福岡藩に住む女絵師・箭内里緒(春香)が主人公である。里緒は成り上がりの大商人亀屋藤兵衛から<博多八景>の屏風絵を描いて欲しいという依頼を受ける。それも、亀屋の屋敷に逗留して屏風絵を仕上げてもらえばよいという。<博多八景>を名所にして、ひとを呼びたいという。博多の繁盛のひとつに繋がれば・・・とのことなのだ。
北宋の画家宋迪が湖南省・洞庭湖一帯の景勝地から選んだ佳景を<瀟湘八景>に描いている。この影響を受け、古くは鎌倉時代に博多・聖福寺の禅僧鉄庵道生が博多八景を選び七言絶句を詠んでいる。これを範として、里緒が博多八景を選び、まずは下絵を仕上げていくことを基軸にして、ストーリーが展開する。
この作品には二つの流れが織り成されていく。一つは里緒自身の忍び待ち耐える愛の姿とそのなりゆきである。他方は、博多八景の各景の構想と下絵の仕上げまでに巡り遭う人々の様々な哀しき愛の諸相の物語である。博多八景は愛のありかたのオムニバスといえようか。里緒の世話をするように藤兵衛がお文という女中を里緒に付ける。副次的に、お文の両親に対する心の揺れ動きが綴られていく。これもまた、親子愛の相といえる。
冒頭「比翼屏風」は、博多八景への導入であり、一方里緒の愛が忍び待ち、耐える愛となるその経緯の始まりでもある。狩野門の守英こと杉岡外記が福岡の青蓮寺から<鳥十種屏風>の依頼を受け博多を訪れる。同門であり、福岡藩御用絵師・衣笠家の傍流である衣笠春涯は手伝い絵師の世話を頼まれ、里緒とその兄弟子・春楼を推挙する。3年前、美緒23歳の時である。<鳥十種屏風>を仕上げるために、外記を見つめその後をついていく過程でこの妻ある外記との不義密通へと踏み込んで行く。これが原因で、屏風の仕事は青蓮寺から拒絶され、里緒は破門、外記は3年修行した後にはきっと里緒の許に戻ってくると約して江戸に去る。それから3年経ち、里緒に<博多八景>の依頼が来たことは、春涯の破門が解けたという兆しでもあった。
<博多八景>を里緒が選ぶにあたって、里緒は師匠春涯の屋敷を訪れ、師から八景についての教えを得る(「濡衣夜雨」以降の章での話ではあるが・・・)。そして、新たに今の博多八景を選びだし、その仕事に掛かっていくことになる。里緒が選んだ八景は、「濡衣夜雨、長橋春潮、箱崎晴嵐、奈多落雁、名島夕照、香椎晩鐘、博多帰帆」だった。これらの絵が仕上がる背景で、博多人の愛の諸相が芽生え、咲き、乱れ散っていく。
蛇足だが、北宋画家宋迪が選んだ<瀟湘八景>は、「山市晴嵐、遠浦帰帆、漁村夕照、煙寺晩鐘、瀟湘夜雨、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪」という佳景だった。
<濡衣夜雨>
本書で私は「濡衣を着る」という言葉が博多に伝わる昔話が始まりだという伝えを初めて知った。御笠川にかかる石堂橋のたもとに「濡衣塚」があるという。
春涯の屋敷を訪ねた帰路、里緒は兄弟子・春楼から柳町の常盤屋の遊女・千歳に言付けの結び文を渡して欲しいと頼まれる。断れぬ頼みに、里緒は遊郭の常盤屋に出向き、千歳に取り次いでもらい、そっと結び文を渡す。だが里緒は遊女の<>を助けた角で疑いをかけられる。二日後、町奉行所からの呼び出しで番所に出向くが、そこで海に身を投げた心中の遺体を検分させられる。女は確かに千歳だったが、男は春楼ではなかった・・・。
里緒はその後、春楼から心の底から好きになった千歳の話を聞く。
忘れられないひとへの想い。「世の中には幸せになりたいと思っても、どうにもならない者がいるのです」(p69)。
柳町から見た川の景色。河口に近づくにつれ、景色が明るく描かれた下絵。河口の先には何かひとを幸せにする明るいものが感じられる絵。それは千歳の心の投影なのか。
<長橋春潮>
亀屋藤兵衛は、里緒の世話をする女中として、もう一人お葉を付けるという。お葉は武家の内儀だったという。なにかいわくがありそうな、挙措に品のある控え目な物腰の女性だった。
昔、那珂川の河口あたりは袖湊という入海で長い橋が架かっていたという。いまや幻の橋である。袖湊を藤原定家が歌に詠んでいるようだ。
鳴く千鳥袖の湊をとひこかし唐舟の夜の寐覚めに
幻の橋を思い描けない里緒に、お葉は冷泉町の龍宮寺に人魚の骨が祀られている話をする。そして、長橋を守る橋寺だったという伝えがあるので龍宮寺を一度訪ねることを勧める。里緒はお葉と龍宮寺を訪れる。そこで、お葉は江戸から来た柴風と再会する。
