本書は著者にとって、信長関連作品の集大成版なのだろうか。読後印象としてそんな感じを抱いた。著者はこの作品で信長の全生涯を描いている。
冒頭ページで「信長は嬰児の頃から癇がきわめてつよかった」と記すことから始め、巻末が本能寺の変。「信長の五体は粉微塵となって吹っ飛ぶ。現世に片影もとどめない、四十九歳の最期であった」でしめくくる。
著者がこの作品で描きたかったテーマは何か。信長の心理と思考を軸にその生涯を描くということだと、私は受けとめた。その結果が信長の行動としてどう具体化されていくのか。そこにこの作品のメインテーマがあるのではないか。信長の内面心理が彼の性格を形成し、その心理が思考に反映し、行動に移される。あの壮絶な行動力、攻撃力として発揮される。信長の思いのままに周囲の人間群がつき動かされていく。そのあり樣を描こうとしているように感じた。
信長の心理の深層には、母・土田御前の信長に対する幼少時からの扱いがトラウマとして潜む。それが時として、心理の表層に噴出してくる。外部の人間から見ると、信長の振る舞い・行動、その指示命令の非凡さから、信長に威圧され、恐れ、の如く、あたかも全能のように感じる存在なのだが。その信長が、実は恒に脅かされる存在として己を感じ、だれも頼れず生きていかねばならない存在として、己の内奥に深い哀しみと怒りを宿している。それが起爆剤となり、外に向かっては反撃力、行動になっていく。本書を読み進めるうちに、そんな印象が色濃くなっていった。
信長の心理と思考-それが、信長の発言と行動に対する信長の「影絵」なのだと。光が当たる華々しい発言と行動の背後に、信長の心理と思考の影がある。その影の本質を、二人の女性だけが素直に受けとめる感性と叡智を持っていた。一人は吉野(きつの)であり、もう一人がおなべだった。信長を光とすると、吉野とおなべは信長の「影絵」である。光があたるところに影がつきそうように。
この作品を読んで思うのは、信長の心理や思考、表出された性格などを描写している部分がかなり多いことだ。戦国もので合戦の戦闘描写はエンターテインメント性があり、その状況描写に引き込まれて行くものだし、描写を多く豊かにし微細に及ぶということ普通は多と思う。それが本作品では思ったよりも簡潔概略で時には淡泊な描写に留められていると感じる。濃厚な戦闘描写は抑えられている。これはあくまで私の印象なのだが。
冒頭から信長の心理・性格・思考の描写がつぎつぎに始まる。その描写を「明星」の章から拾い出してみよう。
・織田信長は他人に対するとき威圧され、自分を卑下したことは、なかったようである。 p8
・どのような相手に対しても屈従することはない。・・・彼は反りかえった背を決して屈することのない人生を送った、傲慢な天才であった。 p8
・信長は嬰児の頃から癇がきわめてつよかった。 p8
・彼を軽視し、自由な判断をさせまいとおびやかす者は、すべて敵だと信長は思った。 p13
・信長は二人(注記:母・土田御前と弟・勘十郎信行の談笑姿)を見ると、頭から血が下がってゆくような、絶望と悲哀のないまぜた衝撃をうけた。 p17
・信長は幼児から母のいつくしみをうけたかったが、遠ざけられるので、我意を張って生きてきたのである。 p19
・信長は家来たちの言動を、常に注意深く見ていた。 p20
・先方が望みもせぬに、わしが近づかねばならぬいわれはなし。 p39
・(気持ちが)おだやかな時が過ぎると、信長は突然宙に放り出されたような、孤独の苦みをかみしめねばならない。 p41
・信長は、軍兵たちの期待の対象であるからには、偶像としての自分に対する彼らの夢を破壊してはならない。 p47
各章に、信長の内面に関わる描写が数多く出てくる。
那古野城で生まれ育った信長が、同族の相争う尾張を一つに統合し、桶狭間で今川を破り、徐々にその勢力を拡大していく歴戦の過程、その大きな流れは良く知られたことである。信長伝記としてそのメインの戦がストーリー展開で随時描かれていくことは言うまでもない。大筋を知っていても、引き込まれて読み進められる面白さは、その視点にあるように思う。
