遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『草笛物語』 葉室 麟  祥伝社

2018-03-30 17:58:11 | レビュー
 『蜩の記』から始まった羽根藩シリーズの第5弾になる。戸田秋谷が切腹して果てた時点から16年を経た後でのストーリーがここに展開されていく。
 中心となるのは江戸にある羽根藩中屋敷の長屋に住む13歳の赤座颯太である。颯太は2年前から世子鍋千代の小姓として仕えている。江戸で生まれ、8歳の頃から無外流の剣術を学び、勉学に勤しむも、さして才はない。泣き虫颯太などと呼ばれている。鍋千代とはうまが合う。父と母を流行り病で亡くし、四十九日を終えたところという描写から始まる。その颯太が叔父にあたり国許の藩校教授である水上岳堂に預けられることになり、国許に戻ることになる。颯太は、鍋千代から帰国の餞別として吉光の短刀を拝領する。長屋に戻り、その短刀を抜いて軽く振ってみたとき、「無心になり、主君のために刀を振るうだけのことである」と感じる。その思いがその後の颯太の生き様の基調かつテーマとなっていく。

 羽根藩の国許における過去の諸事情と現在の状況について、颯太は何も知らないところから出発する。叔父の水上岳堂は、颯太を赤座一族に会わせることは当面見合わすという立場を取る。かつて起こったお家騒動問題の波紋の外に颯太を置く方が良いと判断するからだ。
 戸田秋谷の子息・郁太郎は、今では中老となり父の名を継いで戸田順右衛門と名乗っている。彼は周囲の人々から鵙(もず)殿とあだ名されている。30前の年齢だが、過失を犯した者には苛烈に責め追い詰める。あたかも鳥の鵙が獲物を狙うときの苛烈さに似ているからという。順右衛門は、父・秋谷の生き様から己が学びとったことを実行しようとしているのである。頑なまでに素志を曲げない姿勢を貫き、家中で孤立していたが若い者の中にはその姿勢をよしとする者も出始めてきたところなのだ。
 颯太は、叔父の岳堂から国許の事情を聞き、自分の目で見つめることで、藩の状況や己の位置を理解していく。颯太が国許の状況を把握するプロセスが、このストーリーの導入部となる。読者はそのプロセスに沿って、現在の羽根藩における人間関係構図と藩政の状況、政治的な確執の有り様を颯太と岳堂の視点から把握できることになる。それは、愛読者にとっては『蜩の記』時点の羽根藩との対比ともなり、16年前の羽根藩の状況を重ねて想起していくことにもなる。勿論、『蜩の記』を読んでいなくてもこのストーリー自体を楽しむのにそれほど支障はない。知っていれば、奥行きが広がることは間違いがない。

 岳堂は颯太の大叔父赤座九郎兵衛が訪ねてきた時、颯太には会わせないという決断をする。そして、相原村にある藩の薬草園の番人をしている友人の壇野庄三郎の許に颯太を預けるという選択をする。庄三郎はかつて秋谷の見張り役として、対立側から秋谷が蟄居する傍に常駐するよう命じられていた武士である。その庄三郎は戸田順右衛門の姉にあたる薫を妻にして、今では桃と称する娘が居た。薬草園の番人になったことには背景がある。
 順右衛門と庄三郎は、妻を娶るということに対する考え方と経緯において、ある意味で対照的な立場にたつ。その生き様の違いが、このストーリーに大きく反映しているところが、一つの読みどころとなっていく。

 1年ほどが過ぎた春、藩の目論見よりも前に、藩主吉房が急逝してしまう。そのため世子鍋千代が急遽元服し、家督を継ぎ新藩主となり、名を吉通と改めることになる。
 吉通が新藩主として国入りすると、吉通はすぐに颯太を小姓として召し出す。
 この時点から、再び羽根藩では魑魅魍魎が跋扈し始めることになる。このストーリーが俄然動き出すという次第。

 瓦岳の麓、月の輪村に屋敷を持つ藩主一門の三浦左近は、家中では月の輪様と呼ばれている。左近は、自らが藩主になりたいという欲望を持ち続けている人物である。前藩主の吉房が重篤な病になると、吉通を廃嫡して己が藩主となれるよう幕閣に働きかけていたという噂があった。この動きに、勘定奉行の原市之進や赤座一族が同調していたという。吉通が新藩主になった今、月の輪様は若年の藩主の後見役という名目を幕閣から認められて藩政に関与しようとし始める。その許可を得る目的で江戸まで出向くという行動を取る。
 
 吉通は己の思いを颯太に語り、颯太を使いながら、羽根藩の実態を把握しようとし始める。農民たちの実態を己の耳目で知ろうとする。また、戸田秋谷が書き残した『蜩の記』が壇野庄三郎の手許に秘蔵されていることを知ると、彼に会って話を聞き書を読もうとする行動を取り始める。吉通の独自の行動には、家老などの執政者たちからそれ抑止しようとする動きがつきまとってくる。だが、吉通は隙をとらえて颯太をはじめ身近な小姓を使い己の行動を取ろうと試みる。それは吉通が新藩主としての学習過程でもあり、新藩主としての立ち位置と見識を確立するプロセスでもある。そこからストーリーはおもしろみを加えていく。
 一方、後見役を認められたという触れ込みで月の輪様が帰国してきて、画策を始めて行く。それは、吉通と月の輪様との対立を導き出していく。事態はどう進展するのか、お家騒動にならずに事態を納める事が可能なのか。順右衛門や庄三郎、岳堂たちがどういう行動を取っていくのか・・・・、そして小姓である颯太はどうするのか、そこが読ませどころとなって行く。
 
 このストーリーを一気に読ませるところは、ストーリーの構想と展開の巧みさに加え、主な登場人物の鮮明なキャラクターと人間関係の構図の面白さにもある。
*泣き虫颯太と呼ばれ、特に秀でた才はなくても、主君に仕えるということを真摯に考え続ける颯太が、羽根藩の実態を受け止めて、吉通のために尽くそうとする姿。
*己の耳目で確かめ、行動することで新藩主としてのあり方を見定めていこうとする吉通の積極的な行動力と学ぶ姿勢。本音を颯太に語るという両者の関係のおもしろさ。
*戸田秋谷の切腹に至るまでの生き様を見て、秋谷からその精神を学び取ろうとする息子順右衛門と義兄となる壇野庄三郎の二人の生き様の違い。一方で、信頼の絆で結ばれているという二人の関係。
*己の欲望を達成するためには手段を選ばない三浦左近の欲望と策謀に徹した生き様。
*藩校教授・学者として、学問の道一筋の為には、独身を通すと決めた岳堂の生き様とその一方で内奥に潜む思い。
*順右衛門、庄三郎、岳堂たちの周辺に存在する女性たちそれぞれの思いと生き様。
 順右衛門の傍に居る娘美雪の決断と思い、順右衛門に思いを寄せるお春。庄三郎の妻であり秋谷の娘である薫の思い。岳堂の隣家の娘であり岳堂に思いを寄せる佳代。それぞれが己の生き様を示す行動を選択していく姿。
*勘定奉行原市之進が土壇場で生き方の転換を決断するところもまた興味深い。

 このストーリー、「友とは何か」というテーマがベースになっていると思う。タイトルは「草笛物語」である。颯太が岳堂に連れられて、相原村の庄三郎の家に向かうときに、ぴぃーっという甲高い音を初めて颯太は幾度か聴く。聞き慣れない音がすると岳堂に告げると、岳堂は颯太に草笛の音色だと教え、自ら草を口もとにあてて吹いてみせる。
 そして言う。「村の子供たちが遊んで吹くのだ。いや、遊びながらおたがいがはぐれないように吹いているのだ。だとすると、草笛は友を呼ぶ笛かもしれぬな」(p34)と。
 別の機会に庄三郎が颯太と三人の少年に次のように言い聞かせる場面が描かれる。
「草笛は、野に出て友を呼ぶ笛だと言うぞ。草笛の音が聞こえたら、友が呼んでいるゆえ駆けつけるのだ」(p58)と。
 さらに、ストーリーの展開途中で、草笛について颯太の語るエピソードがほほえましさを読者に感じさせるものとして書き加えられる。だが読了するとそれが伏線にもなっていたことに気づく。そして、ストーリーのクライマックスのシーンで、草笛を吹く音色の響きが大きな役割を担っていく。巧みな使い方だなぁと感じた次第である。
 
