遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『信長影絵』 津本 陽  文藝春秋

2013-03-30 21:54:55 | レビュー
 本書は著者にとって、信長関連作品の集大成版なのだろうか。読後印象としてそんな感じを抱いた。著者はこの作品で信長の全生涯を描いている。
 冒頭ページで「信長は嬰児の頃から癇がきわめてつよかった」と記すことから始め、巻末が本能寺の変。「信長の五体は粉微塵となって吹っ飛ぶ。現世に片影もとどめない、四十九歳の最期であった」でしめくくる。

 著者がこの作品で描きたかったテーマは何か。信長の心理と思考を軸にその生涯を描くということだと、私は受けとめた。その結果が信長の行動としてどう具体化されていくのか。そこにこの作品のメインテーマがあるのではないか。信長の内面心理が彼の性格を形成し、その心理が思考に反映し、行動に移される。あの壮絶な行動力、攻撃力として発揮される。信長の思いのままに周囲の人間群がつき動かされていく。そのあり樣を描こうとしているように感じた。
 信長の心理の深層には、母・土田御前の信長に対する幼少時からの扱いがトラウマとして潜む。それが時として、心理の表層に噴出してくる。外部の人間から見ると、信長の振る舞い・行動、その指示命令の非凡さから、信長に威圧され、恐れ、の如く、あたかも全能のように感じる存在なのだが。その信長が、実は恒に脅かされる存在として己を感じ、だれも頼れず生きていかねばならない存在として、己の内奥に深い哀しみと怒りを宿している。それが起爆剤となり、外に向かっては反撃力、行動になっていく。本書を読み進めるうちに、そんな印象が色濃くなっていった。
 信長の心理と思考-それが、信長の発言と行動に対する信長の「影絵」なのだと。光が当たる華々しい発言と行動の背後に、信長の心理と思考の影がある。その影の本質を、二人の女性だけが素直に受けとめる感性と叡智を持っていた。一人は吉野(きつの)であり、もう一人がおなべだった。信長を光とすると、吉野とおなべは信長の「影絵」である。光があたるところに影がつきそうように。
 
 この作品を読んで思うのは、信長の心理や思考、表出された性格などを描写している部分がかなり多いことだ。戦国もので合戦の戦闘描写はエンターテインメント性があり、その状況描写に引き込まれて行くものだし、描写を多く豊かにし微細に及ぶということ普通は多と思う。それが本作品では思ったよりも簡潔概略で時には淡泊な描写に留められていると感じる。濃厚な戦闘描写は抑えられている。これはあくまで私の印象なのだが。

 冒頭から信長の心理・性格・思考の描写がつぎつぎに始まる。その描写を「明星」の章から拾い出してみよう。
・織田信長は他人に対するとき威圧され、自分を卑下したことは、なかったようである。 p8
・どのような相手に対しても屈従することはない。・・・彼は反りかえった背を決して屈することのない人生を送った、傲慢な天才であった。 p8
・信長は嬰児の頃から癇がきわめてつよかった。 p8
・彼を軽視し、自由な判断をさせまいとおびやかす者は、すべて敵だと信長は思った。 p13
・信長は二人(注記:母・土田御前と弟・勘十郎信行の談笑姿)を見ると、頭から血が下がってゆくような、絶望と悲哀のないまぜた衝撃をうけた。 p17
・信長は幼児から母のいつくしみをうけたかったが、遠ざけられるので、我意を張って生きてきたのである。 p19
・信長は家来たちの言動を、常に注意深く見ていた。 p20
・先方が望みもせぬに、わしが近づかねばならぬいわれはなし。  p39
・(気持ちが)おだやかな時が過ぎると、信長は突然宙に放り出されたような、孤独の苦みをかみしめねばならない。  p41
・信長は、軍兵たちの期待の対象であるからには、偶像としての自分に対する彼らの夢を破壊してはならない。 p47
 各章に、信長の内面に関わる描写が数多く出てくる。

 那古野城で生まれ育った信長が、同族の相争う尾張を一つに統合し、桶狭間で今川を破り、徐々にその勢力を拡大していく歴戦の過程、その大きな流れは良く知られたことである。信長伝記としてそのメインの戦がストーリー展開で随時描かれていくことは言うまでもない。大筋を知っていても、引き込まれて読み進められる面白さは、その視点にあるように思う。
 この作品で興味深いのは、戦をどのように進めるか、その思考プロセス部分をかなり掘り下げているところだ。軍師を持たず、それまでの合戦に対する既成概念をはなから無視して、己の思考を徹底的にシミュレーションしていく姿が描かれている。その思考の前提に、周到な情報網を張り巡らせ、信長が納得のいくまで情報収集を行っていたことも描き込んでいる。このあたりが合戦での勝利という結果に対する影の部分としての読ませどころでもある。
 戦が起こる前に、信長の中ではもうその展開と決着が見えているのだ。ほとんどの戦がそうだった。逆に、いくつかの例外となる戦については、戦う前の信長の心理や思考の描写があり、そこに惹き付けられる部分がある。そのあたりをこの作品で楽しめるのではないだろうか。

 信長の生き様を受けとめた女性として、吉野とおなべに大きくウエイトを置いた作品になっている。濃姫の存在はほとんどゼロに等しく扱われている。そして数多の側室は信長の意のままに動くだけの存在として周辺に居たことが記されるだけだ。
 裏返せば、吉野とおなべは、信長の心理と思考を受けとめることができ、信長が渇望していた母性のあたたかさと発露により、信長の心理と意識をしばし安楽に覆ってくれる存在だったのだ。
 信長にとっての母性の重みが影絵になっているように感じる。そのシンボルが吉野であり、おなべだったのではないか。

 信長に対する周囲の人々の対応には明らかに二つのパターンがある。信長を畏敬し、恐れ、時にはのごとく受けとめ、信長の指示命令に専ら従い行動するか、あるいは反発して対抗行動をとり滅亡していくパターン。それがほとんど全ての人々だ。その対極に、信長を畏敬し、恐れることは当然ながら、信長の心理・思考の視点に自らを置いて、信長の立場から己を客体視し、そのうえで自らの行動を選択する人がいる。それはごく限られた人々だが。
 後者には二人の人物が居る。秀吉と家康である。やはりこの二人の存在と働きがストーリーのサブの軸として巧に組み込まれている。ただ、著者は家康よりも秀吉を色濃く描いているように思う。
 前者の典型として、光秀が出てくる。信長の指示・命令を受けとめることから出発して自らの思考と行動を組み立て、方向づけて行った人物として描きこまれていく。本能寺の変に及ぶ光秀もまた、欠かせぬサブの軸として組み込まれていく。

 本能寺の変を引き起こすに至る光秀の心理の変転、揺らめきについて、著者は新たな視点をこの作品で導入しているように思う。最後の最後で、信長の心理の綾を信長がおなべに語る言葉として書き込まれていると感じた。本書を読んでいただき、私見と同じように新たな視点だと受け止め方ができるか、ご判断願いたい。
 もう一点、過去に本能寺の変を書き込んだ複数の作家の作品を楽しんできているが、本書であらたな解釈と感じるところがあった。それは、本能寺の「御堂の下は焔硝を収めた石蔵であった。本能寺は堺の鉄砲、火薬を扱う商人たちの取引所であった」(p570-571)という記述である。本能寺の炎上について、こういう点に触れて描いた作品を読んだ記憶にない。これは事実なのか、著者によるフィクションなのか。本能寺そのものについて、あらためて関心が生まれて来た。

 最期に、印象に残る文を引用しておきたい。
*わしが金銀をつこうて、衣食住に贅をつくすときは、そのわけがあるさ。わしが遠方より見ゆる天主を建つるは、おのれが現世にて生きる証とするためでやな。 p456
*死のうは一定でやな。おのれが思い立ちし通りに動いて、それで死なば武運が尽きしまでよ。しかたもあらまい。 p463
*自分の心は土田御前にうとまれ、愛情を通じあわせることを禁じられ、乳を飲まされず、菓子を与えられず、孤独の薄明りのうちにたたずんでいた幼児のときと、まったく変っていない。体格は変ってしまったが、猜疑心と攻撃本能のみに頼って生きてきた、自分の核心の部分は記憶がはじまったときから変化していない。 p478
*秀吉は信長の評価に運命を任すことにした。この場合、信長が自分の立場にあれば、戦線離脱しても山陰へおもむく決断をするだろうと考えたためである。  p489
*上さまは危うさのうちに、なにもかも忘れてあすばすときのお心地よさを、いっちおたのしみなされまするに。さようなることは、常人にはなしえませぬわなも。なべは、上さまが危うき坂をお越えあすばさるるを、息をのみ、見つめるばかりにござりまする。 p509
*「・・・わしは生き残りたきゆえに戦いしことなし。なすべきことを見つけしならば、それをなし遂げ、また先にむかう。生きんがためではなし。詰め碁をつづけ、やめられぬようなものだがや。」おなべは信長の内部に黒い水をたたえる、虚無の深淵をのぞいたように思った。  p546
*おなべは、信長が美を理解する感覚があることにまったく気づかないまま、眼前にあらわれる敵を撃滅することに奔走し、なごやかな時の推移を楽しむひとときを過ごすゆとりも不要として、世を終えるであろうことを悲しむ。 p551
*常人の持ちあわせない、繊細な感覚をそなえながら、信長は風雅を楽しむゆとりには無縁であった。現世で栄達の頂点に達した信長は、心のもっとも深いところにある無垢な感情を、必要としていない。 p551


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ

本書に出てくる語句の関連でネット検索したものを一覧にまとめておきたい。

女房奉書 :ウィキペディア
綸旨   :ウィキペディア

安宅船  :ウィキペディア
小早 :ウィキペディア
小早三拾八挺立 船図 :「大日本海志編纂資料」
鉄甲船  :ウィキペディア

焙烙火矢 :ウィキペディア
焼玉  デジタル大辞泉 :「コトバンク」
フランキ砲 :ウィキペディア

九鬼嘉隆 :ウィキペディア
毛利水軍 :ウィキペディア
村上水軍 :ウィキペディア
三島流 ← 水軍諸流派 五 三島流 :「大日本海志編纂資料」

吉乃という女性から見た信長の歴史 :「Kitsunoの空」
吉野 → 生駒吉乃 :ウィキペディア

おなべ ← 興雲院 :ウィキペディア
おなべの方 :「小田町にまつわるお話」


   インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。


人気ブログランキングへ

『終極 潜入捜査』 今野 敏  実業之日本社

2013-03-28 15:50:05 | レビュー
 この本、最初は1995年3月、『覇拳葬魔鬼』題して出版されたようだ。それが改題されて2009年11月にジョイ・ノベルスの一冊となった。当初はバイオレンス物全盛時代のネーミングだったようだ。それが、警察小説ブームの時代になり、今のタイトルとなったのだとか。しかし、本書の内容を客観的に見ると、「潜入捜査」というのは妥当なネーミングである。かつ本書はこの潜入捜査シリーズの第6弾、最終巻でもある。
(現在、実業之日本社文庫にもなっている。)
 元マル暴刑事・佐伯涼が一旦この書で「環境犯罪研究所」への出向にケリをつけることになる。

