2006年春の多発性骨髄腫診断から10年が過ぎました。
途中の10年夏から12年夏までの2年間はアミロイドーシスも併発しました。ただし結果的には誤診だったのです。歯痕舌をアミロイドーシスの症状と疑い、胃粘膜の採取生検、心電図や心エコーなどを重ねた結果、アミロイドーシスと診断されたのです。アミロイドーシスは特定疾患に指定されている難病であり、思わず目の前が真っ暗になったのを憶えています。
治療としてメルファラン、プレドリン、サリドマイド併用のMPT療法、続いてレナリドミド、デキサメタゾン併用のRd療法を実施しました。
11年秋から新規に保険適用されたフリーライトチェーン(FLC)検査を実施した結果が正常値だったので、アミロイドーシスの診断そのものを疑い始めました。骨髄腫患者の会を通じてその顧問医師を紹介して頂き、私の主治医との間でメールを介した変則セカンドオピニオンを実施した結果、2年前のアミロイドーシス診断は誤診だったことが判明しました。2年間のトンネルから抜け出て日差しを浴びた心地でした。
08年投稿の「早期発見とQOL」にも記しましたが、当地の様な過疎地の医療体制にはつくづく悲哀を感じています。骨髄腫による多発性圧迫骨折で東京までの移動が困難なばかりに先進医療を受けられず、経皮的椎体形成術(PVP)やバルーン椎体形成術(BKP)を受けてQOL改善を図れなかったのが残念でなりません。また東京の専門医ならアミロイドーシスの誤診そのものも無かった事でしょう。
しかし、06年夏に受けたたった一回の末梢血幹細胞移植(PBSCT)が奏功してこの10年間、骨髄腫細胞は大人しくしてくれました。有り難いことです。これからもこの地で主治医を信頼し、自らも準主治医になったつもりで主体的にこの病と付き合って行くつもりでいます。
途中の10年夏から12年夏までの2年間はアミロイドーシスも併発しました。ただし結果的には誤診だったのです。歯痕舌をアミロイドーシスの症状と疑い、胃粘膜の採取生検、心電図や心エコーなどを重ねた結果、アミロイドーシスと診断されたのです。アミロイドーシスは特定疾患に指定されている難病であり、思わず目の前が真っ暗になったのを憶えています。
治療としてメルファラン、プレドリン、サリドマイド併用のMPT療法、続いてレナリドミド、デキサメタゾン併用のRd療法を実施しました。
11年秋から新規に保険適用されたフリーライトチェーン(FLC)検査を実施した結果が正常値だったので、アミロイドーシスの診断そのものを疑い始めました。骨髄腫患者の会を通じてその顧問医師を紹介して頂き、私の主治医との間でメールを介した変則セカンドオピニオンを実施した結果、2年前のアミロイドーシス診断は誤診だったことが判明しました。2年間のトンネルから抜け出て日差しを浴びた心地でした。
08年投稿の「早期発見とQOL」にも記しましたが、当地の様な過疎地の医療体制にはつくづく悲哀を感じています。骨髄腫による多発性圧迫骨折で東京までの移動が困難なばかりに先進医療を受けられず、経皮的椎体形成術(PVP)やバルーン椎体形成術(BKP)を受けてQOL改善を図れなかったのが残念でなりません。また東京の専門医ならアミロイドーシスの誤診そのものも無かった事でしょう。
しかし、06年夏に受けたたった一回の末梢血幹細胞移植(PBSCT)が奏功してこの10年間、骨髄腫細胞は大人しくしてくれました。有り難いことです。これからもこの地で主治医を信頼し、自らも準主治医になったつもりで主体的にこの病と付き合って行くつもりでいます。