14年前にお葉は柴風から俳諧の指導を受けていて、今その柴風が龍宮寺で病床に伏しているのだ。里緒から暇をもらい、お葉は龍宮寺での看病に通う。それを知った藤兵衛は、「さて、困りました。不義密通は御家の御法度でございますから」(p90)とつぶやく。
お葉の息子が亀屋に訪れてきたことがきっかけで、お葉は里緒とお文に自らの身の上を話し始める。
そこには、俳諧の指導を受けたお葉と師・柴風の間に芽生えた心の通いがあった。だが、武家の内儀であるお葉にとり、それはあきらめの愛だった。何も告げずに江戸に去った柴風が博多に再訪してきたのだ。そして、病床に臥している。
里緒には、「ひたむきな女を絵にしたいという思いが、突如湧いてきた。」(p99)
お葉は里緒に言う。「女は皆、いつか長い橋を渡りたいと心のどこかで願っているのではないでしょうか。・・・いつかきっと誰かが、その橋を渡ることができるはずです」(p103)と。
長い橋を渡ることをあきらめた女の愛。美しさへの感嘆をともに味わえた思い出だけを胸に秘めて。さびしいあきらめの愛になぜかポエジーを感じる。
<箱崎晴嵐>
背中一面に四角い形の石塔の刺青を背負う<川端の与三兵衛>は幇間をなりわいとする。三味線を弾きながら味わいのある声で新内を唄う。その与三兵衛は江戸で、杉岡外記が同座する座敷に出たことがあるという。藤兵衛は与三兵衛を亀屋に呼び、里緒にその話を聞かせる。新内の<蘭蝶>を唄ったことで外記と言葉を交わしたという。
里緒は与三兵衛にもう一度会って、さらに話を訊こうとする。尋ね尋ねて、与三兵衛の家を訪れると、子供が熱を出して寝込んでいた。そこから与三兵衛との関わりが深まり、与三兵衛の話が始まる。そして、外記の江戸での状況もわかってくる。「思い切ることができそうです」と言う里緒に、与三兵衛は言う。
「ひとを不幸にしたからというて、自分は幸せになれんと思うたらいけんとです。みんな幸せになりたかとです。けど、そうなれん者もおる。だったら、幸せになれる者が懸命に幸せにならんといかんじゃなかですか」(p132)。
夏の博多は、祇園山笠の季節。お汐井取りの日、里緒はお文を供にして、「箱崎晴嵐」の風景を見定めるために筥崎浜に出かける。その浜で、元気になった子供を肩車にした与三兵衛の家族の後姿を見かけることになる。その姿に、幸せを感じる。
辛いことを乗り越えていく愛。与三兵衛の渋い声の新内が聞こえてくる。
たとえこの身は淡雪と共に消ゆるもいとわぬが
この世の名残に今一度遭いたい見たいとしゃくり上げ--
他の作品でもそうだが、著者は和歌、俳句、漢詩、今回は新内も含め、要のところでこれらを的確に活かしていると私は感じる。読んでいて楽しくなってくる。あたかもこれらの素材から物語が紡ぎだされたかのようである。
<奈多落雁>
亀屋で働き始めたばかりの清吉が、奈多海岸を下絵準備の目的で見に行く里緒とお文の用心のためとして、付き従うことになる。だが海岸でお文が腹痛になり、近くの猟師の助けを得て、舟で亀屋近くまで戻る。そのとき清吉はお文を背にして介助することになる。
藤兵衛は、お文の体の具合が良くなれば、里緒の供でお文も芝居見物してくればよいという。それに清吉も同行するようにと、藤兵衛はその心積もりを語る。中島新地には、7代目市川團十郎の芝居がかかっていたのだ。藤兵衛の発案に驚く清吉。
当日の演目は<先代萩>だった。舞台で政岡に抱かれている千松の口からたらりと赤い滴が垂れる。だが、芝居にしてはなまなましい。芝居を見ていた清吉が里緒に、その子役は実際に毒を盛られたのだと青ざめた顔で言う。そこから、清吉の過去、身の上が語られていく。
この章は男女の愛ではなく、兄弟愛、芝居への愛がテーマになっている。だが、博多で拾った役者の踊りだという口上の後、拾われた役者による変化舞踊<鷺娘>で、恋の妄執に苦しむ女心が重ねられていく。
妄執の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし我が心・・・・
この当たりのまとめかたは心憎いところである。
里緒は、「舞台に目を転じた時、群を離れていた雁が空に戻っていく様を目の当たりにしているのだと思った。」これが章末の一文である。
奈多海岸が満潮の時には<道切れ>と地元の人がいう場所がある。潮が引けば、そこは志賀島への<海の中道>と言われるそうだ。この末文の一行で、奈多落雁の下絵構図が完成した、それう言外に語っている。
<名島夕照>
