長尾景虎の戯言

読んだり聞いたりして面白かった物語やお噺等についてや感じたこと等を、その折々の気分で口調を変えて語っています。

浅田次郎著【夕映え天使】

2010-10-13 14:16:06 | 本と雑誌

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泣かせの次郎が紡ぐ、六篇の物語。
他人から眺むれば、変哲もない日常の一片に映るやもしれぬが、当事者にとっては常にない出来事、何事にも代えがたい特別な一頁なのである。

《夕映え天使》
寂れ切って商店街と呼ぶのも躊躇われるような、そんなうらぶれた場末に相応しいような、草臥れ切った小さな中華料理店。
一階が十坪の店で、二階が六畳二間に台所の付いた住いである。
五十の一郎と八十三の父親のふたり、男やもめの親子がやっている昭和軒へ、おととしの夏のかかりに純子はやってきた。
カウンターの隅の席で、汁の一滴まで啜りおえたあと、純子は思い定めたように言った。
「あのう、住み込みで雇っていただけませんか」
まだ四十ばかりの女がいきなりそんなことを言い出すのは、よほど切羽詰った、よんどころない事情があるからにちがいなかった。
一郎はすげなく断ったが、年老いた父親が「後生が悪い」と雇ってしまった。
その日から純子は、昭和軒の少し薹の立った看板娘になった。
だが看板娘でいてくれたのは、半年ばかりだった。
純子は半年の間かいがいしく働き、川開きの花火みたいに華やかなおしゃべりをし、笑顔をふりまいた。
川開きの花火とは父親の感想だ。
打ち上がるだけ打ち上がって、消し口が潔い、というわけだ。
消し口が潔すぎて、一年が経った今でも花火がはねたあとの夜空のように、まだどこかでポンと打ち上がるような気がする。
どうしても終わったとは思えない。
書き置きも、さいならのひとつもなかった。
三が日をおえて、ぼちぼち店を開けようと階段を降りると、何となく空気がうつろだった。
厨房はぴかぴかに磨き上げられていて、昭和軒の古い暖簾と、押入れの中のシーツや枕カバーに、いやというくらい糊が張ってあった・・・。

《切符》
両親が離婚して、広志は父方の祖父に引き取られた。
夏休みの終わりの一日を、母と後楽園で過した。
母とは恵比寿の改札で別れた。
母は切符の裏側に電話番号を書いて、お小遣いと一緒に渡してくれた。
家に戻ったとたん、祖父は向うを火鉢に広志を座らせて、怖いことを言ったのだった。
おめえのおやじはろくでなしで、商売つぶして借金こさえたうえに、女と逃げァがった。
女手ひとつでガキを育てるのァ大変だろうから、じいちゃんが面倒を見ることにしたんだが、今度はそのおふくろに男ができたとよ。
所帯を持つからおめえを欲しいと言って来ァがったが、いくら何だってそいつァ虫のいい話だ。
おめえはおふくろが恋しかろうが、それじゃあ家が絶えちまうじゃあねえか。
それに、先さんがどんな野郎かは知らねえが、なさぬ仲の親子がうまく行くってえことはまずねえ。
で、じいちゃんはおやじもおふくろも死んだものだと思って、おめえと二人で生きてく肝を決めた。
おめえには文句もあろうが、文句なら一丁前になってからいくらでも言え。
今は了簡せえ・・・。
祖父と二人の夕飯は間が持たない、テレビさえあればと広志は思う。
もうじき東京オリンピック。
「テレビで見たい」
「そこいらでやるんだから見に行きゃいい」
「前売切符は売り切れだってさ」
「マラソンなら切符はいるめえ」「アベベを応援してやらにゃあ嘘だ」
もとは大工だった。
口癖によると、「ヒリッピンにかたっぽのあんよ置いてきちまった」から、足場に登れなくなった。
それで建具屋になった。
それでも、家の二階を改築したのは祖父の手仕事である。
間借人は新婚所帯だが、ずいぶん齢が離れているように見える。
何故か、祖父はこの夫婦を嫌っているようだ。
小学校で同じクラスの千賀子から、「ヒロシくんのおじいちゃんは、シマツヤさん」だと聞かされた。
十月十日、オリンピックの開会式の日、校長先生は「きょうで日本の戦後は終わりました」と言った。
だが祖父の戦争は、まだ終わっていなかった・・・。