この作品で興味深いのは、戦をどのように進めるか、その思考プロセス部分をかなり掘り下げているところだ。軍師を持たず、それまでの合戦に対する既成概念をはなから無視して、己の思考を徹底的にシミュレーションしていく姿が描かれている。その思考の前提に、周到な情報網を張り巡らせ、信長が納得のいくまで情報収集を行っていたことも描き込んでいる。このあたりが合戦での勝利という結果に対する影の部分としての読ませどころでもある。
戦が起こる前に、信長の中ではもうその展開と決着が見えているのだ。ほとんどの戦がそうだった。逆に、いくつかの例外となる戦については、戦う前の信長の心理や思考の描写があり、そこに惹き付けられる部分がある。そのあたりをこの作品で楽しめるのではないだろうか。
信長の生き様を受けとめた女性として、吉野とおなべに大きくウエイトを置いた作品になっている。濃姫の存在はほとんどゼロに等しく扱われている。そして数多の側室は信長の意のままに動くだけの存在として周辺に居たことが記されるだけだ。
裏返せば、吉野とおなべは、信長の心理と思考を受けとめることができ、信長が渇望していた母性のあたたかさと発露により、信長の心理と意識をしばし安楽に覆ってくれる存在だったのだ。
信長にとっての母性の重みが影絵になっているように感じる。そのシンボルが吉野であり、おなべだったのではないか。
信長に対する周囲の人々の対応には明らかに二つのパターンがある。信長を畏敬し、恐れ、時にはのごとく受けとめ、信長の指示命令に専ら従い行動するか、あるいは反発して対抗行動をとり滅亡していくパターン。それがほとんど全ての人々だ。その対極に、信長を畏敬し、恐れることは当然ながら、信長の心理・思考の視点に自らを置いて、信長の立場から己を客体視し、そのうえで自らの行動を選択する人がいる。それはごく限られた人々だが。
後者には二人の人物が居る。秀吉と家康である。やはりこの二人の存在と働きがストーリーのサブの軸として巧に組み込まれている。ただ、著者は家康よりも秀吉を色濃く描いているように思う。
前者の典型として、光秀が出てくる。信長の指示・命令を受けとめることから出発して自らの思考と行動を組み立て、方向づけて行った人物として描きこまれていく。本能寺の変に及ぶ光秀もまた、欠かせぬサブの軸として組み込まれていく。
本能寺の変を引き起こすに至る光秀の心理の変転、揺らめきについて、著者は新たな視点をこの作品で導入しているように思う。最後の最後で、信長の心理の綾を信長がおなべに語る言葉として書き込まれていると感じた。本書を読んでいただき、私見と同じように新たな視点だと受け止め方ができるか、ご判断願いたい。
もう一点、過去に本能寺の変を書き込んだ複数の作家の作品を楽しんできているが、本書であらたな解釈と感じるところがあった。それは、本能寺の「御堂の下は焔硝を収めた石蔵であった。本能寺は堺の鉄砲、火薬を扱う商人たちの取引所であった」(p570-571)という記述である。本能寺の炎上について、こういう点に触れて描いた作品を読んだ記憶にない。これは事実なのか、著者によるフィクションなのか。本能寺そのものについて、あらためて関心が生まれて来た。
最期に、印象に残る文を引用しておきたい。
*わしが金銀をつこうて、衣食住に贅をつくすときは、そのわけがあるさ。わしが遠方より見ゆる天主を建つるは、おのれが現世にて生きる証とするためでやな。 p456
*死のうは一定でやな。おのれが思い立ちし通りに動いて、それで死なば武運が尽きしまでよ。しかたもあらまい。 p463
*自分の心は土田御前にうとまれ、愛情を通じあわせることを禁じられ、乳を飲まされず、菓子を与えられず、孤独の薄明りのうちにたたずんでいた幼児のときと、まったく変っていない。体格は変ってしまったが、猜疑心と攻撃本能のみに頼って生きてきた、自分の核心の部分は記憶がはじまったときから変化していない。 p478
*秀吉は信長の評価に運命を任すことにした。この場合、信長が自分の立場にあれば、戦線離脱しても山陰へおもむく決断をするだろうと考えたためである。 p489
*上さまは危うさのうちに、なにもかも忘れてあすばすときのお心地よさを、いっちおたのしみなされまするに。さようなることは、常人にはなしえませぬわなも。なべは、上さまが危うき坂をお越えあすばさるるを、息をのみ、見つめるばかりにござりまする。 p509
*「・・・わしは生き残りたきゆえに戦いしことなし。なすべきことを見つけしならば、それをなし遂げ、また先にむかう。生きんがためではなし。詰め碁をつづけ、やめられぬようなものだがや。」おなべは信長の内部に黒い水をたたえる、虚無の深淵をのぞいたように思った。 p546
*おなべは、信長が美を理解する感覚があることにまったく気づかないまま、眼前にあらわれる敵を撃滅することに奔走し、なごやかな時の推移を楽しむひとときを過ごすゆとりも不要として、世を終えるであろうことを悲しむ。 p551
*常人の持ちあわせない、繊細な感覚をそなえながら、信長は風雅を楽しむゆとりには無縁であった。現世で栄達の頂点に達した信長は、心のもっとも深いところにある無垢な感情を、必要としていない。 p551
ご一読ありがとうございます。
本書に出てくる語句の関連でネット検索したものを一覧にまとめておきたい。
女房奉書 :ウィキペディア
綸旨 :ウィキペディア
安宅船 :ウィキペディア
小早 :ウィキペディア
小早三拾八挺立 船図 :「大日本海志編纂資料」
鉄甲船 :ウィキペディア
焙烙火矢 :ウィキペディア
焼玉 デジタル大辞泉 :「コトバンク」
フランキ砲 :ウィキペディア
九鬼嘉隆 :ウィキペディア
毛利水軍 :ウィキペディア
村上水軍 :ウィキペディア
三島流 ← 水軍諸流派 五 三島流 :「大日本海志編纂資料」
吉乃という女性から見た信長の歴史 :「Kitsunoの空」
吉野 → 生駒吉乃 :ウィキペディア
おなべ ← 興雲院 :ウィキペディア
おなべの方 :「小田町にまつわるお話」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
冒頭ページで「信長は嬰児の頃から癇がきわめてつよかった」と記すことから始め、巻末が本能寺の変。「信長の五体は粉微塵となって吹っ飛ぶ。現世に片影もとどめない、四十九歳の最期であった」でしめくくる。
著者がこの作品で描きたかったテーマは何か。信長の心理と思考を軸にその生涯を描くということだと、私は受けとめた。その結果が信長の行動としてどう具体化されていくのか。そこにこの作品のメインテーマがあるのではないか。信長の内面心理が彼の性格を形成し、その心理が思考に反映し、行動に移される。あの壮絶な行動力、攻撃力として発揮される。信長の思いのままに周囲の人間群がつき動かされていく。そのあり樣を描こうとしているように感じた。
信長の心理の深層には、母・土田御前の信長に対する幼少時からの扱いがトラウマとして潜む。それが時として、心理の表層に噴出してくる。外部の人間から見ると、信長の振る舞い・行動、その指示命令の非凡さから、信長に威圧され、恐れ、の如く、あたかも全能のように感じる存在なのだが。その信長が、実は恒に脅かされる存在として己を感じ、だれも頼れず生きていかねばならない存在として、己の内奥に深い哀しみと怒りを宿している。それが起爆剤となり、外に向かっては反撃力、行動になっていく。本書を読み進めるうちに、そんな印象が色濃くなっていった。
信長の心理と思考-それが、信長の発言と行動に対する信長の「影絵」なのだと。光が当たる華々しい発言と行動の背後に、信長の心理と思考の影がある。その影の本質を、二人の女性だけが素直に受けとめる感性と叡智を持っていた。一人は吉野(きつの)であり、もう一人がおなべだった。信長を光とすると、吉野とおなべは信長の「影絵」である。光があたるところに影がつきそうように。
この作品を読んで思うのは、信長の心理や思考、表出された性格などを描写している部分がかなり多いことだ。戦国もので合戦の戦闘描写はエンターテインメント性があり、その状況描写に引き込まれて行くものだし、描写を多く豊かにし微細に及ぶということ普通は多と思う。それが本作品では思ったよりも簡潔概略で時には淡泊な描写に留められていると感じる。濃厚な戦闘描写は抑えられている。これはあくまで私の印象なのだが。
冒頭から信長の心理・性格・思考の描写がつぎつぎに始まる。その描写を「明星」の章から拾い出してみよう。
・織田信長は他人に対するとき威圧され、自分を卑下したことは、なかったようである。 p8
・どのような相手に対しても屈従することはない。・・・彼は反りかえった背を決して屈することのない人生を送った、傲慢な天才であった。 p8
・信長は嬰児の頃から癇がきわめてつよかった。 p8
・彼を軽視し、自由な判断をさせまいとおびやかす者は、すべて敵だと信長は思った。 p13
・信長は二人(注記:母・土田御前と弟・勘十郎信行の談笑姿)を見ると、頭から血が下がってゆくような、絶望と悲哀のないまぜた衝撃をうけた。 p17
・信長は幼児から母のいつくしみをうけたかったが、遠ざけられるので、我意を張って生きてきたのである。 p19
・信長は家来たちの言動を、常に注意深く見ていた。 p20
・先方が望みもせぬに、わしが近づかねばならぬいわれはなし。 p39
・(気持ちが)おだやかな時が過ぎると、信長は突然宙に放り出されたような、孤独の苦みをかみしめねばならない。 p41
・信長は、軍兵たちの期待の対象であるからには、偶像としての自分に対する彼らの夢を破壊してはならない。 p47
各章に、信長の内面に関わる描写が数多く出てくる。
那古野城で生まれ育った信長が、同族の相争う尾張を一つに統合し、桶狭間で今川を破り、徐々にその勢力を拡大していく歴戦の過程、その大きな流れは良く知られたことである。信長伝記としてそのメインの戦がストーリー展開で随時描かれていくことは言うまでもない。大筋を知っていても、引き込まれて読み進められる面白さは、その視点にあるように思う。
この作品で興味深いのは、戦をどのように進めるか、その思考プロセス部分をかなり掘り下げているところだ。軍師を持たず、それまでの合戦に対する既成概念をはなから無視して、己の思考を徹底的にシミュレーションしていく姿が描かれている。その思考の前提に、周到な情報網を張り巡らせ、信長が納得のいくまで情報収集を行っていたことも描き込んでいる。このあたりが合戦での勝利という結果に対する影の部分としての読ませどころでもある。
戦が起こる前に、信長の中ではもうその展開と決着が見えているのだ。ほとんどの戦がそうだった。逆に、いくつかの例外となる戦については、戦う前の信長の心理や思考の描写があり、そこに惹き付けられる部分がある。そのあたりをこの作品で楽しめるのではないだろうか。
信長の生き様を受けとめた女性として、吉野とおなべに大きくウエイトを置いた作品になっている。濃姫の存在はほとんどゼロに等しく扱われている。そして数多の側室は信長の意のままに動くだけの存在として周辺に居たことが記されるだけだ。
裏返せば、吉野とおなべは、信長の心理と思考を受けとめることができ、信長が渇望していた母性のあたたかさと発露により、信長の心理と意識をしばし安楽に覆ってくれる存在だったのだ。
信長にとっての母性の重みが影絵になっているように感じる。そのシンボルが吉野であり、おなべだったのではないか。
信長に対する周囲の人々の対応には明らかに二つのパターンがある。信長を畏敬し、恐れ、時にはのごとく受けとめ、信長の指示命令に専ら従い行動するか、あるいは反発して対抗行動をとり滅亡していくパターン。それがほとんど全ての人々だ。その対極に、信長を畏敬し、恐れることは当然ながら、信長の心理・思考の視点に自らを置いて、信長の立場から己を客体視し、そのうえで自らの行動を選択する人がいる。それはごく限られた人々だが。
後者には二人の人物が居る。秀吉と家康である。やはりこの二人の存在と働きがストーリーのサブの軸として巧に組み込まれている。ただ、著者は家康よりも秀吉を色濃く描いているように思う。