長崎のオランダ通詞である弥永小四郎が亀屋を訪れる。お文の母親おりうを伴って長崎に戻る途中であり、<長崎聞役>の用件で藩疔に出向いてきたという。亀屋には、お文を長崎に連れて行きたいという申し出なのだ。
お文が亀屋で働くまでの過去の経緯がこの章で明らかになる。
小四郎はおりうの事情を承知の上で、長崎に戻ればおりゅうを女房にするという。この小四郎にも、その出生と生き方に、ある経緯があったのだった。
お文は決断を迫られる。お文の心の葛藤プロセスが読ませ所といえよう。
一応の下絵ができると、里緒は藤兵衛にそれを見せる。藤兵衛は絵を見て言う。
「この絵の中にはお文の心も描かれているようですが、違いますかな」と。
<香椎暮雪>
病床に臥せる春涯は余命を覚る。長年独り身を通してきた春涯にはかつて恋焦がれた思い人が居た。いま一度その人・お雪様に会いたいという望みを持つ。春楼は師のために香椎宮の近くの庵を探し回りたどり着くが、訪いを告げた後、現れたのは二人の尼僧だった。湖白尼と恵心尼である。この二人は、かつては奥方と側室の関係にあったのだ。「庵で迂闊な話をすれば、お雪と春涯が不義をしていたかのように藩内に伝わりかねない。春涯の体面を傷つけてしまうかもしれないのだ。」(p211)
お雪様がいずれの人か判別できず、師の想いを告げられずに春楼はすごすごと引き下がる。そして、里緒にそのことを伝え、どちらの尼僧がお雪様なのか確かめて、一度先生にお会いしていただきたい旨頼んでほしいと春楼は言う。
翌日春涯の屋敷に赴き、師を見舞った後、春楼からお雪様からの書状を見せられる。春涯の門人で女絵師が香椎宮を写生に訪れたいのでその便宜を依頼するという事に対する承諾の返事だった。里緒はお文を供に香椎宮を訪れる。
「お雪が不義の名に怯えて恋をあきらめたとするなら、自分とよく似ている」(p213)と里緒は胸をしめつけられる思いをいだく。庵を訪れ、二人の尼僧に会った里緒は二人との会話、関わりの中から、お雪様を識別しようと試みる。
ここにも、ひとつのあきらめた愛が存在した。
<横岳晩鐘>
禅寺聖福寺の虚白院にて隠居棲まいをする仙涯和尚が亀屋を訪ねてくる。<博多八景>を見たいという理由だ。そして、下絵の中に<横岳晩鐘>がないのを見つけ、「<横岳晩鐘>を描いておくれ。崇福寺には幽霊が出るらしいので、それを描いてもらたいのう」と里緒に望む。若くて美しい女の幽霊がでるという。それは<綾の鼓>の幽霊らしいとのこと。頼み事をした仙涯は飄々とした様子で帰って行く。
翌日、里緒とお文は崇福寺を訪ねる。行けば幽霊の話をしてくれると仙涯が言った智照という僧に会う。この僧は、かつて、里緒が外記の手助けして<比翼屏風>を描いた寺、青蓮寺で同じ頃に修行していたのだという。
日が沈む頃、改めて崇福寺を訪れ、里緒は智照と供に幽霊がでるかどうか検分しようとするのだが・・・・この幽霊騒ぎには、二重三重の意図が秘められていた。仙涯和尚の人となりを描いたエピソードになっている。
そして、ここにも成らぬ恋の想い、懸想があった。
<博多帰帆>
最後の一景、<博多帰帆>に里緒は期するところがある。「この絵を描き上げれば、外記様は博多に戻ってきてくれるような気がする」(p263)という思いである。
春楼は春涯の死後、師の遺作を江戸の狩野家に納めるべく江戸に赴く。そして、外記とも面談する。外記は妻である妙との離婚を願うが、義父相模屋善右衛門及び妙との間での話はうまく進まず、苦境に立たされていた。春楼が江戸を去る時、外記は里緒宛の品物を春楼に託す。里緒がその包みを開くと、それは外記が描いた<博多帰帆>の絵だった。その絵から里緒は外記の心を読み取ろうとする。そして自らの<博多帰帆>を描こうとする。
下絵に打ち込む里緒。そして大晦日。夢中になって絵筆を動かすうちに日が暮れる。絵の構図をイメージし、絵筆を手にした瞬間に、外記の姿を見る。それは夢、幻・・・だが、「外記の肌ざわりが残る血のざわめきを体がはっきりと思えている。」
外記の帰帆を待ち望む里緒の心情に溢れる一篇となっている。
<挙哀女図>
博多に現れたのは相模屋善右衛門だった。里緒は善右衛門から外記に関わる経緯を聞くことになる。
そこには、拒絶された愛の顛末があった。そして、善右衛門は外記の遺髪を博多に持参してきていたのだった。里緒は生きる気力を失って寝つく。だがその里緒に生きる力を再び与えたのは仙涯和尚の言葉だった。
「おお、存分に泣いたか。挙哀じゃな。」(p309)
「思い切り泣くがよい。悼む涙は、泣き者の心を潤そう。そして・・・・」(p310)