 最後に、印象深い詞章をご紹介しておきたい。
*この世は苛烈なのだ。少々厳しくしたぐらいでは乗り越えられぬ。肝要なのは、あるがまま、おのれのままに生き抜いていく力なのだ。百姓はなまじに手を加えずに芽を育てていくぞ。 p36
*武士は先でやろうと思うほどのことは口にしてはならぬ。口にすべきはいますぐやれることだけだ。 p40
*男子の本懐とはよき伴侶を得ることなのかもしれぬ。 p44
*剣の要諦は何も考えず、無になることだ。・・・・ただ風を感じて、吹き寄せる風に向かって剣を振るうのだ。  p53
*そなたが為さねばならぬことを為せるよう、日々務めよ。 p64
*一度や二度の間違いが何だ。ひとは何度でもやり直すことができる。 p67
*ひとが変わろうと思えば、やはり時がかかります。ご自分のことでできる辛抱は、ひとのことでもいたさねばならぬのではないでしょうか。  p105
*まことの勇気とは相手を斬ることではない。おのれが大切と思うひとのために命を投げ出して動じない心だ。  p129
*家臣たる者の道は主君に仕えることでございます。すなわち、主君が領内を平安に治め、領民に安寧をもたらすために、お助けいたし、その命のもと死ぬのでございます。そして主君は自ら領国を治め、家臣領民を守るために死ぬのです。されば、主君たる者がひとの指図を仰いでおりましては、家臣領民のために死ぬ者ではなくなります。 p150
*「源吉兄さんが生きていたらどうしたでしょうか」「わからぬ。だが、源吉ならばひとが死なぬように、生きるようにする道を選ぶであろうな。」 p206
*父が自らの死によってひとびとの過ちや罪業を背負ったのは、ひとを生かす道だったからではないかと思います。・・・・・罪を背負う生き方もあったのではないでしょうか。p208
*ひとには避けることができない定めもあるのではないでしょうか。定めがあるのなら、わたくしは逃げたいとは思いません。それに、どのような定めの中でも、自分を貫く道はあろうかと思います。 p212
*ただ、戸田秋谷という御仁は生きていたときだけでなく、死んでからも何事かひとに語りかけてくるひとのような気がする。  p232
*声は聞こえずとも、おぬしの胸の中で秋谷殿の魂は鳴響いていよう。ならばこそ、おぬしは信じた道を真っ直ぐに歩むのだ。  p233
*やさしさこそが強さなのだ。     p248
*赤座颯太は、いま武士として戦っている。誰にも止めることはできないのだ。p268

 ご一読ありがとうございます。


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26


『神の時空 京の天命』 高田崇史  講談社NOVELS

2018-03-27 10:38:49 | レビュー
 神の時空(かみのとき)シリーズもこれがいよいよ最終巻となる。摩季が死亡して7日目、辻曲了が摩季を甦らせるために「死反術(まかるがえしのじゅつ)」を執り行うためのタイムリミットに来ている。この7日目を越えれば最早のぞみはないという瀬戸際にある。「十種の神宝」のうち、今までのシリーズにおける展開の中でやっと合わせて五種が了の手許に集まったに過ぎない。辻曲家に伝わってきた「生玉」「足玉」。奈良の大神(おおみわ)神社でグリが手に入れた「蛇の比礼」。伏見稲荷大社で巳雨が借りてきた「八握剣」。そして、この7日目の朝に厳島神社の氏子であり大学生の観音崎栞が東京駅まで持参して彩音に届けてくれた「辺津鏡」である。了は「死反術」を執り行う為には、最低でも七種、いや八種はなければ・・・と切実に思っている。この七日目、残された時間で何とか「神宝」を最低限でも集められるのか? この点がどう展開していくのか、摩季は甦ることができるのか、という関心をまず引き起こされる。

 本書のプロローグは8年前に天橋立で起こった観光バス転落事故の経緯から始まる。その事故は、運転手を含めた乗客全員が死亡するという最悪の結果となったのだ。辻曲家の了を筆頭とした四兄妹の両親がこの事故の犠牲者になっていたという事実がこのプロローグで明らかになる。そればかりでなく、國學院大学の潮田教授主催のこのツアーに参加していた人々の遺族が、この7日目にあらたに生起してきた険悪な厳しい状況に対処するために、繋がりを持っていく。またそれまでの6日間の様々な事件のプロセスで彩音に協力した人々の協力関係が始まる。どういう繋がりでどう対応するようになるかのプロセスが読ませどころにもなる。

 高村皇が配下の者たちを、松島・天橋立・宮島の日本三景の地に同時に送り込み、名勝の地で破壊工作に携わらせる。陸奥国一の宮・鹽竈神社では随身門が破壊され倒壊し、死者が出る。それを皮切りに次々と事態が悪化する。天橋立にある籠神社では神職が惨殺されるという事態が発生するとともに、天橋立に異変が起こる。宮島では、弥山と厳島神社の異変が何とか観音崎栞や彩音たちの必死の努力で鎮められたにも拘わらず、再び弥山が鳴動を始める妖しい雲行きとなる。高村皇が同時多発的に大がかりな仕掛けを始めたのである。
 東京の彩音に辺津鏡を届けにきた栞は、宮島での不穏な状況を知り、厳島神社の神に鎮まってもらわねばとトンボ帰りをする。天橋立の籠神社の神職殺害事件には京都府警の瀬口警部補と部下の加藤裕香巡査が再び出動する。裕香は8年前の観光バス転落事故で犠牲になった乗客の遺族でもあった。
 伊豆山に隠棲する四柱推命の大家である四宮雛子が東京の辻曲家に出向いてくる。「大変なことが起こっている。このままじゃ、この国が消えてなくなちまう。だから、やってきたんだよ!」と、切羽詰まった声で彩音に語りかける。そして、雛子はみんなの力を結集しないとダメだと断言する。雛子の占う卦がすべて悪いと言う。
 グリに呼ばれたのだと、京都の傀儡師・六道佐助が辻曲家に現れる。そして、彩音に依頼され直ちに松島に行くことになる。
 狐憑きの家系であり、伏見稲荷の氏子である樒祈美子は天橋立の惨状をニュースで知ると、先日の伏見稲荷での事件を想起し、宮津に出向こうと決心する。
 記憶を無くしていた福来陽一が辻曲家に現れる。そして、思い出した記憶を語る。それが8年前のあの事故に結びついていく。陽一は彩音と話をした後、老幽霊・火地晋のところに自ら出向いて話を聞いてくると告げる。
 東京では、既に江戸総鎮守府である神田明神の鳥居が倒されていた。火地と会った陽一は、火地から高村皇の仕掛けが何かの全貌についての推測を聞く。それはとてつもない構想だった。
 
 この最終巻の興味深い点がいくつかある。
1. 8年前の観光バス転落事故の犠牲者の遺族たちが互いに認知し合うプロセスが描きこまれること。主な登場人物の姿がクリアになっていく。そして彼らが現下の緊急事態を解決するために連携プレイを行うというストーリーの展開のおもしろさ。
2. 高村皇の仕掛けて来た破壊構想が日本列島の神々の拠点を結び出来上がる構図の興味深さ。
3. 描かれた構図に登場する神々の系譜と関係性の興味深さ。一度通読しただけでは、残念ながら十分に理解できたとはいえない。改めてその神々の関係性を考え直したくなるという奥行きの広がりを持つおもしろさ。日本の神の体系への導入となる興味。
4. 宮津の天橋立が舞台となることから、「羽衣伝説」と「浦島太郎伝説」がストーリーの展開に絡んでいく構想のおもしろさ。
 それと併せて、著者がこの羽衣伝説、浦島伝説そのものを解き明かそうとしていることへの興味深さが加わる。
5.このシリーズの出発点にからある人、幽霊、妖怪が関わり合いながら進展する伝奇小説としてのおもしろさ。その手法を介して著者は日本の神々を解き明かそうとしているのだと思う。

 神田明神で彩音は高村皇と対決する立場になる。そこに巳雨も加わっていく。巳雨の背景に巳雨を見守るものが居る。そして、その結果がエピローグへと繋がって行く。

 このシリーズ、辻曲家の彩音と巳雨を中軸に、摩季を甦らせるために「十種の神宝」を集めんとして活躍するプロセスを描くストーリーがメインであるが、その裏面は日本の神の系譜と時空に誘われる読み物と言える。神々の読み解きのストーリーでもある。
 日本の神々と伝説・伝承に関心を抱く人は、楽しめるシリーズである。

 ご一読ありがとうございます。


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

この小説に関連する事項とそれから波紋する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
日本三景松島 電脳松島絵巻 ホームページ
松島  :ウィキペディア
鹽竈神社  :ウィキペディア
天橋立観光ガイド ホームページ
元伊勢 籠神社 ホームページ
古代と現代をつなぐ丹後の伝承  :「Blue Signal」
  舞い降りた天女、二つの「羽衣伝説」
羽衣伝説  :ウィキペディア
三保の松原の羽衣伝説  :「SHIZUOKA CITY PROMOTION」
浦島太郎伝説  :「丹後旅の宿 万助楼」
日本最古の浦島伝説が残る丹後半島の浦嶋神社を訪れてみました :「BUZZAP!」
浦島太郎伝説  :「古代史の扉」
厳島神社 ホームページ
厳島神社  :「宮島観光協会」
弥山    :「トリップアドバイザー」
八幡総本宮 宇佐神宮 ホームページ
強力なパワースポット!宇佐神宮をご紹介♪ :「icotto」
神田明神  ホームページ
神田明神(神田神社)のパワースポット :「開運の神社・パワースポット[関東編]」
熱田神宮  ホームページ
名古屋随一のパワースポット『熱田神宮』その由緒と歩き方まとめ:「名古屋情報通」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)

『鬼門の将軍』   新潮社
『軍神の血脈 楠木正成秘伝』  講談社
『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS



『回帰 警視庁強行犯係・樋口顕』 今野 敏  幻冬舎

2018-03-21 12:36:55 | レビュー
 四谷にある大学の門の近くで自動車の爆発事件が起こる。大学の警備員と通行人の二人が爆発に巻き込まれ死亡する。10人弱が重軽傷を負う。その大学は樋口の出身大学でカトリック系の大学だった。樋口たちは現場に急行する。小椋は街灯の支柱に設置された防犯カメラに気づき、その記録を区に問い合わせる手配をする。処理班の検証では爆発の原因が爆弾と判断された。その後、爆発現場に公安の捜査員が現れると、刑事たちは現場から退去させられる。
 
 麹町署に爆弾テロ事件として、指揮本部が設置される。その後の分析で、爆発はコンポジション4(C4)を使った時限装置による爆発と判明した。刑事部と公安部が合同で捜査にあたることになる。田端捜査一課長が実務的には指揮本部の長の役割を担う。刑事部は天童管理官、公安部は国際テロ第一の梅田管理官がこの事件を担当する。
 公安部からは指揮本部に、黒スーツの男たち6人が姿を見せる。外事第三課の柳瀬と佐藤がその中核である。柳瀬はゼロ帰りのエースだった。佐藤は刑事たちにはカチンとくる話し方をし、無愛想で周りに敵を作りやすいタイプだった。天童管理官ですら言葉を荒げてしまう。刑事部と公安部は捜査のしかたが全く異なる。刑事部に対し公安部はエリート意識もあり、刑事部の捜査を軽んじているところもある。指揮本部が発足した時点から、刑事部と公安部の確執がそれとなく始まって行く。
 一方で、梅田は最初の捜査会議に遅れて指揮本部にやって来る。そして、開口一番、天童に対し、因幡芳治が警視庁を辞めたあと、海外に出ていて、経緯は不明だが国際テロ組織と関わりがあったという情報を入手していること、そして最近因幡が日本に入国したという情報もあると告げる。梅田は、今回の自動車爆発というのが爆弾テロで因幡が絡んでいるのではないかと匂わせる。そして、梅田は天童と相談しながら捜査をやろうと持ちかける。

 この小説の楽しみの一つは、刑事部と公安部がその後の捜査の進展で、捜査方法の違いも含めた両者の確執がどうなるのか、それが捜査活動の足を引っ張ることになるのか、どういう関係で捜査が展開していくのか・・・・・そういうストーリー展開だろう。
 もう一つは、梅田管理官が口にした国際テロ組織と関わりをもつ因幡が日本に入国しているという事実である。因幡は天童の下にいた刑事で、樋口と同様に天童の弟子になる。樋口の二年後輩だが、同じ部署で樋口と一緒に働いたことはなく、面識がある程度だった。因幡は担当していた事件の措置に憤りを感じ、10年ほど前に警察を退職していたのだ。その因幡が、この爆弾テロ事件が発生する3日前の4月2日に、天童にテロを防ぎたいので協力してほしいとだけ言う形で電話をかけて来ていたのだ。天童は因幡から具体的な話を聞く前に、この爆弾テロ事件に関わってしまったことになる。つまり、因幡がこのテロ事件と無関係とは言えないだろうが、どういう関係かすら把握できないのである。一方、梅田は何らかの因幡に関する情報を入手している。それがどこまでの情報かも不明。
 因幡の元上司であり、因幡から電話でコンタクトを受けた天童は、指揮本部の管理官として、二律背反的立場に投げ込まれる。樋口は、「因幡を覚えているか?」という天童の問いかけに始まり、因幡から電話があったと天童から聞かされたことで、天童の微妙な立場と因幡に関係してしまうのである。実際のところ、因幡が何者なのか? この爆弾テロ事件とどういう風に関わっていくのか? 天童はどうするのか? 樋口はどういう立場で関わって行くことになるのか? 因幡に関わる側面が、このストーリー展開を興味深くしていく。捜査活動の進捗と混迷の中で、因幡の行動がどのように絡まっていくかが、このストーリーの読ませどころの一つになる。

 現場の聞き込み調査から、現場付近で中東系の若い男性を目撃したという情報が入る。公安は既に何人かのリストを持っていた。公安独自の資料だという。テロの可能性を前提として作成されている資料のようである。早くも引っぱってくることを考えている。刑事の立場では、証拠・理由もなく身柄拘束するわけにはいかない。まず証拠を押さえるというアプローチになる。早くも捜査の進め方の違いが露呈する。
 そして、ムハンマド・シファーズ・サイード、26歳の旅行者で、来日後不法就労している男が身柄を拘束されてくる。公安の柳瀬が取調べ、樋口とSITの淺井が立ち会うことから始まって行く。目撃者の学生は、シファーズに間違いないと証言する。防犯カメラのビデオ記録が解析された結果、この爆弾テロ事件に関わりを持っていると推定できる人物像が写っていた。公安が事前に入手していたシファーズの写真をSSBCに送ってあったので、それとの照合がされた結果一致したという。シファーズは防犯カメラの映像を取調室で見ても、それは自分ではないと否定する。そこで、本人の承諾を得て鑑識により改めてシファーズの写真を撮ってもらい、SSBCに送り再鑑定を依頼することになる。
 だが、殺人犯捜査第二係長の戸倉が、会議より初動捜査を優先させた結果、別の目撃者を見つけたという。目撃者は牧田詠子、35歳。現場近くの大学出身で、半年ほど前から大学図書館で働いている女性である。彼女はマジックミラー越しにシファーズを眺めて、目撃したのはシファーズではないと否定する。防犯カメラの静止画像を樋口が見せると、目撃したのはその画像に写る男だと証言し、その画像の男はシファーズではないという。
 一旦、振り出しに戻ることになる。シファーズは釈放され、監視をつけることになる。その後、別にバングラデッシュ人が身柄を拘束される。その男はシファーズに似ていた。一方で、目撃者の牧田詠子の行方が分からなくなる。姿を隠したのだ。なぜか?
 ビデオ記録の分析精査が引きつづき行われるのだが、その記録から意外な事実が発見されることになる。
 シファーズの釈放と監視。新たに拘束されたバングラデッシュ人への取り調べ。牧田詠子の失踪の追跡。因幡の足取りと事件関与の可能性などが、刑事部と公安部の確執の中で、捜査を混迷させていく。
 そして、天童に因幡からの電話が入る。このフィクションは、ストーリーとしておもしろい展開となっていく。

 このストーリーは、日本における爆弾テロ事件を想定したものである。そういう意味で現実味のある想定として興味深く読める。警察という組織機構の下にある刑事部と公安部が合同で捜査活動をするという想定は、今後発生しうる可能性は高いだろう。そういう意味では、刑事部と公安部の合同捜査で起こりうる確執についての、一つの捜査プロセスのシミュレーション・ストーリーといえるかもしれない。現実に、捜査方針、捜査手法が異なる刑事部と公安部は、実際のところ「テロ」対策をどう進めているのだろうか? そちらの方にも関心の波紋が広がる。

 本書のタイトルである「回帰」は、このストーリーでのキーパーソンとなる因幡の思いと行動に関係している。その含意はストーリーを読んで感じていただきたい。

 このストーリーにサブストーリーが織り込まれていく。それが爆弾テロ事件という幸いなことに我国では未経験のフィクションの捜査プロセスの展開故に、フィクションにしても現実味が薄く、リアル感が減殺されている局面がある点は否めない。それを現実感の側に引き寄せるのが樋口の家庭問題を組み入れていることである。樋口家の一人娘照美は今は大学生になっている。その娘が母親に海外旅行でバックパッカーをしたと言い出したといという。その計画を実行するならば、ビザの取得のしかたなどもあり、決断を早めにする必要があるという。母親として樋口に相談しようと思っていた矢先に、この爆弾テロ事件が起こったために、取りあえず電話を樋口にしたというのである。樋口は危険じゃないかと思い、止めさせたいが、海外旅行の体験の良い面もあるので、己の過去を振り返り、思案してしまう。家庭内の問題だが、指揮本部事案に関わっているなかで、こちらもズルズルと先延ばしできる問題でもない。樋口がこの問題にどう対処するか? ちょっと、興味本位で楽しめるサブストーリーである。

 このシリーズにもう一つの特徴がある。それは樋口が己の言動の裏側の思いを自己評価している状況を描き込んでいることである。それに対して、同僚・上司を含めた周囲の人々は樋口の言動について、樋口の自己評価とは対極的なプラスの反応で評価し、受け止めるという状況が要所要所で点描されていく。このギャップが樋口の人間味を際立たせていき、一層この主人公に親しみを感じさせるのである。私は、このギャップの記述とその展開を読むことも、楽しみにしている。今回も樋口の人間味を楽しませてもらった。

 おもしろい設定と構想のストーリーであると思う。日本国内でのテロ事件の発生、ありえないことではないという時代に勅免しているのではないか。

 ご一読、ありがとうございます。

本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

本書からの関心の波紋としてネット検索したものを一覧にしておきたい。
C-4(爆薬)  :ウィキペディア
C-4 (explosive) From Wikipedia, the free encyclopedia
400g of C4 Plastic Explosive  :YouTube
100 kilos of C4 Check out the shock wave!  :YouTube
C4 Explosive Explained   :「Military.com」

