母の一番下の妹が亡くなったという知らせを聞き、なんとかして直接最後のお別れをしに千葉に行きたいと思いました。
母も同じ気持ちで、しかも母は、お通夜もお葬式も行きたいという事で、兄と相談。
杖をついた88歳の老婆一人で大阪から千葉へ行くのはもちろん無理です。
誰かが連れていかなくては行けませんが、お通夜もお葬式もとなると、皆仕事などがありますので難しいです。
結局、お通夜の日は私が母を連れて行き、お通夜の夜は親戚にお世話になり、お葬式の日に兄が母を連れて帰るという事になりました。
私一人でも、四街道まで電車で行くのは不安なのに、母は大丈夫なのかと思いましたが、母は「行ける!行く!」と聞きませんでしたので。
お通夜式の日の午前中はいろいろとしないといけない事もありますので、午後から行き、2時間程葬祭会館でお別れと親戚に挨拶出来るかなという予定でした。
終電に乗るようにすると、お通夜式の途中で退席しなくてはいけません。
お通夜式の途中で親戚席から退席すると失礼になるという兄の助言で、お通夜式の始まる前に大阪にとんぼ返りする事にしました。
私は直接お別れを言って、親戚に会って少しでも話出来ればいいかなと。
母のために、出来るだけ乗り換えのないようにと思い、中百舌鳥→新大阪→東京or品川→四街道で乗り換え2回で行く事にしました。
配偶者が車で実家へ母を迎えに行き、私と母を中百舌鳥に送り届けてくれたので、少し助かりました。
実家に到着すると、着替えと、細長いけれどけっこう大きい荷物が用意されています。
それをを持って行くと言います。
細長い荷物は母の妹が書いた書で、お棺に入れたいという事でした。
着替えは分かりますが、書は。(困)
「そんな大きな物、お棺に入れられへんかもしれない」と持って行くのを暗に拒否しますが、聞きません。
荷物を持つのは私やけど、そんな事は当然と思っています。
こんな時に、そんな事で言い争いもと思い、私が折れました。
地下鉄中百舌鳥は始発ですので、電車に乗れば新大阪まで座っていけます。
中百舌鳥駅から新大阪まで杖をつきながら、頑張って歩いてくれました。
エスカレーターに乗るのが、少し怖いようでためらいます。
新大阪でお弁当を買って、新幹線の中で食べる予定だったのですが、時間があるなら、新大阪でお昼を食べたいと言います。
こんな時だけ、上手に娘に甘えられるようになりましたよ。母(昔は鬼母だったのにね)
糖尿病でカロリーは控えないといけないけど、お昼食べないと、通夜振る舞いまで食べられないかもしれません。
お店をいろいろ見てまわり、コーヒーが飲みたいからとカフェに入りました。
糖尿病改善を意識するようになってから、コーヒーを良く飲むようになりました。
そして、なんとデミカツサンドを注文。
出来上がったら、当然、私の前にデミカツサンド置きますよね~~(違笑)
けっこうボリュームあったのに、母は完食!
コーヒーは濃かったようで、「苦い・苦い」と言いながら、砂糖を袋(3g)ごと私に渡します。
はいはい。。開けろっていう事ね。
砂糖、醤油、ワサビなど、小袋は便利ですが、指先が不自由で開けられません。
少し前まで開けれなかったポーションのミルクは開けれたようで、自慢げに私に報告。
ポーションのミルクは乳製品というより油脂やから余り使って欲しくないのですが。
サデミカツサンドを食べてる途中で「お薬忘れてた」といい、食前の薬を飲んだけど、後から考えたら、それ、朝か夜のお薬(汗)。
食後、お土産を買ってなかったからお土産も買うと言い出し、またウロウロ。
結局、良いのが見つからず、先にトイレへ。
障害者用トイレがゆったりとしてお気に入りなのですが、あいにく使用中。
でも、新大阪のトイレはほぼ様式で中も広いので、良かったです。
私もトイレを済ませ母を待っていますが、母がなかなか出てきません。
先に出たのかと、トイレの外まで行ってキョロキョロしますが、それらしき人はいません。
まだ出てきていないのか。。
何かあったのかな?
大丈夫かな?
