だいぶ前にこの本のことを知り手帳に書名をメモしてはいた。内田樹・釈撤宗の共著『現代霊性論』を読んで、この本を読んでみる気持ちにはずみがついた。
不干斎ハビアンは、桶狭間の戦いの5年後、1565(文禄8)年ごろ北陸あたりで生まれ、1621(元和7)年に長崎で死んだという。彼は元禅僧で、キリシタンの道を歩み、そのキリシタンすら1608(慶長13)年に棄教し、晩年は長崎奉行長谷川権六に協力し、キリシタンの取締りに協力した人物だという。宗教という観点で、あの時代にこれほど凄まじい生き様・変転をした人物がいたことにほんとびっくりした。
ハビアンは、キリシタン護教論として『妙貞問答』(上・中・下の三巻)を書いた。そしてこれを教材にして指導したという。妙秀と幽貞という二人の尼僧が対話する形式で、諸宗派の違いを論じキリシタンの教理の優越性を語る。妙秀が自分の持つ疑問点や思いを幽貞に質問し、幽貞がそれに回答をするという形である。それはハビアン自身のキリシタンへの改宗にいたる宗教上の疑問点や思いに対し、自らが分析し考え築き上げた解で答えるという自問自答のプロセスを、二人の尼僧の役割に二分し託したといえる。
「上巻」は仏教の基本理念、日本の仏教各宗派の特徴が要約される。倶舎、成実、律宗、法相、三輪、華厳、天台、真言、禅宗、浄土宗、一向宗、日蓮宗をことごとく俎上にのせ論じているようだ。「中巻」は儒教と神道を対象にした対話が続く。「下巻」はキリシタン思想の特性が語られ、その宗教としての優位性が説かれる。著者は、対話の原文を掲げ、それを現代語訳にしながら論点を整理して、ハビアンの主張点を明瞭にしていく。
日本の諸派仏教の概念すらほんの一部を見聞しているにすぎない私には、諸宗派と儒教・神道まですべて取りあげて論じること自体が驚異的である。
第一章では、ハビアンのプロフィールが語られ、第二章では『妙貞問答』の骨子部分がまとめらている。ハビアンの観点で書かれたという制約があるけれど、論旨がすっきりしているので仏教・儒教・神道の基礎概念についてその要点を理解する上で役立つともいえる。
この書では、様々な研究者・論者のハビアン観を紹介している。それを読むとハビアンの著作に対する価値評価には否定的なものから肯定的なものまで大きな幅がある。それだけ、一筋縄では捕らえがたい人物なのだろう。著者は各研究者・論者の意見を引用しながら、自らの視点を提示し、自らの見解と賛否を述べている。多視点の紹介は、ハビアンという人物への興味・関心を一層抱かせる材料になる。
第三章で、著者はハビアンがあの時代の卓越した比較宗教論の研究者だったと捉えている。ハビアンが「影響比較」「対比比較」という研究手法を使い、「キリシタンが他の宗教よりも優位であることを前提にして、そこへと帰納するための比較」を行ったと分析する。そして、ハビアンの仏教論、儒教論、神道論を再整理している。
ハビアンが「仏教」の要諦は「同一化」にあると考え、「無」「空」の一点へ帰着する宗教と断じ、来世の救済は成り立たないと論証したという。儒教論は朱子学を骨子として論じ、実践倫理的態度を評価しながらも、「造物主」がいない故に「救済」が成立しないと論じた。神道論は、吉田神道をメインラインにして論じ、神道の神が人間と変わらない相対的存在だと論を展開していると著者は分析する。
これを読むと、ハビアンが如何に幅広く諸宗教を研究してきた人物だったかを感じることができる。ハビアンは、「相対概念しかない宗教」を遺棄し、「絶対神」をもつキリシタンの教理と救済原理に魅了されたようだ。そして、今までの宗教になかった「存在論」「生命観」にハビアンは引きよせられたらしい。
第四章は、ハビアンと林羅山の宗教論争に触れている。林羅山の書き残した書により論争の経緯を説明しているが、論点がかみ合っていないという分析と林羅山の文書だけによる分析の限界を明確に論じているのがおもしろい。「このような噛み合わなさこそ、宗教を比較研究するてがかりなのである」(p160)と著者が述べている。そいういうものなのかと思った。
第四章の後半で、ハビアンが林羅山と対面し論争した二年後(1608年)、突如としてキリシタンを捨て、ひとりのベアタス(清貧、貞潔、従順を守る女性の修道請願者)と共にイエズス会を脱会し行方をくらました事実とその謎を取りあげている。まず諸研究の見解を列挙する。「不平不満」説、「信仰浅薄」説、「思想転向」説、「そもそもそういう宗教者」説、「日本征服」説の影響、などがあるようだ。筆者は、「教団の扱い」と「女性問題」がハビアンの主要因であるとしながら、さらにダブルバインドという閉塞状況からのブレークスルーという視点を提示している。いろいろ見方があるものだ。