 公害元年と称されたのは日本の高度経済成長が峠を越し始めた頃になるのだろうか、1970年のことである。それまでの高度経済成長期に於いて無視されてきた社会資本投資への不備が、1970年頃から急激に現れて来る。その一つが産業廃棄物の投棄問題だ。産業廃棄物による深刻な自然環境破壊であり、大気汚染と地下水汚染である。
 本書の一つの側面は、この産業廃棄物の不法投棄である。別荘地として開発された地域が何時しか産業廃棄物の不法投棄場所に強引に代えられていく。別荘地を購入した人々の多くは逃げ出してしまい、ここを終の棲家と決めた少数の人々や地元の人が、環境問題運動家と一緒に反対闘争を推し進めるという状況が背景となる。その不法投棄に反対する別荘地住民の家が火事に遭う。内村所長はその火事に放火の疑いがあるとして、佐伯に調査を命じる。内村所長が佐伯に手渡した資料には、保津間興産という解体業者の新聞記事が挟まれていた。
 佐伯は現地に行き、実態を見聞する。火事に遭った住人の話を聞き、活動家とも話をする。その結果、佐伯は保津間興産に潜入捜査をすることになる。内村所長は、手回しよく潜入先への紹介状を、ある行政機関から入手しておくのだ。
 佐伯はタイミング良くこの解体業者に作業員として雇われ、廃棄物処理課という部署に配属されることになる。この企業、実は暴力団の企業舎弟なのだ。

 佐伯がタイミング良く雇われることができたのには、保津間興産にとって極秘の事情があった。保津間興産は表向きは解体業者なのだ。しかし、裏の極秘稼業は、全国25都道府県、105団体約8000人を擁する坂東連合の頂点に立つ暴力団・毛利谷一家の尖兵としての仕事である。暴対法をかいくぐり勢力を伸ばすために毛利谷一家、本家代貸・坂巻良造が中心となり構築してきたテロ・ネットワークの一翼を担う存在なのだ。そして、今、関西において、総会屋を追い出そうとしている鳥居酒造の若社長を、見せしめとして消そうと計画している。そして、そのヒットマンが、保津間興産から関西に送り込まれたところだったという事情である。

 佐伯は、廃棄物不法投棄にまつわる火事の放火についての原因究明・摘発という内村所長の指示の裏に、きな臭い捜査目的があることを感じ取り、潜入捜査を開始することになる。不法投棄事件の解決とこのテロ・ネットワーク撲滅のための探索が、同時並行していく。
 佐伯に協力するのは佐伯の警視庁時代のコンビだった奥野巡査長と、奥野と組んでいる緑川部長刑事である。彼等を通じて情報を入手し、また関西との警察ネットワークを間接的に動かしていく。
 
 不法投棄問題の方は、佐伯の怒りと行動により、現場逮捕に進展する。一方、実名で雇われていることで、佐伯の素性がバレることにつながる。そして、佐伯は、保津間興産の上司である課長に伴われ、毛利谷一家の経営する表向きの企業・毛利谷総業、敵の牙城に赴いていかざるをえないことになるというストーリー展開に進んで行く。

 その展開プロセスが本書の読ませどころであろう。

 産業廃棄物の不法投棄は、現在、そのピークを過ぎた段階に入っているとはいえ、産廃問題が解決してしまっている訳ではない。今も問題の一角として現存する。一方で、テロ・ネットワークという著者の発想は色あせてはいない。まさに、あり得る想定ではないか。1995年当時の作品だが、その話題は古びてはいない。リアル感が今も変わらず厳然と存在する。
 今や、本書を離れるが、原子力産業の放射性廃棄物問題が一層深刻になり始めている。

 ストーリー展開は、シンプルである。佐伯流活法が現場での実践格闘に手慣れた暴力団のつわものを相手に炸裂する。格闘シーンは、著者のおてのものであり、エンターテインメントとして読ませるシーンはスピーディだ。

 事件が解決し、「環境犯罪研究所」が解体される。佐伯は、新たな辞令を受ける。それは、警視庁への復帰ではなかった。
 そして、意外な事実がそこに付帯してくる。それは本書で確認していただこう。
 そうでないと、おもしろくない。

 佐伯涼を主人公にした、新たなストーリーが再び、始まるのはいつだろうか。


ご一読、ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書に出てくる語句から少し関心の波紋を広げてみた。一覧にまとめておきたい。

産業廃棄物 :ウィキペディア

産業廃棄物の排出及び処理状況等(平成22年度実績)について (お知らせ)
  平成24年12月27日  :環境省
不法投棄  :ウィキペディア
産業廃棄物の不法投棄等の状況(平成23年度)について(お知らせ)
  平成24年12月27日  :環境省

岩手・青森県境産業廃棄仏不法投棄事件 :「二戸市」ホームページ

豊島産廃事件 :「WAHHAHHAの仮住まい」
豊島問題ホームページ :香川県

富士フィルム専務殺害事件  :「事件史探究」
住友銀行名古屋支店長射殺事件 :「PUKIWIKI」
住友銀行名古屋支店長射殺事件 :「ネットの力で風化STOP 未解決事件を追う」

総会屋 暴力団ミニ講座 :「松江地区建設業暴力追放対策協議会」
「総会屋」 って何?  :「論談小話」

大物の死、被災地に出稼ぎ…最新総会屋事情 2011.8.27 :「産経ニュース」

指定暴力団 :「松江地区建設業暴力追放対策協議会」

   インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『最後の封印』 徳間文庫

『禁断 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新1版


『最後の封印』 今野 敏  徳間文庫

2013-03-26 14:24:00 | レビュー
 この作品は1988年5月徳間書店より刊行された『ミュー・ハンター最後の封印』の改題による文庫本化である。

 牛の伝染性貧血症ウィルスから枝分かれしたHIV、後天性免疫不全症という病原性をもつウィルスが更に枝分かれしていったHIV-3とHIV-4。HIV-3が人間に感染するが突如として病原性を持たなくなった。そして、レトロウィルスによる遺伝子変化の進化形であるHIV-4は伝染性はきわめて弱くなった。しかし、その代わりもっとおそろしい特徴を入手したという。それに感染したHIV-4第二世代がミュウと称されている。ある人々は、ミュウはもはや人間ではなく恐ろしい存在・悪魔に化したと目している。そして、ミュウ狩りを始めたのだ。ミュー・ハンターはその先兵だ。見つけたら殺し、賞金を得る。ミュウは悪魔だと依頼人から教えられている。

 主人公シド・アキヤマはそのミュー・ハンターになった。きわめて優秀な傭兵としての経験を持つ。その経験と能力を生かし、今日本に来てミューを追跡している。戦いというぎりぎりの極限状態に身を置くことにしか生きがいを感じられないことを自覚しているのだ。そのアキヤマが、見えざる敵と、右手に槍ヶ岳、左手に穂高岳を望む山中で死闘しているシーンから話が始まる。
 一方でミュウを保護しようとする親衛隊が各国に生まれていく。「デビル特捜(スペシャル)」である。ミュー・ハンターの活動を阻止し、ミュウを保護するという名目で活動している。

 この死闘の過程で、シド・アキヤマは同じくミュー・ハンターであるジャック・バリーにサポートされる。そして、死闘の相手が、日本に新たにできた「デビル特捜」だと知らされる。そこで、一匹狼のハンター同士が協力関係を結ぶことになる。バリーは忍者に憧れ、日本で忍者の修行をした男でもある。日本に土地鑑があり、情報収集に長けているおとこなのだ。

 日本にできた組織は、『厚生省特別防疫部隊』という正式名称を持つ。組織上は厚生省に属する。しかし、その少数精鋭のメンバーは特異である。この部隊の存在は、国民はおろか、政府部内でも厳しく秘匿されている。
 土岐正彦:隊長、直前は自衛隊三等陸佐で第一空挺団普通科第二中隊所属だった。
 東 一:日本に帰化した中国人。東洋医学の大家であり、中国武術の達人
      元中国陸軍の将校、除隊時の階級は少将だった。
 白石逹雄:外科医の資格を持つ。知新流手裏剣術の使い手。
 この3人を中核にして、その下に自衛隊特殊部隊から選抜された隊員が実働部隊として参加するのだ。そして、この防疫部隊は、厚生省の外郭団体である感染対策室の敷島瞭太郎の指示の下に行動する。土岐の知らされているのは敷島の指示を受けて行動すること。その敷島は実は、新首相官邸内に設けられた『内閣官房危機管理室』の中に、個室を持っているのだ。能力を最重視する人物。
 危機管理室の室長は元警察官僚だった黒崎高真佐である。今年50歳。たいていの人間に身のすくむような思いを味わわせる人物である。

 さてここに、さらに三人の人間が登場してくる。
 一人はデニス・ハワード。ジャーナリストである。ミュウとHIV-4について追究している。その全貌を明らかにしようと世界をめぐっている。
 そして、飛田靖子。飛田靖子はシド・アキヤマが山でミュウを殺す現場を目撃する。そして、そこでアキヤマと対立関係の関わりを持つ事になる。彼女は遺伝子工学を研究していて、ミュウを保護し、助ける活動に力を注いでいる人なのだ。彼女はミュウが無抵抗な人間にしか過ぎないこと。知覚が普通の人間と少し違うだけなのだと認識している。担当教授から紹介された研究室の教授のミュウ研究方針とその行動に絶望を感じ、辞めてしまったのだ。そして単独でミュウのサポートを行っている。
 最後の一人は、第3のミュー・ハンター、チベット人でラマ僧のギャルク・ランパだ。彼はミュウを殺さないという特異な立場に立つ人物だ。
 
 さて、この作品の役者が出そろったところで、この作品のテーマが展開していく。
 ミュウは悪魔なのかちょっと普通人とはちがう知覚を獲得した人間と言うだけなのか。 ミュウ・ハンターとデビル特捜の対決の展開。
 アキヤマは飛田の話す内容に耳を傾け始める。
 ミュウ殺戮の依頼人は何が目的なのか。またミュウの依頼人はどういう存在なのか。
 誰が組織しているのか。
 ミュウ・ハンティングの狙いの解明が必然となっていく。

 HIVというウィルスの進化形、DNA遺伝子の突然変異という分野をフィクションの軸としながら、そこに対決・武闘、対立構造、国家組織や世界構造という次元を絡ませていく。武闘活劇でありながら、知的雰囲気を充満させていて、一気読みさせるエンターテインメント作品である。

