遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『漏洩 素行調査官』  笹本稜平  光文社文庫

2020-12-31 11:46:34 | レビュー
 素行調査官シリーズの第3弾である。「小説宝石」(2011年4月号~2012年2月号)に連載された後、2012年5月に単行本として出版され、2015年1月に文庫本化されている。

 素行調査官という官職名はない。警視庁の中に設けられた警務部人事一課監察係をここではさしている。警察官の不祥事や素行不良を取り締まるのが仕事である。「そもそも警察の自己防衛のための機関であって、組織に実害が及ぶとなれば、臭いものに蓋をする行動に出ても不思議はない」(p21)という機能とみなされている。「警察の中の警察」であり、一般の警察官はあたかもゲシュタポのごとくに受けとめ、毛嫌いするという部署である。だが、首席監察官となった入江透は警察組織内の不正を断固断ち切り、組織の浄化を目指そうとする。現状の監察チームの実態を嘆き、密かに特別チームを結成した。
 その為に、高校時代のクラスメートで元私立探偵だった本郷を特別捜査官の採用枠で招き入れ、入江の方針と姿勢に傾倒する北本とのわずか3人の少数精鋭で、不祥事の撲滅・警察組織の浄化に果敢にチャレンジしていく。

 さて、このストーリーは戸田光利が沢井昭敏に電話を掛けたシーンから始まる。沢井は警視庁刑事部捜査二課企業犯捜査第二係に所属する。戸田は一週間前まで沢井の直属のボスだった。その戸田が捜査途中の事件から突然外され、刑事総務課付けの辞令を受けた。そして、地域課への異動を告げられたことで辞職したと沢井に連絡したのだ。辞表を出すと慰留されることもなかったと言う。
 異動の辞令が出たとき、戸田が捜査していたのは、大手ソフトウェア会社、レキシスの株をある仕手グループが大量に空売りし、底値で買い戻したという事象であった。そこにはインサイダー取引事件の疑いがあったのだ。沢井たちとは別の班がレキシスの財務担当取締役による巨額の横領事件を摘発するに先立って、仕手グループが空売りをし、横領事実発覚により株価が暴落。底値で仕手グループが株を買い戻していた。証券取引等監視委員会から警視庁にインサイダー取引の疑いがあるとの通報があった。もし警察サイドから捜査情報が流出していたのなら、大不祥事となる。
 監察係が捜査二課全員の事情聴取を行った。沢井は本郷から事情聴取を受けた。だが、沢井は本郷の態度に好印象を持った。この時の事情聴取では警察内部からの情報漏洩はなく、仕手筋と付き合いのある捜査員もいないという結果がでた。その後に戸田はこの仕手集団が絡んだインサイダー取引事件の捜査に取り組んでいた。株の売買をやったのはバハマの投資ファンドであるが、空売りを仕掛けたのは有名な相場師の矢島輝樹という強い感触が出ていた。だが捜査は難航していた。
 戸田が捜査二課から外された翌日、滝井が後任の係長となり、捜査の難航を理由に早々にこの事案を終了させる方針を打ち出した。沢井は滝井係長の行動に納得がいかない。沢井は警察組織の動きに疑念を抱き始める。母子家庭で育った沢井は、戸田を父の如くに慕うとともに、戸田の捜査姿勢を尊敬していた。その沢井はその後二係が扱う事件からは蚊帳の外に置かれ、さらに自宅待機を滝井係長から指示される立場に追い込まれていく。一方、沢井は己を監視する者の存在に気づく。監視していた男は、監察の北本と名乗りすらした。それで、なぜ自分が監視されなければならないのか、その理由を探求し立ち向かって行く。

 一方、入江は捜査二課に対する捜査は、徹底捜査という名目を得たいためのものにしか過ぎなかったのではないかと疑念を抱く。また、滝井係長が早々と幕引きしたことにも意味ありげな感触を抱く。そんな矢先に、高桑興産というマンションデベロッパーの株がストップ安を付け、仕手筋の仕掛けではないかという話が出てくる。入江は密かに調べ、生安の生活環境課が、産廃の不法投棄容疑で内偵を進めているという情報を得た。入江の同期がその課の課長だという。その事案に高桑興産が絡んでいるという。
 入江はこれら2事案の類似性から警察組織内の上層部にも及ぶ犯罪事実の種が蒔かれているのではないかと疑い始める。3人の特別チームが始動する。

 戸田から辞表提出の電話を受信した沢井は、戸田の自宅を訪ねていく。監視されたことや相手が北本と名乗った事などを沢井は戸田に語った。戸田は沢井に矢島の事務所や自宅との交信をさせたことに原因があるかもしれないと語った。そして、沢井に落とし穴に落ちないように気をつけよと助言する。
 沢井が訪れた夜、戸田は自室で何か調べ物をし、ノートに記録する作業をしたようだ。だがその後突然くも膜下出血を発症し倒れてしまい、ICU(集中治療室)で治療を受ける身になってしまう。
 
 入江はレキシスに対するインサイダー取引疑惑の捜査を打ち切らせた黒幕は、警察庁にいそうだという感触を掴んでくる。そしてレキシスの梅島社長と長官官房の守屋審議官が大学の同期で昵懇の間柄だということも。さらに、過去にも警察の摘発とリンクして仕手筋による空売りが行われた形跡があること、バハマの投資ファンドを運営してるのが矢島だということは業界関係者の間では常識のようだという情報も入手してくる。
 本郷と北本が具体的に調査をする糸口が出て来たことになる。そこから疑惑の人脈連鎖が浮かびあがり、波紋が広がって行く。
 相場師矢島輝樹は、かつて本郷が勤めていた私立探偵事務所の所長・土居敏彦が巨額の投資資金を騙し取られるという失敗をさせた相手だった。その矢島が俎上にでてきたことで、土居とその娘沙緒里は本郷たちに積極的に協力することになる。