一年が過ぎ、<博多八景図屏風>が完成し、披露が行われる。その披露は、亀屋ではなく、加瀬屋で行われた。ここには福岡藩の内政が影を落としている。
里緒が挙哀女図を描こうと思い立つところで、この物語が終わる。この絵はどんな構図になるのだろうか・・・・想像の翼が羽ばたきそうだ。
印象深い文をいくつか引用しておきたい。
*忘れようとしても、忘れられないのが、ひとへの想いなのかもしれませんね。 p64
*「和尚様、死なせてならない心とは何なのかお教えくださいませ」
「ひとを愛おしむ心じゃ。ひとはひとに愛おしまれてこそ生きる力が湧くものじゃ。たとえ、その身は朽ち果てようが、愛おしむひとがいてくれたと信じられれば、現世でなくともいずこかの世で生きていけよう。この世を美しいと思うひとがいて、初めてこの世は美しくなる。そう思うひとがいなくなれば、この世はただの土塊となるしかないのじゃ。心が死ねばこの世のすべてのものは無明長夜の闇に落ちる。死を望んでおるのなら、死ぬがよい。されど、おのれの心を死なせてはならぬ」 p308-309
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本書を読みながら、キーワードの波紋が広がる。検索の一覧をまとめておきたい。
千鳥図屏風 ← 所蔵品 絵画:金沢市立中村記念美術館
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衣笠守昌 ← 福岡の御用絵師2 :福岡市博物館
博多小女郎波枕 :「南条好輝の近松二十四番勝負」
石城志 巻1至3 :「近代デジタルライブラリー」
石城志 巻4、5 :「近代デジタルライブラリー」
石城志 共5 :「大日本海史編纂資料」
色道大鏡 :「慶一郎ワールド」文献資料室
黒田氏 幕末の福岡 :「歴史の勉強」
御救仕組 → 大野忠右衛門展 :「福岡市博物館」黒田記念室
龍宮寺 :福岡市の文化財
人魚の骨
中州 :ウィキペディア
Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - beginning section
伽羅先代萩 :ウィキペディア
「伽羅先代萩」 :「歌舞伎見物のお供」
市川團十郎 (7代目) :ウィキペディア
阿蘭陀通詞
オランダ通詞 :「江戸大名公卿」
長崎聞役 :ウィキペディア
長崎聞役 -江戸時代の情報収集者- 山下博幸氏
博多八景
博多八景展 林 文理氏 :「常設・部門別展示」
博多八景展 :「Facata(博物館だより)」
博多「長橋」ものがたり :「福岡市博物館」
濡衣塚 :「紀行道中写真館」
濡衣塚 :「神話の森」歌語り風土記
石堂橋 :「橋散歩」
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箱崎(福岡市) :ウィキペディア
奈多海岸 ← Sunny day paragliding Nata Beach, 奈多海岸 福岡 パラグライダー
海の中道 :ウィキペディア
道切れ :「福岡市東区 歴史・名所のご案内」
名島城跡 :「よかなびweb」
香椎宮 のHP
香椎宮 :ウィキペディア
横岳崇福寺 :「だざいふ史跡探訪」
横岳山崇福寺 :「お寺めぐりの友」
ボタン :ウィキペディア
洛陽花 :「weblio辞書」 植物名辞典
聖福寺 のHP
鉄庵道生 :「コトバンク」デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
仙がい義梵 :ウィキペディア
宋迪 :ウィキペディア
瀟湘八景 :ウィキペディア
玉礀筆「遠浦帰帆図」
玉礀筆「遠浦帰帆図」(徳川美術館):文化遺産オンライン
玉礀筆「山市晴嵐図」 :出光コレクション
牧谿筆「漁村夕照図」 :根津美術館
伝牧谿筆「煙寺晩鐘図」(畠山美術館):「茶の湯とは」
伝牧谿筆「洞庭秋月図」 :徳川美術館
伝岳翁蔵丘「瀟湘夜雨図」(根津美術館):文化遺産オンライン
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付記
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『散り椿』
『霖雨』
読書記録索引 -2 フィクション :葉室麟・山本兼一・松井今朝子
ページでは、「読書記録索引 -5」が上で、一番下の方に出てきます。
