遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『紅蓮浄土 石山合戦記』  天野純希  角川書店

2020-07-30 21:41:31 | レビュー
 「紅蓮」と「浄土」という二つの言葉の結びつき、それに付された石山合戦記という副題に関心を抱いた。副題はすぐに意味を理解できる。大坂石山本願寺が信長と戦った合戦である。浄土という言葉も極楽浄土とすぐわかる。ならば、紅蓮はこの合戦で、「進めば極楽、退かば地獄ぞ!」と唆されて、捨て身で戦いの渦中に身を投じた門徒たちの戦いや焼き滅ぼされる家々など戦の状態を紅蓮という一語で表したのだろうか。そんな思いから本書を手に取った。

 永禄11年9月、織田弾正忠信長は大軍を催して上洛し、足利義昭を将軍に擁立するとともに、瞬く間に畿内を制した。信長は堺に対してと同様に、本願寺に矢銭(戦費)五千貫を要求した。本願寺はこの要求には応じた。だが、次に信長は元亀元年(1570)正月に大坂に築城するので本願寺は立ち退けという要求を突きつけてきた。この時、浄土真宗本願寺派法主は第11世顕如で当年28歳。先代・証如の突然の死によりわずか12歳で法主を継承した。大坂本願寺は本願寺派の総本山で、台地の北端に築かれた寺内町であり巨大で堅固な城砦を形成していた。この寺内町に暮らす人々は5万を大きく超える人々でその殆どが真宗門徒である。教団は法主のもとに10名の御堂衆と呼ばれる坊官たちが居て、彼らの合議と法主の最終判断で運営され、御堂衆の大半を下間一族が占めていた。つまり、下間一族の補佐を受けながら、法主顕如は巨大な教団を大過なく治めている形だった。
 御堂衆の評定の結果を受け、顕如は「兵を挙げ、仏敵、織田弾正忠信長を討つ」と宣言するに到る。本願寺は、反織田信長勢力との連携を進めていく。つまり畿内の三好衆をはじめ、浅倉、武田、上杉、毛利などとの連携である。
 元亀元年(1570)9月、摂津に進出した織田勢4万が三好三人衆の野田・福島両砦を攻めることから始まり、天正4年(1580)3月、本願寺顕如が信長と和睦するまで、10年に及ぶ「石山合戦」が始まっていく。
 この小説は、本願寺側の立場を視座に、信長がこの期間に展開して行く様々な戦と本願寺の攻略・合戦の状況を描き出していく。

 本願寺教団はいわば大大名と類似の組織を形成し運営されていたといそうだ。勿論、御堂衆の中にも主戦派と穏健派など色合いは様々である。坊官たちの多くは、教団として築かれた権益の維持確保と御堂衆としての教団内での出世・保身を第一羲にして行動している。宗教自身ではなく、教団という人間の組織運営が正に人間の欲望を培いさらけ出させて行くのだろう。これは洋の東西を問わないし、日本国内においても宗派を問わずに内在する性であると思う。当時の比叡山延暦寺もその例であると思う。人間的欲望を持った坊官たちが石山合戦に門徒を手段とみなして臨んでいたという側面を著者は描き出して行く。坊官たちの視点と併せて、石山合戦に本願寺側の立場で関わって行った他の人々の視点を軸にストーリーが展開する。

 小説の冒頭は、主な登場人物の一人となる千世が最後の試し稽古からサバイバルする状況の描写から始まる。千世はこの試練を経て、本願寺が密かに備えた如雲を頭とする忍びの集団・護法衆の忍びの一人となる。千世16歳。千世が13歳の時、信長勢が北伊勢を侵略した。千世は山間の地侍で伊勢神戸家家臣である羽村左近の子だったが、父は戦で死に、弟で嫡男の菊丸と妹は一緒に逃げる途中で追跡してきた鎧武者に殺される。その武者と必死に戦い生き延びた千世は、如雲に声をかけられ、如雲に従うことになる。
 弟妹を殺した武士を憎しみに駆られて殺めた千世を如雲は極悪人と言う。そして、父母弟妹と彼岸で再会することの叶わぬ身になったと断じる。「だが、そんな極悪人でも極楽往生を遂げられる方法が、一つだけある。知りたいか?」と千世に投げかけた。千世はその問いに引きこまれ、忍びの道を歩むことになる。如雲の指示に服従しながら、石山合戦に身を投じていく千世の行動が一つのサブストーリーとなっていく。千世自身が窮極に願望とするのは父母弟妹を殺した信長を己で殺すことである。
 
 本願寺教団の御堂衆の一人に下間賴康がいる。賴康は刑部卿家の当主で主に軍事を担っている。本願寺を守るために諸国の門徒が有志で派遣してくる兵・番衆を束ねる。御堂衆の中の下間一族は刑部卿家と宮内卿家の二つの流れに分かれ、それぞれの家が本願寺内部で出世争いに明け暮れる。賴康は軍事を担うが彼我の力を知る故に、信長との無益な戦はできるだけ避けたい立場にいる。だが、戦が宣言されることで、軍事面での先頭にたつことになる。賴康は教団側でマクロ的な視点から戦略を練り実行する立場を担っていく。賴康は情報収集に護法衆の如雲を使う。
 著者は評定の場での論議の一場面を次のように描き出す。早く父を亡くし御堂衆に任じられた19歳で才気煥発の下間了明が顕如に進言する個所でのやり取りである。 (p15)
 ここに、著者の石山合戦に対するモチーフがあると思う。
 「織田家との戦に当り、さらに番衆を募るべきかと。進めば極楽、退かば地獄。それくらいの覚悟をもって、門徒たちを戦に臨ませるべきかと存じます。」
 「待たれよ、了明殿。真宗の教えのどこにも、そのような文言はない。貴僧は、門徒をたばかるつもりか」
 「これは異なことを、賴康殿。戦うことで極楽往生を遂げられるとなれば、門徒どもはそれこそ死に物狂いで織田勢に向かうは必定。法灯を守るために死し、その上極楽へ参れるのだ。我らにとっても門徒どもにとっても、よいことだらけではないか」
 「極楽を餌に、死を恐れぬ兵を集めると申されるか。そのような所行を、親鸞上人がお許しになるはずがあるまい」

 もう一人、重要な登場人物が30歳過ぎの大島新左衛門である。彼は伊勢長島願証寺に近い大島に棲み今は商人となっている。
 新左衛門の視点を介して、伊勢長島における信長勢との合戦の推移・状況が描かれて行く。大坂本願寺から送りこまれた坊官、年齢は四十過ぎの下間豊前が願証寺の34歳の住持・証意(蓮如の子・蓮淳の子孫)を差し置いて対信長戦の主導権を掌握していく。下間了明の論法を更に横柄に進めて行く姿が描かれる。豊前の考えに反発しながらも、新左衛門は戦の仕方について、戦略を練り実施していく立場になる。新左衛門は如何にして門徒を戦で死なせないか、できれば最小限の戦で終わらせたい立場で行動していく。
 しかし、彼自身は己がいくさ人であることを自覚している。新左衛門は元三好の名字を名乗り、阿波三好家の庶流であった。三好冬嗣派であった父と新左衛門は、三好長慶を擁する松永久秀から冬嗣に謀反を唆したとみなされ、妻子とともに逃亡する羽目になる。山寺に身を潜め、己は冤罪を晴らすために三好一門の屋敷を訪ね歩く。一方、妻子はみつかり、冬康に連座して粛清された者たちの縁者とともに京の六条河原で処刑される。処刑場で処刑を目撃し、妻と目が合った新左衛門は生きられませと妻が繰り返す言葉に従う。その結果新左衛門を長島の地に来させ、商人を生業とさせることになった。新左衛門は商人として成功する。願証寺において大島の代表的な立場となる。
 千世は如雲の指示で、伊勢長島の情報を収集するために、新左衛門のところに住み込む。それが新左衛門と千世の間に石山合戦に関わる関係を生み出して行く。

 もう一人、千世と同じ時に忍びとして如雲に認められた重蔵が折りに触れ千世を助ける形で登場する。重藏は独自の考えを持つ忍びとして、ある事態の時から如雲の元を抜け、結果的に新左衛門のもとで忍びとして働くようになっていく。彼は一種のターニングポイントで活躍していく。異色な忍びといえる。

 この小説、石山合戦記としては、やはり伊勢長島の戦いのプロセス描写が読ませどころとして大きな山になっている。戦そのものの描写と併せて下間豊前の欲望と行動にも光が当たる。それは、比叡山延暦寺の頽廃腐敗ぶりとは別に、本願寺教団の御堂衆の中にはびこる権益維持と自己の欲望中心の動きが存在した事情を明らかにしていく。
 また、同種の問題が越前に派遣された下間筑後についても描写されていく。
 門徒が御堂衆に謀られたという側面の内在を著者の視座として描いている。このモチーフはこのストーリーの一つの柱になっている印象を持った。

 長島での戦いは新左衛門の視点から描かれる。さらにこの合戦の10年間の間に各地で多面的に行われた信長軍の様々な戦などが石山合戦との関わりの視点から点描的に描きこまれていく。このストーリーで石山合戦の間に描き込まれる戦の一端を列挙すると、比叡山延暦寺の焼き討ち、上京の焼き討ち、武田勝頼軍の東美濃並びに遠江高天神城の戦い、越前が「百姓の持ちたる国」になる経緯とその崩壊、上杉謙信の死とその影響、荒木村重の謀反(頼康の調略の一環として)などである。
長島の戦いの最終段階は思わぬ事態になる。この展開が史実をモデルにしているのか、著者のフィクションなのか・・・・。読ませどころと言える。
 長島から対岸に渡り新左衛門等門徒は信長の本陣に雪崩込んで行く。新左衛門は堤の上に上がった時、新左衛門は処刑の死の間際に妻の康子が言った言葉の意味を忽然と理解した。そして撃たれ濠へ落ちた。

 ストーリーの最後は、勿論大坂本願寺そのものでの合戦プロセスの描写になっていく。読者にとり興味深いのは、新左衛門が長島での野戦の場で銃で撃たれるが命を取り留め、後に大坂本願寺に入り、合戦で一軍を率いるとともに、賴康の参謀的な立場になっていくところにある。この最後の合戦では本願寺と信長の間での外交的取引、和平工作を含めたプロセスが読ませどころと言える。新左衛門が和平工作の推進を任される形で展開して行く。そして、あと一歩のところで、その工作が頓挫する。
 その後に、千世が再び最後の切り札として活躍することになるところがおもしろい。この時点では、千世の信長観もまた変容してきていることも興味深い。
 さらに、新左衛門が和平工作において意外な役割を担い登場することになる。読者のお楽しみとしておこう。

 法主顕如が新左衛門に語る場面を著者が描いている場面を最終段階で折り込んでいる。顕如は次のことを新左衛門に語る。
「本願寺には、”王法為本”という考えがあるのは存じておろう」 p301
「信長が長島を焼き討ちした後、私は思い定めた。これは、我ら本願寺が生まれ変わる・・・いや、再びあるべき姿に立ち戻るための戦なのだと。・・・・・王法為本を徹底し、武力も、過ぎた財力も捨て、政と縁を切る。・・・・・この仕組みを解体するには、戦って敗ける必要があったのだ」 p303
 顕如は上記の通り、天正4年(1580)3月、信長と和睦する。著者はこの和睦のために、顕如が一つだけ条件を付けたという。著者はこの条件を織田家の代表として公式の和睦交渉に臨んだ筆頭家老佐久間信盛が口頭で約束したと記す。