 最後に封印されるものとは何だったのか。それをめざして読み進めてほしい。
 今でも古さを感じさせない作品だ。


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


 本書に出てくる用語で気になるものを検索した。その一覧をまとめておきたい。

HIV → ヒト免疫不全ウイルス :ウィキペディア

アフリカミドリザル :「123RF」
第24回:ウイルスがクセモノ? - アフリカミドリザル腎細胞
  :「GE imagination at work」

エイズウイルス → 後天性免疫不全症候群 :ウィキペディア
レトロウィルス :「weblio辞書」

京都大学ウィルス研究所  ホームページ

成人病T細胞白血病 :ウィキペディア
感染症の話 成人T細胞白血病 :「iDWR JAPAN 感染症発生動向調査週報」

内閣における危機管理
内閣危機管理監 :ウィキペディア
内閣官房副長官補 :ウィキペディア
内閣官房における安全保障・危機管理組織 :「内閣官房」
内閣安全保障室 :ウィキペディア
 内閣官房内閣安全・危機管理室、内閣総理大臣官房安全保障・危機管理室
危機管理センター 知恵蔵2013の解説 :「コトバンク」

北派武術 ← 中国武術 :ウィキペディア

羅漢拳 ← 中国武術用語の基礎知識 :「中国武術」(福昌堂)
少林拳 羅漢拳 luohan quan shaolin kung fu Loh Han Kuen Arhat Boxing :YouTube

通臂拳 → 通背拳 :ウィキペディア

通背拳(常松勝) :YouTube

八卦掌  :ウィキペディア
八卦掌 :YouTube

崩拳 ← 形意拳紹介No.1 :「九星会」

日字拳 → 台中振藩截拳道 : 基礎出拳法 (日字拳) 與反應練習 :YouTube

裡門頂肘 :「『技』の道」

点穴 ← 「点穴療法」ってなに? :「点穴療法と気功の世界」
点穴学(十二経気血流注時辰歌解その一) :「武術&気功ⅩⅡ」

発勁  :ウィキペディア
地曳秀峰 発勁 JibikiHidemine_Fa-jing  :YouTube

知新流手裏剣術の刀法併用手裏剣術(藤田西湖伝) :YouTube
離れを惜しまざること~知新流手裏剣術による打剣の考察 :「私的武術論~書庫」

解穴法 ← 点穴って何に? :「中国武術格闘理論」

第一空挺団普通科 → 空挺普通科群 :ウィキペディア
第1空挺団 (陸上自衛隊) :ウィキペディア

キャリコM100  :ウィキペディア

グロック17   :ウィキペディア 

Vz 83 :"Metal Gear Wiki"
Vz 61 :ウィキペディア

ニューナンブM60 :ウィキペディア
ニューナンブ57型 → ニューナンブM57A1 :「銃ブログ」

ヘリコプターHU-1H → UH-1H 多用途ヘリコプター:「Rightwing」

ESP → 超感覚的知覚 :ウィキペディア



   インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『禁断 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新1版


『螢草』 葉室 麟    双葉社

2013-03-22 20:59:43 | レビュー
 エンディングでは、ジ~ンと涙が出てくる作品である。著者が一群の作品の中でテーマとしている「しのぶ恋」がこの作品でも二色に染められて底流に流れている。敬慕の気持ちが「しのぶ恋」の色合いを帯びてのち成就する立場、その一方で「しのぶ恋」がしのぶ思いのままに終わる立場、そのいずれにも「一途」の気持ちが貫かれていく。

 また、この作品、
   月草の仮なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ
という和歌が作品のモチーフにもなっているように思う。この和歌が異なる音色の作品を紡ぎ出したのではないか。そう、『この君なくば』で主人公の栞が口ずさんだ和歌である。どちらの作品の構想が著者の想念に先にあったかは知らない。たまたま私は、『この君なくば』を読んでから、この作品を読んだ。
 だが、この和歌のバリエーションとして、イマジネーションが飛翔してできた作品がこの作品なのかもしれない。題名からして、本書の方が、和歌を軸にしているとも言える。 
 
 鏑木藩領内の南のはずれの山奥にある赤村に住んでいた16歳の菜々が、百五十石取りの風早家に女中奉公に出る。この菜々が夏の日に築地塀のそばの日陰の草取りをしていて、ふと目に止めたのが青い小さな花、露草である。
 奥方の佐知が菜々に教える。この露草が万葉集には月草と記してあり、俳諧では螢草と呼ぶそうだと。そしてこの和歌を菜々に教える。蛍草というきれいな呼び名に、菜々は目を輝かせる。佐知は言う。「そうですね。きれいで、それでいて儚げな名です」「螢はひと夏だけ輝いて生を終えます。だからこそ、けなげで美しいのでしょうが、ひとも同じかもしれませんね」(p10)と。
 その佐知が労咳を患い、正助ととよという二人の子供を残して、儚くも亡くなってしまう。それが、佐知を姉のようにも感じ、敬慕していた菜々の人生を変えて行くことにもなる。

 この和歌、万葉集の巻11、2756番目の歌として収録されている。読み人知らず。
 月草(鴨頭草とも記されている)を詠んだ歌は9首載っている。「鴨頭草の移ろう情け(こころ)」と心変わりすることを寄せた歌が多い中で、そうではないこの歌が著者の心を捕らえたのだろう。脇道にそれてしまった。

 この作品、奥方・佐知(23歳)への敬慕から主人・市之進(25歳)へのしのぶ恋に発展していく、健気で一途な菜々の生き様を軸にしながら、市之進が追求している藩内での勘定方の不正問題の解明が作品の筋になっている。藩主・鏑木勝重の江戸表での散財と退嬰的な政策がそれに絡んでいる。
 一方で、赤村の百姓の娘として育ってきた菜々は、実は藩士・安坂長七郎に嫁した赤村の庄屋の娘・五月が生んだ子であった。長七郎は、菜々が三歳の時、城中で轟平九郎との間で刃傷沙汰を起こして、切腹したのだ。そのため、五月が赤村で菜々を育てる。その五月は、「あなたの父上は穏やかで、仮にも喧嘩沙汰で刀を抜くような思慮のないひとではありませんでした。必ず相当のわけがあったはずです」(p12)と、菜々に言い暮らしていたのだ。佐知は、女中奉公に来た菜々の立ち居振る舞いを見ていて、武家の血筋ではないかと推察する。そして、それとなく人に調べさせておくのだ。
 その轟平九郎が江戸詰から領内に戻ってくる。そして、市之進に面談するために、風早家を訪れる。勝重に関わる集団の意を呈して、市之進を脅しに現れたのである。佐知の指示で客に茶を出すために、客間に出向いた菜々が父の敵をここで目にすることになる。

 この作品、佐知亡き後、正助・とよの二人の遺児の世話を一途に出がけていく菜々のありかた、市之進の追求する藩内の不正問題、菜々の仇討ち問題が絡み合い、織り上げられていく。そして、そこに、赤村で兄妹のようにして育ってきた菜々の叔父の嫡男・宗太郎の、菜々へのしのぶ恋が関わりを深めていく。

 この物語、ユーモラスなタッチでの描写も絡ませられていて、楽しい部分もある。菜々がその生き方で関わりを広げて行く人間関係でのちょっとした聞き間違い、とよの聴き間違いによる思い込みが織りなす綾である。浪人から鏑木藩の剣術指南役に仕官できた壇浦五兵衛がだんご兵衛、金貸しのお舟がおほね、儒学者の椎上節斎先生が死神先生、湧田の権蔵親分が駱駝の親分となる。その由来はなぜか? それは本書を開いて、楽しんでいただきたい。
 このあたり普通なら暗く重くあるいは固くなるトーンのところをユーモラスにし仕立てて、読者を楽しませてくれている。今まで読み継いできた作品には見られない、著者の新たな読者サービス、新基軸の組み込みといえるかもしれない。この作品に一種軽みを加えてくれている。楽しくて、思わず笑ってしまったシーンもあった。

 泣き笑いのできる作品だ。読後感は爽やかだった。

 最後に、印象深い章句のいくつかを書き留めておこう。
*謂われがなくとも、ひとは誰かのことを案ずるものです。  p90
*女子は命を守るのが役目であり、喜びなのです。 p98
*ひとは相手への想いが深くなるにつれて、別れる時の辛さが深くなり、悲しみが増すそうです。ひとは、皆、儚い命を限られて生きているのですから、いまこのひとときを大切に思わねばなりません。 p109
*商売がうまくいくやり方はわからないけど、どうやったらしくじるかはわかるようになったよ。・・・・続けないからだよ。うまくいかないからって、すぐあきらめてしまうのさ。 そうとは限らないよ。いくら続けてもうまくいかない商売なんてざらにあるからね。だけど、続けないことには話にならないのさ。物を売るってのはお客との真剣勝負だと思うね。勝負するには、まずお客に信用してもらわなきゃいけない。あいつは、雨の日だろうが、風の日だろうが、いつもそこにいるってね。   p201-202
*ひとの心を癒すのは言葉をかけることも大事だが、要は心持ちだ。何も言わず、ただ行うだけの者の心は尊いものぞ。  p241
*山犬に出会った時に怖がったら、やられてしまう。だから恐れないで睨み返してやるんだ。  p285
*ひとにとって、大切なものは様々にあるが、ただひとつをあげよと言うならば心であろう。心なき者は、いかに書を読み、武術を鍛えようとも、おのれの欲望のままに生きるだけだ。心ある者は、書を読むこと少なく、武術に長けずとも、ひとを敬い、救うことができよう。  p288
*生きておる限り、この世に終わったと言えることなどないのだぞ。 p308
*自分を大切に思わぬ者は、ひとも大切にできはせぬ。まずは精一杯、自分を大切にすることだ。どんなに苦しかろうと、いま手にしている自分の幸せを決して手放してはいかん。幸せは得難いもので、いったん手放してしまうと、なかなか取り戻せないのだぞ。 p310


ご一読、ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

本書に出てくる語句に関連して、いくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

柳生新陰流兵法 公式ホームページ
柳生新陰流 :ウィキペディア

新陰流   :ウィキペディア

愛洲移香斎 → 愛洲 久忠 :ウィキペディア
剣道の祖・愛洲移香斎生誕の地として、偉業を称え功績を広めていきたい『愛洲氏顕彰祭・剣祖祭実行委員会』(ふれあい) :「ゲンキ3.net」

上泉伊勢守 → 上泉信綱 :ウィキペディア

痘瘡 → 天然痘 :ウィキペディア
痘瘡(天然痘)について :「横浜市衛生研究所」

束脩 :ウィキペディア


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。



徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『この君なくば』 朝日新聞出版

『星火瞬く』  講談社

『花や散るらん』 文藝春秋

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版

『戦国武将の合戦図』 小和田哲男監修   新人物往来社

2013-03-19 13:01:30 | レビュー
 以前、『古代エジプト3000年史』(吉成薫著・新人物往来社)の読後印象をご紹介した。本書もそのビジュアル選書の一冊である。
 有名な戦を題材にした戦国合戦図屏風を採りあげ、その屏風に描かれた戦闘の内容と、当該屏風の見所などを簡潔に説明した図像主体の編集本である。有名な合戦の概略を学ぶことができるとともに、描かれた合戦図の見方、読み方を楽しめるようになっている。
 