2012.8.5にまとめてアップしましたので・・・・
北宋の画家宋迪が湖南省・洞庭湖一帯の景勝地から選んだ佳景を<瀟湘八景>に描いている。この影響を受け、古くは鎌倉時代に博多・聖福寺の禅僧鉄庵道生が博多八景を選び七言絶句を詠んでいる。これを範として、里緒が博多八景を選び、まずは下絵を仕上げていくことを基軸にして、ストーリーが展開する。
この作品には二つの流れが織り成されていく。一つは里緒自身の忍び待ち耐える愛の姿とそのなりゆきである。他方は、博多八景の各景の構想と下絵の仕上げまでに巡り遭う人々の様々な哀しき愛の諸相の物語である。博多八景は愛のありかたのオムニバスといえようか。里緒の世話をするように藤兵衛がお文という女中を里緒に付ける。副次的に、お文の両親に対する心の揺れ動きが綴られていく。これもまた、親子愛の相といえる。
冒頭「比翼屏風」は、博多八景への導入であり、一方里緒の愛が忍び待ち、耐える愛となるその経緯の始まりでもある。狩野門の守英こと杉岡外記が福岡の青蓮寺から<鳥十種屏風>の依頼を受け博多を訪れる。同門であり、福岡藩御用絵師・衣笠家の傍流である衣笠春涯は手伝い絵師の世話を頼まれ、里緒とその兄弟子・春楼を推挙する。3年前、美緒23歳の時である。<鳥十種屏風>を仕上げるために、外記を見つめその後をついていく過程でこの妻ある外記との不義密通へと踏み込んで行く。これが原因で、屏風の仕事は青蓮寺から拒絶され、里緒は破門、外記は3年修行した後にはきっと里緒の許に戻ってくると約して江戸に去る。それから3年経ち、里緒に<博多八景>の依頼が来たことは、春涯の破門が解けたという兆しでもあった。
<博多八景>を里緒が選ぶにあたって、里緒は師匠春涯の屋敷を訪れ、師から八景についての教えを得る(「濡衣夜雨」以降の章での話ではあるが・・・)。そして、新たに今の博多八景を選びだし、その仕事に掛かっていくことになる。里緒が選んだ八景は、「濡衣夜雨、長橋春潮、箱崎晴嵐、奈多落雁、名島夕照、香椎晩鐘、博多帰帆」だった。これらの絵が仕上がる背景で、博多人の愛の諸相が芽生え、咲き、乱れ散っていく。
蛇足だが、北宋画家宋迪が選んだ<瀟湘八景>は、「山市晴嵐、遠浦帰帆、漁村夕照、煙寺晩鐘、瀟湘夜雨、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪」という佳景だった。
<濡衣夜雨>
本書で私は「濡衣を着る」という言葉が博多に伝わる昔話が始まりだという伝えを初めて知った。御笠川にかかる石堂橋のたもとに「濡衣塚」があるという。
春涯の屋敷を訪ねた帰路、里緒は兄弟子・春楼から柳町の常盤屋の遊女・千歳に言付けの結び文を渡して欲しいと頼まれる。断れぬ頼みに、里緒は遊郭の常盤屋に出向き、千歳に取り次いでもらい、そっと結び文を渡す。だが里緒は遊女の<>を助けた角で疑いをかけられる。二日後、町奉行所からの呼び出しで番所に出向くが、そこで海に身を投げた心中の遺体を検分させられる。女は確かに千歳だったが、男は春楼ではなかった・・・。
里緒はその後、春楼から心の底から好きになった千歳の話を聞く。
忘れられないひとへの想い。「世の中には幸せになりたいと思っても、どうにもならない者がいるのです」(p69)。
柳町から見た川の景色。河口に近づくにつれ、景色が明るく描かれた下絵。河口の先には何かひとを幸せにする明るいものが感じられる絵。それは千歳の心の投影なのか。
<長橋春潮>
亀屋藤兵衛は、里緒の世話をする女中として、もう一人お葉を付けるという。お葉は武家の内儀だったという。なにかいわくがありそうな、挙措に品のある控え目な物腰の女性だった。
昔、那珂川の河口あたりは袖湊という入海で長い橋が架かっていたという。いまや幻の橋である。袖湊を藤原定家が歌に詠んでいるようだ。
鳴く千鳥袖の湊をとひこかし唐舟の夜の寐覚めに
幻の橋を思い描けない里緒に、お葉は冷泉町の龍宮寺に人魚の骨が祀られている話をする。そして、長橋を守る橋寺だったという伝えがあるので龍宮寺を一度訪ねることを勧める。里緒はお葉と龍宮寺を訪れる。そこで、お葉は江戸から来た柴風と再会する。
14年前にお葉は柴風から俳諧の指導を受けていて、今その柴風が龍宮寺で病床に伏しているのだ。里緒から暇をもらい、お葉は龍宮寺での看病に通う。それを知った藤兵衛は、「さて、困りました。不義密通は御家の御法度でございますから」(p90)とつぶやく。