《特別な一日》
この日が必ずくることはわかっていた。
やがてわが身に訪れる既定の未来を、信じていなかったわけではない。
避け難い宿命であっても受容できなかった。
俺は中堅企業の営業部長。
しかしそれも、きょうまでのこと。
まさか東京オリンピックの年に建てられたビルに、三十七年も通うとは思ってもいなかった。
俺は商品企画部、営業促進部、と同級の部長職を渡り歩いて営業本部に戻ったときには、営業本部長に昇格すると思ったのだが、与えられたのは古巣の第一部長席だった。
営業本部の三人の部長のうち二人が同姓なので、「マサヤ部長」というのが俺の通り名だった。
社長も役員たちも、俺の非情さが管理職としては適当でも、経営陣にはふさわしくないと考えたのかもしれない。
社長の若月とはクサレ縁で、学生生活がつごう十一年、社員歴と合わせると、半世紀に及ばん付き合いだった。
数年前に革新的な刷新人事が断行された。
カリスマだった前社長が退任に伴い、後釜を狙っていた次世代の重役たちを全員道連れにしたのだった。
最も若い役員であった若月が社長に就任した。
若月は責任感が強い。
大会社の社員は帰属意識が薄いという。
この会社は社員数五百人と、その社員の帰属意識が最も強いと思われる規模であろう。
資産は潤沢だし、長い伝統に支えられた堅実経営は社風のようなものだし、リスクを負った発展など誰も望んではいない。
だから高度成長期に飛躍できなかったかわり、バブル景気に惑わされもしなかった。
俺は玄関を出ると、三十七年もの間たしかに帰属していた社屋を振り返った。
いかにも東京オリンピックの勢いで建てたような、ステンレスとガラスを張りめぐらした、美的感覚を徹底的に欠いたデザインである。
俺は帰属意識の固まりと金輪際おさらばして、行きつけの立ち飲み屋に寄った。
俺はいつもひとりでこの店に立ち寄った。
カウンターの定位置で、小ジョッキの生ビールをまず一杯。
それから冷やのコップ酒を一杯だけ。
つまみはその日のお通しのほか注文したためしがない。
ビールと冷や酒を飲む時間など、せいぜい十五分である。
飲み屋というよりも、帰宅するまでの通過点だった。
声をかけたことなどめったにない、おかみさんに別れの挨拶をした。
店主は焼き上がった焼鳥の串を皿にしこたま盛り上げて、俺の前に置いた。
「頼んでないよ」
「お代はいらねえさ。長いことごくろうさんでした」
俺は香ばしい肉を噛むと、若き日を回顧した。
空のコップを掲げ、「おやじさん、もう一杯」
だが俺は、きょうを特別な一日にはしたくなかった・・・。

《琥珀》
三陸にある港町の裏路地の、うらぶれた飲み屋街にある喫茶店〈琥珀〉。
初老の店主荒井敏男がひとりでやっている。
淹れるコーヒーは、ネルドリップの本格派だ。
だが荒井敏男は、あと一週間で時効となる、京都伏見であった放火殺人の犯人、川俣新太郎である。
府警の刑事米田勝己は、間もなく定年をむかえるので、署長から休暇を消化するように言われた。
四十年警察に奉職して、手柄といえるようなものは何ひとつもなかった。
女房子供には逃げられた。
米田は旅にでも出るほかなかった。
三陸では名の知れた港町だから、うまい酒もあるだろうと考え、無人の駅に降り立った。
うら寂れた町に降りたことを悔やみ、やがて米田は〈琥珀〉に辿り着く・・・。

