遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『サーベル警視庁』  今野 敏   角川春樹事務所

2017-05-30 10:49:45 | レビュー
 タイトルから想像できると思うが、警察官が腰にサーベルを装着していた頃、つまり明治時代、それも明治38年7月、日露戦争の最中、日本海海戦で日本が快勝し、国内は大いに沸き立ち、樺太の戦いを国民が見守っているという時期がストーリーの背景となっている。警視庁は内務省の管轄下にあり、内務省の言動にはピリピリしているという時代である。明治政府には長州閥が隠然たる勢力を振るい、陸軍の枢要なポストは長州閥が大勢を占め、一方海軍と警察には薩摩閥が幅をきかせている。警察の父と呼ばれる初代大警視は、薩摩の川路利良である。第一線を退いてはいるものの山縣有朋が明治政府・官僚や軍隊に隠然たる力を保持しているという背景がこのストーリーの舞台となる。
 そんな時代背景の中、不忍池で死体が発見される。遺体が池に浮かんでいるのを発見し通報したのは、湯島天神にお参りして、根津に向かう途中だったと語る富山の薬売りだという。警視庁に本郷署から連絡が入る。それを受けて、現場に赴くメンバーが次々に起こる事件の捜査を担っていく。一連の捜査活動に関わっていく警視庁の主な関係者のプロフィールをご紹介しておこう。

  鳥居忠重警視 警視庁第1部部長 旗本の家柄で六法詞で喋る。陣頭指揮者をとる
  葦名警部   第1部第1課係長 仙台出身、40代
  久坂巡査   葦名の部下 20代、天神真楊流柔術の猛者。体がでかい。
  岩井巡査   葦名の部下 20代 溝口派一刀流免許皆伝の猛者。会津出身。小兵
  荒木刑事巡査 葦名の部下 20代 生粋の江戸っ子。町中で顔がきく「デカ」。
  岡崎巡査   葦名の部下、米沢出身。軍人になるつもりが警視庁に入る。20代

 この岡崎巡査は警視庁に入ってから訓練を受けただけで、剣術も柔術も得意ではなく、同僚の上位巡査と比べて、何の取り得もない存在と思っている。そんな岡崎の目線と思いという視点を主として描かれて行く。岡崎は捜査当事者の一員であるが、事件の観察者の役割を担いストーリーが展開する。

 警視庁の一行が死体発見現場に駆けつけると、間なしに岡崎の知る西小路臨三郎が現場に現れる。彼は本郷通りで噂を聞き付けてもしやと思い駆けつけたという。鳥居部長の許可の下に、遺体を検分する。それで、被害者の素性が忽ち判明する。
 被害者は、髙島良造。帝大文科大学でドイツ文学を教えていた講師である。学究一筋で質実剛健、悪く言えば石頭。国語を日本語からドイツ語に切り替えよと主張する人物。
 西小路は、西小路伯爵の孫で、帝大文科大学を出て、私立探偵をしていると自称する。一方で物書きでもある。西小路の師は英文学の先生で、ホトトギスに小説を発表している文士でもあり、通称黒猫先生だという。遺体が神経衰弱をわずらっている黒猫先生ではないかと西小路はあやぶんでいたのだった。鳥居部長は、この捜査に西小路を加えることを即決した。そこには鳥居部長の思惑が潜んでいた。
 現場を捜査した結果、そこは単に発見された場所であり、殺されたのは別の場所だとわかる。被害者の髙島は、何か鋭利な物による一突きで刺し殺されたと岩井巡査は判別する。

 岡崎と荒木は、本郷署に通報者である富山の薬売りのことを尋ねに行くと、応対した黒井警部は、下手人ではないので放免したと言う。岡崎と荒木は、薬売りの行方を追い、聞き込みに回るが情報が無い。昼飯を食いはぐれていたので定食屋に立ち寄る。そこに帝大文科大学の市ノ瀬士郎と名乗る男が、亡くなったのが帝大の講師という噂を聞いたのでと近づいてきて、何か言いたげであった。本郷署に行き、部屋を借りて話を聞くと、髙島講師が脱亜入欧のためにドイツ語を公用語にという主張をしていたと語る。髙島講師の言動を国賊呼ばわりする学生もいたと述べ、その中心人物が蔵田利則で、水戸の出身だという。市ノ瀬は蔵田の下宿先も知っていた。一つの手がかりが現れた。だが、それが思わぬ方向に展開していくことになる。
 蔵田本人に事情聴取を始めた矢先に、麹町区麹町一丁目で帰宅途上の陸軍大佐が自宅の近くで殺されるという事件が発生する。家人により被害者が確認されていた。死体を確認した岩井は、細くて鋭い刃物で一突きであり、髙島の殺害と凶器が似ていると判断する。同じ日に2人の殺害が発生したのだ。また、蔵田から思わぬ情報が入手できる。それが捜査の方向を決める材料にもなっていく。

 岡崎は、陸軍大佐殺害の聞き込み捜査で、乾物屋の店主は挙動不審なじいさんに気づいた、士族らしい老人に見えたという情報を得た。また、被害者髙島の周辺捜査から、髙島が熱を上げていた女性の存在が見えて来る。ここから話が俄然進展して行くことにもなる。その女性の線から、不審なじいさんにも辿り着くことに。
 そして、面白いのはこのじいさんである。藤田と名乗る老人は求めに応じて警視庁に同行する。葦名と岡崎は、この老人を鳥居部長に引き合わす。鳥居部長が仰天するのだ。実は新撰組の斎藤一が藤田五郎と改名し、明治維新後に、警視庁に勤務していたことがある大先輩だったのだ。ひょんな経緯からこの藤田五郎翁が事件捜査に加わっていくことになる。事件の解明がスピードアップしていく。内務省から警視庁に圧力がかかる中で、鳥居部長の陣頭指揮の下、事件の捜査が進む。
 そして、最後の奇計が読ませどころとなっていく。

 このストーリーのおもしろいところは、明治後半の時代環境、政府官僚組織の実態を踏まえながら、殺人事件の捜査が進められる、それも鳥居部長の独断で警視庁外部の協力者を巻き込んで、捜査をするというところにある。
 ここから、先はエンターテインメント性も十分盛り込まれたストーリー展開を読んで楽しんでいただくのがよい。
 明治時代だからできた捜査活動の許容性を踏まえたストーリーづくりと言えるのかもしれない。鳥居部長がキーパーソンであり、西小路がポイントゲッターとなり、岡崎が語り部になっているというところか。そして、他のメンバーがそれぞれの役どころを的確に果たしていく。藤田五郎の最後の一働きが実にいい。
 
 この小説の興味深い点にいくつか触れておきたい。
1. 明治時代後半、日露戦争最中の東京の雰囲気、東京が大きく変貌していく様子が活写されていて、稀代のイメージが湧きやすいことである。そして、ストーリーのリアル感を加えるしかけとして、所々に歴史上実在した人物の史実が巧妙に織り込まれていることである。山縣有朋、建部遯吾、ラファエル・フォン・ケーベルなどがその事例である。また、小泉八雲、本名ラフカディオ・ハーンが帝大を辞める経緯がエピソード風に描き込まれる。その背景が時代をよく象徴している。その後任が黒猫先生という設定になっている。この黒猫先生は夏目漱石がモデルになっているようである。
  それに加えて、史実にある事件も巧妙に織り込まれている点が興味深い。まさに、起こりそうなこととして、フィクションがうまく組み込まれている。
2. 明治維新により成立した明治政府と官僚組織で、長州閥・薩摩閥がどのような状態だったか、かつ山縣有朋がどういう存在として受け止められていたかがイメージできる。そして、ここにも「忖度」という行為が陰のドライバーになっているというところがおもしろい。官僚に「忖度」がつきまとっているのは昔も今も変わらないと著者は言いたいのかもしれない。
3. 官僚組織は縦の系列に弱い。ここでは、内務省と警視庁の関係がリアルに描かれていておもしろい。どの組織もそうだが、その中にはその弱さに忸怩たる思いを抱き、独自の行動をする人間がいる。それだからこそ、フィクションであっても、ストーリーがおもしろく描けるということなのだろう。この小説では、鳥居部長がその役割を果たしていて、その鳥居部長が陣頭指揮をしているというのが読ませどころでもある。
  鳥居部長が部下の前で発するおもしろい発言をいくつか拾っておこう。
「なんともきな臭くて窮屈な国になっちまったもんだよなあ、薩長のやつらがこんな国にしちまったんだよなあ」(p139)
「ふん。所詮、薩長の田舎侍が作った政府だからな。どうも野暮でいけねえ」(p166)
「これから先は、警視庁の部長としての話じゃねえ。だから、聞きたくねえやつは今ここで抜けてくれ」「いいかい。俺たちに付き合ったら、警視庁をお役御免になるかもしれねえんだ。いや、罪に問われるか、へたすりゃ命にかかわるかもしれねえ。そうなりゃ俺も助けてやれねえだろう。だから言ってるのさ。抜けるなら今だ」(p325)

 明治を舞台にしたちょっと型破りな捜査ストーリー、このシリーズができるとおもしろいと思うが・・・・・単発作品で終わるのだろうか?