 和睦が成立し、顕如が紀伊鷺の森に移る。この後一波乱が起こる。教如が大坂本願寺から退去せず籠城を始めたのだ。本願寺分裂の顕在化である。本願寺派内でこの問題事象を解決しなければ、信長は8月1日を期して大坂本願寺・寺内町を総攻めするという。
 この事態をどう解決するのか。それが石山合戦の3つめの読ませどころとなる。そこで再び、新左衛門・千世・重蔵が活躍する場面が描かれて行く。

 石山合戦が完全に終了した後の状況を「終章 紅蓮浄土」として描いている。本書のタイトルは直接的にはこの終章のタイトルに由来するようである。
 この終章は主な登場人物の行く末に少し触れる。
 *法主顕如は紀伊鷺の森を本願寺の拠点とする。
 *教如一派は、8月2日に大坂を退去。鷺の森に赴くが顕如からは面会を拒絶された。
  その後、いずこかへ落ちのびた。
 *重藏は戦いの最中に爆死。
 *千世は一人の人として、自分のための生を生き直す決意をする。
 *新左衛門は長島に戻り、商人としてやり直し長島復興の一助となる道を歩むことに。
 教如が大坂本願寺を退去したその日、本願寺は紅蓮の炎に見舞われ壮大な伽藍は灰燼に帰した。ここに紅蓮という言葉が出てくる。この紅蓮には大きな意味が含まれていた。
 千世は己の生き方を選択し、北伊勢の故郷を訪ねる。そして羽村家に侍女として奉公していたお藤に再会することになる。その後、千世は己の生を生きるための通過点として、再び鎮守の森に向かう。そこには如雲が待ち構えていた。
 如雲が千世に紅蓮地獄の存在を語る。ここにも紅蓮が登場する。
 如雲「血に濡れた生を送った我らに、相応しい末路とは思わぬか」
 千世「安心しろ。弥陀はお前のような悪人をこそ、救ってくださる」
このストーリーの末尾は次の二行である。
 「念仏を唱えろ。そうすれば、極楽へ行ける」
 口にして、千世は地面を蹴った。

 紅蓮浄土の紅蓮には色々な意味が重層的になっていると理解した。

 このストーリー、フィクションの形であるが様々な考える材料を投げかけている。
 宗教とは何なのか? 教団が組織化されるとなぜ堕落への道へと動き出すのか? 組織化が権益維持を志向し、組織内での出世という人間の欲望を煽るのはなぜか? 石山合戦において、「進めば極楽、退かば地獄ぞ!」の方便に唆されて死地に飛び込んで行った門徒たちの行為に意味があったのか? 信長の宗教に対するスタンスは何か? 信長が比叡山延暦寺、長島その他で一種のジェノサイドを実行した真の狙いは何だったのか? 
 なぜ人は浄土を求めるのか? 

 石山合戦が行われた10年間という期間をバーチャル・リアリティとしてリアルにイメージできる。歴史年表で数行の表記で終わる事実の背後に分け入るのに役立つ小説と言える。
 
本書に関連する事項をいくつかネット検索した。一覧にしておきたい。
本願寺の歴史 :「お西さん」
真宗大谷派(東本願寺)沿革  :「東本願寺」
石山本願寺  :ウィキペディア
石山本願寺  :「コトバンク」
石山本願寺の時代 :「大阪城天守閣」
顕如  :ウィキペディア
教如  :ウィキペディア
鈴木孫一重秀 わかやまの偉人たち  :「和歌山県」
 「石山合戦配陣図」が掲載されています。
石山合戦 :「歴史のまとめ」
 「石山戦争図」(和歌山市立博物館蔵)を拡大して見ることができます。
信長の伊勢攻略と長島一向一揆  歴史の情報蔵 :「三重県」
長島一揆  :「コトバンク」
日根野弘就   :ウィキペディア
願証寺  :「コトバンク」
願証寺  :ウィキペディア
証意   :ウィキペディア
鷺森別院の歴史  :「浄土真宗本願寺派 本願寺鷺森別院」

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『背中の蜘蛛』 誉田哲也  双葉社

2020-07-27 12:59:48 | レビュー
 新聞広告が目に止まり読んだ。著者の小説を読むのはこれが初めて。警察小説である。2019年10月に単行本として出版された。
 この小説は「第一部 裏切りの目」「第二部 顔のない目」「第三部 蜘蛛の背中」という三部構成になっている。第三部のタイトルを逆転した文字列が本書のタイトルになっている。蜘蛛は英語ではスパイダーである。背中という言葉を背後という意味に受けとめると、「蜘蛛の背中」は一つの暗喩として使われていると読了後に思った。また「背中の蜘蛛」という逆転した文字列のタイトルは、視点と次元を変えた暗喩だと思う。
 
 「第一部 裏切りの目」は池袋署の管内で起こった刺殺事件の捜査から始まる。池袋署刑事課の本宮夏生課長が、渋谷署で一緒だった上山から突然の連絡を受け、新宿駅近くの居酒屋で再会する。上山はノンキャリアの警察官だが、10ヶ月間のFBIでの研修を命じられて渡米し、2週間前に帰国。公安部の付属機関であるサイバー攻撃対策センターに着任して3日目だと言う。二人が語らっている時に、草間警部から西池袋五丁目で殺人容疑事案発生の連絡が入る。
 三部構成の全体を通して、本宮と上山の二人がストーリーの中心人物になっていく。
 池袋署の7階に「西池袋五丁目路上男性殺人事件特別捜査本部」が設置される。50人の捜査員体制で捜査が始まる。被害者は刺されたが盗られたものは無く、所持品の運転免許書から氏名・住所が速やかに確定する。周辺の防犯カメラ映像の収集による割り出し作業、地取り、鑑取りなど通例の捜査活動が進展する。
 捜査の第一期20日が過ぎた頃、捜査一課長の小菅警視正が本宮のところに訪れて、「頼まれ事」を引き受けてくれという。内密で被害者の妻・浜木名都の過去、できれば大学・高校時代までさかのぼり男関係を含めて調べることを指示した。指示を受けた本宮は不審に思いつつも従わざるを得ない。本宮は特捜本部に組み込まれて捜査に従事し、今は鑑識と一緒にナシ割りを担当している口の堅い部下2人を引き抜く。本宮は極秘で独自に特命事項として捜査を指示する。
 この極秘捜査が事件の解決に繋がって行く。本宮は特捜本部の管理官に対して、タレコミがあり独断で部下に捜査をさせたという形で結果報告をする損な役割を担う立場になる。
 小菅は本宮に対し、特命指示に関して「理由は訊かないでもらいたい」としか言わなかった。事件は解決した。だがその後小菅からの説明は一切無い。本宮はなぜか罪の意識に似たものを感じる。「自分は、何をしてしまったのだ。自分は一体、何を裏切ってしまったのだ」(p62)と。
 第一部はいわば、このストーリーの序章である。起承転結で言えば「起」にあたる。

 「第二部 顔のない目」は警視庁本部の組織犯罪対策部所属の植木警部補と高井戸署刑事組織犯罪対策課所属の佐古巡査部長の二人が、渋谷区のあるマンション傍で張り込みをしている場面から始まる。マンションの住人・キャバ嬢千倉葵の部屋に入った森田一樹の行動確認で監視しているのだ。森田は複数種類の薬物を扱う売人。だが、ヤクザ、「半グレ」、外国人のどの筋にも結びつかない。そのルート解明が捜査の狙いになる。
 森田一樹は新木場にあるスタジオ・イーストゴーストというコンサート会場に向かう。植木等は森田の行確を続け、薬物の受け渡しが行われるのかと推測した。森田は会場内のコインロッカーのエリアで、目的とする番号のロッカーを開ける。それが最後だった。
 ごく近くまで接近していた植木は巻き込まれてしまう。ボゴンッ、という轟音共に、赤白い閃光が両目に突き刺さる。そこで意識がなくなる。
 森田は爆殺により即死、付近にいた3名が巻き添えにあい重軽傷、植木も左腕と左脚を同時に負傷して入院。統括主任の松田が植木に説明する。「たまたまなんだろうが・・・お前のジャケットの襟の内側に、森田の眼球が一つ、入り込んでいたそうだ。・・・左目だろうな。見つけたのは桃井だ。・・・・」(p98)第二部のタイトルはここに由来する。
 この第二部は、いわば第一部とは全く別の事件の発生へとシフトしていく。植木が退院し、左腕・左脚が不自由な状態で特捜本部に復帰したときには、中島晃という被疑者が確保されていた。
 第二部はいわば「承」の段階である。

 「第三部 蜘蛛の背中」は、なぜ急にこんな場面描写から始まるのかとまず思う。幻覚症状が出ているような男の行動描写。それはオサム(理)とリョウタ(凉太)の出会いとなる。そして、理と凉太の奇妙な人間関係が生まれ、その関係が深まっていく。凉太を介して凉太の姉・幹子と知り合う。理と凉太・幹子の三人の人間関係が、捜査活動ストーリーとパラレルに一種異質なサブストーリーとして徐々に進展してく。これがどう繋がっていくのか、読者の立場では興味津々と成らざるをえない。
 さらに、もう一つのサブストーリーが始まって行く。上山の家庭の状況描写をエピソード風に織り込みながら、上山が現在所属する警視庁総務部情報管理課運用第三係という部署の職務とその状況が詳細に描写されていく。上山はこの第三係の係長になっている。
 メインのストーリーである捜査活動は、第二部を受けて「新木場二丁目男女爆殺傷事件」特別捜査本部が東京湾岸署に設置された時点から具体的な状況描写を重ねながら進展している様が描かれる。
 この1ヵ月前に、本宮は池袋署刑事課長から警視庁本部の捜査一課の管理官として異動していた。そして、管理官になり半月が経った頃、新たに発生した「新木場二丁目男女爆殺傷事件」を初めて検視担当管理官として担当することになる。
 初動捜査が行われた後、事件発生三日目に、薬物事犯の捜査本部を経由し特捜に参加してきた佐古巡査部長に直接電話がかかってきた。有力情報がタレコミ電話としてもたらせられたのだ。中島晃という男が俎上に載ってくる。爆殺傷事件に関係していて、違法薬物の売買も手がけているという。中島晃が容疑者かどうかの裏付け捜査が具体的に始まって行く。

同時並行に3つのストーリーが進み始める。このあたりが、「転」の段階といえるのではないか。そして、メインのストーリーと思っていた事件の捜査活動が少し背後に後退し、サブストーリーと思っていた2つのストーリーが表に出て来て徐々に重要性を増していく。
 「タレコミ」という事象に大きく不審感を抱いていた本宮が特捜本部の捜査とは別に独自捜査を始めていく。その疑惑が警察組織を揺るがしかねない大きな問題に繋がっていく。そこには上山の所属する運用三係の存在が関わっていることに本宮は気づく。その頃、上山自身も所属部署で発見された大問題に直面していた。それが「蜘蛛の背中」という第三部のタイトルとして暗喩的に出ている。
 そんな渦中で、新たな刺殺事件が発生してしまう。一方、それはすべての捜査が解決する契機にもなっていく。
 
 この小説の設定の巧妙さは、「西池袋五丁目路上男性殺人事件」と「新木場二丁目男女爆殺傷事件」の双方に関わった本宮が、「タレコミ」というキーワードで表現される不審な行為を共通項として結びつける点にある。両事件への関与がなければ、このストーリーは成立しない。本宮が事件の奥に潜んでいる「運用三係」の存在を引き出して行くところのストーリー展開が一つの読ませどころとなる。
 この警察小説のおもしろさは、二つの殺人事件を踏み台にして、別の次元・警察組織の問題へとテーマをシフトさせていくところにある。警察組織における捜査活動行為の限界領域はどこなのかという点に及んでいく。
 「蜘蛛の背中」で暗喩される情報化社会において回避困難な問題事象を描写しながら、次元をシフトさせて「背中の蜘蛛」という暗喩で表現される必要悪を是認できるかどうかという論点への転移とも言える。著者の問題提起、モチーフがここにあるようだ。
 殺人事件の捜査活動と事件解決という次元から、警察組織の存立にも及び兼ねない問題次元にストーリーをシフトさせて行き、その両次元から警察組織を描くというところがおもしろい。
 運用三係の存在について、本宮の考え方が少しずつ変容していくプロセスを著者は描き込む。その本宮は彼なりの結論を上山と再会した居酒屋で、上山に伝えるところでエンディングとなる。