 既に退職し、今はICUで治療を受けている戸田に対し、生安の生活経済課が情報漏洩の嫌疑を戸田に向け、家宅捜査を強行するという挙に出た。沢井は、戸田夫人から戸田が倒れる前に、古い手帳から大学ノートに何か抜き書きしていたということを聞く。そのノートの行方は不明のままだ。だがそこには重要な事実が抜き書きされていたようである。自宅待機となっている沢井は戸田に対する疑惑を払拭するべく行動を開始する。そして、本郷にコンタクトをとる。

 レキシスに関わるインサイダー取引事件が発端となり、次々に過去の事象に関連が見出される形で波紋が広がる一方、警視庁・警察庁内部に何らかの形でそれらの事象に関与していると推定できる人物達が浮かび上がっていく。
 入江・本郷・北本の特別チームに土居敏彦と娘の沙緒里が強力な協力者として加わり、さらに戸田への濡れ衣を払拭せんとする沢井が参画する。わずか総勢6人で、インサイダー取引に関わる不正の闇に蠢く一群の連中を明るみに引き出して行く。そこには事象の背景で己の利益を求めて暗躍し結びつく人間たちの関連構造が厳然と築かれていた。

 このストーリーの興味深い点がいくつかある。
1.素行調査官である本郷と北本が監察という立場での権限と手法を様々に使いながら、事案に取り組んで行く手続きプロセスが興味深いことがまず挙げられる。
 それに加えて、民間の私立探偵の視点を常に本郷が維持していて、警察という公権力を客観的に冷めた目でみている点がおもしろい。
2. 首席監察官の入江がキャリアの同期のネットワーク、東京大学の同期のネットワークを巧みに活用し、情報を収集するという個人技の部分がおもしろい。いわゆる人脈を良い意味でどう使いこなすかが描かれている。
 入江がキャリアの視点から、縦割り行政の実態を逆手に取る発想を持ち込み、己のネットワークと結びつけて打つ手を見出すところもおもしろいと思う。
3. 上記の1,2に関係するのだが、警視庁、警察庁での人事異動記録に着目するという観点が興味深い。誰が誰と繋がっているかという筋が時系列で昇進異動記録を分析すると、そこに人脈の繋がりが浮き上がり、読み取れるというおもしろさである。
4. 尊敬し慕う元上司の戸田にふりかかった疑惑と己にかけられる圧力を払拭せんと、果敢に警察組織に挑んでいく熱血漢・沢井のとる行動が読ませどころの一つになる。未だ下っ端刑事である沢井が知恵をしぼりどこまでのことができるのか。読者の関心を引きつけることだろう。
5. 戸田が抜き書きしたという大学ノートに記された内容とは何か? そのノートがどこにあるのか? それを発見できるのか? 最後の最後までこのノートが読者の興味を引きつける大きな要因になっていく。いわば、びっくり箱のようなものなのだから。

 ジグソーパズルのように、バラバラのピースが徐々に分散的に繋がり、まとまりのある部分集合が見つかる。そこから大きな連関が見え始めいくつかの仮説が成り立つ。それが適切な論理的推論に集約していく。まずピースをつなぎ部分集合を作る作業が、本郷・北本のペアの調査行動と沢井の単独行動から生まれてくる。沢井が本郷にコンタクトをとることで、部分集合間の連関が見え始める。そこに入江の情報がリンクし、土居親子のもたらす情報が繋がりを補強する。そういうプロセスが楽しめるストーリー展開である。
 読み応えがあるストーリー展開になっている。
 
 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『山岳捜査』  小学館
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『サンズイ』  光文社
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館

 

『虚像の道化師』  東野圭吾  文春文庫

2020-12-28 10:29:37 | レビュー
 ガリレオ先生シリーズの第7弾となる短編集であり、7編を文庫オリジナル編集して出版されたという。その内4編は「別冊文藝春秋」(第292号・第298号)、「オール讀物」(2011年4月号・7月号)にそれぞれ発表され、3編は書き下ろしである。尚、奥書によれば、『虚像の道化師』(2012年8月)、『禁断の魔術』(2012年10月)というタイトルで単行本化が先行している。単行本のタイトル毎の構成について奥書からは不詳。文庫本化で短編の組み合わせを編集したということなのだろう。総ページが475ページなのでボリュームとしては多いが、短編集なので読みやすさはある。章立ての形で編集されている。
 まずおもしろいのは、今回もタイトルの読ませ方である。そして、ミステリーの提示のしかたとその謎解きのストレートな展開にはスピード感があり、短編を一気に読ませ、読者を楽しませる。各章は全く独立した短編作品なので、章単位では何処からでも読み進めることができる。まあ、普通は章毎にシーケンシャルに読み進めるだろうが。
 それでは、どんな設定のミステリーであるかだけ、簡単にご紹介しておこう。