ドアをトントンしてみようか?と思っていると、やっと出てきたので、「大丈夫?どうかしたん?」と聞くと、ズボンのホックがうまく止められなかったそうです。
ズボンのホックを止めてやって、新幹線の切符売り場へ。
ピタパ・イコカを使えるなら現金をチャージしたかったのですが、新幹線内ではカードが使えないという事でしたので、普通に乗車券往復と特急券を買い、時間に余裕を持って窓際の指定席を購入。
新幹線を待っている間に、お土産を買ってほっとしたようです。
でも、肝心な飲み物買ってないよ。母。
新幹線のホームのお店で水が買えたので良かったです。
新幹線に乗り込み、窓側の席に座ると、窓の外をじっとずっと見つめる母。
時々「ほぉほぉ」と感心して見ていました。
富士山が見えない側で残念でしたが、浜松・熱海などの海が見れました。
私は時折うつらうつらしましたが、母は寝ないでじっと外を見てたようでした。
何か思う所があったと思います。
新幹線の中で、書の事をポロリ。
実は前の日に、葬儀に参加する予定の兄に持って言ってくれと頼んだそうです。
しかし、兄に「向こうの迷惑になるからやめとけ」と断られたものの、あきらめられなくて、私に持って行くのを押し付けたようでした。
ずっと我慢していた私も、ついイラっとなり、少し八つ当たり。
怒ると、ありえないくらい小さくなりシュンとなるので、怒るのをやめました。
まわりに人もいますし、持ってきてしまったものは仕方ありませんから。
品川・東京、どちらで降りようかと思いましたが、時間に余裕はあると思い、最終駅の東京のほうが、慌てず降車しやすいと思い、東京駅まで行きました。
さぁそこからも大変。
同じJRでありながら、総武線がわかりません。
駅員さんに一旦聞き、表示を見ながら行きますが、歩いても歩いてもなかなか総武線にたどりつきません。
杖をつきながら歩いている母を振り返りつつ、待ちつつ、ゆっくりと行きます。
途中で、再度トイレを探しますが(コーヒー飲んだしね)、通路沿いにはありません。
脇に入ってしまうと様子がわからないので、迷うかも知れません。
「我慢できる」という事で総武線までなんとか行きますと、わかりやすい所にトイレがありましたので、トイレに行きました。
が、そこのトイレは古く、和式トイレが4つと洋式トイレは1つ。
足の悪い母は和式が無理ですので、洋式が開くのを待ちますが、前の人がなかなか出てこない(汗)
そうこうするうちに、乗り換えの時間が少なくなりました。
少し焦りながらホームに降りようとしましたが、そこは私でもためらう程のけっこう急な階段(ガーン!)。
目的の電車の到着まで後2分です。
「お母さん、電車まで後2分やけど、この階段降りれる?」と聞くと、当然の事ながら「無理」と言います。
目的の電車をあきらめて、エスカレーター・階段を探しますが、表示が見当たりません。
駅員さんを見つけて、エスカレーターかエレベーターの場所と、次の電車を聞きました。
焦る必要がなくなりましたので、ゆっくりとエレベーターでホームに降りました。
検索すると、目的の「四街道駅」までは乗り換えれば、早く行ける電車はあるのですが、母を連れての乗り換えも大変です。
もし、乗り換えでホームを移動する事になれば、初めての場所で私もウロウロしますし、かえって遅くなるかもしれないと思い、次の快速を待つ事にしました。
元々とんぼ返りの予定でしたが、さらににとんぼ返りになりそう(汗)
けれど、もうこの時には、自分の事はどうでもよくなり、とにかく母を無事に届ける事が大切と思いました。
ホームには椅子もありません。
杖をついてずっと立っている母に声をかけますが、「大丈夫」と言ってくれて我慢してくれました。
やっと到着した電車は人が一杯!
座れないなぁ~~と思っていたのですが、列車の扉が開いた瞬間、母の移動の早い事(笑)
そして、ターゲットの辺りに向かって席を譲りなさいオーラ全開!
その気に押されて、若い女の子一人が席を譲ってくれました(感謝)
母もにっこり笑顔で「ありがとう~」
電車に乗ってからは、母得意の人物観察。
じ~~~~~~~っと穴が開く程、珍しそうにいろいろと見つめます。
スマホを何度も覗かれて、隣の席の若い女性が嫌がってました(ごめんね)
席が開くと、私を座らせようと目配せするのですが、すぐに他の人が座ります。
私は母の前がいいので、ずっと立ってました。
立ってたおかげで、スカイツリーが見れたので良かったです。
スカイツリーの事を母に言うと、きっと振り返って、大騒ぎになると思い(笑)、知らせず。
電車に乗っている間、興味深く人物観察をしている母が面白可愛く、またハラハラと見守っている間に、なんとか四街道までたどり着きました。
電車を降り、改札口までのエスカレーターかエレベーターを探してホームを歩いていると、電車が高速で通り過ぎるのが怖く、「危ないから、電車が通りすぎてから歩こう」と電車が通り過ぎるのを待ちますが、なかなか通り過ぎません。
なが~~~~っ!15とか16両編成とか南海電車ではありませんから。
倍やんっ!