 このストーリーの大枠と読後印象をご紹介した。この流れがどのように具体的に詳細に書き込まれていくか、そこが読ませどころといえる。後で振り返ると、ストーリーの展開のキーになる伏線が巧みに各所に散りばめられていることがわかる。ああ、これがあそこに繋がっていたのか・・・・と。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心を抱いた事項をいくつか検索した。一覧にしておきたい。
サイバー犯罪  :ウィキペディア
刑事弁護コラム サイバー犯罪とは  :「弁護士法人中村国際刑事法律事務所」
サイバー犯罪相談の事例と対策 :「京都府警察」
PRISM(監視プログラム) :ウィキペディア
国際的監視網  :ウィキペディア
The NSA files :「The Gardian」 
エドワード・スノーデン  :ウィキペディア
スノーデンが東京で下した大量監視告発の決断  :「東洋経済ONLINE」
Xkeyスコア :「コトバンク」
スティングレイ (IMSIキャッチャー)  :ウィキペディア
バウンドレス・インフォーマント  :ウィキペディア
表層Web    :ウィキペディア
ダークウェブ  :ウィキペディア
深層Web    :ウィキペディア

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『魔法の言葉 不思議な写真』 本田健×宮澤正明  SUNRISE

2020-07-25 18:10:56 | レビュー
 標題の部分の前に、小さめの文字で「見るだけで運が上がる」という修飾句が付いている。タイトルが長くなるので省略した。
 本書はタイトルにあるキーワードで言えば、「言葉」は作家・本田健が書き、「写真」は写真家・宮澤正明が今までに撮影した作品から厳選したものである。
 奥書等によれば、宮澤は「2005年伊勢神宮第62回式年遷宮の正式記録写真家として活動を開始、2013年10月に行われた還御の儀までの間に6万点に及ぶ作品を奉納」した他、全国の神社仏閣を50社寺以上撮影し、一方、世界中を旅して撮影してきたという。本田は、経営コンサルタント、投資家という経歴から作家に転じたという。本書の言葉は、本田の著書『読むだけで心がラクになる22の言葉』(フォレスト出版)、『強運を味方につける49の言葉』(PHP文庫)から一部本文を引用していると記されている。

 本書の見開き2ページを使って、宮澤の写真が掲載されている。例えば、宮澤の代表的な写真の一葉といえる「レッドドラゴン」がp70-71に載っている。富士山を背景にその中腹にあたかも龍を連想させる炎の色を帯びた雲がたなびく写真。まさに「不思議な写真」だ。この写真からインスピレーションする本田の言葉「強運を呼び込んで、飛び立つ」が、二行書きの文として載っている。この写真をじっと眺めていて、右の一文を読む。再び写真を見つめる、文を読み返す・・・・・。
 霊峰富士が龍を引き寄せ、龍を山巓の高みまでこれから飛翔させようとする。写真の中で飛び立つのは龍である。その龍に仮託して飛び立つのは、このページを見つめる読者(己)だ。

 「運」とは、「物事を成就させるか成就させないかの(命が全うされるか全うされないかの)巡り合わせ」(『新明解国語辞典』三省堂)と説明されている。巡り合わせをうまく掴まえられるかどうかは、己の側にあるのだろう。そのためには、己の側にその運を味方につけて、飛び立てる備え(力量)がその時にあるかどうかにリンクするのではないか。人それぞれの日頃の生き方が関係して来ざるをえない。

 本書は写真家と作家がコラボした結果、生み出された142ページのフォトブックである。
 本書は4つのセクションで構成されている。見出しだけのセクション。章番号なし。
   幸せを呼び込む「運」のつけ方  15葉の写真と言葉  p6~p37
   幸せと運を呼び込む人間関係   21葉の写真と言葉  p38~p81
   心を楽にする          10葉の写真と言葉  p82~p103
   「幸せな成功」を導く言葉    17葉の写真と言葉  p104~p139

このセクションタイトルから、「魔法の言葉」の意味合いが何となくイメージしていただけるだろう。

 切り立つ崖上の先端に立つ棕櫚葺きの柱だけの建屋から蒼海の彼方の水平線を眺望する写真(p8-9)に「チャンスが来たと思ったら、一瞬で飛び込もう」の一文。
 蒼い富士山の山巓に湧き始めた霞状の雲、頂上附近全景のクローズ写真(p10-11)には、「これから、全てが始まる」の一文。
 咲き誇る蓮の花、その右には硬い蕾、さらにその右に蓮の花托が並ぶ写真(p18-19)には、「あなたなりの咲き方は、咲いてみないとわからない」の一文。
 地平線上に夕日を反映させた薄いオレンジ色の雲が未だ輝きをとどめ、その上には青色から濃紺へと深まる空。眼前に屹立する二本の黒々とした枯れ木とその先の左右に枯れ木が点在していくシルエットのような風景。不思議な写真(p29)である。見開きの右ページの写真に対して「枯れたように見えても、まだまだ根は深く張っている」(p28)の一文が左のページに三行書きで載っている。
 山中湖からのダイヤモンド冨士は有名だが、その一葉と思われる写真(p54-55)には、「あなたの本質は、自然に映り込む」という一文。この一文を読み、アメリカのリンカーン大統領が言ったという「40 歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」という言葉を連想した。己の本質は己の姿と行動に反映しているのでしょうね。
 瑞々しい緑の竹林に斜め上空から太陽の光が貫き、光が放射状に輝く写真(p72-73)には「まっすぐ生きよ」という言葉が付されている。大いなる叱咤激励か。生き様へのエールか。真っ直ぐにのびる竹の映像がいい。
 私には、その次に続く写真が特に不可思議で印象深い。水平線の見える静かな海面に一条の黄色い光の道が映じ、太陽は雲の背後から濃いオレンジ色に輝かせるが、その反動でか手前の雲は薄墨色から黒色の濃淡である。その雲があたかも巨大な龍を象っているように見える。そんな不思議な写真(p73-74)が載っている。ここには「人のために祈れる人には、運がやってくる」という一文が・・・・。

 写真は自然風景が多いが、花の写真、動物の写真、石仏や伊勢神宮に関係した写真など様々なものが組み合わされている。ちょっと不思議な写真も載せたフォトブックである。ただ、写真がどこで撮影されたものであるのかについては記載がない。いくつかは推測できるのだが、他は???である。その点ちょっと残念。写真作品が結実した時点で、それは独立した存在であり、現実の場所等は捨象するという主旨なのだろうか・・・・。

 最終の3つの写真に添えられた一文をご紹介しておきたい。それがどんな写真とのコラボであるか? ちょっと想像した後に、本書を手にとっていただければと思う。
    大空に飛び立とう。      p135
    最高の未来を確信する。    p136
    あなたの夢は、必ず実現する。 p139

 このコラボフォトブックはあなたがあなた自身をインスパイアする契機となる一冊になると思う。本書は2019年12月に出版されている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、ネット検索した事項を一覧にしておきたい。
写真家宮澤正明 オフィシャルウエブサイト
 レッドドラゴン、伊勢神話への旅などの写真が一部掲載されています。
本田健 公式サイト
  :ウィキペディア
冬の絶景!山中湖で”ダイヤモンド富士”を撮影する方法 :「富士山とともに」
山中湖 ライブカメラ | ライブカメラ「絶景くん」で富士山を覗こう:「FUJIYAMA NAVI」
式年遷宮 :「伊勢神宮」

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『利休 破調の悲劇』  杉本苑子  講談社文庫

2020-07-23 18:08:40 | レビュー
 1996年11月にオリジナル文庫として出版された。それを今、読んだ。なぜオリジナルなのかと言えば、1990年2月に『利休 破調の悲劇』が出版されていて、それに「老い木の花」と「家康と茶屋四郎次郎」「『綺麗さび』への道」という小論が加えられて文庫本化されたことによる。さらに文庫本には、大正14年から平成8年(1996:著者71歳)までの年譜が付されている。調べてみると、著者は2017年5月、91歳で逝去されていた。合掌。
 「利休 破調の悲劇」は文庫本で実質80ページの作品であり、これだけでは文庫本化できないということから、発表媒体の異なる3つの小論が加えられたそうだ。「あとがき」に著者自身が触れている。

 かなり古い出版だが、その内容は古くはなっていないと思う。千利休、海北友松、徳川家康、茶屋四郎次郎、小堀遠州という人物たちについて考える視点としてピカリと輝くものを感じさせ、新鮮な感じすら受けた。
 それぞれについての読後印象をご紹介したい。

<利休 破調の悲劇>
 「水を切る静かな艪音・・・・・。舳にうずくまり、夜の川面にじっと目をそそいでいた男が、」という記述で一行目の文が始まる。最初、短編小説のつもりで読み始めた。すると、最初のページの末尾に「小説風に描写すれば、このような光景になる」という文が記されている。一瞬、アレッ!という感じだった。実はこれは著者が利休の賜死事件の謎、なぜ利休は死を賜らなければならなかったのかについて論究し、著者の見解を発表した論評・歴史読物なのだ。
 利休が堺に蟄居を命ぜられ淀川を下るとき、細川与一郎忠興と古田織部が淀の船着き場で利休を見送ったという有名なエピソードがある。このことは、利休が細川家の重臣松井康之にあてた2月14日付の書状の中にその事実が帰されていると著者は明記している。私はこの書状のことをこの論評で初めて知った。
 堺の商人たちは、室町時代の勘合貿易で活躍した。当時、和寇まがいの日本商人を、明国沿岸の人々は「ニチキャントー」(日本強盗の意味)と呼んで恐れたという。著者は、利休の体内にもニチキャントーの血が脈打っていると言い、「剛毅、狡智。巧みに商機をつかみ、しかも相手の出方しだいでは、妥協屈従の姿勢もあえて辞さぬ柔軟性を併せ持つ」(p15)ところから押さえていく。そして、信長の下では下位の茶頭であった利休が、秀吉のもとで筆頭の茶頭になる経緯と背景を語る。著者自身が現存する待庵を訪れた感想を述べた上で、秀吉と利休の関係について「非常に洗練された現代人的な解釈」を持ち込むことの危険姓を指摘している。私はこの警鐘に新鮮味を感じた。
 乱世では殺人は生活そのものだった。だから武将は戦で血塗られた手を洗った後に茶の湯の場に身を置いた。茶室は密談の場でもあった。そんな環境を基盤に利休の茶の湯が存在し、その中で利休が独自の茶の湯の境地を確立して行くという状況を著者は冷徹に考察している。
 賜死の真相にアプローチするにあたり、当時の巷の噂、俗説及び石田三成らが公に処罰の理由に掲げた理由などを検討し、それらは真因とは言いがたいと論じていく。「『利休賜死』の真因解明には、死刑に処せられた側ではなく、処した裁き手の側を犯人だったと見る発想の逆転が求められるのだ」(p83)と断じている。そして、最後に著者の考える真相を総括として述べる。
 説得力のある考察と言える。その卓見は色褪せていないと思う。p87~88をお読みいただくと、著者の結論をまず知ることができる。