テロ対策特別措置法 :「内閣官房」
テロ対策特措法の概要  :「首相官邸」
警備警察50年 焦点 警察庁第269号 目次  :「警察庁」
  国際テロ対策
  サイバーテロ対策
我が国の国際テロ対策  :「外務省」
「国内の緊急テロ対策関係」ホームページ :「厚生労働省」
鉄道のテロ対策  :「国土交通省」
ソフトターゲットにおけるテロ対策のベストプラクティス  :「首相官邸」
中小企業におけるテロ対策マニュアル pdfファイル  :「警視庁」

論点 日本のテロ対策  2016年1月8日 東京朝刊  :「毎日新聞」
テロ対策特別措置法 トピックス :「朝日新聞DIGITAL」
日本のテロ対策は英国流・フランス流のどちらにすべきか :「DIAMOND online」
日本の治安組織はテロを防げるのか? ~警察庁・外事情報部長「見えない敵との戦い方」 
         :「現代ビジネス」
海外旅行でテロに遭遇したら?命を守る3つの方法を、イギリスのテロ対策警察が教えてくれた         :「HUFFPOST」
テロ対策か人権尊重か~揺れるフランス 2017年11月17日(金) :「NHK」
テロリズム対策と日本法の諸変動  山本 一 氏  論文 pdfファイル
共謀罪は「テロ対策」に騙されるな! 国家権力の暴走を監視せよ :「iRONNA」
共謀罪(テロ等準備罪)法案が通常国会に提出される予定なので問題点を挙げていく。
      :「45 For Trash」
『共謀罪』でテロが防げないこれだけの理由  :「ホウドウキョク」
日弁連は共謀罪法の廃止を求めます  :「日本弁護士連合会」

「共謀罪」法が施行 2017年7月11日 朝刊 :「東京新聞」
組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案
      :「法務省」
   法律


インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『変幻』  講談社
『アンカー』  集英社
『継続捜査ゼミ』  講談社
『サーベル警視庁』  角川春樹事務所
『去就 隠蔽捜査6』  新潮社
『マル暴総監』 実業之日本社
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)

『ヒトごろし』  京極夏彦   新潮社

2018-03-18 15:04:33 | レビュー
 「浅黒い指が白い頸に喰い込む。」という一文から始まる。
 ストレートにタイトルと響き合う冒頭文である。単行本で1081ページに及ぶ長編。主人公は土方歳三。そう、新選組副長となった人物である。
 一応、歴史小説・時代小説のジャンルに入るのだろう。史実を元に、土方歳三という男の抱く価値観、思念、戦いに対する捉え方を土方自身の視点で延々と記述していくという息の長いフィクションである。幕末の歴史年表を編成すればそこに記載される事実で新選組に関わる事項をメインに点描させながら、それらの事象・事件に土方がどのように関わっていったのかという側面からストーリーが展開していく。

 冒頭のこの一行、女郎の頸を絞めているのは、歳三である。だが、彼は一歩手前で頸を絞めるのを止める。それは頸を絞めている女の顔の変化を見つめていて、「どうも、首を絞めるのはあまり良くない。汚らしい。滑稽だ。見てくれが悪い。穢いのは好まない。喉笛を切り裂く方が良い」という理由による。首を絞められた女の状態を頸を絞めている歳三の目を通して克明に冒頭から描いて行く。すでに、ここに「ヒトごろし」土方の殺すことに対する価値観が表出している。
 この冒頭をトリガーに土方歳三の回顧として、人を「ころしたい」と自覚することが起点となる。歳三が己を「人殺し」として自己認識するに至った原風景が連綿と語られる。 「人殺しは悪いことで、それをすると殺されてしまうのか」という疑念が歳三に湧く。7歳頃に、不義者成敗ッと叫ぶ侍が不義密通を理由に路上で女を殺す場面を偶然目撃したのである。その後に、村はずれの五兵ヱの息子久米蔵が嫁を匕首で殺すのを目撃する。久米蔵は死罪となった。その原体験を踏まえて、人を殺すことが許される、許されないということの意味について、少年時代に認識を深めて行く。

 著者は「人殺し」の前提が何かを歳三の認識プロセスとして描き込んで行く。
 歳三は、人を殺してはいけない決まりがあることは諒解するに至る。人を殺すことはできるが、出来ることでも為てはならぬことという認識を一旦は持つ。だが、百姓と武士は違い、武士だけは人を殺しても良いという例外を認めているという事実に気づく。所属階層の違いを乗り越えられれば、人は殺しても良いということではないのかと。

 咎められることなく、罪になることもなく、己の内心に湧く「人をころしたい」という欲望を歳三自身が満たすにはどうするか。この小説は、歳三が人を殺せる立場になり、己が殺したいと思った人を殺すための合法的なしかけを作りあげるプロセスを様々なエピソードを盛り込みながら、延々と描き込んで行く。
 歳三の心理と思考のプロセスを描くことが、第一のテーマになっていると思う。己を「人外(にんがい)」「人でなし」の存在として位置づけ、確信犯としての「ヒトごろし」と認識する歳三の生き様を描くことである。

 「俺は殺したいから殺した」という歳三の行為が、合法的な手続きの下での行為として、新選組を背景に展開されていく。己が罰を受けない立場を築くために、少年期からの友である近藤勇(宮川勝太)を神輿として担ぎ上げ、新選組を確立させてその下で行動する。それ故、この小説は、新選組がどういう経緯で確立され、京の都で、人々から忌み嫌われる蛇蝎のごとき存在ではあるが、大きくなった経緯を描く。鳥羽伏見の戦いを経て、新選組が壊滅する状況を描き込む。さらにその後に土方と近藤が取った行動と経緯を追う。元新選組の残党が新選組を名乗り北海道の五稜郭での戦いの中で崩壊していくプロセスを描くことになる。
 興味深いのは新選組が関わる様々な事件・事象もまた、歳三の目を介したもの、あるいは歳三が直接関わった行動という側面から描かれる点である。幕末の諸事件・事象を側面史的観点で読んでいくことになる。勿論そこには著者の視点、フィクションを交えた一説ということになるのだが、幕末史の読み解きとしても面白い。

 この大長編のストーリーの大凡の展開を眺めておこう。
 最初の180ページ余は、歳三が己の欲望を自覚し、「人殺し」について考えるプロセスである。義兄の「人を使えよ歳三。・・・上に載ってる者を使え。・・・・使い道を見極めよ。・・・そして、使った分は使われろ。役目を見定めれば、お前さんにも役割が出来よう」という助言をひとつの転機として、合法的な人殺しのできる立場への思念を形成する過程を描く。
 宮川家から勝太が武家の養子に入り、その後近藤道場を継承するのだが、そこに集ってきていた人々が後の新選組の中核となる。彼らの背景を描いていく。清河八郎の提言により幕府が発令した浪士召し出しの報せを彼らが知ることで、このストーリーが展開する導入部となる。そこに、冒頭の首を絞めたが止めにした女郎、涼から歳三が銘刀・和泉守兼定を贈られるエピソードも加わる。そこには歳三にその刀で切られて綺麗に死にたいという涼の条件が付いているのだが。このあたりまでセクション3までで描かれて行く。
 先走るが、この涼はその後、歳三の後を追うようになり、点描風に歳三との関わりが描き込まれていく。そしてストーリーのクライマックスにも涼が登場する。それが歳三最後の場面のトリガーになるという次第。このクライマックスは読ませどころだろう。歳三の殺しの美学からすれば、パラドキシカルな死に様を迎えるのだから。

 セクション4は、江戸の伝通院における清河八郎の下での浪士隊の結成と、京への移動の経緯である。芹沢鴨が登場する。清河八郎の謀計が明らかになる。

 セクション5は、局長の芹沢鴨暗殺に至る経緯。ここに隊に加わっている山崎林五郎の兄、山崎丞(すすむ)が、芹沢鴨の葬儀の場面で歳三の前に現れる。家業が鍼医者なのだが、間諜という仕事が好きなのだという。これ以降、歳三との関わりが深まる。監察という役割を担い、間諜稼業に勤しみ、歳三の手足となっていく。この山崎丞が歳三の考えを的確に言い当てる。
 「人殺しは、為てはならんことや。為てはいかんことでっせ。なのにあんたは、それをしてもいいことにしてしもた。そうなったんやないで。そうしたんですやろ。こら偶然やない。あんたが仕向けたんや。あんたが」と(p544)。それを承知で、このおもろい遊びを間諜という形で手伝いたいと申し出る。

 セクション6は、捕まえた枡屋喜右衛門即ち古高俊太郎の拷問から始まり、池田屋襲撃事件の顛末を描く。その襲撃のシナリオを歳三が描いたとする。

 セクション7は、新選組から脱走したが捉えられた山南敬助と歳三が対話する場面を中心に展開する。元から武士である山南の思考と新選組の有り様とのギャップ、そして伊東一派が入隊してきたことによる山南の思考の変化を語る。それは新選組の実態を語ることにもなっている。山南が武士をかざして死を語っていた時は、山南を殺す気もなかった歳三は、士道を捨て脱走し生きるという選択をした山南を殺す。山南が切腹をする形で殺す行動を取る。腹に小刀を突き、それで死ぬわけではないので、介錯という形で首を落とすつもりだった。それは合法的な形を取った人殺しである。しかしその場に沖田が飛び込んできて斬首してしまう。沖田は伊東甲子太郎ほか数名がその部屋に入ろうとしているところをみたからだと後で言う。
 伊東甲子太郎は勝海舟が周旋して新選組に送り込まれたと山崎丞が顔の血を洗う井戸の傍で言う。歳三は伊東を殺したいと考えるようになっていく。