 冒頭に源義家の「後三年合戦絵巻」が紹介されている。これは「この合戦についての詳細な記録や絵がないのを惜しんだ後白河法皇が院宣で作成を命じ、承安元年(1171)に完成させたといわれている」(p4)そうだ。縦が30~40cmという絵巻物の形式では大規模な合戦は描き難い。その短所を克服したのが、屏風絵ということになる。これで大きさがかなり柔軟になる。
 つまり、六曲一双、六曲一隻(せき)、八曲一双、八曲一隻・・・というふうに。
 
 屏風は基本的には長方形の絵などを描いたものを折り畳めるようになっている。1つの長方形を扇と呼び、屏風を立てたときに右から第1扇、第2扇・・・・と数えていく。通常は6つあるいは8つが一つのまとまりである。6つのまとまりを六曲、8つのまとまりを八曲という。そして六曲だけで描かれた、あるいは書かれたものが独立して完結する作品なら、六曲一隻(せき)と称される。六曲を左右に2つ双(なら)べて立てかけた形で完結体となる場合、六曲一双と呼ばれ、それぞれの六曲が屏風に向かって右側を右隻、左側を左隻と呼び分けられる。

 本書を通読して、学び理解した要点をまず列挙しておこう。その具体的な説明は本書の屏風絵を見ながら読み込み、合戦図を鑑賞していただくとよい。その導入の一助になれば幸である。

1) 誰が作成させたか。
 もともとは、多くの大名家が主な発注者のようだ。
2) なぜ合戦図を作成させたか。
 *合戦の記録を残すことを目的とする。
 *特定の軍の顕彰を目的とする。例えば、徳川軍の顕彰。
 *その合戦において、発注者が己の戦働きを記録させる目的
   → 己の戦功を具象化(=事後の評価への情報)
     自家一族の誇りの継承
 *文学作品の絵画化を意図する。(例 p134)
 など。勿論、目的は複合されているのが普通だろう。
3)見どころはなにか。
 屏風の描かれたシーンがどの場面か。その史実を背景として、なぜその場面を描いているかを読み取ると、どう描かれているかとの関連で見ると絵が動き出す。
4)着目点
 史実に対する描き方の忠実さ。いわば、5W1Hの切り口で史実資料・記録と整合するか。 あるいは、デフォルメしているならば、それはなぜかに着目する。
 また、その描き方がどこまで当時の状況に整合するのか、に着目する。
 例えば、武士や足軽の装束の正確さ。城や建物の描き方。刀の差し方。地理的な配置など。
 さらに、戦闘方法や戦闘具がどのように変遷しているかも、時代が異なるものをいくつか見比べられるときには、着目すべき観点になる。
5)本書を読み共著者のそれぞれの解説文からの感想
 専門家の観点で見たとき、次のような共通の観点があるように感じた。
 *特定の戦記記録との整合性 例えば、『甲陽軍艦』を底本にした合戦図(p16-19)
 *類似本との比較検討 どの屏風が祖本か。合戦図のどこが同一で、どこが異動か。
 *作成指示者(発注者)と所蔵者の変遷とその理由
 *絵画による記録性と絵師の創作性、あるいは実像と虚像の識別
 *戦いの記憶が残る期間(時代)に描かれたか、後世に何かを底本に描かれたか
 *戦闘場面としてのリアルさ
 *書き物にほとんどなく屏風絵に残された歴史の裏付け(証言)となる描写
   → 戦場における「鼻削ぎ」の風習(p86)

 大変参考になったのは、合戦図の場面の中に、その合戦のプロセスが凝縮されたかたちで、異時刻のものが併存する形で描かれているのが普通だということ。これを「異時同図法」と称するそうだ。そして、ふつうは右隻の第1扇・右端が時間的には一番早い。一般的な時間経過は右から左へ、つまり第1扇、第2扇・・・・と進んで行くのだ。だから、同一人物が複数回、屏風絵に描かれることもある。焦点をあてるために、周囲の情景の細部が省略されたり、雲形でスキップすることで、場面を切り換えたり簡略化される。
 何となく全体を眺めて終わってしまいそうなところから、一歩二歩踏み込んで鑑賞する視点を得られた。合戦図の部分に着目したときに、その合戦全体の中で、どのプロセス、時刻をその部分に描いているかを読み込むことで、理解を深められるということだ。戦の始まる前の状態と、戦の最盛期の場面、敗退場面が併存して一隻あるいは一双の合戦図屏風にえがかれてのである。各章、実例でその説明をしてくれているので、合戦図屏風鑑賞の手引きとして有益である。
 
 本書の目次を紹介しておこう。監修者・小和田哲男の「はじめに 戦国合戦屏風に秘められた『美』」の後の目次項目が本書で採りあげられた合戦の一覧にもなっているからだ。以下のとおりである。
川中島合戦図屏風  甲陽軍艦を描いた傑作       平山 優
姉川合戦図屏風  徳川軍の顕彰を目的とした秀作    太田浩司
長篠合戦図屏風  鉄砲隊と馬防柵の威力        内田九州男
耳川合戦図屏風  「九州関ヶ原」合戦記        鈴木景雲
山崎合戦図屏風  『絵本太閤記』の屏風仕立てか    跡部 信
賤ヶ岳合戦図屏風  兵装備を知る一級資料       内田九州男
小牧長久手合戦図屏風  発見された戦の風習      内田九州男
朝鮮軍陣図屏風  戦国武将の武烈称の図        富田紘次
関ヶ原合戦図屏風 津軽屏風の謎を解く         土山公仁
長谷堂合戦図屏風 軍記に沿う絵物語          土山公仁
大阪冬の陣図屏風 攻城戦の防御と攻撃拠点       佐多芳彦
大阪夏の陣図屏風 大阪落城の激闘と悲哀        内田九州男

 一方で、その限界が解りながらやはりちょっと残念なのは、屏風全体を本に入れると写真が小さくなることだ。絵巻では無理だから屏風仕立てで描くのだから、まあ当然なのだが。各章の解説ではピンポイントの部分拡大図で説明が成されている。だが、それ以外のところを屏風で見ようとするとピンポイント箇所が小さすぎてわかりずらくなる。
 現物の屏風を鑑賞できる機会があれば、本書を携えて行き、現場で解説文を読みながら鑑賞すると、理解と味わいが深まっていくのではないだろうか。ガイドブックとして便利な書といえる。

 解説文を読みながら、もう一つ思ったことがある。史実、神話や伝承・伝説に関連する絵画・彫刻などに共通のことなのだが、その対象物(今回なら合戦)に関する資料・文献・関連本などで背景知識を持っていることが望ましいと。絵画に描き出された内容の細部に深く入り、その世界をより深く、広く理解し、関係性のなかで味わい、鑑賞するには背景知識を蓄えることが大事だなということだ。合戦図屏風でいえば、史実資料や軍記物、関連書籍で合戦のプロセスの知識を持っていたり、武家の家紋や旗指物の図案が誰のものかを知っていれば、ミクロの部分が識別でき描かれた人物群がそれぞれ特定の人の働きを見るものとして、脈打ってくるだろうということだ。解説文を読みながら、なるほど・・・そこから、そういう解釈になるのか、ということが多々あった。
 鑑賞力を高めるヒントを得られる本でもある。しばし、楽しむことができた。


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ


 ネット上で、合戦図屏風が楽しめるものか、この興味から検索してみた。

後三年合戦絵巻 :「e国宝」(国立博物館所蔵国宝・重要文化財)

川中島合戦図屏風 :「岩国美術館」
川中島合戦図屏風 :「文化遺産オンライン」
紀州本 川中島合戦図屏風 :「インターネット安曇野」

姉川合戦図屏風 :「ブルボンクリエイション」
 このサイトに、「特集・合戦ダイジェスト」として、いくつかの合戦図屏風が掲載されています。賎ヶ岳、小牧長久手、関ヶ原、大阪冬の陣、大阪夏の陣
 屏風の合戦図の雰囲気は味わえます。

「姉川合戦図屏風」を初公開6月16日から歴博で姉川合戦企画展
 :「近江毎夕新聞」

長篠合戦図屏風 :「文化遺産オンライン」

山崎合戦図屏風 ← 豊臣秀吉と大山崎:「京都で遊ぼうART」

賎ヶ岳合戦図屏風 ← 6.七本槍の戦功:「余呉の庄と賤ヶ岳の合戦」
  空撮・決戦賎ヶ岳
賎ヶ岳合戦図屏風 動画 :Frequency
  屏風図を動画化していて面白い!もちろん、合戦経緯の説明入りです。

小牧長久手合戦図屏風 :「三河武士のやかた家康館」
長久手合戦図屏風 ← 国宝 犬山城 :「城郭・城趾の散歩道」
 このサイト記事の前半に屏風の写真が掲載されています。

朝鮮軍陣図屏風 :「文化遺産オンライン」
 部分図の拡大ができます。
朝鮮軍陣図屏風 :「徴古館 伝来資料の歴史博物館」
朝鮮軍陣図屏風 :「国立歴史民俗博物館」

関ヶ原合戦図屏風 :「文化遺産オンライン」
関ヶ原合戦図屏風 :「福岡市博物館」
 Facata(博物館たより)の第二章として屏風の写真が載っています。

関ヶ原合戦図屏風 :「行田市教育委員会」

長谷堂合戦図屏風 :「最上義光歴史館」
  長谷堂合戦図屏風について ― 軍記と屏風 ― 
長谷堂合戦図屏風 湯沢市指定有形文化財  :「山形合戦」

夏の陣合戦図屏風 :「OOSAKA-INFO」
大坂夏の陣図屏風 (大阪城天守閣・国指定重要美術品):
大坂夏の陣図屏風の世界【黒田屏風】 大坂の役 大阪の陣 動画 :Woopie

館蔵品図録 戦国合戦図屏風 :「岐阜市歴史博物館」
 図録がpdfファイルで公開されていました。すばらしい!
 部分拡大図です。よく分かります。説明文もついています。秀逸です。

「景観に刻印された人間の諸活動の痕跡を辿る 倭城・租界」
 神奈川大学

   インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。 

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

『この君なくば』  葉室 麟   朝日新聞出版

2013-03-16 19:52:39 | レビュー
 幕末の動乱期、勤王佐幕で時世が沸騰する最中の九州日向にある伍代藩(七万石)が舞台となる作品だ。「この君なくば一日もあらじ」という章句が本書のテーマである。この言葉は、竹林の中に建てられた茅葺の家、此君堂(しくんどう)と称された家に住む民間国学者・檜垣鉄斎の娘・栞が生涯胸中に抱き続けた言葉なのだ。栞は和歌の才能を顕し、晩年の鉄斎の自慢の種であった。その栞の秘めた思いの相手が楠瀬謙、本書の中心人物の一人でもある。

