い逃れられる結果になる。だが、その車とその男の風体がその後の事件の展開の一助となっていく。
不正送金疑惑のある宮本の死により、明確な証拠が得られず捜査令状を発行できない状況のなか、マネロン疑惑の捜査を搦手からジワジワと積み上げていくという進展がベースとなる。捜査過程で様々な対立の構図が露わになり、複雑に絡み合っていくところがおもしろく、読み応えがある。第1の対立の構図が主たるベースとなりながら、第3の対立の構図が絡み合っていくところが興味深い。フォイクサー八雲理事のしたたかさが大きな軸になっている。そしてその正体がなかなか見えないところが巧妙なストーリー展開とつながっている。樫村と亀田はキツネとタヌキの化かし合い的側面を持ちながら同じ捜査本部の一員として捜査活動に従事するという関係になる。そこが実におもしろい。
意外性を掛け算していくようなストーリーの展開が興味深いところと言える。
この作品の巻末の締めくくりは、「深井の死に対する慚愧はいまも消えない。それでも樫村は心がわずかに軽くなった気がした」である。ここに主人公・樫村警部補の警察官魂と捜査姿勢が凝縮している。
ご一読ありがとうございます。
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この小説を楽しむためのバックグラウンドの情報をいくつかネット検索した。一覧にしておきたい。
マネーロンダリング :「コトバンク」
資金洗浄(マネーロンダリング) :「外務省」
犯罪収益移転防止対策室(JAFIC)とは :「警察庁」
JAFICと国際機関等の連携 JAFIC :「警察庁」
犯罪による収益の移転の危険姓の程度に関する評価書 pdfファイル :「警察庁」
金融庁 ホームページ
金融庁について
金融庁 :ウィキペディア
金融監督庁 証券用語集 :「weblio辞書」
海外送金サービスを悪用した不正送金アルバイトに注意! :「警視庁」
日本の銀行、ケータイ、スマホから海外送金する方法 :「All About マネー」
ケイマン諸島の経済 :ウィキペディア
タックスヘイブン(オフショア)とは? :「WEB金融新聞」
タックスヘイブンに流れる日本の「税金」を取り戻せ(1/5):「IT media ビジネス」
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『遺産 The Legacy 』 小学館
主な主人公は、警視庁の組織対策部総務課に属する特命部隊、マネー・ロンダリング対策室の樫村恭祐(かしむらきょうすけ)警部補。彼は犯罪収益解明捜査四係の主任で、捜査二課の企業犯罪捜査第二係から異動して3年目である。樫村の相棒は体重80kgという巨体の上岡章巡査部長。上岡は窃盗犯担当の捜査三課にいた変わり種である。それに、同三係の橋本久典巡査部長、倉持徹巡査が参加していき、チームとなる。三十すぎの橋本は、殺された被害者の弔いにしかならない殺人捜査に空しさを感じ、刑事があこがれる表看板の捜査一課から志願して異動してきたという変わり種だ。捜査一課で鍛えられた現場感覚とその能力を発揮する。倉持は最年少の26歳、柔道3段、空手2段という貴重な武闘派。生活安全課で詐欺やマルチ商法のような経済事案を担当してきた粘り強さを長所とする。
ストーリーは、埼玉県飯能市内の山林で、宮本弘樹の遺体が近隣住民により発見され、通報された時点から始まる。宮本は豊島区に本店を置く共生信用金庫の職員で、外為法違反の容疑で指名手配中だった。宮本は広域暴力団系の覚醒剤密売組織から依頼を受けて、巨額の闇資金を海外に不法送金している疑いを持たれ、捜査チームから事情聴取されている最中に遺体となったのだ。
不法送金疑惑に対する特捜チームの編成は組対部四課の暴力犯特別捜査二係、五課の薬物捜査三係、マネロン室の樫村と上岡だった。組対部四課は刑事部捜査四課の名前が変わっただけで、「マル暴の四課」という意識と体質はそのままである。特捜チームの管理官はしばらく内偵を進めようという意向だったのだが、組対部四課の亀田保夫警部補が、強引に宮本を任意同行させて、事情聴取を担当した。亀田が宮本を事情聴取したのが2週間前。だが為替業務の専門家である宮本の釈明に、煙に巻かれた形で一旦放免せざるを得なくなった3日後に、宮本は勤め先を無断欠勤して行方をくらませた。その結果がこれだ。亀田と樫村は階級は同格だが、亀田が年は一回り上なのだ。
検視の結果、遺体は死後1週間、首を吊った状態で発見された遺体に吉川線がなく、高級品とわかる所持品はそのままだった。県警は自殺と一旦判断する。
