遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『頭にきてもアホとは戦うな!』  田村耕太郎   朝日新聞社

2018-09-30 10:05:52 | レビュー
 表紙に「人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法」と副題が記されている。これからわかるように、本書は人間関係におけるストレスを回避して己の目指す目的を遂げるための処し方のノウハウ書である。語り口が平易なので読みやすい。
 著者は「はじめに」において、本書は「非戦の書」であり、『孫子の兵法』の現代実社会版だと述べている。かなりの自負に溢れている。そこがまずおもしろい。

 第1章と第2章が、本書のタイトルに沿った主旨のノウハウ書といえる。
 著者は第1章の冒頭で、アホな人物について、以下のように述べている。
「一言で言えば、あなたがわざわざ戦ったり、悩んだりする価値のない人間である。そして不条理な人物である。あなたにとって一見、目障りで邪魔である。時として正当な理由もなくあなたの足を引っ張ってくる当り屋でもある。あなたに体当たりして絡んで、自分の価値を上げようとする人物だ」(p16)と。
 その上で、著者はアホと戦う可能性のある人には「正義感が強い/自信にあふれる/責任感が強い/プライドが高い/おせっかい」という特徴が見られるとして、なぜか? を判りやすく説明する。この特徴を否定しているのではない。「自分がコントロールできることだけに時間もエネルギーも集中するべき」(p28)だと言い、アホをコントロール使用とするなという。つまり、アホと戦うなである。己の持つ特徴を向ける方向が間違っているのではないかと言う点を、判りやすく絵解きしてくれている。

 著者は己の体験を交えながら、アホと戦わないノウハウを伝授していく。通読し、ナルホドと思った要点を、私なりの覚書にまとめてみよう。誤解があるかもしれないが、これが本書を読む気にさせるトリガーになれば幸いである。おもしろい事例が満載である。

 妙なプライドは持つな ⇒ 等身大の自分を見極め、自分の到達点を見失わない
 終わったことを蒸し返すな ⇒ 未来への自分の時間価値を考えよ。時間が価値を生む
 臆病なコオロギに学べ ⇒ むやみに戦わない方が戦闘的な者により生き残る確率高し
 やられたフリをせよ ⇒ 本当に自分のやりたいことにフォーカスせよ
 己個人のメンツを気にするな ⇒ 実利本位になれ
 生意気さはムダ ⇒ 成功者は時間と知恵を使い、戦わずして勝つやり方を選ぶ
 アホには堪えよ ⇒ グッと受け止める忍耐力。すぐにリアクションするな。離脱せよ 己の怒りを解きほぐせ ⇒ 相手の気持ちを読むことが人生を生き抜く最重要なコツ
 カッときたら ⇒ 幽体離脱せよ ⇒ 自分を高みから3D映像で客観的に観察せよ
 敵意識は持つな ⇒ 仕事の対人関係はせいぜいがライバル。柔軟に付き合え。
 当のアホに相談を持ちかけよ ⇒ 「その人から受けている嫌な行為への対処方法」
                 ほかの人が受けている嫌がらせだとして相談する
 しつこく絡むアホ ⇒ 相手にしない。逃げるが勝ち。

こういうアドバイスを語りながら、「それでも一度はアホと戦え!」ともいう。傷が浅いくらいの「一生忘れられない悔しい学び」が、「いつかは戦う価値のある相手と戦うこと」(p69)の可能性への準備運動なのだと。

 著者は人を味方にするためには、「相手の気持ちを見抜く力」この能力を一番重視する。天才やエリートなどの頭のいい人ほどこの能力が乏しいとも述べている。「どんな強者でも味方にする”人たらし”の技術」(第3章)において、この能力がその根幹だという。そのために、次の実行を推奨している。
 *対象となる人物を徹底的にリサーチせよ。その人のたどってきた歴史が人格になっている。人相は最大の情報発信源・宝庫だと知れ。 
 *デール・カーネギーの原則に学べ。「非難するな/認めよ/相手の欲しがるものを理解せよ」 つまりどんな相手でもリスペクトし、共通の利害を見つけるアプローチだ。
 *「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 人間は感情の動物。腰を低くして対応せよ。
 *自信があっても困っている顔をして、相手を自分に巻き込んで行き相手の感情に働きかけることも一つの技術。ただし、著者の体験では、その人の実力の1.5倍くらいに困っている事情と思える場合での話。
 *物事に一喜一憂せずに淡々と。得意淡然、失意泰然。淡々とこなす者が勝ち残る。
 *結果を出したいなら、常に相手の気持ちを知れ。相手の立場に立って相手の思いを常に考えよ。上司目線で、自分を見つめてみる視点をもつこと。
 *志が人を動かす。決して原点を忘れず、楽天的姿勢を崩さない。
 *ものをシニカルに見る脳の使い方、物の見方を鍛えよ。異なる視点をもつ。
 *自分を見失わないように、自分を律することが大事。偉くなっても偉ぶらない。
ここでの助言は、どちらかというと、少し長い時間軸の中で真価を出す「人たらし」技術という印象を受ける。勿論、それは関係の浅い時点から始まることなのだが。

 第1章冒頭の「アホ」の定義と結びつけて考えるなら、上記した第3章あたりから、アホという枠組みを離れた、対人関係、組織内での対応へのアドバイスという形に発展していく。つまり、文字通りの副題の趣旨に沿う対応能力へのアドバイスに移行していくということになる。

 第4章は「権力と評価の密接な関係」という見出しになる。ここでははっきりとアホへの対処とは次元を変えている。副題がピッタリというところか。
 第4章に収録された見出し文を並べてみると、おわかりいただけるだろう。
 ◎上司があなたを見てくれないのはなぜか?
 ◎仕事で評価される人。されない人
 ◎不本意な人事異動の正しい耐え方
 ◎無駄な会議を建設的にする方法
 ◎日本企業は権力闘争が好き?
 ◎力にすり寄るのは汚いことか
 ◎権力を握る人の条件
 ◎飲み会を有意義にする方法
 ◎不機嫌な職場で、息苦しいあなたへのヒント
つまり、バラエティに富んだケースを設定して、その中でどう対処するのが得策か、著者の所見を述べている。対処法はまあ一般的かつ実利的なアドバイスといえる。一貫しているのは目的志向、「実利」重視という立場である。
 「政界を離れて振りかえてみると、相手を持ち上げるために頑張る姿勢は潔いと思えるようになった。やりたいことがあって、やれるチャンスが来たら、他人にどう思われようが、そんなチャンスをくれる人に徹底的に忠誠を誓って権力を手に入れようとするのは、汚いことでも、ずるいことでもなく、潔いことだと思う。そこまでやるのが”本気”ということなのだ。」(p125)、「現実は汚く見えるものだが、そんなものに嫌悪を示すより、自分の目的に集中して、そこで結果を出すことに専念したほうがいい。結果を出すために権力に接近することが必要ならば、その力を活かすことも視野に入れて準備しておくことだ」(p150)、「『人生はそもそも理不尽なもの』という現実感覚を持てば、いかなる職場にいてもステオレスは大きく減らせる」(p158)というような所見からもうかがえるだろう。

 第5章は「他人の目を気にするな」である。
 この章での主張点は明白である。「人生は自分が主役であるべきだ」(p164)である。そのために、「他人から見た自分を意識する」ことと「他人から見た自分を妄想すしてそれに振り回される」ことは全く別であることを説く。他人の期待に応えようとする人生を生きていないか、それを自問せよと言う。
 「他者の気持ちはコントロールしようとすればするほど離れていく。そんなものをこちらの思い通りにしようとするのではなく、確実にコントロールできる自分、そんな自分の目の前にあることに時間とエネルギーを集中すべきなのだ」(p169)という著者の自説に戻る。この主張、考えれば同じ考え方をかつてどこかで読んだ気がする。自己実現への鉄則と言うべきなのだろう。
 そして、いくつかのアドバイスを具体例を提示しながら説明している。私なりに読解した要点を列挙してみる。
*自分を主体に、他者をベンチマークするのは有効。自分の居場所を確認するために他者と比べてみる。主体性の意識が大事。
*腹をくくるとストレスがなくなり、行動力を増す。壊れた人間関係は、小さな合意を積み重ねていくことから始まる。
*期待値マネジメントの考え方を取り入れる。己の期待値から相手との合意値へのアプローチも一法。
*人間関係の改善は真摯に向き合う時間を共に持ち、地道に積み上げていくこと。
*相手の感情を揺り動かす本気度、本気の情熱の裏打ちで主張するには、まず準備が重要である。自分の思いを上手に伝えるには、訓練がいる。
*本当に心がポッキリと折れたら、思い切って休め。リフレッシュに専念せよ。本気で徹底的に。それが自信を取り戻すコツである。
*大凡物事の90%以上は自分の責任に帰す。己の想定、準備などの不足。自分の目的をはっきりさせ切れていず、周到な事前準備に欠けていることに思い至れ。
著者の経験を踏まえた例示などが興味深い。

 最終章は「アホではなく自分と戦え!」である。著者の持論からすれば、当然至るべき着地点と言える。
 著者は自分と向き合う時間を確保せよと助言する。それは、「自分は何が満たされたら納得がいくのか」の自己確認が出発点となるからである。わかっていそうで一番わかっていないのが「自分」だと断定する。この点は著者だけでなく、多くの識者も論じている。
 「自分を知り、自分をいい意味でコントロールすることほど、人生で大切なことはない。自分がわからないと幸せにはなれない」(p195)。この箇所、メーテル・リンクの『青い鳥』の結論に通じるのでは・・・・と連想した。
 自分と戦ううえでの助言を体験談を踏まえて述べている。勿論、それは自分を知るという行為の次のステップでのノウハウである。
*人間は環境に左右されやすい。だから、デキる人間に囲まれた環境に飛び込めという。「自分よりデキる人間に囲まれてこそ成長する」「戦うのは自分よりできる人材と」(p198)は著者の実体験に基づいている。
*自分の人生において、自分の基準を持つ。そうすれば、他人の評価や他人の目に影響されなくて、外からのストレスを感じにくくなる。己の基準との戦いだから。
*自分と向き合うには、一度自分を抜け出して、客観的に見ないと、本当の自分と語り合えない。⇒ 自分だけの時間を確保せよ。自分の本音を明らかにするために。
*激変する時代において、今後のリスクを予想し、逆算して準備をおこたらないこと。
*どうせ変化の連続。変化の捉え方次第でピンチをチャンスに変えられる。それを捕らえるには、誰よりも早く変化の兆候に気づくことである。人より3年先を行け。
*やりたいことは今しておくべきである。そのためには、己の肉体のコンディションを重視せよ。
*人生を豊かにするために自分の人生にとって大事な人たちとすごす時間を大事にする。
 著者の体験を通したノウハウが縷々語られた書であるが、自分が本当にやりたいことが簡単にみつからないというのも事実と認める。その上で、「それより今、目の前にあることを精一杯やるべきだ」(p215)という助言に着地する。「目の前のことを頑張って見るべきだ。そこから道は開ける」(p216)と。自分探しの行きつくところはやはり古来から述べられてきた真理である。