第1章 幻惑す まどわす
 宗教法人『クアイの会』の修行の様子について『週刊トライ』の女性記者・里山奈美がカメラマン同行で取材することの許可を得た。だが、記者が取材のために同席した場面は、教祖・連崎至光の下に10人の幹部が集り、会の運営について重大な問題が見つかったので、問題を引き起こしている幹部の心の浄化を行おうとする会だった。第五部長が魂の浄化を必要とされる対象者と連崎に名指しされた。連崎が魂の浄化だと言って始めた行動を、奈美は茶番劇だろうと冷めた目で見ていたのだが、その第5部長が目の前で5階の部屋の窓から飛び降りたのだ。その信者は病院に搬送されたが脳挫傷で死亡した。奈美はその取材の様子を記事にするとともに、後に連崎の送念の力を「浄めの間」で実体験して、この教団への信仰にのめり込んで行く。
 草薙は指示を受けて、これが自殺なのか殺しなのか、捜査に出向く。草薙は連崎に送念をやってほしいと依頼する。草薙は何も感じなかった。連崎は救いを求めていない人には通じないといなす。草薙は湯川にこの謎解きを持ちかける。奈美の実体験を聴取した湯川は、自身が奈美に同行し、その体験をしてみたいと行動に移る。連崎の送念のカラクリの解明に迫る。
 湯川は心理学の領域ではなく、物理学の領域で謎解きをする。ナルホドである。

第2章 透視す みとおす
 湯川は草薙に日頃の協力に対する接待だと言って銀座にある「ハープ」という店に連れて行かれる。そこで湯川はアイちゃんと呼ばれるホステスを紹介され、その場で彼女の透視を実体験させられる。そのアイちゃんこと、相本美香の遺体が荒川沿いの草むらで発見された。素手で扼殺されていた。鑑識は相本の足に付着していた煙草の銘柄を判明させる。
 草薙は「ハープ」での相本の常連さんのことや、相本の履歴などを捜査していく。客に対して相本が行った透視が重要な要因になっていた。事件の解明のためには透視のトリックを見破ることが必要となる。そこで、アイちゃんに透視された体験を持つ湯川の出番である。湯川は、草薙が得た相本の学生時代の関心事がモモンガの生態を知ることだったと聞き、そこから重要なヒントを得る。湯川の謎解きには説得力がある。

第3章 心聴る きこえる
 脇坂睦美は頭の中で羽虫が飛び回っているような耳鳴りに時折悩ませられる状態が続いていた。耳鼻科で診察を受けたが特に異常はないと診断された。一日のどこかで必ずと言っていいほど耳鳴りが聞こえる。休日の自宅では聞こえることがない。
 睦美の勤める事務機器メーカー「ペンマックス」の営業部長・早見達郎が自宅のマンションのベランダから飛び降りて亡くなった。早見には社内不倫の事実があり、広告部所属の相手の女性は自殺をしていた。早見のパソコンを分析すると2つのキーワードで頻繁に検索している事実が明らかになった。
 草薙は身体に不調を感じ病院へ受診に行く。そこでステッキを持ち暴れている男を取り押さえるが、ナイフで刺される羽目になる。その男・加山は幻聴に悩まされていたという。警察学校同期の北原の調べで加山が睦美と同じ会社だったことを知る。そこから草薙は早見の事件捜査の経緯を振り返り、捜査を進める中で見つけた『霊』と『声』という文字について考え直し始める。加山の幻聴供述が一連の事件・事象を解明するヒントとなっていく。その裏付けを理論的に解明し、事件解決に貢献するのがやはり湯川だった。
 この短編は草薙の同期である北原刑事のライバル意識とその変転をサブ・ストーリーとして織り込んでいるところがおもしろい。

第4章 曲球る まがる
 急病の同僚に代わり、乗り慣れない車で荷物の配送に携わった男が、ある地下駐車場に入ろうとして事故を起こすシーンから始まる。
 スポーツクラブのVIP会員の妻が、特別な駐車スペースに駐めた自分の車の傍で殺された。草薙と内海はその捜査に携わる。被害者は東京エンジェルスの柳沢投手の妻・妙子とわかる。事前に予約をしてあったエステティックが目的で地下駐車場の特別エリアに欧州車のセダンを駐めていたのだ。犯人は事件発生から5日目に逮捕された。
 柳沢投手は戦力外通告を受けた身だったが、現役を続行するつもりでトレーナーの宗田とともに練習を続けていた。宗田はバトミントンの専門誌に載っていた湯川の書いた研究記事に関心を抱いていた。その研究を柳沢の投球の練習に応用できないか宗田は発想していた。草薙の口利きで、柳沢は宗田とともに、湯川の研究室を訪れる。
 このストーリーの核心は、事件当日、妙子の車に残されていたプレゼント用の時計の謎解きを介して、柳沢妙子の事件当日の行動と思いを明らかにしていくことにある。一方で柳沢は、妻妙子に対する自身の思いを再認識し、遅まきながら妻の真意を知ることになる。
 冒頭の何気ない事故発生シーンがこのストーリーでどういう役割を演じているのか、それが一つの読ませどころになる。

第5章 念波る おくる
 午後11時過ぎに、童話作家である御厨春菜は同居する叔母の御厨籐子に若菜に連絡をとって欲しいと頼む。胸騒ぎがするというのだ。姉の若菜とは双子だった。
 籐子は午後11時15分に、若菜の夫・磯谷知宏の携帯電話とコンタクトが取れる。磯谷は部下の山下の同行で渋谷区松濤の自宅に戻り、頭部から血を流している若菜を発見した。 強盗殺人未遂事件として捜査本部が開設される。
 春菜は男の恐ろしい顔が一瞬頭に浮かび胸騒ぎがしたという。テレパシーという現象の有無がこの事件の背景となる。湯川は草薙に事件に関与するように引きこまれてしまう。そして、春菜の「繋がっている」という言葉に反応し、湯川は御厨の検査をしたいという。医学部の生理学研究室の教授の協力を得て大仕掛けな検査をする形になっていく。この検査には、関係者全員の写真が必要だと湯川が言う。一方で、湯川はもう一つの作戦を密かに進行させて行く。 
 このストーリーのオチがおもしろい。平凡さが意外性に転換しているプロセスを楽しめるストーリーと言えようか。