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この作品から、関心の波紋でネット検索してみた。一覧にしておきたい。ストーリーの本筋とは直接に関係がない事項も関心として含む。
警視庁(内務省) :ウィキペディア
日露戦争  :ウィキペディア
日露戦争の戦い一覧まとめ。日本海海戦のバルチック艦隊から旅順の戦いまで
  :「NAERまとめ」
日露戦争特別展 -公文書に見る日露戦争- トップページ:「アジア歴史資料センター」

夏目漱石  :ウィキペディア
小泉八雲  :ウィキペディア
小泉八雲記念館 ホームページ
建部遯吾  :「コトバンク」
ラファエル・フォン・ケーベル  :ウィキペディア
堀江芳介  :ウィキペディア
陸軍派閥略史  


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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『去就 隠蔽捜査6』  新潮社
『マル暴総監』 実業之日本社
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊) 2016/3末 時点



『建築から見た日本古代史』    武澤秀一   ちくま新書

2017-05-27 17:59:20 | レビュー
 日本の古代における著名な建造物を軸に据えて、それら建造物の創生にどういう意図が含まれていたかを著者は語る。日本の当時の時代背景や政治情勢との関連性の中で、当時の史料やいままでの研究成果を分析的に読み解き、古代史に大胆な仮説を立てている。それは著者の独創というより、学会の通説からすれば、多分マイナーな見解と思われる先人の所見を糸口に、さらにその仮説を建造物との関係で眺めていくというアプローチで独自性を加えた仮説設定となっている。この視点に著者のユニークな発想と展望があるように思う。

本書は、「Ⅰ 開化」、「Ⅱ 胎動」、「Ⅲ 誕生」の三部構成となっている。大きくとらえると、「開化」では仏教公伝の時期、蘇我物部の対立を経て、飛鳥寺という驚くべき大伽藍がまさに突如として出現したと説く。蘇我馬子の政治的影響力が強大であった時代を語る。勿論、その軸は「飛鳥寺」であり、それと関連し前方後円噴から方墳への墳墓の転換が行われた経緯を捕らえる。
 「胎動」では、舒明王権の時代、そして飛鳥板蓋宮のテロ事件にはじまる大化改新と皇極という女帝の出現、法隆寺の変遷を語る。建造物としては、大王の宮の場所と建造物の変遷、その中でも難波宮における八角形建物が建てられた謎を分析する。著者は法隆寺が二度生まれた真因について仮説を立て、論じていく。
 「誕生」では、歴史上「壬申の乱」と呼ばれる天武天皇への政権の変化の意味に新たな光を投げかける。そこに大胆な仮説を立てて、天武から持統による「万世一系」思想の創出の裏の意味を読み解いていく。皇位の継承というルールづくりが如何にして生み出されて行ったかが、鮮やかに読み解かれていく。日本の歴史学会という枠組みの世界では語られることのない視点と仮設がおもしろい。皇極による舒明陵造営以来、天武-持統陵まで八角墳が引き継がれた理由が説かれる。そして、藤原京の建設と伊勢神宮の式年遷宮の始まりが、「万世一系」への建築的実戦、その思想のビジュアライズという巧みな意図を仮説化する。第3部の「誕生」は、持統天皇が主役となっていく時代とする分析がおもしろい。
 公式の歴史書に記述された内容、限定的に記述されるだけの内容と、考古学的発掘調査から分かった建築学的知識、現存する建造物やその痕跡などを組み合わせることから明らかになる事象が、巧みに読み解かれていく。歴史学会、建築学会という個別の学者世界では論じられにくいと思われる領域に著者は踏み込んでいるのではないかと思う。2つの異なる学問領域の組み合わせによる仮説設定から、そんな歴史の読み解き方ができるのか・・・・という思いである。教科書的歴史では絶対に語られない視点が興味深い。目から鱗というところがある。

 著者の論点の一部でああるが、関心を抱いた箇所を私なりの理解で箇条書き的にまとめてみたい。この論点がどのように読み解かれていくか、そこに読ませどころがある。
 まず、「Ⅰ 開花」と「Ⅱ 胎動」の論点をブレークダウンして列挙する。
*仏教公伝がなされた磯城嶋金刺宮は三輪山のふもと、初瀬川のほとりにあった。磯城は、三輪山の神の領域だった。
 「日の光を受けて、金物に被覆された千木が輝く希有な光景への賞賛。これが金刺宮の名を生んだのではないか」(p31)
*舒明帝の当時、仏教は東アジア世界において文明国が具備すべき基本要件となっていた。個の救済より国家鎮護を重視する中国化した仏教が導入された。中国仏教の導入なしに先進文明の摂取はできなかった。つまり、仏教導入問題は、まず外交問題だった。
*外交を一手に担う蘇我氏が働きかけて「仏教公伝」が行われた。その裏には新羅の圧迫に苦しむ百済が倭国に軍事提携を求めていたと言う事情がからんでいた。仏教公伝に伴う大陸の学問、技術、文化の摂取にこそ重要な意味があった。また、仏教導入は蘇我氏の権勢拡大に役立ち、軍事および神祇の職掌を担当していた物部氏にとっては既得権益の衰退に繋がる。そこに、蘇我氏と物部氏の対立の真因がある。
*飛鳥寺は蘇我氏の権勢の象徴となる。蘇我氏が飛鳥寺を造立し、仏教伽藍を築くことで、葬送の形は寺(仏教伽藍)と方墳の併存というあたらしいやり方に移行する。前方後円墳の大きさで権威を象徴化するやり方を捨てさせることになる。仏教を採り入れさせることは、蘇我氏の影響力拡大に繋がる。前方後円墳時代終焉の到来となる。
*飛鳥寺は造立計画が途中で変更され、一塔三金堂という百済にはない日本独自の伽藍配置になった。
*飛鳥寺建立は蘇我氏の実力を知らしめるものとなる。本尊の飛鳥大仏の発願も馬子である。『日本書紀』が「天皇」を飛鳥大仏の発願の中心に据えたのは、「天皇」の存在という体面を保つためである。
*蘇我入鹿を板葺宮で中大兄皇子と中臣鎌足らが殺したのは、大王側が仕掛けたテロ事件である。それはあくまで蘇我本家を滅ぼしたのであり、蘇我氏傍流は大王側の加担し、存続した。飛鳥寺は蘇我本家のものから、国家の大寺として我が国の宗教・文化の中心機関となる。つまり外来文化・文明を集積し発信する「文明開化」の一大拠点となる。
*『日本書紀』は虚と実が織り交ぜられている。四天王寺の創建、斑鳩の開発は、厩戸皇子が行ったとされるが、実質は馬子の国家デザインによるものである。ともに、外交的戦略視点に絡んだ立地である。
*厩戸皇子創建の法隆寺は斑鳩寺であり、それは斑鳩宮とセットとなっていた。厩戸の没後、伽藍の造立は山背大兄に継承され、伽藍の造立が完成される。この法隆寺は、蘇我入鹿の斑鳩宮急襲により、結果的に上宮王家の法隆寺集団自死事件の聖地となる。天智が法隆寺を新創建し、厩戸法隆寺における山背以下の上宮王家の痕跡を排除してしまう。そして、仏教の普遍信仰の中に、厩戸だけを位置づけ、聖徳太子信仰に変容させていく。

 これらの論点を具体的に説明していくプロセスを経て、「Ⅲ 誕生」のステージが論じられていく。この誕生のステージが古代史を考える上で興味深い論点を投げかけている。こちらは、本書を楽しんでいただく上での大きな論点だけ要約して、ご紹介する。その論証プロセスが読ませどころとなる。
*著者は、『日本書紀』は強い政治的主張を貫くように歴史的事実が編纂されて、為政者の意図が組み込まれたという立場を取る。それは「万世一系」思想であり、「天皇」の用語法にあるとする。著者は、「事実を直視する」ならば、「Ⅰ 開花」「Ⅱ 胎動」までのステージの日本は、「大王」という用語が相当するという立場をとる。
*「天皇」の実効性がいつから発揮されたかを見極めることができれば、そこから「天皇」を用いるのが適切と論じる。
*『日本書紀』は天武天皇の命令により編纂された史書である。政治的主張のもとに、「あることを成り立たせるためには、記述を書き換える、創作を加える、あるいは削除する、というようなことがあり得たのです」(p231)という理解のもとに、なぜ「万世一系」が意図されたかを読み解いていく。
*歴史書でありかつ政治文書である『日本書紀』は天智と天武の二人の血縁関係については、なぜか詳細に記述がないという点に鋭くメスを入れ、天武は天智の弟ではなく、実は兄だったのではないかという仮説を論証し、その前提で「Ⅲ 誕生」のステージを読み解いていく。
 そして、現在の歴史書で「壬申の乱」と呼ばれるものの実態は天武による壬申の武力革命だったと論じる。それは武力により王位簒奪を成し遂げた革命なのだと。この武力革命および天武による皇位継承の正当性を後付け、今後の皇位継承方針の確立こそが『日本書紀』に課された政治文書として側面であり、そこに編纂方針の拠り所があると論じる。この論証プロセス、結構惹きつけられるところがある。
*天武天皇の皇后である鸕野(うの)は中大兄王子(天智)を父、母は遠智娘(おちのいらつめ)である。遠智娘は孝徳王朝における右大臣・蘇我倉山田石川麻呂で、石井川麻呂は板蓋宮の変で中大兄王子に味方するが、後に讒言により謀反の罪を着せられ649年に自死に追い込まれる。その上に、中大兄王子に遺体が切り刻まれたという。母遠智娘は悲嘆し病床に伏し、2年後に?野の弟を出産後間もなく死亡。鸕野の祖父、母に対する父・天智の扱いに対し恨みを抱いていたと著者は読み解く。それ故に、天武の武力革命において積極的なパートナーの役割を担い、天武の没後は皇位を継承し持統天皇となった段階で、王権の確立・存続構想を更に一歩進め、独自に展開して要ったのではないかと当時の建築の有り様との対比で論じていく。
 つまり、舒明-皇極の前史をふまえ、持統は「生前退位」とう方法で「万世一系」の思想の定着を確かなものとしていく。その象徴として皇位継承毎の遷宮ではなく、天皇の都の固定化、恒久化を藤原京の造営で示していく。その一方で、伊勢神宮の整備と式年遷宮という仕組みを残すことで、新生の象徴とすると説く。そして、皇祖神は「日女の命→皇祖母尊→天照らす日女の命→天照大神」(p388)と脱皮し変容を遂げて、持統自身をアマテラスもの、皇祖神になぞらえていったと説く。なかなかうがった視点と思う。
 また天皇の皇位継承において、万世一系の考え方を導入し、持統が己の血統の正当性を、天皇の墳墓の形にも表象して知らしめていったとする。それが八形墳という形式ビジュアライズ化である。既に完成していた天智陵は699年の「営造」担当者の任官により、八角墳が整備されたとする。そして、天智-天武-文武という八角墳の系譜により皇統譜を明瞭化表象化したとする。
 
 皇位継承に伴う遷宮の場所、飛鳥寺に始まる寺の伽藍形式、古墳の形式の変化と天皇陵の八角墳、藤原京という恒久の都の造営と伊勢神宮の形成など、具象化された建造物と建築の視点から古代史が読み解けるというのは、実におもしろい。古代史の見方が変わってくるとともに、古代史の捉え方に広がりと奥行きがここに追加されたと言える。
 歴史書は勝者が書き残し、勝者の歴史であるといわれる。誰の立場、視点から歴史を見るかで、歴史の読み解き方が変わる。まさに連綿とした興味の尽きない過去世界が広がっている。

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本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
磯城嶋金刺宮 ← 志紀し間の やまと乃くには  
法隆寺 ホームページ
法隆寺のことが全てわかる!  ホームページ
法隆寺若草伽藍跡発掘調査報告書 :「全国遺跡報告総覧」
若草伽藍と現法隆寺 :「kitunoの空」 
乙巳の変  :ウィキペディア
乙巳の変  :「コトバンク」
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)  :「飛鳥散策スポット」
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)
難波宮跡
藤原宮跡八角墳とは  :「古墳マップ」
野口王墓古墳 八角墳だった天武・持統天皇合葬墳 
天智天皇  :ウィキペディア
天智天皇  :「コトバンク」
天智と天武の関係について  :「趣味の館」
天武天皇  :ウィキペディア
天武天皇  :「コトバンク」
持統天皇  :ウィキペディア
持統天皇  :「コトバンク」

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『あおなり道場始末記』  葉室 麟  双葉社

2017-05-23 17:49:58 | レビュー
 九州、豊後、坪内藩の城下町の剣術道場主である20歳の青鳴権平と17歳の妹千草、12歳の弟勘六の三人が中心となる物語。神妙活殺流の道場主青鳴一兵衛が去年の5月に亡くなり、間もなく一周忌を迎えるという時点から話が始まる。
 四万八千石という小藩に過ぎないが、かつて坪内藩では、藩主の前での御前試合を盛んに行い、身分を問わず、剣術の達者な者を士分とするならわしがあった。現在の藩剣術指南役を務める羽賀弥十郎はその一人である。領内の庄屋の息子が、士分に取り立てられ、剣術指南役にまでなったのである。
 城下には青鳴道場も含めて、6つの道場があった。藩の重臣たちの中には、気に入りの道場主を剣術指南役に推す動きすらあった。現在の弥十郎に勝つ力量があるのは、青鳴一兵衛だと見られていた、腕が立ち、人柄も練れているため、多くの門人で道場が栄えていた。
 その一兵衛が剣術道場主たちの会合に出て小料理屋で酒を飲み、帰路なぜか地元の素戔嗚神社の石段であしを滑らせて頭を打って亡くなったのである。一兵衛は未だ46歳という壮年だった。死ぬような年齢ではない。青鳴道場の繁栄を妬む者の仕業ではないかという噂もあった。
 その一兵衛が亡くなり一周忌が来るのである。道場を継いだ権平は、昼行灯のような性格で、竹刀を用いての稽古では、気が乗らないとあっけないほどの弱さで弟子達に打たれて負けてしまう。そのため、「あおなり」とよばれるようになっていた。青瓢箪とかうらなりという陰口が、姓の青鳴と合わさったのである。
 一方、千草は日頃から男装を好み、一兵衛に仕込まれたあため剣術の腕前は立つ。門人には、兄上は神妙活殺流の奥義に達していて、自分など足元にも及ばないと言っていた。そんな千草が、権平があっさりと弟子に打たれるのに対し、千草が門人に荒稽古をするのだった。そのお陰で、門人はこの頃ゼロのいなってしまう。禄のない町道場で門人がいなくなれば、収入が途絶える。
 勘六は、幼い頃から儒学者の塾に通い、天神小僧と呼ばれるほどの秀才で、大人に対してもこましゃくれた口を利く。四書五経をそらんじていて弁がたつ。

 給金が払えないので、使用人には泣く泣く出ていてもらう羽目になり、ついに米櫃がそこをつく状態のなってきたのだ。そこで三人は話し合いをする。その結果、城下の町道場に道場破りを仕掛けて、勝つことによりなにがしかの金を稼ぐという手段に出ることにする。道場に乗り込み、そこそこの試合をすれば、看板を奪わなくても、道場主があいさつ代わりに銀子を包んでくれる。道場破りがうまく行けば、再び門人も戻ってくるだろう、と千草が説く。それが、権平の力を見せることになり、道場の再興の道につながると。

 権平は千草の言う奥義は必死に使うもので、使えば怪我人にや死人が出るから使えぬと。しかし、大義名分を思いついたという形で言う。「父の仇を捜すために道場破りをする」と。だが、それは権平の本心でもあると思われる。
 なぜなら、父が亡くなったとき、権平は番所に呼ばれて、遺体をあらためていたのだ。後ろ頭に石段で打ったらしい傷があったが、その下にはおそらく木刀で打ったと思われる傷が隠れているのを発見していたのである。

 つまり、この小説は道場破りという形を借りた、父の仇を捜す探索ストーリーである。権平は、俗に言う<天狗飛び斬り>の技を石段という地の利を使い実行したと推測していたのである。そして、この技はどの流派にも名称は違え、相手を跳び越えての逆内の技としてあるという。その種の技を使え、一兵衛と互角あるいはそれ以上の剣術者を見つけられればよいと言うことになるのだ。
 権平の言い出した道場破りの大義名分は、うまくゆさぶりをかける契機になっていく。
 この小説、千草の発案という形をとりながら、権平が父の仇という殺人犯人捜査を己が動くことである意味囮となって行動していく物語である。坪内藩という城下でのミステリー劇である。
 権平たち3人は、新当流の柿崎源五郎の道場への道場破りから始める。城下で最も古株の柿﨑はすでに60歳を超えていて、温厚そうな人柄の人物でもあったからだ。
 最後に立ち合った柿崎は、青鳴の取った最後の構えに、<天狗斬り>を使わせようとする腹の内が見えたので、参ったと言い立ち合いを辞めたと、奧の座敷で語ったのだ。青鳴が父の仇を討とうと思い立ったと読んだのだ。そして、柿崎は道場破りは恨みを買い、危険だと忠告する。案の定、敗れた柿崎の門弟が青鳴たち3人を待ち伏せしていた。
 その場で、青鳴は<神妙活殺>の技を使うことになる。なんと、柿崎はそれを陰で眺めることで、その技を見て盗もうとしていたのである。得体の知れなさの一方、町道場主としての世渡りのうまさを見せていく。そして、最後に、柿﨑の真の姿が明らかになるという面白さで、黒子的役割も果たしていく。

 道場破りを続けて行く。次は、無念流、尾藤道場である。尾藤は城下の剣術道場主の中での長老で、近頃は病勝ちの身。孫娘の由梨が道場を任され、師範代になっているという。無念流は、刀だけでなく、薙刀も教えているという。由梨が立ち合うときは薙刀を使うそうなのだ。
 この小説の構成で面白いのは、それぞれの道場破りにおいて、その場面がエピソード風に描き込まれていくことである。立ち合いシーンをいろいろと愉しむことができる。そして、そこで犯人捜しにつながる情報が、様々な形でもたらされることになる。権平が動き回ることで、波風が大きく立ち、うねり始めるのである。
 尾藤は一兵衛が<神妙活殺>を若い頃に工夫した技だということを知っていて、それが使われるのを一度見たことがあるという。<神妙活殺>が権平に伝わっているとしたら、敵を引き寄せると予告する。
 看板料を権平は由梨から受けとろうとしたとき、権平の手が由梨の指にかすかにふれて、一瞬どきりとし赤い顔になる。千草はそれを目ざとく見ていたのだ。

 その十日後、尾藤道場から権平に呼び出しの手紙を門弟が届ける。黒装束の賊が侵入し、尾藤一心を斬ったのだ。賊と闘った由梨も怪我をしたが、一心の部屋で数を数え、<神妙活殺>と声を響かせたという。権平たちが駆けつけた後、一心は何事か口にして亡くなる。勘六は一心の口の動きを見ていて、「あおなり」という言葉が浮かんだと言う。
 遂に、敵がおぼろに姿を見せ始めたのである。うねりだしたといえよう。
 権平は由梨に仇捜しへの助力を頼む。

 なぜ、父が殺されることになったのか。道場破りを続ける中で、父に関わる過去の背景情報が少しずつもたらされてくる。柿崎は一心の通夜の席で、権平に秘技というものに関わるものの見方について、ヒントを与えられることになる。心影流の戸川源之亟が近頃、<無明剣>という技を極めたと称していると聞く。そこから、権平は次の道場破りを戸川道場と決める。
 3日後に、由梨が青鳴道場を訪れて、祖父の遺品整理を整理していて、ある書状を見つけたという。それを権平たちに見せるためにやってきたのだ。その書状は、たった一行記されたもの。「あおなりいちひょうえをあやめよ  -闇」

 この日、由梨が帰った後、権兵は戸川道場に行き、<無明剣>の技を確かめるために道場破りに行く。戸川と立ち合った後、源之亟の口から、権平たちは紙包みを受けとるとともに、由梨が権平に見せた書状に関連すると思われる事実の一端を聞かされるのである。5年前になくなった父から源之亟が聞かされた内容だった。源之亟の父はその内容については嫌っていたという。源之亟もまた、源平の味方に加わっていく。
 源之亟の教えたことは、権平を今までに道場主たちが関わっていた闇の一端に触れさせたことになっていく。それは犯人捜しの闇の深さにさらに一歩足を踏み入れることでもあった。

 道場破りがきっかけで、闇の仕掛けが、徐々に明るみに出てくる。それは坪内藩の主家の内情に繋がって行くという展開になっていく。
 一方、青鳴一兵衛という人物の姿が明らかになっていく過程でもある。権平が知りつつ秘していたこと。また権平が知らなかった事実が明らかになってくる。権平自身が息を呑む事実が。
 
 メインストーリーのこの後の展開は、語らずにおこう。ぜひ、本書を広げてその顛末を愉しんでいただきたい。

 一兵衛の到達した<神妙活殺>の技の真髄が何であったかを、遂に会得した権平が、<神妙活殺>の技を使うというもう一人の男と、真剣勝負を行うファイナルステージへと読者は導かれていく。
 
 この小説のテーマは「絆」ではないかなと私は思う。印象深いフレーズがいくつかある。ご紹介しよう。

*会ったこともない血縁のひとのことを考えるより、ともに生きて慈しんでくれるひとの方が大切だと思ったのです。  p152
*血がどうであれ、心がいったん通じ合ったならばおやこであることに変わりはない。 p111
*わたしにはわかったのです。大切にされたかではない。誰を大切に思っているかなのだと。 p149

*ひとを大切に思うものは、ひとから大切に思われているのです。 p149

 青鳴道場が、あおなり道場の看板を江戸で掲げるということで、エンディングとなる。 「そうか、わたしたち三人はまだまだ未熟で青いが江戸で何かになろうとするのだからな」


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『孤蓬のひと』   角川書店
『秋霜 しゅうそう』  祥伝社
『神剣 一斬り彦斎』  角川春樹事務所
『辛夷の花』   徳間書店
『風かおる』  幻冬舎
『はだれ雪』  角川書店
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』  新潮社

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社


===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新4版(37+1冊)2016.1.27

『去就 隠蔽捜査6』  今野 敏  新潮社

2017-05-19 12:35:00 | レビュー
 このシリーズも実質8作目となる。現在は、警視正・大森署署長となっている竜崎伸也という主人公の原理原則で警察官としての職責を貫き通すというキャラクターが好きなのだ。今野の作品シリーズで好きなものの1つである。

 今回の作品は、勿論大森署の管轄地域で発生した事件が主軸としてストーリーが展開する。そこに、事件と関連していく形で2つのサブ・テーマが織り込まれていく。
 一つは警察組織機構での企画業務の進め方である。上意下達の指示命令原理で動く組織が企画する業務の有り様を描く。具体的には、「続発するストーカーによる殺傷事件を重く見て、警察庁が警視庁および全国の道府県に対して、ストーカーに関する対策セクションを作るように指導をした」(p8-9)のある。警視庁はそれを受け、ストーカー対策の専門組織を作る一方、ストーカー対策チームを作ることにした。大森署を管轄する第二方面本部長から、大森署長宛てに警視庁本部の意向として対策チームを可及的すみやかに作りそのチーム担当者のリストを提出せよという指示が来ていたのである。所轄では新たに人員を追加できる訳ではない、現有人員で対策チームを編成して活動する訳である。それでなくても各課が現在業務で手一杯の所に、新たな企画で対策チームをつくれと命令してきたのだ。選ばれた署員は所属の仕事との兼任とならざるを得ない。このストーカー対策チームを竜崎はどう扱っていくか。警視庁本部・第二方面部長経由で下りてきた命令の取扱い方の顛末をサブストーリーとして描き込んで行く。早速、第二方面本部長直属の野間崎管理官が竜崎の前に現れるところから、このサブストーリーが始まる。かつて竜崎と対抗し敵対した野間﨑管理官が弓削本部長と竜崎との間で、板挟みになり困る姿が少しユーモラスである。この対策チームをどう作り、どう活かすか? このストーリーの中で、階級や役職の序列を含めた組織の問題点、受けた命令に対処する側の様々な対応など、現実感のある経緯が描かれる。そこには著者からみた批判精神も原理原則の竜崎を介して盛り込まれていく。
 もう一つは、メインのストーリーの展開における副産物として、ストーリー展開の最終コーナーで発生する事象である。弓削方面本部長が、捜査本部の置かれた事件において署長の権限を越えた行為があったと、警務部長に上申したのだ。それが発端となり、竜崎は警務部長が監察執行官となる特別監察を受ける対象者となる。つまり、原理原則で行動する竜崎に越権行為が認められば、大森署長更迭ということに成りかねない。署員達をはらはらさせる事態が起こる。この小説のタイトル「去就」がここに由来すると言える。
事件解決のやり方が生み出した副産物である。事件の解決というプロセスの中に、事件を解決するための原理原則の応用ではなく、個人の出世欲やパフォーマンスを内に秘めた運用という陥りやすい対応を絡ませるというシニカルな批判精神が描き込まれている。

 さらに、ストーカーという言葉からの連想ゲーム的な要素が加わる。竜崎の娘の美紀が登場する。美紀は竜崎の元上司の息子である忠典と長らく付き合ってきたのだが、ここにきて美紀が結婚を躊躇しているというのである。私人竜崎の家庭内の悩みが、所々で同時並行の話題として挿入される。そして、そのケジメの付け方が最後に描き込まれるのだが、竜崎はなかなか洒落た作戦を使うのだ。それにあの戸高刑事が一役演じるのだから重石居る。このサブストーリーは、この小説の中では、一種のアクセントづけ、フェーズの切り替えで読者にとっての息抜き、清涼剤的役割を担う形にもなっている。なぜなら、ここに竜崎という原理原則で行動する男の家庭人としての側面が書き込まれるのだから。勿論、そこにも原理原則思考が顔を覗かせているのだが・・・・・。

 それではメインのストーリーとなる事件への読後印象に入ろう。
 大森署管内の太田区大森北四丁目という住宅街からの通報で始まった。その通報にまずは地域課が対応する。連れ去り事件が発生したようなのだ。通報者は寺川詠子56歳で、娘が昨夜男性に会いに行きそのまま戻らないというのだ。略取・誘拐と思われる事案の発生である。
 ストーカー対策チームを、竜崎方針のもとに作ろうとしている矢先にこの連れ去り事件の通報が入ったという設定である。朝の8時50分頃に、事案の無線がまず流れたのである。
 通報者に会いに行った捜査員が聞き出して分かったことは、寺川詠子の娘は24歳で服飾メーカーに勤めるOL。地元の高校の同級生で、24歳の下松洋平が真智子にしつこく言い寄っていたという。下松洋平は無職でバイト暮らしをしているようなのだ。住所は、山王一丁目。母と一緒に住み、父親は離婚して別のところに住む。母親の話では、下平洋平は、前日の夕方出かけて行ったきりで戻っていない。寺川詠子によると、真智子はどうやら最近交際を始めたように思える男性が同行したという。真智子の会社の先輩で、中島重晴、30歳。真智子は男性の同行により、下松洋平と連絡を取り合って、下松の自宅近くまで出かけたようなのだ。一方、真智子は既に大森署にストーカーの相談に来ていて、生安課の担当者にしつこく言い寄る男の話をし、男の名が下松洋平と話したという。
 つまり、ストーカー行為に起因する連れ去り事件が発生した。ストーカー対策チームという今後の対策と現下に発生したストーカー事件が絡まり合っていくという構想が面白い。
 関本刑事課長がこの把握情報を報告し、「ストーカーの相談を受けていながら、事件に発展したとなれば、またマスコミが騒ぎます」と表情を曇らせる。竜崎は即座に言う。「騒がせておけばいい。マスコミなど実情を知らずに勝手なことを言うだけだ」「心配ない。責任は俺が取る」と。
 最近、ストーカー問題への対処が大きな問題となっている。それを背景にタイムリーな事件テーマを設定し、そこから竜崎の去就問題にまで発展するという伏線を事件捜査の過程に組み込みつつ、ストーリーを展開させる。
 午後3時になろうとするとき、通信指令センターから無線が流れた。死体が発見されたという通報である。担当者が現場に急行する。その結果、遺体発見場所は大田区山王一丁目、死体の身元が確認され、被害者は中島繁晴と判明したのだ。ストーカー事件は殺人事件に拡大したのだ。大森署に捜査本部が設置される可能性が高くなる。
 例によって伊丹俊太郎刑事部長がまず電話で竜崎にコンタクトしてくる。その矢先、伊丹に連絡が入る。神奈川県警から連絡が入ったのだ。離婚し横浜市鶴見区の住む下松洋平の父親が、先日所持していた猟銃を紛失したという届けが出されていて、洋平は父親の自宅の合い鍵を持っていたということなのだ。大森署管轄で発生した事件の概要を知った神奈川県警が関連性があるかもしれないと連絡してきたという。このことを、伊丹は竜崎に告げる。
 連れ去りというストーカー事件が、殺人事件に拡大し、さらに逃走に猟銃が保持されているかもしれないという展開になっていく。
 伊丹刑事部長が捜査本部長になるのだが、「殺人犯が、猟銃を持ち、人質を取って逃走している。捜査本部が必要かもしれないな。SIT(特殊捜査班係)の投入も視野に入れる」(p73)と竜崎に告げる。
 竜崎は、指揮本部を設置し、随時前線本部を作るという小回りのきく対案を出す。指揮本部長は伊丹刑事部長であるが、竜崎は大森署に本部が立ち、大森署長がたてまえでの副本部長であり、捜査や事件対応の判断は警視庁本部の者がするという従来の慣行ではなく、本部長に次ぎ副本部長が実質的な権限を持つ形の指揮本部ということを本部長が明言するように条件をつける。伊丹はその条件を了解する。それには多少の裏があった。
 捜査一課長は例のノンキャリアの人望がある田端守雄。そこに二人の管理官が来る。第二強行犯捜査の岩井管理官とSITの加賀管理官である。どちらも五十代前半で、経験も気力も申し分ないが、二人は折り合いが悪く、対立することが多いという。伊丹はこともなげに、竜崎に「おまえがうまく仕切ればいいんだ」と下駄を預けたのだ。
 捜査が進むにつれ、事態が複雑に展開していく。
 中島繁晴は刃物で刺されていたのである。発見現場は山王町1丁目。
 山王町1丁目の駐車場から連れ去りで、下松の車は第一京浜を神奈川方面に向かっていたことがNシステムで把握されていたが、その車が山王1丁目に近い池上通りで発見されたのだ。
 寺川真智子が高校時代の友人にメールを送ったという情報が入る。下松が真智子を人質にし自宅に捕まっていると。
 猟銃を持ったストーカーで殺人を犯した犯人が人質と立て籠もる事件の様相に拡大する。
 ストーカー対策チーム編成の直接の指示を出していた弓削本部長が指揮本部に登場し、猟銃所持の立てこもりなら、機動隊を投入し早期解決の対処をする必要を論じ、その命令を別途出す形に発展していく。
 捜査ストーリーの展開は、ますます複雑になっていくという次第。
 その中で、この捜査に加わり、発見された車の現場に直接出向いた戸高刑事は、その車を見た時に、違和感を感じたという。そこから戸高刑事の独自の捜査と推論が始まって行く。戸高はストーカー対策チームに組み込まれ、かつ、同チームに組み込まれた生安課の根岸紅美巡査と一緒に、この事件で捜査活動に入っているのである。それは竜崎の命令でもあった。この二人の捜査活動が、竜崎に奇妙なな事実情報を知らせて行く事になる。
 事件はますます大事の動きになり、意外な展開を見せ始める。初動捜査での事実確認の詰めの不足に陥穽が開いていたのだった。そして、最後は戸高・根岸の二人が、活躍することになる。

 警察組織における組織単位の役割分担と、階級と権限の範囲の問題が捜査活動の上で軋轢を生み出す様が描き込まれていく。そこにリアル感がある。最後に竜崎署長が越権行為をおかしたのかどうか、その「去就」問題にまで及ぶ。
 一方、竜崎の抱えた家庭問題はどうなるのか? 
 このストーリーの構想と展開にはエンターテインメント性が十分に盛り込こまれている。やはり、竜崎の思考と判断、その行動は痛快であり、おもしろい。
 現実に、こんな行動をとる警察署長、もしくはキャリアの警察官が存在するのだろうか。

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『マル暴総監』 実業之日本社
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)


『万能鑑定士Qの最終巻  ムンクの<叫び>』 松岡圭祐  講談社文庫

2017-05-16 20:36:21 | レビュー
 『万能鑑定士Q』シリーズを愉しんできたが、遂に最終巻が出た。2016年8月に文庫版として書き下ろされていた。表紙に描かれているとおり、最終的にはハッピーエンドでめでたしめでたしとなる。
 さて、この最終巻が出るにあたり、設定状況が大きく変化しているのである。
 凜田莉子は万能鑑定士Qの店を閉じて、井の頭公園近くにあるリサイクルショップ、チープグッズに再び勤めている。父親が刑務所を出るまで、店長代理の瀬戸内楓が運営しているのを手伝っているのである。買い取りカウンターに楓が居ても、店前にたむろする男たちは、莉子に鑑定してもらうことを望んでいるという感じである。店は鑑定が目的では内から、楓は機嫌を悪くしている。
 小笠原悠斗は週刊角川の記者を辞めて、今はグランドウェル総合調査会社に入り探偵業に就こうとしている。小笠原については、探偵としてやっていけるかテストを受けているシーンから始まって行く。探偵業の基本から始めなければならない段階である。小笠原の夢は、探偵という立場で、凜田莉子の手助けをすることにあった。
 楓の父瀬戸内陸は、府中刑務所の収容棟から誠心寮という仮釈放準備寮に2週間前に移されてていて、間近に釈放される時期にいた。そして、刑務官から漢那和希に引き合わされる。漢那和希の希望だという。漢那和希は、凜田莉子が沖縄の八重山高校に居た時の野球部の先輩に当たるのだ。瀬戸内陸と漢那が話しているとき、面会人が来たということで、漢那は会議室然とした部屋に行く。そこで、釈放教育の一環で引き受けたという蔦暮亜芽里に会うことになる。そして、元獅靱会のほとんどがカタギになる決心をしたと聞かされる。
 この最終作は、こんな形で凜田莉子に関わっていた様々な人々が、次々に登場してきて過去のストーリー展開を思い出させる所がある。

 さて、この最終作のストーリーの展開であるが、副題に「ムンクの<叫び>」とあるとおり、ムンクの絵画がテーマである。厚紙に描かれたオリジナル版、油彩画の『叫び』がオスロ美術館から東京のノルウェー大使館における催しのために空輸されていきた。うち2日間は、南青山にある画廊で展示予定だった。画廊に展示され、超党派の国会議員による文化芸術振興議員連盟にお披露目する予定であった。画廊に飾られて9時間が経過したころ、来賓を迎える前に、『叫び』が画廊から盗まれたのである。指示を受けた職員のエミル・ヨハンセンは凜田莉子とコンタクトしているが、凜田からの協力承諾をまだ得ていない。しかし既に凜田が莉子が協力しているという錯覚のもとに事態が進展していく。とは言いながら、結局凜田莉子がその解決に関わらざるを得なくなっていくのである。『叫び』の所在地を発見して、回収することがメインのストーリーである。
 それに対して、サブ・ストーリーがまず先に動き始める。そちらは、アンリ・ベイレンドルクが描いた『湖畔の花壇』という絵に間接的に関わりがある。というのは、チープグッズの店に『湖畔の花壇』を修復し、奇跡の修復家と呼ばれる植村寛雄が訪ねて来る。植村は、凜田に懐中時計メンフィスC62が本物かどうかの鑑定依頼に来たのだ。凜田は植村に同行し、依頼人の指定地でメンフィスC92の鑑定を依頼される。鑑定事務所を閉めた凜田を借り出す代わりに、植村は100万円を楓に預けて、チープグッズの商品の購入を適当に見繕っておいて欲しいと言うのである。
 この時点から、ノルウェー大使館の関係者が、『叫び』の盗難調査活動に凜田莉子が関わって動いているものと理解し、その動きをモニタリングしていた。そこで、植村の車に同乗した凜田の後を追跡するという形になる。事情を知らない楓は、外国人の車が追跡するのを見て、不安に思い牛込警察署の葉山に相談に行く。積極的に仕事をしない知能犯捜査係の葉山が登場する。葉山は探偵になった小笠原に相談しろと楓に言う。そして、小笠原が凜田の動きに関わって行く。今回面白いのは、小笠原の幼馴染みの三木本沙彩が登場してくる。彼女がどういう関わりとなっていく関心事項がここで組み込まれていく。さらに、探偵会社の先輩、伊根涼子が小笠原の後見人然として登場する。
 植村に同行して出向いた先が、美術品コレクターとして知られる森岡健一郎の自宅。そこで鑑定したメンフィスC62は、史実の情報と照らすと本物と鑑定せざるを得ない。しかし、逆にあまりにも完璧すぎることが凜田の心に引っかかる。
 これが、この後の植村との関わりが深まるきっかけになり、植村の運営する会社の問題並びに植村の行為の虚偽性を暴く形に発展していくから、面白い。
 
 更には、ここで凜田にロシア系マフィアが別件でアプローチしてきて、凜田に鑑定を依頼し同行させるというハプニングが加わる。そこにはコピアの兄が絡んでいた。それはコピアの弟の依頼から兄が目立つように振る舞えと言われた行動から巻き込まれたことだった。ここで、コピア兄妹が登場し、この最終作の役者がほぼ出揃うことになる。
 小笠原の気転で、このハプニングは解決へと向かう。宇賀神警部が登場して来る。その結果、凜田は『叫び』の盗難事件に関わっていくことになる。
 しかし、これがメンフィスC62が贋作だということを証明できる契機ともなるのだから、なかなか巧みな構成である。さらに、これは植村のたくらみを未然に阻止する一方で、『叫び』に関連して、植村の修復家としての協力を取り込むきっかけになり、一方で植村の別次元での虚偽を暴くことにも繋がって行く。

 『叫び』の盗難事件は、後に別の監視カメラが盗まれる折の映像を録画していた。犯人は額から絵を抜き取った後、その場で絵を4つに引き裂いたうえで、それを持ち去っていたのである。クジラと名乗る人物がメッセージを公開する。全世界にメッセージが投げかけられる。破られた『叫び』を回収するには、クジラの謎掛けを解かねばならない。
 凜田と小笠原のコンビでの行動が始まっていく。植村の修復家の橋梁を得られるとしても、120時間以内に回収できなければ、修復は不可能になるのである。
 クジラの謎掛けに対し、凜田と小笠原はあちらこちらを駆け巡ることになる。タイムリミットに対し、謎解きゲームの様相を帯び、事態は急展開していくという面白さが加わる。
 そして、その先にまたもや奇想天外な転換劇が仕組まれていたのである。実に巧妙な二重三重の構想になっている。

 メインのストーリーの展開は、これ以上深入りしないことにして、この最終作のファイナル・ステージに触れておきたい。

*瀬戸内陸が出獄してきて、再びチープグッズの運営に戻る。
*漢那は瀬戸内陸と同時に出獄し、しばらくは凜田の行動に同行する。凜田に「前提がわかっていねえみたいだな」「二人の関係だよ」「鑑定家も自分の心は見えねえんだな」と凜田に助言する。
*凜田が文科省の一般職事務官水鏡瑞希に会いに行き、水鏡の推理法について尋ねる場面が出てくる。まさに、オンパレードである。
*コピア本人が凜田に言う。「ふたりのコンビは最強だ。お互いすなおになれ。いつまでも中学生の恋愛はよせ」と。
*フィージーのヤヌサ島、シャングリラ・シーサイド・チャペルで莉子と悠斗は二人だけの結婚式を挙げる。

 いや、そこには一人だけの同行者がいた。海外添乗員の浅倉絢奈である!
 最後の最後に、コピアこと弧(孤)比類巻黎弥につづいて浅倉絢奈が登場した。万能鑑定士凜田莉子と関わりのあった人々が、最終作ででそろったのである。こういう面白さを組み込んだ構成上のフィナーレもあるのだ。ここに触れていないが莉子の両親を含めワンシーンで登場する人々もほかにある。シリーズ登場人物の大団円である。楽しい。

 最後に「終章」がある。オリンピック後の東京、近未来の莉子の姿を付け加えている。どのように点描したか。それは・・・・お楽しみに。
 
 ご一読ありがとうございます。

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作品と関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
エドヴァルト・ムンク  :ウィキペディア
叫び(ムンク)    :ウィキペディア
生誕150年「叫び」で有名なムンクってどんな人だったの?  :「NAVERまとめ」
ムンク 叫び The Scream :「有名な絵画・画家」
ムンクの『叫び』最大の謎がついに解明! 専門家を120年悩ませてきた奇妙な“白いシミ”の正体と真意に驚愕  :「知的好奇心の扉 トカナ」
有名なムンクの『叫び』、実は叫んでいなかった  :「exiteニュース」
謎に包まれたムンク「叫び」窃盗事件の控訴審、開始 - ノルウェー
    2007.2.20   :「AFP BB NEWS」
ムンクを追え!(『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日)
  2009.5.3   :「夢みる風力発電機」
19c09 6 「叫び」の盗難事件(VTR   :YouTube


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これまでに読み継いできた作品のリストです。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『アノマリー 水鏡推理』 講談社
『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』  講談社
『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』  講談社
『水鏡推理』  講談社
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.1    2016.7.22 時点
      万能鑑定士Qの諸シリーズ & 特等添乗員αの難事件シリーズ 

『枕草子のたくらみ』  山本淳子  朝日新聞出版

2017-05-13 10:08:47 | レビュー
 『源氏物語』と紫式部についての研究者である著者が、『枕草子』を論じているということにまず関心を抱いた。さらに、本書のタイトルに「たくらみ」という言葉が入っていることに引き寄せられた。一方で、『枕草子』を現代語訳中心にでもよいからまず通読してみたいなと思って、文庫本を購入し、それが眠ったままになっていることが根底にある。『枕草子』を読み始めるための良きガイダンスになるか・・・そんなきっかけで読み始めた。

 まず、読後印象としての結論を述べておこう。
1.『枕草子』の内容そのものを読むための入門書として楽しめる。
2.『枕草子』がどういう状況下で書き出され、中宮定子の時代から中宮彰子の時代への変遷の中で、この書がサバイバルして、現在まで伝わったのか、その点がなるほど!と納得できる。
3.『枕草子』が、輝かしい中宮定子への讃嘆賦であり、鎮魂歌であったということがわかる。

 本書には2つの流れがあり、そのテーマに沿い交互に語られ連ねられていく。
 一つは、作品が書かれていく経緯を時系列で述べていくという流れであり、序章と偶数章で語り継がれる。清少納言が初めて中宮定子のもとで女房仕えを始めた正暦4年(993)冬から始まり、時系列で『枕草子』の章段原文が引用され、それに著者のわかりやすく親しみやすい現代語訳が並記される。そして、章段を踏まえて、中宮定子と清少納言の関係や定子の文化サロンの当時の様子、定子の父・兄たちのこと、一条天皇と定子の親密な関係などの背景が説明され、章段の内容に肉づけが為されていく。時系列で経緯が説明されるため、章段に付された番号は縦横に前後していく。つまり、『枕草子』の内容の編集は、中宮定子と清少納言の関係・経緯の時系列とは異なる。
 「あとがきに」よれば、平成22年(2010)に半年間『京都新聞』に「枕草子はおもしろい」という連載シリーズを担当したことが本書の母体となっているという。「『枕草子』の章段を原文と現代語訳とエッセイでジュニア向けに紹介したもので、定子の人生に沿った章段と、時系列に関わらない『枕草子』世界とを交互に連ねる方法は、当時からのものである」(p294)それ故に『枕草子』のおもしろさに気づく入門書として楽しめるのである。
 時系列で記された章の見出しを見ると、「新風・定子との出会い ⇒貴公子伊周 ⇒変転 ⇒政変の中で ⇒復活 ⇒試練 ⇒幸福の時 ⇒最後の姿」となる。

 時系列の章の始まりが序章である。この冒頭に著者は紫式部が『紫式部日記』に書き記した清少納言に対する酷評を取り上げて説明するところから始めていて、ぐいと引き込まれる。清少納言と紫式部は女房仕えのための一条天皇の各中宮への出仕時期がずれているので、直接に出会う機会がなかったことがわかる。紫式部が清少納言を酷評していたのは、彼女が『枕草子』を読んでいたからである。この書では、その事の意味することが理解できた。中宮定子が宮廷を去り、亡くなった後、中宮彰子の時代となり、藤原道長の全盛時代になっても、定子に仕え、定子のために書かれた『枕草子』が抹殺されずに、読み継がれ、サバイバルしたということである。著者は序章で「清少納言は紫式部に酷評されたあのではない、させたのである」(p7)と述べる。
 本書の副題は、「『春はあけぼの』に秘められた思い」である。タイトルにある「たくらみ」とこの「思い」の使い分けがこの序章で触れられている。清少納言は『枕草子』に定子に関わった「美や光や笑い、感動やときめきばかりを書いた」(p7)のである。その清少納言がこの書を執筆した時期は、「清少納言の周辺に起こった何か過酷な事情」(p7)が起こっている渦中であることを、同時代人の紫式部はしていたはずだと著者は言う。それ故に、『枕草子』の光のあたる側面ばかりの内容は、紫式部の側からすれば「たくらみ」があるのではないかと受け止めたのではないかとみる。「枕草子のたくらみ」である。それに対して、清少納言の思いは「はっきりと意識的に採った企て」として、定子のすばらしい光に満ちた側面を書き残したのだと著者は分析する。序章の見出しは「清少納言の企て」である。つまり、「思い=企て」と「たくらみ」の裏表の関係がわかる。
 「清少納言はどのような目標に向かって、どのような事を進めたか。またなぜそれは成功したのだろうか。」と問題提起し、本書で読み解いていく。
 
 もう一つの流れは、奇数の章で作品世界の特徴が解説されていく。サブテーマが設定され、いくつかの章段を核にして、清少納言の描き出した世界の特徴が明らかになる。
 この流れの各章の論点として理解した要点を覚書としてまとめておきたい。

第1章 春は、あけぼの
 清少納言が『枕草子』を執筆するきっかけは、兄である内大臣(伊周)が白紙を綴った大型冊子を中宮定子に献上し、それを清少納言が拝領したことがきっかけである。そこで、清少納言は定子が己の知的なサロンでめざしたもの、非凡への脱却という精神を記すことにしたとする。非凡なものを、自分の感覚で工夫して表現するという有り様である。それは定子自身の行動と個性に光をあてることになる。著者は「定子へのオマージュ」という表現をとる。

第3章 笛は
 定子を寵愛した夫である一条天皇が愛した楽器、横笛を取り上げて、「楽の意味」と笛にまつわる章段、エピソードを披露する。

第5章 季節に寄せる思い
 定子が主宰した文化サロンが繊細な季節感を愛で、節句・年中行事をどのように愉しんだのか。季節に対する美意識を章段を例示して解説する。ここには「香炉峰の雪」がその中に一例として出てくる。

第7章 女房という生き方
 最盛期の定子の知的で華やかな後宮における賑やかな毎日。そこでの女房の生き方についてきされた章段を抽出し、「里の女」たちとは異なるライフスタイルを解説する。実在のたくましく生きた女房たちについて、著者が事例紹介しているのもおもしろい。伊勢、伊勢の子・中務、和泉式部の娘・小式部内侍、紫式部の娘・大弐三位、清少納言の娘・小馬命婦たち、それと定子の母・高内侍貴子である。
 興味深いのは、清少納言が「女房たちの隠れ家」構想をもっていて、章段の一つに書き込んでいることである。
 尚、これらは、清少納言が女房の世界を引退した後に書いているのではと著者は推測している。

第9章 人生の真実
 『枕草子』の真骨頂は、「お題」を設定し、既知に富んだ内容にまとめている章段にある。「~もの」という形の類衆的章段である。
 著者は「あるある」系、「ひねり」系と「はずし」系、「なるほど」系と「しみじみ」系などと、識別して章段を読み解いている。入門者にはわかりやすい。
 ささやかな言葉を紡ぐ中から、清少納言は「人生を、大事に生きよう。一瞬一瞬が、かけがえのない時間なのだ」(p153)という人生の真実の思いを至らせさせているという。それは、定子が心に抱いたことを清少納言が代弁して、定子に捧げたのだと。

第11章 男たち
 著者は、清少納言に男女の関係を迫っていた藤原斉信(ただのぶ)については、時系列編の方で書き込んでいる。こちらでは、清少納言が橘則光と藤原行成との職場での関わり方を章段に書いた意味を分析している。
 橘則光は清少納言が十代の頃の最初の結婚相手であり、後に破綻。清少納言が宮仕えをした内裏で再開し、「妹、兄」と呼び合う「きょうだい分」の新しい関係をスタートさせたという。一方の藤原行成。『枕草子』では彼の26歳から3年間の若い頃の姿が描かれていると分析し、斉信とは対照的な硬派で篤実、一条天皇を中心に是々非々で行動する姿を読み解いている。清少納言と行成の和歌を詠み合う章段の説明がおもしろい。
 清少納言が「本当に心を寄せ合った歌人・藤原実方との『絶えぬ仲』などがほとんど記されていない」(p186)という一文が、『枕草子』の企てを明確化することとしてさらりと記されている。逆に、この一文に別の関心を引き起こされることになる。

第13章 漢学のときめき
 漢学といえば、やはり「香炉峰の雪」である。「少納言よ、香炉峰の雪はどんなかしら」というひと言の問いかけから、清少納言が高く御簾を上げたという行動が生まれる。両者が持つ漢学の素養を前提に、定子の心理を清少納言が読み解き、定子の意を叶えることを問題として行動した機知のプロセスが分析的に読み解かれている。ああ、そういうことか・・・・と納得。白居易が詩に書き込んだ行動と清少納言がおこなった行動が異なるものであると遅まきながらこの書で知った。白居易は御簾を「撥げて」おり、一方清少納言は御簾を「上げて」いるのである。
 呉竹のエピソードで、藤原行成が清少納言に助け船をだしたという章段もおもしろい。 尚、興味深いのは、この呉竹のエピソードを事例にして、末尾に著者が記す一文である。「教養の正しさ、深さという絶対評価を価値観とした紫式部と、コミュニケーション・ツールとして教養という相対評価を価値観とした清少納言。二人は違っていてよい。違っているところが面白いのだ」(p210)

第15章 下衆とえせ者
 下衆とえせ者について、清少納言が記した章段を列挙して、著者は清少納言が下衆を嫌い、一方、自分自身がえせ者のひとりではないかと怯えていたという。和歌の家の出であるという血脈にその才のに乏しいえせ者という自覚で苛まれていたという。そんな清少納言からその才を引き出したのが定子だというのである。
 「清少納言は、定子の前では輝くことができた。定子が清少納言に機知の才を見出し、彼女独特の形で清少納言を導いたからである」(p234)と。彼女は所を得たのだ。

第17章 心の傷口
 本書を読み、清少納言が紫式部の夫となった藤原宣孝をかなり個性的な人物として書き込んでいるのを知った。宣孝が吉野の金峯山詣でをした時のエピソードである。『枕草子』を読んだ紫式部が、この取り上げ方に対して、どういう反応をしたのかというのがこの章のテーマである。この章段が紫式部による清少納言酷評に繋がっているのかということである。なかなかおもしろい分析だということにとどめておく。本書を開けて、愉しんでいただくとよい。

第19章 鎮魂の枕草子
 光輝く定子とその周辺の姿と美意識を記し残すという清少納言の企ての書である、この『枕草子』にたった1箇所だけ、定子について「哀れ」という言葉を記す章段があるという。この章段の解説をする。そして、「春はあけぼの」で始まる初段の「日」に対をなす形で「月」について記す章段が後半にあるという。そして「月」に対しては「いとあはれなり」と清少納言は記す。著者はここに、定子への鎮魂の思いを重ねている。

 2つめの流れのまとめが長くなったが、著者が『枕草子』の世界の特徴を様々な視点から読み解いていくお陰で、時系列の流れでの章段を中核とした説明が奥行きを深めて行く。最初は少し読みづらい気がしたが、読み進めると交互の連なりが逆に、一つのリズムとなってくる。一本調子でなくなる良さと相互に照応して響き合う側面が生まれてくるのである。                       女+美
 そして、「終章 よみがえる定子」は、第3子の女二宮・?子内親王を出産後、力尽きて、長保2年(1000)12月16日早朝に、定子が崩御した事実から始まる。『枕草子』が触れていない、定子の死のその後が著者により概観されている。定子の死が、人々にどのように共有されて行ったのか、人々の反応はどうだったかを記している。
 定子は、『枕草子』という作品の中に結実して、人々に読み継がれたのである。中宮定子の時代、道長の全盛時代となり、定子亡き後、定子に関わる『枕草子』がいわば焚書の対象として、さりげなく抹殺されるという憂き目似合わず、逆に人々の間に流布し、読み継がれたのだ。
 『枕草子』を定子への讃嘆譜、鎮魂歌としてまとめるときに、清少納言はポリシーを持ち、官職などの表記で不整合なことを承知で独自お一貫性を保つ。一方、記述の限界として一線を画するところは押さえて、外さなかった。この点を著者は分析し、詳述していく。この清少納言の企てに、サバイバルした理由があると説く。このあたりの分析と論理の展開が一つの読ませどころである。そして、清少納言が記述として企てた内容の事実レベルにおける脚色部分あるいは触れていない部分を、同時代の目で眺めた時、どういう実態環境があったか、について著者が解説を加えていくところが、読ませどころになる。つまり、清少納言のレトリックに酔わずに、厳しい現実の側面を知っておくということ、その対比の上で、清少納言の心理、心情に思いを馳せるためである。それが中宮定子の思いにも直結していく。

 話は始めに戻るが、著者がジュニアを対象として、わかりやすく現代語訳しているという点について、紹介しておこう。そのため、一つのスタンダードな現代語訳例として、手許にある『新版 枕草子 付現代語訳』(石田穣二訳注 角川文庫)を対比として引用させていただく。いずれ、この本を通読したいと思っている。

◎初段「春は、あけぼの」の冒頭
 山本訳:春は、あけぼの。ようやくそれと分かるようになってきた空と山の境目が、
     ほんの少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているとき

 石田訳:春は、曙。ようやくあたりも白んでゆくうち、山の上の空がほんのり明るく
     なって、紫がかった雲の細くたなびいた風情。

◎第27段「心ときめきするもの」
 山本訳:胸がどきどきするもの。
     雀の子を飼うこと。(ちゃんと育つかしら?)人が子どもを遊ばせている場
     所の前を、牛車などで横切ること。(ぶつかって怪我させたらどうしようと
     はらはらしてしまう)
     上等のお香を焚いて、一人で横になっていること

 石田訳:胸のどきどきするもの
     雀の子を飼う。赤ん坊を遊ばせている所の前を通る。上等の薫物(たきもの)
     をたいて、ひとりで横になっている時。

◎第155段「故殿の御服のころ」
 山本訳:建物がとても古くて瓦葺きだからか、どうしようもなく暑くて、夜も御簾の
     外に出て寝るという行儀の悪さだ。古いといえば「ムカデ」などというもの
     が四六時中天井から落ちてくるは、大きな蜂の巣に蜂がいっぱいたかってい
     るはで、ぞっとする。
     でもこんなところでも、私たちがいると聞けば、殿上人たちは毎日やってき
     て来て、座り込んで夜を明かしおしゃべりする。それを聞いた人が「まさか
     思ってもみたものか、太政官の地が今や、夜勤ならぬ夜遊び場になろうとは」     
     なんて歌いだして、面白かった。
 
 石田訳:建物がひどく古くて瓦葺きのせいか、暑いことこの上もないので、私たちは
     御簾の外に出て来て寝たのだった。古い建物なので蜈蚣(むかで)という気味
     の悪い物が一日中上から落ちたて来たり、蜂の巣の大きいのがあってそれに
     蜂がたくさんつきまとっているのなど、たいそうこわい。
     殿上人が毎日やって来て、夜通し私たち女房とおしゃべりしているのを聞い
     て、誰かが「あに、はかりきや、太政官の地の、今夜行の庭とならんことを」
     と、吟じ出したのは、おもしろかった。

少し長くなったが、訳することへの興味も出てくる。

 最後に、本書を読み、あっと思ったことを書きとめておきたい。私個人は、学生時代に教科書に載る『枕草子』の章段を学んだだけである。そのため、清少納言が、中宮定子のところに女房出仕し、中宮定子の文化サロンの全盛期にこの『枕草子』を書いたと勝手に想像していた。だが、事実は違った。
 995年に定子の父の藤原道隆が43歳で死亡し、その翌年996年に、定子の兄、伊周が弟と一緒に前帝・花山院を襲い矢を射かけるという大事件を起こす。定子は天皇の子を身ごもり、実家に帰っていたときである。伊周は逮捕され、失脚する。絶望した定子は、自ら髪を切り、身ごもった状況で出家したのである。定子は、この時点で実質的には一条天皇の妻ではなくなることになる。その年の12月に皇女を出産する。997年、出家を認めない一条天皇は、定子を呼び戻し、中宮関系の施設を居所として移すのである。
 定子の周囲を暗雲が立ちこめた状況の頃に、清少納言が本格的に『枕草子』を執筆し始めたということである。「春はあけぼの、」という初段に始まる明るくて機知にあふれた章段はこの闇の中から生まれたという。だからこそ、定子に対する讃嘆賦、鎮魂歌という位置づけだという説明が頷けるのだ。
 それと、著者は、『枕草子』が、まず大型の冊子に記され、原『枕草子』として、定子に献上された。その後も書き継がれて行く。著者は定子の崩御後も清少納言は書き足して、後に現在残る『枕草子』の原型に自ら編集したと説明している。この『枕草子』の献上の経緯もまた、読ませどころと言える。

 この書をスプリング・ボードとして、『枕草子』における清少納言の企てを読み進めてみたいと思う。

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本書に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
藤原定子  :「コトバンク」
藤原定子  :ウィキペディア
王朝の悲運の華 藤原定子 その和歌と生涯  :「NAVER まとめ」
藤原定子 「才色兼備の人格者」 ー美しく儚き姫の生涯ー :「NAVER まとめ」
藤原定子 :「千人万首」
一条天皇 :「コトバンク」
藤原道隆 :「コトバンク」
藤原伊周 :ウィキペディア
中関白藤原道隆・伊周の没落と七日関白の藤原道兼をわかりやすく解説する
  :「大人になってから学びたい日本の歴史」
「鳥辺野陵・藤原定子の墓」 :「京都のモニュメント」
清少納言 :ウィキペディア

『枕草子』の雪景色 : 作品生成の原風景 赤間恵都子氏 論文 :「CiNii」
『枕草子』の「をかし」の価値  土屋博映氏 論文 :「CiNii」
和歌からの離陸--「枕草子」の形態  天野紀代子氏 論文  :「CiNii」
「枕草子」の伝本による「いとほし」と「いとをかし」の異同  大川五兵衛氏 論文  :「CiNii」
『枕草子』における虚構性-史実とずれのある章段を例として 孫莎莎氏 論文  
     :「Tea Pot Ochanoomizu University Web Library - Institutional Repository」
『枕草子』のライバルは『史記』か? 小池清治氏 論文  :「CiNii」 
『枕草子』における頭中将斉信と頭弁行成をめぐって  中嶋(小林)朋恵氏 論文
       東京成徳大学研究紀要 第22号(2015)

『枕草子』 :「日本の代表的な古典文学の解説」
枕草子(原文・現代語訳) :「学ぶ・考える.COM」

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『禁断の幕末維新史』 加治将一  水王舍

2017-05-10 10:40:25 | レビュー
 「歴史は勝者が記したもの」という意味のフレーズを見聞したことがある。勝者は己を合理化し正当化するために、己にとって都合の良い事実の側面を取り上げて歴史を書き記すというものである。都合の悪い部分は、無視する、隠蔽する、抹殺するという次第だ。敗者の記したものは残らない。残させないということにも繋がるのだろう。
 公式の歴史は、その歴史を書き残す側に「不都合な事実」を記さないのは、ある意味で当然の感覚であり、自然な心理の働きかもしれない。書かないことによって、知らしめないのである。だが、「不都合な事実」の痕跡が100%削除、抹消しきれるものではない。どこかに、何らかの形でその片鱗が残されいく。偶然に残るものもあれば、見た目を分からなくして意図的に痕跡を残すものもあるだろう。それに気づく人は、ほんの一握りの人々にしかすぎない。それ故に、マイナーなままで埋もれる。あるいは、知っている人々が居ても、何らかの理由・事情で表には出さない。そんなこともあるだろう。

 本書は普通に歴史として記されている、あるいはそうだと理解されている「幕末維新」の「歴史事実」のあるポイントに「疑問」という鍬を振り上げて、「不都合な事実」をせっせと掘り起こし、掘り下げて、「論理」で耕して、「禁断」の「実」を稔らせていく。そして「禁断」の「花」を開かせている。そのアプローチの仕方が読ませどころである。
 副題として2つのフレーズが記されている。その一つは「擬装日本史」。つまり、現在、正史的に語られてる幕末維新史は、著者に言わせれば「擬装」された日本史だと宣言していることになる。つまり、真っ向から対立する「不都合な事実」を問題提起し、仮説を建てていく。著者は「まえがき」で、「最新の視点をもって、最新の事実を吟味して描いたのが本書だ」と力説する。「正史」とされている「歴史」の内容を覆す加治史観がここに躍動している。その語る内容に対し即座に荒唐無稽と即座に論じる人も出てくるだろう。

 もう一つの副題が、「封印された写真編」である。著者は「フルベッキ写真 46人撮り」の1枚を原点にして、そこに鍬を振るい、疑問を掘り下げていく。誰も触れない「疑問」の謎解きが始まっていく。「不都合な事実」が明らかになっていく。実に興味深い。繰り返しになるが、「不都合な事実」とは、その時点の勝者の側、時の為政者の側にとっての認識「事実」を意味する。勿論それが真に「事実」であるかが、大いに問題となる訳であるが。

 本書のタイトルに惹かれて、手に取り表紙を見た。そこにこのフルベッキ写真が載っている。それでますます読んで見る気になった。といのも、2015年11月末頃に、斎藤充功著『「フルベッキ写真」の暗号』(学研)をこの写真がきっかけで読んでいたのである。この書についての読後印象記はこちらからご一読いただけるとうれしい。

 ここで、おもしろいことに気づいた。同じ1枚の写真に対する両著者の分析と掘り下げ方がかなり違う。そして導かれた結論が真逆である点である。両著書においては、フルベッキ写真の関連だけが対比的に読める部分であり、その他は両著者により検証される対象分野が異なっているという点はまず付記しておきたい。少なくとも、両書を読むと、歴史を分析的に読み解くというために、役立つのは間違いない。
 
 そこで、対立する部分の結論を記しておく。
 斎藤氏は、フルベッキ写真の分析から、明治天皇すり替え説、孝明天皇暗殺説は諸検証の結果成立しないと結論づける。
 一方、加治史観での検証・論証は、薩長藩を主体とした倒幕維新という政治的な動きの中で、孝明天皇は暗殺された。そして、北朝系の孝明天皇のひ弱な子で皇位を継承した睦仁親王は、南朝系の子孫とみなされる「大室寅之祐」にすり替えたのだと結論づけているそして、このすり替えの隠蔽工作がすべてに関係していくと例証している(第2章)。勿論、著者はフルベッキ写真を軸としながら、様々の「不都合な事実」を引き出し、加治史観で合理的に筋道立てているといえる。
 両書を読み比べると、歴史の受け止め方がますますおもしろくなると思う。いわゆる「正史」に距離を置いて、一度考え直してみるという歴史観を磨く材料にはなるだろう。

 本書において著者が主張する各結論を箇条書きにしておく。その検証、論証プロセスこそが、「正史」に「疑問」という鍬を振るい事実を掘り起こす姿勢で、自分なりに考え学ぶための糧になるからである。
 これらの主張点に対し、なぜ? まさか? ホント? と感じられたら、本書を手にとってみるとよい。一種奇想天外な発想のような気もする一方で、「正史」が語らない秘められた部分、あるいは光の当てられることのなかった「不都合な事実」も垣間見えて、興味が尽きない。耕された結果、読者にとって考える材料がゴロゴロと出て来ているといえる。
 本書を構成する章のタイトル、著者の主張する仮説、一方我々凡人が知る・知らされている定説を簡略に以下でご紹介する。

 第1章 坂本龍馬暗殺の真犯人は目の前の男だった!?
  龍馬を暗殺したのは、龍馬を説得できなかった中岡慎太郎である。
  [定説] 討幕運動の中心人物として新撰組や京都見廻組などの幕府勢力に暗殺された。
 第2章 北朝から南朝へ明治天皇はすり替えられた?
  明治天皇=睦仁親王ではない。根強い南朝崇拝思想のもとに、大室寅之祐にすり替えられた。
  急死したとされる孝明天皇は、倒幕維新の障害となるので暗殺された。
  [定説] 急死した孝明天皇の子・睦仁親王が皇位を継承し、明治国家の先頭に立った。
 第3章 実物とは異なる西郷隆盛の肖像が広められた真相
  著者が特定した西郷隆盛と大室寅之祐が一緒に写るフルベッキ写真をこの世から抹殺するためであり、天皇すり替えの隠蔽工作を徹底する必要に迫られたからである。
  「定説] 西郷隆盛の顔写真は、教科書にも載っている。太い眉、迫力のある大きな瞳。精悍な中に優しさの漂う面立ち。
    ⇒ 著者は、明治政府お抱えのイタリア人・彫刻師が西郷従道と大山巌の二人から合成した肖像画だと論じている。

 第4章 皇女・和宮のすべては抹殺!!
  和宮は周囲に利用され、翻弄され続け、最後は暗殺された悲劇の皇女である。
  ただし、徳川に嫁いだあと、家茂との夫婦仲はよかったと言われている。
  暗殺の時期を隠蔽するためにも、替え玉の和宮が複数名利用された。
  明治以降の和宮の足跡-記録、史料、証言などがほとんどない。
  [定説] 朝廷と徳川幕府の公武合体の象徴として、和宮は政略結婚させられた。

 第5章 出口王仁三郎は有栖川宮のご落胤ゆえに弾圧!?
  出口王仁三郎は、カリスマ性を持つ教祖である。「世界連邦」の推進という桁はずれの夢を描いた人物だが、背景には、有栖川宮熾仁親王の落胤という出自が公然の秘密となっていた。北朝の血脈につながる人という位置づけとなる。海軍の熱狂的支持を受けたことが、政治的対立に巻き込まれることにもなる。
  [定説] 出口なおから大本(大本教)を継承した教祖出口王仁三郎は、そのカリスマ性と派手なパフォーマンスをとり入れた斬新な布教戦略をおこなった。各界名士が次々に入信し、巨大な新興宗教が形成された。政府は、大本に2度の弾圧を加え、教団を壊滅的にした。世に大本事件と呼ばれている。
  
 つまり著者は、龍馬暗殺の真相の隠蔽は、明治政府の中核となる人々の口裏合わせと隠蔽工作体質にあるとする。倒幕による政権樹立、維新達成のために天皇すり替えを実行し、その事実を隠蔽するという画策のために、西郷隆盛、和宮を巻き込んで行った。更には隠蔽工作の徹底の上で、出口王仁三郎の教団の巨大化を阻止する必然性に繋がっていくのであると説く。

 異なる次元での事象と思っていた事態・事件が、加治史観の下では、見事に密接な関連性を持つ事象として繋がって見え始めるという展開プロセスは、一種スリリングですらある。
 奇想天外なところがあるが、不都合な事実を列挙されると、荒唐無稽と笑って捨て去ることができない局面を提示している。実におもしろい論調である。
 考える材料が数多く、ボンと投げ出されている。加治史観の読み解き方を踏まえ、一方、斎藤氏の分析と論理展開を参考にして、どう考えて行けばよいか?

 まずは、知らない事実、知らされていない事実、知られると不都合な事実が、歴史の裏には一杯あるという理解から、出発することが必要だ。そのことを自覚するのにも役立つ書といえる。
 この書の内容は、歴史学者なら、仮に個別の事実について研究上で知り得た情報であろうとも、あるいは学者にとっての既知情報があるとしても、絶対に書かない対象だろうとも思う。それ故に、知らされていない不都合な事実、事実史料として存在しても手がつけられずそのままひっそりと置かれる事実などの提供ソースという価値がある。
 著者が発掘したとする様々な傍証情報を組み合わせて、事実の読み解き方、解釈の視点を変えてみるという興味深さとおもしろさに溢れているとも言える。
 その提供された「不都合な事実」が、真に「事実」なのかから考える必要があるけれど、読者にとっては歴史に対する思考材料が広がることは事実である。


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本書からの波紋で、検索した事項を一覧にしておきたい。(斎藤書で列挙の項目を含む
フルベッキ群像写真  :ウィキペディア
グイド・フルベッキ  :ウィキペディア
フルベッキ写真の考察   :「舎人学校」
 「フルベッキ写真」に関する調査結果(慶應義塾大学 高橋信一氏)を掲載。
フルベッキ写真の真偽   :「フルベッキ写真」
  写真の人物名を同定したとされている内容を併せて併載紹介しているページ
中岡慎太郎館 公式サイト 
中岡慎太郎  :「コトバンク」
和宮親子内親王 :ウィキペディア
皇女和宮の埋蔵のナゾに迫る  :「なんでも保管庫2」
和宮[和宮親子内親王]公武合体の象徴とされた皇女 :「幕末・維新風雲伝」
皇女和宮の死因は急性心筋梗塞 石岡荘十  :「杜父魚ブログ」
【謎】写真を1枚も残さなかった西郷隆盛の本当の顔  :「ニホンシログ」
▲裏・歴史▼ 西郷隆盛の顔は合成!発見された本当の顔!  :YouTube
西郷隆盛像  :ウィキペディア
霊界物語発表九十周年記念企画 大本事件を起こしたのは誰か、 そしてなぜか
    :「出口王仁三郎の色鉛筆 出口王仁三郎大学」

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