私は今でこそ酒屋なんですが、若い頃はCM制作の世界に行きたいと思ってました。
結局その夢は叶わなかったんですが、そんな私にとって神様のような存在・杉山登志について書いてみます。
杉山登志が有名な遺書を書いて自殺したのは私が中学へ入学した年ですから、彼のCMを観ていたのは小学生の頃になります。
それがすごく悔しいですね。
ほんの子供だったから、リアルに彼の作品に接していても、感動の度合いが違ったと思います。
せめて中学生の頃に接していたら、と残念です。
子供なりに彼の作品には強い印象を受けていました。
資生堂の一連のCMや、モービル石油の「のんびり行こう」。
フジカラーの「Have A Nice Day」もそうだったかな?
特に資生堂のシリーズは素晴らしかった。
洗練されていて、粋で。
当時のCMの中では、資生堂は別物のように感じたものです。
もうね、芸術作品なの。
子供だから化粧品なんてそれだけでも大人の香り漂うものなのに
あのCMは、いかに資生堂がかっこいい会社か、ってアピールするのに充分すぎてお釣りがくるくらいでした。
佐藤祐介が図書館で大人の女性にみとれるという、有名なCM。
あれなんか、ドラマだもんね。CMじゃないわ。
杉山登志が自殺した時、年上のいとこに
「資生堂のCM作ってる人、自殺したんやて。もう資生堂のCMはあんなかっこいいのじゃなくなるよね」
と教えられ、びっくりして残念がったものです。
その頃はまだ杉山登志について知識がなかったし(名前すら知らなかった)、ただもうあのかっこいいCMが観られないのか…とそれが残念でした。
大学生の頃は映画系のサークルに属していたので、映像関係の本を読むことが多く、そんな中で杉山登志の名前に出会いました。
あのCMの神様…!
リッチでないのに リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません
夢がないのに 夢をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです
有名な遺書に衝撃を受け、サークルの友人たちと語り合ったこともあります。
「天才はいろいろ悩むことがあって気の毒だな」
「自殺するなんて、よほど嘘の世界を作らなければならないことに悩んでたんだろう」
あの頃は若かったんで、この文章にいろんな思いを馳せました。
でも最近「ちょっと違うんじゃないか」と考えるようになりました。
確かに、リッチでないのにリッチな世界などわからない。
じゃあ、リッチな人にしかリッチな世界は描けないのだろうか?
リッチな人は、リッチな世界が現実の生活になっている。
それは嘘の世界ではなくて、本当のこと。
でもリッチな人は、それが当たり前になっていて、一般の人たちに描いてみせることはできないんじゃないだろうか。
逆に、リッチでないからこそ、一般人の立場から見たリッチを描いてみせることができるんじゃないだろうか。
ハッピーにしても然り。
夢がない、にしても然り。
ハッピーな人は、ハッピーが当たり前で、うらやましくもなんともない。
だけどハッピーでない人は、なんてあの人は幸せなんだ、うらやましい、と思う。
だからハッピーな人のことがはっきり見える。
夢がないから、夢がどんなに素晴らしいか知ることができる。
なんて、ちょっと神様に反論してみた。
こんなことを思うようになったのも年の功かな。
杉山登志より年上になっちゃったし。
ただ、私は遺書だけを見て勝手なこと言ってるだけで、実際に彼がどんなことで死を選ぶほど悩んでいたのかはわからない。
それは本人にしかわからないことだしね。
でも私にとって神様だってことは、変わらぬ現実です。
結局その夢は叶わなかったんですが、そんな私にとって神様のような存在・杉山登志について書いてみます。
杉山登志が有名な遺書を書いて自殺したのは私が中学へ入学した年ですから、彼のCMを観ていたのは小学生の頃になります。
それがすごく悔しいですね。
ほんの子供だったから、リアルに彼の作品に接していても、感動の度合いが違ったと思います。
せめて中学生の頃に接していたら、と残念です。
子供なりに彼の作品には強い印象を受けていました。
資生堂の一連のCMや、モービル石油の「のんびり行こう」。
フジカラーの「Have A Nice Day」もそうだったかな?
特に資生堂のシリーズは素晴らしかった。
洗練されていて、粋で。
当時のCMの中では、資生堂は別物のように感じたものです。
もうね、芸術作品なの。
子供だから化粧品なんてそれだけでも大人の香り漂うものなのに
あのCMは、いかに資生堂がかっこいい会社か、ってアピールするのに充分すぎてお釣りがくるくらいでした。
佐藤祐介が図書館で大人の女性にみとれるという、有名なCM。
あれなんか、ドラマだもんね。CMじゃないわ。
杉山登志が自殺した時、年上のいとこに
「資生堂のCM作ってる人、自殺したんやて。もう資生堂のCMはあんなかっこいいのじゃなくなるよね」
と教えられ、びっくりして残念がったものです。
その頃はまだ杉山登志について知識がなかったし(名前すら知らなかった)、ただもうあのかっこいいCMが観られないのか…とそれが残念でした。
大学生の頃は映画系のサークルに属していたので、映像関係の本を読むことが多く、そんな中で杉山登志の名前に出会いました。
あのCMの神様…!
リッチでないのに リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません
夢がないのに 夢をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです
有名な遺書に衝撃を受け、サークルの友人たちと語り合ったこともあります。
「天才はいろいろ悩むことがあって気の毒だな」
「自殺するなんて、よほど嘘の世界を作らなければならないことに悩んでたんだろう」
あの頃は若かったんで、この文章にいろんな思いを馳せました。
でも最近「ちょっと違うんじゃないか」と考えるようになりました。
確かに、リッチでないのにリッチな世界などわからない。
じゃあ、リッチな人にしかリッチな世界は描けないのだろうか?
リッチな人は、リッチな世界が現実の生活になっている。
それは嘘の世界ではなくて、本当のこと。
でもリッチな人は、それが当たり前になっていて、一般の人たちに描いてみせることはできないんじゃないだろうか。
逆に、リッチでないからこそ、一般人の立場から見たリッチを描いてみせることができるんじゃないだろうか。
ハッピーにしても然り。
夢がない、にしても然り。
ハッピーな人は、ハッピーが当たり前で、うらやましくもなんともない。
だけどハッピーでない人は、なんてあの人は幸せなんだ、うらやましい、と思う。
だからハッピーな人のことがはっきり見える。
夢がないから、夢がどんなに素晴らしいか知ることができる。
なんて、ちょっと神様に反論してみた。
こんなことを思うようになったのも年の功かな。
杉山登志より年上になっちゃったし。
ただ、私は遺書だけを見て勝手なこと言ってるだけで、実際に彼がどんなことで死を選ぶほど悩んでいたのかはわからない。
それは本人にしかわからないことだしね。
でも私にとって神様だってことは、変わらぬ現実です。