長い電車が行き過ぎてから、エレベーターを探して改札へ。
式場は駅から6分程度の所なのですが、「タクシーで行こう」と言います。
タクシーの運転手さんに、「近くやけど、足が悪いので。いいですか?」と聞くと、快く「いいですよ」と快く言ってもらったので、タクシーで式場へ。
予定より1時間以上のロス。
「あんた、すぐ帰らなあかんな」とバツが悪そうに言いますが、(老)母を連れていくという事を読み違えた私のミスでしょう。
到着すると、母は挨拶もそこそこに、すぐに私が持っていた書を取り、どこかに行きます。
式場のスタッフさんに、家族写真などを飾っている所に、書を飾ってもらい、ご満悦でした。
お別れに来た人も書を見てくれていたので、我慢して持って行った甲斐はありました。
直接お別れも言えたし、めったに会えない親戚とも会って、少し話も出来ました。
母を親戚に任せ、私はお通夜式の前に失礼しました。
私一人だと移動が早い事(笑)
予定よりも早く難波に着きました。
そこからゆっくりトイレに行き、座れる電車を待ち、予定通りの電車で堺に戻りました。
翌日、母を連れて帰る兄に、乗り継ぎ駅やトイレについて報告。
乗り換え案内、トイレの時間(ロス)は入ってない事を確認しました。
一つ賢くなりました。
母はお葬式までいて、叔母を見送り、兄と帰ってきました。
帰り、京都駅手前で停電があり、幹線の中に缶詰となり、心配しましたが、なんとか京都駅まで着き、在来線で新大阪に着きました。
兄が新大阪に車を置いていたので、車で帰る事が出来たそうです。
帰りついたのは、12時半もまわっていました。
ずっと心配していた妹が亡くなり、自分も大変な移動で疲れたかなと思いましたが、(寂しい事には間違いありませんが)88歳で千葉まで電車で行けて、いろいろと経験出来たというのは刺激となっているようです。
私にとりましても、88歳の母と電車で遠出する事はもうないかもしれないと思いましたので、連れていけて良かったです。
母も同じ気持ちで、しかも母は、お通夜もお葬式も行きたいという事で、兄と相談。
杖をついた88歳の老婆一人で大阪から千葉へ行くのはもちろん無理です。
誰かが連れていかなくては行けませんが、お通夜もお葬式もとなると、皆仕事などがありますので難しいです。
結局、お通夜の日は私が母を連れて行き、お通夜の夜は親戚にお世話になり、お葬式の日に兄が母を連れて帰るという事になりました。
私一人でも、四街道まで電車で行くのは不安なのに、母は大丈夫なのかと思いましたが、母は「行ける!行く!」と聞きませんでしたので。
お通夜式の日の午前中はいろいろとしないといけない事もありますので、午後から行き、2時間程葬祭会館でお別れと親戚に挨拶出来るかなという予定でした。
終電に乗るようにすると、お通夜式の途中で退席しなくてはいけません。
お通夜式の途中で親戚席から退席すると失礼になるという兄の助言で、お通夜式の始まる前に大阪にとんぼ返りする事にしました。
私は直接お別れを言って、親戚に会って少しでも話出来ればいいかなと。
母のために、出来るだけ乗り換えのないようにと思い、中百舌鳥→新大阪→東京or品川→四街道で乗り換え2回で行く事にしました。
配偶者が車で実家へ母を迎えに行き、私と母を中百舌鳥に送り届けてくれたので、少し助かりました。
実家に到着すると、着替えと、細長いけれどけっこう大きい荷物が用意されています。
それをを持って行くと言います。
細長い荷物は母の妹が書いた書で、お棺に入れたいという事でした。
着替えは分かりますが、書は。(困)
「そんな大きな物、お棺に入れられへんかもしれない」と持って行くのを暗に拒否しますが、聞きません。
荷物を持つのは私やけど、そんな事は当然と思っています。
こんな時に、そんな事で言い争いもと思い、私が折れました。
地下鉄中百舌鳥は始発ですので、電車に乗れば新大阪まで座っていけます。
中百舌鳥駅から新大阪まで杖をつきながら、頑張って歩いてくれました。
エスカレーターに乗るのが、少し怖いようでためらいます。
新大阪でお弁当を買って、新幹線の中で食べる予定だったのですが、時間があるなら、新大阪でお昼を食べたいと言います。
こんな時だけ、上手に娘に甘えられるようになりましたよ。母(昔は鬼母だったのにね)
糖尿病でカロリーは控えないといけないけど、お昼食べないと、通夜振る舞いまで食べられないかもしれません。
お店をいろいろ見てまわり、コーヒーが飲みたいからとカフェに入りました。
糖尿病改善を意識するようになってから、コーヒーを良く飲むようになりました。
そして、なんとデミカツサンドを注文。
出来上がったら、当然、私の前にデミカツサンド置きますよね~~(違笑)
けっこうボリュームあったのに、母は完食!