 著者の主張は、人生を謳歌して使い切るという視点に立ち、人生をいかに主体的に生き抜くかにある。自分の目的と基準を持って人生を生きれば、つまらないプライドなどは捨てられる。アホと戦うことも無くなるという次第である。それは今目の前にあることをしっかり頑張って結果を出すことから始まるという。目の前にあることを、主体的にとらえ直して、自分にとっての結果をまず出せということだろう。

 ご一読ありがとうございます。

『秘録 島原の乱』  加藤 廣    新潮社

2018-09-27 13:35:20 | レビュー
 著者加藤廣は今年(2018)4月に逝去した。金融証券業界から経営コンサルタントに転じ、70歳代半ばになって、『信長の棺』で文壇にデビューするという異色的存在の作家だった。特異な視点から切り込んだ時代小説で楽しませてくれている。まだ読み残している本がある。この作家にももう少し書き継いで欲しかった。また一人、愛読作家が身罷ってしまった。合掌。
 タイトルに惹かれて読んだのだが、後で奥書を見て、この小説が『神君家康の密書』の続編であり、著者の遺作になることを遅まきながら知った。編集後記によれば、小説新潮2017年8月号~9月号、2018年1月号~4月号に断続的に連載されたと記されている。まさに没する直前に脱稿していた作品である。4月7日に急逝された。通常なら連載に対して加筆修正を加えて、単行本化されることになったのだろうが、「単行本化に当たっては連載当初の記述を尊重して原文のままとした」と記されている。
 さて、本書は伝奇時代小説というジャンルの作品と言えようか。タイトルに「秘録」とある。なぜ、秘録か? それは慶長20年(1615)4月の大阪夏の陣において、大阪城内山里曲輪にある蔵の中で母淀君とともに自害したとされている豊臣秀頼が死なずに、キリシタンの明石掃部の導きにより、九州に落ちのびるというところからストーリーが始まるからである。著者は巷にある伝承・秀頼九州逃避説を取り入れ、三代徳川将軍家光の治世下で、寛永14年(1637)10月に蜂起した「島原の乱」の天草四郎が秀頼が九州で設けた子というストーリーに発展するという構想である。世に天草四郎が秀頼の落胤であるという伝説もある。つまり、既に世に存在する2つの伝説をそのまま取り入れるという手法で、史実の間隙にフィクションを巧みに織り込み、島原の乱の蜂起に至るまでのプロセスを主体に描き上げていく。だから秘録となる。
 島原の乱そのものの描写はかなり主要点の概括的描写にとどまる。島原の乱そのものは、相対的に言えば徳川幕府の将軍家光を九州に引き出し、倒幕を目指す手段的位置づけとして描かれている。島原の乱は戦略的に利用されたという視点といえよう。フィクションの世界で、島原の乱を位置づけ直したという興味深さがある。逆に言えば、抑圧されつづけたキリシタン的殉教の視点は影が薄くなり、キリシタンもまた、ある意味で外観的には兵力として利用されたというシニカルな側面で描かれている。天草四郎の下に、キリシタンとして島原での戦いの中で殉教するというのは、戦に加わったキリシタン農民ほかの内面的真実ととらえることはできよう。だが、この小説では重点の置き方が異なる点も、秘録的解釈といえようか。
 このストーリーは意外な結末を伝えて終わる。究極の当事者に限定すれば、ハッピーエンドな締め括りになっている。これ自体が究極の秘録ということになる。と、言えるだろう・・・・・。この点は、本書を開いていただき、原城壊滅の結末のつけかたとこの意外なストーリーのエンディングをお楽しみいただきたい。

 本書は4部構成に、終章が加わるという形になっている。ストーリー展開のポイントに少し触れておきたい。

 第一部 秀頼九州落ち
 真田信繁軍が赤一色に統一された姿で、徳川本陣に突撃していく様子を天守閣から見定めた秀頼は、山里曲輪に戻り自害する母の介錯をし、自らは切腹して果てる心づもりでいた。それをかつてはキリシタン大名だった明石掃部が、秀頼の決意を翻させて、九州に落ちのび、再起をはかるように説得する。そこに登場するのが、明石掃部の養女として育てられた桐姫である。秀頼は双生児として生まれ、姉が居たという。この姉が秀頼の身代わりになるという次第。この後は、明石の説得に応じた秀頼が、九州に落ちのびるプロセスが具体的に描かれて行く。このプロセスは結構、説得力がある記述である。
 最終的には、薩摩加治木にある島津維新斎の館に至る。家督を家久に譲っていた維新斎は、一存で秀頼を薩摩藩内で保護する訳にもいかず、秀頼を木下藤吉郎として、家久に面談させる。秀頼を助ける忍びの六郎太が薩摩藩の弱みを俎上に駆け引きをし、家久を一応説得する。その結果、秀頼は、千々城の城代として住むことになる。
 ここまでのプロセスが比較的無理なく自然な経緯として読ませるところが巧みである。
 第二部 女見しの行方
 この第二部で、若き女剣士・小笛と真田忍者小猿が登場する。秀頼の九州落ちが「起」とするなら、この第二部は、その後を「承」として続ける。ストーリーの基礎づくりに進展する。この第二部が、上掲の『神君家康の密書』と直接リンクしていき、続編という位置づけになるようだ。但し、正編を読んでいなくても、この小説を読む上での支障はないように思う。前編を私自身読まずにこちらを先に読んだ印象で語っている。尚、正編を読んでから、こちらを続編として読めばどの点が変わるか・・・・それは、後日正編を読む折りの楽しみとしたい。
 この第二部は、寛永元年(1624)7月中旬、配流地で自刃した福島正則の荼毘(火葬)を、小笛と小猿が見送る時点から始まる。小笛は、死の寸前に福島正則から託された徳川家康の「秀頼の身命安堵」を誓った約定書を肌身に巻き付けていた。小笛はその密書を薩摩の千々輪城に住む秀頼に届けるという密命を帯びていた。著者は本書で、この密書の位置づけを記述している。
 この第二部でおもしろいのは、この城を警備する示現流宗家の東郷藤兵衛の疑いを晴らすために、小笛が立ち合う場面を描き込んでいることである。小笛は、富田流の富田越後守の晩年の一番弟子という設定である。今までは剣の道一筋で生きてきた剣士である。
 小笛は密書を秀頼に手渡す機会を得ることになる。秀頼はその密書が偽物であることを直ちに見破った。だが、その密書を受け取ったことで、己の覚悟を決めたと小笛に言う。
 その後、小笛は天下の趨勢を把握するために本土を旅する。それは己の身の処し方を決める為の旅でもあった。この旅で小笛は重要な人々を訪ね歩く。京・誓願寺に居を構える寿芳院(秀吉の側室の一人:松の丸竜子)、江戸・水戸中屋敷に居る新孫市・孫三郎重次、伊達中屋敷に居る阿梅(真田信繁の三女、白石城主・片倉小十郎の後室)である。
 これらの人々との面談が、小笛の生き方を決めていく。小笛は、秀頼のお方様になることを辞退し、名も無いたった一人の<女>の位置づけを選択する。そして、秀頼と結ばれる。

 第三部 寛永御前試合の小波
 寛永14年(1637)5月初旬に、江戸城内で徳川家光臨席の下で行われた「寛永御前試合」に場面が転じる。いわゆる「転」となる。この試合の観戦のために、九州の大名のほぼ全員が江戸に参集していたという。九州の守りはいわば、手薄な状態ができていた。
 上記しているとおり、日本史年表を見れば、同年10月に「島原の乱」が発生している。思わぬ風穴が開けられる展開が始まろうとしていたのだ。これは結果論。
 この第三部では、この御前試合の様子が描き込まれていく。この試合に、なんと薩摩示現流東郷藤兵衛の代理として、門弟増田四郎が試合に出て、柳生又十郎と対戦するのである。柳生但馬守宗矩の三男である。このストーリーではまず、美剣士柳生刑部友矩の試合の状況が描かれる。刑部はその美形から家光に寵愛される。家光は衆道好みだったらしい。その家光が、試合に臨み又十郎を破る美少年増田四郎に惹きつけられるという次第。これが一つの伏線となっていく。
 又十郎の敗北は、将軍家指南役、柳生新陰流の名折れという苦渋を生むとともに、柳生刑部の生き様の転機となる。刑部は江戸から出奔してしまう。それはなぜか? 本書を読む楽しみに残しておこう。柳生家に小波が立ち始める。この頃、長男の柳生十兵衛三厳は博多に居て、密命を帯びた探索に従事していた。刑部は九州に向かっていた。
 また、千々城の秀頼と小笛のその後の有り様および乱を起こす画策への準備が描き込まれる。
 この第三部では、小笛を軸とした人間関係が明らかになり、島原の乱に至る様々な伏線が巧みに張られていくことになる。
 
 第四部 救世主とともに
 島原の乱勃発の最後の仕掛け段階と、島原の乱の蜂起から終焉までの経緯が描かれて行く。史実とフィクションが巧みに織り交ぜられて、融合していく秘録展開と言える。
 その中に、柳生刑部、柳生十兵衛、宮本武蔵などが登場して来る。一方、徳川方では智慧者伊豆守信綱が周到な対応をしていく姿が併行して描き込まれていく。
 そして、天草四郎時貞の真の姿が明かされていく。まさに秘録ということになる。
 だが、島原の乱の蜂起は、小笛が「嘘も方便じゃ」という立場から描かれて行く。著者のスタンスは少しシニカルと言えるかもしれない。そして、それはこの乱の終焉のさせかたに繋がって行く。
 この第四部は、多くを語らない方がよいだろう。読む楽しみをそがないために・・・・。

 終章 原城、陥落す
 原城を包囲する幕府軍が総攻撃する日の裏話がここに書き込まれていく。意外性をたあっぷりと盛り込んだ終章である。「秘録」の連発である。お楽しみいただけるだろう。

ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で、関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
天草四郎  :ウィキペディア
島原の乱  :ウィキペディア
島原の乱  :「コトバンク」
島原の乱と天草四郎~ポルトガルの支援を待った70日に及ぶ原城籠城戦 :「戦国武将列伝Ω」
島原の乱の原因と天草四郎時貞の最期の様子を分かりやすく解説! :「セレクト日本史」
歴史ミステリー 島原の乱 天草四郎vs松平信綱  :YouTube
原城 :ウィキペディア
モデルコース 島原の乱最後の舞台「原城跡」を巡る :「ながさき旅ネット」
徹底して破壊された原城  :「おらしょ こころ旅」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。