 本書は、楠瀬譲が此君堂で、鉄斎亡き後、栞から月に一度和歌の添削を受けるために訪ねて行くところから始まる。
 軽格の武士の家に生まれた楠瀬譲は、鉄斎の講義を此君堂の庭で立ち聞きすることを願い出て許され学問の道に入る。1年通い続けた頃、鉄斎から日頃心がけていることは何か、と訊かれ「稚心を去るということでしょうか」と答える。そして、正式の門人として講義を聞くことを許されるようになり、鉄斎の門人としてその薫陶を受ける。「稚心を去る」という譲の言葉に、譲の人生を大きく左右する背景があったことがいずれ明らかになる。
 譲は17歳の時に志を立て大坂に向かい適塾で蘭学を学ぶ。帰国後蘭方医として召し出されるが、後に殖産方となる。藩主伍代忠継の信認厚い人物となっていく。このことが、楠瀬謙の人生を大きく動かしていき、藩主並びに小藩である伍代藩の命運を左右していく立場に置かれていくことになる。つまり楠瀬謙を軸として、幕末期の状況の転変が描写され展開されていく。勤王佐幕に揺れる幕末期のありようを描くということが、著者のテーマの一つでもあったのだろう。

 譲は藩主のお声懸かりで、馬廻り役二百石の杉浦家の三女由利を妻に迎えることになる。その由利が夏風邪をこじらせ、三歳になる愛娘の志穂を残してあっけなく亡くなる。譲にとって月に一度、此君堂で栞から和歌の添削を受けることは密かな楽しみでもあり、勤めから心が開放される機会でもある。栞に対し譲も言葉に出さぬ思いを秘めている。著者がライフワークにしているのだろうと私は思うのだが、「忍ぶ恋」というテーマが本書にも、作品の基盤にある。
 
 藩主忠継は進取の気性を持ち、洋学への好奇心旺盛な開国派である。この藩主の命により、譲は開国反対の尊皇攘夷派が天誅騒ぎを起こしている京に、公家衆に会うために出かけることになる。時世の情勢をつかむためである。譲は貿易により小藩を豊かにしていこうと考える立場をとる。文久2年(1862)9月に京に出立する。本書は文久2年の少し前から明治5年(1872)1月までの10年余の期間を扱っている。幕末動乱・明治揺籃という時代模様を主に九州から眺めた状況としてイメージできる作品でもある。

 藩主忠継は楠瀬譲に藩政の一翼を担わせていこうという意図を持つ。楠瀬譲を支持する立場として終始一貫して背景に居る。その忠継は、由利亡き後、譲が由利の妹・五十鈴との縁組により杉浦家の継承者となり、藩政において重責を担わせていきやすくしたいという意図を示す。五十鈴自身も譲との縁組に対し積極的な意思を持つ形で登場してくる。
 ここで、栞と五十鈴の微妙な関係が生じてくることになる。「この君なくば」の思いを軸に、女心の揺らめきと一途な思いでの関わり合いがテーマとなっていく。譲が京に出た後の日向に留まる女性たちの関わりあい、こころの綾が描かれていく。栞と五十鈴が顔を合わせる歌会で相互に認め合う関係、譲の留守宅・楠瀬家の志穂及び譲の母・弥生と栞の交流、栞の思いを推し量りつつ時には助言しまたその生き様を見つづける母・房と栞との関わりなどが描き込まれていく。

 図式的にこの作品の構造を見れば、譲・栞・五十鈴の三者関係、開国派藩主と国学・蘭学・和歌を学んだ楠瀬譲に対する小藩内に蠢く尊王攘夷派の存在、楠瀬譲と尊皇攘夷の信念を表明し行動に出る小姓組佐倉健吾との関係、江戸幕府と尊皇攘夷派との対立抗争がある。また、国学者檜垣鉄斎と藩儒羽賀道世との学者同士の論争が藩内での意見対立もめごとの淵源になるという図式が背景にある。道世が「天下は天朝の天下にして、ひとりの天下なり」としたのに対し、鉄斎は「天下はひとりの天下に非ず、天下の天下なり」と反論した。さらに、九州・中国地方諸藩の立場・状況と伍代藩との関わり、楠瀬譲と久留米藩の今井栄との関係などが、多面的に関わり絡まり合いながらストーリーが展開していく。
 視点を変えて眺めると、それぞれの立場でそれぞれの人が「この君なくば」という思いで突き動かされていた時代として、その生き方を本書タイトルに重ねあわせているとも読めそうである。

 『晋書』王徽之伝に、竹を愛でた言葉として、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」という章句があるという。此君堂はここからとられた。<此君>は竹の異称である。檜垣鉄斎が「この君なくば一日もあらじ」を口癖にしていたのだ。その言葉が栞の思いと生き方を表明する言葉にもなる。裏返せば、それは譲の心情にも通底していく言葉である。
 五十鈴の生き様は、爽やかな印象を残すものとなっていて、気持ちが良い。
 真木和泉、大久保一蔵、西郷隆盛、高杉晋作、榎本武揚などがストーリー展開の中で点描されていて興味深い。
 
 最後に、本書のテーマとも絡むが、印象深い文をいくつか引用しておこう。
*自らすぐれたところを恥じることはございませんよ。あなたを常ならぬと申したのは、鉄斎殿が常ならぬ方だったからです。鉄斎殿の血を引くあなたが、間違った道を歩むはずはありません。世間を恐れているわたしの方が間違っていた、と気づいたのです。 p70
*譲を心底思っているのであれば、その苦しみをともに分かち、生きる支えとなれるはずだと叔父は告げたかったに違いない。五十鈴から強く言われただけで身を退くことを考え、身を退くことばかり考えて、譲を支えるということに思いが至っていなかったのではないか。  p75
*さらされていた村山たかに、運命を翻弄されながらも、おのれの信ずるものに殉ずる美しさを覚えました。いまの世はいずれの地にいようと、荒れ狂う時の流れを避けて通ることなど許されないと覚悟いたすしかないのではありますまいか。  p98
*世の動きと自らの生き方は、おのずと違いましょう。世の流れに自らの生き方を合わせては、自身の大本を見失うかと存じます。 p115
*されど、権勢というものは、それを得たいとあがく者が結局のところは握ります。われらの如く仕事をしたいだけの者は権勢とは無縁ゆえ、痛い目を見るかもしれぬと諦めにも似た心持がいたしましてな。  p122
*風を受けるからこそ、たがいにかばい合う心持ちが強くなっているのだ。 p176
*「寄る辺ないころに見たものが美しかったとは、不思議なことだな」
 「待つという想いが込もればこそ、すべてがいとおしく見えていたのだと思います」
 p184
*飄風は朝を終えず、驟雨は日を終えず  p210


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書に出てくる語句でネット検索してみたものをリストにまとめておきたい。

久留米藩 :「江戸三百藩HTML便覧」

今井栄 :「kurumenmon.com」

真木和泉 ← 真木保臣 :ウィキペディア
久留米藩士「真木和泉」 :「高杉晋作と徒然なる旅を」

村山たか :ウィキペディア

久坂玄瑞 :「吉田松陰.com」

榎本武揚 :ウィキペディア
 榎本武揚 :「近代日本人の肖像」

大鳥圭介 :ウィキペディア
 大鳥圭介 :「近代日本人の肖像」

河上彦斎 :ウィキペディア

愛宕通旭 朝日日本歴史人物事典の解説 :「コトバンク」
外山光輔 朝日日本歴史人物事典の解説 :「コトバンク」
二卿事件 :ウィキペディア


長州藩軍艦 庚申丸 :ウィキペディア
  癸亥丸 :ウィキペディア

久留米藩軍艦 雄飛丸 :ウィキペディア

江戸幕府 千歳丸  :ウィキペディア
  翔鶴丸 :ウィキペディア
  開陽丸 :ウィキペディア
  咸臨丸 :ウィキペディア
    サラキ岬に眠る「咸臨丸」 :「北の大地の始発駅 木古内町」HP

安政の大獄と井伊直弼 :「幕末動乱のコーナー」(歴史倶楽部)
井伊直弼の安政の大獄と尊攘運動・西南雄藩の台頭:「日本史・世界史の事象と人物」

清側義軍

天誅組

生野義挙 ~維新の魁~  
生野義挙碑 :「朝来市」HP

文久3年8月18日の政変 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
八月十八日政変関係史料  :「日本史探偵団文庫」

禁門の変  :「はてなキーワード」

船中八策  :ウィキペディア

版籍奉還  :ウィキペディア
廃藩置県  :ウィキペディア
 版籍奉還と廃藩置県 :「静岡県総合教育センター」
廢藩置縣ノ詔書  :ウィキソース

開拓使  :ウィキペディア
明治維新と北海道開拓使 :「明治の礎 北海道開拓」

アームストロング砲 :ウィキペディア
ミニエー銃  :ウィキペディア

西山書屋 ← 大楽源太郎の西山書屋跡の石碑(防府市台道上り熊)
池田屋事件をまだ知らず毛利定広が軍事調練を行った場所にきた
  :「歴史と地理な日々(新版)」

有終館 熊本藩兵学校
 ← 熊本藩作事所 鶴崎有終館跡



  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。



徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『星火瞬く』 葉室 麟   講談社

『花や散るらん』 葉室 麟   文藝春秋

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版


『星火瞬く』 葉室 麟   講談社

2013-03-12 11:09:53 | レビュー
 フィリップ・フランツ・シーボルトは、1823年(文政6)にオランダ商館の医師として来日し、1829年(文政12)までの6年間、日本に滞在する。帰国に際して、シーボルト事件が起こった。そして、再び日本に来ることを禁じられた。そこまでは知っていたが、そのシーボルトが再び日本に来ていたということを、本書を読んで初めて認識した。どこかで読んでいたかもしれないが、記憶に留めたいほどには意識しなかったのかもしれない。 そのシーボルトが息子のアレクサンダー・シーボルトと一緒に、1859年マルセイユを発ち、長い船旅の末に、再来日する。アレクサンダーが13歳のときだったという。シーボルトが再来日できたのは、1854年に日本が開国し、1858年に日蘭通商条約が結ばれたことにより、シーボルトに対する追放令も解除された結果である。

 本書は、シーボルト父子が船旅を経て安政6年(1859)7月6日(西暦では8月)に長崎港に着いた時から、1861年に、父シーボルトが汽船セント・ルイス号で横浜から出港するまでの期間を扱っている。大政奉還が行われるのは1867年(慶応3)である。幕末の尊王攘夷論が吹き荒れ、幕藩体制の基盤が激しく揺れ動いた動乱初期ともいえる時期が本書の背景となる。
 父に連れられて初めて異国の地・日本に来た13歳のアレキサンダーの目を通して見た日本と父の思い、行動を、「わたし」を軸にして語っていく。アレクサンダーは単なる黒子の役割で登場するのではない。少年から青年に脱皮していく多感な時期を一外国人として動乱最中の日本・横浜で過ごす。そのプロセスで、自らの人生の方向づけをすることにもなる。本書に登場する主要人物の一人である。アレクサンダーは、日本に留まるという選択をした。「ロシア海軍に行く話を断り、イギリスの通訳官になるつもりだ」と父に告げて。なぜ、この道を選択するのか、そこに作者の視点があるように思う。本書のサブ・テーマの一つだろう。

 本書は、幕末動乱期における複数の人間の生き様がテーマであるように思う。それぞれの人生の生き方を選択していく人々、そしてそれらの人々の関わり方が一枚の織地の如くに様々に織りなされて、図柄を生み出し、この作品を彩っていく。各登場人物が己の考え・行動を成し遂げようとするという意味で、それぞれが主人公でもある。自らが主人公でありながら、それぞれの人々と何らかの関わりを持って行くのがアレクサンダーの黒子的役割だと思った。幕末の動乱の時代、それも主に滞在外国人の視点で眺めたこの時代そのものを描くことが、本書のサブ・テーマであるとも言える。
 史実を踏まえて、著者の想像力が縦横に点的事象を線として、面として織りなしていく作品だ。学生時代に学ぶ事のほとんどなかった江戸時代末期の具体的な歴史。その時代の胎動をリアルにイメージすることができた。まさにこんな感じだったのか・・・・と。
 バクーニンがこの時期、日本に滞在していたなんて、全く知らなかった!

