この随筆集は2012年に単行本として出版され、短編小説「夏芝居」は当初から収録されていた。そこに3本の随筆が加えられ、2014年3月に文庫本化されたもである。著者にとっては初めての随筆集という。随筆集としてのタイトルは「柚子は九年で」となっている。これは単行本にするに当たって、改めてネーミングされたものである。
本書に収録された随筆は、最初に発表された媒体や狙いの違いがあるからだろうか、三部構成となっている。「随筆 たそがれ官兵衛」として19本、「折々の随筆」として4本、「直木賞受賞後に」として5本、追加された3本の随筆はこの最後のセクションに加えられている。随筆三部構成の後に短編小説が収録されている。
そこで、まず本書のタイトルの由来から入って行こう。随筆は、発表媒体や発表の時期が異なると、そのときのテーマに合わせて、同じ主旨の内容が話材として少し形を変えて繰り返し記述されることがある。このタイトルのフレーズについて、著者は「柚子の花」、「柚子の花が咲くとき」、「直木賞『候補』は四度で十分です」という3本の随筆で触れている。それらによると、著者は小説のタイトルを探しているときにこのフレーズを見つけたという。その小説が若者を主人公にした『柚子の花』で、2010年6月に出版されている。この小説には「じっくりと時間をかけて、あきらめることなく努力を重ねれば、いつかきっと花は咲くはずだという思いをこめた」(p153)と著者は己の心情を随筆に書き込んでいる。
この「柚子は九年で」というフレーズを、ある地方では「桃栗三年柿八年、柚子は九年で花が咲く」と続けるということわざの言い回しで見つけたそうだ。「ことわざ辞典」には「桃栗三年柿八年」の後にいくつものフレーズでの言い回しがあると著者は随筆に例示している。
一方、このことわざから著者はいくつかの思い、考えを引き出している。
*人生にも「花を咲かせる」、あるいは「実を結ぶ」という時期があるだろう。
ただ、それにかかる時間はひとによってさまざまだ。 p115
*人生が「実を結ぶ」というのは六十歳を過ぎてからではないか、というのが実感だ。 p115
*人生に花を咲かせ、実を結ぶためのスタートを切るのに遅すぎるということはない。 p115
ここに、「遅咲き作家」の一人としてデビューした著者の思いが吐露されている。かつそれを自ら実践されてきたように感じる。
随筆は、著者自身を映し出す鏡である。対象に対する著者の思いが比較的ストレートに書き込まれている。歴史上の人物や時代についての著者の捉え方が書き込まれている。その一方で、著者の日常生活の一端が書き込まれていく。時には自作についての創作意図や背景が書き込まれている。立て続けに著者の随筆集を読み継いできて、今思うことは、葉室麟の創作した小説の世界を、分析的に掘り下げて読み込み、読み解き、味読するヒントが随筆のなかにあるということである。著者はその時々の思いをそれほど意識せずに随筆に書き込んだだけかもしれないが、葉室麟文学論という視点では、ヒントという材料が詰まった倉庫でもある。また読者として著者との距離感を狭めるのに随筆が役に立つとも感じている。
もう一つ、この随筆集を含めて、作家である著者が、他の国内外の作家の作品を幅広く読んできている事実を随筆の中で時折具体的に触れている。その読書遍歴に刺激を受けた。その時に、一端として印象論や作品論等について簡潔な所見を書き込んでいるのは参考になる。
最後に、作家葉室麟の頭脳の中を垣間見るためのヒントになりそうな箇所を抽出していくつかご紹介する。著者の創作にリンクしていくバックグラウンドになっているのではないかと思う。
*ひとが思いを込めて生き抜いたことを伝えるのが、歴史なのではないかと白土作品から学んだ。 p14
*歴史はいのちの火のリレーであるとともに、いのちが虚しく奪われてきた悲しみの連鎖でもある。だからこそ、歴史を主題とする小説が書き継がれるのではないだろうか。 p111
*1960年の安保闘争を頂点とした政治の季節が終わり、高度経済成長が始まろうとする時期に『天保図録』は週刊誌の連載で書き始められた。清張が描いたのは現代政治の「悪」にも通じる。歴史、時代小説は現代を描くものである。 p121