第五章で著者は『破提宇子』に言及する。ハビアンは死ぬ前年(1620年)に、キリシタン批判書を世に出した。研究者の「井手は、『破提宇子』の執筆には、徳川秀忠あるいはその幕閣による要請があったのではないかと推測している」という説を載せている。この章で著者は、ハビアンがどういう論法でキリシタンの批判を展開したかを分析している。なかなか興味深い論理の展開だ。
この書の評価も研究者によりかなり分かれるようである。
著者は、『妙貞問答』の「下巻」と『破提宇子』とは「双子のような関係である。まるで鏡像だ」という。というのは、「同じ材料を使いながら、結論は正反対の地点に着陸する」のだから。著者は、ディベートの高等技法である「ターンアラウンド」を使い、自ら書いた「下巻」の立論材料を、みずからの論証で批判したというハビアンの戦略に、着目している。この見方は、ハビアンという人物像を理解するのに有意義なものだと思う。
『破提宇子』を書くことによって、『妙貞問答』の間での論理の関係性の中で、彼の立場・生き様ををより鮮明にしたのだという見解には、納得させられる。
第六章で、ハビアンの宗教観と生き方は、彼の生きた時代を超越し、現代に通じているという局面を著者は論じている。過去の書物の分析論証にとどまらず、現代とリンクさせた見方でとらえ直すことができる人物だという見解には魅力がある。
冒頭で、山本七平がハビアンを「最初の日本教徒」と位置付づけたという見解を紹介している。その後で、著者は「宗教的個人主義」を「現代スピリチュアル・ムーブメント」と呼ぶことにし、ハビアンの宗教態度は「現代スピリチュアル・ムーブメント」にみられる態度に通底する部分があると論じている。”ハビアンの宗教態度は、「自分をキープしたまま、各宗教を活用する」「自らの知的好奇心を満たしてくれる宗教情報を活用する」といったものである。”(p227)と論じる。
この章における著者のハビアンに対する見解を引用しよう。
*ハビアンがベアタスとの駆け落ち失踪劇を演じたことも忘れてはならない。彼はどこまで行っても強烈な自我を発揮させる人物だったに違いない。神に己のすべてを捧げきるといったタイプではなく、ここ一番、敢然として強い自我を機能させて生き抜いた男だったと思われる。このように自我をキープしたまま宗教とつきあうのは、まさしく現代スピリチュアリティ的な態度なのである。(p234)
*ハビアンは、「制度宗教」にも「世俗主義」にもコミットしない道を選択したのだ。・・・・ハビアンは結局生涯をかけて破仏教・破儒教・破道教・破神道・破キリシタンを成し遂げる。・・・・私はハビアンがとても宗教的な人間であったことを確信している。ハビアンは生涯、豊かで成熟した宗教性を保持し続けたと思う。(p237)
終章で、「ハビアンの見た地平」は、第三の道だったと著者は論じている。「制度宗教」でなく、「世俗主義」でもなく、「宗教性」を抱いてひとり裸で生き抜き、死に切る、それこそがハビアンがみた宗教の地平なのだと。
著者は、ハビアンを「身の回りにある宗教体系のすべてを相対化してしまった人物」だという。そして、『妙貞問答』と『破提宇子』の両書を合わせて、ハビアンを”世界初の本格的比較宗教論者”だと評価している。
「ハビアンにとっても、宗教を比較することは、単なる手段という枠を超えて、彼にとっての宗教的行為であり宗教的体験だったのである」という一文で著者は本書を結んでいる。
タイム・マシンがあったなら、直に対面して話を聴いてみたい人物の一人だ。
ご一読、ありがとうございます。
本書に出てきた気になる語句で、ネット検索し入手できた情報を、以下リストにする。
ハビアン :ウィキペディアから
林羅山 :ウィキペディアから
新村出 :ウィキペディアから
イエズス会 :ウィキペディアから
フランシスコ・ザビエル :ウィキペディアから
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ :ウィキペディアから
グネッキ・ソルディ・オルガンティノ :ウィキペディアから
ロレンソ了斎 :ウィキペディアから
トマス荒木 :個人ブログ「Cristiano giapponedi!」から
日本のキリシタン一覧 :ウィキペディアから
フランシスコ会 :ウィキペディアから
ドメニコ会 :ウィキペディアから
聖アウグスチノ修道会 :ウィキペディアから
カテキズム ::ウィキペディアから
CATECHISM OF THE CATHOLIC CHURCH :ヴァチカン
吉田神道 :ウィキペディアから
神道の系譜
朱子学 :ウィキペディアから
