長尾景虎の戯言

読んだり聞いたりして面白かった物語やお噺等についてや感じたこと等を、その折々の気分で口調を変えて語っています。

近藤史恵著【寒椿ゆれる】

2010-10-13 14:03:09 | 本と雑誌

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「巴之丞鹿の子」「ほおずき地獄」「にわか大根」と続く、猿若町捕物帳シリーズの第四作。
題名でも判るが、冬の噺である。
七年前の夏だったか、何気に本屋で選んだ二百頁余りの幻冬舎の文庫本が、第一作目の「巴之丞鹿の子」だった。
それがこの時代ミステリーとの出会いである。
著者には珍しい時代小説、粋と表現するよりは、ちょっとお洒落なと言いたくなるような物語。
南町奉行所同心の玉島千蔭は、よい男っぷりながら、いつも眉間に深い皴を寄せ鋭い眼光をし、むっつりと仏頂面だ。
江戸の男なら好きそうな、酒と遊女と祭りが嫌いとくる、まったくの変わり者だ。
どうしようもない石部金吉、必然的と言うべきか女心には殊にうとい。
だがお頭は頗るつきの切れ者、江戸市中に起こる難解な事件、そこに潜む謎を解き明かしていく。

ところでそんな千蔭だが、吉原でも指折りの美貌の花魁、梅が枝とひょんなことから顔馴染みとなり、誓紙なんぞまで貰い受けているのだ。
当然のこと、梅が枝が堅物をからかっているとだけしか、千蔭は捉えてはいやしない。
もとよりしがない同心の身、千蔭が吉原で売れっ子の花魁と遊ぶことなぞ、堅物でなくともそうあろうはずもない。
梅が枝と会うときは、千蔭はいつも小者の八十吉と雁首並べて、お役目がらみの色気抜きでのこと。
花魁の起請文ほど当てにならぬものはない、本気にするのは野暮と言うもの。
ところが当の梅が枝は、まんざら戯れ言でもなさそうなのだ・・・。
梅が枝は気が強くて口が悪い、吉原言葉なんぞ使わず、投げつけるようなぶっきらぼうな言葉を吐く。
遊女らしい、ぞべぞべしなしなとしたつくりは微塵も見せず、千蔭の前ならば遠慮会釈なく、どっこらしょとばかりに、すとん腰を下ろす有様。
もっともしなをつくったとて、千蔭にとってはただ鬱陶しいだけで、そんな梅が枝だからこそ、気楽に話せるようだ。
案外変わり者同士で、ウマが合うのやもしれない。
芝居町とも呼ばれる、猿若町は中村座の座頭中村勝蔵が、上方から引っ張ってきた、女形で人気若手歌舞伎役者の水木巴之丞は、どういっためぐり合わせか、その梅が枝と瓜二つなのだ。
そんな訳で、巴之丞の人気が上がれば上がるほどに、梅が枝の人気も上っていった。
どうやら共に上方生まれで、両親がどこの誰かもわからぬ身の上。
血の繋がりがあるのかどうかは、お天道様のみぞ知るだが、子供の頃からの旧知の仲らしい。
一度は離ればなれとなったものの、期せずして江戸で再会したようだ。
互いに幼少の頃の傷を嘗め合う、腐れ縁といったところなのかもしれない。
姉弟のような間柄のように見える一方、のっぴきならぬ深い仲にも見える。
千蔭は事件がらみで、梅が枝より先に巴之丞と知り合い懇意となる。
決して偉ぶらぬ実直そのものの千蔭に、巴之丞も好感を持ったようだ。
仏頂面は別として、千蔭の日頃の上下隔てぬ生真面目で丁寧な物言いは、吉原でも芝居小屋でも受けがよい。
千蔭と梅が枝と巴之丞の三人は、見えぬ糸に引かれるかのようにして、こうして繋がっていったのだ。
だが小者の八十吉は、どうにも底の知れぬ梅が枝と巴之丞が、実のところ苦手のようだ。
八十吉は十四のとき、ちっちゃな盗みをして、千蔭の父親千次郎に捕まった。
それから千次郎の小者となり、そのまま息子の千蔭にも仕えている。
酒は飲むが、朴念仁というところでは千蔭と大差ない。
千次郎は無骨者のふたりと違い、千蔭に家督を譲っている身だが、同心の頃から、芝居や常磐津を好み、着るものにもうるさい粋な男である。
千蔭の母親を亡くした後は、玄人女を好み、そしてよくもてもした。
ある日、梅が枝が身揚がりで、千蔭を迎えに組屋敷まで駕籠をよこした折も、委細承知となんにも言わずに送り出した洒落者だ。
堅い親父に放蕩息子ならぬ、遊び人から石でできたような、堅物が生まれることもあるようだ。
そんな風変わりな父子だからこそ、奇天烈なことも起こる。
吟味方与力の青野藤右衛門が、日頃から目を掛ける部下の千蔭と、自分の姪のお駒とを添わせようと考えた。
千蔭が三十一でお駒が十六と、少々年は離れているが悪い縁ではない。
しかし、お駒はとんだ跳ねっ返りで、けものへんの狼娘だった。
千蔭のような唐変木を嫌い、こともあろうに通人である千次郎の方に惚れてしまい、とうとう嫁いでしまったのだ。
当然千次郎とお駒では、親子どころか祖父と孫ほど年の開きがある。
千蔭は戸惑いながらも、年下の母親を敬い大切にしているのである。
それと、奇天烈というよりは奇遇だろうか、巴之丞の養父である水木鶴蔵こと俳名春笑は、なんと千次郎が大坂で世話になった恩人であった。
変わり者の千蔭の存在こそが、こうした風変わりな人間模様を生むのやもしれない。
変わり者といえば、中村座の座付き作者の桜田利吉、役者にしたいほどのいい男だが、そもそもは旗本の次男坊とくる。
役者絵専門の絵師、歌川国克は元役者で、皮肉の利いた絵を描く男。
いつも傍若無人で、相手が八丁堀の同心でも、臆することもない変わり者。
そして窮め付きで筋金入りの変わり者は、北町奉行所同心の大石新三郎だ。
仏頂面の堅物の変わり者ということなら、千蔭とどっこいの、まったく口の悪い皮肉屋である。
千蔭と同じく、まだ妻を娶っていない。
北町と南町の奉行所は、互いに反目し合っているも同然で、同心同士といえども決して仲がよい訳ではない。
だから千蔭と大石は、到底仲がよいとはいえない間柄だ。
だが大石も仕事はきっちりやる男で、そのてんでは、千蔭とは互いに認め合っているのである。
そのほかには、玉島の家の女中お梶、八十吉の女房おしげ、大石に雇われた小者の喜八、目明しの惣太、元女形役者で今は裏方にまわっている与四郎らが、賑やかに脇を固める。
千蔭の周りで、様々な人間模様が繰り広げられる一方、江戸市中では今日も事件が起こるのである。