第6章 偽装う よそおう
 バトミントン部の同期で、今はある町の町長になっている谷内が地元のリゾートホテルで結婚式を行う。その結婚式に招かれて草薙と湯川が出かけることに。道中、草薙は高速道路でタイヤのパンクに気づく。雨が降り始めた中でのタイヤ交換作業。、通りかかった赤いアウディAIに乗る女性から湯川が傘を得て、草薙はずぶ濡れにならずに済んだ。その女性が後に事件に関係してくることになる。
 結婚式が終わり、二次会に移る前に、大雨のせいで土砂崩れが起こっていることが伝えられ、一方で臨席していた警察署長の熊倉に殺人事件発生の連絡が入った。ホテルに近い別荘地にある別荘の一つで事件が起こっていた。先に到着していた両親が殺されていたと夜に別荘に行った娘が通報して来たという。
 道路が通行不能になっている状況下でもあり、熊倉署長が草薙に事件捜査への協力を依頼する。草薙は現状況から協力せざるを得なくなる。成り行きから湯川も後に手伝う羽目に。
 現場に着き、草薙は現場検証をする。使用された散弾銃が庭に放置されていた。草薙は通報してきた娘に会って事情聴取を行う。桂木多英と名乗る女性はアウディAIを運転していた女性だった。多英の父は、ペンネームを竹脇桂という有名な作詞家だった。父は元弟子で今は音楽プロデユーサーをしている鳥飼修二を抗議をするために呼び出すと言い出していたという。歌詞の盗作問題が関係していたらしい。
 
 草薙が撮ってきた現場の写真に湯川は何かに気づく。そして草薙の同行で現場の状況を確認し、その状況分析から湯川は論理的な推論を重ねていく。
 そして、傘の御礼だと言い、湯川の推論した結論を多英に明確に伝えるという行動を選択する。だが、その後で意外な事件処理方法を湯川が語る。このアプローチが実に興味深い。湯川のこのスタンスは『真夏の方程式』の延長線上にあると思う。

第7章 演技る えんじる
 元倉庫を改装した稽古場で神原敦子が駒井良介の胸に深々をナイフを突き刺した。そして駒井の携帯電話の登録番号リストの一部削除という細工を加えるという場面からストーリーが始まる。
 敦子は午後9時ちょうどに喫茶店で安部由美子と待ち合わせる約束していた。この席でも駒井から安部に電話が掛かる細工をする。連絡がとれない状況を作り出した上で、敦子は口実を設けて稽古場に二人で出かけるように仕向けた。稽古場で駒井の遺体を発見。そばに携帯電話が落ちていると気づかせる演技をする。死体の脇の携帯をすり替えた上で、敦子は自分の携帯で警察に通報した。
 草薙、内海が加わった初動捜査が始まって行く。稽古場は劇団『青狐』が使っていた。草薙は壁に並ぶオーディオ機器のすぐ前に脚立が立てられていることが気になった。
 今度の芝居では、小道具としてナイフを使う場面があり、迫力が出ると本物のナイフが用意されていたと敦子は証言した。
 駒井の携帯電話の発信履歴が捜査の対象になる。駒井の女性関係を明らかにすることから始まった。さらに電話にトリックが仕掛けられていないかという疑問も浮かび上がってくる。また、日付と時刻が印字された3枚の花火の写真が残されていて、それらがどこで撮影されたものかが重要になっていく。
 湯川は『青狐』のファンクラブ会員だった。敦子が行きつけのバーに約束通り湯川が現れ、そこで敦子の用件を聞く。それがきっかけで朝刊の報道などで情報を得ていた湯川はこの事件に関わって行くことになる。
 実にトリッキーなストーリー展開となる短編である。敦子は殺人犯なのか?
 この短編の最後に「虚像を追い求める人生もあるということだ」という発言が出てくる。この発言の意味は深い。
 
 本書のタイトル「虚像の道化師」はこの湯川の発した言葉に由来するようである。
 
 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『真夏の方程式』  文春文庫
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社

『暗約領域 新宿鮫 ⅩⅠ』  大沢在昌  光文社

2020-12-18 22:24:38 | レビュー
 新宿鮫シリーズの第11弾が久々に出た。といっても、単行本化されたのが2019年11月。「小説宝石」の2018年4月号~2019年10月号に連載された後、加筆修正し出版されたのではや1年が経過した。第10弾『絆回廊』が2011年6月に単行本化だったので、久々にシリーズの続きが出たと言える。この作品、本文が707ページという長編である。これだけのボリュームがあるとさすがに読み応えがある。だが一気読みをしてしまった。

 浦田という密売人が新宿鮫こと鮫島刑事にしゃぶの小分けについて密告してきた。栄勇会を破門になった阿曽が北新宿4丁目にあるKSJマンションの3階・302号室を使い、1週間か10日に一度はそこで小分けをしているというのだ。
 鮫島は現地を下調べして、向かいのメゾンクレストに監視拠点として適切な部屋を確保し、上司に報告の上で許可を得た。鑑識の薮に協力を依頼し、監視カメラの設置を行った。鮫島が監視拠点の準備を進めているとき、新宿署の生安に本庁警務部管理官から新しい課長として、女性ノンキャリアのいわば星と目される阿坂景子という人が異動してくるということを鮫島は署長から知らされた。この人選には上層部の強い意思が働いていて、新宿署の署長・副署長は、この新課長のやり方には口を出せないという関係になっている。鮫島の捜査行動が今後大きく制約されることになっていくのかどうか・・・。冒頭から今までに無い状況の変化が組み込まれて行く。このシリーズを読み継いできた読者にとっては、もうこの時点で興味津々となるところである。
 