*地方在住で歴史時代小説を書いているだけに、わたしがよく口にするのは「地方にいると歴史の断面が見える」という言葉だ。歴史はその時代の勝者が書き残すもので、中央にいれば、どうしても歴史の勝者の視点になってしまう。地方にいるからこそ敗者がいかに生き、戦ったかという、その生き様がわかる。そう思っている。 p150
*(黒田)官兵衛が目指したんは、天下よりも、むしろキリシタン勢力圏の回復だったのではないか。 p18
*薩長連合とは何なのか。盟約は6カ条ある。・・・・・今でこそ倒幕の軍事同盟と言われるが、当時は幕府の長州征討に備える密約だった。・・・・結果、盟約には竜馬が裏書きすることになった。リレーに例えれば、(月形)洗蔵が第一走者としてスタートし、中岡慎太郎がバトンを受けて走り、竜馬が最終走者としてゴールのテープを切ったと癒える。 p48-49
*(平氏一門が)都落ちの途中、(「忘れたる事有」と口にし)京に引き返す頼盛に一種の美があるのではないか。栄華の誇りを捨て、亡ぶ美しさにとらわれない生き方を選択したことに、毅然とした意志の力を感じるからだ。 p58
*蜻蛉には<自分>があった。兼家は出世の階段を上り、ついには摂政にまで昇って位人臣を極める。蜻蛉の目には兼家はどう映っていたのだろうか。それを知りたくて、わたしは『蜻蛉日記』を読んだ。 p82
*兼家が花山天皇の退位事件でめぐらした策謀が、やがて道長の繁栄につながり、ひいては王朝文学を開花させていった。 p88
*野心家は、「目的は手段を浄化すると考えることでモラルを失う。・・・・政治の場では正義のひとが「悪人」に変わる。どれほどの美名を掲げた改革であっても、ひとびとの共感が得られなければ、ただの独裁政治でしかない。 p121
*日本の歴史の中で隆家こそが最初に異民族を撃退した英雄だと言える。しかし、その活躍が脚光を浴びることはなかった。 p127
*<国難>に際して、現場は頑張るが、中央政府はうろたえるか、あるいは鈍感な対処しか見せないのは、昔からのことだ。 p129
*薩長和解に努力しながら、刑死した月形洗蔵らが顧みられず、龍馬だけが薩長同盟の功労者であるとしてドラマ化されることに、「所詮、死んだ者は損をするのか」と割り切れない思いがある。 p134
*(立花宗茂は)戦国武将として言わばサラブレッドであり、しかも朝鮮出兵の際に、・・・・「西国無双」と呼ばれるにふさわしい武功をあげた。天下人秀吉の眼鏡にかなった英雄的な武将だった。しかし、関ヶ原の合戦で西軍に属してから人生は一転する。・・・・この転落したエリートが自らを信じて揺るぎなく生きたとしたら、魅力的ではなかろうか。わたしは、そんな宗茂を描いてみたいと思った。 p156-157
*虚構が事実の上に成り立つものだとしたら、百の嘘をつくためには、ひとつの真実を知っている必要がある。 p187
随筆の最後は「ラスト一行の匂い」である。藤沢周平作『風の果て』の最後の一行を題材にして、藤沢作品は<大人の小説>だと論じる。著者は藤沢周平の作家スタンスに親近感を感じていることがにじみ出ているように思う。短い随筆だが筆者の捉え方が印象深い。
最後に文庫本で、17ページ分の短編小説「夏芝居」が収録されている。江戸、深川木場育ちのお若が、博多に嫁入りし、三国屋治三郎の妻となる。お若は年が一回り以上違う商家の先輩、亀屋のおくらに、江戸からきた歌舞伎の夏芝居に誘われるのだが、お若は理由をつけて断る。そこには、ある事情があった。「夏芝居」がダブルミーニングになっていている。七代目市川団十郎が訳あって三国屋に訪れるという意外な展開の中で、意地と人情の機微が明らかになっていく。黒田藩の「天保の改革」という藩政の断面を背景としているところもおもしろい。落とし所がいい短編である。
ご一読ありがとうございます。
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『天翔ける』 角川書店
『雨と詩人と落花と』 徳間書店
『古都再見』 新潮社
『河のほとりで』 文春文庫
『玄鳥さりて』 新潮社
『津軽双花』 講談社
『草雲雀』 実業之日本社
『日本人の肖像』 聞き手・矢部明洋 講談社
『草笛物語』 祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』 文藝春秋
『嵯峨野花譜』 文藝春秋