 セクション8は、甲州長沼流軍学を売りにして、近藤勇に取り入り、その取り巻き・幇間の役割を務めていた無能な武田観柳斎が新選組から逃げ出した。その観柳斎を見つけだし、問い詰める。そこから、観柳斎を介して、大政奉還の論議が出始めた頃の世情、諸藩の状況を描いて行く。武田は、歳三にではなく斎藤一に袈裟懸けに切り裂かれて殺される羽目になる。
 このセクションでの一つの山場は、伊東甲子太郎の暗殺である。伊東が新選組から分派して、御陵衛士として高台寺党を結成する。近藤勇が分派を認めるのだが、その裏には歳三の周到なシナリオがあった。だが、ここで歳三のシナリオは一部破綻し、それが禍根を残す。

 セクション9は、鳥羽伏見の戦い以降の歳三と近藤たちの行動の経緯を描くストーリー展開となる。大政奉還後、徳川慶喜は江戸に逃げ帰る。新選組は徳川から捨てられる立場になる。官軍に追われる立場になった新選組崩壊後の姿が描かれて行く。
 幕府公認治安隊の隊長・旗本大久保大和と名乗り、会津を目指していた近藤等は、総州流山で官軍に包囲されてしまう。ここで近藤は投降することになる。
 一方、歳三は有象無象の隊員たちの命を救うために、江戸に戻り勝海舟と談判する道を選択する。歳三と勝海舟の交渉場面が大きな山場となる。この対談交渉が史実としてあるのかフィクションかは知らないが、おもしろい場面描写を楽しめる。

 セクション10は、北海道の五稜郭に舞台が移る。歳三は、勝からまだ人殺しがしたければ、つでに江戸にいる莫迦や阿呆も一緒に連れて行ってくれと頼まれる。勝に使われることを歳三は拒否するが、結果的にそうなる。官軍に降ることを拒否した有象無象の連中が蝦夷地に集結するのだ。旧幕府海軍の軍艦八隻を略奪し江戸を脱出し蝦夷地に新しい国を造ると号した榎本釜次郎、伝習隊創設にかかわり積極的な抗戦派であった元歩兵奉行大鳥圭介が、蝦夷地での中心人物だった。だが、戦という観点では、いかに無能だったかが歳三の視点を介して描かれて行く。そして、戦をするのは嫌いであり、人殺しをするという立場の歳三が最後の生き様を見せる舞台となっていく。

 タイトルは「ヒトごろし」である。本文で歳三の視点で「人殺し」という表現が使われる。この小説では、様々な色合いの違う「ヒトごろし」が描き込まれているという意味合いと受け止めた。「ヒトごろし」はその総称表現なのだろう。
 歳三は上記のように、「人殺し」はいけないことという認識を持った上で、己を人外と位置づけ、合法的なしくみ・しかけの中で、手続きを経た上での外見上は合法的な「人殺し」を行い、「ころしたい」という内心の欲望を達成していく。お膳立てをして、合法的やりかたで人を殺す。
 沖田は殺しが好きである。動物でも人でも、己の楽しみのために人を殺す。それ故に歳三は沖田を毛嫌いしている。
 佐々木只三郎が要所要所で歳三の前に現れる。彼は会津藩士である。藩主の命を受けて、任務として人を殺す。合法的殺人の執行者という立場に己を位置づけている。
 新選組に入隊した、山南敬助、斎藤一など元々武士だった者たちは、武士として己の抱く武士道の概念を前提として人を殺す。
 幕府軍、官軍を問わず、兵隊となった連中は、命令に従い、鉄砲を撃つ。敵軍に勝つために、鉄砲を撃ち、人を殺す。
 命令を発する上層の武士たちは、己は手を汚さず命令により人を殺させている。
という風に、様々な「ヒトごろし」が幕末動乱の渾沌とした中に併存していたといえる。 その中で、土方歳三の確信犯としての「ヒトごろし」は異彩を放っている。

 ご一読ありがとうございます。


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
土方歳三  :ウィキペディア
土方歳三  :「コトバンク」
新撰組 鬼の副長 土方歳三の生涯  :「NAVERまとめ」
(新選組発祥の地)壬生屯所旧跡  :「八木家」
壬生寺  ホームページ
  壬生寺と新選組について
新選組ファンなら行かなくちゃ!西本願寺&京都駅周辺  :「Travel,jp」
近藤勇 :ウィキペディア
近藤勇 :「コトバンク」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


もう一つの拙ブログで、以下の探訪をまとめています。こちらもご覧いただけるとうれしいです。
探訪 [再録] 京の幕末動乱ゆかりの地 -1 西本願寺太鼓楼・新選組不動堂村屯所跡 (中屋敷跡)・不動堂・[道祖神社]
8回のシリーズでまとめてご紹介しています。
スポット探訪 [再録] 京都・下京 西本願寺細見 -3 阿弥陀堂門、太鼓楼、新開道路碑、境内境界の景色
スポット探訪 京都・中京 壬生寺細見 -1 表門・一夜天神堂・本堂・狂言堂
   3回のシリーズでまとめてご紹介しています。


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

『高麗秘帖 朝鮮出兵異聞』 荒山 徹  祥伝社

2018-03-15 18:05:53 | レビュー
 先日、著者による新書『秘伝・日本史解読術』(新潮社)を読んだ。それがきっかけで著者の作品を読んでみる気になった。せっかく読み始めるならば、著者の第1作からトライしてみるか・・・・。実は徳川家康への関心から、著者の『徳川家康 トクチョンカガン』は文庫本を購入して未だ積ん読本になっている。こちらはカタカナ語のルビに興味を抱き取りあえず買ってしまっていた。次はこちらを読んでみたいところ。
 さて、本書は平成11年(1999)7月に単行本が出版され、2003年1月に祥伝社文庫に入っている。単行本で読んだ。実質482ページという長編歴史小説である。
 「朝鮮出兵異聞」というフレーズに続いて、さらに「李舜臣将軍を暗殺せよ」という副題が付いている。この命令文がこの歴史小説のテーマを端的に表している。

 日本史の年表を開くと、「文禄1(1592) 文禄の役(93和議)」「慶長2(1597) 慶長の役(再度朝鮮へ出兵)」「慶長3(1598) 8秀吉没 12日本軍の朝鮮からの撤兵ほぼ終わる」という三行の事項記載に集約されてしまう。
 この歴史小説は慶長2年に再度行われた豊臣秀吉の命令による朝鮮出兵の状況に焦点を当て、朝鮮半島に上陸した日本軍が侵攻して行った状況を描写する。
 文禄の役においては、朝鮮水軍の将である李舜臣将軍が、亀船を巧みに操り日本水軍を撃破し、制海権を握る。連戦連敗し水軍を失った日本軍は兵站線の維持が不可能となる。和議に持ち込み一旦日本軍は朝鮮半島から撤退した。日本軍にとり李舜臣は脅威の対象となった。
 秀吉は慶長元年9月、来日した明使の持参した国書の内容を無礼だと怒り、明使を追い払う。そして、翌年征明軍の派遣を命じて再び朝鮮半島に諸大名を侵攻させる。ここから、このストーリーが始まる。

 日本水軍の水将・藤堂高虎は文禄の役の辛酸と水軍敗戦の轍を踏まないために、李舜臣将軍の暗殺を目的とした特殊チームとそれを支援する秘密の戦闘集団を編成して、敵地に送り込む。それが「李舜臣将軍を暗殺せよ」である。藤堂高虎は伊予宇和島七万石の謀略を得意とする大名である。李舜臣を排除し、朝鮮水軍を壊滅させることで兵站線を確保し、朝鮮半島に深く侵攻する経路をまず確立しようと謀る。
 一方、伊与来島一万四千石の海賊大名である来島通総は己の水軍が文禄の役で撃破されたことを痛恨の事とし、密かに朝鮮水軍の船の破壊を目指す戦術を考える。己の愛妾であるお蛟という海の女くノ一に海女による特殊工作部隊を編成させ時期の到来に備えたのである。この特殊工作部隊は来島水軍が活躍し成果を挙げるために、事前に朝鮮水軍の亀船の爆破破壊をする使命を託される。お蛟に鍛え上げられた海女の特殊工作部隊が、お蛟の指揮の下で密かに敵地に侵入していく。来島のこの隠し玉は、高虎配下の特殊チームとは全く無関係に、互いの存在をしらないまま、李舜臣の暗殺を目的としてパラレルに行動していく。お蛟は来島の期待以上の事を成し遂げんと考え、亀船と一緒に李舜臣の暗殺を同時に行おうという執念を燃やす。

