神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] ゾーイの物語

2010-10-11 22:43:29 | SF
『ゾーイの物語 老人と宇宙4』 ジョン・スコルジー (ハヤカワ文庫 SF)




今年の星雲賞を受賞した『最後の星戦』で完結のはずの《老人と宇宙シリーズ》の第4弾。というか、外伝的位置づけの作品。ジョンとジェーンの養子、ゾーイの視点から見た物語。

ジュブナイルと聞いていたのだが、16歳の少女の一人称というだけで、特に子供向けという要素は無かった。訳もラノベ風ではないしね。そもそも、この物語は《老人と宇宙シリーズ》のボーナストラックなので、これだけ読んでも話が良くわからないんじゃないかと思う。

『最後の星戦』でご都合主義的に描かれたゾーイの活躍の裏にどのような物語があったのかという、読者の興味と批判に答える形での刊行とのことだが、どう考えたって、最初からこの巻までの企画込みだったんじゃないかと思われる。それぐらいにご都合主義だったからなぁ。

で、その語られなかったゾーイの冒険というのが期待以上。ロアノークでの原住民との邂逅はドキドキハラハラだし、オービン族の星での〈デリーの朝〉のシーンは、通勤電車の中でマジで泣きしそうになった。

大作のおまけ小説は、蛇足になりがちだったり、かえって物語を矮小化してしまいがちだったりするのだが、これは4冊あわせてひとつの物語として完成している。

著者はカードの『エンダーのゲーム』に対する『エンダーズシャドウ』を見習ったとのことだが、あの名作に劣らない出来であると断言できる。


ところで、『ゾーイの物語』でヒーローとして描かれる3人の登場人物には共通点があるように思える。ゾーイのボーイフレンド、エンゾ。ロアノークの原住民のひとり。そして、コンクラーベのガウ将軍だ。

『最後の星戦』では、エンゾとガウ将軍が似たもの同士として描かれるとは思っても見なかったが、ゾーイにナイフをくれたロアノークの原住民を間に挟むことで、この3人の共通点が浮かび上がる。

暴力的に走る同僚をなだめ、貧乏くじを引くという性格の彼らを、一貫してゾーイの視点からのヒーローとして描いているように思える。これが、物語のひとつのメッセージとして根底に流れている。

ゾーイだけではなく、『最後の星戦』では完全に悪役だったガウ将軍を、好戦派と非戦派の間で苦悩するキャラクターとして語り直すという意図も合ったのだろう。


ところで、物語で重要な役割を果たす曲〈デリーの朝〉。これは実在しない曲のようだが、〈The Derry Air〉というのを見つけた。要するに〈ダニーボーイ〉なんだけど、〈ベイラの朝〉という歌詞もあるようだし、これが原曲ということでいいのかな。





[SF] エンドレス・ガーデン ロジカル・ミステリー・ツアーへ君と

2010-10-11 10:32:11 | SF
『エンドレス・ガーデン ロジカル・ミステリー・ツアーへ君と』 片理誠 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)




お久しぶりのJコレクション。一発目が片理誠で、その次が上田早夕里と聞くと、今年のSF大会の「SF新人賞&左京賞受賞作家『21世紀SF』を考える」企画を思い出すのだが、これは“いろいろ画策している”中に入っていたんだろうか。


それはさておき、この小説は分厚さの割りには読みやすく、SF的な思弁ネタも入っている良質なSFだと思う。

物語の舞台は人々の意識をコピーした仮想世界、“見えざる小人の国(Crystalline Lilliput)”。ガリヴァ旅行記から材を取った名称であり、他にもガリヴァが訪れた国の名前を冠された仮想世界があるらしい。リリパットはガリヴァ旅行記の中でもっとも有名な国だから選ばれたのであって、リリパットのエピソードよりも、ガリヴァ旅行記そのものが物語の根幹にあるようだ。

その“見えざる小人の国”がハッキングにより危機に瀕している。MOS(Main Opereting System)は世界を救う鍵を探すために、ひとつの人格をダウンロードする。これが主人公のエンデ。MOSはアニメチックな蛾(モス)の妖精の姿でエンデとともに旅をする。

エンデとモスは、住民が作り出した、MOSの影響力が及ばない〈不可侵特区〉をシーケンシャルにアクセスし、世界を救う鍵を探しながら4万個の特区の先にある最後の特区へ辿り着かなければならない。しかし、それぞれの特区は来訪者を拒むパズル的な迷宮になっており、エンデとモスの前を阻む。

エンデという名前からは、ずばりENDとともに、『はてしない物語』や『モモ』を著したミヒャエル・エンデが想起される。はたして、エンデの旅はENDするのか、それとも、はてしない物語となるのか。