 次の個所をご紹介しておきたい。本書のタイトルの由来でもある。
「つまり利休の運命をいろどる栄光と挫折のドラマは、彼の人生の七分の一にすぎない六十代の最晩年、十年間に、凝縮されている。力の出し方でいうと大へん均衡を欠いた、アンバランスな配分の仕方である。異常だし、破調ともいえる。
 利休の悲劇は、彼自身の性格に根ざした内部的な破調に、彼を取りまく外部からの破綻が、相乗作用を起こした結果、引き起こされたもので、せんじつめれば『破調の悲劇』と評することができよう。」 (p30)

<老い木の花 ー海北友松について>
 著者の自宅から車で14,5分のところにMOA美術館があると記す。この美術館で鑑賞した岩佐又兵衛の画業と印象論から始め、海北友松の画業に移っていく。ここでは、「花卉図屏風」(妙心寺蔵)、建仁寺蔵で京都国立博物館に寄託されている「琴棋書画図」「雲竜図」を始め諸作品、「楼閣山水図屏風」(MOA美術館蔵)などの感想が織り込まれて行く。一方で、様々な文献を引用し海北友松の出生から始め彼のプロフィールを描き出す。海北友松とは何者なのかを裏付けのある範囲で描き出している。友松は「よき外護者に恵まれ、自適の安息のうちに天寿を終えた」「孤高の画境をひとり楽しみ、存在の証を絵に託して去った」(p117)と締めくくっている。
 友松の子孫が「海北家由緒記」に述べていることは、贔屓の引き倒しともいえる見当ちがいな肩入れだと批評しているところがおもしろい。

<家康と茶屋四郎次郎>
 「ケネディ王朝をめぐる神話のかずかずは、・・・」という全く方向違いの一文から始まっていく。そして、徳川時代の草創期にも、したたかな政商あるいは傑出した特殊技能の持ちぬしたちが登用され、統一政権の基礎作りに腕をふるったと言う。政商の一人となる茶屋四郎次郎と家康の関係が論じられていく。茶屋四郎次郎は、がんらいが京都の商人で、主な生業は呉服物の調達、納入である。朱印船による公益にも従事したという。

 余談だが、2017.7.22に 祇園祭後祭宵々山に山鉾町を巡っていたとき、この駒札が新町通錦小路上ルの百足屋町、通りの東側で目に止まった。瑞蓮寺に近いところだったと記憶する。南観音山(曳山)を運営する山鉾町である。
 元に戻る。この小論では茶屋四郎次郎の背景を語るとともに、本能寺の変の折、堺に居た家康が伊賀越えの敢行で、虎口脱して無事国許に帰れた裏に、茶屋四郎次郎の協力があったことを論じている。著者は、三代目四郎次郎について「商人ではあるけれどもむしろ彼らは、家康の側近勢力を代表する頭脳集団の、強力な一員であり、秘密警察でもあった」という側面も見つめていて興味深い。

<「綺麗さび」への道>
 この小論は、1996年1月・小堀遠州350年大遠諱記念講演稿に加筆されたため、ですます調の文体で記されている。やわらかいタッチの語りとなっている。
 小堀遠州の生い立ちとその後の武士としての経歴、併せて家族のことを初めに語りながら、遠州の多才さと茶の湯への関わりに話が展開していく。著者の視点は千利休が生きた信長・秀吉の戦国時代と、50年の時の隔たりを置いて遠州が古田織部を師として茶の湯の世界に入っていった以降の時代とのギャップをを見据えていく。戦争がなくなり徳川政権が確立され、天下泰平になっていく時代環境を基盤に生まれたのが遠州の茶の湯の世界だと言う。遠州の50年前は戦国時代の最中、遠州より50年後は爛熟華美な元禄時代だという点を著者は押さえている。そして語る。
 「遠州の茶の清楚、艶麗、清らかでいて上品な、華やぎを持つ趣き」(p150)は、前後50年の時代のずれがあれば相容れられず、「遠州の茶の全き開花も望めなかったのではないか」(p150)と。遠州の茶の湯は時代が生んだという側面があるということだろう。「小堀遠州という人は近世の茶道芸術を集大成した人でした」(p161)と結論づけている。 時代環境を背景とした茶の湯の世界の確立と変遷を著者は論じている。
 ならば、現代という時代環境を背景とした茶の湯の極致は何なのだろう。それは各流派の宗家の継承とどういう関係があるのか。興味を覚える。

 この論評集は考える材料として一読の価値がある。読み継がれていく一冊だと思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項をいくつかネット検索した。一覧にしておきたい。
千利休  :ウィキペディア
古田重然 :ウィキペディア
小堀政一 :ウィキペディア
海北友松 :ウィキペディア
開館120周年記念特別展覧会 海北友松  京都国立博物館 :「Art Age ndA」
桃山画壇と海北友松  :「京都国立博物館」
茶屋四郎次郎 :ウィキペディア
茶屋四郎次郎 :「コトバンク」
日本の歴史を変えたあの「豪商たち」の子孫はいま :「週刊現代」
武者小路千家 官休庵 公式ページ
茶の湯 こころと美  表千家ホームページ
裏千家今日庵 ホームページ
茶道 式正織部流(しきせいおりべりゅう) :「市川市」
茶道扶桑織部 扶桑庵  ホームページ
天下の茶人・古田織部が確立した茶の湯「織部流」 :「鳥影社」
遠州流茶道 綺麗さびの世界 遠州茶道宗家公式サイト
杉本苑子  :ウィキペディア
杉本苑子 NHK 人×物×禄 :「NHK」

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これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。

=== 小説 ===
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社

=== エッセイなど ===
『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版


『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』  濱 嘉之  講談社文庫

2020-07-21 11:31:34 | レビュー
 新しいシリーズの始まり。警視庁総務部企画課のもとに平成12年(2000)にできた新たな組織「情報室」が舞台となる。このストーリーの中核となる人物はこの情報室の責任者の一人、黒田純一情報官である。彼は平成元年(1989)に「警視庁巡査拝命」のノンキャリア。この情報室には、他に情報官として吉田宏、平岩貢、会田孝一、梶原善之が居る。
 この小説は、2007年12月に単行本として出版され、2010年11月に文庫本化されている。つまり、出版時点で捉えるとその7年前がストーリーの始まりになる。フィクションの「インテリジェンス」小説ではあるが、同時代小説として進展して行くストーリーというところがおもしろい。
 プロローグはおもしろい出だしだ。10時半開始と決まっている月曜日の定例会議の前に、公安総務課長から直接に事前打ち合わせの連絡が黒田にあったことから始まる。公安部長室で、議員会館の与党の部屋に一斉に情報室についての怪文書が大阪の池田から郵送されているということを知らされた。この情報室の設置発案者は北村警視総監だった。

 このストーリーは情報室の発案・構築・その積極的活動と成果、そして・・・・というそのプロセスについて、黒田純一を中軸にして語ることがメインテーマとなっている。

 まずは情報室が組織化される背景を語るところから始まる。北村総監が平成10年公安部長時代に、大学の同期で1年先に入庁していた西村官房総括審議官との間で対話したことから情報室が構想された。北村がそれを実現する経緯が最初に進展する。それは北村と黒田のプロフィールを語ることになる。黒田純一に、私は「青山望」を重ねてしまった。(それは、「警視庁公安部青山望」シリーズを先に読んだことによる。奥書を読み、本書の方が著者の作家デビュー作であることを知った次第。)

 さらに、黒田の履歴に溯って行く。これは読者に黒田の類い希な能力をまず描写し、イメージをインプットするためだろう。そこにもう一人、吉田宏情報官の背景にも触れられている。黒田の警察官としての履歴を抽出してみよう。この履歴プロセスでの活躍ぶりの一端が描かれていく。この履歴でのエピソードがまず一つの読ませどころとなる。
  平成5年秋  警視庁新宿署赴任、地域課に所属
  平成6年3月  警視庁公安部総務課兼ねて警察庁警備局警備企画課(内閣官房
         情報調査室)勤務
  平成8年1月  警視庁警務部教養課兼アメリカ連邦捜査局研修 1年間のFBI研修
  平成9年3月  警視庁公安部公安総務課勤務 ゼロの専科教養(半年間の講習)
  平成11年春  警視庁築地警察署勤務 警部に昇任
  平成12年3月 警視庁総務企画課に転勤

 黒田が総務企画課に転勤したのは、「連絡準備室」という名称で新組織を構築するためだった。つまり、情報室である。吉田も同時に異動してきた。黒田と吉田は情報室での係長となる。彼らは部下となる人材を与えられた候補者資料から選抜するとともに、独自に今までの経験から人材の推薦も行った。こういうやりかたは、フィクションなのか実際の警察組織での新規部署立ち上げの際にもあり得ることなのか。その点興味が湧く。
 そして、平成12年6月、北村副総監直轄部隊として「連絡準備室」が警視庁本部11階の奥に、警察庁から着任した丸山管理官(警視)、黒田と吉田(警部)、10人の警部補の総勢13名体制で発足した。看板のない部屋ができたのだ。
 合法的な情報機関の誕生である。10人の警部補は、「国内政党対策、兜町などの経済対策、マスコミ対策、国際問題対策の四つのチーム」(p206)で構成される形でスタートする。
 平成13年9月11日、アメリカ・ニューヨークで発生したテロ史上最悪の参事以降、準備室では、国際テロ組織に対する情報収集も積極的に行われるようになる。イスラエル本国のクロアッハから連絡が入ったことを契機に、黒田は情報収集を目的としてアメリカ・ニューヨークに出張する。情報官としての本格的な行動が始まって行く。この情報収集行動は、たぶん今後の黒田の行動の広がりへの準備となるのだろ。
 クロアッハからニューヨークにおけるコリアン・マフィアの実態を知る。また、偶然にもフィッシュ・マーケットで朴喜進と知り合うことに。朴は世界平和教の幹部だった。アメリカでは要注意人物としてマークされてもいた。

 平成14年4月、警視庁情報室が企画課内に設置されることになる。この準備のために、それまでの体制を二倍の増強するという方針が出される。分室を丸の内管内の民間ビル内に置くという段階まで進展する。そのために、情報官2名を含め10名が追加されるまでに到る。ここでも黒田の発案で興味深い人選が加えられていく。3月上旬に北村副総監は、大阪府警本部長に異動するが、その任務をこなし、警察庁警備局長に栄転する。
 つまり、副総監時代に、先を見越した情報室の形を作ったのだ。
 
 一方、黒田もまた平成16年には管理職試験に合格し、平成17年3月には、情報室に居座りという形で「管理官心得」というポストを与えられることに。

 平成18年春、予定どおり北村が警視総監に就任する。情報室は警視総監直轄のセクションとなる。いよいよ、情報室が本格的に動き始める。
 このストーリーでは、5月に野党・労働党の中堅である川添代議士のところに送られてきた一通の怪文書、内部告発文書を黒田が入手したことを契機に、そこに記されている闇の部分を解明していく調査が始まる。この案件が情報室全体が取り組む大きな仕事となっていく。情報室の腕のみせどころ。黒田を筆頭に、情報室のメンバーが日本の闇に本格的に挑んでいく。この解明プロセスと事件解決がストーリーの最終ステージでの読ませどころとなっていく。その内容は本書を開いてお楽しみいただくとよい。

 警視総監直轄組織として活動し、闇の構造を暴き出した後、情報室がどうなるか。プロローグの怪文書に戻って行く。そこには、一つのオチがあった。
 現実の日本を考えると、この種の組織の存立としては興味深い落とし所と言えるのかもしれない。