 一方、文禄の役では、先陣を切り漢城攻略を行った小西行長は、朝鮮半島の奥深くまで行った侵略戦で辛酸をなめる。その経験と和議のプロセスを経て、侵略戦争の無益さを痛感する。そして、再び慶長の役での出征を命じられると、朝鮮半島深く侵攻することを回避するには、李舜臣将軍の暗殺を阻止し、朝鮮水軍を健在させることに尽きると判断する。そして暗殺を阻止し李舜臣を護る為に朝鮮の言葉に堪能で腕も立つ異能の者3人を李舜臣防護チームとして密かに派遣する。

 つまり、メインストーリーは、文禄の役で朝鮮の英雄となった李舜臣のその後の境遇を描き、慶長の役による国難に対し李舜臣の立場が変転する様相を克明に描き出す。それと対置する形で李舜臣暗殺計画の進展とその阻止の攻防状況展開模様が絡んでいく。一方で、李舜臣の行動と影響し合いながらパラレルに、まずは全羅道を制圧せんとする日本軍の侵攻状況が呼応していく。李舜臣の行動も日本軍並びに日本水軍の侵攻とともに状況対応が迫られている。このあたりの描写は読み応えがある。
 更にお蛟に率いられる海女集団の破壊工作部隊の動きを点描しながら、水軍の激突というフィナーレへと進展しで行く。だが、その海戦は文禄の役とは全くことなる様相が生み出されていくことになる。なぜなら、日本軍が朝鮮半島に侵攻した初期段階で、李舜臣が外され、統制使元均の指揮下に置かれていた朝鮮水軍は漆川梁海戦において日本水軍に壊滅的な打撃を受けてしまったのである。朝鮮水軍として残ったのは亀船を1船含むわずか13船。それも完全に逃げ腰で戦意喪失という在り様になっていた。この残り1船の破壊をお蛟の率いる集団が狙っているのだ。ストーリーは、読者を惹きつける場面状況をいくつも重ねながら進展するので、なかなか巧みな構成になっている。

 この歴史小説の興味深いところ、特徴はいくつかある。
1. 当時の朝鮮王朝の実態がかなり綿密に描き込まれている点である。それも朝鮮の官吏、朝鮮の武人、一般庶民、李舜臣自身の視点で書き込まれていることにより、当時の状況のリアル感が加わる。当時の朝鮮の歴史的現実を当事者視点から眺めることができる。
2. 文禄の役で一躍名を馳せた李舜臣将軍がその後なぜ、かつどのような境遇に置かれ、さらに慶長の役でわずかになった朝鮮水軍の船数で海戦を指揮する立場に戻ったのかという経緯がよくわかる。李舜臣という人物を等身大で捉えることができる点が読みどころである。
3. 慶長の役に加わった諸大名の考えと立ち位置、その行動が日本軍として一枚岩ではなく、己の功名を狙う大名の集合体であり、文禄の役の怨念に突き動かされていたという状況が描き出される。自己視点だけでの復讐戦という動きが、当時の状況だと感じさせる。4. メインストーリーとなる李舜臣将軍暗殺行動の顛末は、この小説の読ませどころとなる。当時の状況として、暗殺という謀計が事実進行していたのかもしれない。
しかし、ここで著者はその部分をフィクションとして創作していることを明瞭にするためであろうか、伝奇的手法として、暗殺に関わる攻防の両者に異能者たちを登場させていく。それ故に、このメインストーリー部分がエンターテインメント的に読めるともいえる。
 藤堂高虎が暗殺者として送り込むのが、配下の忍び4人とそれを支援する戦士団。
  盾津銃一郎・影近右京・猫目天善・綾月六郎太の4人の忍びは異能集団
 小西行長が李舜臣防衛のために送り込むのもまた行長が能力を評価する3人の忍び
  忍羽部翔一郎・白鳥真備・御厨砂門
この異能者たちの存在をさらにおもしろくしているのは、忍羽部翔一郎・白鳥真備と盾津銃一郎・影近右京がかつて、「セミナリオ」で共に生活し、神父たちを護る集団として殺しの技術・技能を修得していたという設定にある。お互いが異能者として秘める能力について知り合っている者が、敵味方として対決する立場になる。この設定が興味深い。他にもこの異能者について、興味深い設定が加えられている。それは本書を開いて楽しんでいただくとよいだろう。
5. 李舜臣が最後の一発勝負となる海戦について、地の利を活かした李舜臣の勝利の海戦過程が描かれている。だがそれに至る紆余曲折を具体的に描いている。海戦そのものよりも、それに至るプロセスが当時の朝鮮側の実態を知るという点で興味深い。勿論、ストーリー的には、やはり最後の海戦を描く部分が読ませどころになっている。地の利を熟知した李舜臣の戦略が当たったと言えよう。

 いずれにしても、秀吉の命令で始まった朝鮮侵攻の実態と、朝鮮側の当時の状況を理解するのに役立つフィクションである。

 ご一読ありがとうございます。


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

本書からの関心の波紋としてネット検索した事項を一覧にしておきたい。
李舜臣 :ウィキペディア
李舜臣 :「コトバンク」
亀甲船 :ウィキペディア
23.亀甲船  :「兵器の散歩」
韓国人「日本水軍330隻をたった13隻で撃退した韓国の偉大な亀甲船が大赤字で大変な事に‥」  :「世界の憂鬱 海外:韓国の反応」
亀甲船←世界海軍史上7大軍艦に選ばれた。絶対ウソ!  :「きゅうじのブログ(はてな版)
小西行長  :ウィキペディア
朝鮮出兵  :「小西行長の部屋」
朝鮮出兵で秀吉にウソをついてまで交渉を進めた小西行長が出世できたワケ:「武将ジャパン」
「卑劣」イメージの見直し進む キリシタン大名小西行長 :「朝日新聞デジタル」
藤堂高虎  :「コトバンク」
斬り込み隊長・築城名人~藤堂高虎の転身  :「今日は何の日?徒然日記」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
『秘伝・日本史解読術』 新潮社

『墨龍賦』 葉室 麟  PHP

2018-03-11 10:27:16 | レビュー
 2017年4月、京都国立博物館開館120年記念特別展覧会「海北友松」が開催された。
 本書は同年2月に単行本として第1版第1刷が発行されている。振り返ってみると、奇しくも同じ年に本書が先行して出版されていた。この単行本の表紙には、京都の建仁寺蔵の「雲龍図」の部分図が使われている。
 
 こちらに引用しご紹介するのは5月中旬に「海北友松」展を鑑賞した折に平成知新館前に置かれていた箱型の大きな展覧会への誘いの掲示板である。
 鑑賞後に購入した図録を見ると、これらの双龍は、建仁寺大方丈の南東側にある「札之間」の北側と西側の襖に描かれた水墨画である。展覧会では海北友松筆の別の雲龍図の展示も併せて鑑賞できた。しかし、やはりこの建仁寺蔵の「雲龍図」は代表作にふさわしくその迫力は秀逸だと感じた。

 この歴史小説は海北友松の生涯を描いている。そして、全体構成の二重構造がおもしろい。京都に住む絵師小谷忠左衛門という名前が「序」の冒頭に登場する。まず、私の第一印象は、この本は海北友松を書いている筈なのに、小谷某って誰? だった。不敏にして私はこの名前自体の記憶がなかった。
 名も無い絵師として、35歳まで京で過ごしていた小谷忠左衛門が、二代将軍秀忠の没後、間もない頃に京都所司代に呼びだされ、春日局の召し出しということで、急遽江戸に赴く。そして春日局に対面する。忠左衛門は、春日局から海北友松のことを語り聞かせられるという導入になっている。
 そして、この巻末は、春日局の話を聞き終えた忠左衛門のその後を簡潔に記して擱筆している。忠左衛門は、春日局により徳川家光への推挙を得て、江戸に屋敷を与えられ海北家を再興し、友雪の号を用いるようになったという。海北友雪と言われれば、少しはわかったのに・・・・というところ。
 2009年京博で「妙心寺」展が開催された。手許にある図録を見ると友雪筆「雲龍図」が展示されていたことを再認識した。妙心寺には海北友松の作品も蔵されている。もっと身近には、祇園祭の宵山で「八幡山」を訪れる度に海北友雪筆「祇園会後祭山鉾巡行図」(六曲半双)の屏風絵を見ていることでこの絵師への親近感がある。
 拙ブログ記事でこの屏風絵を少しご紹介しています。こちらからご覧いただけるとうれしいです。( 観照 [再録] 祇園祭 Y2014・後祭 宵山 -6 八幡山 )