《丘 の上の白い家》
丘の上の白い家には四季咲きの薔薇垣が繞っていて、麓の町のどこからいつ見上げようと、赤や黄や橙の輝かしい色の、絶えていたためしはなかった。
丘の上の白い家のまわりは樅の木の森で、僕らが遊び始めたころには市営の公園になっていたが、もとはその家の地所だったそうだ。
丘の上の白い家が左右に広く長く曳く常磐木の裳裾に、僕らの町はあった。
港が栄えていた時代には町も賑っていたらしいが、僕の物心ついたころは用なしの運河が吐き出すメタンと、町工場の排煙とにまみれた、どうしようもない下町に落ちぶれていた。
丘の上の白い家の住人が誰であるのか、僕は知らなかったし、知りたいとも思わなかった。
も少しましな生まれ育ちの人間ならば、嫉妬や羨望などの感情が湧きもしようが、僕や僕の幼なじみたちにとってのその家は、たとえば太陽や月や星ぼしと同じ天然の風景でしかなかった。
丘の上の白い家に、僕は一度だけ行ったことがある。
夢だと言われればそんな気にもなるだろうが、夢にするのはあまりに惜しいから、母にも伝えなかった。
もし言おうものなら、母はおそらく「おまえ、夢でも見たんだろう」と笑うにきまっていた。
小学校の一年か二年、へたをすると学校にも上がる前だったかもしれない。
少しでも物事の善し悪しを判断できる齢になっていたら、その体験はありえなかったと思うからである。
丘の上の樅の木の森で、僕は仲間たちと鬼ごっこだか隠れんぼだかをして遊んでいた。
五時の工場のサイレンが帰宅の合図だったが、聞きそこなったか、鬼のまま仲間から置き去られたかして、僕はひとりぼっちだった。
見知らぬ少女に声をかけられた。
もうやめちゃうの。
少女は妖精のように僕の前に現れるなり、悲しげな声で言った。
男の子はみな坊主頭、女の子ならおかっぱかおさげと決まっていたそのころに、少女は長い髪をポニーテールに結わえて、結び目には揚羽蝶のようなリボンを飾っていた。
仲間に入れたわけでもないのに、見知らぬ子供が紛れこんでいるというのは、よくあることだった。
その少女も勝手に僕らの遊びに紛れ入っていた。
少女は僕を丘の上の白い家へと誘った。
その裳裾に住まう僕らにとっては太陽や月や星ぼしと同じだった。
そんな場所に足を踏み入れるなど、いくらか物事の善し悪しを判断できる齢であったら、たとえ住人の誘いであったにせよできるわけはない。
丘の上の白い家を出るとじきに、僕は何だか自分がとても悪いことをしてしまったような、背徳感に捉われたのだった。
貧乏人だらけの公立高校に通うようになったころ、その貧乏人の最たる二人、僕と清田亮二はスカラブラザーズだった。
月に一度、級友たちの「スカラ、スカラ」という非情の大合唱に送られ、校長室で奨学金の書類に捺印する。
スカラとはスカラシップの略だ。
その折、実情からは湾曲された家庭事情を演じ切らねばならない。
毎月末に行われるこの儀式が、僕はがまんならなかった。
清田は成績も品行もこのうえない優等生で、毎朝牛乳配達をして家を助ける勤労学生であった。
僕は清田とは対照的に、伝統的な不良だった。
自分の金と他人の金の見分けがつかないのは、貧乏人だらけの町に生まれ育ったせいで、必ずしも僕が性悪だったわけではない。
清田は僕と同じ、骨の髄までの貧乏人だが、嘘をつかぬし、底抜けにいいやつだった。
夏の日、僕は悪い仲間の家を転々と泊まり歩いていて、よく知らぬ女の家にしばらく居候をした。
その女は、丘の上の白い家の娘の家庭教師だった。
女は暗いたくらみを抱いて、僕と娘を引き合わせた。
丘の上の白い家から、波止場に面したホテルの中庭まで、怖いもの知らずに少女はやってきた。
女は少女をユリちゃんと呼んだ。
ユリがどんな字を書くのか知らないが、印象からすると百合でいいかと思う。
十年ほど前の夏のたそがれの出来事を、百合は記憶していた。
僕らは十年ぶりにめぐり遭った、幼なじみのように語り合った。
丘の上の白い家の少女に、僕は恋した。
その夜、食事をしてから丘の上の家まで、百合を送り届けた。
百合は思いがけずに僕の手を握って、樅の木下闇に引き入れた。
百合がこの一瞬に何を希んでいるかがわかったとき、僕はどうしたわけか手を振りほどいて後ずさった。
行き場をなくした僕の唇は、勝手なことを言った。
「友達を紹介したいんだけど」
そのとき僕を使嗾したものが、天使であったのか悪魔であったのか、あるいはそのどちらでもない僕の本性であったのか、今となってはわからない。
僕はすっかり怖気づいてしまった。
麓の下町に生まれ育った僕らにとって、丘の上の白い家はけっして住む家などではなく、太陽や月や星ぼしと同じ天然の風景だった。
もしそれを、僕らとどこも変わらぬ人間の住居だと確信して、恋愛という見えざる虹の懸け橋を堂々と渡る若者がいるとしたら、誰がどう考えても僕ではなく、清田亮二のほかありえなかった。
僕は清田に夢を託した・・・。