(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



このブログを書き始めた後に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『謎手本忠臣蔵』  新潮社
『利休の闇』  文藝春秋
『安土城の幽霊 「信長の棺」異聞録』 文藝春秋


『爆身』  大沢在昌  徳間書店

2018-09-23 13:30:53 | レビュー
 『獣眼』によりボディーガード・キリがニューヒーローとして誕生し、これがその第2作となる。『爆身』は、キリがボディーガードを正式に引き受ける直前にクライアントが原因不明状態で殺害される。キリがその死の謎を追究することになり、ボディーガードとは異なる行動をしていくストーリー展開となる。入り組んだ人間関係がさらに謎を引き出していく。そして、キリの推理が絞り込まれていく。このストーリー構想に、読者は引き込まれていくことになる。
 
 キリは、ニュージーランドの南島、クイーンズタウンに住むトーマス・リーという人物からボディーガードの依頼メールを受信する。職業は「フィッシング・ガイド」だというリーが日本に滞在する3日間の警護をキリに依頼し、具体的な内容は日本到着後会った時にするというもの。依頼人が指定したホテルは乃木坂から山王下に抜ける赤坂通りにある外国人観光客が多く泊まる中クラスのホテルだった。リーとの待ち合わせが午後3時。キリは15分前にホテル前の歩道に佇んだが、彼のアンテナにひっかかるものはなかった。不意に頭上で爆発音が轟く。爆発は2階だった。非常階段で2階に駆け上がったキリは、客が一人だけのレストランでの爆発と知る。その客が、キリのクライアントになる筈の人物だった。キリがボディーガードを引き受ける直前に何らかの方法で殺されたのだった。
 レストランの一番奥に進んだキリは、何かが焦げた匂いと揮発臭に鼻をつかれ、床に指が一本落ちているのを目にする。その指のつけ根には何かの紋章が入った金の指輪が嵌まっていた。リーは黒焦げに焼けていた。だが火薬の匂いはしなかった。
 消防隊員に引きつづき、一機捜に異動となったばかりの金松が現れる。キリは赤坂署で金松の事情聴取に応じ、情報交換することにした。

 赤坂署を出た後、キリは事件現場のクレタホテルに戻ってみた。シートで覆われた2階の窓を眺めた後、赤坂通りを歩き始めたキリは、スーツ姿だが格闘技をやているとすぐにわかる男に立ちはだかれる。そばのアルファードの車内で車椅子にすわる70くらいに見えるスーツの男に声を掛けられた。自ら睦月と名乗った。そして、トーマス・リーにボディーガードの紹介を頼まれたのが自分だと。さらにキリのことを警視庁の畑山警視から聞いたという。睦月はキリに「あの男に何が起こったのかを調べてもらいたい」と告げる。キリは来週から別の仕事が入っているので、希望にそえないと断る。だが、睦月は「大丈夫だ。君の時間は確保する」と意に介しない。
 キリのホームページを作成、管理している佐々木に、キリは睦月のことを調べるよう依頼した。即座に睦月は本物のフィクサーだという返信が来た。また、来週からの仕事はクライアントの側からキリにキャンセルが入る。睦月が君の時間を確保すると言ったあことがその通りになった。
 睦月がキリの新たなクライアントになる。トーマス・リーに何が起こったのかを調べることがキリの仕事となる。

 トーマス・りーは変名で、実は日本人であり、本名は増本貢介。6年前に引退するまで睦月の最高のボディーガード兼パートナーだった。二人は何度も命を狙われたがそのたびに生き残り、不死身だと言われる存在だったという。増本は己の運を使い果たす前に、仕事を辞めたいと言い、ニュージーランドに行ったのだった。その増本が、フィッシングガイドの客となった人物から、連絡を受け増本に恨みをもつ人間がプロに依頼して、増本を呪殺しようとしているということを知る。増本は切羽詰まって睦月に電話をしてきたのだ。増本は、若いときに結婚し子供をもうけていたようだが10年ほど前に離婚していた。そして睦月には一切子供のことは話さなかったという。増本が殺されたことにより、次に自分が増本のいう呪殺のターゲットになる可能性を睦月は想定し、キリに増本の死因を調べてほしいいと言う、結果が出たとき、報酬として1000万円だすと。
 
 キリが睦月から得た情報は、増本が誰かから呪殺の対象となっているという通報を受け怯えていたことと、睦月と組む前に増本は虎ノ門にオフィスを構える弁護士・向坂士郎と古い付き合いがあったということ、の2点だけだった。キリは佐々木に知り得たことから情報収集する指示を出す。キリは呪殺を請け負うあるいは仲介するプロが存在するかということを調べることとと、向坂弁護士とコンタクトをとることから、一歩を踏み出していく。

 このストーリー展開の興味深いところは、増本の過去が徐々に見え始めることにより、人間関係の繋がりが複雑になっていき、それぞれがどこかでリンキングしている点である。人間関係の思わぬ連環が見え始めていく。塚本とキリとの間にも、キリ自身知らなかった繋がりがあった。そのことは、キリがボディーガードという生業を選択した背景がこの第2作で明らかになることにより、判ってくる。キリは20代に鳥取の大山で師につき古武術を修得したのだ。キリは向坂の弁護士事務所に出向いたが面会できなかった。事務所を出た後、一人の男に後を付けられるが、その男にキリが対峙する。上原と名乗った男が使った技がきっかけで、キリの大山での修行の過去が明らかになる。上原を介して、年齢差により互いに接点がなかったが、増本がキリにとり同じ師に学んだ兄弟子だったことがわかる。そして上原は、増本に学んだ孫弟子だということもわかる。
 向坂と面談できたとき、キリは増本の死の前日向坂が増本と合っていた事実を知る。さらに、そのとき、増本が口にした大山という言葉から、桑野献吉という人物を連想し、桑野が大山神が自分にはついていると神がかっていたことを思い出したという。桑野献吉と大山神がキーワードとなり、キリの調査の輪が広がり始める。「結跏社」という存在が浮かび上がってくる。「結跏社」の行方を追うことが重要となっていく。その存在には、様々な要素が重なっていた。この解明プロセスが読ませどころとなっていく。
 そこには、SHC(人体自然発火現象)、念動力、超能力「パイロキネシス」などという超常現象の視点までもが絡んでくるという興味深さが加わっていく。
 結論は、勿論、意外な展開へと突き進んで行くことになる。

 この第2作の登場人物をご紹介しておこう。これらの人々がどの段階で登場し、どのような人間関係を形成しているのか、どこに接点があるのか、ストーリーの中で確認しながら読み進めていただくとよい。

 キリ 大山で古武術を修練し、ボディーガードの道を選択。中心人物
 トマス・リー キリのクライアントになる予定だったが直前に殺害される。本名増本貢介。
 金松 一機捜に属する刑事。キリと親しくなった警察官。
 睦月 著名なフィクサー。かつて、増本と組んだ人物。増本死後のキリのクライアント
 如月 睦月の運転手兼ボディーガード。
 佐々木 企業のネットセキュリティの専門家。キリのホームページ作成・管理者。
 向坂士郎 虎ノ門にオフィスを構える弁護士。増本とかつて組んでいた。地上げに関与
 秋川 向坂法律事務所の秘書。
 上原 キリの後を付けた男。かつて増本から武術を学ぶ。
 底井 佐々木のネット・リサーチでコンタクトを取った男。闇の世界の仲介人。
 桑野献吉 増本・向坂の地上げで破産した実業家。大山神を信仰。自殺したと推定。
 工藤俊元 鳥取県大山に住する古武術家。キリの師匠。
 進藤 睦月がキリに伝達した銀座のクラブ経営者。かつては極道。桑野と付き合いあり。
 ジュリ 新藤の経営するクラブ「クランプ」のホステス。
 丸山 「クランプ」で新藤に絡む客。極道。キリに痛めつけられる。
 結跏社 呪術師の集団。呪殺のプロを自称する集団。底井が知る集団。
 初井功 初井セツの養子となり、結跏社を継承。
 モーリス・キャンベル 国際協力センターを運営。元京都大学教授。睦月の御師。
 デクスター アメリカ海兵隊に所属。科学者。国際協力センターに関与。
 桑野広一郎 無縁神木流體術関東支部 支部長
桑野委都子 桑野広一郎の妻。小山の姉。
 工藤玄丈 無縁神木流宗家
 阿井田  無縁神木流関東支部に所属。
 桑野雄一郎 銀座で割烹『雄』を経営する料理人。進藤の友人。
 山岸こずえ ガソリンスタンド経営者。趣味はフィッシング
 山岸英機 こずえの弟。元レーサー。シャブで人生をあやまる。
 小山 こずえの元婚約者。元銀行員。結跏社と無縁神木流の経理を担当。
 ヒロタ サンダーストーム社(民間軍事会社)所属
 保木田忍 医療法人安息会病院 院長
 吉川 銀座で働いていた板前。もと、京都の先斗町で板前だった。本名は三村。

 キリは愛宕警察署で事情聴取に応じた。それが終わり警察署を出た後、アルファードに乗る睦月から車で送ると申し出られる。まず、何が起きたのかをキリが突き止めたということに対して、睦月は報酬1000万を支払った。その後の二人の会話で、このストーリーは幕を閉じる。睦月はキリに何かあったら連絡するから助けてくれと言う。キリは拒絶の意図で応えるのだが、睦月は意に介さない。以下の会話が交わされる。
 「あんたには立派なボディーガードがいる」
 「それ以外の仕事だ」
 「俺には向いていない」
 「君には向いている。私がいうのだから、まちがいない。それに、君はもう、こちら側の人間だ。」
 「こちら側?」
 「わかっているだろう。影の世界だ」
 「興味はないね」
 睦月は笑った。
 「いずれわかる」
 アルファードは静かに走っていた。