 回り道をするような描き方をしたのは、この歴史小説と大きく関わるように思うからでもある。
 本書の印象は、まず第一に海北友松の伝記小説であるとともに、安国寺恵瓊の生き様を併せて描き、友松と恵瓊の関係を一つの軸に描き挙げていると感じる点にある。同時期に、友松と恵瓊は東福寺に属し僧として修行の身だったという。この両者の関係を私は初めて知った。そして、本書で言えば最後のステージになるが、安国寺恵瓊が慶長年間に建仁寺の復興に乗りだしていたという。そこに友松が訪れ、建仁寺の襖絵や障壁画を描かせて欲しいと頼んだことが契機になり、恵瓊が快諾したとする。その結果、建仁寺に友松の作品が現存する契機になったようだ。
 方丈を飾る絵の内の一つとして、完成した「雲龍図」を数ヶ月後に恵瓊が見て瞠目したシーンを著者はエピソード風に描き込む。
(恵瓊)「まことに見事じゃ、しかし、何とのう、懐かしく思えるのはなぜであろうか」
(友松)「それはかつて恵瓊殿が会われたことがあるからであろう」
  ・・・・・ 略 ・・・・・
(友松)「この絵には武人の魂を込めました。されば、恵瓊殿がこれまでに会った武人たちを思い出されたのではございませんか。たとえば、山中鹿之助殿、清水宗治殿などでございましょう」
 友松のこの説明に対し、恵瓊はこの絵の双龍に込めた武人の魂とは、明智光秀と斎藤内蔵助であろうと尋ねる。著者はこのシーンを次のやり取りで締めくくる。
「いかんと言っても、もはや描いてしまったものは、いかんともしがたいでしょう」
恵瓊はおかしげに笑った。友松はうなずいた。
「わたしは、絵とはひとの魂を込めるものであると思い至りました。この世は力ある者が勝ちますが、たとえどれほどの力があろうとも、ひとの魂を変えることはできません。絵に魂を込めるなら、力ある者が亡びた後も魂は生き続けます。たとえ、どのような大きな力でも変えることができなかった魂を、後の世のひとは見ることになりましょう」(p260)
 この双龍の解釈に友松の言として著者の思いも込められていると受け止めた。片方だけで無く、双龍を眺めることそのものに一つの意味があるかも知れない。そんな気がしたので、上掲の画像を加えてみた。
 著者はこの歴史小説で、東福寺の僧海北友松が生き方の選択に対し内心で葛藤するプロセスを描き込んで行く。そして行きつく先として友松は絵師となる生き方を選択したと。「絵とはひとの魂を込めるものであると思い至りました」と友松に語らせる。そこまでのプロセスを描き出すことがこの歴史小説の一つのテーマなのだと思う。葛藤と苦悩の先に見出した自己存在の発露としての孤高の画境である。
 絵師となる決意を友松がするまでの内心の葛藤の一面に、絵とは何かという問いがある。この側面を著者は友松と狩野派との関わりという形で描き込む。友松は兄に言い渡されて、仏門に入る。東福寺で修行することになる。ここで友松が描いた絵を見た狩野永仙(元信)が、東福寺の住持に友松の絵師としての素質を発見し、絵を学ばせるよう頼む。それで、友松は元信の弟子となる。時折東福寺を訪れる幕府御用絵師・狩野元信に見込まれた友松は絵に精進していく。しかし、友松の描いた龍図を元信は見て、狩野派がある限り、絵師にはさせんと断言する。その後、元信から永徳が狩野派を継承すると、永徳もまた友松の絵を見にくる。そこから、永徳と友松の関係が始まって行く。この二人の絵に対する考え方と技量について、両者の対立、葛藤、協働、並びに一方で互いに認め合う局面というプロセスを織り交ぜながら、やはり異なる道を歩む二人の存在を描くことを通して、著者は友松の画境に迫る。興味深いアプローチである。還俗してから絵師の道に入った友松は、かなりの期間永徳の許で、狩野派の下絵を描く絵師としての生活を続けていたということをこの歴史小説から知った。友松が独立した絵師として頭角を現すのは60代からのようである。

 海北友松は己の視点を通して、彼の生きた戦国時代の様々な人々の生き様を見つめる。織田信長、豊臣秀吉、毛利一族などではなく、明智光秀と斎藤内蔵助に武士の姿、魂を見出して行くことになる。それは絵師として生きる選択をする友松の前段となるプロセスに重なる。この側面の経緯を描くというのがこの歴史小説でもう一つのテーマになっていると思う。それらは友松が絵を学ぶために取る行動プロセスと裏・表の関係となって結びついている。恵瓊が関わりを持ったいくつかの戦の背景部分・裏話を、恵瓊と友松の関わりを通して描かれて行くところが興味深い。なぜなら、恵瓊は友松にスパイまがいの役割をくり返し頼むという場面が組み込まれて行くのだから。また、その依頼に友松がどのように対応したかが読ませどころにもなっていく。

 この小説が二重構造になっていると述べた。それは春日局の行為に表象されているように思う。徳川家光の乳母であるお福が、春日局として大奥で権勢を持つ存在になっていったという知識はあったが、お福が斎藤内蔵助利三の子だったということを、この小説の説明で初めて知った。
 この小説では、斎藤内蔵助が本能寺の変後に捕まり処刑された事実を記した後、友松が茶の湯の友である真如堂の住職、東陽坊長盛の許を訪れた折りに、長盛の示唆を受け、斎藤内蔵助の遺骸を処刑場から奪取しに出かけ、寺に葬るという行動を描く。春日局は後に、友松の子に対し、この時の恩義に報いるという構図になっている。

 上記図録の巻末に友松関連事項を記した「年表」が載っている。これを読むと、友松59歳までの年表部分に直接友松関連での史実として記されていることはごくわずかである。 天文2年(1533)に友松が海北全右衛門尉綱親の子として生まれたこと。3歳の折に、父が多賀城での戦で討ち死にした事が契機で、友松が東福寺に喝食として入った可能性。天正元年(1573)友松41歳、織田信長が浅井家を滅ぼした時に、友松の兄が討ち死にしたこと。天正10年、友松50歳のとき、粟田口で磔となった斎藤利三の遺骸を奪い、真如堂に葬ったという伝承があること。これだけである。そして、友松27歳時点で狩野元信が没し、58歳時点で永徳が没したという史実。永徳の死により友松が狩野派を離れた可能性。これが付記されている。

 つまり、この歴史小説は、友松自身についての史実が少ない期間を主に扱い、その戦国の世の中で東福寺の僧としての生活から還俗して絵師としての生活に転換して行った友松を描き出す。フィクションを加えた著者の想像力が生き生きと羽ばたいている。
 東福寺に入り、そこで武術を鍛錬しつつ、いつしか還俗し武士としての生き様をのぞみつつ、一方で絵の道に精進し、絵とは何かを追究するという2つの生き方の間での葛藤を続けた姿がそこにはある。武術で鍛錬した力が、騒ぎに巻き込まれた場面に友松が介入することで斎藤内蔵助との面識ができ、明智光秀と出会う。一方、恵瓊との出会いが中国地方での戦と友松の接点を生み出していく。それが、雪舟の絵を友松が見聞する機会にも繋がる。東福寺の僧となっていた天雲と恵瓊を介して出会う。その天雲は還俗し、尼子勝久として尼子の再興を目指す。天雲との出会いが、友松を山中鹿之助と面識を持つことへと繋がって行く。石田三成の一行に加わり九州への見聞を拡げることや、独立した絵師として活躍を始めた友松の晩年に、宮本武蔵が絵を学ぶためにしばし逗留したというエピソードまで書き込まれている。そして友松はその逗留の反面の意図を見極めていたとまで記しているから楽しい。
 友松の生涯という伝記小説から、安国寺恵瓊という人物に波紋が広がっていく。
 著者・葉室麟が生きていれば、ひょっとしたら、安国寺恵瓊を直接扱い、別のフェーズでその生き様をストーリー化する構想を持っていたのではないかと思いたくなる。

 海北友松筆の「雲龍図」、やはり惹きつけられる。

 ご一読ありがとうございます。


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

本書からの関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
東福寺 ホームページ
建仁寺 ホームページ
建仁寺方丈障壁画 雲龍図襖 海北友松  :「Canon 綴TSUZURI」
海北友松  :ウィキペディア
海北友松  :コトバンク
海北友松  禅宗祖師・散聖図  :「静岡県立美術館」
「海北友松」代表作  :「Art & Bell by Tora」 
開館120周年記念特別展覧会 海北友松 :「Internet Museum」
海北友松展  :「THE SALON OF VERTIGO」
安国寺恵瓊  :ウィキペディア
安国寺恵瓊  :「コトバンク」
安国寺恵瓊  :「年表でみる戦国時代」
毛利家の外交僧安国寺恵瓊はなぜ関ケ原敗戦で斬首されたか? :「歴史好きのつぶやき」
広島・安国寺恵瓊で知られる安芸安国寺(不動院)と二葉の里、歴史の散歩道を巡る旅
  :「ニホンタビ」
尼子勝久  :ウィキペディア
尼子勝久  :「コトバンク」
尼子勝久  :「年表でみる戦国時代」
春日局  :「コトバンク」
春日局(齋藤福)~江戸城大奥での栄華を極める :「戦国武将列伝Ω」
海北友雪  :ウィキペディア
海北友雪  :「コトバンク」
源平合戦図屏風 海北友雪  :「東京富士美術館」
八幡山の屏風 海北友雪 祇園会後祭山鉾巡行図屏風  :「八幡山」
第3章「徒然草を読む」 海北友雪《徒然草絵巻》 サントリー美術館 徒然草 美術で楽しむ古典文学  :YouTube

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26

『越前宰相 秀康』 梓澤 要  文藝春秋

2018-03-05 10:28:25 | レビュー
 徳川家康の次男として生まれながら、豊臣秀吉の養子にされ、秀吉から秀康という名を授けられる。その後更に結城家の養子という境遇に投げ込まれる。そして最後は越前の国主となるが、諸大名と同様に家康の命令の下、城普請などの作事課題に忙殺される憂き目に遭う。母は違うが二代将軍となる弟の徳川秀忠とは対照的で数奇な人生を歩むことになった結城秀康という武将の生涯を扱った歴史小説である。