 このストーリーに出てくる登場人物に託した著者の視点から興味深い文をいくつかご紹介しておこう。
*国のVIPの最後を看取った女性が、料亭の女将だったりクラブのママだったりという話題に事欠かない日本で、この方面を勉強しない限り、人と人の繋がりや組織と組織の繋がりは理解できない。  p157
*黒ちゃん、情報ってのは結局「人」なんだよ。 p165
*ABCニュースのピーター・ジェニングスが語った「すべての人にとって絶対的な真実はない。だからそれを穿った考えだとしても、コインを見るとその裏側を見たくなる」という言葉は、情報社会にも同様のことがいえる。あらゆる事象の常にその裏側を見ようとする癖をつけていなければ、真実に近づくことはできない。 p340
*政権というのが行政のトップかもしれんが、これが変わっても世の中はそう変わるもんじゃない。しかし、我々警察という行政が変わってしまったら世の中に正義なんていうものはなくなってしまうよ。いくら内閣の中に情報組織を創ったところで、内閣を守る組織に過ぎない。だから僕は警察という、もっと志の高い組織の中に情報部門を創ったんだ。しっかりとした国権の最高機関ができてほしいもんだ。  p374

 このシリーズは2020年7月時点で第7作までシリーズ化されている。 

 ご一読ありがとうございます。

本書と関連する事項で、事実ベースの情報をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
たぶん、このフィクションを創作する上での参照情報やモデルに利用されていると思う。逆にいえば、この小説はフィクションというフィターと著者の視点を通して、現実の政治経済社会と人間群像を違った視点から見つめ直す材料にもなる。考える材料としての面白さがある。
内閣制度と歴代内閣 :「首相官邸」
「特別養護老人ホーム汚職事件」の衝撃 :「トラブルは現場で起きている!」
平成30年史 番外編  :「産経ニュース」
総会屋利益供与事件「内輪の論理あった」日本証券業協会・稲野和利会長 
元総会屋「小池隆一」が話す「俺の口座を通り過ぎた270億円」 :「デイリー新潮」
総会屋事件で引責辞任した野村證券元社長が復活の謎  :「Business Journal」
橋本元首相、新聞記者ら 中国ハニートラップにハマった人々 :「NEWS ポストセブン」
「不倫疑惑」が報じられた政治家は? 山尾志桜里氏への『文春砲』で振り返る :
「HUFFPOST」
警察庁長官狙撃事件  :ウィキペディア
黄金崎不老ふ死温泉 ホームページ
酸ヶ湯温泉  :「青森県観光情報サイト」
作並温泉郷  作並温泉旅館組合公式サイト
陸軍中野学校  :ウィキペディア

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。

『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  文春文庫
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』 文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』 文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』 文春文庫

『カンナ 京都の霊前』  高田崇史  講談社NOVELS

2020-07-19 11:43:31 | レビュー
 カンナシリーズはこの第9作をもって完結する。
 カンナシリーズは『飛鳥の光臨』から始まる。鴨志田甲斐は兄が家を出たために、伊賀・出賀茂神社を継ぐ事になる。兄のように慕っていた早乙女諒司が失踪し、一方、出賀茂神社の社伝、通称『蘇我大臣馬子傳略』と呼ばれるものが盗まれるという事件が起こる。これを発端に、甲斐は盗まれた社伝を取り戻すために追跡していくことになる。この追跡譚が、実は闇に葬られてきた「裏の日本史」を明らかにしていくというシリーズである。
 諒司らしい人を飛鳥で見かけたという情報から、甲斐はまず飛鳥に行くというところから始まる。それは聖徳太子の謎に迫ることになっていく。これを皮切りに、『天草の神兵』(九州・天草)、『吉野の暗闘』(奈良・吉野)、『奥州の覇者』(東北・水沢)、『戸隠の殺皆』(長野・戸隠)、『鎌倉の血陣』(鎌倉)、『天満の葬列』(九州・太宰府、三重・津)、『出雲の顕在』(島根)と全国各地を経巡り、社伝と諒司の行方を追跡していくことになる。それは蘇我家に関わる裏の日本史を解明する上で、関係する場所への遍歴でもあった。
 そして遂に、この『京都の霊前』という最終ステージに到る。

 このシリーズは全巻が一つのストーリーとして繋がっていく形なのだが、各巻が一応そのセクションで一つのサブテーマが完結するスタイルになっている。それ故、この第9作だけを読んでも、シリーズとしての大枠の背景を踏まえることができた上で、この第9作としてのストーリーの展開を楽しめるようになっている。さしずめ、ここでは最後の戦いがサブテーマになっている。

 京都の霊前とはどこか? 京都・嵐山の麓に鎮座する松尾大社の大鳥居から南に300mほどの場所に鎮座する月読神社である。月読神社の背後の山中に「玉莵」(ぎょくと)の本拠地があるのだ。ここを目指して対立する一群の人々が集り、最後の戦いを繰り広げる事態に到る。本書はこの最後の戦いのプロセスを描きながら、「裏の日本史」の謎を解いてゆく。

 プロローグは、三好ハルがロープで首を絞められて殺害されることから始まる。
 そして、まず早乙女諒司と柏木竜之介の行動描写から始まっていく。諒司は竜之介を出雲で、島根の大物政治家に紹介するという行動を取った後、京都を目指す。「玉莵」の本拠地に社伝を持参し竜之介を連れていくためである。なぜか。それは竜之介が天皇の地位に就いてもおかしくはないほど尊い血筋だということによる。「裏の日本史」を正統化する上で、竜之介が必要なのだ。列車での移動中に諒司は竜之介に秦氏のことについて語る。
 月読神社には既に早乙女志乃芙が娘の澪と一緒に来ている。実は澪の体に志乃芙の妹・冴子の冷徹な魂が同居していて、小さな体ではあるが、澪ではなく冴子として志乃芙に対している。つまり、冴子に引っ張られた形で志乃芙がこの境内に来ていることになる。冴子は玉莵の一員として争いの渦中に居る。志乃芙は澪を助けたいためにこの場に居る。
 冴子と志乃芙の間でも、弓月君から始まる秦氏の苦難の歴史が語り合われる。
 
 一方、飛鳥出賀茂神社の風祭宮司は自分のもとに入った連絡を伊賀・出賀茂神社社務所で鴨志田完爾に伝える。それは京都・嵐山で不穏な動きがあるということだった。彼らは玉莵の本拠地がここにあることを知っていた。二人は、甲斐の能力が思わぬ速さで開花してきていることを危惧していた。この不穏な動きが、逆に甲斐の能力を適切に開花させる機会になるのではないかと考える。父の完爾は甲斐を京都に行かせる決断をする。
 そこで、甲斐、丹波の孫娘の中村貴湖、忍者犬のほうろくが風祭と一緒に、月読神社の背後の山にあるという玉莵の本拠地を目指して行く。
 貴湖は玉莵のことを知る為に、やはり甲斐と秦氏のことを京都への移動中に話し合うこととなる。
 読者にとっては、古代における秦氏の存在とその立場・状況への理解が深まるプロセスになる。

 京都に着いた諒司と竜之介はタクシーで、玉莵の本拠地を目指す。だが、そこに諒司を阻止し、『蘇我大臣馬子傳略』を諒司から奪う目的で、波多野村雲流の一団が出現する。諒司の目に前に、良源が現れる。諒司の妻志乃芙の父であり、諒司には義父にあたる。『蘇我大臣馬子傳略』をどう使うのか、二人の間では全く異なる価値観があった。良源と諒司の対峙が争いに転換していく。そこに、冴子たち玉莵の集団が加わってくる。諒司の到着が予定より遅い事から冴子が動き始めてこの争いに気づき割り込んで行く。
 そんな渦中に、甲斐ら一行が遅れて入って行くことになる。
 この渾沌とした状況が、どのように展開していくかは、本書を開けて楽しんでいただきたい。この渦中で甲斐の能力が本人の気づかぬままにステップアップして使われていく。

 この小説にはおもしろいところがいくつかある。
1. 登場人物たちが、様々な立場で古代史における秦氏の存在とその実態および秦氏ゆかりの神々について、様々な資料を引用しながら解明していくことにある。史料の読み方や未解明の部分に焦点があたっていく。
 次のような文献が登場する。『聖徳太子傳略』『八幡宇佐宮御託宣集』『続日本紀』『』『日本書記』『隋書・倭国伝』『上宮聖徳法王帝説』(京都・知恩院蔵)『油日大明神縁起』『伊乱記』『法皇帝説證注』である。
 史料を解釈するおもしろさというものが読者に伝わってくる。そして、歴史とは何かを考え直す情報にはまっていくことになる。
 ここでは結論として、非実在聖徳太子説が論じられていく。スリリングとも言える。

2. オカルト的な要素や忍者犬という要素が加えられていて歴史アドベンチャーとしてのフィクションであることを常に読者に意識させる。その中で史料に記された内容が事実を隠してフィクション化されたものであると論じている点がおもしろい。また、最後の戦いは時代がかった忍者の武器が使われるという設定もまた時代をタイムスリップさせておもしろい。

3. カンナシリーズはこれで完結した。しかし、その中で懸案事項に留まる要素をいくつか残しているという所がおもしろい。少なくとも次の3点が挙げられる。
 1) 文中の会話の中で、時折、「このことはまたあとで」と保留されていく事項があること。これは著者の他の小説にも出てくる。将来の作品への伏線なのか。
 2) 甲斐が出雲から戻って来た時、甲斐を守るべく海棠聡美が毒矢の犠牲になって入院する。ICUにて治療を続ける状態が続く中で、このストーリーは完結した。甲斐と聡美の関係はどうなるのか。このままでは終わらない・・・・・といえる。
 さらに、この病院で、海棠鍬次郎、つまり”名張の毒飼い”に面会するために御名形史紋がちらりと登場する場面が出て来る。これもまた、今後への伏線なのか。
 3) エピローグで、甲斐は父から兄の翔一が神社に戻って来ることを知らされる。さて、甲斐の立場はどうなるのか。
 この小説の最後は「さてさて。これから一体、どうなるのだろう--。」という文で終わる。
  これだけでは終わらないだろうな・・・・。いつか、続編シリーズができるのでは? そんな気にさせるのだが・・・・・。

 いずれにしても、このシリーズは完結した。読むのが遅くなってしまったのだが、この第9作、最終巻は2012年7月に出版されている。
 

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して、実在する事項について少し調べてみた。一覧にしておきたい。
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徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)
『源平の怨霊 小余綾俊輔の最終講義』  講談社
『QED ~ortus~ 白山の頻闇』  講談社NOVELS
『QED ~flumen~ 月夜見』  講談社NOVELS
『QED ~flumen~ ホームズの真実』  講談社NOVELS
『古事記異聞 オロチの郷、奥出雲』  講談社NOVELS
『古事記異聞 鬼棲む国、出雲』  講談社NOVELS
『卑弥呼の葬祭 天照暗殺』 新潮社
『神の時空 京の天命』  講談社NOVELS
『鬼門の将軍』   新潮社
『軍神の血脈 楠木正成秘伝』  講談社
『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS

『聖女の救済』  東野圭吾  文春文庫

2020-07-18 11:54:13 | レビュー
 この小説の終極に近いセクション32に、「綾音にとっての結婚生活とは、絞首台に立った夫を救済し続ける毎日だったのだ」という一文がある。「聖女の救済」という言葉はここに由来するようだ。聖女は綾音をさすことになる。