お葉の息子が亀屋に訪れてきたことがきっかけで、お葉は里緒とお文に自らの身の上を話し始める。
そこには、俳諧の指導を受けたお葉と師・柴風の間に芽生えた心の通いがあった。だが、武家の内儀であるお葉にとり、それはあきらめの愛だった。何も告げずに江戸に去った柴風が博多に再訪してきたのだ。そして、病床に臥している。
里緒には、「ひたむきな女を絵にしたいという思いが、突如湧いてきた。」(p99)
お葉は里緒に言う。「女は皆、いつか長い橋を渡りたいと心のどこかで願っているのではないでしょうか。・・・いつかきっと誰かが、その橋を渡ることができるはずです」(p103)と。
長い橋を渡ることをあきらめた女の愛。美しさへの感嘆をともに味わえた思い出だけを胸に秘めて。さびしいあきらめの愛になぜかポエジーを感じる。
<箱崎晴嵐>
背中一面に四角い形の石塔の刺青を背負う<川端の与三兵衛>は幇間をなりわいとする。三味線を弾きながら味わいのある声で新内を唄う。その与三兵衛は江戸で、杉岡外記が同座する座敷に出たことがあるという。藤兵衛は与三兵衛を亀屋に呼び、里緒にその話を聞かせる。新内の<蘭蝶>を唄ったことで外記と言葉を交わしたという。
里緒は与三兵衛にもう一度会って、さらに話を訊こうとする。尋ね尋ねて、与三兵衛の家を訪れると、子供が熱を出して寝込んでいた。そこから与三兵衛との関わりが深まり、与三兵衛の話が始まる。そして、外記の江戸での状況もわかってくる。「思い切ることができそうです」と言う里緒に、与三兵衛は言う。
「ひとを不幸にしたからというて、自分は幸せになれんと思うたらいけんとです。みんな幸せになりたかとです。けど、そうなれん者もおる。だったら、幸せになれる者が懸命に幸せにならんといかんじゃなかですか」(p132)。
夏の博多は、祇園山笠の季節。お汐井取りの日、里緒はお文を供にして、「箱崎晴嵐」の風景を見定めるために筥崎浜に出かける。その浜で、元気になった子供を肩車にした与三兵衛の家族の後姿を見かけることになる。その姿に、幸せを感じる。
辛いことを乗り越えていく愛。与三兵衛の渋い声の新内が聞こえてくる。
たとえこの身は淡雪と共に消ゆるもいとわぬが
この世の名残に今一度遭いたい見たいとしゃくり上げ--
他の作品でもそうだが、著者は和歌、俳句、漢詩、今回は新内も含め、要のところでこれらを的確に活かしていると私は感じる。読んでいて楽しくなってくる。あたかもこれらの素材から物語が紡ぎだされたかのようである。
<奈多落雁>
亀屋で働き始めたばかりの清吉が、奈多海岸を下絵準備の目的で見に行く里緒とお文の用心のためとして、付き従うことになる。だが海岸でお文が腹痛になり、近くの猟師の助けを得て、舟で亀屋近くまで戻る。そのとき清吉はお文を背にして介助することになる。
藤兵衛は、お文の体の具合が良くなれば、里緒の供でお文も芝居見物してくればよいという。それに清吉も同行するようにと、藤兵衛はその心積もりを語る。中島新地には、7代目市川團十郎の芝居がかかっていたのだ。藤兵衛の発案に驚く清吉。
当日の演目は<先代萩>だった。舞台で政岡に抱かれている千松の口からたらりと赤い滴が垂れる。だが、芝居にしてはなまなましい。芝居を見ていた清吉が里緒に、その子役は実際に毒を盛られたのだと青ざめた顔で言う。そこから、清吉の過去、身の上が語られていく。
この章は男女の愛ではなく、兄弟愛、芝居への愛がテーマになっている。だが、博多で拾った役者の踊りだという口上の後、拾われた役者による変化舞踊<鷺娘>で、恋の妄執に苦しむ女心が重ねられていく。
妄執の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし我が心・・・・
この当たりのまとめかたは心憎いところである。
里緒は、「舞台に目を転じた時、群を離れていた雁が空に戻っていく様を目の当たりにしているのだと思った。」これが章末の一文である。
奈多海岸が満潮の時には<道切れ>と地元の人がいう場所がある。潮が引けば、そこは志賀島への<海の中道>と言われるそうだ。この末文の一行で、奈多落雁の下絵構図が完成した、それう言外に語っている。
<名島夕照>
長崎のオランダ通詞である弥永小四郎が亀屋を訪れる。お文の母親おりうを伴って長崎に戻る途中であり、<長崎聞役>の用件で藩疔に出向いてきたという。亀屋には、お文を長崎に連れて行きたいという申し出なのだ。
お文が亀屋で働くまでの過去の経緯がこの章で明らかになる。
