もうこんな歳(どんな歳?)

30代半ばで化学物質過敏症を自覚。以来、過敏症の症状はありつつも、病院には行かず、普通に生活できています。

田舎の水

2022-06-21 10:02:37 | 化学物質に過敏な事
マンションの水と違い、田舎の水は浄水器つけてなくても冷たくて甘くて美味しい。

普通のお茶がとても甘くて美味しい。

家で飲んでいるコーヒー豆を持って行ったけれど、味が全然違う。

こんなに美味しくなるんや。

と改めて感じました。

田舎の水、ええな。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

殺虫剤

2022-06-21 09:58:25 | 化学物質に過敏な事
田舎の家に何やら虫が入ってきました。

大きい!

蜂?

ヤバい!!!

そう感じてすぐに、配偶者のいる所に行って「おとーさん!蜂!大きい!」と叫びました。

配偶者は、「こんな時(法事)やけどしゃぁない」と言って、殺虫剤のスプレー缶を持って蜂のいる部屋へ。

処理してくれたようです。

ほっ。

その後、バタバタしている時、その事を忘れて、その部屋に入ってしまいました。

なにやら良いにおいの後に危険なニオイ。

ヤバいっ!ここにおったらあかん!倒れる!と用事も忘れて、その部屋を出る。

そんな事をお客さんが来る前に2回やりました(あほ)

通気の良い田舎の家なので、しばらくすると、危険なニオイはなくなりました。

危なかった。

倒れなくて良かった。

お客さんが来る前で良かった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七夕

2022-06-21 09:48:14 | 日記
義母の一周忌が終わりました。

昨年、七夕の夜中電話がかかり、嵐のような大雨の中、二人で右往左往しながら初めて行く病院へ車を飛ばしたのがついこの間のように思います。

義父が亡くなってからは「はよ迎えにきて」と言いながらお薬を飲んでいた義母に対し、「(義父が)来て欲しくないんや」「まだ(この世に)居れという事やね」「寿命やから」とか言って励まして(?)いました。

随分と足も弱り、認知もすすみ、施設からはあまり良い待遇を受けてなかったような感じもしていました。

コロナが大変な時、義母も大変な事が何度も重なり、唯一すぐにかけつけられる家族である配偶者は大変な思いを何度もしました。

病院から「もうアカンかもしれないから」と二人で夜中救急にかけつけた時です。

管を沢山つけて意識も半分なく息苦しそうにしている義母に「義母さん頑張って」と声をかけたものの、義母の苦しみを思うと頑張ったほうがいいのかどうか、私自身もわかりませんでした。

その時は、3か月程の入院で奇跡的に回復しました。

その後施設を替わり、本人もですが家族にも、とてもよくしていただきました。

病院の定期健診には配偶者の替わりに私が付いていきました。

「新たに何の問題はない。よく食べて、来年また来てください」と言われました。

その1週間後くらいに突然逝ってしまいました。

最期の時、哀しみはありましたが「義母さん、良かったね」という言葉しか出ませんでした。

ようやく彦星様のような義父が迎えに来てくれたのだと思いました。

七夕飾りを見ると、義父母を偲び、寂しくなります。

でも悲しくはないです。

遺影に向かって「義母さん、良かったね」と笑顔で言えます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする