この本のことを知ったのは、たしかブラタモリ「京都・清水寺」を見たときだったように思う。著者が地形の説明と案内役で出演していたと記憶する。四条通の東端にある八坂神社西楼門への石段が、桃山断層が生んだ大きな凸凹地形の場所、断層の境になるという話が面白かった。ある意味で目からウロコという面があった。子供の頃から今まで、毎年何度も八坂神社の石段を西楼門の通過点として上り下りしていたが、京都の断層地形との関連で考えてみることなど無かった。つまり、京都にある地形の高低差という観点を踏まえて、京都の歴史や建物の所在を読み説くという発想視点が希薄だったので私には新鮮だった。
本書の副題は「高低差に隠された古都の秘密」である。太古に生み出された自然地形は時間が推移する中で、さらに自然の力(地震、風水害等)で変化が加わってきた。そして人間が時代時代に応じて土地のある部分を改変して営みを続けてきた。その累積で現在の道路、河川、住宅街や商店街などを含めた京都という都市空間が存在する。その中に地形の凸凹があり、その高低差自体に自然地形あるいはある時代の人間が造り出したものの痕跡として遺構があると見る。元はタモリさんの言葉らしいが、「土地の記憶」と著者は本文や末尾の対談の中で述べている。「坂道を削ったり、凹地を埋めたりして、今はもう地図上にないですよって言われても、現地に行くと実は微妙な高低差があったり、何かの痕跡を見つけたりできる」と言う。この本はそういう痕跡を、地形図やある時代の古地図などと対比させながら、遺構・痕跡を発見し、特定させて、「土地の記憶」を読者に思い起こさせていく。
著者の肩書が興味深く、かつおもしろい。「京都高低差崖会崖長」と表紙に記されている。京都高低差崖会のリーダーなのだ。「京都高低差崖会」は「住民がガイドする京都のミニツアー『まいまい京都』を通じて生まれた」(p11)という。「単なる名所旧跡や石碑めぐりでは飽き足らず、自分自身の好奇心や問題意識を素直に表現する活動」(p11)の積み上げが具現化したのが本書というわけである、その好奇心の視点が、京都のまちにみられる凸凹地形の読み解き、土地の記憶の掘り起こしという訳だ。
本書はあるエリアを歩きながら、そこにある凸凹地形の現状・遺構から、痕跡を発見し、土地の記憶を明らかにしていく。それぞれが、そのエリアの高低差崖会ツアーになっている。本書では7つのエリアにおいて、9つのコースとしてまとめてある。つまり、
祇園 前偏・後編
聚楽第
大仏
御土居 前編・後編
巨椋池
伏見指月
淀城
である。これらのエリアは今までに個人的には史跡探訪で大凡見聞してきた。その一部は生活空間エリアでもあったし今もそうである。しかし、凸凹地形という視点で眺めるというのは、聚楽第遺構、御土居、巨椋池で部分的に考えたくらいだった。伏見指月や淀城は城の縄張りという観点で見ていたが、本書で語られる凸凹地形という意識はあまりなかった。城の縄張りの前提としての地形と考えていただけとも言える。
読後印象結をまず述べる。大凡見聞しているエリアだったが、凸凹地形に着目して眺め直すという点で、新鮮な感覚で読み通せた。普通の観光ガイドブックなどと異なるのは、現状の地図に断層や旧河川・水域などを重ねた地図をベースに使うこと。さらに江戸時代の各種「図会」に描かれた風景・景観を現在のエリアに重ねて対比してみるという時間軸での変化度合いを対比分析していること。凸凹地形に目を向けて、そこから逆に現在の有り様に説明を加えていく。このアプローチがユニークである。現地写真を数多く取り入れてあるのでその説明が一目瞭然となり、ナルホド感を高める。凸凹地形を意識させられ、気づかせられるために、どこをどのように見るとよいのかという感覚・観点を学ぶことにもなる。そのための準備に何が必要かということも理解できる。ここに挙げられたエリアならば本書を携えて現地の該当スポットに立ってみることが手っ取り早い方法だろう。
その他の地域ならば、そのアプローチ手法が学べて、応用する気にさせる点が読ませどころになるだろう。
各コースには、地図が付され、本文で説明される凸凹地形のロケーションが番号付で記載されている。本文と地図での位置関係は大凡それでわかる。しかし、これを「歩く」コースとして捉えると、具体的にどの道を通りそのスポットに行くのが凸凹地形を感じながら歩くために最適なのかという点では、土地勘のない人には分かりづらいところが残る。本書は「高低差に隠された古都の秘密」の解明結果を9コースを事例にして、その要所を指摘して説明するのが目的なのだろう。
読者が独力でこれらの現地を探訪することを想定すると、時間の効率性を考慮しもう少し詳細な経路説明が付録にあるといいなと感じた次第。探訪の効率性・効果性を考えるとガイド付きで歩くという形が暗黙の前提かもしれない。あるいは、それは読者自身の楽しみ、準備の領域ですよという投げかけということか。
各スポットの写真が掲載されていて、それぞれえのコースでのミニマムの観光案内的な側面にも言及されているので、観光ガイドブックとしても当然役に立つ。凸凹地形の視点で捉えられている説明をそこに加えると、現状と過去(ある時代)との対比の生み出すイメージがひと味面白さを加えてくれることになる。そこに新鮮な感覚が入ってくると言える。京都のミニツアーでのガイド活動の経験がベースになっている故か、本文は話言葉風に読みやすく書かれている。
凸凹地形から眺めた現在の観光スポットについて、本書の視点でとらえたおもしろい箇所をいくつかご紹介しておこう。私自身が今まで意識していなくて、ナルホドと思った箇所を要約し、いくつか挙げてみる。参照ページを各文末に記す。
*現在の大和大路通が江戸時代までの鴨川旧堤防に相当する。南座はまざに河原のど真ん中に位置する。(南座の建物傍に阿国歌舞伎発祥の地の碑があることに改めてナルホド!) p16
*南座の東にある仲源寺-通称「目疾地蔵」-は、市街地と郊外を分ける境界地点にあったお寺である。(四条通での洛中・洛外の境界点を絞り込んで意識していなかった!) p17
*京都らしさの代表スポットとみられる花見小路は実は明治以降の移転で形成された。元は建仁寺の境内地。建物の大半が塀造茶屋様式の建築スタイルである。標準茶屋様式とはちょっと違う。(この様式の違いなんて、意識した事がなかった。) p18-22
*植木屋の7代目小川治兵衛と建築家武田五一がタッグを組み、桃山断層の断層崖上に盛土造成を行い、連続の空間デザインとした産物である。現在の円山公園は田園風景の後、斜面眺望を利用した遊興地の時期を経ている。 p30-40
(円山公園一帯がかつて「真葛が原」と称されてた理由が分かった!)
*千本中立売交差点から南東に約500mのあたりにある「松林寺」の境内地は、聚楽第の周囲に設けられた堀の堀底あたり、つまり聚楽第の遺構に由来する。但し、凹地の幅が約100mである点については別の要因も検討が必要。 p46-49
*「耳塚」整備事業の一環として周囲の石柵は、秀吉没後300年を記念して1898年(明治31)に建立されたもので、伏見在住の「侠客」で芸能界にもコネクションがあった「小畑勇山」がその呼び掛け人として一役かったという。この人物は他の神社にも石柵奉納をしているとか。「小畑勇山」という名は、手許にある『京都府の歴史散歩』(山川出版社)や『昭和京都名所圖會』(駸々堂)というかなり詳細な記述の本にも記載が無い。ちょっとトリビアなレベルかも・・・・。 p59-60
(そんなマニアックさも本文説明に散在する。大凡探訪しているコース故にホゥ!)
*秀吉が京都に築造した御土居は「惣構」の一つだったと言える。この御土居を秀吉は4ヶ月で完成させた。超短期土木工事だった。西賀茂断層の崖を越えて谷をまたぐ箇所もあり、自然の地形構造とのコラボレーションをしていることもわかる。 p74-77
(部分部分の御土居を探訪してきている。新たな目で再訪する良い材料!)
*宇治川河岸段丘が形成した高台、指月の丘は、各時代の有力者が好んで住んだ場所だった。「土地のブランド力」がまずあった。そこに水運の利と京への立地を生かし、政治の中核とする政策視点が加わった。 p101-103, p112-120
(伏見が交通の要衝地、京への要の地はしていたが、土地のブランド力という見方はしていなかったなぁ・・・・)
*現在残る淀城石垣は、伏見城廃城に伴ってその石材が移築され、江戸時代前期でありながら、大半が「野面積」となったと読み解ける。 p127-129
(この読み解き方、ナルホド、ナルホド・・・・だ。この石垣を史跡探訪の途中、傍で見ながらそこまで考えていなかった!)
ここに要約したのは一部である。このような面白さがふんだんに仕込まれていると言える。
なかなか楽しく読め、勉強にもなるガイドブック。ひと味違うおもしろさが詰まっている。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書に関連した関心の波紋からネット検索した結果を一覧にしておきたい。
まいまい京都 ホームページ
ブラタモリ #69 京都・清水寺 :「NHK」
地形・地質・自然現象の概要 :「京都府」
第一章 京都市の歴史的風致形成の背景 :「京都市情報館」
京都の都市計画史 :「京都市情報館」
京都祇園で知っておきたい場所5選 :「WOW! JAPAN」
様式一覧 歴史的景観保全修景地区 建築様式 pdfファイル :「京都市情報館」
真葛が原 :「天台宗 雙林寺」
小川 治兵衛 七代目 :ウィキペディア
武田 五一 :ウィキペディア
武田五一 生き続ける建築-3 pdfファイル
完成後8年で壊された黄金の城「聚楽第」 :「NAVERまとめ」
聚楽第跡 リーフレット京都No.213 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館
松林寺(京都市上京区) :「京都風光」
耳塚修営供養碑 :「京都市情報館」
御土居マップ グーグル
古城山、指月の森・丘散策 :「伏水物語」
淀城跡 第247回 京都市考古資料館文化財講座 pdfファイル
淀城:京阪駅近くに巨大な石垣と水堀が残る徳川時代の城郭跡。:「城めぐりチャンネル」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書の副題は「高低差に隠された古都の秘密」である。太古に生み出された自然地形は時間が推移する中で、さらに自然の力(地震、風水害等)で変化が加わってきた。そして人間が時代時代に応じて土地のある部分を改変して営みを続けてきた。その累積で現在の道路、河川、住宅街や商店街などを含めた京都という都市空間が存在する。その中に地形の凸凹があり、その高低差自体に自然地形あるいはある時代の人間が造り出したものの痕跡として遺構があると見る。元はタモリさんの言葉らしいが、「土地の記憶」と著者は本文や末尾の対談の中で述べている。「坂道を削ったり、凹地を埋めたりして、今はもう地図上にないですよって言われても、現地に行くと実は微妙な高低差があったり、何かの痕跡を見つけたりできる」と言う。この本はそういう痕跡を、地形図やある時代の古地図などと対比させながら、遺構・痕跡を発見し、特定させて、「土地の記憶」を読者に思い起こさせていく。
著者の肩書が興味深く、かつおもしろい。「京都高低差崖会崖長」と表紙に記されている。京都高低差崖会のリーダーなのだ。「京都高低差崖会」は「住民がガイドする京都のミニツアー『まいまい京都』を通じて生まれた」(p11)という。「単なる名所旧跡や石碑めぐりでは飽き足らず、自分自身の好奇心や問題意識を素直に表現する活動」(p11)の積み上げが具現化したのが本書というわけである、その好奇心の視点が、京都のまちにみられる凸凹地形の読み解き、土地の記憶の掘り起こしという訳だ。
本書はあるエリアを歩きながら、そこにある凸凹地形の現状・遺構から、痕跡を発見し、土地の記憶を明らかにしていく。それぞれが、そのエリアの高低差崖会ツアーになっている。本書では7つのエリアにおいて、9つのコースとしてまとめてある。つまり、
祇園 前偏・後編
聚楽第
大仏
御土居 前編・後編
巨椋池
伏見指月
淀城
である。これらのエリアは今までに個人的には史跡探訪で大凡見聞してきた。その一部は生活空間エリアでもあったし今もそうである。しかし、凸凹地形という視点で眺めるというのは、聚楽第遺構、御土居、巨椋池で部分的に考えたくらいだった。伏見指月や淀城は城の縄張りという観点で見ていたが、本書で語られる凸凹地形という意識はあまりなかった。城の縄張りの前提としての地形と考えていただけとも言える。
読後印象結をまず述べる。大凡見聞しているエリアだったが、凸凹地形に着目して眺め直すという点で、新鮮な感覚で読み通せた。普通の観光ガイドブックなどと異なるのは、現状の地図に断層や旧河川・水域などを重ねた地図をベースに使うこと。さらに江戸時代の各種「図会」に描かれた風景・景観を現在のエリアに重ねて対比してみるという時間軸での変化度合いを対比分析していること。凸凹地形に目を向けて、そこから逆に現在の有り様に説明を加えていく。このアプローチがユニークである。現地写真を数多く取り入れてあるのでその説明が一目瞭然となり、ナルホド感を高める。凸凹地形を意識させられ、気づかせられるために、どこをどのように見るとよいのかという感覚・観点を学ぶことにもなる。そのための準備に何が必要かということも理解できる。ここに挙げられたエリアならば本書を携えて現地の該当スポットに立ってみることが手っ取り早い方法だろう。
その他の地域ならば、そのアプローチ手法が学べて、応用する気にさせる点が読ませどころになるだろう。
各コースには、地図が付され、本文で説明される凸凹地形のロケーションが番号付で記載されている。本文と地図での位置関係は大凡それでわかる。しかし、これを「歩く」コースとして捉えると、具体的にどの道を通りそのスポットに行くのが凸凹地形を感じながら歩くために最適なのかという点では、土地勘のない人には分かりづらいところが残る。本書は「高低差に隠された古都の秘密」の解明結果を9コースを事例にして、その要所を指摘して説明するのが目的なのだろう。
読者が独力でこれらの現地を探訪することを想定すると、時間の効率性を考慮しもう少し詳細な経路説明が付録にあるといいなと感じた次第。探訪の効率性・効果性を考えるとガイド付きで歩くという形が暗黙の前提かもしれない。あるいは、それは読者自身の楽しみ、準備の領域ですよという投げかけということか。
各スポットの写真が掲載されていて、それぞれえのコースでのミニマムの観光案内的な側面にも言及されているので、観光ガイドブックとしても当然役に立つ。凸凹地形の視点で捉えられている説明をそこに加えると、現状と過去(ある時代)との対比の生み出すイメージがひと味面白さを加えてくれることになる。そこに新鮮な感覚が入ってくると言える。京都のミニツアーでのガイド活動の経験がベースになっている故か、本文は話言葉風に読みやすく書かれている。
凸凹地形から眺めた現在の観光スポットについて、本書の視点でとらえたおもしろい箇所をいくつかご紹介しておこう。私自身が今まで意識していなくて、ナルホドと思った箇所を要約し、いくつか挙げてみる。参照ページを各文末に記す。
*現在の大和大路通が江戸時代までの鴨川旧堤防に相当する。南座はまざに河原のど真ん中に位置する。(南座の建物傍に阿国歌舞伎発祥の地の碑があることに改めてナルホド!) p16
*南座の東にある仲源寺-通称「目疾地蔵」-は、市街地と郊外を分ける境界地点にあったお寺である。(四条通での洛中・洛外の境界点を絞り込んで意識していなかった!) p17
*京都らしさの代表スポットとみられる花見小路は実は明治以降の移転で形成された。元は建仁寺の境内地。建物の大半が塀造茶屋様式の建築スタイルである。標準茶屋様式とはちょっと違う。(この様式の違いなんて、意識した事がなかった。) p18-22
*植木屋の7代目小川治兵衛と建築家武田五一がタッグを組み、桃山断層の断層崖上に盛土造成を行い、連続の空間デザインとした産物である。現在の円山公園は田園風景の後、斜面眺望を利用した遊興地の時期を経ている。 p30-40
(円山公園一帯がかつて「真葛が原」と称されてた理由が分かった!)