 この「いずれわかる」というひと言が、第3作を予感させるではないか。
 キリの活躍は今後どこまで広がるのか、期待を寄せたいところである。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で、、関心事項を調べてみた。一覧にしておきたい。
突然体が燃え上がる。実際に起きた10の人体自然発火現象(SHC)現場ファイル
    :「カラパイア 不思議と謎の大冒険」 
人体自然発火現象再び。アイルランド人男性「人体自然発火」と判定される。
     :「カラパイア 不思議と謎の大冒険」
突然燃え上がる戦慄の「人体自然発火現象」:「超常現象の謎解き」
【オカルト】 人体発火現象 まとめ【衝撃 閲覧注意】 :「NAVERまとめ」
UK New light on human torch mystery  :「BBC NEWS」
【衝撃】白昼のロンドンで老人が突然1000度以上燃え上がり、死亡! 「人体発火現象(SHC)」の謎に迫る“7つの仮説”とは? :「TOCANA 知的好奇心の扉」
パイロキネシス :ウィキペディア
呪殺祈祷僧団  :ウィキペディア
“呪殺”を唱える、超過激な脱原発僧侶集団「JKS47」の恐ろしき妙法とは!?
:「TOCANA 知的好奇心の扉」
経産省前に「呪殺」の幟ひるがえる 祈祷僧団「JKS47」に霞が関騒然 
          2015/8/28    :「JCASTニューズ」
JKS47(日本祈祷団四十七士) ホームページ
日本呪術研究呪鬼会 ホームページ
呪い代行の老舗 天呪堂 ホームページ

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徒然にこの作家の小説を読み、印象記を書き始めた以降のものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『極悪専用』  徳間書店
『夜明けまで眠らない』  双葉社
『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 角川文庫
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『平城京』  安部龍太郎  角川書店

2018-09-20 11:56:46 | レビュー
 『続日本紀』を読むと、日本で初めて武蔵国秩父郡で自然銅が発見されたことにより、慶雲5年(708)正月11日に、武蔵国から和銅が朝廷に献じられた。そこで、慶雲5年が和銅元年と改元された。和銅元年2月15日に、元明天皇の名の下に平城京を建都する詔が発令された。だが、そこに記録されている詔の内容は、晴れやかに建都を宣言するものではなく、奥歯に物がはさまったかのような説明であり、半ば仕方なく詔を発したという印象のものである。
 この歴史小説は、「平城京」建都そのものをテーマとしている。そこには、2つの側面(視点)があり、平城京建都にその2つの視点が複雑に絡み合っていく。
 一つの側面は平城京建都という都市建設プロジェクトの活動そのものの紆余曲折、苦難を経て初期の目標が達成されるまでの経緯を描くという視点である。
 もう一つの側面は遷都・建都を推進する側と遷都に反対する側との政治的確執である。様々な反対論議が沸き起こり、建都妨害工作の波状攻撃が続いていく。建都の実務推進者たちには、反対する首謀者が誰なのか曖昧模糊としたままで、対応を迫られるという状況が続く。いわば根本原因がつかめぬままに、その場対応を迫られるという苦況が繰り返される。その政治的確執の根本原因は、白村江の戦いに敗北したことを背景とした天智と天武の政権争いとその後の皇統の継承に潜み、かつ遣唐使派遣による政治的要請に関わっていることが、徐々に明らかになっていく。
 いずれにしても、「和銅3年(710)3月、平城京に遷都」という歴史的事実がある。
 この歴史小説は建都の詔が正式に出される1年ほど前から始まり、遷都実現まで3年間の裏話といえる。ここで遷都というのは、平城京の都市区割と整地を終えて、帝に関わる大極殿や朝堂が造営され、帝が新都に遷ることができるという第一段階をいう。
 史実の間隙に著者がその構想力と想像力で巧みにフィクションを絡ませて紡いでいった物語といえる。様々な観点で惹きつけられること間違いなしである。

 まず建都プロジェクトの視点でその構図を眺めてみよう。平城京建都を宮廷において推進する決断をしたのは藤原不比等である。不比等は新都造営の総責任者を阿倍宿奈麻呂とする。阿倍家の嫡男である宿奈麻呂は、阿倍家再興にためにこの責務を引き受ける。建都に失敗すれば、不比等は宿奈麻呂に全責任を押し付けるのは眼に見えている。なぜ、それを承知で引き受けるのか。白村江の戦いで、宿奈麻呂の父・比羅夫は水軍の大将として臨んだのだが、戦法を誤り、唐と新羅に大敗する敗因となる。父の失策以降、冷遇される阿倍家の名誉挽回、家の復興を賭けて、宿奈麻呂は不比等の命を受けたのだ。
 その宿奈麻呂は、母違いの弟である四男の船人に建都のために現場の統率者となり協力することを頼む。船人は当初その気になれなかったが、思いを切り替えて協力すると決断する。船人を主人公、中心人物としてこのストーリーが展開していく。

 父比羅夫から操船技術を学んだ船人は、22歳の折りに第8次遣唐使船の船長に抜擢された。大使は粟田真人、副使は巨勢朝臣邑治。巨勢の乗る4号船の船長を務めた。帰国の折に、船人はかつての白村江の戦いで捕虜となっていた人々を粟田真人の命令に反して連れて帰ろうとした。それが原因で帰国が3年遅れる羽目になる。しかし、捕虜となっていた人々と一緒に帰国することができた。だが帰国後、船人は命令違反を理由に、腕に焼印を押された上で、都から追放となり、草香津の棟梁である草香蔵道の家に身を寄せていた。草香津に来て船人に協力を頼む宿奈麻呂は、不比等の計らいで元明天皇即位の際の恩赦の一環として船人の罪が許されたと告げる。

 船人は帰国が3年遅れた結果、唐の長安などの都市を見聞し知っている。さらに、捕虜を帰国させたことで、人々から尊敬され人望があった。船人をリーダーとして平城京建設の第1歩を踏み出すことになる。
 この平城京建設プロセスで興味深いことがいくつかある。列挙してみよう。
*唐の長安をモデルとした都市の区画整備をするためには、平坦な整地が必要である。そのためには、東の佐保川、西の秋篠川を大路に沿って流れるように付け替える土木工事が必要となる。中ツ道と下ツ道の標高差およそ2乘(約6m)の地ならし、平坦化が必要となる。その作業に要する役夫は1日に1万人という。
 このために、まず秋篠川の付け替えから始める。その過程が段階を経てかなり具体的に描き出されてく。なぜなら、工事のための役夫を寝泊まりする小屋の工夫から始め無ければならないからである。人力による都市建設のシュミレーションを読者は楽しめる。
*大土木工事を行うには、役夫を効率的に活用し、統率して作業を遂行させるノウハウが必要である。そのために、船人は行基の下に集り、人々の救済のために土木工事に従事してきた行基衆に協力を頼もうとする。だが、そのためには、藤原不比等が制定の立役者となった大宝律令に僧尼令が含まれていて、それがまず障壁として立ちはだかった。それをどう切り抜けるか。これは当時の僧尼の在り方と、市井の聖行基の存在を対比的に知ることにもなる。
*建都を妨害しようと直接行動で襲ってくる集団にどう対策していくか。
*葛城一族は眉輪王(まよわのおおきみ)をかくまったために、朝敵とみなされ所領や財産を募集され、滅亡の道をたどる。しかし、生き残った人々は水運に従事した。その本拠地は佐保川と秋篠川との合流点にある玉田村だった。だが、両川の付け替えを必要とすることから、葛城一族との立ち退き交渉が重要となる。船人がその交渉を推進することになる。第19代允恭天皇から第21代雄略天皇に至る時代の皇位継承の裏面史が葛城一族の衰運と繋がっていて、興味深い。また、この葛城一族から船人が信頼を得られたことが、彼らの水運の力量活用に繋がって行く。

 平城京遷都に関わる政治的な側面は、建都のための土木工事推進への妨害工作として様々に実害が発生し、船人とその協力者を苦しめる。
 政治的側面とは何か? 天武天皇が没し、持統天皇の時代となる。694年12月に、藤原京への遷都が実行された。上記の平城京遷都の詔は708年であり、わすか13年ほどしか経っていないのである。藤原京という新しい都に馴染み始めた頃に、再度平城京遷都が課題となったのだから、政治的に反対する気風があっても不思議ではないだろう。朝廷の政治の中枢に居る藤原不比等は、平城京の建都と遷都を推進する立場である。それは、遣唐使派遣と絡んでいた。第8次遣唐使の大使として唐に赴いた粟田真人は平城京建都の必然性を理解し、推進派として阿倍宿奈麻呂と船人を支援する。
 その一方で、遷都に反対する意見が根強くある。朝廷の祭祀を司る中臣意美麻呂(おみまろ)が初夢に垂仁天皇のお告げを聞いたということで、古墳の破壊をしては成らぬという形で都市計画を妨害することを言い出すということも起こる。中臣意美麻呂は不比等の義兄でもあるのだが。船人は宿奈麻呂から天智天皇派と天武天皇派の長年の確執が対立の根底にあると告げられる。
 また、朝廷の実力者の一人、石上朝臣麻呂の弟の石上豊庭が反対派の重要な一人として浮かび上がってくる。船人が船長の一人として唐に赴く前に一旦許嫁となっていた真奈(粟田真人の娘)と、船人が帰国する前に、豊庭は結婚していたのである。
 政治的確執は、9月に元明天皇が平城へ巡幸するという行事を妨害する形で一つのクライマックスに向かって行く。奈良山での激闘がはじまる。天智天皇派と天武天皇派との対立が表面化する事にもなる。そこに百済からの亡命人も関わってくる。
 対立の首謀者が誰なのかが曖昧なままで、政治的な側面からの妨害が執拗に繰り返される。だが、不比等は真の遷都反対者が誰であるかは最初から熟知していて、遷都を推進したというところが、一つのオチにもなっていて、興味深い。著者は天智天皇から元明天皇までの皇位継承という史実の裏面史として、一つの解釈、仮説を本書で提示しているとも言える。当時の朝廷の変遷を考える上で興味深いものがある。

 平城京建都のプロセスの過程で、阿倍比羅夫の三男・舟守の息子で、7歳の仲麻呂と、阿倍宿奈麻呂の弟子であり、仲麻呂の友人として、吉備真備が登場する。それなりの役割を果たす形で描かれて行く。

 エピローグは、2つの場面が描かれる。一つは平城京遷都、第44代元正天皇即位後に不比等の意を受けて、宿奈麻呂が船人に遷都妨害の謎解きを語る場面である。
 そして、もう一つは、養老元年(717)1月、第9次遣唐使船が住吉の津から出航する場面である。この時、17歳になった仲麻呂と23歳の真備は共に留学生として渡唐する。そして船人は仲麻呂への約束通り、遣唐使船に乗り込むという場面である。

 唐の長安をモデルにして平城京を造ったと単純に理解していたが、長安をモデルにした平城京を造らざるを得なかったという著者の視点と解釈が私には新鮮だった。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
藤原京 :「かしはら探訪ナビ」
藤原京 :ウィキペディア
藤原京資料室  :「橿原市」
平城京とは :「平城宮跡歴史公園」
平城京とは :「国営平城宮跡歴史公園」
平城京跡 ホームページ
  奈良平城京略年表  :「平城宮跡」
平城京天平祭 秋 みつきうまし祭り 2018 :「平城京天平祭」
遣唐使  :「コトバンク」
遣唐使  :ウィキペディア
粟田真人 :「コトバンク」
粟田真人 :ウィキペディア
阿倍宿奈麻呂  :「コトバンク」
阿倍宿奈麻呂  :ウィキペディア