小四郎はおりうの事情を承知の上で、長崎に戻ればおりゅうを女房にするという。この小四郎にも、その出生と生き方に、ある経緯があったのだった。
お文は決断を迫られる。お文の心の葛藤プロセスが読ませ所といえよう。
一応の下絵ができると、里緒は藤兵衛にそれを見せる。藤兵衛は絵を見て言う。
「この絵の中にはお文の心も描かれているようですが、違いますかな」と。
<香椎暮雪>
病床に臥せる春涯は余命を覚る。長年独り身を通してきた春涯にはかつて恋焦がれた思い人が居た。いま一度その人・お雪様に会いたいという望みを持つ。春楼は師のために香椎宮の近くの庵を探し回りたどり着くが、訪いを告げた後、現れたのは二人の尼僧だった。湖白尼と恵心尼である。この二人は、かつては奥方と側室の関係にあったのだ。「庵で迂闊な話をすれば、お雪と春涯が不義をしていたかのように藩内に伝わりかねない。春涯の体面を傷つけてしまうかもしれないのだ。」(p211)
お雪様がいずれの人か判別できず、師の想いを告げられずに春楼はすごすごと引き下がる。そして、里緒にそのことを伝え、どちらの尼僧がお雪様なのか確かめて、一度先生にお会いしていただきたい旨頼んでほしいと春楼は言う。
翌日春涯の屋敷に赴き、師を見舞った後、春楼からお雪様からの書状を見せられる。春涯の門人で女絵師が香椎宮を写生に訪れたいのでその便宜を依頼するという事に対する承諾の返事だった。里緒はお文を供に香椎宮を訪れる。
「お雪が不義の名に怯えて恋をあきらめたとするなら、自分とよく似ている」(p213)と里緒は胸をしめつけられる思いをいだく。庵を訪れ、二人の尼僧に会った里緒は二人との会話、関わりの中から、お雪様を識別しようと試みる。
ここにも、ひとつのあきらめた愛が存在した。
<横岳晩鐘>
禅寺聖福寺の虚白院にて隠居棲まいをする仙涯和尚が亀屋を訪ねてくる。<博多八景>を見たいという理由だ。そして、下絵の中に<横岳晩鐘>がないのを見つけ、「<横岳晩鐘>を描いておくれ。崇福寺には幽霊が出るらしいので、それを描いてもらたいのう」と里緒に望む。若くて美しい女の幽霊がでるという。それは<綾の鼓>の幽霊らしいとのこと。頼み事をした仙涯は飄々とした様子で帰って行く。
翌日、里緒とお文は崇福寺を訪ねる。行けば幽霊の話をしてくれると仙涯が言った智照という僧に会う。この僧は、かつて、里緒が外記の手助けして<比翼屏風>を描いた寺、青蓮寺で同じ頃に修行していたのだという。
日が沈む頃、改めて崇福寺を訪れ、里緒は智照と供に幽霊がでるかどうか検分しようとするのだが・・・・この幽霊騒ぎには、二重三重の意図が秘められていた。仙涯和尚の人となりを描いたエピソードになっている。
そして、ここにも成らぬ恋の想い、懸想があった。
<博多帰帆>
最後の一景、<博多帰帆>に里緒は期するところがある。「この絵を描き上げれば、外記様は博多に戻ってきてくれるような気がする」(p263)という思いである。
春楼は春涯の死後、師の遺作を江戸の狩野家に納めるべく江戸に赴く。そして、外記とも面談する。外記は妻である妙との離婚を願うが、義父相模屋善右衛門及び妙との間での話はうまく進まず、苦境に立たされていた。春楼が江戸を去る時、外記は里緒宛の品物を春楼に託す。里緒がその包みを開くと、それは外記が描いた<博多帰帆>の絵だった。その絵から里緒は外記の心を読み取ろうとする。そして自らの<博多帰帆>を描こうとする。
下絵に打ち込む里緒。そして大晦日。夢中になって絵筆を動かすうちに日が暮れる。絵の構図をイメージし、絵筆を手にした瞬間に、外記の姿を見る。それは夢、幻・・・だが、「外記の肌ざわりが残る血のざわめきを体がはっきりと思えている。」
外記の帰帆を待ち望む里緒の心情に溢れる一篇となっている。
<挙哀女図>
博多に現れたのは相模屋善右衛門だった。里緒は善右衛門から外記に関わる経緯を聞くことになる。
そこには、拒絶された愛の顛末があった。そして、善右衛門は外記の遺髪を博多に持参してきていたのだった。里緒は生きる気力を失って寝つく。だがその里緒に生きる力を再び与えたのは仙涯和尚の言葉だった。
「おお、存分に泣いたか。挙哀じゃな。」(p309)
「思い切り泣くがよい。悼む涙は、泣き者の心を潤そう。そして・・・・」(p310)
一年が過ぎ、<博多八景図屏風>が完成し、披露が行われる。その披露は、亀屋ではなく、加瀬屋で行われた。ここには福岡藩の内政が影を落としている。
里緒が挙哀女図を描こうと思い立つところで、この物語が終わる。この絵はどんな構図になるのだろうか・・・・想像の翼が羽ばたきそうだ。