 KSJマンションは簡易宿所、つまり民泊に改装されていた。それも「新宿区ルール」を無視したヤミ民泊で営業されていることがわかる。
 監視カメラの設置が終わった翌日、鮫島は阿坂新課長に署長室で引き合わされる。阿坂は鮫島に自分の方針は「基本を守る。ルールを曲げない」ことだと宣言する。鮫島は早速しゃぶの小分けという通報に対して、監視カメラを使いひとりで実態を内偵中ということを告げる。それに対する阿坂課長の反応は、ひとりでは限界があることと基本からも外れているというものだった。つまり、単独捜査は警視庁の基本ではないというスタンスの表明である。新宿署並びに生安課の組織状況がどうなっていくのか。冒頭から読者にはおもしろさが加わる。鮫島から新課長との引き合わせの状況を聞き「厄介だな」というのが薮の最初の反応だった。
 設置しておいたカメラが捕らえた夜間の映像をチェックするために、鮫島と薮は監視部屋に出かけた。夜間の映像から薮は奇妙な現象に気づく。「402」号室でサプレッサーをつけた銃が使われ、銃口から噴き出す火が映っていたのだ。誰かが撃たれて死体が転がっているはずだと薮が判断した。
 この事件発生で、様相が一変する。密告案件は即座に飛んでしまう。現場から銃は発見されず、検視の結果、殺人の可能性が高まり、警視庁捜査一課の担当となり初動捜査が始まる。第一発見者の鮫島と薮は事情聴取を受ける立場になった。
 鮫島はほしはプロだと判断する。鮫島が得た密告情報との絡みで、マル害が潜入中の麻薬取締官だという可能性が当初懸念されたがそうではなかった。
 この事件を担当する津田管理官の要請を受け、鮫島はマル害の身元が特定するまではこの事件に協力することになる。
 被害者の国籍も当初はわからなかった。しばらくは帳場を立てずに捜査を進めることになる。
 鮫島は、KSJマンションの所有者が誰かという点としゃぶの小分けという密告内容の観点から情報収集と捜査を進めていく。マンションの所有者は呉竹宏という名義のままだとわかる。鮫島の持つ情報ルートから呉竹が麻雀に嵌まり、イカサマ麻雀にかかり大きな借金をかかえていたことがわかってくる。そして、遠藤、権現、田島組という名前が浮かび上がる。さらに、今は警察を辞めたが、遠藤とずぶずぶの仲だったという石森という元刑事の名も出てくる。鮫島は事件になんらかの繋がりをみせるかもしれない糸口を掴んだ。

 鑑識の薮が鮫島に情報をもたらす。大塚の監察医務院に居る知り合いからの情報だという。マル害の確認に4人が現れ、その内の一人が外事二課の身分証を見せ、4人の中にかつて組対の理事官だった男がいたのだと言う。その理事官とは、鮫島と同期であり、警視庁を退職し内閣情報調査室の下部機関である「東亜通商研究会」に籍を移した香田だった。
 
 殺人事件の捜査は大きく事態が急転換していく。併せて、鮫島の身辺でも大きく状況が変化する。その結果、どういう展開をみせていくのか。そこから読ませどころが絡み合っていくことになる。

 ストーリーの転換局面をいくつか抽出してご紹介しよう。
1. 着任した阿坂課長は、己の信念・方針として、鮫島に相棒の刑事を付ける。それも新たに異動してきた矢崎隆男巡査部長である。市谷の機動隊、特科車両隊からの異動だと本人は鮫島に語った。
 鮫島は相棒を持つことに悩む。鮫島と組まされることで矢崎の警察官人生の将来がなくなることにならないかという懸念である。阿坂課長の信念ではそんなことは警視庁の組織規律ではありえないと考えるだけ。しかし、鮫島はできる限り、矢崎に悪い影響が及ばない形で相棒として受け入れ捜査活動をしようとする。
 矢崎は鮫島と組み、鮫島の指示を得ると薮も彼の優秀さを認めるほどにその捜査力を発揮し出す。また、矢崎は己の考えを鮫島に伝えていく。その結果一面では鮫島もよき相棒を得た実感を抱き始める。
 矢崎が鮫島の指示で、ある人物を追跡している時に背後から襲われ頭部に怪我をし入院する事態に発展する。その時矢崎について意外な事実が明らかになる。その事実は阿坂課長の信念にも関連が出てくるものだった。

2.鮫島は自分の情報源を介して独自に捜査を進めた結果、マル害の名前だけは突き止めることができた。「華恵新」という名前で宿泊していた。
 だが、捜査本部は立たなかった。刑事部長と公安部長の間の話し合いで、捜査一課は引きあげとなり、事件そのものを公安部が吸い上げ、公安部の所管となったのだ。つまり、殺人事件に鮫島が協力するという形での捜査がここで破綻する。
 鮫島はどうするか。
 一方で、阿坂課長は己の信念・方針を前提にして、今後どのように対応していくのか。
 
3.鮫島はマル害の名前を権現から聞き出した。マンションをヤミ民泊にして運営していたのは権現と呼ばれる男だった。彼はヤクザの世界から足を洗い、カタギになっていた。石森が鮫島に緊急の連絡を入れてきた。権現との連絡がとれなくなったという。権現の行方不明が重要な焦点になっていく。権現は何らかの関係で殺人事件と連環する事態の中に居ることになる。鮫島は権現の行方を捜査し始める。
 一方、田川組の浜川が直接、鮫島に携帯電話でコンタクトを取ってくる。権現の行方の捜査に関連して、会って話をしたいという。浜川の真意は何か。
 鮫島と浜川の間で権現の救出について相互関係が始まっていく。