ネット検索で見つけたインタビュー記事
わずか三年で唐の長安に並ぶ新都を奈良に。この難事業に携わる青年の周りで次々と事件が起こる。『平城京』  安部 龍太郎  :「カドブン」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その点、ご寛恕ください。)


著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『等伯』 日本経済新聞出版社

『凶犬の眼』  柚月裕子  角川書店

2018-09-15 14:19:29 | レビュー
 『孤狼の血』に引き続く続編という位置づけか、日岡秀一という広島市に生まれ、広島大学を卒業して警察官になった男のシリーズ作の始まりなのか。いずれにしろ、『孤狼の血』の続編を心待ちにしていた。それがこの作品で実現したと言える。『孤狼の血』での捜査探検を土台にして、暴力団に立ち向かう日岡秀一という警察官がこの作品で特異な警察官像を確立することになる。是非次作の構想につなげて欲しい。

 さて、『孤狼の血』で日岡は交番勤務を経て捜査二課暴力団係に配属された。その配属は、県警のトップ層経由の意向として、直属上司になる大上章吾巡査部長の行動を監視するという密命を当初は帯びたものだった。
 配属後に従事した事件の捜査の渦中で上司の大上が死ぬ結果になる。それまでの1ヵ月余の期間に、日岡は大上の相棒として付き従って事件捜査に取り組んだ。大上の捜査方法に身近に接し、大上の事件捜査法と暴力団との関わり方を濃密に体験しつつ、そのやり方を客観視する。法とは何か。捜査の合法性は何か。法の規定の限界は何か。捜査のあり方は? 等々、戸惑い、思い悩みながらも、日岡は大上の手足となって事件捜査に関与していった。
 そして、大上を直属上司とする濃密な2ヵ月にも満たない捜査期間が、日岡の警察官としての生き様を方向づけることになる。

 この続編(シリーズ第2作?)は、1年前の4月に呉原東署捜査二課から、比場郡城山町の中津郷駐在所に、階級は巡査のままで異動させられた日岡秀一の境遇から始まる。大上を直属上司として携わった事件が一応の決着をみたところで、日岡がある事件の証人となる件に絡んで、体良く左遷されたのである。だが、結果的にその日岡が勤める駐在所の所轄地域に、広域の暴力団抗争の展開において重要な要因となる火だねを抱えていくことになる。日岡はその案件に半ば意図的に関わりを持っていく。それは、日岡自身が左遷された駐在所勤務から県警本体に返り咲く活路を見出す手段になると判断した結果でもある。勿論、日岡にとって大きな賭ともいえる。
 一体、どういう展開になるのかと興味津々で惹きつけるという巧みさなストーリー展開となっていく。

 事の発端は、四代目の座をめぐる明石組の分裂である。分裂当初は組を割った心和会側の勢力が優位だった。3ヵ月後に明石組が心和会に義絶状を出す。それを境に、半年後に勢力は逆転した。追い詰められた心和会側が、ヒットマンを送り、大阪府吹太市のマンションの地下駐車場で明石組トップを襲撃した。それにより、四代目明石組組長の武田と他2名が死亡する。その2名の中にナンバーツーの明石組若頭も含まれていた。
 史上最悪の暴力団抗争、明心戦争の幕開きである。
 暗殺部隊のリーダーは、心和会の本流、浅生組若頭・富士見と目され、その背後には心和会の常任理事で、北柴組傘下の義誠連合会会長・国光寛郎と考えられていた。警察は勿論、明石組もまた血眼になってこの2人の行方を追っている。併せて、明石組による報復戦が始まった。
 広域暴力団のトップ層が殺生されたら、何が起こるかのシミュレーション・ストーリーという要素ももつ展開となる。そこには利害・思惑が色濃くまとわりついていく。一方、暴力団組織内における人間関係の紐帯は何かを問いかけている側面も併せ持つストーリーとなっている。

 広島の叔父が亡くなり葬儀に出た日岡は、「小料理や 志乃」に女将の晶子への挨拶と食事に立ち寄った。食事を済ませたら中津郷に戻ると告げる。晶子は2階の客のことを日岡に話さなかったのだが、2階からの聞き覚えのある声を耳にし、日岡は晶子に尋ねた。晶子は仕方なく、尾谷組の二代目組長・一之瀬守孝が瀧井組組長・瀧井銀次とともに客を伴い来ていると告げる。その時、その客がトイレを使うために下りてきた。日岡はその男に見覚えがあると感じた。そこで、客が所用を済ませる間に2階に上り一之瀬に挨拶に行く。そして、トイレから戻って来た一之瀬らの客を改めて見つめる。その客が全国に指名手配されている国光寛郎だと気づく。その一瞬、手柄を立てれば、所轄へ戻れる、と日岡は思う。店を出て、バイクで去ろうとする日岡に、その客が自ら国光と名乗った。そして、国光はまだやることが残っているので、少し時間をほしいと日岡に言う。「じゃが、目処がついたら、必ずあんたに手錠を嵌めてもらう。約束するわい」と。これが日岡と国光の関わる契機となる。その国光の言を踏まえて、日岡はしばらく状況を静観する立場をとる。日岡は中津郷駐在事務所での日常業務に戻っていく。

 駐在所の巡回区域の一つである横手地区で、頓挫していたゴルフ場建設工事が再開される。ゴルフ場は、錦秋湖を取り囲む四天山の裾野を利用している。工事にはかなりの時間がかかりそうである。その工事現場に工事責任者として泊まり込むと国光が偽名で駐在事務所の日岡の前に、現れたのである。
 建設現場を隠れ蓑として身を潜め、国光は残していることをやるつもりなのだ。
 日岡は、日常の駐在事務所の業務をしながら、国光らの動勢を監視していくことになる。それは日岡と国光の関わりが少しずつ深まる始まりだった。
 二人の関係はどう進展するのか? 国光がやり残したこととは何なのか? 国光が日岡に手錠を嵌めさせるという約束は、本当に実現するのか? どのような形で?
 地域密着型の駐在事務所の警察官・日岡の日常生活を絡めながら、一方で、別世界の如くに暴力団の抗争・明心戦争が進展していく。

 この小説の構想が興味深い。
 プロローグは、真冬の北海道のとある刑務所で、受刑者と面会に行った男とが交わす会話場面から始まる。受刑者が兄、面会者が弟という関わりで、互いに「兄弟」と呼び合う間柄である。二人の話は、いくら墓の掃除をしても、鳥が糞をかけていく。その鳥はどこからきたのか、というもの。弟はその鳥がどこから来ているかを突き止めたと、その場所を伝える。これは何のことなのか・・・・、読者には判じ物めいている。しかし、そこには重要な意味が隠されていた。それが、一つのクライマックスに対する伏線となっていく。そういう話だったのかと、気づかされる。

そして、6章仕立てのストーリーが始まって行く。各章の冒頭には、「週刊芸能」平成2年5月17日号記事からスタートする緊急連載「ジャーナリスト山岸晃が読み解く史上最悪の暴力団抗争 明心戦争の行方」の内容がまず引用される。各章の冒頭でそれが回を重ねていく。読者は、その記事内容を通して、明心戦争がどのような状況、経緯にあるかを知ることができる。時間軸で見た抗争の進展経緯の整理要約を知ることができる。
 一方、各章での本文は、中津郷駐在所での日岡の日常が描き出されつつ、日岡と国光の関係が進展していき、日岡の日常と国光との関係が交差する接点が重なって行く。
 国光ですら想定していなかった事態の展開に発展する。国光の居場所について警察への通報が入ったのだ。だが、国光はその展開を逆に利用するようになる。そこに日岡が必然的に巻き込まれていく。
 しかし、その通報者について意外な事実が判明する。著者はそこにおもわぬ視点を加えていて興味深い。神心戦争という暴力団の抗争という文脈とは無関係の次元からの通報なのだから、おもしろい。

 駐在所生活の日岡は、「週刊芸能」の連載記事を情報源とし、暴力団の抗争という事態の進展経緯を自分なりに理解し、分析しているという状況がある意味でおもしろい。警察組織の駐在事務所は、県警本部の捜査四課が情報収集し把握している暴力団組織の状況認識とは無縁の存在なのだ。縦割り組織において、情報は流れてこない。一般読者と同じ週刊誌報道が、暴力団の実態情報からは無援の駐在所に投げ込まれた日岡にとっての情報源となっているという皮肉な実態がそこにある。

 この続編の興味深いところは、大上章吾の信念・立場とは違った観点から、大上の立ち位置とは異なる次元に日岡が踏み込んで行く結果となるプロセスが描かれるところにある。それは日岡が大上の精神を継承する決断をより鮮明にしたということでもある。それがどのような立ち位置なのかは、本書をお読みいただきたい。
 これが警察小説というフィクションの中だけで成立する事態なのか。実際の警察組織においてもあり得ることなのか、ということを考える材料としてもおもしろい。

 結果的に国光に手錠を嵌める立場になった日岡は、その後県警捜査四課に異動となる。そして、捜査四課の刑事として、国光が刑務所送りとなった後の暴力団組織の実態に挑んでいく。このストーリーでは、明心戦争のその後に日岡が刑事として関わる姿が描かれる。国光が敬愛した北柴組組長・北柴兼敏が服毒死するという事件が発生したことに関連する。服毒死の謎の解明である。それは警察における刑事の捜査の限界とも絡む状況を扱ってもいておもしろい。

 このストーリーは、平成2年という次期の設定に、一つの大きな意味があるように思う。それは平成4年3月に暴力団対策法が施行されたことに関係する。暴力団の世界が大きく変貌しようとする時代の前夜を描くということ、そして新法の施行が新たな問題を生み出していくということ、これらをマクロの視点でとらえるということが、著者の設定したサブ・テーマではないかという気がする。

 エピローグは、ふたたび北海道の旭川刑務所に戻る。所内の作業場で殺生事件が起こる。エピローグの末尾は次の一文で終わる。

 「親の仇を討った男を見やる眼が、にやり--と、笑うように歪んだ。」

 最後にこの続編のタイトルに触れておきたい。
 刑事に戻った日岡は、覚せい剤取締法違反の容疑で現行犯逮捕した男から、「頬に斬り傷か。外道らしい面しやがって」と捨てぜりふを投げられる。その言葉に対して、「刑事という名の極道だ。国光同様、目的のためなら外道にでもなる”凶犬”だ」と日岡が自己分析するシーンが描かれている。本書のタイトルは、ここに由来すると思う。