スタート地点、首都の中央広場にある落書きには、実は世界の謎がそのまま書かれているのだが、エンデやモスにはもちろん、読者にもそんなことがわかるはずもない。なぜ、ここに書かれているのかというのも実は伏線なのだが、ここまで露骨だと、著者のイタズラに近いかもしれない。

エンデとモスは住民が作った特区を順番に訪れていくが、これが実にゲーム的。アクションゲームあり、パズルゲームあり、推理ゲームあり……。最近はやりの恋愛シュミレーションゲームもあれば良かったような気がするが、物語中のリアルな恋愛ストーリー部分があるのでまずかったのか。逆に、読者の意表を突くような突飛な世界があってもよかったような気がする。これでは、あまりにもゲーム的過ぎる。

まぁ、仮想世界の住民が考えた世界という設定なので、想像力の限界を超えることがなくても設定どおりなのではあるが。

特区は住民が引きこもるために作った世界なのでモスの力は及ばず、来訪者への敵意をむき出す。さらに、世界を救う鍵の持ち主は、鍵を守るために特区をさらに迷宮化させ、挑戦者に鍵を持つ資格があるかを試してくる。その中で、少年として生まれたエンデは成長し、大人になっていく。典型的なビルディングロマンスの構図であり、迷宮を抜けることよりも、成長するということが重要なポイントになるのだろうという気がしていた。ならば、成長しなければならないエンデとは何者なのか。

テーマというか、問題点は合っていたのだけれど、解答はまったくの間違いだった。エンデを新たな意識を持った人工人格として構築しようという試みだと思っていたんだよね。この世界では、人工人格はビデオゲームにおけるNPCみたいなもので、意識を持たないことになっているので、その限界を突破させるための修行じゃないかと。世界の危機は意識をコピーされた人間が数千年のマンネリに飽きて自殺し始めたのが原因だったわけだし、マンネリの打破と世界の空白を埋めるための方策としては新しい人工意識を生み出すことが必要だと思ったわけだ。

ところが、まったく違う真実が明らかになり、エンデによって世界は救われる。

驚きというよりは、感心したというのが近いか。その手は考えなかったよ……。


次々と表れるパズルゲーム的な特区と、それを前にして泣き言を言うエンデ、励ますモスというパターンが楽しい前半部。統治委員会などの謎が徐々に明らかにされていき、SF的な思弁が渦巻く後半部。それぞれに面白く読めた。

SF新人賞受賞者グループによる“いろいろな画策”についても今後に期待したい。


[映画] アンドロメダ…

2010-10-11 09:24:21 | 映画
『アンドロメダ…』 - goo 映画




マイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』の映画化作品である。これもTSUTAYAの発掘良品フェアから。

うーむ。やっぱり、今見ると退屈ですかね。

宇宙からやってきた致死性の病原体(菌やウィルスではなさそうな結晶物質なのだが、やっぱりウィルス扱いなのか)が爆発的に広がるかもというパンデミックへの恐怖が今一つ表現しきれずに、科学者のヒステリックさだけが印象に残る。

一方の大統領側や軍の対応も確かに杓子定規なお役所仕事の典型でイライラがつのるのは確かだが、どちらに理があるのかということを観客に理解させることができていないのではないかと思う。

レベル5まである防護施設への入室体制もほとんどギャグ扱いだ。これで、バイオハザードに対する恐怖が十分に表現できているのかというのは疑問が残る。はたして、公開当時はどのような評判だったんだろうか。

映像的には、画面分割や防疫処理の描写など、この映画で確立した斬新な表現手法もあるのだろうが、映画の歴史を見ているわけではなので、それだけではちょっとね。

他の発掘良品フェアに上がっている作品だと、『カプリコン1』は文句なしに名作だから、未見の人は見ておくように。『アンドロメダ…』は、どうでもいいや。


10月10日(日)のつぶやき

2010-10-11 02:54:08 | つぶやき
09:44 from Tween
なにこれ気持ち悪い。どう見ても適当に考えたエイリアンの図。 [力強い“手”の新種竜脚類を発見] http://bit.ly/cBh4cv
20:52 from Tween
ここ最近の議論は面白いんだが、ちょっとすれ違ってるかもなぁ。今のコンサドーレで不満に思っていることと、ここは続けて欲しいってことを先に表明しといた方が良かったりして。互いのスタンスがわからないから、お互いに言葉の端に引っかかってるような希ガス。
21:53 from Tween
頭痛い。だめだ。風邪薬飲んで寝よう。
by kats_takami on Twitter