『潮騒はるか』 幻冬舎
『風のかたみ』 朝日新聞出版
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26
本書に収録された随筆は、最初に発表された媒体や狙いの違いがあるからだろうか、三部構成となっている。「随筆 たそがれ官兵衛」として19本、「折々の随筆」として4本、「直木賞受賞後に」として5本、追加された3本の随筆はこの最後のセクションに加えられている。随筆三部構成の後に短編小説が収録されている。
そこで、まず本書のタイトルの由来から入って行こう。随筆は、発表媒体や発表の時期が異なると、そのときのテーマに合わせて、同じ主旨の内容が話材として少し形を変えて繰り返し記述されることがある。このタイトルのフレーズについて、著者は「柚子の花」、「柚子の花が咲くとき」、「直木賞『候補』は四度で十分です」という3本の随筆で触れている。それらによると、著者は小説のタイトルを探しているときにこのフレーズを見つけたという。その小説が若者を主人公にした『柚子の花』で、2010年6月に出版されている。この小説には「じっくりと時間をかけて、あきらめることなく努力を重ねれば、いつかきっと花は咲くはずだという思いをこめた」(p153)と著者は己の心情を随筆に書き込んでいる。
この「柚子は九年で」というフレーズを、ある地方では「桃栗三年柿八年、柚子は九年で花が咲く」と続けるということわざの言い回しで見つけたそうだ。「ことわざ辞典」には「桃栗三年柿八年」の後にいくつものフレーズでの言い回しがあると著者は随筆に例示している。
一方、このことわざから著者はいくつかの思い、考えを引き出している。
*人生にも「花を咲かせる」、あるいは「実を結ぶ」という時期があるだろう。
ただ、それにかかる時間はひとによってさまざまだ。 p115
*人生が「実を結ぶ」というのは六十歳を過ぎてからではないか、というのが実感だ。 p115
*人生に花を咲かせ、実を結ぶためのスタートを切るのに遅すぎるということはない。 p115
ここに、「遅咲き作家」の一人としてデビューした著者の思いが吐露されている。かつそれを自ら実践されてきたように感じる。
随筆は、著者自身を映し出す鏡である。対象に対する著者の思いが比較的ストレートに書き込まれている。歴史上の人物や時代についての著者の捉え方が書き込まれている。その一方で、著者の日常生活の一端が書き込まれていく。時には自作についての創作意図や背景が書き込まれている。立て続けに著者の随筆集を読み継いできて、今思うことは、葉室麟の創作した小説の世界を、分析的に掘り下げて読み込み、読み解き、味読するヒントが随筆のなかにあるということである。著者はその時々の思いをそれほど意識せずに随筆に書き込んだだけかもしれないが、葉室麟文学論という視点では、ヒントという材料が詰まった倉庫でもある。また読者として著者との距離感を狭めるのに随筆が役に立つとも感じている。
もう一つ、この随筆集を含めて、作家である著者が、他の国内外の作家の作品を幅広く読んできている事実を随筆の中で時折具体的に触れている。その読書遍歴に刺激を受けた。その時に、一端として印象論や作品論等について簡潔な所見を書き込んでいるのは参考になる。
最後に、作家葉室麟の頭脳の中を垣間見るためのヒントになりそうな箇所を抽出していくつかご紹介する。著者の創作にリンクしていくバックグラウンドになっているのではないかと思う。
*ひとが思いを込めて生き抜いたことを伝えるのが、歴史なのではないかと白土作品から学んだ。 p14
*歴史はいのちの火のリレーであるとともに、いのちが虚しく奪われてきた悲しみの連鎖でもある。だからこそ、歴史を主題とする小説が書き継がれるのではないだろうか。 p111
*1960年の安保闘争を頂点とした政治の季節が終わり、高度経済成長が始まろうとする時期に『天保図録』は週刊誌の連載で書き始められた。清張が描いたのは現代政治の「悪」にも通じる。歴史、時代小説は現代を描くものである。 p121
*地方在住で歴史時代小説を書いているだけに、わたしがよく口にするのは「地方にいると歴史の断面が見える」という言葉だ。歴史はその時代の勝者が書き残すもので、中央にいれば、どうしても歴史の勝者の視点になってしまう。地方にいるからこそ敗者がいかに生き、戦ったかという、その生き様がわかる。そう思っている。 p150