 この続編は、”凶犬”と己を位置づける日岡シリーズの出発点になるのだろう。いずれ第3作が発表されることを期待したい。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』  講談社
『蟻の菜園 -アント・ガーデン-』 宝島社
『朽ちないサクラ』  徳間書店
『孤狼の血』  角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社

『聖地巡礼 ライジング 熊野紀行』 内田樹×釈徹宗  東京書籍

2018-09-10 14:17:32 | レビュー
 聖地巡礼シリーズとしとして、第1作はまず、大阪・京都・奈良が取り上げられた。
 そうなると、近畿地方では、「熊野」という聖地が俎上に上るのは必然である。ということで、この第2作は、「熊野紀行」と副題が付いている。「紀伊山地の霊場と参詣道」が2004年7月7日に世界遺産(文化遺産)に登録された。その登録範囲の中に、熊野三山と熊野参詣道が入っている。熊野参詣道というより、熊野古道の通称の方が親しまれている。今、熊野古道を巡ることは一つのブームにすらなっている。熊野とは何か? このことを考える情報として、読みやすさと入りやすさからはタイムリーな企画本でもある。

「まえがき」で釈は、聖地巡礼のテーマは「場と関係性」であり、宗教性が高い場所に赴き、「そこで展開されている儀礼行為や舞台装置」に着目し、「その場に関わってきた俗信や習慣、権力や政治的な要素も合算して全体像に向き合おう」というスタンスで臨むとしている。つまり、場に臨んで著者二人が己のアンテナで感じ取ったことが、様々な連想発言として織り込まれていく。熊野の宗教性についての基礎知識を釈が解説していく。熊野という場所を訪ねるのが初めてという著者達のサポートとして、2人のナビゲータ(辻本雄一・森本祐司)がサポートし、熊野そのものについての説明役も兼ねていく。内田は釈の解説とナビゲータの説明を踏まえて、現地で得た霊的直観をベースにその場での考えを自由に発言していく。その言説がかなり即興的に広がって行く。読者には、その即興的仮説発言が、そういう見方もできるのかというおもしろみとなっていく。その一例が「熊野はバリだ」という直観的発言であり、その関係性をどこに見出したのかが、蕩々と語られている。こういう発想のしかた自体がおもしろい。

 熊野本宮大社に至る熊野古道には、大辺路・中辺路・小辺路・大峰奥駈道・伊勢路がある。この聖地巡礼では、和歌山の田辺から中辺路を経由し本宮に至る巡礼コースが利用されている。
 第1日目が「聖地の中枢へ ~熊野古道をめぐる~」としてまとめられている。
 滝尻王子⇒発心門王子⇒船玉神社⇒熊野古道⇒熊野本宮大社⇒大斎原、と辿られる。
 ここで、滝尻王子をスポット的に訪ねた後は、中辺路を発心門王子までバス移動し、発心門王子から先の熊野古道が歩かれた記録である。一日目は湯の峰温泉に泊まり、そこで釈による法話とその後の対談が行われている。
 第2日目が「なぜ人は熊野に惹かれるのか?」と題してまとめられている。
 熊野に惹かれる原因を考えるためには、熊野にある名所を巡礼せずには語れない。そこで、2日目は広い地域に点在する場所を巡るため、付記のない矢印箇所はバス移動となっている。
 湯の峰温泉⇒神倉神社⇒花の窟神社⇒(徒歩)⇒産田神社⇒那智の滝(那智大社・青岸渡寺)⇒補陀落山寺
 この聖地巡礼では、新宮に所在の熊野速玉大社はその対象に入っていない。
 
 この2日間の熊野紀行での著者たちの総論は、近代的知性の宗教概念で熊野を読み解くことはできない。熊野の宗教性は近代的自我では太刀打ちできないスケールであり、様々な要素が重層化し習合している場所である。あらゆるものを排除せず同一化する力学が働く場所だというところだろうか。それ故に、対談での言説が収斂ではなく、拡散・拡大しがちになっていく。そこから本書を読む楽しさが生まれてくるとも言える。

 この熊野紀行の対談と法話お中から、熊野が人々を惹きつける背景となる事象・事項の一端を抽出してご紹介しよう。これらの要素を含む総体としてのスケール、熊野の時空の懐の深さが人々を惹きつけるのだろう。
*熊野詣では中世までは日本最大の「回遊型」巡礼であり、九十九王子という小規模な聖地巡礼の先に、熊野三山という複合的な性格の目的地がある。
*熊野三山が祀る神はそれぞれ異なる。
*熊野は本地垂迹説を早くから受け入れた神仏習合の地である。
*熊野は修験道の聖地。陰陽道、儒教、道教なども融合している。
*熊野の「土地の信仰」という古層の上に、神道的宗教性、仏教的宗教性、その他が重層し、共生し、習合し、この地に馴染んで行った。宗教の境界が融ける地である。
*熊野は「信不信を選ばす、浄不浄を嫌わず」。和泉式部のエピソードがある。
*英気を養い、何か大事を果たす前のエネルギーの充填、野生の霊気を浴びる場所。
*かつて熊野比丘尼という芸能民的宗教者により熊野の信仰が全国に流布された。
*九十九王子は海民系の信仰と思われ、「王子」は沖縄の言葉で、ポリネシア語に繋がるとか。王子は聖地中枢への中継ポイントになっている。
*花の窟神社、神倉山、那智の滝は、沖合からの山立てのランドマークだった。
*黒潮文化圏の一箇所であり、海洋他界信仰、補陀落山渡海信仰が存在する土地。
*熊野はロゴスはなく、パトスの横溢する土地。
*大斎原の自然景観は母体回帰を連想させるたたずまいである。母性原理的な空間。
*熊野古道は聖地の中枢に行くプロセスとして段階的に霊的な濃度が上がっていく。
*神倉山は山岳修行の場であり、もとは産鉄系の金属を扱う集団の居住地。
*神倉神社のお燈祭りには、祭りの開放性がある。誰でも参加できる宗教的な共同体を立ち上げるための装置として機能する。
*神倉神社の階段は、軽いトランス状態に入るための装置になっている。
*もともとも熊野は照葉樹林文化圏。花の窟神社付近は典型的な照葉樹林域にある。
*産田神社は靴を脱いで参拝が必要。玉石を踏み、足裏で五感を活性化するしかけ。
*那智の滝はトランス・スポットである。
*熊野には旺盛な「受容性」がある。

他にもいろいろな惹かれる原因が対談の中で語られていると思うが、本書を広げて考えていただくとよいだろう。

 最後の第3章では、第1回の大阪の上町台地巡礼からこの第4回熊野紀行までのおさらいとしての対談となっていて、この後どこに行く? という話が出てくる。この中で、「隠れキリシタン」からみで、第3作が既に出版されている。
 対談の中では、津和野、佐渡、出羽三山、四国などがアイデアとして出ている。現時点では、第3作の後は出ていない。どこが取り上げられているのだろうか・・・・。私には第4作が心待ちである。

 この読後記の最後として、共著者の一人、内田が本書の末尾近くで、「でも、日本って歓待の文化はあまり根づいていないですよね。イスラムに比べたら・・・・」という発言をしているのが、興味深い。ここでの発言はイスラムとの比較であり、掘り下げた発言まではなされていない。能の『鉢の木』の事例の側面だけが語られている。今、よく言われている「おもてなしの文化」とはどういう繋がりになっていくのか。「聖地巡礼」とは離れるが、考える材料としてご紹介しておきたい。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関係する事項をネット検索してみた。一覧にして置きたい。
熊野古道  :「熊野本宮」(熊野本宮観光協会)
  熊野古道ウォークコース
熊野古道・高野参道を歩く モデルプラン :「わかやま観光情報」
熊野本宮大社 ホームページ
熊野那智大社 ホームページ
熊野速玉大社 ホームページ
  摂社神倉神社
和歌山県世界遺産センター ホームページ
【熊野参詣5】 なぜか落ちない神倉神社の巨岩 & 凄絶な補陀洛渡海 :「4travel.jp」
世界遺産 花の窟 ホームページ
産田神社 :「観光のごあんない」(熊野市観光公社)
那智の滝 熊野の神域・那智  :「南紀熊野 那智勝浦観光ガイド」
那智山 西岸渡寺 熊野の神域・那智  :「南紀熊野 那智勝浦観光ガイド」
補陀洛山寺(ふだらくさんじ) 熊野の神域・那智:「南紀熊野 那智勝浦観光ガイド」
補陀洛山寺 :「日本風景街道 熊野」
鉢 木 (はちのき)
『鉢木』を勤めて ―能の謡に芝居心を―  :「粟谷能の会」
能「鉢木」:北条時頼の廻国伝説  :「壺齋閑話」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


次の著書も読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『聖地巡礼 ビギニング』 内田 樹×釈 徹宗  東京書籍
『聖地巡礼 リターンズ』 内田樹×釈撤宗  東京書籍
『現代霊性論』 内田 樹・釈 徹宗  講談社

『街場の戦争論』 内田 樹  ミシマ社 

『ブツダの伝道者たち』 釈 徹宗  角川選書
『不干斎ハビアン 神と仏を棄てた宗教者』 釈 徹宗  新潮選書 


『青嵐の坂』  葉室 麟  角川書店

2018-09-06 14:02:30 | レビュー
 奥書を読むと、「小説 野生時代」の2016年4月号~2017年1月号に連載され、著者が逝去した翌年となる2018年5月に単行本として発行されたことがわかる。遅咲きの作家が晩年に書き終えた数冊の小説の中の一冊である。
 
 5年前に城下で起きた「お狐火事」を大きな原因として、扇野藩の財政が破綻寸前となる。この時代小説は、藩財政の建て直しにまつわる藩内の確執を経て、建て直しの方策を確立するまでの物語である。
 藩内の財政建て直しについての構図は常套的図式から始まる。城下の有力商人と結託する筆頭家老と次席家老らの思惑と、藩主千賀谷定家に抜擢され藩政改革を推進する檜弥八郎の考えとの間での確執である。弥八郎はもと30石の軽格だが、才腕を振るい郡代にまで昇り、700石の身分となっていた。その力量を認め藩主定家が弥八郎を中老に登用し藩政改革に当たらせる。弥八郎は藩の倹約をはじめとして、様々な方策を推し進め、年貢の取り立てを厳しくし、専売制を敷く方策をとった。その結果、農民の収入源、逃散が出るようになる。弥八郎は改革の実績を上げるために、大坂に出張し2万両の借り入れを図った。だが、弥八郎の藩政改革は藩内の人々に「黒縄地獄」と呼ばれるようになる。
 そして、弥八郎は金子10両の賄を受け取ったという罪状を、筆頭家老・次席家老の一党に作り上げられて、失脚する。6人の執政による評定結果を藩主定家は承諾する。その結果、弥八郎は切腹を命じられ、見事に切腹して果てる。
 
