より良き明日の為に

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貧困撲滅と世界連邦

2008-07-02 18:34:00 | より良き世界のために

 ケニアのポール・テルガトさんは2003年のベルリンマラソンを当時の世界最高記録で走り優勝しました。 彼の生まれた村は貧しく、幼い頃の記憶はひもじさばかりで、母親が歌で子供たちの空腹を紛らし、寝かしつける毎日だったそうです。 まともな朝食も取れないまま5キロの道を走って学校に通っていましたが、8歳の年に世界食糧計画(WFP)が彼の学校で無料の給食を始めました。 家では食べられないトウモロコシと豆の温かい食事が彼に“力と意志”を与えてくれたそうです。半世紀近くにわたって貧困地域で学校給食プログラムを進め、資金難に悩みながらも年間約1600万人の子供を援助しているWFPの事業は尊く有益です。 しかしそれでも手の届く範囲は世界で3億人と言われる飢えている子供の5%に過ぎません。 世界が今の倍の資金を出したとしても10%です。 新しい発想と組織による貧困撲滅が図られなければならないと考えるのは私だけでしょうか。 

先ごろ第4回アフリカ開発会議(TICAD Ⅳ)が終了しました。 日本は5年後にアフリカ向け政府開発援助(ODA)を倍増する約束です。 国と地方を合わせ1000兆円近い借金を抱え、若者の多くがワーキングプアに陥っている我が国に、この約束を守ることができるのでしょうか。 またそのODAは有効に働くのでしょうか。 アフリカに限らず発展途上国の先進国による経済援助は多くの失敗を重ねてきました。 橋が建設中に落ちたり、発電機が補修資材や補修用員の不足のために稼働していないなど、その例は枚挙にいとまがありません。 巨額の援助資金の多くは先進国の大企業が回収し、残りの大部分も途上国の独裁者の懐に消えます。 日本以外の国のODAには武器輸出すら相当含まれていると言われています。 あとには巨額の債務負担を抱えた途上国の国民が残るのです。

ODAはなぜこのように失敗続きなのでしょうか。 それはひとつには先進国から途上国への“施し”または“慈善”だからです。 先進国では巨額の“施し”が途上国でどのように成果を上げているか、上げ続けているかはそれほど注目されません。 検証もさほど厳しく行われません。 ましてや継続的な検証はさらに乏しいのです。 かくしてさほど途上国の国民のためにはならないものが作られ、かつ短期間で使い物にならなくなったりするのです。  世界連邦では世界中から“世界連邦税”を集めます。 この資金で世界連邦に託された“世界共通”の諸問題に対処していくわけですが、その一部が途上国の経済開発に使われます。 冒頭に掲げたWFPの活動のように今日明日を生きるための給食プランもあれば、教育、職業訓練など中長期のプランもあります。 ここで使われるのは“税金”ですから綿密な予算編成と厳格かつ継続的な検証が行われます。 “施しや慈善”のような気まぐれのものでなく“社会保障やセーフティネット”に近いものになります。 それは“すべての世界人民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する”とする世界連邦憲章の中の一項(私案)にもとづくものです。

ODAの失敗続きの原因の二つ目は発展途上国の政治体制の劣悪さにあります。 たとえばミャンマーですが、5月のサイクロンで多くの被災者が出ました。 被災地に救援の手が届いていない一方で、軍政は関連企業に復興事業を割り振り、被災者の土地を奪っているそうです。 6月の新憲法承認国民投票では軍政が棄権した人や行方不明者の身分証番号を使って、勝手に賛成票を投じたとも伝えられています。 6月の大統領選挙で野党側に対する与党側の殺人、脅迫、拉致、暴行など不正の限りが尽くされたジンバブエですが、こんな話もあります。 役所の非能率でなかなか電話が引けない。 そこである民間人が携帯電話会社を設立したところ、政府は民間の電話事業を禁止する法律を作る。 裁判所がそれを違憲と判断すると、今度は事業を免許制に切り替え、免許を大統領の親族に与えてしまったというのです。 このような政治体制の国にいくら資金援助してもその金は国民に届く前に権力者、役人などがあらかた吸いこんでしまいます。

従ってこれらの国々の政治体制の刷新つまり民主化が必要なのですが、これが現在の国連体制では簡単ではありません。 先程のミャンマーにしろジンバブエにしろ、国際社会は懸命に民主化を促しますが、手が届きません。 それは国の主権を最大限に認めているからです。 国境があまりに高く、内政干渉ができないのです。 世界連邦ではここが違ってきます。 国境の高さは今より低くなります。 世界連邦政府は途上国の貧困撲滅、人権擁護の名のもと、その国の国政選挙を管理し、自由で公正な選挙を保障します。 かくして軍政や独裁政権は姿を消し民主国家に変わっていきます。 これは世界共通の課題処理を託された世界連邦にして初めてできることで、現在の国連ではできません。 このようして初めて世界連邦税による“社会保障やセーフティネット”が途上国の国民一人一人まで届きます。 そして“すべての世界人民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する”とする世界連邦憲章の中の一項(私案)が実現されるのです。