 父シーボルトは63歳。オランダ貿易会社の顧問という不安定な立場で来日する。望みは開国した日本の役に立ちたいという思いである。日本研究の第一人者としての自負を抱いていても、その知識は古びてきている。人々に提供できる優れた医療技術ももはや持っていない。だが、この激動する日本と諸外国の関係の中で、日本通の自分が果たせる役割があるだろうと模索する。そして、徳川幕府の政治外交顧問という立場で関わりを持っていく。それは、諸外国の関係者からみれば、別の軋轢要素にもなりえる立場なのだ。

 アレクサンダーは、その父の考え方・行動を観察しつつ、日本語を学び、日本の状況について時代認識を深めて行く。横浜という居留地で、諸外国からの来日者との交流、父の関係で知り得た日本人との交流から、己の生き方を考え始める。当時、居留地には商館、倉庫が建ち並び、イギリス人、フランス人、アメリカ人、オランダ人が住んでいたという。シーボルト父子はホテル住まいで滞在する。

 社会主義革命家バクーニンは、ドレスデン蜂起を指導したが敗れて捕らえられ、身柄をロシア政府に引き渡された後、1857年からシベリア流罪になっていた。だが、そのシベリアで、イルクーツク県知事・イズヴォリスキーを説得してパスポートを入手する。そして、シベリアを脱出して函館経由で、横浜に来ていたのだ。アレクサンダーは、同じホテルに滞在することになる。そしてバクーニンとの関わりが深まっていく。
 バクーニンは、日本で情報収集し、革命家となる素質を持つ日本人指導者を育成しようと虎視眈々とねらっている。
 バクーニンという人物像、なかなかおもしろい。ちょっと日本には存在しないキャラクターのような気がする。バクーニンの資金源はどこにあったのだろう・・・・気になる側面でもある。革命家活動の中で、バクーニンがある意味で悲劇の側面を甘受したということも初めて知った。
 バクーニンが、清河八郎、高杉晋作と面識の機会を持ったという描写は、大変興味深くかつ新鮮だった。

 徳川幕府外国奉行の小栗忠順(後に上野介と名のる)が、幕府開国側の主要人物としてこのストーリーでの一つの太い軸になって登場する。当時35歳だったとか。日本はどうあるべきかを、徳川幕府の中枢にあって思考していた異才として描かれている。遣米使節の一員として渡米し、世界を一周し帰国した人物、これも初めて知った。世界を見る目を持っていた、なかなか肚力のある人物だったようだ。一本の螺子(ねじ)を常に持ち歩いていたのだとか。「こいつからこの国が始まるのだ」という発想。幕府にも先見の明を持つ人物がいたのだ。この螺子は著者の想像力なのか、事実なのか・・・。螺子は象徴的だ。

 ジョセフ・ヒコは、アメリカ人になった日本人。海難事故での漂流と鎖国政策が生み出した一人物として登場する。横浜で商館を開き、アメリカ領事館での通訳の仕事もする。アメリカ人の目で、動乱の日本を見つめる日本人。自らの生き方の選択に迫られる一人。こういう立場に投げ出された同種の人々が、たぶん当時はかなりいたのだろう。アレクサンダーとの関わりを深めていく。

 三瀬周三は、アレクサンダーの日本語家庭教師として登場する。通訳の立場で、居留地横浜に滞在するが、彼を通して日本人のひとつの視点が描き出される。また、清河八郎はバクーニンと面談する人物だが、ある意味で尊王攘夷派の立場の行動シンボルとして描かれている。幕末動乱期の思潮の一側面が浮かびあがる。高杉晋作は一コマ現れるだけだが、まさに一期一会。バクーニンとの一度の面談で、大きな示唆を得た人物として描かれているように思う。勝麟太郎も登場するが、ちょっとこすっからい人物像として描かれているところがおもしろい。この時期の小栗と勝の人物対比もひとつの時代のファクターになるのかもしれない。

 マッコーリーはホテルのバーテンダーである。ジャマイカ生まれのイギリス籍で、マッコーリー男爵という綽名の持ち主。アレクサンダーをサポートする黒子役的存在だが、ホテルのバーテンダーという立場から、様々な人物を見つめる視点での語り部にもなっている。彼にも達成したい夢があり、アレクサンダーに語るのだ。

 他にも様々な人々が登場する。これらの人々が主に居留地・横浜を介して関わり、時代の流れに巻き込まれ、また動かす役割を担う。様々な関わり方がストーリーを織りなしていく。時代の変換点-それは人間の生き様がストレートに見えるとき、でもあるのだろう。
 幕末という時代に対して、事実の年表的羅列でなく、血が通ったものとしてリアル感をもつには、やはりこういう史実を踏まえた作品は入りやすい。

 最後に、本書からいくつか引用し覚書としておきたい。

*幕藩体制は、いわば小国が連合しているだけである。幕府はこれら小国の統率者に過ぎず、一国の政府とは言い難い。そこに開国を迫られ、諸外国との外交を始めた日本のひずみがあった。  p146
*この世界は、わたしが考えているより複雑で、何が正義で何が悪なのかわからないようにできている。 p181
*悲しいってのは、愛おしいってことだよ。ひとの一番きれいな気持ちだ。だから、誰もその気持ちを捨てることはできないんだよ。たとえ命を捨てることになってもな。
 p194-195
*わたしにはカツがどんな人間かわかりませんが、聞けば冷笑的なところがあるひとのような気もいたします。  p199


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ

 フィクションに散在する史実を確認するためにネット検索した語句などの一覧をまとめておきたい。

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト :ウィクペディア

シーボルト事件 :ウィキペディア
シーボルト事件関係者判決文(文政13年):「ようこそ大船庵へ」
シーボルト事件と流出地図 :「ようこそ大船庵へ」

アレクサンダー・フォン・シーボルト :ウィキペディア

小栗忠順 :ウィキペディア

バクーニン :ウィキペディア

ジョセフ・ヒコ → 浜田彦蔵 :ウィキペディア

ラザフォード・オールコック :ウィキペディア

勝麟太郎 → 勝海舟 :ウィキペディア

清河八郎  :ウィキペディア
清河八郎記念館 :「回天の魁士 清河八郎」

高杉晋作  :ウィキペディア
高杉晋作  :「萩市観光ポータルサイト」

スネル兄弟  :ウィキペディア
「資料編 死の商人、ご存知 西のグラバーとご存知ない東のスネル」
 天皇と近代日本    :「晴耕雨読」

<上海との関係で決まった幕末>  :「よみがえる佐川急便」

高輪東禅寺 ←高輪東禅寺を参拝、高輪大木戸跡を訪ねました:「古寺巡拝」

サスケハナ号 :ウィキペディア
  遊覧船 サスケハナ号 伊豆クルーズ

長崎県対馬市 part1 『ロシア軍艦対馬占領事件』 :「素敵な街+α」

対馬の幕末「ポサドニック号」 :「旅する長崎学」

羅紗緬  :ウィキペディア

海外新聞 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」


   インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。


人気ブログランキングへ


徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『花や散るらん』 葉室 麟   文藝春秋

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版


『希望の木』 新井 満  大和出版

2013-03-10 13:34:38 | レビュー
 わたしは、松の木です。
 海辺に、一本だけ生えている松の木です。

という文からはじまる散文詩。
一連の散文詩に奇跡の一本松の様々な写真および津波の後の写真数葉を添えた写真詩集である。この詩集が出版されたのは2011年11月だ。
 そして、あの3.11から2年経った今、奇跡の一本松そのものにも劇的な変化が起きている。江戸時代に防潮林として松が植えられ、高田松原として、2キロメートルにわたって約7万本のクロマツ・アカマツが連なっていたそうだ。それが、2011.3.11の震災と津波で、たった一本の松が奇跡的に残った。その奇跡の一本松そのものが結局生き延びることができなかった。そして、いまその一本松はシンボルとして、モニュメントになろうとしている。

 巻末の「あとがきに代える八つの断章 地震と津波の一本松」を読むと、この散文詩は、「ラジオ深夜便」という番組で放送された著者による応援メッセージとして作詩され、朗読されたものがもとになっているという。そしてこの詩は、1964年(昭和39年)6月16日に新潟市を襲った地震と津波による被災者の一人としての著者の体験を背景に生まれたようだ。その被災体験から受けた心の傷が背景にある。「私は小説家のイマジネーションを駆使して、自分なりの解答を出すことにした」という。その結果がこの散文詩である。
 奇跡の一本松の背後に作者が感じ取ったのは「家族の絆」だった。

 このあとがきを読む前に、散文詩を読みながら、作者は一本松に託して、人を語っていると感じた。詩に詠みこまれたのは松と重ねられた人の思いだ。

 わたしひとりだけを残して・・・・(p10)
 
 わたしは、ひとりぼっちです。
 とても、淋しいです。
 泣かない日は、一日もありません。 (p11)

一本松の思いに、震災で被災し、家族を亡くし、家財を無くした人々の思いが重ねられている。

 「あの日、津波が襲いかかってきたあの時、私は自分の死を覚悟した」
 しかし、私が死んでも、たったひとりだけでいい、だれかに生きのこってほしいと思った。生きのこってくれさえすれば、松の木のいのちを、未来へ伝えることができるからね。
 「そこに、君がいたんだ」   (p42-43)

これは、一本松が、流されて行ってしまった父の木、母の木と対話するイメージ世界の詞章部分である。「生きて生きて生きぬく」のが「高田松原7万本の仲間たち」の「みんなの”希望”なのよ」と語っていく。

 奇跡の一本松は海岸の塩分濃度その他の要因で、生き抜けず枯死した。
 しかし、その前に、接ぎ木がほどこされ、<いのちを伝えること>はできたようだ。高田松原の松の”いのちのバトン・リレー”はつながったという。よかった! すくすくと育ってほしいと願う。

 散文詩は、こんな文で終わる。

 「おはよう
  ”希望の木”!
  夜がが明けたよ
  新しい一日が始まるよ!」

今、バトンリレーを受けた子供の苗木がこれからの本当の「希望の木」になることだろう。

 奇跡の一本松の思い、一本松と父の木・母の木との対話-この散文詩-は、生きている一本松として、これからも生き続けると感じる。
 松の木のこころ、そこに人のこころが詠み込まれているから・・・・・