この小説のおもしろいところは、ストーリーのプロセスに様々な対立の構図が組み込まれていてそれが複雑に錯綜し絡まりながら、ジワジワと真相に近づいていくという構成にある。そして、その対立が様々な組織に内在する利権構造や個人の欲望と絡む人間関係などの体質を浮き彫りにするという局面にある。その局面は現実をかなりリアルに暗喩していると思わせるものばかり。負の欲望の人間関係ネットワークが事件の隠蔽、ミスリードの作用因となり、長い時間軸で一つの事件がいくつかの過去の事件と連鎖し、そこに因縁の絆があったという構想が興味深い。
対立の構図に触れながら、このストーリーの展開に少し踏み込んでおこう。
1つは特捜チームにおける対立の構図。それは、管理官の意向を振り切ってでもマル暴対策的な動きを先頭に立ち推し進める亀田とマネロンの筋の解明を第一目的と考える樫村の対立である。亀田は宮本を使って不法送金をした覚醒剤密売組織の大本を潰すということを目的にとらえる。それは組対部四課と五課の薬物捜査の捜査感覚である。一方、樫村は覚醒剤の密輸がビジネスとして成立するのは、アングラマネーの国際移動を支援するマネーロンダリングのチャネルが存在するからであると考える。そのチャネルの仕組みを解明し無効化することが覚醒剤供給を断つ観点でより大きな意味があるとする。宮本が共生信金のコンピュータの勘定系システムを利用して不法送金した仕組みが解明できれば、それは一つの覚醒剤密売組織の撲滅だけに留まらず他にも適用展開できるからだ。樫村の立場からすれば宮本がその切り札になるところだった。ここには明らかに、捜査の方向性についての立場の対立がある。
第2は、事件の管轄からくる対立の構図。宮本は警視庁の管轄下で、覚醒剤密売に絡まる巨額資金の不法送金という事件の被疑者だった。しかし、埼玉県警の管轄下で遺体として発見された。当初の検視では遺体の状況から自殺と判断されていたのだが、遺体からサンプルとして採取されていた血液からヘロインが検出されたことにより、他殺の可能性が浮上する。埼玉県警はこの事件を他殺とみて捜査本部を組み、事件の解明に乗りだす。殺人件の捜査管轄の主体は埼玉県警になる。殺人事件の捜査、その犯人逮捕が主目的となっていく。この場合警視庁は間接的に協力するという形になる。宮本に関わる情報および根本の事件の解明目的という観点で、2つの警察組織の綱引き、対立関係が生じてくる。だが、そこにはそういう対立関係が生まれる方向へ意図的に持ち込まれたという作為性が内在するのである。
宮本の死で一旦解散が決まった警視庁の捜査チームは、他殺の疑いが出たことから急遽存続が決まり、逆に人員も増強されることになる。この時点からマネロン室は橋本と倉持を追加投入し、この事件に参加させる。亀田は独自ルートで疋田組のある者から得た情報だとして、指定暴力団真興会が宮本の殺害に関与していると言い出す。そして宮本殺害の証拠の捜査から真興会という大きな暴力団組織の関与を裏づけ、この組織の壊滅をめざすという方向に捜査チームをリードする。埼玉県警と連携体制を取りながら、警視庁の面子で独自に捜査活動をするという姿勢である。それは、第1の対立の構図とも絡んでいる。だが、そこには亀田の隠された意図が潜んでもいた。
第3は、共生信金とマネロン室の対立の構図。樫村は宮本が不正送金のために、共生信金のコンピュータの勘定系システムを利用したという観点から、そのシステムを利用した手口の解明への協力要請に出かける。応対したのは常勤理事の坂下勝正だった。不審な取引があれば、法規に従って金融機関はFIU(特定金融情報室)に届け出をする義務があるのだが、共生信金からは届け出がなかったのだ。坂下は宮本に対するマネーロンダリング疑惑の曖昧性の部分を突いてくる。そして捜査令状の有無に言及する。
宮本の死に他殺の疑いが出た直後、今度は坂下から樫村に電話が入る。再度相談という形で樫村と上岡は共生信金に出かけてゆく。すると、予期に反し、八雲靖吉理事長が一緒に面談に出てくるのだ。八雲が応対の主導権をとる。宮本は単独犯行として共生の勘定系システムを道具として利用した、共生としては宮本に利用されたのかという問いかけである。企業としての従業員に対する監督責任は問われて然るべきだが、それは社会的責任のレベルの次元であり、共生としては犯罪とは無関係だ。勘定系システムを捜査されるということが表に出れば共生信金の信用に疵がつく。勘定系システムは金融機関の存立基盤であり、信頼性の側面でのダメージは計り知れない。捜査に納得できないと論じていく。
