神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] My Humanity

2014-04-22 00:28:38 | SF

『My Humanity』 長谷敏司 (ハヤカワ文庫 JA)

 

同著者の長編SFである『あなたのための物語』、『BEATLESS』の同一世界設定作品やスピンアウト作品を集めた短編集。タイトルの『My Humanity』はちょっと大げさにも見えるが、いろいろな視点から人間とは何か、人間性とは何かを問いかける作品集になっているのではないかと思う。

収録4作品中、3篇はSFマガジンやその他で既読。「allo, toi, toi」なんて、何度目だと思うのだけれど、やっぱりゾクゾクする。

 


「地には豊穣」

地域的文化とは何か。その継承はどうあるべきか。ITPの開発エピソード。

こういった形で、他者から抽出してインストールしなければ継承できない文化というのはどうなんだろうか。そういう意味では、その文化を担っている地域社会そのものを保護すべきなのではないかなと思うのだけれど。

ただ、失われつつあるどころか、もうすでにほとんど残っていないアイヌの文化のことを考えると、こういう形での文化保存というのも悪くないんじゃないかとも思う。

とはいえ、日本文化がこういう形でしか残らないとなるならば、それはそれでさびしいものだ。


「allo, toi, toi」

好きと嫌いの不完全さ。好きという言葉に騙される意識。ITPの応用。

真正ロリコンの囚人を描くことで、いろいろな方面からいろいろな読み方ができる問題作。

果たしてここで紹介される、“好き”という言葉が導く混乱が学説的に正しいのかどうかはわからないが、何度も読み返しているうちに、主人公のロリコンや、刑務所内を支配する囚人たちよりも、ITP応用技術を提供するニューロロジカル社の技術者側の視点におぞましさを感じるようになってしまった。

これも、主人公である囚人に肩入れすることによる、好きという言葉が生み出す混乱の一つなのだろうか。

地域文化は地域社会に矯正された結果ではないかという見方の延長上に、性嗜好や倫理の問題も社会による矯正の結果であり、その矯正はITP技術により容易に再現することができ、それは逆にハッキングもできるのではないか。

そういう前提のものとで、“Humanity”とは何を指すのか。何であるのか。何であるべきなのか。

 

「Hollow Vision」

脳以外は機械となったサイボーグと、判断をすべてコンピュータに任せた生身の人間。hIE。“もの”と“かたち”。

文体なのかなんなのか、何度読んでもこの作品は頭に入ってこない。煙草の煙に潜ませたナノマシンコンピュータというのも、ちょっとリアリティを感じない。

ただそこで問いかけられているテーマは明らかで読み取りやすい。人間の思考はITPによって容易にハッキング可能であることが示されたという事実の上に、完全なる他者としての超高度AIの存在があることの恐怖感。それに対し、わかっていながらその恐怖感をまったく感じていない主人公に激しく違和感を覚える。

言葉によるハッキングと、“かたち”によるハッキング。そして、それを操ることが容易に可能な超高度AI。それらによって保守的な“Humanity”を突き崩され、革新的な“Humanity”が必要とされていく。

ついでに言うと、宇宙時代には地域文化は失われる。という描写があったのが、「地には豊穣」との対比で面白かった。

 

「父たちの時間」

暴走するナノマシン。無駄に費やされるオスの時間。

“Humanity”という単語が出てくる議論も登場するが、タイトル通り、父とは何か、オスとは何かというテーマの方が強い。さらに言えば、ポスト311としての制御しきれない科学技術の暴走が暗い影を落とす。

正直言って、この物語はどちらの方向へ向いているのかよくわからなくなった。良く言えば、全方向への問題提起を含んでいるのだが、悪く言えば、焦点がどこにあるのかわからない。

ナノマシンの設定は「Hollwo Vision」のものよりも納得できる。そして、その帰結も想定内だ。しかし、ナノマシンの群体が怪獣よろしく三浦半島に上陸するシーンは呆気にとられた。しかも、その行動にも、迎撃さえも無意味で無駄であるという虚無感のうすら寒さ。

オスの時間の無意味さと、父でありたいという人間的意識の対比。さらに、良く言われる男性脳と女性脳の考え方の対比。それらのギャップが生む葛藤こそが“Humanity”そのものなのだろうか。

 


[SF] 道を視る少年

2014-04-22 00:07:12 | SF

『道を視る少年(上下)』 オースン・スコット・カード (ハヤカワ文庫 SF)

 

シリーズものとは聞いていたが、あまりの終わってなさ加減にびっくりした。はやく第2巻をよこせ!

基本的には、貴種流離譚型のファンタジーなのだけれど、さすがにカードが書いているだけに、背景に壮大なSF設定が透けて見える。

そもそも、各章の冒頭に挿入される宇宙探査飛行エピソードが、それだけでハードSF短編となるようなぶっ飛びな理論を展開してくれる。これをちゃんと理解できているかは、さっぱりわからないけどな!

登場人物たちは時間を操る不思議な能力を持つのだけれども、この能力の性質を彼ら自身が実験しながら明らかにしていくという過程がおもしろい。科学的態度というのは、こういうことを言うのだろう。

ファンタジーとしては、主人公リグの家族をめぐる話(育ての父、生みの父、生みの母、そして、姉)が本筋であり、母親を求め続けた末にたどり着く家族の最期は、あまりにも哀しい。

ただ、序盤の養父のセリフにちゃんとこの結末が暗示されているんだよね。そこでおかしいと思うべきだったのだけれど。

しかし、これをSF読みが読むと、やっぱりリグの能力に興味の中心が移ってしまい、こっちが本筋に思える。

リグはなぜ山奥で養父に育てられ、特殊な教育を受けなければならなかったのか。養父の正体は明らかではあるが、なぜの部分の謎が残り過ぎだ。しかも、囲壁の向こうで出会った存在は、養父の計画を知っているのかと思いきや、まったく知らないようで、ここの謎も大きい。

この世界、ガーデン星の成り立ちは明らかになったものの、探査移民船の船長ラムとリグはどのような関係にあるのか。そして、リグたちの能力は、探査船の不思議な挙動と関係があるのか。さらに、彼らを追って登場するであろう地球からの本格移民船は物語にどういう形でかかわってくるのか。

とにかく、ファンタジーとしては別離と逃走の結末をとりあえずは得たものの、SF的背景の謎はどんどん大きくなるばかりだ。これで続きが出ないとなると暴動を起こすレベル。

そういえば、SFマガジンで連載中の梶尾真治「恩讐星域」も、こうした時間差移民での軋轢を描こうとする物語だったなと思いだした。これは相互に影響はなさそうなので、一種のシンクロニシティなのか。