4.公安部が「華恵新」を確認した後、この殺人事件を吸い上げてしまった。鮫島は華恵新がどういう仕事をしていた人間かを捜査により追究していく。華恵新の役割がほぼ確定的に推論できはじめると、この殺人事件が大きく様相を変貌させていく。そこには政治的に極秘の事情が絡んでいたことが明らかになってくる。
 なぜ、香田が大塚に外事二課とともに現れたのか。鮫島が捜査の一環としてある男を追跡捜査している途中で、香田とばったり出くわすことになった。その背景が見え始める。
5.日本で鮫島の手から逃れタイのバンコクでビジネスをする陸永昌は中国大連の自宅の固定電話を介して、東京からのメッセージを受信した。「こちらは東京です。花屋さんが入院してしまい、連絡がとれなくなり、困っています」という。日本の警察官であることはまちがいがない。
 永昌は事実を確かめるために東京に密かに戻り、独自に華恵新の死について調査を始める。東京からのメッセージに対応することで、己に被害が及び窮地に立つことにならないかどうか慎重に確かめる為である。一方で、己にとっての商機を狙うという行動に出ていく。
 鮫島と永昌がどこで対峙する展開になるのか。このシリーズの愛読者にとってはある意味で関心の深まるところである。
 
 現代の日本が見せる様々な社会的事象を取り入れ、それを隣国との政治経済的諸問題と組み合わせるという構想が、このストーリーにリアルな時事的様相を巧みに現出している。読み応えがあり、一方で興味を引きつけ一気に読ませる内容になっている。
 阿坂新課長と矢崎の登場がおもしろさを加える一因であるが、一方鑑識の薮が要の各所で大いに活躍するところがおもしろい。
 新宿鮫の次の事件捜査ストーリーを期待したい。
 
 ご一読ありがとうございます。

徒然にこの作家の作品を読み継いできました。ここで印象記を書き始めた以降の作品は次の通りです。こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『帰去来』  朝日新聞出版
『漂砂の塔 THE ISLE OF PLACER』   集英社
『欧亞純白 ユーラシアホワイト』 大沢在昌  集英社文庫
『鮫言』  集英社
『爆身』  徳間書店
『極悪専用』  徳間書店
『夜明けまで眠らない』  双葉社
『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 角川文庫
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『真夏の方程式』  東野圭吾  文春文庫

2020-12-17 21:58:08 | レビュー
 ガリレオ先生シリーズのたぶん第6作だと思う。「週刊文春」2010年1月14日号~11月25日号に連載、翌年6月に単行本化された。そして、2013年5月に文庫化されている。
 このストーリーは今までの作品とちょっと異なる点がある。それはガリレオ先生こと、帝都大学物理学科准教授・湯川学が、「玻璃ヶ浦」で発生した事件の謎解きに草薙の依頼ではなく、自ら主体的に関与していくという展開になる点である。

 在来線で「玻璃ヶ浦」に向かう時、柄﨑恭平という一人旅の小学生(5年生)が優先席に座り、携帯電話の事でお爺さんから注意を受けている場面で湯川は少年の手助けをした。それが思わぬ縁となる。少年は両親の仕事の関係で、夏休みを玻璃ヶ浦で旅館経営をする伯母一家のもとで過ごすことになる。車中で少年の話を聞き、湯川はその旅館が「緑岩荘」ということを知る。
 湯川は、海底金属鉱物資源の開発に関する説明会にパネラーとして出席すると言う仕事のために玻璃ヶ浦に来た。湯川はこの説明会の仕事を引き受けたが、主催者側DESMEC(デスメック:海底金属鉱物資源機構)が準備するホテルに泊まるという手段は回避して、少年から知った緑岩荘という旅館に泊まるという独自の選択をした。それが事件に関わる発端となる。

 経済産業省の資源エネルギー調査会が「玻璃ヶ浦から数十キロ南方の海域は、海底熱水鉱床開発の商業化を目指す試験候補地として極めて有望である」というレポートを発表した。それは地元に新たな産業が産まれる機会になると期待を寄せる人々を生み出した。一方、今は寂れつつある海水浴場であるが海の環境破壊を起こす可能性に警戒心をもち、この土地を観光視点で再開発し風光明媚な景観を維持していく方が良いという立場から反対する人々がいた。近辺の市町村を巻き込む大騒ぎとなる。
 海底金属鉱物資源の開発に関する説明会はこの大騒ぎに対処するためのものだった。湯川はデスメックから電磁探査についての説明が必要になった場合に研究者の立場で説明するという事を依頼されたのだ。湯川はこの説明会においては、電磁探査に関して科学技術的立場で説明するという局面に限定した関わりと自らを位置づけていた。それが宿泊先を独自に選択した理由だった。

 緑岩荘の娘・川畑成美は海を守る活動に参加し、資源開発という名目での生態系破壊に反対する立場で活動していた。成美は、玻璃ヶ浦出身の沢村元也の誘いを受けたのだ。沢村は地元の電気店を引き継ぎながら、一方でフリーライターとして環境保護をテーマにした仕事を積極的に行い、反対運動を始めていた。
 勿論、沢村や成美は説明会に参加し発言している。湯川は緑岩荘に泊まることにより、成美と話をする機会ができる。