『猪鍋』
冬の気配にそろそろ気づこうかという頃、玉島千次郎の後妻にして、玉島千蔭の継母、お駒に子ができた。
千蔭は「この年で弟か妹ができるとは思わなかった」と戸惑いながらも、「これで玉島の家も安心だな」と安堵しているのも事実。
長男である千蔭には、いつまでも妻を娶らずにいる負い目があった。
しかし、めでたいとだけ言ってはいられない、お駒のつわりがひどく、ものを食べられなくなった。
お駒はもともと丈夫な質ではない、このままでは子どころか、お駒の身にも障る。
お梶らが滋養があるものを探してきても、ほとんど喉を通らない。
お駒は「病というわけではないもの」と口を尖らせるが、周りの者は皆心配である。
千次郎と千蔭は思案し、お駒の実母であるお佐枝に、お駒が好みそうなものを訊いてみることにした。
本来なら産前産後は実家で過すものだが、母親のお佐枝は病で伏せっているのだ。
お佐枝は、「食べ慣れたものより、珍しいものの方が喜んで口にするのでは」という、「目先の変わったものを喜ぶ娘だった」と。
奥方となり少しは落ち着いたが、もとは跳ねっ返りの狼娘だったお駒、さもありなんである。
それなら巴之丞に訊いてみようとなった。
巴之丞が教えたのは、思いもよらぬ〈乃の字屋〉という、猪などの四つ足を食べさす店だった。
随分流行っているらしい。
意外にも、お駒は猪鍋と聞いて、目を輝かせた。
前もって千蔭は〈乃の字屋〉を訪ね、座敷をとってもらったのだが、その折女将からも頼まれたことがあった。
十日ほど前から、妙な男が店の前をうろついていて、なんだが心配だと・・・。
千蔭の南町は非番なので、北町の同心大石に知らせることにした。
その翌日の昼、お駒を連れて千次郎と千蔭たちは、〈乃の字屋〉へ出向いた。
ほとんど、会話もせぬまま、あっという間に鍋が空いた。
お駒も今までが嘘のように、しっかり食べた。
そろそろ帰ろうとするとき、なにやら怒声のようなものが聞こえた。
見れば、包丁を振り回して店に飛び込んできた男が、下男たちに取り押さえられていた。
番屋にしょっ引き、千蔭は男から話を聞いた。
男は〈乃の字屋〉の二代目龍之介に、父親を殺されたという、〈乃の字屋〉の猪鍋の味こそがその証拠だと。
男の名は幸四郎で、父親は京で〈山くじら屋〉という、料理屋を営んでいたらしい。
あの猪鍋の味は、〈山くじら屋〉の秘密で、幸四郎だけに父親から伝授されるはずだったものという。
龍之介は〈山くじら屋〉で、三年修業していたそうだ。
龍之介が修業を終えて京を発った五日後、川に落ちた幸四郎の父親の亡骸が、見つかったらしいのだ。
北町の大石が、小者を引き連れ出張ってきたので、非番の千蔭は幸四郎の話をそのまま伝え、番屋を後にした。
大石が調べたところによると、龍之介は青柳屋の梅が枝に、随分入れあげているらしい。
それから数日後、〈乃の字屋〉で食あたりがでた。
診察した町医者の井上向宋は、青菜に毒草でも混じっていたのではないかという。
さてそれとは別に、一方では千蔭にまた縁談が持ち上がっていた。
千蔭は父千次郎の知人の親戚の娘で、気難しくて縁遠い二十八の年増だと聞いてはいた。
が、相手はなんと奥右筆組頭前田重友の息女、六番目の娘なので名をろくという。
御目見得職と町奉行所の同心では、釣り合いが取れるはずもない。
醜い上に意地の悪い女と想像をめぐらせていたが、会ってみれば、おろくは一見ごく普通の女だった。
だが算術好きの、相当な変わり者には違いなかった・・・。
千蔭がおろくと会った二日後、〈乃の字屋〉の女将が、大川で土左衛門となって上がった。
大石の命で喜八が知らせにきたので、番屋に出向いた千蔭。
何故か大石は、おろくのことを知っているようだ。
それと、幸四郎は二日前に仮牢から出されていた・・・。

