食事の後、バスは山越え。
岩肌の見える高山らしい景色の中をどんどん登って、道はいつの間にかアスファルトから踏み固まった赤土へ。
たどり着いたのはモライという場所。ここはインカ時代の農業試験場といわれている場所だ。
丘の上に巨大なすり鉢上の穴が開いていて、その内側に階段状の段々畑が作られている。現在は観光用にほとんど芝生になっているが、一番下の畑にはジャガイモっぽい作物が植わっている。
しかしまた、なんでこんなすり鉢状の畑を作ったのだろうか。一説には、気温や湿度が高度によって変わるので、どの地域でよく育つのかを確認できたということだけれど、本当か?
すり鉢の底を目指してハイキング気分で歩いていく。空は晴れて、緑が鮮やかで、遠くの雪山も綺麗に見える。ぶらぶら歩くにはもってこいの感じだ。
ここではちょっと前に地震があって、石垣が一部壊れているのだそうだ。確かに、木のつっかえ棒が見える。
段々畑の行き来には、石垣から飛び出ている階段を使う。マチュピチュでも見たやつだ。段差の広い3段は男性用。段差の狭い4段のものは女性用とのこと。これまたうそ臭いが本当だろうか。
ぐるーっと周りを回りこんで、すり鉢の底へ。そして、またすり鉢の縁まで登ってくると、あれ、隣にもまたすり鉢が。なんと、このすり鉢は古いすり鉢と新しいすり鉢がふたつ並んでいたのだ。
面白いのは、この山、実はほとんど岩が無いという。なんと、この巨大な丘は全部が赤土でできている。インカの人々は、そのためにこの丘に目をつけて巨大な農業試験場を作った。おかげで、石垣用の石は隣の山から運んでくることになったのだとか。
クスコの景色と、ひと山越えたオリャンタイタンボの辺りの景色が違うのはどうやらこの赤土のせいらしい。どこぞの火山が降らせた赤土が溜まった盆地と、その赤土も大河が洗い流してしまった渓谷ということだろうか。
それにしても、ちょっと(といっても小一時間だが)離れただけで景色を一変させてしまう自然の力も、それをうまく利用して文明を築いた古代の人たちも凄いものだな。
ここからまたバスにのってクスコへ。近道なのか、なぜか畑のど真ん中を通るあぜ道のような場所を通っていく。道に大きな穴やぬかるみがあるが、ゆっくりと乗り越えてゆく。
左右は小麦やジャガイモ畑で、まるでパッチワーク。そう、ここはインカの美瑛みたいだ。ところどころに木が生えていて、あれがケンとメリーの木とか言われてもわからない。なんだか懐かしくなってくる北海道出身。
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