前者の典型として、光秀が出てくる。信長の指示・命令を受けとめることから出発して自らの思考と行動を組み立て、方向づけて行った人物として描きこまれていく。本能寺の変に及ぶ光秀もまた、欠かせぬサブの軸として組み込まれていく。
本能寺の変を引き起こすに至る光秀の心理の変転、揺らめきについて、著者は新たな視点をこの作品で導入しているように思う。最後の最後で、信長の心理の綾を信長がおなべに語る言葉として書き込まれていると感じた。本書を読んでいただき、私見と同じように新たな視点だと受け止め方ができるか、ご判断願いたい。
もう一点、過去に本能寺の変を書き込んだ複数の作家の作品を楽しんできているが、本書であらたな解釈と感じるところがあった。それは、本能寺の「御堂の下は焔硝を収めた石蔵であった。本能寺は堺の鉄砲、火薬を扱う商人たちの取引所であった」(p570-571)という記述である。本能寺の炎上について、こういう点に触れて描いた作品を読んだ記憶にない。これは事実なのか、著者によるフィクションなのか。本能寺そのものについて、あらためて関心が生まれて来た。
最期に、印象に残る文を引用しておきたい。
*わしが金銀をつこうて、衣食住に贅をつくすときは、そのわけがあるさ。わしが遠方より見ゆる天主を建つるは、おのれが現世にて生きる証とするためでやな。 p456
*死のうは一定でやな。おのれが思い立ちし通りに動いて、それで死なば武運が尽きしまでよ。しかたもあらまい。 p463
*自分の心は土田御前にうとまれ、愛情を通じあわせることを禁じられ、乳を飲まされず、菓子を与えられず、孤独の薄明りのうちにたたずんでいた幼児のときと、まったく変っていない。体格は変ってしまったが、猜疑心と攻撃本能のみに頼って生きてきた、自分の核心の部分は記憶がはじまったときから変化していない。 p478
*秀吉は信長の評価に運命を任すことにした。この場合、信長が自分の立場にあれば、戦線離脱しても山陰へおもむく決断をするだろうと考えたためである。 p489
*上さまは危うさのうちに、なにもかも忘れてあすばすときのお心地よさを、いっちおたのしみなされまするに。さようなることは、常人にはなしえませぬわなも。なべは、上さまが危うき坂をお越えあすばさるるを、息をのみ、見つめるばかりにござりまする。 p509
*「・・・わしは生き残りたきゆえに戦いしことなし。なすべきことを見つけしならば、それをなし遂げ、また先にむかう。生きんがためではなし。詰め碁をつづけ、やめられぬようなものだがや。」おなべは信長の内部に黒い水をたたえる、虚無の深淵をのぞいたように思った。 p546
*おなべは、信長が美を理解する感覚があることにまったく気づかないまま、眼前にあらわれる敵を撃滅することに奔走し、なごやかな時の推移を楽しむひとときを過ごすゆとりも不要として、世を終えるであろうことを悲しむ。 p551
*常人の持ちあわせない、繊細な感覚をそなえながら、信長は風雅を楽しむゆとりには無縁であった。現世で栄達の頂点に達した信長は、心のもっとも深いところにある無垢な感情を、必要としていない。 p551
ご一読ありがとうございます。
本書に出てくる語句の関連でネット検索したものを一覧にまとめておきたい。
女房奉書 :ウィキペディア
綸旨 :ウィキペディア
安宅船 :ウィキペディア
小早 :ウィキペディア
小早三拾八挺立 船図 :「大日本海志編纂資料」
鉄甲船 :ウィキペディア
焙烙火矢 :ウィキペディア
焼玉 デジタル大辞泉 :「コトバンク」
フランキ砲 :ウィキペディア
九鬼嘉隆 :ウィキペディア
毛利水軍 :ウィキペディア
村上水軍 :ウィキペディア
三島流 ← 水軍諸流派 五 三島流 :「大日本海志編纂資料」
吉乃という女性から見た信長の歴史 :「Kitsunoの空」
吉野 → 生駒吉乃 :ウィキペディア
おなべ ← 興雲院 :ウィキペディア
おなべの方 :「小田町にまつわるお話」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。