『清姫』
今年は寒い冬になった。
玉島の家では、真っ先に身重のお駒のことが気遣われる。
千蔭と八十吉が役目を終え帰ってくると、巴之丞が組屋敷に訪れていた。
以前より頻繁に組屋敷へと、顔を見せるようになった。
自由に動けないお駒に、珍しい菓子などを届けてくれる。
お駒にとっては、菓子よりも巴之丞の話か聞ける方が、気晴らしとなるようだ。
美しい若女形と話ができる楽しみもあるだろうが、巴之丞は話がうまい。
今日は芝居見物の誘いにきたとのこと。
しかしお駒は身重、さすがに母としての自覚ができたのか、自分はやめておくという。
おろくを誘って、千蔭に行くように勧めた。
十日ほど前に、両家の顔合わせを済ませたが、後のことは何も決まってはいない。
巴之丞も、よい桟敷を用意するという。
安珍清姫の世界を下敷きにした、利吉が書いた新作だそうだ。
千蔭とおろくは八十吉を供に、芝居見物に出掛けることになった。
さすがに、板の上に立つ巴之丞は美しい。
おろくは芝居が嫌いということもないようで、食い入るよう舞台を凝視し、蛇を八人で動かしていたと、目のよさを発揮した。
供の八十吉は、このふたりのかみ合っているのかいないのか、よくわからない会話を耳にしながら、それなりに似合いなのではとも思う。
巴之丞に招かれ、幕間に芝居茶屋で一息入れた。
おろくは巴之丞に、清姫が安珍をどうして殺すのかわからないという、せっかく好きな男ができたのにと。
巴之丞は、清姫が安珍に裏切られた怒りで、何も見えぬようになってしまったのだと話す。
次の幕の支度に席を立とうする巴之丞に、「巴之丞様もお気をつけなさいましね」と、おろくはふいに言った。
その五日後の早朝、中村座の楽屋口で、巴之丞が若い女に脇腹を刺された。
年の頃は十八、九で、猫のような大きな目をしていた女らしい。
幸い深傷ではなかったが、巴之丞は暫く舞台には立てず、若手女形の中村雪弥が代役を務めた。
おろくは、あの日芝居茶屋へ向かうときに、天水桶に隠れるようにして、茶屋の入り口をじっと凝視している、娘を見ていたのだ。
おろくは目がよい。
巴之丞は女を知らない顔だという、人違いではないかと。
だが旧知の仲の梅が枝は、どうせ自業自得だろう、女を弄んで刺されたのだと、一刀両断だ。
巴之丞に捨てられて、怨んでいる女は多いのだろう。
しかし絵師の歌川国克によると、巴之丞が浮名を流す相手は、後家か芸者か金持ちの囲われものとかで、十八、九の女というのは、らしからぬことのようなのだ。
若い女は清姫の例えもある、思い詰めると恐ろしい。
はたして、恨みか、人違いか、それとも・・・?
どうも巴之丞は、何かを隠しているようだ・・・。