 綾音は真柴義孝と結婚し後少しで1年を迎える。綾音はパッチワーク作家で、代官山に「アンズハウス」というパッチワーク教室を開校している。義孝はIT関連の会社を経営する社長だ。綾音には若山宏美という弟子がいる。「アンズハウス」には約30人の生徒が綾音直伝のパッチワークを習いに来ていて、宏美はその指導の手伝いをしている。宏美は真柴夫妻の自宅に出入りもしている。一方、義孝は猪飼という弁護士を会社の顧問として迎えていて、猪飼とは親しい間柄である。猪飼を伴い義孝はあるお見合いパーティの会場に行く。そこで義孝は綾音と出会い、わずかの交際期間の後に二人は結婚するという形に進展した。結果的に猪飼はその会場での二人の出会いの証人となる。
 このストーリーは、義孝が猪飼夫妻を自宅に招き、ホームパーティを開くという日から始まって行く。猪飼夫妻がやってくる前に、義孝は綾音に結婚前に話していた己のライフプランの話に触れ、「俺はそう思うんだ。信じているし、その信念を変える気はない。で、信念を変えない以上、子供を持てる見込みのない生活を続けるわけにはいかない」と告げる。離婚宣告である。綾音との間には、子供が生まれる兆候が今までになかった。
 猪飼夫妻が訪れて始まるホームパーティには、若山宏美も参加する。猪飼夫妻の間には2ヵ月前に、待望の赤ん坊ができたところだった。猪飼達彦は42歳、由紀子は35歳であり、二人は滑り込みセーフという台詞を何度も口にしていた。猪飼夫妻へのお祝いのパーティだった。パーティは和やかな雰囲気で午後11時過ぎに終わる。
 その翌日から、綾音は父の具合が良くないからという理由で、2,3日札幌の実家に帰ることにした。帰る前に綾音は、翌朝パッチワーク教室の前で待ち、宏美に自宅の鍵を預けて、札幌に向かった。

 宏美は義孝との間に関係ができていた。綾音が札幌に発った日、パッチワーク教室の仕事が夜まで続き、最後の生徒を送り出した頃に、義孝は宏美の携帯電話に連絡を取ってきた。自宅で会おうと言うのだ。義孝は綾音が離婚を納得したと言う。そういうルールだったからだと。
 翌日の日曜日、宏美は綾音から引き継いだ池袋のカルチャースクールの講師のアルバイトがあった。義孝は宏美の仕事が終わった後一緒に夕食を摂ろうと言い、電話をしてくれと宏美に言っていた。宏美は義孝に電話を入れるが繋がらない。結局、真柴家まで行き、リビングルームに灯りがともっていたので、綾音から預かっていた鍵で中に入る。義孝が自分で入れたのだろうコーヒーの匂いがしていた。リビングルームのドアを開ける。そして、義孝が死んでいるのを発見する。
 宏美は119番に通報し、救急隊員が死亡を確認、近所の医者に来てもらい死体を診てもらったところ死因に不審な点があるとのこと。そこで救急隊員が所轄署に連絡を取った。内海薫と岸谷、係長が先着していて、草薙が現場に到着する。
 死因は毒物の疑いが濃厚だが、自殺・他殺の両面が考えられ、お呼びがかかったのだ。後に、残っていたコーヒーから亜ヒ酸ナトリウムが検出された。初動捜査から他殺と判断され、本格的な捜査が始まって行く。草薙・内海らがこの事件を担当していくことになる。

 このストーリーの展開でおもしろい点がいくつかある。
1. 綾音とのコンタクトが取れ、草薙は義孝の死について伝える必要性から空港に綾音を出迎えに行った。綾音を空港で見るなり、綾音に魅了されてしまう。本文では次のように描写されている。
 「彼は動揺していた。彼女から目が離せなかった。なぜ自分の心がこれほどまでに揺さぶられるのか、自分でもわからなかった」(p51)と。
 被害者義孝の妻綾音には土曜日・日曜日、札幌に帰省していて、北海道に滞在していたアリバイが厳然とあった。勿論、草薙と内海は札幌に飛び、その裏付け捜査を実施し、その確証をとる。
 草薙は、綾音は殺人事件とは無関係という立場を取る。綾音を捜査対象に考えようとせず、綾音に同情的な雰囲気を示す。
 事件の捜査が進展する中で、草薙のスタンスと心理がどのように変化するのかしないのか。そこが今までにない設定でおもしろいところである。

2. 第一発見者の若山宏美がまず定石的に疑われる。そして彼女のアリバイ捜査と周辺捜査が進められる。その結果、宏美を被疑者から除外する決定的な理由が明らかになっていく。この本人への聴き取りと周辺捜査のプロセスおよび揺れ動く宏美の心理描写がまず一つの読ませどころである。

3.殺害された義孝がどのような人物だったか? この点も殺人犯を追跡する上での重要事項として周辺捜査が進められる。猪飼達彦への聴き取りから始まり、少しずつ義孝の隠された過去の部分が明らかになっていく。草薙は思わぬ糸口にたどり着く。

4.綾音に魅了されている草薙には無断で、内海は独断で行動し、湯川に相談を持ちかけ協力を依頼することに。警察との関わりはもう持ちたくないと当初拒絶していた湯川は、内海の説明を聞かされて、完全犯罪的な事件の状況に関心を抱く。内海に協力する行動に豹変する。待望のガリレオ先生の登場である。内海は一貫して綾音が犯人である可能性を捨てずに捜査活動を進める。何らかの殺害方法があるはずだ・・・・と。
 内海はちゃんと湯川の指示しそうな情報はとりまとめて持参していた。判明している客観的事実情報をベースに、湯川の論理的な分析と推論、仮説設定が始まって行く。勿論、例の如く、現場を検分したいという湯川の要望に内海は対応していく。途中から草薙が湯川の協力を知ることに。だが、草薙は湯川とは一歩距離を置く。
 湯川の推論と仮説設定がどのように展開していくか。これが読ませどころとなるのはいつもの通りである。湯川は一つの仮説が駄目になろうと意に介さない。科学の考え方とはそういうものだと。
 湯川の推論と仮説の構築・瓦解のステップ・アップがどのように展開していくかをお楽しみいただきたい。

5. この事件に協力する行動に乗りだした湯川の興味深い発言をいくつか抽出して、ご紹介しておこう。
*内海に対しての発言
 「だけど僕は科学者だからね。心理的に不自然な説と物理的に不可能な説では、どっちを選ぶかと訊かれれば、多少抵抗はあっても前者を選ばざるをえない。」 p221
*内海に対しての発言(毒を入れる方法について)
 「僕が出した結論は、この方程式に解はない・・・・ただ一つを除いてね。ただし、虚数解だ。理論的には考えられるが、現実的にはありえない、という意味だ。・・・・それを実行した可能性は、限りなくゼロに近い。わかるかい? トリックは可能だが、実行することは不可能だということなんだ」 p287
*草薙に対しての発言
「特別な感情を持ったって、別に構わないんじゃないか。僕は君のことを、感情によって刑事としての信念を曲げてしまうような弱い人間ではないと信じている。それともう一つ、君がいっていることは、おそらく正しい。彼女は愚かな人間ではない」  p336

 完全犯罪に近い状況をどう打破できるか。湯川の推論が最後には勝った。
 その最終的証拠になるものを、何と草薙が保管していたのだから、おもしろい。
 冒頭の引用文の持つ意味の重みを楽しんでいただきたいと思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心をいだいた事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
パッチワーク :「コトバンク」
パッチワークって何? パッチワークの歴史 :「FELI-DA フェリダ」
亜ヒ酸ナトリウム :「国際化学物質安全性カード(ICSCs)」
SPring-8とは? :「SPring-8 大型放射光施設」

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その点、ご寛恕ください。)


ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社


『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書

2020-07-13 17:54:37 | レビュー
 「はじめに」に、「ほぼ五百年前に日本で成立し、現在まで受け継がれている日本独自の茶文化である茶の湯の歴史について述べる」(p5)という目的で本書が書かれたと明記されている。著者自身が記すように、本書にはいくつかの特徴(視点)がある。
*茶の湯の中だけの歴史にこだわらず、日本文化の中での茶の湯の位置づけを扱う。
*9世紀から現在までの日本の社会において、茶文化がどのように受容されたかを扱う。
*それぞれの時代において茶文化に関わった人物を手がかりにその時代の茶文化を捉える。
 「茶人」「茶の湯」といえば千利休を即座に連想し、日本文化の通史のなかで利休とその周辺の茶人に焦点があたっていく説明か・・・・と思うなら大きな間違いになる。千利休に関して本書は、直接的には「第三章 茶の湯の大成」の中の「4 侘数寄の確立-豊臣秀吉と千利休」で、14ページと数行により秀吉と関係づけて語られるだけである。
 その続きに「宣教師の見た茶の湯 -ルイス・フロイス」がつづく。フロイスの目に映じた堺の町人(茶人)たちの茶の湯の状況が記されている。ここは8ページ弱の説明。
 同章の「6 『へうげもの』の世界-古田織部」が7ページ、「7 武家式礼としての茶の湯-小堀遠州」が8ページ、「8 『姫宗和』の実体-金森宗和」が9ページという風に、茶人たちを手がかりに千利休没後の時代の日本社会と茶文化を捉える説明がバランスよく続いている。日本文化史通史としては、千利休もまた一茶人なのだ。
 また、この第3章は、「1 点前の確立-光明院実暁」(8ページ)から説き起こされ、「2 堺の町衆と茶の湯-武野紹鴎」(6ページ)と続く。武野紹鴎-千利休という系譜は、小説を含めた利休関連書で知っていたが、光明院実暁という茶に関わる人物の存在を本書で初めて知った。抹茶を日本に請来し『喫茶養生記』を著した明庵栄西は知識にあるが、茶人等については点的知識しか持ち合わせていない。岡倉天心著『茶の本』を通して、茶の形態の変遷なども多少は学んでいたが、茶文化の流れという視点で、私の知識と理解はかなり粗いままということが良く分かった。本書で具体的な通史としての理解が深まり、知識を得たと思う。
 この章は「3 覇王の名物狩り-織田信長」(6ページ)に続く。茶の湯に目を付けた信長が「御茶湯御政道」として政略的に茶の湯を利用したことが6ページ弱で簡潔にまとめられている。たぶん信長自身も独自の茶人の感性をもっていたのだろう。
 興味深いのは、この第3章が千利休の没後、茶の湯は時代の流れに合わせて変遷したことを説明している点である。
 利休の系譜は千宗旦を経て、「宗旦の子供たちがそれぞれ祖となった三千家の茶の湯が一世を風靡するようになるのである」という時代へとめぐる。第4章では18世紀の家元制度の確立が、利休の神格化に大きな影響を及ぼしているとする。

 本書の章立て構成とそこで着目された茶に関係する人物や茶人たちを列挙しておこう。彼らの名前をキーワードにして、茶と日本文化史の側面がイメージできるだろうか。すんなりと連想していける人は、本書をスルーしてしまっても支障がないかもしれない。私はスルーできず、学ぶことが多々あった。また通史としての理解を深める上で復習になった部分もあった。

 第1章 茶の伝来  
   菅原道真、名庵栄西、叡尊慈円、金沢貞兼
 第2章 飲茶風習の広がり
   夢窓疎石、佐々木道誉、道香後家、正厳正徹、足利義政、古市澄胤
 第3章 茶の湯の大成
   光明院実暁、武野紹鴎、織田信長、豊臣秀吉と千利休、ルイス・フロイス
   古田織部、小堀遠州、金森宗和
 第4章 展開する茶の湯
   隠元隆琦、松尾芭蕉、近衛家煕、川上不白、上田秋成、松平不昧
 第5章 茶文化はどこへ行くのか
   大浦慶、高橋箒庵、柳宗悦、跡見花蹊、久松真一