 そんな印象を残してくれた。

 散文詩中の一行の文が掲載写真に添えられている。一行の文と写真がコラボレーションして、響き合ってくる。添えられた一文がトリガーとなり、写真のリアリティの奥行きを深め、その映像世界の生み出す心象が、一文に感情の色づけを一層加えていく。
 散文詩を読むまえに、あるいは、散文詩を読んだ後に、これらのページだけをじっくり眺めてみるのもいい。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


高田松原と奇跡の一本松 :陸前高田市
奇跡の一本松保存プロジェクト :陸前高田市

おかえり“奇跡の一本松” 「忘れさせない」シンボルに :「産経ニュース」
奇跡の一本松復元、震災2年に間に合わず :「朝日新聞」

高田松原を守る会  ホームページ(Facebbook)
SAVE TAKATA ホームページ
陸前高田市支援連絡協議会 Aid TAKATA  ホームページ
桜ライン311 ホームページ

よみがえれ森よ・「海岸林を考える」シンポジウム(1)

よみがえれ森よ・「海岸林を考える」シンポジウム(2)~高田松原の再生誓う

一方、こんな意見も出ていた:
サイボーグ化される「奇跡の一本松」 1億5000万円もの費用に疑問の声
 2012.8.31  :Jcastニュース ビジネス&メディアウォッチ


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


『原発と環境』 安斎育郎  かもがわ出版

2013-03-09 18:18:20 | レビュー
 本書は1975年、ダイヤモンド社から出版された『原発と環境』の完全復刻版である。著者が33~34歳(東京大学助手の時代)の頃に書いた本だということである。
 冒頭の「復刻版出版にあたって」の一文で、著者の立場が明確に述べられている。
*現在は「原発は計画的に廃絶すべきだ」と確信しているということ。
*オリジナル版を書いた頃の基本的姿勢は、「原子力利用の可能性を頭ごなしに否定するのではなく、開発のあり方をそれなりの厳しさで批判した」ところにあったということ。*1972年に日本学術会議が開いた第1回原子力問題シンポジウムの基調講演で、「6項目の点検基準」を提起し、日本の原発開発政策を全面的に批判したということ。
 その結果、著者は「反国家的な反原発イデオローグ」とみなされ、アカデミック・ハラスメントを体験するようになったと明記されている。その時期に書かれたのが本書の原本だという。

 40年前の完全復刻版なので、放射線の単位は旧単位・レム、ミリレムのままである。その点ちょっと戸惑うが、内容理解に大きな支障はない。それよりも40年前にこんな立場、観点から論じた本が出版されていたことに、驚きを感じている。それは、まず第一に、小出裕章氏の発言にあるように、原子力行政、原子力ムラは何も変わっていない、同じ体質のままで40年間が過ぎ、フクシマの惨事を導いたということである。二に、著者の指摘されている40年前の問題提起が、まさに現在の状況における問題提起そのものでもあるという発見だ。そして、40年前からのこの問題提起に如何に無関心であったかについて、己を恥じる思いが強い。

 1972年に著者が点検基準とした6項目とは何だったのか。
 (1)開発の自主性 (2)経済成長優先主義の否定 (3)軍事転用の禁止
 (4)民主的地域開発計画の尊重 (5)労働者および地域住民の安全性の実証科学的保障
 (6)民主的行政の保障
 この点検基準が、本書においても論述のベースになっている。この問題提起が、逆に本書の出版へと導いたというべきなのかもしれない。
 本書は10章構成になっている。
第1章 原子力発電
 副題は「トータル・システムとしての視点」だ。感想を含め後述したい。
第2章 原子力発電所の安全装置
 副題は「実証研究の立ち遅れ」。2つのタイプの軽水炉の構造を説明し、当時発生していた事故事例を採りあげて、「安全性」の誇大宣伝に警告を発し、実証研究の重要性を説く。章末のパラグラフはこう述べる。「異常は小事のうちにその芽をつみとることが肝要であるが、そのためにはすでにふれたように、情報の全面的公開をもとに科学者・技術者の知識と能力を結集して事態を総括し、実証科学性に立脚した安全性の基本的視点をしっかりと踏まえて、地域住民や市民から見てもかげりのないものにする努力が、つねに払われなければならない。私たちは、科学上の既知と未知を峻別し、非実証的な『安全性』を強弁するような議論を厳しく排除していかなければならないであろう。」これは、今、まさに現状のデジャヴィではないか。活断層上の原発立地論議への問題提起に当てはまる。第3章 初期の放射線利用と障害の歴史
 エックス線やラジウムの発見の研究過程とそこで発生した障害、ラジウムの夜光塗料への利用における作業や鉱山労働者の作業から生じた障害の累積。それらの事実が防護勧告、「許容線量」の概念とその変遷を生み出した歴史が述べられている。放射線が伴う障害の歴史というのは、一度は押さえておくべきものだとつくづく思う。
第4章 戦前の日本における放射線利用の歴史
 放射線利用は、被曝と障害の歴史なのだ。常に後手に回ってきた犠牲の上に成り立っていることがよくわかる。
第5章 軽水型原発開発の歴史
 原子力はやはり、マンハッタン・プロジェクトに遡って歴史の流れを押さえておくことが必要であることがわかる。軍事一辺倒から原子力平和利用への変遷は、経済動向を踏まえて、結局政治力学がもたらしたものなのだ。根本的な検討が不十分なまま原子力利用に踏みだしたことがよくわかる。
第6章 許容線量とは何か
 ゴフマン=タンプリンの主張論点から説き起こし、許容線量の概念がどのように論争されてきたかを解説している。40年前の時点での概説だが概念理解のベースとして有益だ。著者の立場は明確だ。「われわれの追い求めるべきものは、被曝の飽くなき低減化であり、・・・これを徹底して切り下げる努力をこそ払わねばならない。」(p175)
第7章 環境放射能の監視
 アメリカ原子力潜水艦寄港時の環境放射能汚染監視における「放射能データ捏造事件」を教材にして、環境放射能の計測の難しさとモニターの問題を論じている。環境放射能から被曝、体内汚染および線量評価について論議を展開していく。
 モニターデータの捏造という観点は、まさに今、2011.3.11以降、一層重要な観点になっているのではないか。本当に事実データが公開されているのか? 形を変えたデータ捏造の繰り返しが起こっていないか、気になる。
第8章 温排水の問題点
 「原発からの復水系排水は、このような総合的な検討を実証的に行うことがきわめて緊急に必要であるが、実際には、安全審査でも、温度上昇域の推定を中心にした非常に初歩的な検討の域を出てはいないのが現状である」(p218)と、著者は40年ほど前に記している。この40年ほどの間に、原発立地海域の複合因子の競合的綜合作用についての実証研究は進化してきたのだろうか、気になる観点だ。
第9章 非破壊検査労働の放射線安全
 副題は「生産性の追求と労働者の安全」である。放射線を扱っての非破壊検査業務が増大する中で、撮影作業過程での労働者の安全管理について、問題提起をしている。安全性の確保が軽視あるいは切り捨てられる実態への問題提起である。
 これも、現在はどうなのか、ということが知りたいところだ。
第10章 原子力船「むつ」と政治的海難
 副題は「漂える原子力行政」である。ほたて養殖が軌道に乗り始めていた陸奥湾において、むつ母港化による原子力実験船「むつ」の計画が推進された。それに対する漁民側の反対闘争の経緯および放射能漏洩問題の顛末がまとめられている。この漏洩問題により、原子力実験船「むつ」は頓挫した。「漁民たちが守り通した自分たちの海は、われわれにとっての共通の財産でもあるのだ」という一文で、最終章、かつ本書本文が締め括られている。
 だが、ネット検索していて発見し、再認識した。原子力船「むつ」が現存するのだ。過去の話ではなく、復活しているのである。今ではマスメディアに話題としてすら採りあげられていないと思うが、厳然として実在する。これも本書を読んで、調べてみて気づいたという体たらくである。だが、その復活経緯はどうだったのか、確認したいところである。漁民の皆さんが同意したのか。押し切られたのか。海は守られているのだろうか。

 さて、第1章の副題に戻ろう。著者は冒頭でトータル・システムとしての視点が重要だと提起している。
 「原子力発電技術は、原子力発電所技術と同じではない。原子力発電が、電力生産技術システムとして成り立ちうるためには、核燃料の生産・加工、原子力発電所の建設・運転、放射性廃棄物の処理・処分、使用済み核燃料の輸送および再処理、耐用年数を過ぎた原子炉(廃炉)の処理・処分といった一連の問題が、互いに不可分な全体として考察の対象とされなければならない。したがって、原子力発電の安全性の問題も、原子力発電所の安全性の問題に限局されるべきではなく、まさしくトータルな視点が確固として据えられなければならない」
 本書を読み、思い至ることは、トータル・システムの視点がなおざりにされてきたのではないか、あるいは、研究されてきたとしても解決不可能なのだということだろう。さらに問題の先送りが続いてきているということだ。そして、今、「原子力発電所の安全性」すら確保できない実態があからさまになってしまっているという事実である。トータル・システムどころではない。それ以前のレベルなのだ。
 著者の指摘した視点は、原子炉廃炉を前提としたうえで原子力からの撤退のためのトータル・システムという視点としてとらえ直し、再構築する必要があるのではないだろうか。
 
 本書での指摘はまさに「温故知新」の思いがする。そう感じる箇所をいくつか引用させていただこう。
 本書の主張点は、古びていない。今、改めて再認識していくべき内容だと思う。