長谷川 権六 :ウィキペディアから
ダブルバインド :ウィキペディアから
不干斎ハビアンは、桶狭間の戦いの5年後、1565(文禄8)年ごろ北陸あたりで生まれ、1621(元和7)年に長崎で死んだという。彼は元禅僧で、キリシタンの道を歩み、そのキリシタンすら1608(慶長13)年に棄教し、晩年は長崎奉行長谷川権六に協力し、キリシタンの取締りに協力した人物だという。宗教という観点で、あの時代にこれほど凄まじい生き様・変転をした人物がいたことにほんとびっくりした。
ハビアンは、キリシタン護教論として『妙貞問答』(上・中・下の三巻)を書いた。そしてこれを教材にして指導したという。妙秀と幽貞という二人の尼僧が対話する形式で、諸宗派の違いを論じキリシタンの教理の優越性を語る。妙秀が自分の持つ疑問点や思いを幽貞に質問し、幽貞がそれに回答をするという形である。それはハビアン自身のキリシタンへの改宗にいたる宗教上の疑問点や思いに対し、自らが分析し考え築き上げた解で答えるという自問自答のプロセスを、二人の尼僧の役割に二分し託したといえる。
「上巻」は仏教の基本理念、日本の仏教各宗派の特徴が要約される。倶舎、成実、律宗、法相、三輪、華厳、天台、真言、禅宗、浄土宗、一向宗、日蓮宗をことごとく俎上にのせ論じているようだ。「中巻」は儒教と神道を対象にした対話が続く。「下巻」はキリシタン思想の特性が語られ、その宗教としての優位性が説かれる。著者は、対話の原文を掲げ、それを現代語訳にしながら論点を整理して、ハビアンの主張点を明瞭にしていく。
日本の諸派仏教の概念すらほんの一部を見聞しているにすぎない私には、諸宗派と儒教・神道まですべて取りあげて論じること自体が驚異的である。
第一章では、ハビアンのプロフィールが語られ、第二章では『妙貞問答』の骨子部分がまとめらている。ハビアンの観点で書かれたという制約があるけれど、論旨がすっきりしているので仏教・儒教・神道の基礎概念についてその要点を理解する上で役立つともいえる。
この書では、様々な研究者・論者のハビアン観を紹介している。それを読むとハビアンの著作に対する価値評価には否定的なものから肯定的なものまで大きな幅がある。それだけ、一筋縄では捕らえがたい人物なのだろう。著者は各研究者・論者の意見を引用しながら、自らの視点を提示し、自らの見解と賛否を述べている。多視点の紹介は、ハビアンという人物への興味・関心を一層抱かせる材料になる。
第三章で、著者はハビアンがあの時代の卓越した比較宗教論の研究者だったと捉えている。ハビアンが「影響比較」「対比比較」という研究手法を使い、「キリシタンが他の宗教よりも優位であることを前提にして、そこへと帰納するための比較」を行ったと分析する。そして、ハビアンの仏教論、儒教論、神道論を再整理している。
ハビアンが「仏教」の要諦は「同一化」にあると考え、「無」「空」の一点へ帰着する宗教と断じ、来世の救済は成り立たないと論証したという。儒教論は朱子学を骨子として論じ、実践倫理的態度を評価しながらも、「造物主」がいない故に「救済」が成立しないと論じた。神道論は、吉田神道をメインラインにして論じ、神道の神が人間と変わらない相対的存在だと論を展開していると著者は分析する。
これを読むと、ハビアンが如何に幅広く諸宗教を研究してきた人物だったかを感じることができる。ハビアンは、「相対概念しかない宗教」を遺棄し、「絶対神」をもつキリシタンの教理と救済原理に魅了されたようだ。そして、今までの宗教になかった「存在論」「生命観」にハビアンは引きよせられたらしい。
第四章は、ハビアンと林羅山の宗教論争に触れている。林羅山の書き残した書により論争の経緯を説明しているが、論点がかみ合っていないという分析と林羅山の文書だけによる分析の限界を明確に論じているのがおもしろい。「このような噛み合わなさこそ、宗教を比較研究するてがかりなのである」(p160)と著者が述べている。そいういうものなのかと思った。
第四章の後半で、ハビアンが林羅山と対面し論争した二年後(1608年)、突如としてキリシタンを捨て、ひとりのベアタス(清貧、貞潔、従順を守る女性の修道請願者)と共にイエズス会を脱会し行方をくらました事実とその謎を取りあげている。まず諸研究の見解を列挙する。「不平不満」説、「信仰浅薄」説、「思想転向」説、「そもそもそういう宗教者」説、「日本征服」説の影響、などがあるようだ。筆者は、「教団の扱い」と「女性問題」がハビアンの主要因であるとしながら、さらにダブルバインドという閉塞状況からのブレークスルーという視点を提示している。いろいろ見方があるものだ。