 弥八郎は執政とのやり取りと切腹に臨む際に、いくつかの謎めいた発言をしている。
 「改革を妨げるのは、これまでの執政である。執政の首を切らずに改革は成し遂げられぬ。そのことをあの者に伝えてやりたいものでござる」
 「ご安心あれ、それがしのかような始末を知れば、あの者も身を挺して改革を行おうとはしますまい。その方があの者にとっても幸せと申すものでござる」
 「もはや、この世をおさらばするかと思えば、何やら気が晴れるばかりでござる」

 なぜ現在の執政を解任する必然性があるのか? 弥八郎の失脚後、藩の破綻を面前にしたとき弥八郎を継ぐのは・・・と弥八郎は思いを巡らしあの者であろうかと想定したのだが、「あの者」とは誰をさすのか? なぜ、切腹にあたり、弥八郎は「何やら気が晴れるばかり」とつぶやいたのか?
 これらの「なぜ」が、このストーリー展開の根底に横たわっていく。弥八郎の藩政改革が人々から黒縄地獄と呼ばれたことが基盤となって、藩政改革の第二段階に入る。それは、藩主定家が世子仲家に家督を讓ることから動き始める。それまで江戸屋敷住まいだった仲家は帰国すると親政を行いたいという意思を持っている。
 弥八郎には、慶之助という息子がいたが、伶俐な性格の慶之助は父のやり方に批判的であり、そりが合わず、江戸に遊学していた。そして世子仲家からその力量を見込まれるようになっていた。仲家は家督を継ぎ藩主になれば、慶之助を側近として使い、自ら藩政改革を推しすすめる肚があったのである。弥八郎が切腹した後、檜家は家名存続を憚り慶之助の家督相続をしていないので、敬之助は形式的には部屋住み身分だった。そして、仲家の近習のようにして仕えながら、慶之助は己の思い描いた藩政改革案を仲家に「夢の名残 御救方仕組書」として提出していた。

 弥八郎が切腹を命じられたとき、弥八郎の妻は既に病没しており、国許には13歳の娘那美だけが残された。那美は藩の指示として親戚預けとなるのだが、檜の親戚中で最も貧しい矢吹主馬に預けよというものだった。矢吹主馬は郡方25石という軽格であり、25歳で独身だった。親戚の老人は、主馬は偏屈な変わり者で将来の出世も覚束ない者とみていて、那美にそう告げたのである。那美は軽格で独身者の変わり者の家に預けられることを覚悟せざるを得なくなる。

 弥八郎は郡代だったとき、主馬は村々を回るときの伴をしてきた。その主馬は部屋住みの頃に、藩の改革について建白書を作成し提出していたのである。それを真っ先に読んだのが弥八郎であるが、弥八郎は己の裁量でその建白書を封じ、お蔵入りにしてしまった。
 主馬は郡方に回され、弥八郎から、村廻りをして、30年前の飢饉の記録について調べるようにと指示を受ける。この飢饉には、「白骨おろし」という呼び名が付けられていた。だが村人は誰も「白骨おろし」の意味を語ろうとはしなかった。そこに、大きな謎が含まれていた。調べて行く過程で主馬はその意味を理解しはじめる。そして弥八郎が若き時代に白骨おろしとの接点を持っていた事実が明らかになってくる。

 この矢吹主馬が、藩情勢の紆余曲折を経て、仲家が藩主として帰国すると、藩政改革の矢面に立って行動しなければならない立場に追い込まれていく。ここから本格的にストーリーが展開していくことになる。 

 このストーリーを起承転結の観点からみると、大凡次の展開と言えよう。
起:財政の破綻寸前に弥八郎が藩政改革を断行するが、失脚し切腹するまで。
  それは扇野藩の藩状況の実態説明であり与件となる。弥八郎の意図の謎の提示。
承:弥八郎を継ぐ者を選ぶ上で、藩内政治環境の変化要因を明らかにする。
  主導権を握ろうとするそれぞれの事情を明らかにしていく。対立図式の明確化。
  主馬がかつて構想した建白書と慶之助の「夢の名残り」の内容は如何なるものか。
転:矢吹主馬が対立する双方の思惑を背景に、藩政改革の主導者に抜擢される。
  筆頭家老ら一党の思惑、藩主仲家と慶之助の親政の思惑、弥八郎の遺志の三つ巴。
  抜擢された主馬が、己の意思で藩政改革を進めるために障壁を越える闘いを描く。
  例えば、商人側は主馬を色仕掛けで自分たちの仲間に引きずり込もうとする。
  一方、筆頭家老は、慶之助を腰砕けにする弱みとなる秘密を握っていると言う。
結:主馬が藩政改革として、藩札発行という構想を実現する苦闘のプロセスを描く。
この「転・結」の展開プロセスが読ませどころとなる。

 この小説のおもしろみはいくつかある。
*常套的な悪の枠組みを下敷きにしていること。身分制重視の家格に胡座をかき、藩の財政窮状の中にあって、藩内有力商人と結託し、私腹優先で動く筆頭家老をはじめとする輩の登場。藩内の有力商人が資金的には大坂の商人の傀儡になっている。このあたり、貨幣経済の浸透と商人の台頭が背景要因となる。商人が金の力で小藩を陰で乗っ取ろうと画策するところがおもしろい。
*身分制度を重視する幕藩体制にあって、その一方で扇野藩には藩主二代にわたり、能力のある軽格の家臣でも、抜擢して藩政改革を担当させるという気風があるという設定がおもしろい。
*軽格の矢吹主馬が藩政改革の主導者に抜擢される。その主馬は身分制に縛られず、胆力と信念を備えた若者として描き、活躍させていくストーリー展開がおもしろい。
 主馬は家格と職位の高い執政達の身分に敬意を払うしぐさをとりつつ、適度にあしらい、言質を与えずに、己の信念・考えを遂行するという行動力を発揮していく。主馬と執政たちとのやり取りがおもしろく描かれて行く。
*矢吹主馬は、抜擢されるにあたり、預かっていた弥八郎の娘・那美と結婚し、家督が継がれていなかった檜家を継承していく立場になる。主馬と那美の関係がおもしろい。
 このストーリーの展開の中で、実に興味深い夫婦愛の関わり方が紡ぎ出されていく。
 主馬と那美との祝言の話が出たあとに、主馬が那美に次のことを告げるとことから始まるのだから。
 「主馬は祝言をあげることがさほどにお嫌なのでございますか」
 「いや、そうではない。ただ、わたしが檜弥八郎様の跡を継げば、やらなければならないことがある。そうなると、安穏な道は歩けまい。それゆえ、那美と真の夫婦になるわけにはいかぬ。祝言はあげても、他人のままでいるしかないのだ」(p80)
*藩札発行という仕組みの一端がわかるという点が興味深い。また、藩札発行の準備プロセスで、藩内の有力商人を陰で牛耳っている悪逆な大坂商人の枡屋喜右衛門が、主馬の面前に登場する。その時に主馬が、喜右衛門に「おのれ、悪逆非道な-」と思わず叫ばせることになる展開もおもしろい。

 この小説、藩政改革をテーマにしている。弥八郎の藩政改革を、結果的に主馬が引き継ぐことになる。それは弥八郎が見聞・体験した30年前の「白骨おろし」に回帰していく。さらに、弥八郎の信念「わしは藩札を発行するために最も大切なことは御家への信だと申した」に帰着する。「信」とは何か、をこのストーリーは問うている。

 主馬が弥八郎と同じ道を歩む決意する。そして主馬が那美に語る言葉の中に、「嵐の吹き荒ぶ坂を上っていくようなものだが」という一節がでてくる(p93)。本書のタイトルは、ここに由来するように思う。吹き荒ぶ嵐の坂を上りきり、嵐が鎮まれば、その先には青々とした空が輝きを取り戻す。そんなイメージだろうか。

 最後に、著者が主馬に語らせたことから2つ引用しておきたい。
「政を行うということは、いつでも腹を切る覚悟ができているということだ。そうでなければ何もできぬ」(p230)
「政は民の信頼があってこそ成り立つのだ。武士と百姓、町人が力を合わせなければ藩政の改革などできぬ」(p270)
 この2つを著者は主馬に語らせている。この言は主馬を介して、著者が現在の政治家や行政を司る高級官僚に対して、シニカルに問いかけている言葉とも受け止められる。この小説で言えば、扇野藩の筆頭家老や次席家老という輩と同列に堕してはいないか、という問いかけである。
 この小説の「白骨おろし」というキーワードは、アナロジーとして、少なくともこの30年間の平成時代に発生した事象と重ねてみることができるように思えてならない。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書を読み、関心が湧いた事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
藩札 :「コトバンク」
藩札 :ウィキペディア
藩札研究史覚書き  村田隆三氏

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その点、ご寛恕ください。)

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『随筆集 柚子は九年で』  文春文庫
『天翔ける』  角川書店
『雨と詩人と落花と』 徳間書店
『古都再見』   新潮社
『河のほとりで』  文春文庫
『玄鳥さりて』  新潮社
『津軽双花』  講談社
『草雲雀』  実業之日本社
『日本人の肖像』  聞き手・矢部明洋   講談社
『草笛物語』  祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26

『聖地巡礼 ビギニング』 内田 樹×釈 徹宗  東京書籍

2018-09-02 10:45:31 | レビュー
 『聖地巡礼 リターンズ』の副題に関心を抱き読んだ。先般ご紹介している。その時、これがシリーズで発行されていて第3作と知り、私は逆に第1作にリターンすることにした。
 「まえがき」で、既に第3作を読み感じていたことが「理由」として記されていた。本書が第1作なので、この「ちょっと変わった対談本」のその変わったと感じさせる理由にふれておこう。1)著者たちの対談の90%は、聖地巡礼の移動途中の車中や歩行中と神社仏閣を巡りながらの対談がベースとなっている。2)一日の聖地巡礼終了後、釈の法話(/講話)と内田・釈両人の短いやりとりのまとめがある。3)「聖地を歩く」という実践の記録になっている。4)巡礼部(二十名余の参加者)と称されるグループがこの聖地巡礼に同行し、法話(/講話)後に多少の質疑・意見交換のセッションが組み込まれ、記録化されている。巡礼部は「3人目の著者」とも言える。
 そのため、この「聖地巡礼」の目的は、「霊的感受性を敏感にして『霊的なものの切迫を触覚的に感じること』」(p4)に置かれたという。この対談集は、とりあえずの「時間つぶし」対談と「ひとつの主題について徹底的に掘り下げる」対談の中間あたりの位置づけ内容になっている。巡礼地について、基本的でまあ最小限の背景知識について、釈が情報提供し、内田がそれに関連して、多少の感想や確認、疑問、突っ込みを入れる。内田・釈が聖地に立ち、見て・感じたことが主観的な感性発言として発せられ、記録されている。聖地における「霊的なものの切迫」を著者達が感受して、発したことの記録への興味やおもしろさが溢れているともいえる。読者は現地に赴いてみないとその実感を論じられない。勿論、その聖地に足を運んだからと行って、同じレベル・次元の感性でそこに佇めるかどうかは別物である。一方で、著者達が現地で何を見て、そう発したのかの一端のヒントをえることにはなるだろう。
 つまり、著者が選び出した「聖地」への巡礼のガイドになる。そのプロセスを机上で楽しみながら背景知識を得て、比較的気楽に読め、読みやすい対談集になっている。