《樹海の人》
はたちのころ、ふしぎな体験をした。
大学に進まずに陸上自衛官になった。
信倚していた小説家が自殺した。
命を絶った場所は自衛隊の市ヶ谷駐屯地内だった。
小説家になりたかった私は、さして考えもせず、とるものもとりあえず、あとさきかまわず飛び出す感じで自衛隊に志願した。
それは実戦さながらの、通信兵の演習時での出来事だった。
空は響動もして春の嵐が寄せてくる、朝まだきであったと思う。
東富士の幕営地を出発したトラックは演習場の境目を越え、無線機を背負った通信兵をみちみちひとりずつ降ろしながら走った。
下車したのちは、すみやかに樹海の奥へと進出し、交信を開始する。
民間人と接触してはならない。
撤収時は下車した位置で待機せよ。
斥候に出た通信兵が孤立無援のジャングルに置き去られたという、状況を体験するのである。
電波の届きづらい地域である。
中隊無線機を背負って、通信可能な地点を探さねばならないわけで、「すみやかに樹海の奥へと進出し」という命令の意味はそれである。
なるべく奥に入りこまぬように心がけていたのだが、命令通りに、樹海の奥へと進んでしまった。
すっかり方向を失ってしまった。
ようやくCP(司令部)からの電波を傍受したのは、樹海を何時間もさまよった昼過ぎであったと思う。
そこは窪地になっていて、中央には神さびた巨岩がでんと鎮座していた。
通信手にはそれぞれ、アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ、という呼称が与えられていて、Fすなわち「フォックストロット」が私の名前だった。
こちらCP。フォックストロット。現在地にて別命あるまで待機。一七○○より○五○○までテフシ。
かろうじで届いた電波は、翌朝5時まで無線機の電源を切り待機の命令を告げた。
天幕は持っておらず、雨中の露営、いくらか雨をしのげる巨岩に背をもたせかけた。
翌朝5時、期待していた撤収命令ではなく、別命あるまで現在地で待機だった。
二日目も昏れかかるころ、CPからではない声が私の無線機に飛び込んできた。
私と同じ訓練中の通信手エックスレイからだった。
周波数の勝手な変更は禁忌だった。
その無線に私は応答した。
禁忌の通信は司令部に傍受され、連帯責任で撤収が一晩延長された。
一晩目は何とも思わなかったのに、予期せぬ二夜目の露営は怖ろしかった。
恐怖感は疲労と空腹のもたらしたものだったのだろう。
窪地の縁の乳色の霧の中に、ぼんやりと人影が立ったのは夜の明けやらぬころだった・・・。


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