第五章で著者は『破提宇子』に言及する。ハビアンは死ぬ前年(1620年)に、キリシタン批判書を世に出した。研究者の「井手は、『破提宇子』の執筆には、徳川秀忠あるいはその幕閣による要請があったのではないかと推測している」という説を載せている。この章で著者は、ハビアンがどういう論法でキリシタンの批判を展開したかを分析している。なかなか興味深い論理の展開だ。
この書の評価も研究者によりかなり分かれるようである。
著者は、『妙貞問答』の「下巻」と『破提宇子』とは「双子のような関係である。まるで鏡像だ」という。というのは、「同じ材料を使いながら、結論は正反対の地点に着陸する」のだから。著者は、ディベートの高等技法である「ターンアラウンド」を使い、自ら書いた「下巻」の立論材料を、みずからの論証で批判したというハビアンの戦略に、着目している。この見方は、ハビアンという人物像を理解するのに有意義なものだと思う。
『破提宇子』を書くことによって、『妙貞問答』の間での論理の関係性の中で、彼の立場・生き様ををより鮮明にしたのだという見解には、納得させられる。
第六章で、ハビアンの宗教観と生き方は、彼の生きた時代を超越し、現代に通じているという局面を著者は論じている。過去の書物の分析論証にとどまらず、現代とリンクさせた見方でとらえ直すことができる人物だという見解には魅力がある。
冒頭で、山本七平がハビアンを「最初の日本教徒」と位置付づけたという見解を紹介している。その後で、著者は「宗教的個人主義」を「現代スピリチュアル・ムーブメント」と呼ぶことにし、ハビアンの宗教態度は「現代スピリチュアル・ムーブメント」にみられる態度に通底する部分があると論じている。”ハビアンの宗教態度は、「自分をキープしたまま、各宗教を活用する」「自らの知的好奇心を満たしてくれる宗教情報を活用する」といったものである。”(p227)と論じる。
この章における著者のハビアンに対する見解を引用しよう。
*ハビアンがベアタスとの駆け落ち失踪劇を演じたことも忘れてはならない。彼はどこまで行っても強烈な自我を発揮させる人物だったに違いない。神に己のすべてを捧げきるといったタイプではなく、ここ一番、敢然として強い自我を機能させて生き抜いた男だったと思われる。このように自我をキープしたまま宗教とつきあうのは、まさしく現代スピリチュアリティ的な態度なのである。(p234)
*ハビアンは、「制度宗教」にも「世俗主義」にもコミットしない道を選択したのだ。・・・・ハビアンは結局生涯をかけて破仏教・破儒教・破道教・破神道・破キリシタンを成し遂げる。・・・・私はハビアンがとても宗教的な人間であったことを確信している。ハビアンは生涯、豊かで成熟した宗教性を保持し続けたと思う。(p237)
終章で、「ハビアンの見た地平」は、第三の道だったと著者は論じている。「制度宗教」でなく、「世俗主義」でもなく、「宗教性」を抱いてひとり裸で生き抜き、死に切る、それこそがハビアンがみた宗教の地平なのだと。
著者は、ハビアンを「身の回りにある宗教体系のすべてを相対化してしまった人物」だという。そして、『妙貞問答』と『破提宇子』の両書を合わせて、ハビアンを”世界初の本格的比較宗教論者”だと評価している。
「ハビアンにとっても、宗教を比較することは、単なる手段という枠を超えて、彼にとっての宗教的行為であり宗教的体験だったのである」という一文で著者は本書を結んでいる。
タイム・マシンがあったなら、直に対面して話を聴いてみたい人物の一人だ。
ご一読、ありがとうございます。
本書に出てきた気になる語句で、ネット検索し入手できた情報を、以下リストにする。
ハビアン :ウィキペディアから
林羅山 :ウィキペディアから
新村出 :ウィキペディアから
イエズス会 :ウィキペディアから
フランシスコ・ザビエル :ウィキペディアから
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ :ウィキペディアから
グネッキ・ソルディ・オルガンティノ :ウィキペディアから
ロレンソ了斎 :ウィキペディアから
トマス荒木 :個人ブログ「Cristiano giapponedi!」から
日本のキリシタン一覧 :ウィキペディアから
フランシスコ会 :ウィキペディアから
ドメニコ会 :ウィキペディアから
聖アウグスチノ修道会 :ウィキペディアから
カテキズム ::ウィキペディアから
CATECHISM OF THE CATHOLIC CHURCH :ヴァチカン
吉田神道 :ウィキペディアから
神道の系譜
朱子学 :ウィキペディアから
長谷川 権六 :ウィキペディアから
ダブルバインド :ウィキペディアから