蚊取り線香のテレビコマーシャルで「金鳥の夏、日本の夏」が始まった時期は定かではないが、美空ひばりがコマーシャルの顔として起用されていたので、少なくとも40年ほど前のひばり存命の頃にさかのぼる。
ひばりは平成元年(1988年)に52歳で亡くなったのだが、最晩年だった頃に「川の流れのように」(作詞・秋元康 作曲・見岳章)が大ヒットした。
一度入退院を繰り返し、退院後は復帰を危ぶまれたのだが、この「川の流れのように」を唄う頃はすっかり元のひばりに戻っていた。さすが大歌手だ。晩節を全うした人生だったと思う。
さて「日本の夏」だが、蚊取り線香はもちろん日本の夏の風物詩だ。そして、人それぞれに「夏と言えばこれ」というのがあるに違いない。
季節に敏感な日本人だから数えきれないほどの夏の風物がある。風鈴、団扇、打ち水、ゆかた、暑中見舞い、セミ取り、カブトムシ取り、ラジオ体操、夏祭り、盆踊り、花火、海水浴、スイカ割り、朝顔鉢・・・、誰もがほとんど経験している歴史と伝統のある風物詩だ。
忘れてはならないのが、現在進行中の甲子園の高校野球だ。夏休み中の2週間を占める全国大会は今年で104回目、特にテレビ中継が始まった1958年以降は、多くの家庭で団扇片手に(あるいは扇風機を横に)夏休みの高校生を中心に野球少年の胸をときめかせたものだ。
自分も高校生の時から観戦しているのだが、応援団が派手になったという点を除いてはまったく変わらないプレーに、つい歳を忘れて見入ってしまう。
それにしても連日の猛暑の中、選手陣ももちろん大変だが、応援団の活躍には頭が下がる。
一塁側でも三塁側でもアルプススタンドには屋根がなく、カンカン照りの日の光が容赦なく彼らの頭上を襲うのだ。
(NHKの中継画面から)
いやはやご苦労さんとしか言いようがない。他にブラスバンドもいる。そして母校の応援にやって来た多くの生徒たち。
彼等の声援の醸し出す一体感は、試合の勝ち負けを超えて青春の思い出の確固たる一ページになるだろう。
はつらつとしたプレーを見せて欲しい。甲子園の夏、日本の夏。
ひばりは平成元年(1988年)に52歳で亡くなったのだが、最晩年だった頃に「川の流れのように」(作詞・秋元康 作曲・見岳章)が大ヒットした。
一度入退院を繰り返し、退院後は復帰を危ぶまれたのだが、この「川の流れのように」を唄う頃はすっかり元のひばりに戻っていた。さすが大歌手だ。晩節を全うした人生だったと思う。
さて「日本の夏」だが、蚊取り線香はもちろん日本の夏の風物詩だ。そして、人それぞれに「夏と言えばこれ」というのがあるに違いない。
季節に敏感な日本人だから数えきれないほどの夏の風物がある。風鈴、団扇、打ち水、ゆかた、暑中見舞い、セミ取り、カブトムシ取り、ラジオ体操、夏祭り、盆踊り、花火、海水浴、スイカ割り、朝顔鉢・・・、誰もがほとんど経験している歴史と伝統のある風物詩だ。
忘れてはならないのが、現在進行中の甲子園の高校野球だ。夏休み中の2週間を占める全国大会は今年で104回目、特にテレビ中継が始まった1958年以降は、多くの家庭で団扇片手に(あるいは扇風機を横に)夏休みの高校生を中心に野球少年の胸をときめかせたものだ。
自分も高校生の時から観戦しているのだが、応援団が派手になったという点を除いてはまったく変わらないプレーに、つい歳を忘れて見入ってしまう。
それにしても連日の猛暑の中、選手陣ももちろん大変だが、応援団の活躍には頭が下がる。
一塁側でも三塁側でもアルプススタンドには屋根がなく、カンカン照りの日の光が容赦なく彼らの頭上を襲うのだ。
(NHKの中継画面から)
いやはやご苦労さんとしか言いようがない。他にブラスバンドもいる。そして母校の応援にやって来た多くの生徒たち。
彼等の声援の醸し出す一体感は、試合の勝ち負けを超えて青春の思い出の確固たる一ページになるだろう。
はつらつとしたプレーを見せて欲しい。甲子園の夏、日本の夏。