 湯川が緑岩荘に宿泊した日、もう一人の男性客が緑岩荘にチェックインしていた。住所を埼玉県と記入した塚原正次という客である。だが、この客が翌朝、死体で発見されることになる。現場は、玻璃ヶ浦の港から海岸沿いに200mほど南に進んだところの堤防から岩場に落ちた形だった。近くに住んでいる人が発見したという。宿名のない浴衣と丹前を着ていて、下駄が落ちていただけだった。すぐにその死体が塚原だと判明する。
 塚原正次は前日の説明会に参加していた。緑岩荘で夕食を食べた後、旅館からいなくなっていたという。また宿泊の際の所持品から身元調査が行われた。その結果、塚原は警視庁捜査一課に所属し昨年定年退職した刑事だったことが判明する。

 湯川は説明会に出席した後も、調査船での仕事が終わるまでは玻璃ヶ浦の緑岩荘に宿泊して留まる予定だった。湯川は緑岩荘で夏休みを過ごす恭平との関わりを深めていく。一方で、成美は玻璃ヶ浦の素晴らしさを湯川に伝えるために、スキューバ・ダイビングで案内したい場所があると提案する。
 また、湯川は死体で発見された塚原についての情報を少しずつ見聞していくことになる。恭平に塚原が落ちた岩場まで案内してもらうこともする。そして恭平から現場では下駄の片方が見つかっていないということを聞いた。

 このストーリー、大きくは3つのサブ・ストーリーがパラレルに進展していき、それが交差し、収束していく。
 1つめは、現在時点で玻璃ヶ浦が直面する課題。玻璃ヶ浦沖での海底金属鉱物資源の開発問題に対する反対派の運動に絡んだ活動プロセスの進展である。沢村、成美、漁師など様々な人々の思いが関わって行く。

 2つめは、塚原の死から広がる捜査。塚原正次の身元確認には、妻の塚原早苗に警視庁捜査一課多々良管理官が同行してくる。塚原は捜査一課での多々良の先輩にあたるのだ。多々良は塚原の死に対して単なる事故死でない可能性を重視する姿勢を示す。遺体を引き取り、警視庁側で解剖するという手はずもたてる。警視庁独自の捜査を草薙が指示されることになっていく。結果的に、湯川の行動と草薙の行動の接点がで出来ていくことに・・・・・。
 なぜ、塚原は説明会に参加したのか。なぜ緑岩荘を宿泊先にしたのか。
 また、多々良管理官は、塚原の定年退職前に塚原が担当した事件で一番印象に残っているのは仙波英俊だと聞いたという。仙波が塚原の死と何らかの関係があるのかどうか。
 死体の解剖結果も踏まえて、捜査の波紋が広がっていく。

 3つめは、湯川と恭平の交流の深まり。恭平の夏休みの宿題を湯川は手伝ってやりながら、恭平との会話、成美との会話などを通じ宿泊先の緑岩荘を基盤にして、いくつかのことに気づく。そこから、湯川の論理的な推論が構築されていく。
 恭平の案内で塚原の死体が発見された岩場を確認に行った。そして下駄の片方が見つからないという点に疑問を抱く。
 緑岩荘のロビーの壁に掛けられた絵の景色に関心を抱く。どこから眺めた絵か。だれが描いたのか。何時から、なぜここに掛けてあるのか。
 塚原の死亡との絡みで、警察から緑岩荘に鑑識を含め捜査に来たプロセスを湯川は見聞する。それは何の為かと・・・・・。また、恭平から塚原のいなくなった夜、旅館の庭で恭平が伯父さんと花火をしていたことを知る。
 湯川の気づいた諸事象が徐々にリンクされ統合化されて推論が深まって行く。

 塚原正次の刑事人生における最後のこだわりが、玻璃ヶ浦と過去の事件とのつながりを明らかにして行く。現在己の目で観察・確認する事象から推論を組立ててアプローチする湯川と、多々良管理官からの指示で過去の事件を追跡捜査するアプローチの草薙とに接点が見出されて行く。過去の解決した事件の裏には、隠されていた真相が秘められていた。その真相が現在の事件にリンクすることになる。

 このストーリー、法律的には客観的事実証拠と供述から刑事事件が解決しているが、その真相は秘められたところにあるという事件の連鎖を取り扱っている。その連鎖の仕方が読ませどころとなっている。
 玻璃ヶ浦で過ごす恭平の夏休みに恭平との交流を深めた湯川が最後に、駅の待合室で恭平に語る言葉をご紹介しておこう。
 「どんな問題にも答えは必ずある。だけどそれをすぐに導き出せるとはかぎらない。人生においてもそうだ。今すぐには答えを出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。そのたびに悩むことには価値がある。しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められている場合も少なくない。だから人間は学び、自分を磨かなきゃいけないんだ」(p461-462)
 今の恭平は解けない謎、解けない方程式を目の前にしているような心境に居た。湯川が語ったこの言葉はその心境に対する語りかけだった。この小説のタイトル「真夏の方程式」はここに由来するのだろう。

 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社

『警視庁情報官 トリックスター』  濱 嘉之  講談社文庫

2020-12-05 22:20:56 | レビュー
 トリックスターという言葉を辞書で引くと、手品師という意味とペテン師・詐欺師という意味が記されている。ここのタイトルは詐欺師を意味している。
 黒田純一を主人公とする「警視庁情報官」シリーズの第3弾である。文庫本として書き下ろされた作品で、2011年11月に出版されていて、早くも9年が経ったことになる。

 プロローグは、マレーシアの大富豪と結婚し未亡人となり、「東洋随一の貴婦人」と称えられる葉昭子が田守永久に語りかける会話から始まる。「50兆円の使い道を先生にご相談申し上げているのです。」田守は航空自衛隊の幹部で、目黒の統合幕僚学校の学校長である。葉昭子は世界一のゴム王の未亡人として知られ、ボランティア活動を幅広く行っていて、民政党の大林義弘議員とも親交があるという。田守は様々な角度から葉昭子の周辺調査をした結果詐欺ではないかという疑念が薄らぐ。田守は四井重工の加藤社長に融資の話を繋ぐ行動をとる。これが直接の始まりである。経済社会と犯罪行為という池に石が投げ込まれたと言えよう。