建前は宮本の個人的犯行への限定化と共生の社会的責任・信頼性維持という観点からの企業防衛である。勘定系システムに対する捜査拒絶の姿勢を示し、宮本の犯行手口を知るためシステムに対する捜査に対立する。樫村が捜査令状を突きつけられない状況を前提に、宮本が既に死んでいて本人の自白を得られない状況が明確になった時点で対立を露わに示構図である。そこをどう打開していくか・・・・。ここを打開できないと、マネロン室の存在意義がない。
一方、樫村の上司須田係長は八雲についての情報を過去の捜査記録を当たった結果掴んでいた。二十年ほど前のバブル景気の頃、再開発用地の地上げ問題で、八雲が真興会の先代ときなくさい関係があったこと。虎ノ門のオフィスビル用地の地上げの際、脅迫容疑で真興会の構成員が逮捕されたが、事件はそこ止まりで決着がつき、資金供与の大手ノンバンクもそこを真興会に紹介した八雲にもお咎めなしで終わっていること。八雲はフィクサーとして暗躍してきている人物だが、シッポをつかまれたことはない。元大物警察官僚の有力政治家と縁戚関係を築き、実弟は一部上場企業の経営者、政官財に暗躍する力を備えているという。事件に対して裏からの妨害工作に暗躍する力を持つようなのだ。
共生信金の八雲は、樫村との何度かのやりとりの中で、自社のシステムについて監督官庁である金融庁の方にチェックしてもらうつもりだという奇策を持ち出してくる。警察とは切り離そうという魂胆だ。樫村は逆に、共生信金が組織ぐるみでマネロンに関与しているのではないかと疑惑を深める。
第4は、金融庁対警察組織との意識対立の構図。それは金融庁にあった特定金融情報室が5年ほど前に国家公安委員会に移管されたことに関わっている。その実務は警察庁に設置されたJAFICが担当しているのだ。世界的に注目を集めるマネーロンダリングの取り締まりは、金融庁の縄張りに属する仕事と考えていたからなのだ。金融庁のプライドである。一方、警察サイドは、マネロンが組織犯罪対策と密接な関係があるので、JAFICが実務をし、取り締まりをする方が効果が高まるという理屈なのだ。縄張り意識の対立が事あれば尾を引く綱引きとなる。へたをすれば、捜査への横槍、遅延への要因になりかねない。
捜査が展開する最中に、海外から新たな動きがもたらされる。香港のFIUからJAFICに通報が入ったのだ。現地の金融当局が追っていた資金の動きの中から浮かびあがったものだ。香港に設立されているあるペーパーカンパニーの口座に、共生信金の口座から数百億円に上る資金が1回あたり100万円以下の金額で多頻度集中送金されているという某大なデータだった。個別で見ると、金融機関には税務署に海外送金の届け出する義務のないというレベルの送金の手口なのだ。そこに犯罪性が潜んでいるのかどうか・・・・。
樫村たちにとって一つの手がかりが出てくる。
捜査が展開される中で、あるとき樫村の妻から樫村に電話が入る。樫村の妻は元警察官だった。妻と娘が不審な男に見張られているという電話だった。樫村は帰宅したとき、周辺を一巡し一台の車に気づくとともに、気になる男に出会う。警察手帳を見せ質問するが、その場はうまく言い逃れられる結果になる。だが、その車とその男の風体がその後の事件の展開の一助となっていく。
不正送金疑惑のある宮本の死により、明確な証拠が得られず捜査令状を発行できない状況のなか、マネロン疑惑の捜査を搦手からジワジワと積み上げていくという進展がベースとなる。捜査過程で様々な対立の構図が露わになり、複雑に絡み合っていくところがおもしろく、読み応えがある。第1の対立の構図が主たるベースとなりながら、第3の対立の構図が絡み合っていくところが興味深い。フォイクサー八雲理事のしたたかさが大きな軸になっている。そしてその正体がなかなか見えないところが巧妙なストーリー展開とつながっている。樫村と亀田はキツネとタヌキの化かし合い的側面を持ちながら同じ捜査本部の一員として捜査活動に従事するという関係になる。そこが実におもしろい。
意外性を掛け算していくようなストーリーの展開が興味深いところと言える。
この作品の巻末の締めくくりは、「深井の死に対する慚愧はいまも消えない。それでも樫村は心がわずかに軽くなった気がした」である。ここに主人公・樫村警部補の警察官魂と捜査姿勢が凝縮している。
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マネーロンダリング :「コトバンク」
資金洗浄(マネーロンダリング) :「外務省」
犯罪収益移転防止対策室(JAFIC)とは :「警察庁」
JAFICと国際機関等の連携 JAFIC :「警察庁」
犯罪による収益の移転の危険姓の程度に関する評価書 pdfファイル :「警察庁」
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