『寒椿』
夜に雪が降った、随分と寒さが厳しくなってきた。
「奥様が亡くなったのも、こんな夜だったかねえ」、女房のおしげがふいにそんなことを言った。
八十吉は思い出す。
ふたりめの子を宿していた千蔭の母は、雪の夜、勝手口で足を滑らせ転んだ。
そのときはおかしなことはなかったが、夜になって苦しみはじめ、明け方に息を引き取った。
胸騒ぎのせいで、翌朝早く目覚めた八十吉は、湯漬けをかっ込むと、そのまま千蔭の組屋敷に向かった。
組屋敷近くで、朝湯から戻った千蔭と行きあたった。
組屋敷では、早くも髪結いの平八が待っていた。
平八の話によると、昨夜伊勢町の金貸し、内藤屋に盗賊が入ったとのこと。
北町の同心大石新三郎は、朝早くから平八に髪を結わせ、慌しく組屋敷を飛び出して行ったようだ。
南町は非番だ。
内藤屋とは、あまりいい商売をしていないことで知られている。
ところで千蔭とおろくは、年が明ければ結納ということになりそうだった。
千蔭もついに年貢の納めどきだろうか・・・。
盗賊の話は、昼前には南町にも広まった。
かなり荒っぽく、なおかつ仕事の早い一味だったという。
手代のひとりが手ひどく頭を殴られていた以外には、傷ついた者はいなかった。
朝になって番頭が気づいて、番屋に駆け込んだらしい。
どうやら盗賊を手引きした者がいるらしい、それも北町の者が・・・。
北町奉行所の与力浅野正照が、組屋敷まで千蔭を訪ねてきた。
昨夜奉行所に投げ文があったとのこと。
北町奉行所の同心が、内藤屋の盗賊の手引きをしたと書いてあったのだ。
昨日北町の同心が小者を数人連れて、内藤屋を訪ねている。
その同心はそれまでも、頻繁に内藤屋を訪ねているのだ。
月当番の北町で指揮を執るが、身内のことで手心を加えたと思われぬよう、千蔭にも詮議に加わって欲しいとのことだ。
手引きをしたとされる同心とは、大石新三郎だった。
千蔭には信じられなかった、新三がそんなことをするとは思えぬ。
大石の小者喜八によると、半月ほど前に大石が雇っていた小者が、続けざま辞めてしまっていた。
今いるのは喜八のほかは、新しく雇った者ばかりで、姿を消してしまった者もいるらしい。
拙いことに、大石の母親は病に伏せっている。
それに、吉原で大石を見たと言う者までいた。
見方によれば、金が必要だったということにもなる。
しかし千蔭には、大石が罠にはめられたとしか思えない、嫌疑を晴らそうと駆け回るが、非番の身では思うようにいかない。
中村座の若手作者利吉の調べでわかったことだが、吉原で大石が密会していた相手とは、梅が枝の新造をしていた檜垣という娘だった。
大石の家の庭には、椿が咲いていた。
散らずにぽとりと首から落ちる故、武家では忌み嫌われている花・・・。


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