 第5章で、著者は上記の茶に関わる人物や茶人を手がかりに茶文化について論じている。その論点をご紹介しておきたい。具体的な内容は本書の該当個所を読み、お考えいただくとよい。
*碾茶の生産量は1965年と2004年を比較すると「4.7倍の1490トンと飛躍的に増大している」が、茶の湯における「抹茶としての消費量は減少傾向にある。」(p212)
*「むしろ洋の東西を問わず茶を飲むそれぞれの国において新しい茶文化が形成されつつあるのではなかろうか」 (p213)
*昭和の初期に高橋箒庵と高谷宗範が「茶の湯」における遊興性と修行性について対立論争をした。この対立は江戸時代初期から見られる。この対立が「近代に入ってもなお続いていることを示すばかりか、論争を通じて茶の湯の遊興性が高らかに主張されたのはそれまでになかったことであり、その後の茶の湯に与えた影響は大きい。」(p222)
*民芸運動の提唱者・柳宗悦は、「茶の病」という表現を使い、当時の茶の湯を批判した。「『茶の湯の美』そのものについての柳の批判は、いまなお茶の湯に対して問いかけ続けているのではなかろうか。」(p229)
 「侘数寄の美意識からほど遠い物も茶道具として取り込んでいる。」「やはり本来は茶の湯の美とは異なる性格のものが混淆していると見るべきであろう。その結果、茶道具を見る人々に混乱を与え、ますます茶の湯をわかりにくいものにしているのではなかろうか。」(p229)
*「今後『遊芸は自ずから女子教育の専有』であること以外に理由が見つけられないまま、依然として女性が多数を占め続けるのであれば、茶の湯の将来は危ういといわなければなるまい。」(p238)
*茶の湯は、儀礼・社交・芸術・修行・遊興の5つの要素を内包する。久松真一の主張を、修行性を基盤にしながらも他の要素をバランスよく持たせることを意図し、論理的に説明していると理解するなら、「久松のいう『心茶』が、これからの茶の湯の進むべき一つの道を指し示しているように思われる。」(p246)
 
 著者は「終章 茶の湯と日本文化」で岡倉天心の『茶の本』に言及している。天心が英語で発表した著作であるが、「天心が意図したのは茶の湯を通じて日本の文化を紹介することであり、また同時に日本の芸術や文化がいかにすぐれたものであるかを欧米の市民に訴えかける啓蒙書でもあった」と記している。
 この記述に対比するなら、本書もまた日本文化全般が茶の湯と如何に密接な関係を持ちながら変遷してきたかをまず日本人が再認識するための啓蒙書と言える。

 茶の湯とは何かを知ろうとすることは、日本文化の様々な領域・側面を知ることにつながるという点を著者は重視している。その広がりが多方面に及ぶこと、すなわち能・花・香などの伝統芸能が日本文化の一面を内包することとの大きな違いを強調している。
 茶の湯の点前はパフォーマンスアートであるが、茶室は日本建築に、茶道具は美術(絵画・書など)や工芸(焼き物、漆など)を内包する。花を生けることをはじめとする自然との共生感覚、日本料理(懐石・茶菓子など)、茶道具や茶菓子に付けられた銘と古典のつながり、という文化面にもつながっていく。多方面の日本文化を内包する茶の湯の豊かさに著者は着目している。また、日本文化史の視点から読者が「茶の湯」に着目し、日本文化を深く理解していくことを期待しているとも言える。
 一方で、若者の日本文化離れは、茶の湯を含め現在の日本文化が、世代間の行き違いを引き起こしていることによると問題提起している。現在の茶の湯に対する問題提起でもある。巻末の「日本文化離れ」「豊かな日本文化のために」の個所をお読みいただくと良い。
 
 茶文化の変遷とその広がりを概観するのに新書で250ページほどというのは手頃なボリュームである。身近に置き参照するのに便利な啓蒙書の一冊と言える。2007年2月に出版されている。

 ご一読ありがとうございます。

これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 小説 ===
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社
=== エッセイなど ===
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版

『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  濱 嘉之  文春文庫

2020-07-11 18:57:25 | レビュー
 2015年1月に文庫のための書き下ろしとして出版された。
 青山望シリーズの『巨悪利権』の読後印象を既にご紹介しているが、そのストーリーに以下の記述が出ていることに気づいた。p87の会話である。
 「本部長も運が悪かったとしか言いようがないですね。」
 「総理大臣秘書官を務めた相手が悪すぎたからな・・・・」
 「歴代総理大臣史上、最悪の大臣に就いてしまったというのは、不運以外のなにものでもありません」
 「小山内和博官房長官の鶴の一声で飛ばされた・・・・という感じだったからな・・・・・政権交代というのは役人にとっては運不運に直結してしまう」
 警察キャリア官僚の交わす会話に、本書の登場人物の名前がさりげなく挿入されている。『巨悪利権』は文庫書き下ろしとして、2015年10月に出版されている。

 そこで、本書を読むと、2ケ所で青山望の名前が間接的にチラリと登場する。後で触れる。つまり、緩やかに本書と青山望がリンクしているところがおもしろい。

 さて、本書はフィクションという形で現在を扱う同時代政治小説と言える。このストーリーの流れを捉えると、現在の長期政権をモデルとして、それを著者流のフィクションに変換した政治小説であるのは明かと思う。ただし、「実在のものと一切関係がありません」という奥書の明記が逆に、このフィクション化を通して、著者の現状の政治世界に対する視点が色濃く折り込まれていると思う。風刺漫画というジャンルがある。この小説にも所々に一種の諷刺的視点やシニカルな視点が含まれている。また著者の視点に立った国際外交視点や国内問題視点が登場人物に投影されているように感じて興味深い。
 本書は、プロローグから始まりエピローグまでの間が8章構成になっている。その内容は、各章が時系列に添った短編連作として構成されていると受けとめた。内閣官房長官・小山内和博が、その職責を果たすために、課題や問題事象に「電光石火」の如く、素早く対処していくプロセスを描き出した小説という印象である。

 ストーリー全体を通して中軸として登場する主な人物は2人である。
 まずは、小山内和博。プロローグは沖縄の基地問題に関連して、沖縄に向かい着陸態勢に入った飛行機の機内の描写から始まる。その中に、プロフィールが書き込まれている。政治家になるまでの小山内の略歴。そして、野党から与党に返り咲いた民自党の第二次安藤孝太郎政権において、内閣官房長官に就任したこと。沖縄問題は小山内がその重要政策を中心になり担当することを任されているという位置づけにあること、などである。
 もう一人が、官房長官付秘書官の太田祐治。東京大学法学部を卒業し、1989年に警視庁に入庁したキャリアで、刑事畑のエース候補だったが警備警察に鞍替えし、その後警察庁警備局で「チヨダ」の校長、さらには県警本部長を経て、政権交代前の官房長官秘書官に就いていたという経歴の持ち主である。異例なことに、警察庁長官官房人事課長の指示で、政権交代にもかかわらず引きつづき、官房長官秘書官の職務に就くことになった。小山内の指示のもとに、情報収集・分析を担当する。太田の類いまれな情報収集能力とその分析力が小山内から評価される。
 このプロローグ(p15)に、太田が通称「チヨダ」の理事官をしていたときに、まだ1回生の小山内を将来は幹事長候補と報告した担当者として青山望が登場する。ここには青山という名は出て来ないが、青山望シリーズの愛読者にはすぐピンとくる記述個所である。
 このストーリーは、政権確立後数年間の小山内の活躍を主に太田の視点から描いて行く。

 それでは、それぞれがほぼ独立した短編になっている各章を簡単にご紹介しよう。

<第1章 合従連衡>
 第2次安藤政権を確立するために、小山内が民自党総裁選において、安藤を総裁にするための合従連衡の戦略を繰り広げるプロセスを描く。いわば、長期政権樹立へのスタートラインである。併せて、官房長官の日常の行動パターンが描き出される。

<第2章 一気呵成>
 総裁戦後、小山内は官房長官に就任する。だが、これは本人の思考の外にあったという。党派に属さない官房長官として、周りからのやっかみもある。
 安藤と小山内が検討してきた官邸機能充実・強化の方策を一気呵成に推進する姿が描かれる。アジアの友好国に対するビザの緩和問題。省庁が提出する人事案の決め打ちに対し、政治家が決める方針の徹底。国家公務員の人物チェックなどが描かれて行く。

<第3章 巨大利権>
 民自党の長谷川幹事長が銀座のクラブで遊び、新人のホステス木綿花(ゆうか)との間での会話とそのエピソードから始まる。長谷川と美人ママの関係は政治記者には公然の秘密といえるものという記述が興味深い。この新人の木綿花が、第7章に少し顔を出すのもおもしろい。
 小山内が8回生で利権とは縁がなさそうな、清貧な人と思っていた山岡代議士が巨大な利権事象に関係していた事実が暴かれる。太田は警視庁公安部の藤林理事官から情報を収集する。公安部は10年前からマークしていたという。一方藤林は、官房長官が注意すべき人物名をさりげなく太田に告げた。
 
<第4章 官邸激震>
 日本人拉致問題の解決に対し過去のやり方を変更し、正規の外務省ルートを使うだけの特使派遣問題から始まる。小山内と大手出版社編集局長との国際情勢談義に触れる。その後、「イスラムの春」というイスラム原理主義の中でも注目されている過激派が日本国に対して戦線布告してきた。警視庁公安部がその兆候から既に対処を始めていた経緯と、その措置対応が描かれる。そして、国連問題に目が向けられる。

<第5章 内部調査>
 小山内が官房長官に就任して早1年9ヶ月が過ぎた時点で、内閣改造の話が記者会見の話題になる。そんな最中に、出版社系週刊誌の編集長から、小山内は過去の2人の官房長官との比較特集を組みたいという要望の打診電話を受ける。これを契機に、太田が党内の2人の元官房長官について情報収集・分析して、小山内に提出する経緯が描かれる。小山内は公安の怖さを認識することに・・・・。そして、小山内が集団的自衛権の憲法解釈問題をどうみているかが語られて行く。
 このストーリーから、ネット検索してみて具体的な情報を入手でき学ぶ事項があった。小説を介して、実際の資料に一歩踏み込めるのもおもしろい。

<第6章 二重失策>
 民自党内の幹部に問題事象が発生する。それに対し、小山内がどう対処するかが描かれて行く。その対処方法にはリアル感がある。
 一つは、長谷川が再び閣僚になり、大臣としてSPの警護がつく立場になる。その長谷川がお忍びで高級クラブに出かけてしまう。その現場を記者に見つけられ、ゲラ刷り段階まで行くプロセスが描かれる。
 もう一つは、警視庁公安部の青山望警視が太田に連絡してきた。1999年に成立した議員立法の法律に関連していた。その前段階に国会議員数十人が東南アジアに視察したときのある不祥事のネガを青山が入手したという。それは大森議員に関係するものだった。青山望がここに顔を出した!