コーヒーは濃かったようで、「苦い・苦い」と言いながら、砂糖を袋(3g)ごと私に渡します。
はいはい。。開けろっていう事ね。
砂糖、醤油、ワサビなど、小袋は便利ですが、指先が不自由で開けられません。
少し前まで開けれなかったポーションのミルクは開けれたようで、自慢げに私に報告。
ポーションのミルクは乳製品というより油脂やから余り使って欲しくないのですが。
サデミカツサンドを食べてる途中で「お薬忘れてた」といい、食前の薬を飲んだけど、後から考えたら、それ、朝か夜のお薬(汗)。
食後、お土産を買ってなかったからお土産も買うと言い出し、またウロウロ。
結局、良いのが見つからず、先にトイレへ。
障害者用トイレがゆったりとしてお気に入りなのですが、あいにく使用中。
でも、新大阪のトイレはほぼ様式で中も広いので、良かったです。
私もトイレを済ませ母を待っていますが、母がなかなか出てきません。
先に出たのかと、トイレの外まで行ってキョロキョロしますが、それらしき人はいません。
まだ出てきていないのか。。
何かあったのかな?
大丈夫かな?
ドアをトントンしてみようか?と思っていると、やっと出てきたので、「大丈夫?どうかしたん?」と聞くと、ズボンのホックがうまく止められなかったそうです。
ズボンのホックを止めてやって、新幹線の切符売り場へ。
ピタパ・イコカを使えるなら現金をチャージしたかったのですが、新幹線内ではカードが使えないという事でしたので、普通に乗車券往復と特急券を買い、時間に余裕を持って窓際の指定席を購入。
新幹線を待っている間に、お土産を買ってほっとしたようです。
でも、肝心な飲み物買ってないよ。母。
新幹線のホームのお店で水が買えたので良かったです。
新幹線に乗り込み、窓側の席に座ると、窓の外をじっとずっと見つめる母。
時々「ほぉほぉ」と感心して見ていました。
富士山が見えない側で残念でしたが、浜松・熱海などの海が見れました。
私は時折うつらうつらしましたが、母は寝ないでじっと外を見てたようでした。
何か思う所があったと思います。
新幹線の中で、書の事をポロリ。
実は前の日に、葬儀に参加する予定の兄に持って言ってくれと頼んだそうです。
しかし、兄に「向こうの迷惑になるからやめとけ」と断られたものの、あきらめられなくて、私に持って行くのを押し付けたようでした。
ずっと我慢していた私も、ついイラっとなり、少し八つ当たり。
怒ると、ありえないくらい小さくなりシュンとなるので、怒るのをやめました。
まわりに人もいますし、持ってきてしまったものは仕方ありませんから。
品川・東京、どちらで降りようかと思いましたが、時間に余裕はあると思い、最終駅の東京のほうが、慌てず降車しやすいと思い、東京駅まで行きました。
さぁそこからも大変。
同じJRでありながら、総武線がわかりません。
駅員さんに一旦聞き、表示を見ながら行きますが、歩いても歩いてもなかなか総武線にたどりつきません。
杖をつきながら歩いている母を振り返りつつ、待ちつつ、ゆっくりと行きます。
途中で、再度トイレを探しますが(コーヒー飲んだしね)、通路沿いにはありません。
脇に入ってしまうと様子がわからないので、迷うかも知れません。
「我慢できる」という事で総武線までなんとか行きますと、わかりやすい所にトイレがありましたので、トイレに行きました。
が、そこのトイレは古く、和式トイレが4つと洋式トイレは1つ。
足の悪い母は和式が無理ですので、洋式が開くのを待ちますが、前の人がなかなか出てこない(汗)
そうこうするうちに、乗り換えの時間が少なくなりました。
少し焦りながらホームに降りようとしましたが、そこは私でもためらう程のけっこう急な階段(ガーン!)。
目的の電車の到着まで後2分です。
「お母さん、電車まで後2分やけど、この階段降りれる?」と聞くと、当然の事ながら「無理」と言います。
目的の電車をあきらめて、エスカレーター・階段を探しますが、表示が見当たりません。
駅員さんを見つけて、エスカレーターかエレベーターの場所と、次の電車を聞きました。
焦る必要がなくなりましたので、ゆっくりとエレベーターでホームに降りました。
検索すると、目的の「四街道駅」までは乗り換えれば、早く行ける電車はあるのですが、母を連れての乗り換えも大変です。
もし、乗り換えでホームを移動する事になれば、初めての場所で私もウロウロしますし、かえって遅くなるかもしれないと思い、次の快速を待つ事にしました。
元々とんぼ返りの予定でしたが、さらににとんぼ返りになりそう(汗)
けれど、もうこの時には、自分の事はどうでもよくなり、とにかく母を無事に届ける事が大切と思いました。
ホームには椅子もありません。
杖をついてずっと立っている母に声をかけますが、「大丈夫」と言ってくれて我慢してくれました。
やっと到着した電車は人が一杯!