*(黒田)官兵衛が目指したんは、天下よりも、むしろキリシタン勢力圏の回復だったのではないか。 p18
*薩長連合とは何なのか。盟約は6カ条ある。・・・・・今でこそ倒幕の軍事同盟と言われるが、当時は幕府の長州征討に備える密約だった。・・・・結果、盟約には竜馬が裏書きすることになった。リレーに例えれば、(月形)洗蔵が第一走者としてスタートし、中岡慎太郎がバトンを受けて走り、竜馬が最終走者としてゴールのテープを切ったと癒える。 p48-49
*(平氏一門が)都落ちの途中、(「忘れたる事有」と口にし)京に引き返す頼盛に一種の美があるのではないか。栄華の誇りを捨て、亡ぶ美しさにとらわれない生き方を選択したことに、毅然とした意志の力を感じるからだ。 p58
*蜻蛉には<自分>があった。兼家は出世の階段を上り、ついには摂政にまで昇って位人臣を極める。蜻蛉の目には兼家はどう映っていたのだろうか。それを知りたくて、わたしは『蜻蛉日記』を読んだ。 p82
*兼家が花山天皇の退位事件でめぐらした策謀が、やがて道長の繁栄につながり、ひいては王朝文学を開花させていった。 p88
*野心家は、「目的は手段を浄化すると考えることでモラルを失う。・・・・政治の場では正義のひとが「悪人」に変わる。どれほどの美名を掲げた改革であっても、ひとびとの共感が得られなければ、ただの独裁政治でしかない。 p121
*日本の歴史の中で隆家こそが最初に異民族を撃退した英雄だと言える。しかし、その活躍が脚光を浴びることはなかった。 p127
*<国難>に際して、現場は頑張るが、中央政府はうろたえるか、あるいは鈍感な対処しか見せないのは、昔からのことだ。 p129
*薩長和解に努力しながら、刑死した月形洗蔵らが顧みられず、龍馬だけが薩長同盟の功労者であるとしてドラマ化されることに、「所詮、死んだ者は損をするのか」と割り切れない思いがある。 p134
*(立花宗茂は)戦国武将として言わばサラブレッドであり、しかも朝鮮出兵の際に、・・・・「西国無双」と呼ばれるにふさわしい武功をあげた。天下人秀吉の眼鏡にかなった英雄的な武将だった。しかし、関ヶ原の合戦で西軍に属してから人生は一転する。・・・・この転落したエリートが自らを信じて揺るぎなく生きたとしたら、魅力的ではなかろうか。わたしは、そんな宗茂を描いてみたいと思った。 p156-157
*虚構が事実の上に成り立つものだとしたら、百の嘘をつくためには、ひとつの真実を知っている必要がある。 p187
随筆の最後は「ラスト一行の匂い」である。藤沢周平作『風の果て』の最後の一行を題材にして、藤沢作品は<大人の小説>だと論じる。著者は藤沢周平の作家スタンスに親近感を感じていることがにじみ出ているように思う。短い随筆だが筆者の捉え方が印象深い。
最後に文庫本で、17ページ分の短編小説「夏芝居」が収録されている。江戸、深川木場育ちのお若が、博多に嫁入りし、三国屋治三郎の妻となる。お若は年が一回り以上違う商家の先輩、亀屋のおくらに、江戸からきた歌舞伎の夏芝居に誘われるのだが、お若は理由をつけて断る。そこには、ある事情があった。「夏芝居」がダブルミーニングになっていている。七代目市川団十郎が訳あって三国屋に訪れるという意外な展開の中で、意地と人情の機微が明らかになっていく。黒田藩の「天保の改革」という藩政の断面を背景としているところもおもしろい。落とし所がいい短編である。
ご一読ありがとうございます。
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『天翔ける』 角川書店
『雨と詩人と落花と』 徳間書店
『古都再見』 新潮社
『河のほとりで』 文春文庫
『玄鳥さりて』 新潮社
『津軽双花』 講談社
『草雲雀』 実業之日本社
『日本人の肖像』 聞き手・矢部明洋 講談社
『草笛物語』 祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』 文藝春秋
『嵯峨野花譜』 文藝春秋
『潮騒はるか』 幻冬舎
『風のかたみ』 朝日新聞出版
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26