<第7章 日本再生>
 赤坂の個室居酒屋で小山内が番記者たちと懇談会をする場面から始まり、閣僚経験者2人が議員宿舎近くのクラブで政府批判話をしているときのエピソードに場面が転じる。この場面での展開がけっこうおもしろい。そして、総理執務室に集まった人々の談話場面に移っていく。それぞれの場面は、地方の再生、沖縄の再生という地方分権問題に関わっている。つまり、如何に日本を再生できるかという話題である。
 
<第8章 青天霹靂>
 小山内の地元後援会長の武田純一郎が官邸を訪れてくる。武田は会社と自宅周辺に右翼団体がこの10日間街宣をかけるようになったことを説明に来たのだ。そこには不正輸出問題が絡んでいた。それは、小山内の盟友・国分県議にも関わりがあった。
 小山内は国分と会い話し合う。その後、地元事務所の周辺で右翼の街宣車が騒ぎ出したという連絡が入る。太田はこのことを聞くと、自分が既に入手している情報を小山内に説明した。武田・国分のそれぞれの説明に喰い違う部分もあった。また警察庁がオカルトと認定する半島系宗教団体が関わっていた。小山内にとって青天霹靂のできごとは意外な展開となっていく。

 エピローグは、政権発足から2回目の冬がめぐってこようとしている夜に、小山内と太田が、プライムリブステーキの専門店で会食しながら様々な事象について会話をする場面で終わる。その夜は十三夜の月が輝く、171年ぶりのミラクルムーンだった。
 調べてみると、171年ぶりの「ミラクルムーン」は2014年11月5日の月だった。

 ご一読ありがとうございます。

本書の素材・モデルという視点で関心を持った。検索した事項を一覧にしておきたい。
小説というフィクションは、現実に存在するものをモデルにしている場合が多い。すべてをゼロから創造することはいくら優れた作家でもたぶん困難なことだろう。作家がモデルからどのようにフィクションの世界に変換し、ストーリーを創作することができるかである。そこで逆に、モデルかなと思われる現実の情報の一端を調べてみるのも興味深い。
安倍晋三 :ウィキペディア
安倍首相 突然の辞任 :「NHK放送史」
歴代の内閣官房長官 :ウィキペディア
菅義偉  :ウィキペディア
二階俊博 :ウィキペディア
後藤田正晴 :ウィキペディア
女性国家公務員からのメッセージ  :「内閣官房」
邪魔者には消えてもらう 財務省が指令「村木厚子を厚労省からいびり出せ!」:「週刊現代」
村木厚子  :ウィキペディア
政界の風見鶏 パフォーマンスの先駆け―故中曽根氏 :「JIJI.COM」
歴代総理の胆力「田中角栄」(1)「コンピューター付きブルドーザー」の異名  :「Asagei Plus」
「自民ぶっ壊す」で大勝(都議選2001) :「日本経済新聞」
「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の一問一答 :「内閣官房」
官房機密費  :「コトバンク」
元内閣官房長官が内閣官房機密費の具体的使途に言及した件に係る平野博文内閣官房長官の見解に関する第三回質問主意書 平成22年5月26日提出 提出者 鈴木宗男:「衆議院」
菅官房長官が自由にできる「官房機密費」6年間で74億円 2019.6.9 :「Smart FLASH」
総理番は見た!安倍首相が夜会合解禁…「盟友会合」と「すっぽん汁密談」で探った人事と解散戦 :「番記者の目」
政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている  :「東洋経済」
次はいつ?171年ぶりの「ミラクルムーン」 :「NAVERまとめ」
「ミラクルムーン?」  天体の記事  :「星空日記コリメート風」

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』 文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』 文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』 文春文庫

『コイコワレ』 乾ルカ  中央公論新社

2020-07-10 15:33:19 | レビュー
 文芸誌『小説BOC』創刊号~10号(2016年4月~2018年7月)に連載されたものに加筆・修正を加えて、2019年6月に単行本化された小説。本書も「螺旋プロジェクト」の一冊であり、螺旋年表では、昭和前期を取り扱う位置づけになっている。

 この小説は、昭和19年(1944)の夏の盛りを過ぎた時点から始まり、昭和20年(1945)の東京大空襲により東京が焦土と化した3月10日までが時代背景となる。
 主人公の一人は、東京の国民学校6年生の浜野清子。学校単位での集団疎開に組み込まれた一人として列車で宮城県に出発する場面からストーリーが始まって行く。清子は妖怪、米英の間諜などと言われ周囲の子どもたちからは忌み嫌われる存在である。それはなぜか? 清子の目が蒼いからだ。
 母と食堂を営んでいた父は昭和18年に突然に事故死した。父母が一緒に懇意の農家に蕎麦粉の買い付けに行った帰りの事故だった。母は危ういところを祖母から貰ったお守りで救われ、お守りは身代わりかのように粉みじんに壊れたという。父は普通の人だったが、母は清子と同じ蒼い目だった。清子の母は家の大黒柱の一部をくりぬき、それで螺旋模様を彫り込んだ首飾りをつくった。清子が疎開地へ旅立つ日に、それを清子の首にかけ、自分のかわりとなるお守りだと告げた。
 宮城県のとある駅で下車後、10班に編成された生徒たちは、引率の先生に率いられ、順番にそれぞれの疎開先に分かれて行く。5年生と6年生の16人で編成された第10班には、山の方向に2時間ほど歩いた先にある高源寺が決められた疎開先だった。清子を含む第10班の16人と引率の女教師・金井先生は、高源寺の住職家族の世話になり、お寺の本堂を借りて、共同生活を始めることになる。

 この高源寺に着いてから、清子は心をざわつかせ反射的に無意識に感応させる存在に気づく。それがもう一人の主人公となるリツという女の子だった。リツもまた清子の存在に感応し、心に爪を立てられたかのように荒立ってしまう。二人の目が合い、互いの存在を確認した途端、清子は無数の棘が肌を刺す感覚を初めて味わい、リツもまた体中の体毛が逆立つ思いを感じた。二人の間には、対立感情、敵意しか生まれなかった。対立の始まりである。

 リツは短い前髪のおかっぱ頭で、凛々しい眉が吊り上がり、黒い大きな目と大きくとがった耳を持つ、日焼けした女の子である。集落の国民学校の男児からは「那須野リツは山犬のリツ」と揶揄される。リツの身のこなしや耳の形から山犬と揶揄されている。リツは高源寺の住職家族の一員として育てられている。しかし実は、山中の掘立小屋に一人暮らしをする今谷源助老人が拾った赤児で、高源寺に源助が預けたという経緯があった。拾った子というが、そこにはもっと哀しい現実が背景にある。
 リツは学校に行き勉強することより、野山を駆けたり、源助老人のもとに行くことを好んだ。野山の少女である。源助老人を「爺つぁま」と呼んで親しんでいる。また、様々な事を源助から学び取っている。清子の目の蒼いことや嫌悪感を無意識に感じることまで、源助にすべて話していく。そのリツがあるとき、源助の片目が蒼いことに気づく。だが、リツは爺つぁまには敵意や嫌悪感などは一切感じないのだ。

 このストーリーには、いくつかのテーマが含まれているように思う。
1.「螺旋プロジェクト」の一環として、海の族と山の族の対立は、清子とリツの間における対立という形で描き出されていく。無意識に起こる対立感情、敵意が互いの間で現出し、それがエスカレートし、爆発する。それがどういう結果になるか。それが主たるテーマとなり、そのプロセスが描かれて行く。
 このプロセスを急展開させていく起因は高源寺の住職家族の一員である那須野健次郎に召集令状が来たこと。そして清子の首飾りが盗まれることがトリガーとなる。
 それが因となり、どういう状況が連鎖的に起こっていくか。そのプロセスが読ませどころとなる。
 
2.清子が、あるいはリツが、その周りの子らから嫌われたり、揶揄されたり、除け者にされたりすることで疎外されるときの感情と、海の族と山の族とが接触することで発生する対立感情との質的、次元的な違いを対比的に描き出すこと。このコントラストの描写が補助的テーマとなっている。

3.海の族と山の族の対立を理解し、その両者の間において第三者の立場で関わりを持つ存在の有り様を描く。なぜか源助老人がその立場になる。源助はリツを見守り続ける立場となる。ある意味で仲介者的役割を担う者の存在と限界を描き出すこと。これもまた補助的テーマといえる。
 たとえば、リツが目にした清子の首飾りの形を源助に語ると、源助は「まだ、作れるものがいだか」とつぶやく。源助は、リツに「海ど山の話だ」と語り始める。(p71-72)
 また、疎開児童たちは山に入り薪拾いの作業をする。その時、清子は炭を背負った源助に出会う。その時源助は清子に言う。「いづかリツがおめえになにがを乞うだら、一度でいい、聞いてけろ。おめえは気進まんだべが、そのどぎだけは折れてけろ」(p88)と。
 また、リツが大事件を引き起こした後、源助はリツに言う。「本当に強い者は、憎しみを相手さ向げね。その、自分の憎しみど戦う」(p170)と。この言葉は、再度出てくる。
 以下の5の項に関係する文脈でのことだが、源助はリツに言う。「自分が嫌な思いを引ぎ受げ、おめにいい思いをさせる道を選んだ。少なぐども、今朝はな」(p256)と。

4.集団疎開による共同生活がどういう状況であったかを描くこと。そして、その時の教育方針と教育がどういうものだったかを具体的に描くこと。
 教育という現場において、集団疎開という史実があったことを、フィクションという形を介してであるが、具体的に描き出し風化させない試みという側面もあると思う。
 戦争という対立が生み出した影響と結果の一つを描き込むということになる。ここにもまた、別の次元での対立や疎外が生まれていく。
 パラレルに進行するテーマと言えると思う。

5.上記1のテーマの一部とも言えるが、清子の母が経験から体得した対立の止揚について、清子が自ら考え実践するプロセスを描く。これ自体を一つのテーマととらえることもできるだろう。
 集団疎開先に、疎開児たちの親たちが一度訪ねて来る。清子の母も高源寺にやって来る。その時、結果的に清子は疎開先の生活での苦しみをすべて母に訴えてしまう。その時、母は清子に言う。「嫌いだという感情をただぶつけるのは、お腹が空いたから泣く赤ん坊と同じ。憎しみを抱いても、争わないでいることはできるはずです」「自制しなさい。好きな相手には、自然に気持ちの良い振る舞いができるもの。だから嫌いな相手には特に意識して、誰よりも丁寧に、親切になさい」と。(p238)
 清子は、心を閉ざしていたのは自分のほうかも知れないと受けとめ、身近なところで母の言葉を実践しようと行動を取り始める。寺で共同生活をする疎開児童に対して。また、リツに対して。
 己が行動で実践するプロセスを通して、清子は気づく。次の一文が記されている。
「蒼い目を理由に意地悪の炎をつけたのは周りの子だが、炎に油を注いだのは自分自身だったと、清子は気づいたのだった」(p264)

 昭和20年3月に、清子たち6年生が卒業とその先の受験を控え、東京に戻る日が来る。帰京の列車が出発する直前に再び問題事象が起こる。それは運命の分かれ目にもなっていく。

 このストーリーを貫くキーワードは「首飾り」である。後は本書を読み、その意味を確かめていただきたい。

 最後に、本書のタイトル「コイコワレ」は、考えて見ると、主人公の浜野清子、リツ、那須野健次郎、疎開児童のそれぞれが、それぞれの胸中に抱く思いが重層化された言葉として選択されているのだと思った。様々な色合いの思いと重みを重ね合わせ凝縮した「コイコワレ」である。

 ご一読、ありがとうございます。

本書からの関心事項として、幾つか検索してみた。一覧にしておきたい。
集団疎開  :「コトバンク」
学童疎開  :「コトバンク」
疎開    :ウィキペディア
資料室 戦争に伴う学童疎開の記録 :「京都市学校歴史博物館」
戦争体験談「集団疎開の思い出」 池田眞砂子さん :「西宮市」
児童と集団疎開 終戦翌年まで 語り継ぐ戦争  :「朝日新聞DIGITAL」
しながわのチ・カ・ラ しながわの学童集団疎開PART2  :YouTube
子どもたちを空襲からまもるための「学童疎開」 :「総務省」
子供たちの見た戦争 はだしのゲンとともに 「企画展を見よう」
東京大空襲・戦災資料センター ホームページ
東京大空襲  :ウィキペディア
75年前、首都はなぜ焼き尽くされた 東京大空襲を知る:「朝日新聞DIGITAL」
東京大空襲 B 29 無差別爆撃と被害  YouTube
【東京大空襲75年】「無差別爆撃」ではなく非戦闘員と住宅地をあえて狙った「選別爆撃」と「政治的爆撃」としての東京大空襲/「処刑」されたB-29の米兵や忌み嫌われた戦災孤児、そして国に見捨てられた空襲被害者たち  :「note」

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「螺旋」プロジェクトに関連する次の小説の読後印象をまとめています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社
『蒼色の大地』  薬丸 岳   中央公論新社