座れないなぁ~~と思っていたのですが、列車の扉が開いた瞬間、母の移動の早い事(笑)
そして、ターゲットの辺りに向かって席を譲りなさいオーラ全開!
その気に押されて、若い女の子一人が席を譲ってくれました(感謝)
母もにっこり笑顔で「ありがとう~」
電車に乗ってからは、母得意の人物観察。
じ~~~~~~~っと穴が開く程、珍しそうにいろいろと見つめます。
スマホを何度も覗かれて、隣の席の若い女性が嫌がってました(ごめんね)
席が開くと、私を座らせようと目配せするのですが、すぐに他の人が座ります。
私は母の前がいいので、ずっと立ってました。
立ってたおかげで、スカイツリーが見れたので良かったです。
スカイツリーの事を母に言うと、きっと振り返って、大騒ぎになると思い(笑)、知らせず。
電車に乗っている間、興味深く人物観察をしている母が面白可愛く、またハラハラと見守っている間に、なんとか四街道までたどり着きました。
電車を降り、改札口までのエスカレーターかエレベーターを探してホームを歩いていると、電車が高速で通り過ぎるのが怖く、「危ないから、電車が通りすぎてから歩こう」と電車が通り過ぎるのを待ちますが、なかなか通り過ぎません。
なが~~~~っ!15とか16両編成とか南海電車ではありませんから。
倍やんっ!
長い電車が行き過ぎてから、エレベーターを探して改札へ。
式場は駅から6分程度の所なのですが、「タクシーで行こう」と言います。
タクシーの運転手さんに、「近くやけど、足が悪いので。いいですか?」と聞くと、快く「いいですよ」と快く言ってもらったので、タクシーで式場へ。
予定より1時間以上のロス。
「あんた、すぐ帰らなあかんな」とバツが悪そうに言いますが、(老)母を連れていくという事を読み違えた私のミスでしょう。
到着すると、母は挨拶もそこそこに、すぐに私が持っていた書を取り、どこかに行きます。
式場のスタッフさんに、家族写真などを飾っている所に、書を飾ってもらい、ご満悦でした。
お別れに来た人も書を見てくれていたので、我慢して持って行った甲斐はありました。
直接お別れも言えたし、めったに会えない親戚とも会って、少し話も出来ました。
母を親戚に任せ、私はお通夜式の前に失礼しました。
私一人だと移動が早い事(笑)
予定よりも早く難波に着きました。
そこからゆっくりトイレに行き、座れる電車を待ち、予定通りの電車で堺に戻りました。
翌日、母を連れて帰る兄に、乗り継ぎ駅やトイレについて報告。
乗り換え案内、トイレの時間(ロス)は入ってない事を確認しました。
一つ賢くなりました。
母はお葬式までいて、叔母を見送り、兄と帰ってきました。
帰り、京都駅手前で停電があり、幹線の中に缶詰となり、心配しましたが、なんとか京都駅まで着き、在来線で新大阪に着きました。
兄が新大阪に車を置いていたので、車で帰る事が出来たそうです。
帰りついたのは、12時半もまわっていました。
ずっと心配していた妹が亡くなり、自分も大変な移動で疲れたかなと思いましたが、(寂しい事には間違いありませんが)88歳で千葉まで電車で行けて、いろいろと経験出来たというのは刺激となっているようです。
私にとりましても、88歳の母と電車で遠出する事はもうないかもしれないと思いましたので、連れていけて良かったです。