*千本中立売交差点から南東に約500mのあたりにある「松林寺」の境内地は、聚楽第の周囲に設けられた堀の堀底あたり、つまり聚楽第の遺構に由来する。但し、凹地の幅が約100mである点については別の要因も検討が必要。 p46-49
*「耳塚」整備事業の一環として周囲の石柵は、秀吉没後300年を記念して1898年(明治31)に建立されたもので、伏見在住の「侠客」で芸能界にもコネクションがあった「小畑勇山」がその呼び掛け人として一役かったという。この人物は他の神社にも石柵奉納をしているとか。「小畑勇山」という名は、手許にある『京都府の歴史散歩』(山川出版社)や『昭和京都名所圖會』(駸々堂)というかなり詳細な記述の本にも記載が無い。ちょっとトリビアなレベルかも・・・・。 p59-60
(そんなマニアックさも本文説明に散在する。大凡探訪しているコース故にホゥ!)
*秀吉が京都に築造した御土居は「惣構」の一つだったと言える。この御土居を秀吉は4ヶ月で完成させた。超短期土木工事だった。西賀茂断層の崖を越えて谷をまたぐ箇所もあり、自然の地形構造とのコラボレーションをしていることもわかる。 p74-77
(部分部分の御土居を探訪してきている。新たな目で再訪する良い材料!)
*宇治川河岸段丘が形成した高台、指月の丘は、各時代の有力者が好んで住んだ場所だった。「土地のブランド力」がまずあった。そこに水運の利と京への立地を生かし、政治の中核とする政策視点が加わった。 p101-103, p112-120
(伏見が交通の要衝地、京への要の地はしていたが、土地のブランド力という見方はしていなかったなぁ・・・・)
*現在残る淀城石垣は、伏見城廃城に伴ってその石材が移築され、江戸時代前期でありながら、大半が「野面積」となったと読み解ける。 p127-129
(この読み解き方、ナルホド、ナルホド・・・・だ。この石垣を史跡探訪の途中、傍で見ながらそこまで考えていなかった!)
ここに要約したのは一部である。このような面白さがふんだんに仕込まれていると言える。
なかなか楽しく読め、勉強にもなるガイドブック。ひと味違うおもしろさが詰まっている。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書に関連した関心の波紋からネット検索した結果を一覧にしておきたい。
まいまい京都 ホームページ
ブラタモリ #69 京都・清水寺 :「NHK」
地形・地質・自然現象の概要 :「京都府」
第一章 京都市の歴史的風致形成の背景 :「京都市情報館」
京都の都市計画史 :「京都市情報館」
京都祇園で知っておきたい場所5選 :「WOW! JAPAN」
様式一覧 歴史的景観保全修景地区 建築様式 pdfファイル :「京都市情報館」
真葛が原 :「天台宗 雙林寺」
小川 治兵衛 七代目 :ウィキペディア
武田 五一 :ウィキペディア
武田五一 生き続ける建築-3 pdfファイル
完成後8年で壊された黄金の城「聚楽第」 :「NAVERまとめ」
聚楽第跡 リーフレット京都No.213 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館
松林寺(京都市上京区) :「京都風光」
耳塚修営供養碑 :「京都市情報館」
御土居マップ グーグル
古城山、指月の森・丘散策 :「伏水物語」
淀城跡 第247回 京都市考古資料館文化財講座 pdfファイル
淀城:京阪駅近くに巨大な石垣と水堀が残る徳川時代の城郭跡。:「城めぐりチャンネル」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。