印象深い文をいくつか引用しておきたい。
*忘れようとしても、忘れられないのが、ひとへの想いなのかもしれませんね。 p64
*「和尚様、死なせてならない心とは何なのかお教えくださいませ」
「ひとを愛おしむ心じゃ。ひとはひとに愛おしまれてこそ生きる力が湧くものじゃ。たとえ、その身は朽ち果てようが、愛おしむひとがいてくれたと信じられれば、現世でなくともいずこかの世で生きていけよう。この世を美しいと思うひとがいて、初めてこの世は美しくなる。そう思うひとがいなくなれば、この世はただの土塊となるしかないのじゃ。心が死ねばこの世のすべてのものは無明長夜の闇に落ちる。死を望んでおるのなら、死ぬがよい。されど、おのれの心を死なせてはならぬ」 p308-309
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本書を読みながら、キーワードの波紋が広がる。検索の一覧をまとめておきたい。
千鳥図屏風 ← 所蔵品 絵画:金沢市立中村記念美術館
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衣笠守昌 ← 福岡の御用絵師2 :福岡市博物館
博多小女郎波枕 :「南条好輝の近松二十四番勝負」
石城志 巻1至3 :「近代デジタルライブラリー」
石城志 巻4、5 :「近代デジタルライブラリー」
石城志 共5 :「大日本海史編纂資料」
色道大鏡 :「慶一郎ワールド」文献資料室
黒田氏 幕末の福岡 :「歴史の勉強」
御救仕組 → 大野忠右衛門展 :「福岡市博物館」黒田記念室
龍宮寺 :福岡市の文化財
人魚の骨
中州 :ウィキペディア
Tamasaburo "Sagi Musume" 坂東玉三郎 「鷺娘」 - beginning section
伽羅先代萩 :ウィキペディア
「伽羅先代萩」 :「歌舞伎見物のお供」
市川團十郎 (7代目) :ウィキペディア
阿蘭陀通詞
オランダ通詞 :「江戸大名公卿」
長崎聞役 :ウィキペディア
長崎聞役 -江戸時代の情報収集者- 山下博幸氏
博多八景
博多八景展 林 文理氏 :「常設・部門別展示」
博多八景展 :「Facata(博物館だより)」
博多「長橋」ものがたり :「福岡市博物館」
濡衣塚 :「紀行道中写真館」
濡衣塚 :「神話の森」歌語り風土記
石堂橋 :「橋散歩」
筥崎宮 のHP
箱崎(福岡市) :ウィキペディア
奈多海岸 ← Sunny day paragliding Nata Beach, 奈多海岸 福岡 パラグライダー
海の中道 :ウィキペディア
道切れ :「福岡市東区 歴史・名所のご案内」
名島城跡 :「よかなびweb」
香椎宮 のHP
香椎宮 :ウィキペディア
横岳崇福寺 :「だざいふ史跡探訪」
横岳山崇福寺 :「お寺めぐりの友」
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洛陽花 :「weblio辞書」 植物名辞典
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鉄庵道生 :「コトバンク」デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
仙がい義梵 :ウィキペディア
宋迪 :ウィキペディア
瀟湘八景 :ウィキペディア
玉礀筆「遠浦帰帆図」
玉礀筆「遠浦帰帆図」(徳川美術館):文化遺産オンライン
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伝牧谿筆「煙寺晩鐘図」(畠山美術館):「茶の湯とは」
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伝岳翁蔵丘「瀟湘夜雨図」(根津美術館):文化遺産オンライン
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付記
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『散り椿』
『霖雨』
読書記録索引 -2 フィクション :葉室麟・山本兼一・松井今朝子
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2012.8.5にまとめてアップしましたので・・・・