 病気により辞任する宮本総監は、その前日黒田にこの種の動きについて早急に概要を調査する指示を出していた。そして、黒田に自分が辞任し古賀次長が総監に就くことを告げ、古賀総監へのバトンを渡す契機を作っていく。巨額詐欺疑惑の調査指示が発端となり、黒田が指揮をとる情報室の捜査活動が一層活発化して行く。

 このストーリーのおもしろい所は、葉昭子の動きはこのストーリーの進展ではトリガーにしか過ぎないことである。調査をもとに黒田が洗い出した葉昭子に関わる人間関係の相関図。そこに登場する人々や団体を媒介にして、さらにその波紋はさまざまに広がっていた。情報室で捜査を行っているいくつかの案件との関わりが浮き彫りになってくる。一方で情報室の捜査活動により、見えなかった関係性がリンクしていき、相関図が増殖していくことになる。

 黒田は、その相関図の中に、キリスト教系の世界平和教と日蓮宗系で原理主義を志向する日本研鑽教会という団体が加わっていることを見抜く。宗教団体内部の一部の人間が、政治や反社会的勢力に利用されているか、あるいは何らかの意図で繋がっていることを推理していく。そして、その実態が徐々に明らかになっていく。この二団体の活動は日本国内に留まらず、アメリカや南米地域に広がっていた。
 黒田にとりFBI研修時代に偶然知り合い知己を得た世界平和教の朴喜進とのホットラインが今まで以上に強力な情報源となっていく。朴は世界平和教会アメリカ総局長だが、今や教会のナンバースリーの地位になっていた。それは一方で教団内の悪弊・恥部についての情報を直接に知る立場に巻き込まれたことでもあった。宗教教団としての適正な歩みの為には、教団に大きな打撃を与えずに過去の悪弊の膿をいかに切除するかという必要に迫られてもいた。黒田の抱える案件との関連で、黒田が朴に電話をかけたことが、朴にとっては黒田との間に利害関係が一致する局面となる。黒田は朴から事件解決に枢要な情報を入手していく。
 一方、黒田は、インテリジェンスの世界で大局的な視点に立つクロアッハとの情報交換からも、節目節目に有力な情報を得、助言も得ていく。かけがえのない情報源として、このストーリーでも壺を押さえた役回りを演じ、黒田をサポートする。
 また、黒田はかつて出版社系雑誌記者から相談を受けたことをきっかけに日本研鑽教会の本部を訪ねるようになり、秘書局長の須崎文也と親交を深め、情報を得ることができる存在という関係を築いていた。

 小説のタイトルにある通り、このストーリーには大物詐欺師が幾人か登場して来る。その人物紹介をしておこう。それら詐欺師たちが、どういう事件を引き起こしていくのか。増殖していく全体の相関図の中で、どのような形で現れ、どのように関係していくのかは、このストーリーをお読みいただき、楽しんでいただくとよい。
 宮越 守: 防衛大学校での田守の先輩。一佐の階級で辞職し防衛関連企業に転職。
       欧州でアナリストとして活躍後、葉昭子の協力者、参謀役となる。

 大河内茂: 元ヤクザ。聖書の独自解釈で教団を作り、牧師・伝道者となる。
       アメリカ大統領とも会う機会を得る。大統領を騙した男。
       茂の兄は関西系暴力団の二次団体の組長で大河内守。
  
 中山秀夫: スペーステクノロジー社に経歴詐称で入社し総務部長となる。
       増資目的の株式分割を提案し、繰り返していき、己も取締役になる。
       人工衛星製作を得意とする会社を手玉にとる。彼の本業は詐欺師。

 劉永憲 : 日中経済協力者会議を設立。経済人のための中国ツァーを主催。
       経済界の枢要な企業を弄ぶ。

これらの詐欺師に、さらに二人が関わってくる。
 藤川雄之介:元日本総合管理連盟会長。戦後から様々な疑獄事件に関与の噂がある。
       逮捕歴はない。
       
 金永大  :韓国系ヤクザ。韓国国会議員資格を保有。日本の政治家に影響力を持つ。
       世界平和教の教祖とは刎頸の友である。

 そして、世界平和教と日本研鑽教会の裏部隊が盟約を結び、警視庁をターゲットに訓練しているという情報が黒田に伝えられてくる。一方で、警視庁組織内の要所要所に教団信者が勤務しているという実態も明らかになってくる。
 黒田が入手した情報を中核にしながら、警視庁のトップたちは諸事件をどのようにして一網打尽に解決しようとするのか。さらに裏部隊の襲撃にどのように対処していくのか。 その渦中で、黒田が執念を燃やしていた事件の犯人逮捕の念願が叶うことになっていく。その事件とは何か。
 相互に無関係に思われる事件が複雑に絡み合い相関していく様相とその展開、エピローグに至るプロセスを楽しんでいただきたい。

 最後に一つ付け加えておこう。文子との関係で苦い経験をした黒田が、心癒やされる女性と出会うというエピソードがストーリーに織り込まれていく。殺伐な事件捜査プロセスに、一時のオアシス的時間の流れが加わわっていくのが読者いとっても心地よい。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『警視庁情報官 ハニートラップ』  講談社文庫
『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』   講談社文庫
『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  文春文庫
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』 文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』 文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』 文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』 文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』 文春文庫