 梓澤要の作品を順次読み継いで行きたいと思っている。
 2017年11月に高野山日帰りツアーに参加し、奧の院への参道を歩む途中で、「結城秀康(家康の次男)石廟 重要文化財」という標識が出ている極めて印象的な石廟(霊屋)を眺めることになり、「秀康」という名前が記憶に残っていた。そのためか『秀康』という標題に惹かれて読み進める作品の優先順位が上がったという次第。

 序章の見出しは「高野の石廟」である。正にこの石廟に関わる外観の描写だけでなく、一歩踏み込み廟内の描写をするところから始まる。このスタートが、私には一層惹きつけるトリガーになった。この序章は布石となり、ストーリーの展開とも密接に結びついていく。そして、巻末は再び石廟にストーリーの記述に帰着する。

余談から始めたい。
 

これがその時に撮った石廟の全景である。一の橋から御廟までの参道の両側には様々な人々の苔蒸した墓や供養塔が驚嘆すべき数の林立となっている。その姿に私はまず圧倒された。著者は導入部で「中でも、ひときわ目を引く石造りの霊廟がある。御廟の橋の百メートルほど、手前、参道から一段高く石段を積んだ上。山内、唯一の石廟で、二棟が寄り添うように並んでいる」(p7)という記述からこれらの石廟の細部に目を向けていく。





向かって右側の石廟が秀康の石廟(霊屋)である。前面の石鳥居には「浄光院」と刻された石製扁額が掛かっている。この浄光院殿という院号については、この小説の最後に触れられている。そこには秀康の人生最後の経緯が語られている。高野山でこの写真を撮った時は、全く知識が無かった。




左側に見える石廟がこちら。石鳥居には「長勝院」と刻され苔蒸した扁額が掛かっている。こちらは、秀康の生母お万の石廟。お万は小督の局とも呼ばれた徳川家康の側室である。この小説は、秀康と併せて、秀康を見守った母・お万の人生をも描き込んで行く。
 秀康は慶長12年閏4月8日、34歳で病没する。秀康が亡くなると母お万は落髪し泰清院と号し、秀康の死から13年後、元和5年12月6日に没する。法名が長勝院。享年73とも72とも言われている。
 秀康の石廟は、秀康の嫡男・松平忠直が秀康の一周忌を前にして、お万の勧めにより霊廟を建立したものという。一方、左側の石廟には、「逆修塔」の建立という言葉が使われ、「慶長9年冬、秀康が母のために建てていたものである」(p375)と記す。序章では刻銘文が記されている。その建前の裏には、もう一つの意図が重ねられている。

 高野山ツアーでは、これら石廟の外観を参道から拝見しただけである。この小説では序章の末尾に、長勝院の石廟の中に三基の石塔が安置されていると一歩踏み込んだ描写がある。三基の内、中央は長勝院、左側の法篋印塔が俗名氷見太郎兵衛だという。そして、廟内に、自身の位牌とともに、本多作左衛門重次、永見右衛門貞武、家康の正室築山殿という三基の位牌を納めたと記す。

 俗名永見太郎兵衛について、著者は「お万が生んだもう一人の息子。秀康の双子の弟である。こちらの石廟は、実は、彼のために造られた廟なのだ」(p8)と序章に述べる。著者は秀康の人生を描いて行く上で、双子説を前提にストーリーを展開していく。

 お万が家康と関わりを持つのは、家康の母であり、お万には叔母にあたるお大の方に請われて、築山殿の許に仕えるということが始まりとなる。そこには、お大の方のもくろみがあった。お万がその意図にどう対応したかに、お万の生き様の片鱗が見え始める。
 お万という名称を記してきたが、この時点では元の名前は菊と称した。岡崎城に上がるとき、女房名を故満と付けられたのだが、幼少の竹千代(のちの信康)に初めて対面したときに「おこちゃ」と聞き間違えられて、竹千代の宣言した「おこちゃ」が通称になる
 お故満は19歳の折、智鯉鮒の実家に戻り、伊勢の村田家の清太郎の許に嫁ぐ。だが菊は身ごもった子を死産にし、労咳となった夫も菊22歳の晩秋に没する。義父は神職を辞し、清太郎の弟作次郎を連れて大坂に移転していく。菊は離縁される形をとるが、その後村田家との関わりは、幾度かの重要な転機を迎える折に深まっていく。この緊密な縁の関わりは、一つの読ませどころでもある。
 菊は一旦智鯉鮒の実家に戻る。失意と病気を克服後に、26歳で再び家康の許に仕える身となる。この時、菊を迎えに来るのが本多作左衛門である。彼は竹千代の宣言したおこちゃという名を好んで使う。菊は西遠江の引馬の城に出仕するが、このときからお万と呼ばれることになる。
 お万が築山殿の位牌を石廟に納めた意図は、お万が家康の側室となった以降にお万が頼まれて築山殿に認めた書状が悪用されたという経緯にあるとする。お万が知らされることなく導引を作った行為への尽きせぬ悔恨が関わっている。そこには、お万の正室築山殿に対する深い思いが横たわっている。

 当時、双子の妊娠は畜生腹と呼ばれ、忌み嫌われ、災いをもたらすと信じられていたという。家康の側室となったお万が身ごもった後、腹の子が双子だと実感した段階で、双子を無事出産し己の手で育てるという選択をする。そして、大胆にも引馬の城を出奔する挙に出る。出奔後に本多作左衛門はそれを助ける役割を担っていくことになる。
 生まれた双子の内一人は元気な男子、もう一人も無事産まれるがひ弱でかつ足に障害を持つ子だった。双子の内、一人は死産と本多作左衞門が家康に報告する。ここから双子の運命が岐路に立って行く。作左右衞門は元気に生まれた子の方の傅役という立場で関わりを深めていく。
 本書の表紙上部には、鯰を小さくしたようなギギという魚が描かれている。これは、城に戻っていた元気な赤子を信康が見に立ち寄ったときに、赤子の顔を見てギギに似ていると言い、於義伊という仮の名前を与えたのだ。それを踏まえたカバーデザインなのだろう。家康は赤子の名前すら付けようとはしなかったらしい。こんなところから、後の秀康の人生がスタートする。
 一方、ひ弱な弟の方は、お万の兄、氷見貞親が密かに引き取り、育てると約束する。武士を捨て、智鯉鮒神社の神職に専念して神社の再興に邁進する兄の許で、ゆくゆくは神職の道を歩ませるつもりという。
 この双子のそれぞれの人生がどう別れ、一方どういう関わり方が生まれていくか、そこがこのストーリーの一つのテーマにもなっている。
 二人の別れと出会い。そして、出会いの後に来る別れと双子としての存在より生まれる相互感応の世界。兄と弟がその立場が生の瞬間に入れ替わっていたら・・・という思い。
 
 勢力関係という政治の道具、駒として動かされる半生の中で、秀康が己の存在の意義を問いかける。父家康が秀康という存在をどう思っているのか、その父と子の関係性に煩悶する秀康の姿が、逆に家康の政治的駆け引きや存在を浮彫にしていく。秀康を描く反面には家康の思考と生き様が現出する。著者は秀康を通して、家康という存在をも描いている。勿論、秀吉の一面を描き出す事にもなっている。さらには、秀康が転変と動かされ、投げ込まれていく境遇が、その戦国の世の動きとどう関わっていたかが見えて来る。戦国の世の戦の動きが必然的な背景としてダイナミックに織り込まれていく。戦国通史を語ることになっている側面も興味深い。

 一方で、この秀康の生き様を母・お万が如何に見守り、支えていったかという視点が重要なテーマとして織り込まれている。この秀康の生涯を語るストーリーは、母お万の人生を語るストーリーでもある。今川の傘下にあり、智鯉鮒城城主永見貞英を父として生まれ、代々智鯉鮒神社の神主でもあった家系の女が、信長軍の攻撃による落城。永見一族の落魄によって辿った運命の変転が何を生み出したのか。その中で、お万はどう生きようとしたのか。それが秀康・お万という、もう一つのコインの両面関係として描き込まれていく。お万の生き様の強さと苦悩がテーマの一つとなっているように思う。

 読み応えのある歴史小説になっている。歴史にもし・・・・は意味がない。しかし、もし家康が秀忠ではなく次男の秀康を二代将軍に指名していたら、どうなっていただろうか? そんなロマンを想像したくなる。秀康、享年34歳だったという。惜しい武将の早逝である。
 
 ご一読ありがとうございます。


本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

本書を読み、関連事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
結城秀康  :「コトバンク」
結城秀康  :ウィキペディア
結城秀康とは~文武両道の福井城主も若すぎる死を遂げる :「戦国武将列伝Ω」
官位相当表  :「集会室」
官位一覧表
宰相  :「コトバンク」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

本・書籍ランキング
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『光の王国 秀衡と西行』  文藝春秋
『正倉院の秘宝』  廣済堂出版
『捨ててこそ空也』 新潮社
『荒仏師 運慶』 新潮社
『百枚の定家』 新人物往来社