 本書は「ビギニング」ということからか、まずは近畿のど真ん中の聖地巡礼を取り上げている。つまり、大阪・京都・奈良という3章構成になっている。読後印象も交えて、各章への導入として、ご紹介してみたい。

第1章 大阪・上町台地
 「かすかな霊性に耳をすませる」という章見出しは反語的ですらある。つまり、聖と俗があまりにも混雑していることによる。お寺の隣りにラブホテルという場所もあるとか、都市計画なき雑多なビル林立の景観へと様変わりしているなどの実状による。大阪人の釈が大阪を批判的に語るスタンスがおもしろい。東京人の内田の発言もそれに輪をかけている感じである。
 この大阪編では、釈自身が、「実はここは歩いても聖地という感じはあまりしません。むしろ、雑多といいますか、いろんなものがごちゃごちゃしている。ですから、こちらのアンテナがよくないとなかなか拾えません。」と。聖地巡礼のビギニングとして、聖地に対する「感度を高めるために、あえてこの場所を選ばせていただきました」(p43)と初っ端で述べている。そして、かつて古い時代には上町台地の一部として砂州のように延びていた土地、そこが大阪天満宮あたりであり、ここを起点に上町台地の北から南へと聖地巡礼を行うという趣向である。本書でも、各章の冒頭にイラスト図と行程が明示されている。巡礼の全体が冒頭でわかる利点がある。ここでは、

 大阪天満宮⇒難波宮跡公園⇒生國玉神社⇒合邦辻(がっぽうがつじ)⇒四天王寺

という順路で進行し、移動しながらの対談内容がまとめられている。感性発言、印象発言が合いの手として頻繁に入る。それゆえ、おもしろいし、気楽に読める。また、ああ、ここでこんな風に感じるのは同感という俗っぽい発言もまた楽しい。一方で、釈の解説する背景知識については各章に通じるが、知らなかった基礎知識部分も数多くあり、参考になった。例えば、菅原道真の神号が「天満大自在天神」というのは知っていたものの、「天満」の意味を考えたことはなかった。これについて「これまでは無実の罪で流された道真の『瞋恚の炎が天に満ちた』意味だといわれてきましたが、大阪天満宮文化研究所の髙島幸次先生は、『満天の星』のメタファーだと説かれています。『天に満ちて自由に移動する天の神様』というわけですね」(p45)と最初に出てくる。道真は太宰府に赴く途次、ここに祀られていた大将軍社に参ったのですが、のちにそこに天満宮が創祀されたとか。そして、「大将軍社は、飛鳥時代に長柄豊碕宮ができたときに、その西北を守るための神事が起源」(p53)でああり、大将軍社は星辰信仰に関係していると。この事も初めて知った。
 ここに天満宮が創建されるきかけは、道真が参った大将軍社の前に、道真の死後一夜にして松七本が生えたという伝承によるという。だがそれは平安時代中期に、西日本の植生がそれまでの照葉樹林文化から針葉樹林文化に変化する時期でもあり、松はそれまでの照葉樹林文化での神道と天神信仰との差異を強調するシンボルに使われたと解説する。当初、道真の怨霊という形で反体制的な側面を持った天神信仰もまた神道に吸収されていく。「勧請」という行為を通じて、時代に応じ「上書きされ続ける神社」という見方が興味深い。「のち室町時代には、新しく中国から入ってきた禅が、太宰府で天神信仰と接近したため、中国人の好んだ梅が天神信仰のシンボルになっていきます」(p56)という点も、菅原道真と梅の関係に、一石を投じていて、おもしろい。
 こういう風に、上町台地を四天王寺まで行きつく過程での対談は、基本的な背景から話は壮大な文化論や東西の宗教にも展開していき、発想の広がりを楽しめる。一方で、ちょっとした話題に関連した豆知識がポンポン飛び出してくる。例えば、鬼は疱瘡の象徴で病気にかかったときの赤い顔。野口雨情の「船頭小唄」は海民の歌(鎮魂歌)。日本列島は日没を見る文化圏。夕日は宗教性に直結し日想観に結びつく。信長が大坂本願寺との戦いに手こずったのは相手が特殊技能民の集団(一例が雑賀孫市)だったから。我々の空間認識は南北のラインをまず決めて次に東西のラインを決める等々。この拡がりは、現地を歩きながらの対談故の連想でもあるからだろう。
 第1章で一つの仮説が提示されている。縄文海進期のときに海水が低地を覆い、台地が海に突き出した岬は、海と陸とが交わる場所であり、そこは異界と現世の境である。そして異界と交流できるゲートが開く特権的なトポスである。そしてそこが聖地になると。
 上町台地の場合は、それらの場所が、大阪天満宮、大阪城(大坂本願寺趾地)、難波宮跡、生國魂神社、四天王寺に相当するそうである。生國魂神社は、もとは上町台地の土地神である「生島(いくしま)」「足島(たるしま)」を祀っていたのであり、それは日本列島の土地神ということにもなるという。四天王寺の西門は、夕日を見つめる日想観が行われた場所でもある。
 第1章では、四天王寺の西門の向こうに沈む夕日の写真が末尾1ページに掲載されているのが印象的である。

 第1章で本書のイメージはおわかりいただけるだろう。以下、簡略に記す。

第2章 京都・蓮台野と鳥辺野 異界への入口
 ここで、「異界」というテーマが掲げられている。「異界への入口」とは、生と死の境界線である。つまり、古代からの葬送地の入口となった場所並びにかつての葬送地の現在の実状を歩いて感じ取るということが目指される。その行程は、

 船岡山⇒千本ゑんま堂⇒スペースALS-D⇒六波羅密寺⇒六道珍皇寺⇒大谷本廟

 船岡山は平安京をデザインするときに基点としたという説のある場所。繰り返し戦場となった場所でもある。山頂には磐座があり、聖なる場所として扱われてきた。秀吉がここを信長の廟所に定めた。その理由の推測がおもしろい。本書を読んでいただくとよい。建勲神社の創建は明治天皇の決定による。千本ゑんま堂は葬送地蓮台野の入口である。六波羅密寺では空也像を論じ、六道珍皇寺では小野篁を論じている。小野篁を「壁抜け系」の人ととらえて対談が進展していておもしろい、大谷本廟では、その東の死者の谷・鳥辺野の景観や清水寺のほんとうの姿が論じられる。この章で異色なのは、全身の筋肉が麻痺する神経難病、ALSが発症した甲谷さんが24時間体制の介護を受けながら暮らす「スペースALSーD」という町家を訪ねることにある。甲谷さんが「出家モデル」と自称する生活保護スタイルでの介護体制の実状を見聞する機会が組み込まれている。強烈な生と死の狭間にある難病発症者の生き方の見聞体験である。
 この日の法話にある印象的な文を2つ紹介する。
「あらゆるものがつながっているという立場に立つことで、人は人生の苦しみを引き受けて、生き抜くことができるんです。」(p230)
「外に賢善精進を現して、内に虚仮を懐くことを得ざれ」(善導の言、p231)

第3章 奈良・飛鳥地方  日本の子宮へ
 この奈良では「源流」をテーマとし日本の源流をたどる聖地巡礼の旅が目指される。その行程は、
      橘寺⇒大神神社⇒三輪山登拝  である。
 
 橘寺は聖徳太子誕生の寺という説がある。他にも説があるそうだ。その聖徳太子が3日間この寺で『勝鬘経』を講義したという。そして、釈は、聖徳太子が最初に重視し、自らも講義した『勝鬘経』『法華経』と『維摩経』が日本仏教のその後の方向性を決めたような気がすると論じている。「普通の生活の中に仏道がある」という方向性である。
 三輪山登拝の現地での内容は写真にも文字できない場所。勿論、本書には登拝前までと下山後のことが記されるのみである。「三輪山登拝のルール」が1ページを使い載せられている。まさに、聖地中の聖地なのだろう。その感覚は登拝体験者にしかわからないものだろう。そこには、「世俗的なものの侵入を許さないという、そういう強い意思を感じるんです」(p300)と内田は語っている。
 「日本の子宮へ」という見出しに釈が込めた思いが、この日の講話の最後に語られている。p298をお読みいただくとよい。
 最後に、巡礼部の人々も交えた対話の中で、内田が大阪、京都、奈良という3地域の霊的側面の状況を端的に表現している。これも本書を開くための関心として残しておこう。p309~310に記録されている。

 ここで取り上げられた聖地の背景知識を学びながら、おもしろく机上巡礼のバーチャルモードで楽しめる本である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関係する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
大阪天満宮 ホームページ
府内の史跡公園等の紹介【難波宮跡(難波宮跡公園)】:「大阪府」
生國魂神社|大阪|実は凄い神社だったんだね!日本国土の守護神を祀る古社は、癒しのパワースポットだ! :「古の都」関西の神社・パワースポット巡礼
生國魂神社  :ウィキペディア
摂州合邦辻  :「コトバンク」
和宗総本山 四天王寺 ホームページ
極楽浄土を観想する四天王寺の日想観  :「OSAKA PHOTOS」
日想観  :「コトバンク」
建勲神社 ホームページ
  船岡山について
昔は怖かった船岡山  :「京都観光旅行のあれこれ」
千本ゑんま堂引接寺  ホームページ
蓮台野  :「コトバンク」
六波羅密寺  ホームページ
六道珍皇寺  ホームページ
大谷本廟(西大谷) ホームページ
鳥辺野  :「コトバンク」
橘寺  ホームページ
新西国第十番 橘寺 :「古墳のある町並みから」
三輪明神 大神神社 ホームページ

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次の著書も読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『聖地巡礼 リターンズ』 内田樹×釈撤宗  東京書籍
『現代霊性論』 内田 樹・釈 徹宗  講談社

『街場の戦争論』 内田 樹  ミシマ社 

『ブツダの伝道者たち』 釈 徹宗  角川選書
『不干斎ハビアン 神と仏を棄てた宗教者』 釈 徹宗  新潮選書