*日本の原子力発電開発に典型的にみるように、国家と大資本とが一体となってこのような技術の大々的利用を急速に推進するとき、資本の論理はしばしば、科学の水準や技術の力量をはるかに超えて効能を貪り、技術を大規模に応用するに際して当然解明しておかなければならない重要な諸問題をさえとり残して、無謀にも突進しかねないことに注意をはらわなければならない。  p116
*許容線量とは、問題としている放射線利用技術によって他に代替しがたいベネフィットがもたらされるという大前提の下で、放射線被曝=ゼロが最も望ましい側と、低く制限されればされるほど、社会的・経済的に不利益を被る側との、絶えざる緊張関係(対立関係)を背景として、被曝ゼロを指向して絶えず点検され、改訂され続けられるべきものであると、著者は考えている。 p140
*線量限度はそのレベルまでは被曝が許される水準という意味ではないと心得ていながらも、現実には、やはり、それ以下ならOKと判断する比較規範としての機能を果たしかねないのである。
 被曝の低減化を絶えず追い求めるという立場からすると、法律上の基準の性格は、むしろ、「資格基準」である方が望ましい。・・・当該放射線利用技術について、その時点で利用可能な安全確保技術の最新の到達点が規制当局によって絶えず把握されており、そのような水準に照らして、申請内容は点検され、可能な改善を指示される。操業や運転についても同様である。・・・「許容線量」についての性格をより明確にするにはこうした措置が必要ではなかろうか。  p146-147
*そもそも放射能監視(モニタリング)は何のためにやるのかという問題に関係している。モニタリングは、異常の有無や程度をいちはやく把握し、その結果から、より重大な事態を未然に防ぐためにとるべき措置を速やかに決定するための重要な参考資料とすることを目的として行うものである。モニタリングは、ただ単に、環境がどれだけ汚染していたかを測定して記録するというものではなく、その測定結果に立脚して、環境汚染を引き起こす危険性を小さい芽のうちにつみとり、安全状態を不断に点検し、改善していくというより積極的な機能をこそ負っているのである。  p185
*われわれは、行政の姿勢が企業の側を向いていたことをよく知っている。そして、その結果として、公害列島が急速に形成されていった過程をわすれてはいない。金脈、人脈を通じて形づくられた与党と企業との共通の利益基盤が、ここでも重要な意味をもっていないだろうか。原発問題についても、その安全性に関連して、行政当局はしばしば電力企業擁護の立場をあらわにしてきた。国が、将来のエネルギー開発の中心に原発を置き、その推進に躍起となっているかぎり、行政と電力企業の結びつきは、いわば必然的である。しかも、わが国では、原子力委員会が推進と規制の両面を担当してきた。同委員会の主催した原発「公聴会」は、公開された資料の点でも、口述人や傍聴人の募集や指定の点でも、きわめて企業寄りのものであった。そうした実態を総合してみると、分析研事件の教訓は、原発問題にも正しく生かされなければならないことが明らかとなる。 p212
*しばしば、生のデータを公表することは、数字のもつ意味を正確に把握しているとは限らない住民を、よけいに心配させることになるからという理由で、公開が拒まれる。しかし、それは正当な理由とはいいがたい。住民が理不尽で非科学的なデータ解釈を行い、不必要に恐怖をかきたてたとすれば、それは真実に依拠して説得できるはずのものである。それをもし説得できずして何であろう。住民にとっても、それは科学に対する訓練の場であり、多少の曲折はありえても、結局は真なるものに接近していくに相違ない。住民を「愚民」視するのではなく、住民の成長をおおらかに信じることこそが、重要である。 
P214
*温排水拡散域の予測は、直接、漁業補償と結びついてくるため、時として政治的色彩を帯びやすい。  P220


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ


むつ(原子力船) :ウィキペディア

大型船舶用原子炉(MRX)炉概念と設計主要目値

みらい(海洋地球研究船):ウィキペディア

失敗百選 ~原子力船むつの放射線漏れ~ :「SYDROSE知識データベース」

原子力船「むつ」 :「日本原子力研究開発機構青森研究開発センター」

☆現代史こぼれ話☆  :「堀田伸永メールマガジン情報」
1974年、日本に寄港した原潜の放射能調査データねつ造発覚
 ← 日本分析化学研究所のデータ捏造事件


インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『メルトダウン 放射能放出はこうして起こった』 田辺文也 岩波書店

『原発をつくらせない人びと -祝島から未来へ』 山秋 真 岩波新書

『ヤクザと原発 福島第一潜入記』 鈴木智彦 文藝春秋

『官邸から見た原発事故の真実』 田坂広志 光文社新書

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新1版)

『メルトダウン 放射能放出はこうして起こった』 田辺文也 岩波書店

2013-03-07 14:44:43 | レビュー
 本書はそのタイトルどおり、福島第一原発の3つの原子炉におけるメルトダウンのプロセスに焦点をあて、それぞれの放射能放出プロセスについて著者の見解を明らかにしたものである。「まえがき」に著者自身が本書の目的を明記する。
 「原発外部で観測される放射性物質とその空間放射線量と、簡単な手計算で事態が推測できるものの、なぜ東電や保安院はそのことをひた隠しにし続けたのか。今では誰でも認めざるをえなくなっているメルトダウンはどのようにして起きたのかを明らかにしたい」そのための方法として、著者は公開されているすべての事故調査報告書と観測データという限られた情報に基づき、著者自身の設定した簡単なシミュレーション計算とデータ分析による推論を本書で行ったのだ。巻末の付録2「自力分析のすすめ」に、著者が行った計算方法と分析を開示している。シミュレーション計算がどのような考え方で行われたのかが理解できる。つまり、同様の発想でアメリカをはじめ主要各国の研究機関、調査機関は東電や保安院がどう否定し誤魔化そうとも、メルトダウンの推論を確実に行っていただろうということが、併せて推定できる。蚊帳の外に置かれていたのは、日本の我々一般市民だったのだ。

 まず、著者のプロフィールを奥書から要約しておこう。1945年北海道生まれ。京都大学大学院で原子核工学を専攻した工学博士。1975年に日本原子力研究所入所、その後日本原子力研究開発機構上級研究主席などを勤めた後、退職し、社会技術システム安全研究所を主宰するという。原子力ムラの中で研究に携わってきた経験の持ち主だ。スリーマイル島事故の進展プロセス解析、JCO臨界事故の原因分析などに従事と記されているので、まさに本書は著者の長年の研究を基盤にしたものであり、専門家の見解ということになる。
 本書の構成を「目次」のままにご紹介しよう。
第Ⅰ部 総論 - メルトダウンはなぜ、どのように起きたか。
 1 福島第一原発と地震・津波の影響
 2 炉心溶融事故の進展と放射能放出
 3 東電の事故対策は適切だったか
 4 福島第一原発はなぜ起きたのか
第Ⅱ部 詳論 - 放射能放出はどのように起きたか
 5 2号機で何が起きていたのか
 6 福島第一原発の放射能放出はどうなっていたか
この本文に「まえがき、参考文献、あとがき」が付されている。そして、
 付録1 社会技術システムの安全管理
 付録2 自力分析のすすめ
が掲載されている。

 第1章では福島第一原発の原子力発電のしくみ、原発建屋と原子炉の構造及び地震・津波来襲時の要点がまずアウトラインとして押さえられている。

 第2章では、3つの原発の状況が違うので、1号機、3号機、2号機の順番でそのふるまいと放射線放出状況が詳細に検討される。「崩壊熱除去に最小限必要な注水率と実際の注水率の比較」グラフ、原発敷地内及び近隣地域の空間放射線量率グラフ、格納容器放射線量率のグラフ、「炉心物質平均温度(露出部分)の時間変化(筆者の簡易モデル計算による推定)」グラフなど、時間軸に沿った変化図を使いながらの詳述であり、そのプロセスがわかりやすい。

 第3章では、東電の事故対応の適切性について、著者の見解が論じられている。
 事故運転操作の手順書には、「炉心損傷前に参照すべき徴候ベース手順書」と「炉心損傷後に参照すべきシビアアクシデント手順書」の2種類があるようだ。著者は1号機について、「徴候ベース手順書を参照しなかった可能性が高い」(p57)と推論する。3号機では、「急速減圧」手順の実行(p58)がなされていたら炉心溶融を防げた可能性が高いと言う。2号機についても、「徴候ベース手順書を参照しなかったと思われる」(p60)と分析している。「これら、東電および保安院の対応は、炉心損傷前の参照すべき徴候ベース事故時運転操作手順書の記載手順と矛盾しているとともに、事故対応として事態を悪化させる働きをしたと考えられる」(p62)と結論づける。

 第4章では、事故がなぜ起きたのかの分析である。著者は6つの観点を指摘する。
1)津波への備えの欠如、2)全交流電源喪失事故への備えの欠如、3)シビアアクシデントへの備えの不十分さ、4)深層防護戦略の強化に関する不作為、5)安全規制の問題、6)リスク顕在化の切迫感の欠如、である。詳細分析は本書をお読み願いたい。なすべき事がなされていなかったことがこの一連の原発事故を招いたのだ。想定外の事故ではなく、想定を無視した結果の事故というしかないように感じる。「人命軽視・安全軽視の対応に終始してきた」(p79)罪が追及されるべきではないだろうか。今まで読み継いできた関連書籍や本書を読み、やはりこの事故は備えの強化を怠った東電と保安院の馴れ合いが引き起こした人災なのだという思いを強めた。
 「深層防護戦略」はIAEAが1996年に5つのレベルとして報告書を公刊したものだという。日本再建イニシアティブが発表した『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』にも、p34~36にこの考え方について触れている。本書p72には、その概要が表形式で掲載されていもいる。この深層防護戦略は現在の他の原発ではどこまで強化されているのだろうか。気になるところである。フクシマ同様の不作為がありはしないか。

 第5章以下は第Ⅱ部であり、放射能放出の詳論である。
 第5章では、2号機原子炉のふるまいについて、巨大地震発生から炉心完全露出までの時々刻々と推移する状況を著者がまず報告書やデータを踏まえて推定し、リアルに分析描写していく。まさに分きざみのレポートである。

 第6章では、福島第一原発からの放射能放出の仮説的シナリオをもとに、放射線量率の変化が詳述されていく。公表のモニタリングポストでの計測値、著者の計算プログラムからの逆算推定値などが駆使され推論されている。
 2号機、1号機、3号機からの放射能放出の推移をそれぞれ論じたあと、3月17日以降の放射能放出状況や総放出量が分析されている。著者は、総放出量として、「セシウム137が16.3ペタベクレル(ペタベクレルは1000兆ベクレル)、ヨウ素131が206ペタベクレルである」(p116)と結論づける。ここには、他の研究者や東電の推定値も併述されている。
 
 メルトダウンと放射能放出に焦点が絞られているので、各種報告書類と補完関係にある情報として読むことができ、有益である。

 付録1「社会技術システムの安全管理」は著者が約10年前にまとめた論説で、出版機会を逸したものの掲載だという。スリーマイル島原子力発電事故、JCO臨界事故の事例を利用しながら、深層防護戦略の深化もしくは高度化のための課題を論じている。独立した内容である。この論説自体も読み応えがある。


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

公表された調査報告書を今までに検索していた。関連事項も含めて一覧にしておきたい。
政府
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 2012.7.23
 最終報告(概要)
 最終報告書(本文編)
 最終報告(資料編)

国会事故調 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会
  報告書
 ダイジェスト版

福島原発事故独立検証委員会  RJIF
 調査・検証報告書
 プレスリリース

東京電力
 福島原子力事故調査報告書  2012.6.20

ISSUE BRIEF 国会図書館  調査と情報 第756号
 福島原発と4つの事故調査委員会  2012.8.23

尚、次のサイトに中間報告や英語版も含めて、集約されていることもみつけたので、ポータルの提示として、序でに挙げておく。
事故調、日本政府、東京電力発表報告書 :「JAEA図書館」(日本原子力研究開発機構)

「福島第一原子力発電所から何を学ぶか」中間報告書  2011.10.28
 -チームH2Oプロジェクト-

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『原発をつくらせない人びと -祝島から未来へ』 山秋 真 岩波新書

『ヤクザと原発 福島第一潜入記』 鈴木智彦 文藝春秋

『官邸から見た原発事故の真実』 田坂広志 光文社新書

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新1版)