佐藤隆一先生より標記の冊子を1つ、私にも贈ってくださりました。ありがとうございました。先生は、この資料センターの運営委員を務められています。
冊子には「資料センター所蔵資料紹介」として、佐藤隆一「幕末海防論の書 塩谷宕陰『隔鞾論(かくかろん)』」が掲載されています。
紹介資料は、儒者で開国論者でもあった塩谷が安政6年(1859)、当時の東アジア情勢を鑑み率直な意見を述べたものです。
佐藤隆一先生より標記の冊子を1つ、私にも贈ってくださりました。ありがとうございました。先生は、この資料センターの運営委員を務められています。
冊子には「資料センター所蔵資料紹介」として、佐藤隆一「幕末海防論の書 塩谷宕陰『隔鞾論(かくかろん)』」が掲載されています。
紹介資料は、儒者で開国論者でもあった塩谷が安政6年(1859)、当時の東アジア情勢を鑑み率直な意見を述べたものです。
佐藤隆一先生より標記論考の抜刷を1冊、私にも贈ってくださりました。ありがとうございます。
江戸時代のいわゆる「鎖国」期、幕府がヨーロッパ世界のなかで唯一通商関係を継続させたのはオランダであり、幕府がオランダ商館長に対して海外事情を記す「オランダ風説書」を提出させたのは有名な話でしょう。「オランダ別段風説書」とは、アヘン戦争発生時期の天保11年(1840)から通商修好条約締結時期の安政6年(1859)までの約20年間、オランダ人がバタヴィア(現在インドネシアの首都ジャカルタ)の植民地政庁で作成し幕府へ提出していた特別版です。
論考では、ペリー来航期の前と後で、別段風説書の国内における扱い方がどう変化したのかを説明しています。情報をつうじた幕藩関係の政庁レベルでの変化を考えるのに、重要な事例の1つだと思われます。