『誰に見しょとて』 菅浩江 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
日本初、あるいは、もしかしたら世界初かもしれないお化粧SF。化粧というテーマをここまでSF的に掘り下げたのは驚愕のひとこと。
太古日本、卑弥呼以前の入墨を枕に、近未来の“コスメディック”の進化が語られる。コスメディックとは、コスメティックとメディカルを組み合わせた造語。すなわち、美容と医療のいいとこどりである。
コスメディックをネタに語られるのは、美しくありたいという女性の想いと、さらにその向こうを夢見た新たな想い。そして、その想いは卑弥呼たる女性の未来を見据えた想いへ帰っていく。
いわゆる普通の化粧から、皮膚を科学的に剥いてしまうケミカルピーリングや、さらには美容整形までの間で、倫理的におかしいという線を引くことができるのか。整形までして、という嫌悪感は多くの人にあるだろうが、その境目はどこにあるのか。
さらにその先に、人工皮膚と人工鰓による人魚化などといった人体改造まで含めてしまうと、とたんにSF的な議論は大きくなる。ひとはDNAの定める形を越え、どこまで自由になることができるのか。美容のその向こうに、こんな壮大なテーマが生まれると考えたひとは今までにいただろうか。
なぜ女性は美しくありたいのか。それは自己実現のためである。とは、良く聞く。お化粧は男性に見られるためではなく、女性に見られるためであり、さらには、自分がありたい自分になるためのものなのだ。
そして、なりたい自分が若く美しいだけでなく、肌の色を変えたり、人魚のように水中を舞うことだったり、さらには、外見ではなく精神的に美しくありたいということだったり。化粧というのは奥が深い。
SFファンならば、コスメディックの可能性に未来を見るだろう。そして、SFに興味のない女性でも、美容というものへの関心があれば、登場人物たちの美しくありたい、なりたい自分になりたいという想いに共感して感動できるだろう。
しかし、SFMの連載で読んでいたけれど、改めて続けて読むと、リルやキクの想いが強烈過ぎて、なんでそこまで思い込むのかという疑問も出てくる。どうしそこまでして、自分を変えたいのか。しかし、「戻れなくてもいいから宇宙に飛ばしてくれ」と言う人々は良く見かけるし、それには共感できるので、可能性への挑戦の想いとしては通じるものがあるんだろうと感じた。
美容はもうひとつの宇宙なのかもしれない。